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悪鬼への回帰

土煙を巻き上げ、二つの影が交差する。常人の目には映らない早さでの攻防が先程から何度も続いていた。一方は迫り来る凶刃を薄皮一枚で避け、時に己の愛剣でそれを受け流し、相手に打ち込む隙がないか伺っている。
 もう一方は沸き上がる喜びを隠そうともせず、自分の剣撃を防ぎ続ける相手に容赦なく重い一撃を打ち込みつづけ、煽りの言葉を口にする。

「おい、おい。どうしたぁ! 防ぐだけじゃ埒があかねえぞ。もっと打ち込んでこいよ!」

 以前とは違い、油断からの挑発ではなく、もっと自分を楽しませてくれという意味を込めて、猿哨はフィードに語りかける。しかし、フィードは猿哨の言葉を聞いていないのか無視したまま回避行動を取りつづけた。
 彼の頭を占めるのはどうやったら猿哨の肉の鎧を破る事ができるかということだけだった。そのための策を脳内に張り巡らせ、最小限の思考で回避や防御行動をとっているのだ。

(生半可な攻撃じゃこいつの肉に防がれる。前の時のように上級魔術を打ち込めればいいが、それでも致命傷には至らないはずだ。それに、あれは魔力を練るのに時間がかかる。それだけの時間を今回あいつが与えてくれるとは思えない)

 眼前を風切音を立てて黒の大剣が通り過ぎる。剣が通り過ぎてなお残る風圧という剣撃の残滓に思わず体勢を崩しそうになるが、どうにか踏ん張り次の行動に移る。

「あ~。ったく、ちまちまとした動きばかりしやがって。お前はあれか? 玉付いてねえのか? 男なら小細工や後先考えずにかかってこいよ。俺とやり合うだけの力はあんだろうがよ!」

「……」

 どれほど挑発しようともフィードがそれに乗ってくることはなかった。むしろ、先程よりも更に回避に磨きがかかり、二人の戦いは膠着状態になっていた。
 片方は一撃当てれば勝負がつく。片方は己に降り掛かる死の一撃を避け続けることはできるが決め手に欠ける。
 どちらに分があるかは言うまでもない。決め手に欠けている時点でこの勝負は終わったようなものだ。しかし、そんな中でもフィードの瞳には光が灯っている。これは、勝負を諦めた者の目ではない。
 彼はこのような状況でも勝機を見いだすための“何か”を待っていた。
 そんな彼の様子に気がついたのか、猿哨は一度持っている剣を振るうことを止めた。

「つまらねえ、実につまらねえ! なんだよ、おい。せっかく楽しい戦いができると思って楽しみにしてたのによ。興醒めもいいとこだぜ。それとも、なんだ? 他に何か考えがあるのか? もしかして頼りになる仲間でもいるのか?」

 動きを止め、問いかけを始める猿哨に合わせるようにフィードもまた足を止め、呼吸を整える。本人が思っている以上に疲労を蓄積していた。猿哨の気まぐれに付き合いながらも脳内では次の一手のための思考は止めることなく続けていた。
 不意にできた僅かな休戦時間。この間に上級魔術を発動させるための魔力を練ろうかとフィードは考えた。だが、それをすることはできなかった。
 一見、猿哨はただ気を抜いてお喋りに興じているように見える。しかし、彼はそう見せているだけで実際のところは先程と変わらない規模の殺気をフィードに向かって飛ばしつづけている。彼が一瞬でも気を抜いて別のことに意識を向けでもすれば、一瞬のうちにその命を刈り取るだろう。
 つまり、今現在の休息時間は彼の質問、あるいは独り言を聞かされることの代価として支払われているということになる。

「それともあれか? お前もしかして、この町の連中を庇ってるのか? 自分に意識を向けさせる事によってここの奴らが逃げる時間を稼いでるんじゃねえだろうな。だとしたら馬鹿にされたもんだ。
 俺ともあろうものが自分より弱い奴に舐められるとはな」

 ゆらりとフィードよりも大きな猿哨の身体が揺れ動いた。一瞬、その巨躯が倍になったかとフィードは錯覚した。先程よりも更に大きくなったプレッシャー。自身の力を甘く見られたことに我慢ならなかったのか、猿哨は怒り、そしてそれを力に変えていた。
 実際のところフィードは猿哨の事を甘く見ているつもりも町の人々も庇っているつもりもなかった。そんな余裕は今の彼にはないし、言われるまでそんなことを思いもしなかった。
 今の彼の頭の中を占めるのはただ目の前に立つ仇敵をどう討ち取るかということのみ。それ以外のことを考える暇なんてなかったのだ。
 以前の、それこそこの倭東へ来る前のフィードであれば考えが違ったかもしれない。町の人々を助ける事を考えて、それまでの時間を稼ぐという選択肢も取っていたかもしれない。
 しかし、トリアでの友との死別。倭東における己の師であり仇敵の一人である卯月との再会。その際の手合わせによる惨敗。極め付きは盗賊討伐に際しての猿哨との戦いにおける敗北。これらの経験と卯月の言葉が甘さが生まれ、人としての道を歩み始めようとしていた彼を再び修羅の道へと引き戻した。
 言うなればこれは回帰。かつて、誰とも慣れ合わず復讐だけに身を焦がしていた悪鬼に彼が戻りつつあることを意味していた。
 だが、そんなことを猿哨が知るはずもなく、彼はフィードが己を馬鹿にしていると勝手に判断して一人で怒っていたのだった。
 この状況をどう扱うべきかフィードは考える。吉と出るか凶と出るかは猿哨の行動次第だからだ。

「……決めたぜ。打ち込んでこねえのならわざわざお前を攻撃する意味はねえ。せいぜい、自分が守ろうとしている存在が目の前で奪われるのを黙って見ているんだな」

 そうフィードに告げて猿哨は町の人々が逃げた先へと駆け出した。そして、そんな彼に続くようにフィードもまた駆け出した。
 町の人々を助けるためでなく、たった一人の少女の心配だけをして。


 鼓膜が破れるほどの絶叫が天に向かっていくつも響き渡る。目の前で大切なものを奪われるものの叫び。辛うじて命を繋ぎ、痛みに耐えかねて叫ぶ怪我人。そして、嗚咽を漏らして怨嗟の言葉を投げかける人々。
 彼らが睨み、怯える対象はただ一人。目の前で悠々と殺人行為を続ける一人の男、猿哨だった。そして、そんな男の後方には町の人々を守るわけでもなく、ただ黙って猿哨の行為を見続ける。かつての、自分の時のように何もできず家族や友人、そして恋人を奪われる無力な人々。地面に倒れ伏し、恨み言を積み重ねるその姿は幼い頃の自分の姿のようだとフィードは思った。
 虐殺を続ける猿哨に人々は見ていられないと顔を覆い、その行為から目を背けていたが、やがて男の後方に殺されることなく無傷で立ち続けるフィードの姿を見つけて助けを求め始めた。

「助けてくれ! あんた、剣を持ってるんだろ。俺の妻の仇を討ってくれ」

「私の息子の仇を! あいつを殺してちょうだい!」

「殺せ、殺せ、殺せ!」

 その場にいた被害者の心が一つになり、フィードに自身の願いを託した。しかし、そんな彼らをフィードは……冷めた目で見るだけだった。

(こいつらは、どうして何もしないんだ? 万に一つでも立ち向かえば倒せる可能性があるじゃないか。そもそも、俺が猿哨を倒せると信じているのならあいつの動きを止めるために特攻するくらいのことはしてくれても構わないのに)

 詰まる所、彼らは弱いから、自分では敵わないからという理由を言い訳に使って逃げているのだ。自分の力で戦おうとせず、人に頼る事しかできない。
 世の中の大半はこのような人間で溢れている。そんなことはとうの昔にフィードはわかっていたし、それでいてそんな人の力になろうと彼は己の持つ力を貸し出してきた。
 だが、今の彼はそんな彼らを見てただ呆れるだけだった。そんなことで自分の思考を遮るなと一瞥し、彼らの言葉を聞き流す。
 彼はこの虐殺中も猿哨に隙ができるのを待ちつづけ、その隙を突いて必殺の一撃を打ち込むための方法を考えつづけていたのだ。
 何度訴えかけても猿哨に立ち向かおうとしないフィードに対する苛立ちが限界に達したのか、町の人々はその恨みの矛先を彼に向ける事にした。

「ふざけるな! 何で立ち向かわない。あんたなら勝てるかもしれないだろ」

「この人でなし! あんたみたいな奴が私の息子を守らないから……う、うぅぅ」

「死ね! 死ね! 死んじまえ!」

 理不尽きわまりない言葉がフィードに向かって飛び交う。彼が何も言わないのをいいことに、彼らは好きなだけ不満や恨みをぶつけていた。
 それを見た猿哨が高らかに笑い声を響かせる。

「見ろよ! どうだ、これが人の本質だ。お前がいくら大事なものを守ろうとしたところで意味ないんだよ。一時は感謝されようが、窮地に追い込まれればすぐに自分より強い者に縋り、助けを求めるだけで何もしねえ。
 弱い事は罪だ。弱さを言い訳に奪われる事に不満を述べる奴なんて死んで当然。お前もそうは思わないか?」

 そう問いかけられフィードは意外にもその考えを受け入れていた。弱い事は罪。確かにそれは真理でもあった。
 実際、自分が弱かったから家族を奪われ、友を守れず、こうして仇敵に敗北を重ねている。あの時に今と同じ。いや、それ以上の力があったのなら自分は何も失う事はなかったはずだ。力があれば、大切な者を守る事ができる。力がなければ、ただそれを失うのを黙って見ている事しかできないのだ。
 認めたくはないが、自分は十二支徒と同じ考えをしている部分があるのだとフィードは内心感じていたのだった。

「ああ、そうだな。弱ければ何も守れやしない」

 向かい合う宿敵。立場も、その生き様も違えど同じ考えに行き着いた二人の男。対峙する二人の間はこの瞬間、まるで時が止まったかのような錯覚を覚えるほど静まり返った。
 この状態がいつまで続くのかと遠巻きに二人を見ていた人々だったが、停滞はすぐに破られる事になる。停滞の中、フィードの視線がほんの一瞬だけ猿哨から外れ、別の方角を見ていた。
 そこにいたのは白い髪をした少女とそんな彼女を遠くへと逃がそうとしている男女が一組。不意に視界に入った彼らの姿に思わず視線を向けてしまった。
 当然、そんなフィードの行動を見逃す猿哨でもなく、これまで町の人々を殺しても何の反応も見せなかったフィードがようやく出した別の反応を感じ取り、すぐさま三人の元へと駆け出した。

「はっ! 今度こそ当たりか!?」

 猿哨に一歩遅れてフィードが彼の背を追いかける。だが、その早さは同じため距離は縮まらない。

「こいつらを殺ればちったあやる気を見せてくれるかぁ! 復讐鬼!」

 振り下ろされる斬撃に割って入る事もできず、フィードはその光景をただ猿哨の背後で見ているだけだった。再び失われようとする大切な命。それを目の前にして彼は……

「ふっ、ははっ……」

 ……笑ったのだった。

 ギンっと鈍い金属音が響く。振りおろされた大剣は辛うじて抜刀した李明の剣によって防がれていた。しかし、今の一撃を防いだのが精一杯だったのか、苦い顔をして必死に大剣を押し込まれるのを防ぐ李明。
 だが、必死になって李明が猿哨の一撃を防いだ事により生まれた一瞬の空白時間を突いて、フィードが猿哨の横腹を思い切り蹴飛ばし、その身体を吹き飛ばした。

「大丈夫か、李明」

「はい、大丈夫です。それよりも、あいつが?」

 襲撃者の確認をその身を以てした李明がフィードに問いかける。それに彼は頷いて肯定する。

「ああ、そうだ。あいつが襲撃者で、この町の人々を殺して回ってる犯人だよ」

 そう告げるフィードにどこか違和感を感じる李明。今までも、それこそこの町の前で再会した時も彼は張りつめるような空気を身に纏い、触れれば切れるような雰囲気をしていた。それこそ、昔。子供の頃に見た彼のように。
 しかし、それでも一緒に過ごしている間は面倒見のよい兄貴分のような存在で、稽古をつけてもらっている時等は特にそれが顕著に現れていた。
 だからこそ、李明は今の彼からは違和感を感じたのだ。まるで外見だけはそのままに中身を全く別の人間に変えたような気持ち悪さが今のフィードからは感じられた。

「どうした、李明?」

 そんな李明の考えを知るはずもないフィードはいつものように彼に優しく語りかけた。こんな状況にもかかわらず、そんな声を出せる彼が李明には本当に異常に思えた。だが、今はそれを追求している場合ではなく、どうやってあの襲撃者を追い払うか、もしくは討ち倒すかが問題だ。

「いえ、何でもありません。それよりも、どうします? この状況」

 見れば、香林はともかくアルはあまりの出来事に腰が抜けてしまっていた。そんな彼女を支えながら香林とアルはこの場を離れて行く。
 二人を逃がすにしても時間を稼がなければならないし、命を奪われないように自分の身も守らなければならない。なぜなら、いくら時間を稼いだところで自分達が倒されるようなことがあっては、彼女達の命はすぐに失われてしまうからだ。

「そうだな、俺たち二人で奴を止めよう。行けそうか、李明」

 ここに来てようやくフィードは攻めの一手に出る事を選択した。既に彼の中には先程まではなかった猿哨を討ち倒す手が思い浮かんでいる。
 胸中に不安を抱いたまま、それでも彼を信じるしかない李明はコクリと頷き、腰を落として下段に剣を構える。先程の一撃の打ち込みを防いだ際、相手の実力が自分よりも遥か上で、一度でもその斬撃を受ければ絶命は免れないという事は理解した。そのため、より早く動け、少しずつダメージを蓄積するヒットアンドアウェイの戦法をとる事にしたのだ。一撃の威力よりも素早さを重視するために腰を落とし、少しでも次の一手に移れるように足先に力を入れてフィードの動きを待つ。
 そして、そのフィードはと言えば、剣を構えたまま動こうとせず、彼に吹き飛ばされた猿哨が立ち上がるのをジッと見つめていた。

「いっ……てえな。んだよ、戦えるんなら最初からそうしろよ。待ちくたびれたぜ」

 コキッ、コキッと首をならして起き上がる猿哨。その様子から伺えるのは、先程の一撃が全く効いておらず、より好戦的に相手がなっているという事だけだった。

「フィードさん、一つだけ泣き言を漏らしてもいいでしょうか?」

「なんだ?」

「俺、この相手に勝てそうにもないです」

 戦う前から相手の気迫に呑まれて萎縮している李明。見れば剣を握りしめる手は微かに震え、顔は青くなっていた。本当は今すぐにでも逃げ出したくてたまらないのだろう。だが、後ろの二人を逃がすため、そして逃がした後も猿哨に手を出させないために彼はこの場に残っているのだ。そんな彼を安心させるようにフィードはそっと囁いた。

「大丈夫だ。あいつの動きさえ止める事ができたならどうにかできる手が俺にはある。だから、李明はあいつを止める事だけを考えてくれ」

 その言葉には少しも不安そうな様子はなく、本当に猿哨を倒す事が自分にはできるという自信にあふれていた。自分よりも遥かに格上なフィードがそこまで言い切るのだ。信じるに足る何かがきっとあるのだと李明は思った。

「わかりました。俺はあいつを止める事に専念します。フィードさんは奴を倒すことに集中してください」

「ああ、頼んだぞ」

 そう言って二人は会話を終えた。見れば、こちらの会話が終わるのをわざわざ待っていたのか、猿哨がつまらなそうな顔をして立っていた。

「なんだ、作戦会議はもう終わりか? まあ、遅かろうと早かろうと俺には関係ないんだがな。それじゃあ……行くぞ、ゴラァッ!」

 咆哮と共に放たれたるは一撃必殺の威力を持つ投擲された大剣。これを避けられなければ直接猿哨とやり合うなんていうことは夢のまた夢。
 唸りを上げ襲いかかる大剣を二人は左右に大きく飛んで交わす。獲物を喰い千切るように飛びかかった大剣は無人の目標地点へと辿り着く。獲物を捕らえられなかった鬱憤をはらしているのか、地面に突き刺さると同時に凄まじい衝撃を与え、地面を割った。その際に飛び散った土塊が四方八方へ、まるで投石のように飛んで行く。
 襲いかかる土塊達にフィードと李明は両手を顔で覆い、その身を縮めて接触を最小限にし、受ける威力をできるだけ少なくした。
 ほんの僅か、一瞬の出来事。刹那に起こったやりとりをまともに理解できた者は少ないだろう。それほどまでにこの戦いは素早く、高度なものだったのだ。
 土塊の衝撃が来ないのを確認し、地面に降り立つ二人。だが、開けた視界の先には猿哨の姿はなかった。

「後ろだ!」

 不意に横から聞こえて来るフィードの叫びに李明は背筋がゾッとするのを感じた。そして、背後を振り返ることなく、全身のバネを使って再びの跳躍。
 フィードの側に飛びながら李明は己が今さっきまでいた場所をチラリと盗み見る。そこには捕食者の目をした猿哨が指を鳴らして立っていた。
 フィードの叫びに気がつかず、一瞬でも後方を振り返っていたりでもしたらその時点で李明の命はなかっただろう。限界ギリギリの命のやり取りに、彼の精神はほんの少しの対峙で既にかなり摩耗していた。
 長期戦になればこちらが不利。それが分かっているのか、フィードもまたこの対峙を素早く終わらせるための行動に移り始めた。

「風よ、その身を集めて凝固せよ。
 集う力は目に見えず、気づかぬままに敵を押しつぶす――コンプレスドエア――」

 素早く魔力を練り上げ詠唱を開始するフィード。そして、詠唱を終えた彼の上空には目には見えない大きな空気の塊が集まり、密度を増し始めていた。魔術に関しては素人の李明でさえ、この魔術の危険さを肌で感じる。常人であれば即死の一撃だ。
 さすがにこれを発動されるのは不味いと猿哨も感じ取ったのか、目にもとまらぬ早さで二人に向かって襲いかかった。踏み込みが強すぎるのか、地面は陥没し、数歩でそれまで空いていた距離を埋めてしまう。
 フィードの手前に存在する李明の胸に向かって突き出される高速の拳。それが彼の胸元を貫く前にフィードは圧縮された空気を猿哨の頭上へと叩き落とした。

「潰れろ!」

 グシャリと嫌な音がし、猿哨の身体が地面に沈み込む。さすがの彼も前回の風の槍と違い、超密度に圧縮された空気を押し返すほどの力を持っていなかったのか、肉を削り、骨を砕かれながら地面へと埋もれて行く。

「ぐっ、おぉぉっ……」

 うめき声を上げながら必死に抵抗を試みる猿哨。だが、さすがの彼も風の塊から逃れる事はできなかった。直前まで命の危機に晒され、どうにかそれを回避した李明はただ呆然と目の前で押しつぶされる襲撃者を見ていた。

「や、やった……」

 勝利を確信し、安堵の言葉を口にする李明。だが、フィードの叱咤の言葉で再び気を引き締める事になる。

「まだだ!」

 その言葉に李明が後ろを振り返る。見ると、魔術を発動させているフィードの額には脂汗が浮かび、苦しそうな表情を浮かべ、肩で息をしていた。
 緊迫した状況で忘れてしまっていたが、フィードの体調は万全ではなかったことを李明は思い出す。そして、それがどういう展開を引き起こすかを想像して彼の顔から血の気が引いた。
 ズンと大地を揺らす振動が彼ら二人の足下を揺らして伝わった。フィードの苦虫をかみつぶしたような表情に李明が再び振り返ると、そこには風の塊を弾き飛ばそうと片足を付いて起き上がろうとする猿哨の姿があった。

「化け物がっ……」

 たまらず愚痴をこぼすフィード。しかし、そうしたからといって状況が好転するわけでもなく、むしろ彼らの状況は悪化の一途へと辿り始めていた。
 今すぐに猿哨の息の音を止めたい。しかし、彼には生半可な攻撃は効かず、今近づけば自分も風の塊の餌食になる。そうした理由からトドメを刺す事もできず、この均衡を打ち崩せずにいた。
 だが、それもとうとう限界が来た。フィードの発動させた魔術は効力を失い霧散し、それまで空気の圧力に耐えていた猿哨は自由の身となり、風の拘束から解き放たれた。
 超密度の風圧によって押しつぶされて内臓を損傷したのか、猿哨の口元からは血が垂れていた。それを唾と一緒に口内に含み、勢いよく地面に吐き捨てる。

「やってくれたな。そうだよな、そうこなくっちゃな」

 あれだけの攻撃をくらってなお猿哨の顔に浮かぶのは笑顔だった。狂っているとしか思えない、真の意味での戦闘狂を目の前にして李明は絶望した。
 フィードは体調の悪化がぶり返し、満身創痍。そして猿哨はやる気満々の状態。元々李明はこの場に降り立つ役者としては相応しくない。精々主役のサポートができればいいといったレベルだ。
 だが、肝心の主役がバテてしまい舞台を続けられるような状況ではない。そうなると待っているのはもう一人の主役による終了宣言のみ。それはつまり彼ら二人、ひいては町の人々の命の終わりを指し示していた。

「駄目だ……」

 震える声で李明は呟く。彼の脳裏には数分後に哀れな肉塊と化した自分達の姿しか浮かび上がらなかった。しかし、そんな絶望的な中でも彼は諦めなかった。

「駄目だ、だめだ! 諦めたら、それこそみんなが犠牲になる。この町の俺が世話になった人たち、父さん、香林が。そんなのは駄目だ! フィードさんはあいつの動きを止めたらどうにかなるって言っていた。だから……俺は」

 意識は猿哨に向けたまま、フィードの様子を見る李明。彼はまだ息を切らしており、すぐに戦えるほど体力が戻っていなかった。
 李明は覚悟を決めた。フィードの言葉を信じて、決意を固める。

「フィードさん、信じてますよ」

 そう、彼に告げて李明は再び剣を構える。そして、叫び声と共に猿哨に向かって突っ込んで行った。中段から横一線に振り抜いた剣は、全力であったのにもかかわらず、猿哨の横腹に僅かに食い込み血を流す程度の傷しか生み出さなかった。

「くっ!」

 すぐに剣を抜き、少しでも時間を稼ごうとする李明。だが、筋肉の締め付けによって猿哨の横腹から李明の剣が抜けることはなかった。

「お前はもういい」

 淡々と死の宣告を告げる猿哨の顔を李明が覗き込む。

「かっ……けふっ……」

 次の瞬間には彼の腹部を猿哨の右腕が貫通していた。ポタ、ポタ、と腹部と貫通している腕の接合部から零れ落ちる多量の血。李明の口元からも溢れるように血が流れた。
 もはや絶命は免れない。だが、そんな状態でも彼は必死に抗いつづけた。

「ま、まだっ……じか、ん……を」

 己に残った最後の力を振り絞り、猿哨の腕をがっしりと掴む李明。彼を逃がすまいと必死に食らいつく。

「このっ! 雑魚が離しやがれ!」

 火事場の馬鹿力で自身の腕を掴み続ける李明の腹部から腕を引き抜こうとする猿哨だったが、それを行おうとした瞬間、これまでに感じたことのない怖気に襲われた。それは、李明の後方。先程まで満身創痍だったフィードから発せられるものだった。

「よくやった、李明。これでこいつの命を奪う事ができる」

 今までに見た事のない程顔を歪め、笑顔を浮かべるフィード。そこから感じられるのは狂気の感情。仲間が今にも死にそうだというのに、それを悲しむどころか仇敵の命を奪えることに喜びを感じる方が先だという。
 少し前に猿哨のことを化け物とフィードは言ったが、この状況を他の者達が近くで見ていたのなら彼も猿哨と何も変わらないと口にしただろう。
 よくよく考えてみればおかしな点はいくつもあった。町の人々が殺されても一切助けようとしなかったフィード。それが急に李明を含めた三人の方を気にかけたのだ。確かにあのままではいずれ猿哨が手を下していたのかもしれないが、それでもあの状況でわざわざ視線を向けて猿哨に気づかせる理由はない。
 つまり、あの時点ですでにフィードは彼らを囮に使っていたのだ。大切な者を守りたいと思いながら、その大切な者を復讐を遂げるために利用した。それが矛盾しているということにきっと彼は気がついていないのだろう。いや、もしくは気がついていてなおそのような行動を取っているのだろう。
 勝利宣言のようにフィードは剣を天に掲げ魔術の詠唱を開始する。それは、これまでの戦闘で培ってきた技術と、刃の通らないほど堅い筋肉の鎧で覆われた猿哨の身体を確実に切り裂くための新しい戦法だった。

「風よ、敵を貫く高速の槍を形作れ。
 捻れ、渦巻き、どんな強固な盾をも貫く矛――ソニックランス――」

 詠唱を終え、風の槍を空いた手に持つフィード。これだけなら今までと何ら変わりない戦い方だ。しかし、彼は発動させた魔術を剣の表面に重ね合わせるように付加した。
 これはある意味フィードのかつての友クローディアがやっていた二つの魔術を同時に操るという事に近い。魔術を発動させたまま、それを剣に重ね合わせ振るう。確かにそれは絶大な威力の斬撃を生み出すが、本来であれば短時間で霧散する魔術を長時間維持せねばならず、魔力、体力の消耗は激しい。それに、魔術が本来持つ威力に武器が耐えきれず破壊されてしまうだろう。これはまさに絶大な一撃と引き換えに己の戦えるための力を全て使い果たすということを意味していた。
 己の直感でその危険性を理解したのだろう、猿哨はすぐさま李明を引きはがそうとするが、どうしてもその手は彼の腹部から抜け出す事はできなかった。

「ちっくしょおおおおおおおおおおおお!」

 叫びながら李明ごとその場を離れようとする猿哨だったが、それよりも前にフィードの一撃が放たれた。

「これで終わりだ。死ね、猿哨」

 放たれる絶大な威力の風の刃。そのあまりの力にこれまでの戦いを共に戦ってきた愛剣は粉々に砕けちり、放った魔力の衝撃で剣を持っていた両腕にいくつもの切り傷を作った。
 一瞬にして猿哨の元へ辿り着く風の刃。その光景を見たのは当事者も含めて四人。
 一人はフィード。己の勝利と、十二支徒の一人、猿哨の命を確実に奪ったと確信しその顔に笑みを浮かべる。
 一人は猿哨。己の命が奪われると直感し、どうにかこの一撃を防ごうと最後まで足掻く。
 一人は香林。アルを無事な場所にまで連れて行った後、李明達の戦いを見届けようと近くにまで戻ってきていた。そして、愛する者が襲撃者によって胸を貫かれ、今その命を完全に終えようとしているのを見て声にならない叫びを上げた。
 そして、最後の一人は。

「くっ、くくく。ふはははははっ! ついに、ついに来よったか!」

 狂気に魅入られ、悪鬼へと再び身を堕としたフィードを遠くから見て歓喜する、十二支徒の元リーダー。手塩にかけて育てた彼の弟子が壊れ始めた様を目の当たりにした彼女の興奮は今最高潮に達していた。

「ここまで来たらもう戻れぬぞ。せいぜい残った理性を大事にして、それが失われた時の絶望をしっかりと噛み締めるとよい」

 町を一望できる見張り台の一つ。その頂上、戦いを観戦するには最高の特等席からそう呟く卯月。
 この四人だけが、戦いの最後を見届けていたのだった。
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建野海

Author:建野海
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名前:建野海

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好きな食べ物: 和菓子、洋菓子などデザート類。

趣味: 読書、ツーリング、ゲーム、ピアノ、映画鑑賞。

好きなマンガ:
ワールドエンブリオ
修羅の門
     3月のライオン
     エリアの騎士
     フルーツバスケット

好きな小説:ダレンシャン
      白夜行
      スロウハイツの神様
      向日葵の咲かない夏
      白い巨塔など。

好きな映画:プラダを着た悪魔
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      インセプションなど。

好きなゲーム:キングダムハーツ
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