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一つの物語の終わり

おはようございます、建野海です。

エルフ「……そ~っ」 男「こらっ!」完結から早三日。更新の方も終え、とうとう本当の意味で物語が終わってしまいました。
話を書いていた当初は「終わったら達成感や、寂寥感が凄いんだろうな」と想像をしていましたが、終わってみれば意外とあっさり。寂しさや満足感は多少有るものの、戦争編を書き終えた時に比べると非常に淡白でした。
ちょっと拍子抜けもしましたが、燃え尽き症候群になっても困るので、これぐらいでちょうどいいかなと思います。

一年半。思い返してみるとあっという間に過ぎた一年半でした。書いている時は長く感じても終わってみるとすごく短く感じるので不思議ですね。
物語を書いている中でスピンオフ的な話も沢山思い浮かんだのですが、正直それを次から次へと書いていたら終わりが見えないし、さらに多くの物語が構築されていきそうだったのでやめました。あくまでも、男と彼に関わる人々の物語で終えようかと。
できる限り伏線は回収したものの、話の都合上描ききれなかった描写やその後の話は多々あります。例えば、女隊長たちのお墓はどうしたとか、その墓参りに行っているのか。家族と過ごした村はどうなっているのかとか、兄エルフとの和解は結局できるのかとか。
正直、全ての伏線を回収は無理があったので、可能な範囲での回収は心がけました。上手く纏まっていればいいな~と思います。
そういえば途中、筆を休めたせいかキャラがぶれそうになったりキャラ名を忘れたり(騎士が男騎士になったり)と色々と苦労しました。
なんだか似たような描写や会話も何度か書いたような気もして、脳内で書いた話なのか実際に書いた話なのか判別つかず怖い思いをしたり……。
色々と試行錯誤して作った本作だなと思います。以前の記事にも書きましたがだいたい四十万字超。キャラ名を常に入れているため実際にはもう少し少ないですが、それでも三十万字は越しているでしょう。
一応一番長い話はアル旅ですが、完結させた作品という枠組みならばこの物語が一番長いです。
執筆を最初に始めたのがだいたい五年前。当初は文法作法も全く知らない妄想垂れ流しの雑文を書き散らしてました。
それでも、処女作は十万字。話はめちゃくちゃなくせに文字数多い、一応完結の形をなしているからタチが悪い。そんな作品から五年が経ち、一つの長編を完結させた自分は果たして成長できているのか?
少しはあの頃から成長できていると嬉しいなと思います。

とりあえず、無事に完結させたことを祝って一杯やろうかと。次に新作を書くならおそらく企画参加のものになりますが、このSSの息抜きで書いていた恋愛事情系のSSを書くか、それとも別のSSを書くかは迷い中。
アル旅の方も長いこと放置してしまっているので九月には再開できるようにしたいと思います。


あ、そういえばこっちで書いていたかわからないので書いておきますが、今バイクに乗ってます。ニコニコのツーリングに主に参加させていただいています。プロフィールの画像にあるCB400SFの黒色で街中を主に走っているので、スマートブレイン社のロゴステッカー付きSF見かけたら声でもかけてやってください。
Goproも買ったし、そろそろまた旅に出たいです。
それでは、また。
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人とエルフ

全ての物語には終わりがある。
 これは、一人の少年が世界に生まれ、人とエルフを繋ぎ、導く者としての運命を背負った物語。
 人とエルフにとって、そしてこの世界にとっても共通の敵である〝黄昏〟を倒し、彼とその仲間たちはこの世界に再びの平穏をもたらした。
 長い間お互いに相いれず、敵対関係を維持してきた種族は、この戦いを経てようやく新たな一歩を踏み出そうとしていた。
 今はまだ生まれたばかりの小さな芽。これがこれからどのように成長していくのか、それともこれまでのように途中で手折られてしまうのかはわからない。
 それでも、世界は新しい未来へと歩み出した者たちによって、その有り様を変えようとしている。

……





……

エルフ娘「お母さ~ん。お父さんまだ帰ってこないの~?」

エルフ「そうですよ。お父さんは今大事なお墓参りの最中なんです。積もる話もあるでしょうから、もう少しだけ待ちましょう」

エルフ娘「む~。ご飯早く食べたいよ~」

エルフ「しょうがないですね。それじゃあ、男さんには内緒で少しだけつまみ食いしちゃいましょうか」

エルフ娘「わ~い。お母さん大好き!」

 調理した食事を少しだけお皿に取り分け、男には内緒でこっそりと食べる二人。

エルフ娘「ねね、お母さん。お父さんが今お墓参りに行っているのって私の名前になってる人なんだよね?」

エルフ「そうですよ。それはもう、すごい人だったんですから。あなたが生まれる前に起こった大きな戦いで〝救世主〟として世界を救った偉大な女性だったんですよ」

エルフ娘「『旧エルフ』か~。どんな人だったのかな? 一度でいいから会ってみたかったなぁ」

エルフ「そうですね……。できることなら、私も会わせてあげたかったです」

 そうしてエルフは思い出す。彼女と男と一緒に暮らしたあの懐かしい日々を。
 運命を背負う代価に奇跡を体現し、再びこの世界に受胎した旧エルフ。最初は羨望と嫉妬で彼女の存在をエルフは受け入れられなかった。
 だが、共に過ごして彼女の人柄に触れていくうちに、同じ人を愛する者として徐々に彼女を受け入れ始めたこと。
 その後すぐに〝黄昏〟との戦いのため男共々連れ去られ、冷たい牢獄に押し込まれて不安になった自分を優しく包み込んでくれたことも。
 戦いを終え、役目を果たした末に最後まで笑顔を浮かべ、この世界を去っていった〝救世主〟を彼女は、覚えている……。

エルフ娘「お母さん……泣いてるの?」

エルフ「えっ?」

 エルフ娘に言われ頬を撫でてエルフは気がつく。無意識のうちに彼女の頬には涙が流れていた。

エルフ娘「どうしたの? なにか悲しいことでもあったの?」

エルフ「そんなこと……ないですよ。大丈夫です」

 不安そうに自分を見つめるエルフ娘の身体を優しく抱きしめるエルフ。かつて旧エルフが己にしたように。

エルフ「今はもう、あなたがいますから……」

 どことなく旧エルフの面影に似たエルフ娘の頭を優しく撫でながら、エルフは呟く。
 子供ができる。そう分かったとき、エルフは産まれる子供に彼女の名を付けることを決めていた。
 かつて、悲しい出来事があった。避けようのない別れがあった。
 けれど、それがあったからこそ自分たちは今この世界に存在できているのだと改めてエルフは実感する。
 消えていった彼女の想いに報いるためにも人とエルフが笑って過ごせる世界をつくる。それが、今のエルフと男の掲げる信念だった。
 不意に、家の門を開ける音が外から聞こえた。墓参りを済ませた男が帰ってきたのだろう。
 それに気づいたエルフはエルフ娘に合図を送り、ゆっくりと扉の前へと向かっていく。エルフ娘はエルフの合図に元気よく頷き返した。

エルフ「行きますよ?」

エルフ娘「うんっ!」

 徐々に開いていく扉。扉の前で彼女たちが待っているとは知らない男は、いつものように帰宅した。

エルフ娘「……そ~っ」

エルフ「……そ~っ」

 こっそりと扉の前に移動した二人は、扉が開くと同時に中に入ってきた男の胸めがけて二人が飛び込んだ。
 急に現れた二人に驚きながらも、男は二人の身体を両腕で抱きしめ、満面の笑みを浮かべながら、お決まりの言葉を口にするのだった。

男「こらっ!」

エルフ「……そ~っ」 男「こらっ!」 epilogue 人とエルフ ――完――
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空の欠片

戦いは終わった。人とエルフに多大な犠牲を出した〝黄昏〟との戦い。あの戦いの後、男たちは戦の後処理に追われていた。
 戦場に残された多くの死体の埋葬。民衆への状況、そして今後のエルフとの関係性についての説明。その他にも今回の戦いで起こった経済的な損失や、それを埋めるための会議などやることは尽きない。
 そうして、戦後処理に追われること三ヶ月。ようやく、少しの落ち着きを男たちは取り戻した。そんな彼らは今、一時的な休暇をもらい、元いた町へ帰ろうとしていた。

男「それじゃあ、行くよ。みんな、しばらくお別れだ」

 そう言って中央都市の門の前で戦友たちに別れを告げる男。その隣にはエルフと旧エルフの姿もあった。

騎士「おう。まあ、また近いうちに会うことになるだろうけどな。とりあえず、気をつけろよ?
 お前と旧エルフはもう知らない者はいない英雄なんだ。きっと、手厚い歓迎をされると思うぜ」

男「うっ……。僕としては普通にしていてもらいたいんだけど」

女騎士「ふふっ、男らしいな。でも、そうもいかないわよ。それだけのことをあなたたちは成したんだから」

男「でも、それはみんなも一緒でしょ?」

女魔法使い「そうですね! もっとも、どこぞの誰かさんはいじけてばかりでしたけど」

エルフ「むっ! それは私に対して喧嘩を売っているんですか、女魔法使いさん?」

女魔法使い「さあ? 私は別にそれがあなただとは一言も言っていませんけれど? 思い当たる節でもあったんですかね」

エルフ「この~言わせておけば!」

 互いに喧嘩腰になりながら、女魔法使いとエルフは睨み合い、結局つかみ合いの喧嘩を始めてしまう。とはいえ、端から見ればそれは仲の良い者同士のじゃれあいにしか見えないのだが……。

男「はいはい。二人ともそこまで。女魔法使いも毎回エルフを挑発しないの。エルフも、もう帰るんだから一応ちゃんと別れの言葉を口にしておいたら?」

女魔法使い「むぅ……。先生がそう言うのなら」

エルフ「べ、別に私は言うことなんて……」

 もごもごと口を動かし、何か言いたげにチラリと女魔法使いの様子を盗み見るエルフだが、なかなか素直になれずにいた。そんな彼女の背を男はそっと押し、勇気を出させる。

エルフ「あ、あの~女魔法使いさん。ありがとうございました」

女魔法使い「何のことですか?」

エルフ「私が元気ないときにいつも時間を空けて部屋に来てくれましたよね? あれ、本当に嬉しかったです」

 エルフの素直なお礼を受け取った女魔法使いは、気恥かしさからか顔を真っ赤に染め、いつものキツイ口調でその言葉を否定した。

女魔法使い「は、ハァッ!? 勘違いしないでください! あなたの元気がないと調子狂うから様子を見に行っていただけです。別に他意はないですから!」

エルフ「それって結局心配してくれていたってことですよね?」

女魔法使い「違います! 断じて、そんなことはありませんから!」

 珍しく女魔法使いがやり込められている姿を見て、その場にいた皆がクスリと微笑んだ。
 その後も女魔法使いとエルフの見ていて飽きないやり取りをしばし繰り広げた後、とうとう別れの時がやってきた。

男「みんな、また会おう!」

 男たちは近くにて控えていた馬車に乗り込み、戦友たちに別れを告げて彼らの家へと向かいだした。
 馬車に乗り、旅をすること幾日。久方ぶりに帰還した彼らが住む町。そこでは大勢の人々が彼らの帰りを祝福して出迎えた。
 見知った人々にもみくちゃにされながらどうにか家へと辿りついた男たちは、長いあいだ放置され、埃まみれになった我が家を見て苦笑した。

男「……帰ってきたね」

旧エルフ「はい」

エルフ「でも、随分汚くなってますね……」

男「まあ、ずっと帰っていなかったからね。仕方ない、帰ったばかりで疲れてるだろうけど、まずは家の掃除から始めようか」

エルフ「はい!」

旧エルフ「はい!」

 汚くなった我が家の掃除。結局それは一日だけで終わるものではなく、ひとまず寝床だけでも綺麗にしようと言う旧エルフの意見を採用し、それ以外は翌日以降に掃除することが決まった。

男「……それで、どうして二人は僕のベッドで寝る体勢になっているのかな?」

 掃除を終え、後は眠りに着くだけとなった男だったが、それぞれの部屋を掃除したにも関わらず、エルフと旧エルフは彼のベッドに寝転がり、男が来るのを待っていた。

エルフ「だって、男さんと旧エルフさんはずっと戦場に出ていましたし、戦いが終わってからも戦後処理で中々三人一緒にいられる機会がなかったじゃないですか!」

旧エルフ「というエルフちゃんの意見から今日くらいは三人一緒に寝るのも悪くないと思いまして」

男「いや、でも三人で寝るとなるとそのベッド狭いよ?」

エルフ「くっついて寝れば問題ありません!」

旧エルフ「男さん、往生際が悪いですよ?」

二人の押しに負け、男は溜め息を吐きだした後、

男「分かった。今日はみんなで一緒に寝よう」

 諦めたように二人の待つベッドへと足を踏み入れた。
 その晩、三人はたくさんのことを語った。戦時中の出来事、今までの他愛のない出来事、そしてこれから先のこと。
 明るい未来に特に心を躍らせていたエルフは興奮しっぱなしで、一番多く話し続け、男と旧エルフは聞き手に回り、彼女の話に熱心に耳を傾けた。
 やがて、話疲れたエルフはいつの間にか眠りに落ちてしまう。そんな彼女の頭をそっと撫でながら男と旧エルフは顔を見合わせて微笑みあった。
 ――それからの日々はあっという間に過ぎていった。何をするにも三人は一緒に行動した。
 買い出しに出かけたり、近くの森や川に遊びに行ったり、ちょっとした意見のぶつかり合いで些細な喧嘩をして、仲直りして……。
 終わることなんてない楽しい毎日。これからずっと続いていく明るい日々が彼らの日常を彩っていた。

旧エルフ「……」

 だが、そんな毎日の中、旧エルフだけは時折何かを考える素振りを見せ、どこか遠いものを見るように寂しげな雰囲気を漂わせることがあった。
 男はそれに何度も気がついたが何も言わず、彼もまた何かに耐えるように拳を握り、気を抜けば溢れそうになるものを防ぐため空を見上げた。
 そんな二人とは対照的に、日々の楽しさを享受するエルフは、男たちに向けて無邪気な笑顔を向けるのだった。

……





……

 ある日の夜。夕食を食べ終わり、眠りにつこうと自室へと向かったエルフを旧エルフが呼び止めた。

旧エルフ「エルフちゃん、今日は私と一緒に寝ませんか?」

エルフ「えっ? ど、どうかしたんですか?」

 突然の提案に驚くエルフに、旧エルフは真剣な表情で話をする。

旧エルフ「少し、話したいことがあるんです」

 そうして、二人はエルフの自室へと入っていった。

エルフ「えへへっ。そういえば旧エルフさんと寝るのって始めてかもしれませんね!」

旧エルフ「そういえばそうですね。男さんと一緒にとか、三人一緒に寝ることは何度もありましたけど、二人だけではありませんでしたね」

エルフ「じゃあ、今日は男さんもいませんし、二人だけの内緒話でもしませんか?」

旧エルフ「ふふっ、いいですね。何から話しましょうか」

エルフ「それじゃあ……」

 そう言うと二人は些細な出来事から、男に内緒にしている秘密などを互いに語り合った。
 買い出しで余ったお金をこっそり溜め込んでいるとか、男の部屋の書物を隠れて読んでいるだとか、実は今中央都市にいる女魔法使いたちと手紙のやりとりをしているなど様々な話をした。

エルフ「それでですね、女魔法使いさんは今騎士さんたちと一緒に西方の街に向かっているんですって! 
 なんでもエルフ解放に反対している人たちの説得に向かっているんだとか」

旧エルフ「そうなんですか。なんだか、向こうはまだまだ大変そうですね」

エルフ「あっ、でも! 騎士さんたちに傷エルフさんも協力しているみたいですから随分と楽なんだそうです。
 これも、男さんたちが頑張ってきた結果ですよね!」

 まるで自分の功績のように男や彼の仲間たちの成果を喜ぶエルフ。そんな彼女の身体を旧エルフは優しく抱きしめた。

エルフ「旧エルフさん、くすぐったいですよ~」

旧エルフ「……エルフちゃん。今度は私の話を聞いてくれますか?」

エルフ「……? はい、大丈夫ですよ」

旧エルフ「私、ずっとみんなに秘密にしていたことがあるんです」

エルフ「え? 何ですか?」

 キョトンとした様子で旧エルフの秘密について尋ねるエルフ。そんな彼女に残酷な真実を旧エルフは告げる。

旧エルフ「私……」

 その後、静寂な夜に紛れる少女の泣き声が部屋の中から溢れ出た。泣き疲れ、静かに眠りに着くまで、旧エルフはずっとエルフをあやし続けるのだった。
 そして、運命の日が訪れた。 

……





……

 その日はとても穏やかな朝だった。小鳥のさえずりと心地よい陽射しが新しい一日を出迎えた。
 そんな一日の始まりに、いつものように朝食を準備していた男の元へ旧エルフが一足先に合流する。

男「あれ? エルフは?」

旧エルフ「まだ寝ています。昨日はたくさん話をしたので、少し疲れちゃったみたいですね」

男「そっか。それじゃあ、もう少し寝かせてあげよう」

 二人は作業を分担し、手際よく調理をしていく。特に会話はないが、不思議と居心地のいい空間がそこにはあった。
 準備はあっさりと終わった。調理を旧エルフに任せ、男はまだ眠っているエルフを起こすため彼女の部屋へと向かった。

男「エルフ~、朝食できたよ。……入るよ?」

 控えめなノックをした後、そっと扉を開き中へと入った男。そんな彼を待っていたのは、ベッドの上で泣きじゃくるエルフだった。

男「エルフ!? どうしたの?」

 すぐさまエルフの元へと駆け寄り、彼女が涙を流す理由を問いかける男。だが、エルフは泣き続けるだけで、何も語ろうとはしなかった。
 そんな彼女の隣に座り、男はエルフが泣き止むまで一緒に居続けた。しばらくして、ようやく涙が止まったエルフは、それでも涙の理由を語ろうとはしなかった。
 そして二人は旧エルフの待つ一階へと降りていき、旧エルフがとっくに完成させ、少し冷めてしまった朝食を食べ始めた。
 三人で食べるいつもの食事。ただ、この日ばかりは涙を流すのを堪えながら黙々と食事を取るエルフに気を取られて、なんだか居心地の悪いものになっていた。

旧エルフ「エルフちゃん、もっとゆっくり食べないと喉に詰まらせちゃいますよ? それに、口元もだいぶ汚れてます」

 そう言って、汚れのついたエルフの口元を旧エルフは布で拭いていく。そんな彼女の様子にエルフはまた感情を乱してしまい、ポロポロと涙を零してしまう。

旧エルフ「……ああ。もう、泣かないでください。ほら、ちょっとこっちに来て」

 そう言って旧エルフは椅子に座るエルフを台所へと連れて行き、そこで彼女の頭を撫でたり、身体を抱きしめて涙を止めようとした。

エルフ「うぅっ……旧エルフさん、旧エルフさ~ん」

 いやいやと首を振り、子供のように旧エルフの体に顔を擦りつけるエルフ。そんな彼女を旧エルフは黙って受け入れていた。
 そして、その光景を見ていた男は静かに呟いた。

男「そうか……そういうことか」

 エルフが涙を流す理由を悟った男は深く息を吐き出し、旧エルフにある提案をする。

男「なあ、旧エルフ。今日は……二人で出かけようか」

 それに旧エルフは精一杯の笑顔を作り、応える。

旧エルフ「はい、よろこんで」

 その後、二人はエルフが再び泣き止むまで待った。彼らが朝食を食べ終える頃には時刻はもう午後を過ぎていた。

……





……

旧エルフ「それじゃあ、行きますね」

 そう言って、男と一緒に家を出ようとする旧エルフ。だが、そんな彼女の服の裾をエルフが掴んで、離そうとしない。

旧エルフ「エルフちゃん……」

エルフ「いやです。行っちゃ嫌です!」

 泣き止んだものの、旧エルフが出かけるのを嫌がるエルフはどうに彼女をこの家に引きとめようと必死になっていた。
 そんな彼女の我侭に旧エルフはどう対処していいか分からず困ってしまっていた。

旧エルフ「エルフちゃん、どうせなら笑顔で見送ってください」

エルフ「無理です。できません」

旧エルフ「もう……。お願いです、これからはエルフちゃんだけが頼りなんですよ? ここで頑張れなくていつ頑張るんですか?」

エルフ「だって、だってぇ……」

旧エルフ「それじゃあ、一緒に笑ってお別れしましょう。
 ……せーの!」

 合図に合わせて旧エルフがニッコリと笑顔を向ける。そんな彼女の願いに応えるためにもエルフはぎこちない笑顔で旧エルフに微笑みかけた。

旧エルフ「よくできました。それじゃあ、私は男さんと出かけてきます。
 ……お留守番、お願いしますね」

エルフ「……はい、わかりました」

そうして、家を出ていく男と旧エルフの背中をエルフは見送った。

……





……

 家を出た男と旧エルフは、まず町中をうろついた。途中、出店にて売られている食べ物を昼食代わりに買って、食べ歩く。
 周りの者たちは、彼らが既に先の戦いの英雄であることを知っているため、未だに物珍しく眺めたり、中には声をかけてくるものも多かった。
 そんな町の人たちの反応に驚いたり、二人だけの時間に割って入られて困った男たちはそそくさと町から離れ、静かな森の方へと向かうことにした。
 町を一歩出れば、そこは静寂さが漂う静かな自然に満ちあふれた平原が続いている。二人は仲良く手を繋ぎ、のんびりと雑談を交えながら森へと歩いていった。

旧エルフ「あっ、これ……」

 長い時間歩いた末、森の入口へと近づいた旧エルフと男は、そこにある小さな墓に気がついた。それを見た旧エルフは可笑しなものを見たように呟く。

旧エルフ「ふふっ、これ私のお墓なんですよね? 面白いですね、自分のお墓をこうして眺めているだなんて」

 笑いのツボに入ったのか、旧エルフは自分でそう言ってクスクスと笑っていた。

男「そこ、笑うとこなのかな?」

 そんな彼女の反応に困惑する男は苦笑いを浮かべていた。

旧エルフ「それもそうですね。すみません、ちょっとおかしかったです」

 旧エルフがそう言った後、二人の間に言葉はなくなる。そよ風が草木を揺らし、日は少しずつ落ち始める。

旧エルフ「ねえ、男さん。私と始めて出会った時のこと覚えています?」

男「ああ、覚えているよ」

 今となっては懐かしい。もう遠い昔のことのように思える二人の出会い。心が壊れかけていた青年とそんな彼に買われた少女の始まり。

旧エルフ「……知ってました? 実は私、あの時の男さんのことがあまり好きじゃなかったんですよ?」

男「うん、知ってた。まあ、当然だと思うよ。あの頃の僕って本当に酷かったもん」

旧エルフ「そうですね。本当にどうしようもない人でした。子供みたいな文句を言って、それでも冷酷になりきれないでいたあなた。
 嫌だなって思った時も、こんな人の傍にいるなんて辛いと思ったこともありました。
 でも……そんなあなたを私は好きになった」

男「僕も、ありえないと思っていたエルフに恋をした」

旧エルフ「あなただから」

男「君だから」

旧エルフ「私は人を好きになれた」

男「僕はエルフを好きになれた」

 本来なら甘く、心地よいそれぞれの告白も、この時ばかりはやたらと切なく聞こえた。

旧エルフ「男さん、あなたのおかげで私は本来ありえない二度目の人生を歩むことができました。
 この数ヶ月、私は本当に身に余る程の幸せを感じました」

男「そう。君がそう感じてくれてるなら僕も嬉しいよ。それに、そんな日々はこれからもずっと、ずっと続いていくさ。
 君が……それを望むなら」

 そう語る男の声はいつの間にか震えていた。そんな彼に、旧エルフもまたくぐもった声で答える。

旧エルフ「それは……できません。男さんも、気づいていますよね?」

男「気づいているって……何に?」

旧エルフ「私が、これ以上この世界にいられないことに……」

 彼女の口から語られる衝撃的な言葉に、しかし男は驚くことはなかった。

旧エルフ「ほら、驚かないんですもん。……いつから、気づいていました?」

 旧エルフの問いかけに、答えたくない男は首を振った。だが、いつまでも彼の答えを待つ旧エルフに根負けした彼はついに口を開いた。

男「疑問に思ったのは、君が涙を流したあの日だ。その時は特に何かを考えたりしなかったけれど、〝黄昏〟の正体を知り、〝救世主〟について改めて考えたときに気づいたんだ。
 過去の〝救世主〟。つまり、褐色エルフは〝黄昏〟との戦いに勝利した後、一体どうしたんだろうってね」

旧エルフ「それで、男さんはどう考えたんですか?」

男「人とエルフが協力して戦いを終えた後、待っているのは何も平穏とは限らない。冷静に考えれば、〝黄昏〟が消えたあと最も力を持つ単一での個体は〝救世主〟になる。
 もし、その〝救世主〟の力が人かエルフどちらか一方に与すれば、それだけで種族のパワーバランスは崩れる。
 つまり、〝救世主〟を味方につけた側が実質的な支配者になるんだ」

旧エルフ「でも、〝救世主〟はどちらにも与しないかもしれませんよ?」

男「本人がそう思っていても、周りはそう考えないものだ。きっと、今旧エルフがいったように、褐色エルフはどちらの側にも付かなかったんだろう。
 けど、結果として彼女を求めて人とエルフは争った。かつての〝導者〟はそんな両種に絶望してしまい、静かに消えて行ったんじゃないかって僕は思うんだ」

 男がこれまでに抱いていた疑問を己の中で消化し、立てた推測がこれだった。そして、この推測はおそらく正しい。何故なら、先ほど旧エルフが口にした言葉がこれが事実だという裏付けをしているからだ。

旧エルフ「よく、ここまでたどり着きましたね。きっと、全ての事実を知っているのはこの世界に私と、男さんの二人だけですよ」

男「そんなことを言われてもちっとも嬉しくないよ。できれば否定して欲しかった。だって、今の君は過去の〝救世主〟と同じ道を歩もうとしているんだ」

旧エルフ「仕方がないんです。遅かれ早かれ、私の力を狙う人たちは現れます。
 その前に、私自身がこの世界から完全に消え、争いの火種を予め消しておかないといけないんです」

男「そんなことない! だったら僕たちを、仲間を頼ってくれればいいんだ。争いが起こるというのなら僕たちがきっと止めてみせる!」

旧エルフ「……ありがとう、男さん。でも、もう決めているんです。これは、私が〝救世主〟としての使命を背負うと決めた時に定まっていた運命なんですよ」

男「旧エルフ……」

いつの間にか男の瞳からは涙が流れていた。それに気がついた旧エルフはゆっくりと彼に近づき、己の手でそっと男の涙を拭い取った。

旧エルフ「ずっと……こうしてあなたの瞳から溢れる涙を拭い取ってあげたかった。あの時叶わなかったことを、今こうしてできるんですね」

 かつて、死の間際に己の死に涙する男を慰めたいと思っていた旧エルフの望みは、このような形で実現することになった。それを彼女は嬉しく思うと同時に、これが別れの象徴だと理解し、悲しくも思った。

男「やっぱり……駄目だ。僕の我が儘で君を生き返らせた。だから君がいなくなるかもしれないって気づいたときには、君の意思を尊重しようと思っていた。
 けど、無理だよ。君がまたいなくなるなんて、そんなこと……耐えられない」

 俯き、泣き言を口にする男。そんな彼の頭を胸元へと引き寄せ、旧エルフは抱きしめた。

旧エルフ「男さん、そんなこと言わないでください。もう、昔とは違います。
 男さんの周りには大切な仲間が集まって、その隣にはエルフちゃんもいる。
 私と二人きりで過ごしていたあの頃とは違うんです。今のあなたの傍にはあなたを支えてくれるたくさんの人やエルフがいるんですよ」

男「でも! そこに君はいない!」

 顔を上げ、男は叫ぶ。魂を震わす悲痛な叫びだった。

旧エルフ「私は……あの時既に死んでいます。こうして、今日までこの場にいられることが奇跡なんです。
 死者は土に帰らなければいけません。それが本来あるべき正しい理。
 男さんたちとこれ以上一緒にいられないのは私も悲しい。でも、私は後悔していません。だって、私はもう充分すぎるほどたくさんの幸せをもらいましたから。
 男さんと、エルフちゃんと一緒に暮らして。多くの喜びを分かち合って、私は幸せでした。
 だから、男さん。以前はできませんでしたけど、今度は笑って見送ってください。
 それが……私の最後のお願いです」

 夕日が二人の間に落ちてゆく。別れの時はもう、すぐそこまで迫っていた。

男「どうしても、ダメなのか?」

旧エルフ「ふふっ。男さんも、エルフちゃんと同じことを言うんですね。どうしても……です。
 だからこそ、最後は湿っぽくなく笑ってお別れしたいんです」

男「……」

旧エルフ「男さん」

男「ああ……わかった」

 そう言って、男は己を抱きしめる旧エルフの身体を今度は自分の側に引き寄せた。

旧エルフ「……ンッ」

 貪るように、己の全てを分け与えるように熱く、激しい口づけを二人は交わす。口に伝わる涙の味が、永遠の別れをより実感させる。
 少しでも長く。一秒でも多く。同じ時を共有できるように……。そう思い、男は強く、強く彼女の身体を抱きしめた。
 やがて、互いに息を切らしながら二人はどちらともなく身体を離した。
 ……それは、別れの合図。

旧エルフ「男さん、ありがとう。私を愛してくれて」

 そう告げるエルフの身体は淡い光に包まれていく。そんな彼女の姿に、泣き出しそうになるのを必死に堪え、男は約束を果たすため無理やり作った笑みを顔に貼り付ける。

男「旧エルフ。君のことは、生涯忘れない」

 お互いに笑い合い、別れの時を最後まで惜しむ。

旧エルフ「さようなら、男さん」

男「さようなら……旧エルフ」

 そして、旧エルフの身体が眩い光に包まれ、彼女はこの世界から消えた。男はしばしその場に立ち尽くし、現実を受け入れることができるまで呆然としていた。
 日が沈み、空に星が瞬くようになってようやく、彼は再び歩き出すことができた。思考の停止した頭で来た道を戻り、たった一人で家へ向けて歩いていく。
 辿りついた我が家。窓から溢れる小さな明かりが、暗くなった庭を照らしている。
 玄関から香る食欲をそそる香ばしい臭い。待っている者がいる家。そこにいるのは、彼にとって残されたもう一人の最愛。
 〝救世主〟は世界を去った。それでも、旧エルフの心は今も男とエルフと共にある。
 彼女と共に過ごした日々の記憶はきっと、これからの彼らを支えていくだろう。
 彼女との想い出を心に秘め、全ての過去を思い出に消化した男は、本当の意味で新しい一歩を踏み出すために玄関の扉を開く。
 そしてその先で夕食を準備し、彼の帰りを待っている少女に向けて帰宅の言葉を口にした。

男「ただいま、エルフ」

 涙を流し、真っ赤に晴れ上がった瞳。それでも、悲しさを感じさせまいと笑顔を浮かべる彼に、エルフもまた笑顔で応える。

エルフ「おかえりなさい、男さん」

 そうして、二人は旧エルフとの別れを終えた。
 これから先、共に歩いていく新しい未来。楽しいことも、辛いことも、悲しいことも、嬉しいことも、きっと二人で分かち合っていく。
 そんな二人をいつだって彼女は見守っているだろう。この世界を覆う、空の欠片となって……。

エルフ「……そ~っ」男「こらっ!」 after story 空の欠片 ――完――
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未来編

忘れられない女性がいた。
想いを告げ、僅かな時といえど心を通わせた彼女でなく、
心の平穏を保つために身体を重ねた彼女でもなく、
ただ、何も言わずに傍にいて、笑顔を向け続けてくれた女性がいた。
思い返せば懐かしく、色あせずに蘇る彼女との記憶。けれど、そこに映る自分はいつも辛辣な態度をとってばかり。そんな過去の自分に対して思わず自分自身を殴りたくなる衝動に何度も襲われる。
けれども、そんな自分の態度にも不満を口にせず、気まぐれに向けた優しさに大げさに喜ぶ彼女の姿にどこか申し訳ない気分を抱き、当時の自分は居心地が悪くなった。
素直になろう。そう思って、一歩を踏み出そうとする。だけど、己の過去がその一歩を踏み出すことを拒絶した。
停滞する毎日。答えを出すことをずっと保留し続け、多少の居心地の悪さを感じながらも、平穏な毎日を過ごせる今を選択したあの時。
いつだって別れは突然訪れた。手を伸ばして掴んだのは空虚。想い伝うこと叶わず、答えを出せなかったことへの後悔が己を縛った。
次こそは間違えない。何度目になるかわからない決意を胸に、新たな一歩をついに踏み出した。
その後、一人の少女との出会いを経てとうとう己の求めた最高の結末が訪れた。
己の前には大切な仲間たちが笑顔を浮かべて並び、隣には幸せそうに手を繋ぎ、自分を仲間たちの元へと引っ張る異種族の少女の姿がある。
手に入れた平穏。信頼する仲間との絆。そして、愛すべき少女との日常。
幸福と呼ぶにふさわしい繋がりや日々をようやく自分は手に入れた。
そんな中、ふと後ろを振り返ればそんな幸福を掴むために自分を支えてくれた人々の姿が見えた。
両親や友人、そして妹。さらにかつての仲間たちや心を通わせあった女隊長の姿。皆、成長し前へと進んだ己を祝福するように笑顔を向けていた。
ここで、ようやく気がつく。これは夢だと。自分の脳が都合よく見せている幻だと。けれども、そんな幻でも寂しげな表情を浮かべ、時には恨み言を述べて己を責めていた今までとは違い、こうして笑顔を向けてくれているということは少しは自分の心にも変化があったということだろう。なんて都合がいいと思いながらも、夢なのだからいいじゃないかと勝手に自分を納得させる。
そうして、別れを告げた人々から視線を外し、幸せの象徴である今に目を向けようとする。
だが、その視線は過去と今、その狭間にたった一人で立ち尽くす一人の女性を見て止まった。
女性が浮かべる表情は複雑だった。自分が幸せを掴んだことに対し祝いながらも、自分がその輪にいないことに対する寂しさを感じさせた。
自分の隣に立ち、手をつなぐ少女に祝福の微笑みを向けながら、己の手を一瞥し、隣に立って手をつないでいるのが自分ではないことに悲しみ、少女に向かって僅かな羨望を見せている。
その姿を見て胸にチクリと刺が刺さったように痛みが走った。それは時間とともに痛みを増し、次第に呼吸をするのも困難になっていった。
伝えられなかった言葉を口にしようと必死に言葉を紡ぎ出す。けれどもそれは彼女の元へと決して届かない。
たった一人でこちらを見つめる孤独な彼女の身体を抱きしめようと後ろに向かって走り出す。だが、彼女との距離は一向に縮まらない。
当然だ。彼女はもはやこの世にいない。この世界から消えたものの元へ行くのなら自分もまたしを迎えなければならないのだ。
やがて、走り続ける自分を夢から覚ますため光の渦が身体を引っ張り始めた。だが、それに抗うように必死にその場に踏みとどまり、遠くで己を見つめ続ける彼女に向かって手を伸ばし続ける。
だが、永遠ともいえる二人の距離は最後まで縮まることなく、とうとう自分は光の渦へと引きずり込まれた。その最中、最後に一言彼女に向かって言葉を叫んだ。彼女の生前、最後の最後まで伝えることができなかった言葉を。

「愛してる。君を、愛していたんだ。旧エルフ!」

その言葉は決して彼女に届かない。そう知りながらも叫んだ。

……そして、僕は夢から覚めた。

……



陰鬱な気分と共に男は目を覚ました。目が覚める直前まで、言葉にできないほどの嫌なものを見せつけられたような感じを彼はしていた。だが、目覚めてたった数秒でついさっきまで鮮明に覚えていたはずの悪夢の内容は頭の中からスッパリと消え失せてしまっていた。

男「……なんだろう。なんで、思い出せないのにこんなに胸が痛いんだろう」

 傷はないのに痛む胸元にそっと手を当て、男は着ている服を握り締めた。それから、朝日が差し込む窓に視線を向ける。そこにはいつもと変わらないこの世界に存在するすべてを包み込む温かな光が存在した。
 そんな光を見て心に漂う暗闇が少しずつ晴れていく。先ほどまで見ていた夢の内容は相変わらず思い出せなかったが、この暗い気持ちをいつまでも被木津っているわけには行かないと気持ちを切り替えベッドから起き上がろうとする。
 だが、身体にかけてあった毛布を剥ぎ取った男の横に一人の少女が現れた。

男「……またか」

エルフ「……すぅ……すぅ」

 小さな寝息を立てて彼の横で身体を丸めて眠りについているのはこの家のもう一人の住人であるエルフだ。男の奴隷として引き取られ、彼と日常を共に過ごし心を通わせている少女。ここ最近は年齢にしては少しだけ早い肉体的成長も見せているが、やはりまだまだ精神的には子供なのか、一時期は止んでいた男のベッドへの侵入もここ最近頻繁に行われていた。

男「全く、女魔法使いがいなくなったと思ったらこれだよ……。しかも前と違って注意しても聞き分けが悪くなってるし」

 そう、以前までのエルフであれば少し注意をすればしばらくの間は聞き分けよくおとなしくしていた。だが、男との関係が進んだこと、老紳士から得た知識、そしてつい最近までこの家に一緒に住んでいた女魔法使いとの口論。これらの経験を通して得たものを使って、ここ最近は上手く男の注意を受け流すようになったのだ。
 さすがに、エルフももういい歳なので一人で寝るようにと再三にわたって注意した先日。エルフはこの男の言葉にこんな風に言い返したりもした。

エルフ『た、確かにそうかもしれませんけど、私たちは恋人同士なんですから一緒に寝るのはなんにも問題はありません! おじいさんも普通だって言ってました!』

男『い、いや……それは確かに時と場合によるけれど。今は駄目だって。その、さすがに僕もまだ幼児趣味だと周りの人に思われたくないし……』

エルフ『私は別に構いません! だって男さんは私の外見だけを見て私を選んだわけじゃないんですよね? だったら、周りにどう言われようと私は堂々とできますから』
男『そういう問題じゃなくてね。そ、そう! エルフが傍にいて寝てると僕が緊張して眠れないんだ。だから、互いにそれぞれの部屋にあるベッドで寝よう?』

エルフ『むう……仕方ありませんね』

男『そっか、ようやくわかってくれたか』

エルフ『なら、今度からは男さんが眠ってからこのベッドで眠るようにします。これなら別に緊張もしないですしグッスリ眠れますね!』

男『……はぁ』

 エルフの種族というだけあって知識の吸収やその応用が無駄に早い。そのため、ここ最近は度々正論の隙間を探してはそれを突いてくるエルフの対応に男も一苦労していた。
 手ごわくなったと思いつつも、それは彼女が成長している証だと考え思わず頬が緩む男。今でも魅力的な少女だというのにこれからさらにエルフが成長し、その魅力に磨きがかかった先にある未来の彼女を想像すると思わず笑みが溢れでる。
 ただし、今はまだ可愛らしい姿を隣で晒しながら穏やかに眠っている詰めの甘い少女である。そんな彼女の髪に指を通し、寝た際に絡まった髪を男は手櫛で整えた。柔らかく、サラサラとした髪が流れるように解けていった。
 しばらくの間何度もその行為を続けていた男であったが、このままではいつまでもベッドの上から動けないと悟り、とうとう魔の寝床から抜け出した。寝間着から普段着へと着替え、未だ眠りから覚めないエルフを再度見て溜息一つ。このままここで寝かせていても彼としてはいいのであるが、それを自分の諦めと無効に解釈されても困るためエルフの身体を抱きかかえて部屋を後にした。そして、彼女の部屋の戸を開け、部屋の主のいないベッドにそっと下ろし、華奢なその身体に毛布を静かにかけ部屋を出た。
 用事も住んだため、二階から一階へと下りた男は一度玄関に足を伸ばしてそのまま外へと出た。空に漂う太陽の位置から大まかに計算するといつもよりは少し遅い起床となったようだった。
 ウンと背伸びをし、寝ていたことで固まった全身を男はほぐした。そうしてしばらく太陽の光を浴びてぼんやりとしていると、彼の下に向かって一人の男性が訪れた。

街人「おう、あんた男だよな」

男「はあ、そうですけど」

街人「さっきこの街を訪れた商人にこの手紙を渡してくれって頼まれたんだ」

 そう言って男は一枚の手紙を男に手渡した。

街人「それじゃあ、用も済んだし俺はこれで」

男「わざわざありがとうございます」

 男の元へ手紙を届けた街人はそう言うとすぐにその場から去っていった。そして、手紙を手渡された男はそれを裏返し、送り主を確認した。

男「……遺跡研究者? う~ん、聞いたことない名前だな。まあ、いいや。とりあえず朝食を作り終わったら中身を確認しよう」

 受け取った手紙を手に持ち男は家の中へと戻っていく。そうしてその手紙を机の上に置き朝食の準備にとりかかり始めた。
 それから少しして、目を覚ましたエルフが慌てて男の元へと駆けつけた。そして、すぐさま朝食の準備の続きを自分が引き受けると口にしたが、既に残っている作業は少なかったため男はそれを断った。だが、どうにもエルフが不満そうに作業を続ける男の背中を眺め続けていたため、結局二人で仲良く朝食を作ることにするのだった。
 こうして、またいつものように平和な日常が幕を開ける。だが、この朝食の後に男が手紙を開けることによって事態は少しずつ動きを見せていくことになる。
 手紙にはこのような内容が記されていた。

 私はこの世界に存在する遺跡について研究をする者だ。今現在東にあるとある遺跡について探査作業を行っているのだが、その遺跡が強固な魔法によって封じられて中に入ることができない。
 我々の中にも魔法に通じた者は存在するのだが、遺跡にかけられた魔法の内容がまるで理解できないらしい。
 そこで、私は風の噂で魔法に長け、魔法関連の仕事を請け負っているという君の存在を知った。
 どうにか知り合いのツテを頼り、今こうして手紙を送ろうとしている。
 ここまで読んでもらえたのなら理解できると思うが、私は君に仕事を頼みたい。まずは遺跡にかけられた魔法の解除。それができたのなら遺跡内に仕掛けられていると思われる魔法による罠の解除など。
 もちろん、危険が伴う可能性があるため報酬はそちらの望むものに可能な限り応えられるようにするつもりだ。
 色よい返事を期待している。
――――遺跡研究者

 手紙を受け取ってから十日程の月日が流れた。その間、手紙に書かれた内容を吟味し、どのような選択を取るのか判断した男は現在ある森にいた。

男「さすがに、ここ最近は出不精だったせいか体力が落ちてるな」

 道険しい森を息を切らしながら歩く男。そんな彼の前を先導するようにこの森に入る前に彼を迎えに来た依頼人はなんでもないように答える。

遺跡研究者「まあ、我々のような人種は基本部屋に篭って論文や資料と睨み合いを続けているのが性に合ってますからね。必然的に体力がないのは仕方ないものですよ」

男「そうですね。でも、ほんの少し前まではまだまだこの程度の行進じゃ息なんて切れなかったもので」

遺跡研究者「ははは。そうなんですか。それにしても行進だなんて、もしかして以前は軍にでもいられたんですか?」

男「……ええ。少しの間ですが」

遺跡研究者「それはすごい! では、あなたもエルフと対峙してきたんでしょうね。あなたくらいの年齢だと徴兵ではなく志願兵としてでしょうね。
 私は徴兵があったのですが、ちょうどその時に誤って怪我を負ってしまっていて徴兵を逃れたものですから。こうして五体満足のまま昔からの夢であった研究をしていられますよ」

男「それはよかったですね。どのような形であれ生きていれば大抵のことはどうにかなりますから」

遺跡研究者「ええ、本当に」

男「そう言えば、お会いしたら聞こうと思っていたのですがあなたは遺跡を研究されているのですよね。その内容を少し教えていただいてもよろしいですか?」

遺跡研究者「ええ、構いませんよ。私たちが主に研究している遺跡にはかつてこの世界で過ごしてきた先人たちが残してきた様々な歴史や文化の証が存在しています。
 その中には現在から見ると到底信じられないような内容もあるんです」

男「例えば?」

遺跡研究者「そうですね~。あまり声を大にして公にはできないのですが、とある遺跡に残されていた記録によれば、かつての時代では人とエルフが共存して日々の暮らしをより良いものとしていたと存在したりしています。
 それから現在の知識では理解できないような魔法体系や技術など様々な記録が残されていますね。それらを発見して研究、解読して場合によっては再現可能にするのが我々遺跡研究者の仕事ですよ。
 最も、支援者がでないとロクに給金も出ないような仕事ですので、この仕事に携わるのは殆どが根っからの変人ばかりですがね」

 自嘲も交えながら楽しそうに話す遺跡研究者の話をどちらかといえば彼に近い気質を持った男は楽しそうに聞いていた。遺跡研究者が本当に好きでこの仕事に携わっているのを感じているのもそうだが、彼の話す内容に興味を惹かれたからだ。
 そう、それはかつてこの世界でエルフと人が共存していたということ。今現在ではそのようなことは想像もつかないが現に男とエルフは立場上は主と奴隷ではあるが実際のところ仲良く共存しているといっても過言ではない。ならばもしかしたらこの先の未来、かつてのようにエルフと人が互いの立場を認め合い共生できる可能性もあるかもしれないと思うと心が踊った。
 そして、その可能性を実際に目にできるかと思うとこの依頼を引き受けたのは失敗ではなかったとも彼は思ったのだ。

遺跡研究者「さて、そろそろ今現在私たちが調査している遺跡に到着しますよ」

 遺跡研究者の言う通り、それから間もなくして彼らの前の光景が開けたものにある。広大な森の中、ポツリと佇む巨大な建造物。おそらくは数百年ほど前に作られたと思われるそれは静かに大地に根を下ろし佇んでいる。

男「……これが」

遺跡研究者「ええ、そうです。これが今現在私たちが調査をしている遺跡になります」

 周りを見渡せば遺跡の周囲にいくつもの簡易な建物が立てられている。おそらく、それらは調査隊の居住区になっているのだろう。

研究者A「先生、おかえりなさい」

 現地に到着して早々、遺跡研究者の部下と思われる男性が彼の元へと駆けつけた。

遺跡研究者「ああ、ただいま。それで、私がいない間に調査に進展はあったかな?」

研究者A「残念ながら何も……。相変わらず入口の門は魔法によって閉じたままで。他の入口の探索を行っていますがどうも入口はあれ一つのみのようで」

遺跡研究者「そうかね。それでは仕方ないね。だが、大丈夫だ。その魔法を解除するために専門家を呼んできたからね」

 遺跡研究者は隣に立つ男の方を向き、部下に紹介した。

男「初めまして、男です。魔法の研究を主に行っています」

研究者A「よろしくお願いします。専門の方が来てくれたのなら話が早い。正直我々の殆どが魔法を齧っている程度の者ばかりで困っていたんですよ。到着してすぐで申し訳ないのですが、一度門にかけられた魔法を見てもらってもいいですか?」

男「ええ、もちろん。それが仕事ですから」

 そうして男と遺跡研究者は部下に連れられて遺跡の入口まで案内された。巨大な遺跡の正面、その地下へと向かう階段をゆっくりと進み、暗闇の中へと入っていく。魔法によって小さな炎を宙に浮かばせながら先へと進んだ彼らはやがてある門の前に辿りついた。

研究者A「ここです。こちらがこの遺跡の入口と我々が推測する場所になります」

 そう言われて巨大な門をジッと見つめる男。見れば、門の周囲にはふわふわとした魔力が漂っているのがわかった。ただし、それは今までに見たことのないような系統の魔力で、どのようにして門を守っているのかは現時点では彼に理解できなかった。

男「確かに変な魔力が門の周囲に浮かんではいますね。ですが、これは一体どのような効力を持っているのですか?」

研究者A「それは、実際に門を開けようとして頂ければわかりますよ」

 部下に促され、男はひとまず門に近づいた。そして、目の前に立つ門に向かってゆっくりと力を込めた。
 だが、その瞬間、門の周りを漂っていた魔力が一斉に男の元へと集まりだし、彼の身体を一気に覆い尽くした。

男「えっ!?」

 そして、間抜けな声を漏らしたと思ったその時にはもはや男の意識は闇の中へと沈んでいた。

……



男「……うぅん」

研究者A「あ、目を覚まされましたか」

男「あれ? ここは……」

研究者A「ここは遺跡周辺に作った私たちの簡易居住区の一つです」

 見れば、今現在男はベッドに横になっていた。身体を起こし、彼の椅子に座る研究者に質問を投げかける。

男「えっと、僕はあの後どうなったんでしょうか?」

研究者A「すぐに意識を失いましたね。今はあれから小一時間がたった所です」

男「そうですか。もしかして、みなさんあれを経験しているんですか?」

研究者A「ええ、まあ。誰があの門を開けようとしてもああなるのです。手を触れたり壁に使われている素材を調べるために一部を削り取る程度なら問題ないのですが、少しでも門を開けたり奥へと進もうとする意識があるとすぐさま意識を奪われてしまうといった次第でして……。
 そのせいで私たちは遺跡の中に入ることができずにこうして手をこまねいているというのが現状なんです」

 それを聞いて男はなるほどと納得をした。この入口が仮に遺跡の丈夫に存在したのなら多少強引に魔法を使うなりして無理やり扉を開くという野蛮な手段を取ることもできるが、地下にあるのではそうもいかない。力押しをして無茶な手段をとってしまえばヘタをすれば遺跡全体に被害がでかねない。
 つまり、どうにか知恵を絞り門にかけられた魔法を解除し、先へと進むしかないということになるのだ。

男「大体の状況は理解しました。とりあえずは奥に進むことと門を開けようとする意思を見せなければ問題はないということですね」

研究者A「はい、そうなります。よろしくお願いしますね男さん。
 ちなみにこちらが今後ここでの生活をしていただく男さんの居住場所になりますのでどうぞご自由にお使いください。既に持ってきていただいた荷物の方はこちらの部屋に運んでおきましたので」

男「それはわざわざありがとうございます」

研究者A「いえいえ。こちらも調査が先の段階に早く進んで欲しいですから。正直言って今の我々はやることがなくて手持ち無沙汰なんですよ」

男「どうもそうみたいですね。では、少しでも早く調査を続けられるように頑張らせていただきたいと思います」

研究者A「ええ、よろしくお願いします。さて、私はそろそろ先生の元に戻りますね。男さんのことは既に他の研究者たちにも話は通していますのでお好きに動いてもらって構いませんから」

男「わかりました。それでは今から少し遺跡全体を見学しようと思います」

 そう言って部下は遺跡研究者の元へと向かい、男もまた遺跡の調査を開始した。
 まず、男は遺跡の全体を見るために遺跡の周囲をぐるりと一周した。大きいと言っても高さはそれほどないこの遺跡は一周するのに半時間もかからなかった。そうして遺跡の全容を一度確認した彼が得たこの遺跡に対する感想は普通というものだった。このようなものを見るのは仕事上経験がないわけではない。だが、以前に見たことのあるこのような遺跡にはどこか神秘性が漂っていた。だが、この遺跡からはそのようなものが全くというほど感じられない。
 ただし、逆に不気味なまでの静けさがここにはあった。まるで、今は眠りについている生き物のような印象を男はこの遺跡に抱いた。
 そうして再び彼は地下へと続く階段を降りていき、閉ざされた門の前へと辿りついた。今度は意識を失わないように、門の奥へと進もうとする意思を示さぬようにして、この門に使用されている材質を調べ出す。触れてみるとひんやりとした感触が彼の手に伝わった。おそらくは硬度の高い石類を使って作られているもので、この門自体には特になにもないのだろう。そうなるとやはり問題はこの門にかけられている魔法ということになる。

男「……う~ん、これはちょっと時間がかかりそうだな」

 彼の知識内にある魔法であればその組み合わせや効果の程を比較して解除方法を調べ出すのだが、今回はそれが当てはまらない。つまり、一からこの魔法体系について調べなければならないのだ。

男「ひと月目安でここに来たつもりだったけど、これじゃあもっと時間がかかるかもしれないな。あまり長い間会えないとエルフも寂しがるだろうし、どうにか頑張らないといけないな」

 頼れる老人の元へと預けてきた少女の顔を思いだし、仕事を早く終わらせるためのやる気を奮い立たせる男。そんなことを呟いていると、僅かに門の周囲を漂う魔力が揺らいだ。

男「ん? 今、ちょっと反応があったような……」

 その変化を見逃さずジッと魔力の流れを見つめる男であったが見間違いであったのか再び魔力が揺れることはなかった。
 その後、しばらくの間男は門の前で未知の魔法体系について考えを巡らせていたが、不意に訪れた空腹によって現実へと引き戻された。

男「ひとまず今日はここまでにしておこう。旅の疲れもまだ残っているし」

 そうして彼は門の前を後にし、あてがわれた居住区へと向かった。
 ……だが、階段を上がり、地上へと向かう男を門の前から見つめる影が一つあった。それは人のようなカタチをした光るモヤだった。この場を立ち去る男の背を見つめるそのモヤはまるで笑っているようにも見えるのだった。

……



男「ふう、腹ごなしも済んだし後は寝るだけか。それにしても遺跡研究者さんたちには参ったな~」

 食事を取るために地上へと戻った男を待っていたのは小さいながらも彼の歓迎会をするために準備を整えていた遺跡研究者たちだった。
 研究に協力してくれるお礼と言って行われたささやかな歓迎会。成功の暁には報酬をもらうため、このようなことをしてもらう理由はなかったが、彼らからすれば長い時間を共に過ごすことになる相手は家族のようなものだからと遠慮する男を輪の中に半ば強引に引き込んだ。
 このような経験が少ない男としては少しだけこの歓迎会が照れくさく感じ、同時に嬉しくも思っていた。その証拠に今も少しだけ頬が緩み笑顔が溢れ出ていた。

男「ふふふ。帰ったらエルフにここでの土産話をしないといけないな。そうだ、何か記念になりそうな物を見つけて譲ってもらえるようなら彼女にプレゼントして持っていこう。うん、今から楽しみだ」

 心地よい気分のままベッドに腰掛けそのまま眠りにつく体勢をとる男。旅の疲れもあり、眠気はすぐに訪れた。少しずつ落ちてゆく瞼。

?「……ふふっ。面白いわね、この人。ちょっと、興味湧いてきたかな?」

そして、それが完全に閉じる直前、彼の耳に誰かの声が聞こえたように感じた。

……



 遺跡に到着してから早くも数日が経とうとしていた。だが、事態は一向に進展をみせずに停滞したままであった。その間男は遺跡と自分の部屋を交互に行き来し魔法解読のために法則性を見つけるのに必死になっていた。時には半日以上も部屋に篭もり、食事も取らずに過ごすこともあった。
 もっとも、一般人から見れば異常にも見えるその行動も、同類ばかりのこの場所ではあるあるネタとして軽く流されるだけで、お腹が空きすぎて外に出てようやく存在を思い出されるなんてこともあった。
 だが、研究者たちの本音としてはなるべく早く門にかけられていてる魔法を解除してもらいたいはずである。それもそのはず、彼らも無償でこの作業を行っているわけではない。このような遺跡調査には大抵支援者が資金を捻出しているはずなのだ。彼らもお金を出して行っているため成果がでなければ研究者たちを資金を出すのをやめてしまう可能性も出てくる。
 そのようなことにならないためにも一秒でも早く先への一歩を踏み出さなければならないのだ。
 だが、焦れば焦るほど考えは纏まらず、解決策は出てこなかった。考えが煮詰まった男は一度気分を変えるために自室を出た。
 外に出ると森特有の澄んだ空気が肺を満たした。しばらくの間埃の溜まった部屋にいたせいか、ただの空気がやけに新鮮に感じた。そのままあてもなく遺跡から少し離れた森の中へと向かう。ここ最近考えが煮詰まった時はこうして森の中を男は歩いていた。そして、二日前たまたまうろうろと森を彷徨った際に見つけたとある場所が今の彼のお気に入りの場所になっていた。

男「おっ! あった、あった」

 そこはとある巨木に出来た大きな隙間であった。中は空洞になっており、人が二人は余裕で入るほどの穴が出来ているのだ。不思議なことにその空洞の中には虫たちはおらず、まるで誰かが整備したかのように綺麗になっていた。
 男はゆっくりとその隙間に入ると内部の木に背を預け、足を伸ばしリラックスした。

男「うん、快適だ。いや~本当にいいとこ見つけたよ」

 ウンと背を伸ばし長時間同じ体勢でいたことで凝った肩を解す。そして、瞼を閉じる。
 視界を閉じると、男の耳には様々な音が聞こえてきた。風によりたなびく森の木々。動物の足音や鳥のさえずり。そして、自分自身の心音。
 それらは心地の良いハーモニーを奏で、疲れた男の身体を癒した。そうしてしばらくの間気持ち良い音楽に耳を傾けていた男だったが、やがて彼のもとへと近づく足音を聞いて閉じていた視界を開いた。

男「遺跡研究者さんたちか? いや、でもあの人たちは基本的に森の中に行かないはずだけど……」

 不思議に思い、隙間から身体を出し周りを見渡すが周囲には人の姿は見当たらない。

男「おかしいな。確かに足音が聞こえたんだけどな」

 もしかしたら魔物か何かだったのだろうかと考えた男。結局明確な答えが出ず、再び空洞の中に戻った彼はそこで信じられないものを目にした。

褐色エルフ「あはは。おかえり、お兄さん。お邪魔させてもらってるよ」

 隙間に再び入った彼を待っていたのは褐色の肌に銀の髪をしたエルフ族の少女だった。音もせず唐突に現れた彼女に驚いた男は思わずその場から飛び退いた。

男「なっ! だ、誰だ!? それより、いつの間にそこに!」

 驚きのあまり、声を荒げる男。だが、そんな彼の反応が気に入らなかったのか目の前の少女は文句を告げる。

褐色エルフ「う~ん、ある意味で予想できた反応だけどちょっと残念。あ、ちなみにここに来たのはついさっきだよ。足音聞いてたんでしょ? あれ、あたし。
 それとそんなに警戒しないでほしいな~。あたし別に悪いことするつもりなんてないんだから。ただちょっとお兄さんと話がしたいだけなんだよ」

 話がしたいと提案する少女をジッと見つめる男。確かに彼女はこちらに敵意もなにも持っていないようであった。ニコニコと笑顔を浮かべたまま男が近づいてくるのを待っている少女に毒気を抜かれた男は溜息を一つ吐き、提案を受け入れた。

男「うん、わかったよ。とりあえず、僕も聞きたいことができたし」

 そう言って先程までいた隙間の中へと入ったいった。

褐色エルフ「うっ! やっぱり二人で入ると少し狭いね」

男「なら、僕が外に出ようか? 別に話すだけならそれでも問題ないし」

褐色エルフ「それは駄目かな~。ちょっとお兄さんの身体にも用があるし」

男(どんな用だよ。……それにしても、なんだか普通に話ししちゃってるな。旧エルフやエルフの影響かな。相手がエルフでも全然普通だ。昔だったらエルフってだけで殺気立っていたのに不思議なものだな~)

 自分の変化についてしみじみと男が実感していると、突然隣に座る褐色の肌をした少女が男の瞳を見つめ始めた。

褐色エルフ「ふ~ん。面白い目をしてるね。全然普通の人なのに色んな経験をしてその度に変わってきたんだ。今の時勢でもエルフに対して嫌悪感も抱いていないみたいだし。なるほど、なるほど~。お兄さんならもしかしたら良さそうかも……。
 ねえねえ、お兄さんの名前何ていうの?」

男「僕? 僕は男って名前だけど」

褐色エルフ「なるほど、男ね。ねえ、男。唐突な質問だけど私のことどう思う?」

男「どう? って言われても出会ったばかりの相手にそんなこと言われてもわからないとしか言えないよ」

褐色エルフ「あ、ごめんね。質問がちょっと悪かった。んとね、好きか嫌いかの二択に分けるんだったらどっち?」

男「二択? う、う~ん。そうだな~」

 そう言って男は一度少女の姿をじっくりと見た。目の前の少女はエルフ特有の長い耳を持っている。このことから彼女がエルフの種族であることは間違いない。だが、その容姿は今まで一度も見たことない褐色の肌をしている。もしかしたら突然変異なのかもしれない。
 とするとこの少女は可能性としてだが同族から疎ましく感じられる事があったのかもしれないと男は考える。他と違うものはどのような種族であれ爪弾きにされるものだ。だからこそ、今のような質問を投げかけたのではないか。
 そこまで考えた男はもう一度少女を見た。エルフよりは年は上で旧エルフよりは少し幼い褐色エルフ。容姿は確かに他のエルフといささか異なるが無邪気で穏やかな雰囲気を纏った目の前の少女はどちらかといえば男にとって好ましい相手に入るものであった。

男「うん、どっちかって言えば好きな方かな? あ、でも容姿で決めてるわけじゃないから。少しだけど話しをして得た印象と君の雰囲気から僕が思ったことだから」

 そう答えた男だったがそんな彼の返答を聞いた褐色エルフはしばしポカンと口を開けて呆けていた。

男(あれ? 何か変なこと言った?)

 男がそんな風に思っていると褐色エルフは静かに笑い声を溢した。

褐色エルフ「あははっ。違うって! あたしが言っていたのはエルフの存在について好きか嫌いかっていう質問だったの。別に私自身の印象は聞いていないよ。
 うん、でもその答えならエルフのことは嫌いじゃないよね。ありがとう、男。……あははっ、でもやっぱり可笑しい! ふふっ、あははははっ」

男「そんなに笑うことないと思うけどな。それにいきなり呼び捨てだし……」

褐色エルフ「ごめん、ごめん。でもいいでしょ? こんなナリだけどあたしの方がず~っと年上なんだから」

男「言われてみれば確かに。エルフは長寿の種族だもんね。僕より年上って可能性は考えてなかったよ。ちなみに君、年はいくつなの?」

褐色エルフ「むっ。女の子に年齢を尋ねるなんて無粋な」

男「僕より年が上なら女の子ってガラでもないだろうに……」

褐色エルフ「いいの! こういうのは気持ちが大事なんだから。まあお兄さんになら特別に教えてあげてもいいよ~。知りたい? 知りたい~?」

 グイグイと肩を押し当て、いかにも聞いてほしそうな素振りを見せる少女に男はため息を付きながら期待に答える。

男「はいはい、聞きたい聞きたい」

褐色エルフ「うん、じゃあ教えてあげる。聞いて驚くな!
 あたしの年齢はなんと……」

 言葉を区切り、溜めを作る少女。しばらくの間身を屈め、全身に力を込めていた少女は数秒の間を置いて狭いスペースで身体を弾けさせて質問に答えた。

褐色エルフ「数百歳なんですよ! パンパカパーン! どう? どう? 驚いたでしょ」

 驚愕の表情を男に期待する少女であったが当の男はといえば、

男「いや、さすがにそれは誇張しているでしょ」

 と、冷静にツッコミを入れていた。

褐色エルフ「え? なんで。別に変なことは何も言ってないけど」

男「さすがにいくら長寿の種族でも数百年間容姿が幼いままなんて聞いたことないよ」

褐色エルフ「でも嘘ついてないもん。まあ、理由はあるんだけどね」

男「そうなのか。う~ん、でも数百年……」

 真剣に頭を抱えてこの謎に挑み始めた男に対し褐色エルフは小悪魔的な笑みを浮かべる。

褐色エルフ「にししっ。わかんないでしょ~。まあ、あんまり深く考えない方がいいよ、お兄さんっ! 若者はそれが一番だよ」

 まるで年長者が幼子をあやすように男の頭を胸元に引き寄せ、頭を撫でる褐色エルフ。とっさのことに男は身体が反応せず彼女に抱きしめられる形で身体を預けてしまう。

男「こ、こらっ」

 肌に伝わる柔らかな感触に思わず赤面する男。どうも目の前にいる少女は彼に対する警戒心がほとんどないようである。そのせいか、エルフや女魔法使いたちと接する時と同じように彼もまた警戒心を緩めて少女に接してしまっている。
 だが、エルフたちと違う点があるとするのならばそれは目の前の少女がどうにも男を子供扱いし、年長者ぶる点だろう。面倒は見ることは多々あっても、面倒を見られることが少なかった男はこの状況にどう対処していいのか判断がつかず、終始ペースを崩されっぱなしであった。

褐色エルフ「照れなくてもいいのに。ホントお兄さんって面白いな~。にししっ」

 そうしてしばらく慌てふためく男をからかっていた褐色エルフであった。しかし、元々息抜きでこの場を訪れていた男であったためそろそろ魔法の調査を再開するために遺跡へと戻らなければならないと思い、隙間から抜け出す。

男「ごめん、仕事があるからそろそろ戻らないと。君ももう戻ったほうがいいよ。僕はエルフに対して危害を加えることはないけど他の人がそうだとは限らないし。
 このあたりをうろついてもし研究者の人たちに見つかったら騒ぎが起こるかもしれないしね。そうならないうちに早く元いたところに帰りなよ」

褐色エルフ「なあに、お兄さんってば心配してくれてるんだ。嬉しいなあ、こうして人に感謝されるのなんていつぶりだろう」

 微かに遠い目をしながらシミジミと呟く少女に男は何も言うことができなかった。ただ、そのように少女が思ってしまう原因の一端は戦争に参加していた自分にもあると思った彼はそっと彼女の頭に手を当てた。

男「ごめん、ね」

 そうして小さなその頭を優しく撫でた。

褐色エルフ「なんでお兄さんがそんなことするの。まったくもう……」

 文句を言いつつもしばらくの間黙って男の好きなようにさせた褐色エルフ。やがて自然と男の手は彼女の頭から離れた。

男「うん、それじゃあ。君と話せて楽しかったよ」

 そう告げ、その場を去ろうとする男。だが、背を向け遺跡に向かって歩きだそうとする彼に向かって少女は声をかけた。

褐色エルフ「ねえ、名前聞かないの? あたしだけ教えてもらうのってなんだかちょっと不公平だと思うよ、男」

 ぷっくりと頬を膨らませて腰に両手を当ててむくれた態度を取る少女の姿に男は呆れるやら戸惑うのやらよくわからない表情を見せ、仕方ないと彼女に向かって問いかけた。

男「君の名前は、何ていうの?」

 それに対し、少女は元気よく答える。

褐色エルフ「あたしは……あたしは褐色エルフ! 今日は話に付き合ってくれてありがと。またすぐに会おうね!」

 そう言ってブンブンと片手を頭上で振り回す褐色エルフに男もまた手を振り返した。そして再び前を向き、遺跡に向かって進んでいく。そして最後に一度だけ後ろを振り返る。だが、そこには既に少女の姿はなかった。

男(不思議な子だったな。まあ、もう会わないだろうけれど……)

 まるで嵐のような少女と過ごした僅かな時間に思っていたよりも自分も楽しんでいたことに気がつき緩む口元を思わず抑える男。そうして一人居住区にある自室へと戻った彼だったが、扉を開けた先に待っていたのは信じられない光景だった。

褐色エルフ「あ、おかえり」

男「な、な、なっ! なんで君がここにいるんだああああああああああああ!」

 扉の先には先ほど別れたはずの褐色エルフが男よりも先に彼の部屋のベッドに寝転んで彼の帰りを待っていたのだった。

褐色エルフと男が出会ってからしばらく時間は流れた。既に調査に訪れてひと月が経とうとしていたが、未だに遺跡の門にかけられた魔法を解除することはできずにいる。
 試行錯誤を重ね、これだと思った魔法解除のための魔法を編み出しているものの、全くと言っていいほど成果は上がっておらず、さすがに男の方にも焦りと苛立ちが現れるようになっていた。だが、そんな彼の心を落ち着かせようと、ほとんど自然と彼に用意された部屋に住み着いた褐色エルフが失敗の度に慰めの言葉をかけるのだった。

褐色エルフ「もう、そんなクヨクヨしなくてもいいじゃない。ほら、失敗は成功の元っていうしさ! それにもう何日も部屋に篭ってばかりだしたまには気分転換に外にでも出たら?」

男「……そうも言っていられないよ。だって、僕があの遺跡にかけられた魔法を解除できないと、ここの研究者たちはいつまで経っても調査を進めることができないんだから」

褐色エルフ「でもさ~」

男「ほら、作業の邪魔しない。邪魔しなければ好きにしていていいから。外に出ようがこの部屋にいようが。それに、僕以外の人には見えていないみたいだしね」

褐色エルフ「あ~。そうやってまた人を幽霊みたいな扱いして」

男「だって、実際そんなようなものなんだろう?」

褐色エルフ「確かにそうだと言われればそうだけどさ」

 そう、ここしばらく褐色エルフと行動を共にしていた男は彼女が自分以外の人間に認識されていないという事実を発見した。最初は皆がこの少女の事を知っていて放置しているのかとも思っていたが、それは違っていた。
 かといって、本当に幽霊というわけではなく褐色エルフの側からの干渉はできており、実際にその身に宿る血の巡りや温かさを感じ取ることができていた。
 摩訶不思議な少女の存在に未だ解除の方法が見つからないこの遺跡の存在と同じくらい最初は頭を悩ませていた男であったが、途中からそのようなことを考えるのも馬鹿らしくなり、ひとまずは目の前の問題に集中することにして褐色エルフの正体についてはそれが解決してからでも考えることにした。

褐色エルフ「ねえ、お兄さん」

男「どうかした?」

褐色エルフ「お兄さんはさ、エルフと人は仲良くなれると思う?」

 唐突に投げかけられたその質問に男はしばしどのように答えようか迷った。だが、しばらく考えた後、彼が今持つ答えを少女に示した。

男「難しい……とは思う。僕たちが生まれる前からずっと争ってきた種族だから。仮に仲良くなれたとしても何かをきっかけとしてまたお互いにいがみ合ったりするようになるかもしれない。
 でも、だからといって歩み寄るっていう選択肢を捨てる理由にはならないとも思う。だから、過去の出来事を踏まえたうえで僕たちがお互いに歩み寄って時間をかけて良い交流を保っていければ人とエルフは長い間仲良く過ごすことができるんじゃないかな?」

 その答えを聞いた褐色エルフは満足そうに微笑むと、

褐色エルフ「うん! やっぱりお兄さんはいい人だね」

 と告げ、外へと出て行った。残された男は彼女が一体何をしたかったのか分からずしばし唖然とするのだった。

 その夜、夜勤で巡回を行う者達以外が寝静まった頃。人知れず、遺跡の入口に足を運ぶ一つの影があった。

?「うん……あの人なら、きっと」

 そう呟く小さな影は遺跡の門へと手をかざす。すると、これまでどのような手を尽くそうとも開かなかった扉が静かに開いていった。

?「あとは、お兄さん次第だよ」

 そうして再び影は暗闇へと姿を消した。
 そして、ここ数日の疲れからいつの間にか意識を失い眠っていた男。真っ暗な世界が広がるなか、彼はふと自分の意識だけは妙にはっきりしていることに気がつく。
 少ししてこれは夢だと男は把握する。だが、そうわかったところで身体を動かすこともできず、ただ単に意識がはっきりとしているだけの状態、何もすることはできない。いつになったらこの奇妙な夢世界から解放されるのかと思っていると、そんな彼に不意に声をかけるものがいた。

?「……あなたには蘇らせたい人がいますか?」

 どこかで聞いたような、でも一度も聞いたこともないようにも思えるその声。普通ならば異常に感じるこの状況も夢だと割り切っていた男にとってはさして驚きを与えなかった。

男「……それはどう言う意味ですか?」

?「……あなたには蘇らせたい人がいますか?」

 質問の意味を訪ねた男であったが帰ってきたのは先ほどと同じ問いかけのみ。どうも相手からの一方な問いかけらしい。

男「……あるよ。たくさんね、でもそんなことを聞いてどうするの?」

?「……叶えましょう、その願い。ただし、対象は一人のみです」

 なんて夢だと男は思った。少し前に過去の記憶を掘り返したことが原因かはわからないが、この夢は自分の心の奥底にある願望を表しているらしい。

男(参ったな……。この間旧エルフの墓の前で気持ちに整理を付けて少しはマシになったかと思ってたけど、どうやら僕は自分で思ってるよりも過去に未練があるみたいだ)

 どこまでも女々しい自分の心に呆れ、ため息を吐き出す男。そんな彼に不思議な声は何度も問いかけ続ける。

?「……叶えましょう、その願い。ただし、対象は一人のみです」

男「……本当に叶えてくれるって言うんならありがたい話だよ。代価は何もないのか?」

?「いいえ、代価は存在します。それを願うことであなたの心へさらなる傷を植えつけること。そして、願いの対象には避けられない運命を課すことです」

男「運命?」

?「そうです。願いの対象はその運命を背負い、悲しみを受け止めながらその身に新たに宿した使命を遂行しなければなりません。辛く、厳しい現実がその者には待ち受けるでしょう。
 それでも、あなたは今は亡き誰かを蘇らせたいと願いますか?」

男「……僕は」

 男は思う。これが夢ならば、願いが叶うというのなら己の内に宿る思いを吐き出してもよいのではないかと。ずっと、ずっと望み続けていた〝もしも〟。絶対に実現することのありえないもう一度を口にするだけならばいいのではないかと。そう、思った。

男「……僕、は」

 脳裏に浮かぶ一人の少女。かつて彼の前を歩いていた女性でも、ともに笑いあった仲間でもなく、自分の半歩後ろに立ってずっと背中を見続けてくれた少女。

男「望むなら、願いが叶うのなら……たとえ夢だとしても彼女に会いたい。それがたとえ、この世の理に逆らうことでも。そのせいで、辛い思いをすることになったとしても。
 会いたい……旧エルフに、会いたい」

?「互いに傷ついても?」

男「もし、彼女が傷つくようなことがあるのなら、彼女を傷つける全てから僕が命をかけて守ってみせる。
 ずっと、ずっと、後悔してきた。あの時に伝えられなかった思いを、叶うことなら……伝えたい」

?「ならば、叶えましょう。あなたの、その願いを」

 そうして、ゆっくりと世界に光が満ちていく。男は自然とこれが夢の終わりだと感じた。だが、世界が完全に光に包まれる前、彼に質問を投げかけた不思議な声が去り際の一言を残していった。

?「そしてどうか、この世界に平穏を取り戻して」

 それを聞くと同時に男は夢から覚めた。
 まだ日が昇り始めたばかりの早朝。ほとんどの人は未だ眠りについている。だが、今日はほとんどどころか宿泊施設の外に、まるで人の気配がしなかった。
 違和感を覚えながらも、目を覚ました男は桶に貯められた水を手ですくい、顔を洗った後、日課になりつつある門の解析に向かった。遺跡の地下へと続く階段をゆっくりと進んでいく男。その道中、彼は地下に漂う空気に異変を感じた。

男「……なんだ、これ。魔力の気配を全く感じない」

 不思議に思った彼は足早に門へと向けて急いで階段を駆け下りた。そして、たどり着いた門の前に降り立った彼はそこでようやく門にかけられていた解除不能の魔法が霧散していることに気がついた。

男「これは……一体……」

 遺跡研究者へとこの状況を確認しようと思い、来た道を戻ろうとした男だったが、そんな彼にどこからか不思議な声が聞こえた。

?「来て……」

 どこかで聞いたことのあるような不思議な声。それが昨晩夢に見たものだと気がつくのは少し時間が経ってからだった。

男「この声は!」

 気づくと同時に夢の内容が鮮明に思い返される。代価を支払えば願いを叶えると語った声、そしてそれに応えた自分。

?「あなたが選んだ、願いのもとへ」

 不思議な声がそう告げるとゆっくりと門が開いていく。あまりにも非現実的な光景に思わず唖然とする男。この状況に男が戸惑っているとそんな彼の後ろから一人の少女が現れた。

褐色エルフ「行かないの、お兄さん?」

男「ッ! 褐色エルフ! どうして君がここに」

褐色エルフ「ふふふっ。そんなのもう大体の予想はついているくせに。それと、もう一度だけ聞くよ。行かないの? 願いを叶えに」

 その言葉を聞いて男はようやく理解する。目の前にいる少女がどんな存在なのかを。

男「君は……」

褐色エルフ「ほら、早く行かないとせっかくあたしが眠らせている他の人たちも起きてきちゃうよ」

 その言葉を聞いて男は決断する。研究者たちが来る前にどうしても遺跡の中に入っておきたい。昨晩見た夢が本当ならばそこには彼の望む答えが待っているから。
 魔法による明かりを手元に発動させ、男は駆けた。遺跡の内部は不思議なことに一つしか道が存在しない。まるで、ここが目的地までの最短距離で正解の道であるとでもいうように。
 しばらくの間走り続け、息が少し上がり始めた頃男はついに道の行き止まりである祭壇と思しき場所へとたどり着いた。

男「ここは……?」

 見ればその空間には中央にぽつんと一つ柩が置かれているのみで他には何も存在しなかった。男の発動させた魔法により照らされた室内の壁一面にはよく見れば過去に描かれたと思われる壁画が存在した。

男「なんだ、これ?」

 壁画にはエルフと思しき長い耳をした者、それから短い耳の人間と思われる者が強大な何かと戦っているような絵が描かれていた。敵の姿は黒く塗りつぶされわからない。だが、その絵だけでもその相手がいかに強大で恐ろしいものかという迫力だけは伝わってきた。
 見れば、その横には過去に男が調べたことのあるエルフ独特の古代文字が記されていた。

男「『人とエルフ共に在りし時、彼の者冥府の底より現れん。死者の群れを率いし悪しき者に人とエルフ、共に手を組み立ち向かわん。
 しかし、力及ばず死者の群れ増えゆく。人々嘆き、空へと祈りを捧ぐ。エルフは悲しみ大地に祈りを捧ぐ。
 大いなるもの、双方の願い入れん。世に救世主と導者与えたまわん。
 救世主、味方へ光与え、黄昏に死を与える。かくして平穏戻りし世、導者により絆結ばれようとす。
 だが、導者の願い叶わず人とエルフ袂を分かつ』
 ……これは、伝承か? いや、でもこれ一体いつの時代の話だ。こんな出来事記録上の過去の歴史には残っていないぞ」

 興味をそそられ、ジッと壁に描かれた様々な絵を見ていると不意に魔力が室内に漂うのを男は感じた。

男「なんだッ!」

 振り向くと、いつの間にか室内の入口に褐色エルフが現れていた。

褐色エルフ「……あの時と同じ。今、この世界にも黄昏が蘇っている。だから今、この世界には再び導者と救世主が必要なの」

男「どういうこだ? 褐色エルフ、君は一体何を言っている?」

褐色エルフ「ふふ、古いお話しだよ男。かつてこの世界を襲った強大な敵の話しをあたしはしているだけ」

 瞬きの間にそれまで幼かった褐色エルフの肉体がみるみると変化していく。そして、一瞬の間にその姿は成人女性の肉体へと成長した。

褐色エルフ「かつて、救世主へと選ばれたのはエルフ。そして、導者に選ばれたのは人だった。人とエルフは手を組み強大な敵を討ち滅ぼした。救世主は眠りにつき、導者は人とエルフを再び繋ごうと奔走した。
 だが、導者の願いは叶わなかった。人とエルフはかつてのあり方を忘れ、争い続けた。そうして双方に絶望した導者は静かにこの世界から消えていった。
 それから長い月日が流れ、過去にあった戦いを忘れてしまった今、この世界にまたかつての敵が現れようとしている」

男「それは、もしかしてこの壁画に描かれている」

褐色エルフ「そう〝黄昏〟。そして、それを倒すには再び人とエルフが手を組まなければならない。そのためにはまた救世主と導者が必要になる。
 二つに分かれた人とエルフという集団を繋ぐための導者と〝黄昏〟を倒す力を持つ救世主が」

男「話はわかった。けれど、それが僕にどう関わってくるんだ?」

褐色エルフ「言ったでしょ、導者は人とエルフを繋ぐものだって。だからこそ、導者の資格には二つの種族を心から愛する者でなければならない。けれど、未だ互いに憎しみを抱いているこの時代にはそんな人間は数少ない。
 そんな中、導かれるようにあなたはここに現れた。ある意味これは運命のようなものだよ」

男「仮に、仮に僕にその資格があったとしてもし僕がそれを断ったらどうなる。正直、僕はもう争いはもうごめんだ。辛い思いばかりで何も残らなかったから」

褐色エルフ「そうね。別にあなたには拒否権は存在する。けれど、そうなった場合再び資格を持つ者がここに現れるまで待たなければならない。本当の意味で二つの種族を愛することが出来る人間が。
 そんな人、いったい今の世の中にどれほどいると思う?」

男「それは……」

褐色エルフ「それに、あなたたちが気づかないだけで既に〝黄昏〟は動き始めている。静かに、けれども確実に」

男「つまり、僕には拒否権はないってこと?」

褐色エルフ「拒否権はあるよ、お兄さん。けれどね、もしそうなった場合お兄さんの大事な人はもう二度と戻らないし、今あるこの世界も確実に消え去る。人とエルフは互いに憎しみあったまま〝黄昏〟によって蹂躙される。
 平穏な世界は崩れ去り、一方的な虐殺が始まるだけだよ」

 褐色エルフのその言葉に男は言葉を失った。もし、彼女が語ることが全て事実ならば既にこの世界にはかつて実際に起こった世界の危機が再び訪れているということになる。

男「けど……僕は。もう戦いなんて……」

 過去の出来事を思い出す男。かつて憎しみに任せ戦い続けた結果、彼の手は血で濡れ憎んだ者に自身がなるところであった。それ以降戦いの場からずっと身を遠ざけ、エルフと共に平穏な世界で幸せな日々を過ごしていたのだ。
 そんな彼の前に今重い選択肢が突きつけられていた。導者というものになり、世界を救うための戦いへと再び身を投じるか、全てを見なかったことにしやがて訪れる死を静かに受け入れるかという選択肢が。
 そのどちらも簡単に受け入れることのできないものである。なぜなら、それは人一人が背負うのには重すぎるものであったから。
 褐色エルフの言うとおりであるならば人とエルフが協力しあわなければその敵は倒せないという。

褐色エルフ「お兄さんは、もう会えない人にもう一度会いたいとは思わないの?」

 不意に投げかけられた褐色エルフのその一言に、男の脳裏に懐かしい声が響き渡った。

旧エルフ『男さん!』

 けして忘れることなどできはしない、最愛だった少女の声が。振り返れば今も鮮明に思い出すことができる彼女の全て。もう二度と戻ることのない温かな温もり。
 また彼女に会うことができる。甘美なその誘惑は男の心へ深く突き刺さった。

男「本当に彼女に会うことができるのか?」

褐色エルフ「ええ、救世主という運命を背負わされるという代価と引き換えに。そして、それを願ったあなたにも導者になるという代価を支払わなければならない」

男「運命から逃げることは?」

褐色エルフ「無理だよ。避けることができないものだから運命と言われるんだから。どこへ逃げようと、隠れようとその運命が背負った者を追いかける」

男「そう……」

 男は悩む、差し出された二つの選択肢に。どちらを選んでも彼の未来には苦難が待ち受ける。けれども、選ぶのなら後悔のない道を歩みたい、彼はそう思った。

男「……なら、答えは決まってるじゃないか。今まで何度後悔したと思っているんだ。もう取り戻すことができない彼女に、あの時伝えることができなかった言葉を伝えられるなら、どんな運命だって背負ってみせる。僕の分だけじゃなく、彼女の分だって……」

 そうして男は褐色エルフの元へゆっくりと近づき、選んだ答えを告げた。

男「叶えてくれ、僕の願いを。あの日、この手からこぼれ落ちた大切な命をもう一度この世界に戻してくれ」

褐色エルフ「それが答えでいいんだね?」

男「ああ。僕の選択によって彼女に重い運命が降りかかるというのなら、僕が全力で彼女の力になってみせる。だから、僕の願いを叶えてくれ!」

褐色エルフ「わかったよ。お兄さんの願い、確かに聞き入れた。今からその願いを叶えるから、男の記憶にあるその人の記憶を強く思い浮かべて」

 そう言うと、褐色エルフは男には理解できない不思議な言葉を次々と唱え始めた。そして、男は褐色エルフの言うとおり彼の記憶に存在する旧エルフのことを強く、強く思い浮かべた。
 目を瞑り、記憶を辿り彼女の姿を男は思い出す。
 初めは互いのことを嫌っていた。男はエルフを憎むことで自己の心に平穏をもたらし、旧エルフは奴隷という境遇になったことへの悲しみや、戦争により様々なものを失ったことにより人という種族を嫌っていた。
 しかし、いつからか旧エルフの心に変化が現れた。男の心の奥底にある優しさという本質に触れ、次第に心惹かれていった。そして、そんな彼女と過ごしていくうちに男の心もまた彼女へと惹かれた。
 思い出すのは日だまりのような笑顔を浮かべる彼女の姿。いつだって明るくて、一生懸命で、男の心に光を与えてくれた彼女の姿。
 褐色エルフが告げる言葉と共に室内に凄まじい量の魔力が満ちていく。それらは中央に置かれた柩へと集約されていった。
 長いようで短い詠唱が終わりを告げる。静かに男は目を開けると、光と共に少しずつ消えていく褐色エルフの姿がそこにはあった。成人女性ほどまでに成長していた彼女は今では以前のように少女の姿へと戻ってしまっている。

褐色エルフ「身体の復元はベースがあたしになっているから肌とか髪は変わっているけれど本人だから心配しないで。
 ……これで、あたしの役割はほとんど終わり。あとはお兄さん達次第だよ。お願い、男。この世界を救って。そして〝人とエルフの間に再び絆を繋いで〟」

 そう言い終えると褐色エルフの姿は完全に消えた。だが、最後に彼女は一言気になる言葉を残していった。

褐色エルフ「またね、お兄さんッ」

 そうして静寂だけが訪れた。旧エルフの姿も褐色エルフの姿もそこにはなく、今まで本当に夢でも見ていたかのように男は錯覚する。

男「……」

 男は静かに室内に残された唯一の物体である柩へと近づく。重く閉ざされた蓋をずらし、中に入っている願いを確認する。

男「はっ、ははっ……」

 知らず、男の瞳からボロボロと涙が溢れ出した。そこには、かつてとほとんど変わらない彼女がそこにいた。
 肌の色は浅黒くなり、髪は色素が抜けて白に染まっているが、男にはわかる。目の前にいるのは彼女だと。
 とめどなく溢れる涙を抑えるため目元に手を押し当てる男。そんな彼の前で静かに眠っていた少女が目を覚ます。

旧エルフ「……うっ、ううん。あ、あれ? 男……さん?」

 キョトンとした様子で目の前で涙を流し続ける彼を見つめる旧エルフ。そんな彼女の頬に男は涙で濡れた己の手をそっと伸ばした。

男「温かい……。本当に、本当に君なんだね旧エルフ」

 旧エルフは自分に起こっている状況が理解できていないのか戸惑いながら身体を起こす。

旧エルフ「ここは一体?」

 どこなのか。そう呟こうとして旧エルフはその言葉を飲み込んだ。彼女の前でまるで子供のように泣き崩れている男の姿が目に入ったからだ。
 それを見た旧エルフはそっと、優しく男の体を抱きしめた。

旧エルフ「どうかしたんですか、男さん? どうして泣いているんですか?」

 その抱擁に男は嗚咽を漏らしながらも強く、強く旧エルフの身体を抱きしめ返した。そして、かつて伝えることができなかった言葉を彼女に向けて放った。

男「旧エルフ……。君を、愛してる。もう二度と、絶対に、君を手放しはしない」

 思いもよらない男からの言葉に面食らった旧エルフ。少しの間顔を赤くし、あたふたとしていたが、やがて何かを察したのか男の体をより強く抱きしめると彼女はその言葉に返事をした。

旧エルフ「……ありがとうございます、男さん。私も……あなたを愛しています」

 こうして、一度は命を失い永久に離れ離れになった二人は運命という重い代価を支払い奇跡を手にした。
 外の世界は未だ静寂に包まれ、この世界に起こった奇跡を知る者は一人もいない。
 しばらくの間遺跡の中には男の嗚咽が響き渡り、それが静まる頃には二人は静かに遺跡から外へと出ていくのであった。


エルフの元を離れ、男が遺跡に向かってから早一ヶ月と少し。その間、彼女は一人自宅へと残されていた。
 男としては彼女も一緒に連れて行ってあげたかったのだろうが、世間的には未だにエルフに対する風当たりは厳しい。
 この町の人たちはまだ彼女が幼い容姿であるということ、そして物腰柔らかく愛らしい雰囲気、それに加えて男の人柄を知っているということもあってか、少しはエルフに対する偏見が和らいでいる。もっとも、全ての人がそうであるかと言われると答えは否ということになるが、それでも種族だけを見て差別するのではなく、ありのままの彼らを見て接してくれる人も少しずつ増えてきている。
 とはいえ、遺跡に赴くのに彼女を連れて行っては何かと問題が起こる可能性がある。もしかしたら研究者の中にエルフを心底嫌っていて、男の目の届かないところで嫌がらせをするなんていうことも可能性としてあった。
 そのようなもろもろの事情から男はこの町でエルフを任せるのに一番ふさわしい老紳士に何かあったときは頼むと彼女を任せ、遺跡の元へと出立した。
 そしてそれから男のいない家で長い間エルフは過ごしていた。
 男から許可をもらった彼の持つ書物を飽きもせず毎日読み、時折外出しては老紳士の元へと足を運び他愛ない雑談を交わし時間を潰し、あとは庭に植えてある小さな花に水をやったりしていた。
 そして、家に帰れば一人分の食事を一人で取る。彼女にとっては広い室内、そこにたった一人ポツンと佇む。二人でいるときは実感することのなかった寂しさが日に日に彼女の中へと募っていく。

エルフ「……男さん早く帰ってこないかな~」

 最初はなんでもないように呟いていたそんな独り言。だが、それも時間の経過と共に段々と彼女の中に不安を落としていった。
 もしかしたら、二度と彼が帰ってこないんじゃないか? 自分はこのままここで一人ぼっちのままではないのか?
 これまでも男の仕事の関係上家を離れるなんてことは何度かあった。ただ、それも長くて十日ほどでこれほど長いあいだ一人で過ごすなんてことはエルフにとっては初めてのことだった。
 初めの一週間はいつもどおりに過ごしていた。だが、二週目になるにつれ不安が少しずつ膨れていき、彼のぬくもりを求めるようになったエルフは自室ではなく男の部屋で眠るようになった。
 三週目になるころには誰かと少しでも触れ合っていたくて日中は老紳士の家に入り浸り、夜になればすぐに男のベッドの中で眠りについた。そうしてひと月が経ち、あまりの寂しさから時折涙を流し始めるようになった。

エルフ「ぐすっ、ふぇっ……おとこさん、はやくかえってきてください」

 年の割に普段はしっかりしているからこそ見落としがちであるが、エルフはまだその容姿と同じように幼い少女である。特に、甘えたいさかりであった頃に両親を失い、その後心の支えであった祖母とも別れ、彼女は一度居場所を失った。
 そんなエルフがようやく取り戻した居場所、心安らぎ思う存分甘えられる相手が男なのだ。
 関係としてば恋人という間柄の二人であるが、実際のところは端から見れば兄と妹。もしくは親子のようにも捉えられる。
 ある意味それは間違っておらず、エルフにとってみれば男は父親のように頼りがいがあり、兄のように面倒見がよく、そして恋人として甘えられる存在なのである。だから、そんな支えが己の傍からなくなってしまったらなんてことは今の彼女には想像できない。それは今の彼女のアイデンティティの崩壊を意味するからだ。
 だからこそ、エルフはそれが自分の我が儘だと分かっていても一人残された家で男の名を呼び続ける。

エルフ「……おとこ、さん」

 そうして幼い少女は今日も眠りにつく。


男「……到着だ」

 一方、旧エルフを己の手に取り戻した男は彼女とともに遺跡を離れ、エルフの待つ町へと戻ってきた。
 あの日、旧エルフを蘇らせた後、褐色エルフによってかけられたと思われる睡眠魔法の効果が続いている間にいち早く男は次の行動へと映った。
 まず最初に状況が未だに理解できていない旧エルフを以前褐色エルフと出会った場所へと連れて行った。この際に少しの食料と水を彼女へと手渡し、少しの間その場から動かないで待つように指示をした。
 その後、魔法の効果が切れ眠りから目覚めた遺跡研究者に門にかけられた魔法の解除に成功したと嘘をついた。これには彼の心が罪悪感から痛みが出たが、旧エルフのことを話すわけにも行かず話をでっちあげた。
 解除に成功したのはつい先ほどで、まだ中には入っていないと。そうして、彼は歓喜に溢れる遺跡研究者と共に中に入り、柩の間へたどり着いた。柩の蓋は遺跡の外へ出る前に予め閉めておいた。中に何も入っていなかったことに関しては遺跡研究者は少し不思議に思っていたが、それに男がもしかしたらなにか意味があるのかもしれないという助言を口にし、話を濁しておいた。
 そうして、その後役割を終えたことにより男はなるべく早く帰れるようにしたいと遺跡研究者へと告げた。彼はこの功績を上げた男にこのまましばらく残ってしてほしそうにしていたが、男としては旧エルフのこともあり一刻も早くこの場所から離れたいという思いがあったためそれを断った。もちろん、理由としてはそれだけでなく、長い間エルフを一人にさせてしまっているため彼女の元へとすぐに帰ってあげたいということもあった。
 そのことを告げると、意外とあっさり遺跡研究者は了承した。どうやら家族を待たせていると勘違いしたようであった。
 他の研究者たちは早速遺跡内部に隠された隠し扉や部屋を探すことや男が読み取った壁画の意味を確かめるのに夢中になっていた。
 そうして、男はすぐさま荷を纏め、再び旧エルフの元へと向かった。

男「ごめん、旧エルフ。じっくり事情を説明してあげたいけれどもう少しだけ待っていてくれ。とりあえず、これ毛布と追加の食料。明日の朝には絶対迎えに来るからそれまで……」

 まるで見えないなにかに急かされて焦りながら話を進める男。そんな彼の手を旧エルフはそっと包み、

旧エルフ「わかりました。だから、男さんもう少し落ち着いてください」

男「……ごめん」

 クスリと微笑む旧エルフを前にし、男はなんだか猛烈に恥ずかしさがこみ上げてきた。

旧エルフ「なんだか、不思議です。ちょっと眠っていただけなのに男さんがまるで別人のように変わってしまってるんですから」

 旧エルフがそう呟くのを聞いて思わず男はハッとする。そう、彼女の中の記憶は馬車に引かれて意識を失ったあの時からずっと止まっているのだ。そして、今は彼女の姿を写すものがないから気づかないだろうが、その容姿も以前とは変わってしまっている。肌は褐色になり、髪は白く染まっている。
 彼女が少し前まで亡き者であったこと、そしてそれを自分が世の理を曲げて蘇らせたこと。そして、その代価に彼女に重い運命を背負わせてしまうということ。
 その全てを今話すべきか男は迷った。だが、そんな彼に旧エルフは告げる。

旧エルフ「……男さん。そんなに気を使っていただかなくても大丈夫ですよ」

男「旧エルフ……」

旧エルフ「まだ目が覚めてから少ししか立っていないですが、自分の体がちょっと変わっちゃったなってことくらいわかります。それに、ここ。私たちがいた町じゃないですよね?
 それに、男さんは気づいてないと思いますけどあの時と全然顔つき違うんですよ。まるで憑き物でも落ちたみたいになってます。
 本当なら驚くことが一杯で、こんな風に落ち着くことなんてできないはずなんですけれど、なんだか自分でも意外なほど落ち着けているんです。だから、私は大丈夫です。何があるかはこれから男さんが教えてくれるんでしょ?」

男「……ああ、もちろんだ。君には話したいことが、たくさん……たくさんあるんだ」

旧エルフ「ふふっ。それなら今は何の問題もありません。私はただ、男さんの言うことを聞きます。だって、私はあなたのモノなんですから」

男「そういう言い方は……やめてくれ」

旧エルフ「えっ?」

男「僕はもう君をそんな風に見ることができないんだ。奴隷だとか、モノのように見えない。遺跡の中で言っただろ……その」

 そこまで言って気恥かしさからか男は言葉を濁した。そして、旧エルフもまた顔を真っ赤にして俯いてしまう。

旧エルフ「あ、あの~。やっぱりあの時言ってくださっていったのは……」

男「……僕の本心だよ」

旧エルフ「……あ、ありがとうございます」

 今更自分の想いを受け入れてもらえたことを実感したのか、旧エルフは指を何度も重ねては離し、モジモジとしていた。

旧エルフ「えへへっ。なんだかまるで夢みたいですね。なんていうか、眠りについたらなんだかなくなっちゃいそうな幸せです」

 笑顔を浮かべてそう話す旧エルフ。本人としては予期せぬ身に余る程の幸福の訪れからそう話しただけだったが、彼女がいなくなってから長い月日を経て、奇跡を起こした末に想いを告げられた男としては、この出来事が夢であってはたまったものではなかった。
 そのため、 ほとんど反射的に彼女の身体を己の胸元へと抱き寄せ、その温もりを確かめる。

男「夢であって、たまるもんか。言っただろ、僕はもう二度と君を手放したりしないって」

 ギュッと、強く、強く己の手からこぼれ落ちないよう旧エルフの身体を抱きしめる男。

旧エルフ「そう、ですね。私も、これが現実だって信じます。それで……ですね、一つお願いが」

男「なに?」

旧エルフ「そ、その……私たちお互いに好き合っているわけですよね。だから、その一度私にその証を……」

 そう告げられ、男は旧エルフが何を望んでいるのかを察した。おそらく、抱き合うよりもその先を彼女は求めているだ。

旧エルフ「あ、いえ。別にまぐわうというわけじゃないですよ。さすがに、私もこんなところでそんな急に……なんて。
 で、ですけど、せめてキスでもしていただけたら……って」

 相変わらず恥ずかしそうに身体を小刻みに震わせてそう呟く旧エルフ。男としては彼女のその想いにすぐさま答えてあげたかったが、行動に移すことはできなかった。

男「ごめん、旧エルフ。僕も君の気持ちに今すぐに答えてあげたいけれど、それを今することはできないんだ」

 男がそう告げると明らかに気落ちした旧エルフはシュンと肩を落とした。けれど、健気に気にしていないという様子をすぐさま見せる。

旧エルフ「そ、そうですよね。私こそ、すみません。一人で勝手に舞い上がって、恥ずかしいですね」

 見ていて痛々しい彼女の気の使いように男は優しく事情を説明する。

男「実はね……」

 その後、旧エルフを連れて静かに森を抜けた男は彼女と二人でエルフの待つ町へと向かった。
 そして、今男と旧エルフの二人はとうとうエルフの待つ町へと到着したのだった。

男「旧エルフ、着いたよ」

 ここに来るまでの間、余計な混乱を起こさないようにとフードを買って被せた旧エルフに男は話しかける。

旧エルフ「はい、男さん。それにしても、ずいぶん遠くにいたんですね、私」

 この町へと戻ってくる間、男は旅の道中で旧エルフの状況、そして自分がその後にどうなったのかを語った。
 初めは信じられないといった様子で驚いた旧エルフだったが、意外にもすぐに現実を受け入れ、

旧エルフ「そう……だったんですか。ごめんなさい、男さん。私がいなくなったせいで辛い思いをさせてしまって」

 あろうことか己の身に起こった不遇よりも男の境遇について同情した。男はそんな彼女の態度にますます申し訳なく思い、改めて旧エルフのためになにかしてあげたいと強く思った。
 そして、もう一つ。今の彼にとっては大事なことであるエルフの話しもした。このことは誤魔化したりせずありのままの現状を伝えたいと思った男であったため、自分が今エルフとどのような関係になっているのかを語った。
 それを聞いた旧エルフは少しだけ物悲しそうな表情を浮かべ、それ以上は何も聞いてこなかった。
 だが、男の中では既にある考えが浮かんでいた。もちろん、これにはエルフが合意してくれることが条件であり、世間的に見ればあまり見かけない事である。
 そうしてぼんやりと考えをまとめながら歩いているといつの間にか自宅の前へと彼らはたどり着いていた。
 男としては一ヶ月ぶりの我が家。旧エルフとしてはほんの数日間帰っていなかった家に。
 ゆっくりと家の扉を開き、中にいるであろうエルフに向かって帰宅の言葉を告げる。

男「ただいま~」

 しかし、その言葉に返事はなく室内はシンと静まり返っていた。

男「あれ? もしかしてどこかに出かけているのかな。お~い、エルフ~」

 もう一度先ほどよりも大きな声でエルフの名を呼びかける男であったが、やはり返事がない。一階に荷物を置き、二階に彼女がいないかを確認する。しかし、二階のどの部屋にもエルフの姿は見当たらず、彼女は今外出をしているということがわかった。

男「もしかしたらあの人のところに行っているのかもな」

 そうして再び一階へと降りてきた男はそこでうろうろと室内を見回す旧エルフの姿を見つけた。

男「どうかした?」

 不思議に思った男が思わず声をかけると、嬉しそうな様子で旧エルフが答えた。

旧エルフ「いえ、あの時から全然変わっていないな~って思いまして。物の置き場とかほとんど動かしていないと思うとちょっと嬉しくて。
 そういえば、ちょっと気になっていたんですけれどもなんだかこの家、木の香りが新しくなった気がするんですけれども」

男「ああ、それは少し前にこの家を一度取り壊して新しく立て直したんだ。できるだけ、前に住んでいた家と同じようにして作ってもらってね」

旧エルフ「そうだったんですか。ふふっ、そうしてもらえてなんだかありがたい気もします。おかげで私はあまり変わらないでいる家に戻ってこれたんですから」

男「う~ん、でもあれからだいぶ経っているのに何も変わっていないと思われるのも少し悲しいな」

旧エルフ「そんなことないですよ。あまり気がつかないですけれどもやっぱり変わっているところはありますよ。特に台所周りなんて」

男「ああ、その辺はもうエルフの好きなようにさせちゃっているからかな? でも、よく気がついたね」

旧エルフ「男さん、そういうところは鈍いのはダメですよ。誰だって自分が好きな相手のために頑張って料理を作る場所が勝手にいじられたら気になるものです。
 でも、その分そこが丁寧にされているのを見れば、その相手がどれだけ料理を振舞う人を大事にしているのかもわかるんですよ。
 だから、きっとエルフちゃんは私の想像以上にいい子なんでしょうね」

男「……まあ、ね。ホント、あの子はいい子だよ。時々いい子すぎてもっと子供らしい姿を見せてくれてもいいんじゃないかって心配になるけど」

旧エルフ「ふふっ。男さんってばすっかり過保護になっちゃって、いいな~エルフちゃん。私も、そんな風に男さんに心配して欲しかったな~」

 わざとらしく拗ねた態度を取る旧エルフ。この町へ帰ってくるまでの道中で何度もエルフの話を聞かされた旧エルフは今の男の心の支えになっているのが自分だけでなくエルフもまた一役買っていることを嬉しく思うと同時にまだ顔も合わせていない幼い少女に対抗心から嫉妬した。
 そんな彼女の気持ちに気づいている男だが、こればかりは彼の一存でどうこうしていい問題ではないと考えていた。今の彼の隣に立っているのはあの幼い少女だ。そんな彼女に何も伝えずに、自分勝手に旧エルフの立ち位置を決めていいはずがない。
 彼らが今いる家を建て直すとき、エルフは旧エルフのことも含めて彼を受け入れると言った。ならば、その旧エルフの件を彼女抜きで話を進めるわけにいかないと男は考えていたのだ。

男「にしても、エルフのやつ遅いな……」

 しばらく待ってみたもののエルフは帰ってこなかった。その間、旧エルフは二階の男の部屋に移動して探索を続けていた。
 いつまでもこの状況では話が進まないと考えた男は、仕方なく旧エルフをこの場に残してエルフを探しに行こうと玄関に向かった。。しかし、扉を開いてすぐに探し人は見つかった。

男「あっ」

エルフ「えっ?」

 久方ぶりに再会した二人の第一声はなんとも気の抜けた声だった。次の発する言葉をどうしようかと男が迷っていると、それよりも前にエルフが閉じた口をプルプルと震わせ、涙目で男の顔を見上げ、力いっぱい彼の体めがけて飛び込んできた。

男「ぐふっ」

 不意を突かれた男は受身を取ることできずそのままエルフに押し倒されてしまう。

エルフ「うっ、うっ、ううっ。男さん、男さん……」

 両手で彼の身体にしがみつき、男の服に顔をうずめて顔をこすりつけるエルフ。最初は彼女のそんな行動に驚いていた男だったが、エルフの心中を察したのか男はそのまましばらくエルフの好きなようにさせていた。
 そうして、ようやく落ち着きを取り戻したエルフが男からそっと離れ、男は彼女に向かって帰還の言葉を口にした。

男「ただいま、エルフ。ごめんな、ずっと一人にさせていて」

 申し訳なさそうにする男にエルフはブンブンと首を振った。

エルフ「……いいえ、もう大丈夫です。だって、男さんはちゃんと帰ってきましたから! おかえりなさい、男さん」

 まだ少しぎこちないものの笑顔を見せて彼の帰りを喜ぶエルフ。ほんわかとした空気が二人の間に漂い始めたとき、二階へと上がっていた旧エルフが降りてきた。

旧エルフ「大きな音がしましたけど、大丈夫ですか?」

 階段からひょっこりと顔を出した旧エルフ。そんな彼女を見てエルフの顔が凍りつく。

エルフ「えっ……誰、ですか?」

旧エルフ「あ、どうも初めまして。私、旧エルフっていいます」

 気軽に自己紹介を交わす旧エルフに男は思わず頭を抱えたい気分になった。そしてエルフは彼女や男にとって深い関わりのある存在の名を聞いてただ驚愕し、動揺した。

エルフ(えっ? えっ? 旧エルフ……さん? いや、でもあの人は亡くなったはずですよね? でも、目の前にいるのは私と同じエルフで……。それで、私のいないあいだに男さんとあのエルフが二人で家にいて……)

 突然の出来事にぐちゃぐちゃになる思考。ここしばらく嫌な考えばかりが浮かんでいたエルフはその幼さから旧エルフの登場により突然生まれた感情を制御できず、ほとんど反射的に叫んだ。

エルフ「お、男さんは絶対に渡しません!」

 その言葉にきょとんとする旧エルフと旧エルフのことをどう説明しようかと考える男。
 こうして過去と今、男の傍にいた二人のエルフは初めての邂逅を果たしたのだった。

エルフと旧エルフが顔を合わせた夜、かつて旧エルフが使っていた部屋は現在エルフによって使用されており、彼女が寝る場所がないということで男は自室を旧エルフに使わせ、自身は一階のソファにて眠ることにした。
 最初は旧エルフ自身も遠慮していたが男が無理を言って言うことを聞かせた。その間、エルフは一人不機嫌さを滲み出してジッと男を見つめていた。
 そして、二人がそれぞれベッドにて寝静まった頃。一人になった男は今後のことを考え始めるのだった。

男「さて、ひとまず二人の顔合わせは済んだけど……やっぱり失敗したよなぁ」

 家に帰ってきた際、旧エルフを見たエルフの反応を思い出して男は一人ため息を吐きだした。
 今まで旧エルフの話を持ち出した際はいつも好意的に捉えてくれていたエルフ。だが、奇跡により再びこの世界に舞い戻った彼女が実際に己の目の前に現れた時、エルフが示した反応はそれまでとは真逆のものだった。
 嫌悪とまでは言わないが、明らかに彼女の存在を意識し、己の居場所を守ろうと敵対の意思を示している。そして男はそのような態度を少し前に別の人間に見ていた。

男(あれは……そう。確か女魔法使いがエルフにあった時と一緒だ)

 かつて呪いのような己の存在意義に囚われていた女魔法使い。今ではその呪縛から少しずつ解放されているように思える彼女。
 だが、彼女のように旧エルフを見てからのエルフの瞳に宿る感情はその時のものにとてもよく似ていた。
 そう、己の居場所を必死に守ろうと懸命になっているところなどが……。

男(ちょっと、無神経だったな)

 旧エルフが甦ったことにやはり心のどこかで男は浮かれていた。エルフのことを考えているつもりで、本当の意味では考えていなかったのかもしれない。
 彼女があまりにも優しくて、己の全てを受け入れてきてくれたからこそ、旧エルフのことも喜んでくれるだろうと勝手に考えていたのだ。
 だが、大人のように理解がよくても彼女はまだ年幼い少女。本当の意味では大人になっていない。今の彼女は唯一の理解者とも呼べる男が彼女の前任であった旧エルフを連れてきたことによって己の居場所がなくなってしまうという不安に駆られてしまっているのだろう。

男「はぁ……。しょうがない、どうにかエルフの誤解を解いて旧エルフも一緒に暮らせれるように説得しないと。
 僕にとっては二人とも比較できないくらい大切な存在なんだから」

 この先の未来へ向けてまた一つ決意を胸にした男。彼は思考を切り替えると、もう一つの大きな問題について考え始めた。

男「さて、ひとまず例の件については一度騎士たちと相談したほうがいいかな」

 そうして彼は旧エルフと入れ違いに部屋を出る際、持ってきた手紙に要件を書き始めるのだった。


 一方、突然の出来事に胸中穏やかでないエルフは当然眠りにつくことなどできず、バクバクと高鳴る心臓をギュッと抑えて毛布にくるまっていた。
 目を瞑り、必死に眠りにつこうとするが一向に睡魔は訪れず、むしろ目は冴える一方だった。

エルフ(……どうしよう。全く眠れる気がしません。起きていても嫌なことしか考えれないから早く眠りたいのに)

 今彼女の思考を占めるのは旧エルフの存在と今後の自分についてだった。かつて、まだ自分が来る前に男の側に立ち彼の心を変えた張本人。エルフが男に引き取る理由を作った存在。
 いつだって彼女の話をするときの男の表情には優しさや懐かしさが伺えて、それだけで彼がどれだけ彼女のことを大切に思っていたのかを感じさせた。そして、また彼女の日記を読むことによって彼女がどれだけ男のことを愛していたのかも実感した。
 そんな彼女を尊敬すると同時に彼女を超えたい、負けたくないと思う気持ちが自然とエルフの中に生まれていた。だからこそ、男と恋人という特別な関係になってからも彼の中の一番になり続けられるように自分にできる範囲で努力を続けた。
 けれども、いつだって彼の胸の中には亡くなった旧エルフの存在があった。当然だ、既に亡き存在ほど神聖化されて超えることが困難な壁として立ちはだかる。そのことを理解し、エルフは次第に旧エルフの存在に嫉妬するようになった。男に分からないようにこっそりと、彼女の男に対する想いに共感すると同時に密かに妬ましくも思った。
 だが、それも時が経てば少しずつ心は〝現在〟に移りゆくと考えていた。今はまだ男と自分が共に過ごしている時間が少ないからだと、そう……思っていた。
 そんな矢先に彼女の前に超えることのない壁が突然現れた。死んだはずの存在が再び生を受けて。
 当然、死んだ者が甦るなどという現象をエルフは信じなかった。そんな事象は聞いたこともないし、なによりもまず彼女にとって大切な存在の男が騙されているのでは? と嫌な考えも抱いた。
 けれども、そんな考えは男が旧エルフに向ける視線を見ればすぐに吹き飛んだ。そこには彼女を慈しみ、大切に思う彼の気持ちが想像以上に籠っていたからだ。
 だからこそ、彼女はそれを見て不安に駆られた。
 自分よりも男を知っていて、彼が荒れていた時期にも傍にいてその心を変え、非業の死を迎えてずっと彼の心に居続けた彼女がもしも帰ってきたらそこに自分の居場所があるとは思えなかったから。
 自分よりも優れていて、容姿も整っていて、一人では何もできないこんな子供の自分では大人な彼女には何一つ敵うことがないとエルフは考えたのだ。
 不安のせいかお腹の真ん中がキュッと締め付けられたように痛み、グルグルと頭の中を嫌な考えが駆け巡る。次第に息がしづらくなり、吐き気も催し始めた。

エルフ「……男、さん」

 今のエルフにとって唯一の拠り所である男に本当なら今すぐにでも駆けつけたいという気持ちが湧き上がる。けれども、そんなことをしてしまったら益々自分が世話をかけてしまっているような気がして素直に彼を頼ることが彼女にはできなかった。

エルフ「お腹……痛いなぁ……」

 弱々しく毛布を握り締めて涙を滲ませるエルフ。瞼を閉じても消えない意識。虫の音や窓の外からそよ風の音が鮮明に聞こえる。
 そんな中、彼女の耳にある音が届いた。コンコン、コンコンと少しだけ遠慮がちに扉を叩く物音だ。

エルフ「男……さん?」

 心のどこかで彼が部屋を訪れるのを期待していた彼女は思わずベッドから飛び起き扉の前へと駆け寄った。ドアノブに手をかけ、ゆっくりと開いてその先にいる人物を迎え入れようとする。だが、そこにいたのは彼女が予想した人ではなかった。

旧エルフ「あの……少し、お話しませんか?」

 予期せぬ来訪者に、戸惑いながらもエルフは問いに答えた。

エルフ「は、はい。私も、できればあなたと話がしたいです」

 こうして一人の男を愛した二人のエルフの夜がふけてゆく。未だぎこちない関係のかつてと今の少女。そんな関係に今新たなる展開が訪れようとしていた。


エルフ「え、えっと……。ど、どうぞこちらへ」

 突如部屋を訪ねてきた旧エルフに驚きを見せながらもたどたどしくエルフは室内へと招き入れた。そして、ベッドへと彼女を案内しようとしたのだが、旧エルフはベッドに腰掛けるどころか室内の内装に目を奪われていた。

旧エルフ「やっぱり、ここも全然変わってない。私がいたあの時のまま……」

 ニコニコと微笑みながら部屋を見回す旧エルフの姿にエルフの胸はズキリと痛んだ。けれども、その痛みを無視し彼女は意を決して旧エルフに話しかけた。

エルフ「その……なんの用ですか?」

 そう問いかけてからその口調が僅かに冷たく刺のあるものだとエルフは気がついた。しかし、そのことに気がつかなかったのか旧エルフは笑顔のまま答えた。

旧エルフ「あ、ごめんなさい。こんな遅くに突然押しかけて困ったよね。ただ早いうちにエルフちゃんとは話がしたかったから」

エルフ「話、ですか?」

旧エルフ「うん。実は私、目が覚めてからここに帰ってくるまでの間、男さんにエルフちゃんの話をたくさん聞いたの。それですごく気になってたんだ」

エルフ「私のことがですか? 会ったこともないのにどうして……」

旧エルフ「そりゃね、気になりもするよ。だって、今の男さん私が生きていたときと全然違うんだもの。
 すごく、すごく優しくて。色々なことをお話してくれる。私が話をすれば楽しそうに微笑んでくれて、好きだって気持ちを伝えて心を温かくしてくれる。
 こんなこと、私が生きてたときには全然なかった。だからね、気になって当然だよ。私の知っている男さんをこんな風にしたエルフちゃんは一体どんな子なんだろうかって。旅の間、ずっと気になってた」

 そう呟く旧エルフの瞳には僅かな寂しさと畏敬の念が込められていた。予想もしなかった言葉の数々にエルフは混乱し、自分に向けられた賞賛をつい否定してしまう。

エルフ「そんな……。それは、違いますよ。だって、男さんは元々優しかった。私が最初に出会った時にはもう今の男さんでした」

旧エルフ「そうなの?」

エルフ「はい。それもこれも旧エルフさんのおかげですよ。それと、先にあなたに謝っておかないといけないことがあります。こう言うととても変ですけれど、私あなたの生前の日記を読ませてもらいました。
 あなたがどれだけ男さんのことを愛していて、大切に思っていたのか直接会ったことのない私でも感じました」

旧エルフ「えっ、えっ!? あ、あの日記読んじゃったの……?」

エルフ「はい、男さんも読んでます」

旧エルフ「そ、そう。男さん、あれ読んじゃったんだ……」

 日記の話を持ち出され、動揺する旧エルフ。だが、エルフはそんなことを気にもせず話を続けた。

エルフ「あなたがいてくれたから今の男さんがいる。もしあなたと男さんが出会わなかったら私は男さんに救ってもらうこともできなかったはずです。
 だから、感謝しています。私と男さんが出会うきっかけを作ってくれて」

 頭を下げ、感謝を述べるエルフに対し旧エルフはオロオロとし、視線をさまよわせた。今日あったばかりの少女にこのように感謝を告げられて驚いたのだ。なにより、旧エルフの体感時間では己が生きていた時から未だ僅かにしか時が流れていない。あの時は彼女の傍にいた人は男だけと言ってよかったし、お礼を述べる人なんて誰もいなかった。
 だからこそ、なおさら目の前の少女が自分に対して感謝しているということがくすぐったく、ついエルフから視線を逸らしたくなるのであった。

エルフ「……でも、同時に私はあなたのことが妬ましくて仕方がないです」

旧エルフ「えっ?」

 感謝をされ、終わると思った二人の話はエルフの口にした一言によって二人の間に新たな波紋を生み出そうとしていた。

旧エルフ「妬ましいって、どうして? だって、私とエルフちゃんは今日会ったばっかりだよね。もしかして、私なにかエルフちゃんの気に障るようなことしたかな?」

 旧エルフの問いかけにエルフは首を横に振った。

エルフ「いいえ、違います。旧エルフさんは何もしていません」

旧エルフ「なら、どうして?」

エルフ「旧エルフさん、さっき言いましたよね。私のことを男さんから聞いたって。
 私も、それと同じようにあなたのお話をたくさん男さんから聞かせてもらいました。
 旧エルフさんがいてくれたおかげで男さんが変われたこと、ずっと、想いを伝えられなくて後悔していたこと、あなたのことがあったから私には最初から優しくしようって決めていたこと。
 そして、今でもずっとあなたのことを愛していること……。
 私と出会うよりも前から男さんはずっと、ずっと、ずっと! あなたのことばかり……考えているんです。
 でも、あなたはもうこの世にいないから心のどこかであなたのことを想っていても私はずっと男さんの傍にいられるって安心していました。恋人だから、いつかはあの人の一番になれるって思ってました」

 悲痛なエルフの告白に旧エルフは思わず言葉を失い、その場に硬直する。何か言わなければ、そう思っているにも関わらず全く言葉が出てこなかった。

エルフ「でも、なんでかはわからないですけれど、あなたはまたこうして生きて男さんの元に帰ってきた。
 私が帰ってきたときこの家の中にいるあなたと男さんを見て感じました。〝ああ、なんて自然なんだろう〟って。
 当然ですよね、だってこの家に元々いたのは旧エルフさんと男さんの二人なんですから。そこに後から割り込んだ私の方がこの家にとって不純な存在なんです」

旧エルフ「エルフちゃん、それは……」

 これまでエルフが密かに感じ、気づかぬふりをして心の奥底に閉じ込めていた感情を吐露された旧エルフはそれは違うと否定しようとした。
 だが、閉じ込めてきた思いが強すぎたせいか、静止の言葉を口にする前にエルフが次々と暗い感情を表に吐き出してしまう。

エルフ「男さんと旧エルフさんの二人はきっとお似合いです。旧エルフさんは私なんかと違ってスタイルもいいですし、日記通りなら料理だって上手なはずです。なにより、男さんがずっと想い続けて、愛していた人です。
 知ってます? この部屋、私が来るまでずっと旧エルフさんが生きていた頃のままにされていたみたいですよ。それに、この家を建て直す時だって男さんは旧エルフさんのことを忘れようと無理して別の家に住もうと考えていたんですよ。
 男さんは私のことを気遣ってあえて話題に出さないようにしてくれますけど、いつだってあの人の物事の基準にはあなたがいました。
 美しい景色を見た時、あなたならどう感じるか?
 楽しい出来事があった時、あなたなら一緒に喜んでくれるか?
 困ったことが起こったとき、あなたなら一緒に悩んでくれるか?
 きっと……絶対に、そう思ったはずです」

旧エルフ「違う、それは違うよエルフちゃん」

 これ以上、目の前の少女の叫びを聞いていられなくて旧エルフは必死に否定する。けれども、エルフはそんな彼女の言葉をこそ否定した。

エルフ「違いませんよ……。だって、誰だって私みたいな子供より旧エルフさんみたいな大人のどちらかを選ぶか迫られたら旧エルフさんを選ぶに決まってます。
 背伸びをしても、私は子供で……面倒ばかりかけてしまって、力になれることなんて少ししかない。
 でも、旧エルフさんは違います。正真正銘、男さんの支えになれるんです。
 そんなあなたを私は尊敬しています。けれど、だからこそ同時に妬ましく思っているんです。私にできないことをあなたは全部出来てしまう。
 そんなあなたが現れたら私があなたに敵うことは何一つなくなってしまう」

旧エルフ「……」

 エルフの叫びを聴き続けた旧エルフはとうとう言葉をなくしてその場に立ち尽くしてしまう。少女との交流を深めようと軽い気持ちでこの部屋を訪れた彼女であったが、待っていたのは重い現実。
 二人の最愛である男が求めた最高の奇跡が少女の心に枷をつけてしまった。

エルフ「ごめんなさい、会ったばかりのあなたにこんな酷いことを言ってしまって。でも、どうしようもないんです。
 私は、男さんが好き。この気持ちは旧エルフさんにだって負けません。だからこそ、私はあなたに男さんは渡せません。
 だって、男さんをあなたに渡してしまったらこの家に私がいる意味がなくなっちゃう。
 一人ぼっちになった私に、男さんは手を差し伸べてくれました。温かくて、優しい感情で私を包み込んでくれた。この温もりを知ってしまった今、もう昔のように一人になることなんてできない。だから、お願いです。私から、男さんを奪わないでっ……」

 とうとう、我慢することができなくなりポロポロと瞳から涙をこぼし始めたエルフ。そんな彼女の姿に、旧エルフはただ一言、

旧エルフ「ごめんなさい……」

 と口にすることしかできず、寝床として与えられた男の自室へと戻っていった。そして、そんな彼女に申し訳ない気持ちで一杯のエルフはしばらくの間泣き続け、泣き疲れて体力を消耗したことにより、ようやく睡魔がやってきて眠りにつくことができたのだった。

翌日、いつもの自室ではなく一階のソファで目覚めた男は慣れない場所で寝た影響で凝った身体を解す。
 窓を開け、朝一番の新鮮な空気を室内に取り込む。見れば、太陽がまだ顔を出して間もなく、いつもよりも早い時間帯に起きたようであった。
 その証拠に、普段ならこの時間帯に起きているはずのエルフの姿が見当たらない。同じく、旧エルフの姿も見られなかった。

男「二人ともまだ寝ているのかな? 一度様子を見に行ってみようか」

 そう思い、一階から二階へと向かう。まず最初に男が開いたのはエルフの自室。昨日のできごとがあったためか、不安をかかえて眠れずに朝を迎えていないか心配だったからだ。
 ノックをし、反応が返ってこないのを確認する。おそらく眠りにつけているのだろうと思い、音を立てないように静かに扉を開いた。
 中に入り、眠りについているエルフの元へと近づく男。膝を着き、寝息を立てるエルフの横で彼女の寝顔を見つめる。
 しばらくエルフの寝顔を見ていた男だったが、その瞳から頬にかけて涙の伝った後を見つけてハッとした。

男「やっぱり、嫌な思いをさせちゃったか……」

 考えていたことが現実に起こっていたことを確認し、男はため息を一つ吐く。

男「ごめんな、エルフ。ずっと一人にさせて寂しい思いもさせてたのに今回の件を急に持ってきて」

 そっと、エルフのさらさらとした金髪に手を伸ばし、優しく梳いていく男。しばらくそうして穏やかな時間を過ごしたあと、男はエルフの額にキスをして部屋を出た。
 次に男が訪れたのは旧エルフが眠る自室だった。エルフの時と同じようにノックをし、反応がないのを確認したあと静かに中へと入った。
 しかし、中に入った男が見たのはボーッとしたまま窓の外を眺める旧エルフの姿だった。

男「……なんだ、起きていたんだ旧エルフ」

 小声で男がそう呟いて、ようやく室内に彼がいることに気がついた旧エルフは驚きからか、ビクリと身体を一瞬震わせて彼を見た。

旧エルフ「あっ、男さん。おはよう、ございます」

 どこかぎこちない挨拶を返す旧エルフを不思議に思いながら男は話を続けた。

男「どう? よく眠れた。ごめんね、昔旧エルフが使っていた部屋は今エルフが使っているから。
 もうちょっと落ち着いたら空いている部屋を掃除して旧エルフの部屋として使えるようにするから。それまではこの部屋で我慢していてほしい」

 申し訳なさそうに謝る男に旧エルフはそんなことはないと首を振った。

旧エルフ「いえ、むしろ嬉しいです。男さんが普段眠っている場所で眠ることができて」

 なんの気なしに呟いた一言であったが、それを聞いた男の顔が少しずつ赤く染まっていった。それを見てようやく旧エルフも自分が何を言ったのか気がついた。

旧エルフ「あ、いえ、そのっ、違うんです。今のは……えっと、そ、そう! 男さんの匂いがするここで寝てるとまるで男さんと一緒に寝ているみたいでとても安心して眠れたという気がしたということで……」

男「うん……。その、わかったから少し落ち着こうか」

旧エルフ「はい……すみません」

 己の変態行動を自ら暴露してしまい、今すぐにでもこの場から逃げ出したくなる気持ちになる旧エルフ。お互いに次の話題をどうにか切り出そうとする中、ふいに旧エルフの脳裏に昨夜聞いたある事実が思い浮かぶ。

旧エルフ「あれ? そういえば、男さんって私の日記を読んでいるんですよね?」

 突然の質問に男はその質問の意味を深く考える前にほとんど反射的に答えてしまった。

男「あ、うん。そうだけど、それがどうかした?」

 男の返事を聞いた旧エルフはゆっくりと自分が日記に書いた内容を思い返す。男の傍にいて幸せだったこと、買い物に出かけた際嫌な思いをして帰ってきた自分を優しく抱き上げて男が部屋まで連れて行ってくれたこと。
 それから、自分の看病の際に寝ている男にこっそりと口づけをした……。

旧エルフ「あ、あああああああああああああっ!」

 突然の叫びに咄嗟に耳に手を当てて旧エルフの絶叫を防ぐ男。

男「旧エルフ、急にどうしたの!?」

旧エルフ「いえ! 別に! なんでもありませんから! 本当に、なんでもないですからっ!」

 当時のことを思い出し、旧エルフの顔は先ほどよりも真っ赤に染まっていた。

旧エルフ(そ、そうでした。あの日記、誰にも読まれることないと思ってその時にあったことを全部書いていたんでした。その中には男さんに気づかれないように行動していた私の変態行動が幾つも……。
 つまり、私がこっそりキスしていたことも、その他の事も全部男さんは知ってるということに)

 チラチラと男の様子を伺う旧エルフを見て何を考えていたのかを察したのか、男わざとらしく視線を逸らして、呟く。

男「あ~、うん。ごめん、気が利かなくて。でも、これからは旧エルフがそんな行動に走らないように僕の方で気をつけるから」

旧エルフ「うっ、うっ、うぅっ……。いっそのこと、罵るくらいしてください……」

 いたたまれなくなり、毛布に顔を埋める旧エルフ。そんな彼女をやれやれといった様子で眺める男。
 そして、そんな二人のやり取りを空いた扉の隙間から苦しそうに顔を歪ませながらエルフがこっそり覗いていたのだった。

旧エルフが己の過去の行為を知られていたという事実に気がつき、恥ずかしさのあまりしばらくの間放っておいて欲しいと毛布にくるまり落ち込んでいた。男はそんな彼女の要望を聞き入れ二階から下へとおり、朝食の準備に取り掛かろうとする。
 すると、そんな彼に続くように二階からエルフが現れた。

男「おはよう、エルフ」

エルフ「おはようございます、男さん!」

 今までのように元気よく返事をするエルフ。彼女の表情に憂いや眠っている時に見た涙の痕は今は見られない。
 けれども、男は知っている。彼女がまだまだ子供であるということも、自分のせいで今無理にでも明るく振舞わなければいけないと彼女が感じてしまっているということも。

男(……どうすれば、いいかな)

 エルフと旧エルフ。男にとってはどちらが上か下などという区別することなどできない愛する二人。できることなら二人共に仲良くしてもらい、これから一緒に暮らしたいと思っている。けれども、今の状態ではそれが難しいとも思っていた。
 エルフと一緒に料理の下準備をしながら男は考える。しかし、すぐには具体的な考えは思い浮かばなかった。
 チラリと横目でエルフの顔を盗み見ると彼女は嬉しそうにしながらも、時折何かを思い出しては一瞬暗い表情を浮かべていた。それを見て男の心にチクリと小さな痛みが走った。

男(エルフと旧エルフ。どちらも大切にしたいっていう僕の考えはいけないものなのかな……)

 確かに、端から見れば二人の女性を股にかけている酷い男と思われても仕方ない。普通に考えればいくら口で二人を愛していると言ってもその愛が平等ではないと言うものもいるはずだ。
 けれども、男はそれは違うと考えていた。彼にとって二人の存在は平等なものである。
 そもそも愛する人を一人だと決めつけるのは何故だろう。もちろん、平等な愛が与えられないのならばその時点でその愛には差ができており、二人を等しく愛しているとは言えない。
 けれども、それができるなら? その時には二人の女性を愛することを非難される理由にはならないのではないか。
 少なくとも男は二人に対し平等でありたいと思っていた。押し付けがましい考えなのかもしれないが彼は彼女たちにもこの考えを受け入れて欲しい、そう思っている。
 それが無理やりなものであれば表面上は上手くいったとしても後々に破綻を招くことは予期できていた。だからこそ、男はこの考えを受け入れてもらうのならばきちんと納得した上でして欲しかった。
 現状、男のこの考えに対しおそらくではあるが旧エルフは納得しているように思える。彼女はエルフに対して好意的であり、平等の愛が与えられるならばたとえ彼女のことも男が愛していたとしても納得するであろうと。
 しかし、昨日の状況を見る限り今のエルフはそれに納得はしないだろう。もちろん、男が彼女に頼めば表面上は納得し共に過ごしてくれる。けれども、それは彼女の内に不満や不安を溜め込み、いつかその心を壊してしまう可能性があった。
 ならば、無理矢理でなく彼女がこの考えを受け入れてくれるように努力してみよう。男はそう思い隣に立つエルフに声をかけた。

男「ねえ、エルフ」

 料理の下準備もほとんど終わり、いよいよ調理を開始しようとした時に不意に声をかけられたエルフは少し驚いたように返事をした。

エルフ「は、はいっ。どうかしたましたか? 男さん」

 そんな彼女に男は優しく微笑みある提案をした。

男「えっとさ、もしよかったら今日一日僕と一緒に二人で出かけないか?」

 唐突な彼の提案に一瞬話の内容が理解できずに呆けていた彼女であったが、やがてそれを理解するとパアッと明るい笑顔を見せて喜んで答えた。

エルフ「はいっ! 一緒に出かけましょう!」

 食材を調理場に置き、喜びを全身から溢れさせながらエルフは男の身体に抱きついた。男の身体に密着し、すりすりと自分の身体を何度も擦り付けるエルフ。まるで犬のマーキングのようなその行為に男は照れくさそうに頬を掻いていた。
 そして、彼に抱きつくエルフの瞳には昨夜寝る前に流したものとは別の、小さな涙が薄らと滲んでいるのであった。
 その日の午後、旧エルフに事情を説明し、エルフと共に男は家を後にした。話を聞いた旧エルフは最初は驚きもしたが、昨日エルフとの一件もあり思うところがあったのか、「楽しんできてあげてください」と口にし、留守番をする見返りと言わんばかりに男の頬に触れる程度のキスを交わすと彼らを見送った。
 こうして久方ぶりにエルフと二人で出かける男であったが、特に何をすると決めていたわけでもなかったため、ひとまず町をぶらつくことにした。

エルフ「男さ~ん、こっちですよ」

 ひと月ぶりの町の様子をのんびりと眺める男とは対照的に元気いっぱいに彼の前を歩いていくエルフ。ぶんぶんと男に向かって大きく手を振り、早く自分の元に来るように急かしていた。
 そんな彼女の姿を見て、男はクスリと微笑んだ。昨日に比べて元気が出た。今のエルフの様子を見てそんな風に思う男。
 そのことを嬉しく思うと同時に彼女の笑顔を作るのも、それを曇らせてしまってるのも自分が影響していることだとわかっているからこそ複雑な気持ちになる。
 今後のことを考えるとどうしても表情に陰りが出てしまう。どうすればいいのか? どうしたらみんな幸せになることができるだろうか。

エルフ「……男さん? どうかしました?」

 考えに耽っていたせいか、いつの間にか自分の目の前に戻ってきたエルフに男は気がつかなかった。心配そうに自分を見つめるエルフを見て男はこう思った。

男(……やっちゃった。エルフを楽しませようと思って誘ったっていうのに、心配をかけてどうするんだ。
 確かに、今後のことは考えなきゃいけないだろうけれどそのせいで〝今〟を疎かにしているようじゃ意味がないじゃないか)

 自分の失態に気がついた男はすぐさま気持ちを切り替えた。後回しではなく、この先にある未来に繋げるため、今を精一杯楽しむことにした。

男「ごめん、ちょっとボーッとしてた。それより、エルフ。どこか行きたいところとかある?」

エルフ「えっと、実を言うと町の外に出てのんびりしたいな~って……。ダメ、ですか?」

男「いや、そんなことないよ。よし、それじゃ森の方に行ってみようか」

エルフ「はい! 行きましょう」

そうして、どちらともなく身体を近づけ合い町を出て二人は近場の森へと向かっていくのだった。
町を抜け、森へと続く平原をのんびりとした足取りで二人は歩いていた。見慣れた景色を楽しそうに眺めるエルフ。その隣に立つ男と彼女の手はいつの間にか自然と結ばれていた。手放さないよう強く握り締めるわけでもなく、力を緩めればほどけてしまいそうなほどの力加減。
 まるで手のひらの中に小さな生き物を大切に飼っているかのように錯覚するその感触をどこかくすぐったく男は感じていた。

男「エルフの手はちっちゃいな」

 無意識の内に出ていた一言に言ってからすぐにしまったと思う男。しかし、後悔する暇もなくエルフはプックリと頬を膨らませて不満そうにいじけていた。

エルフ「む~。どうせ私はまだまだお子様ですよ~だ。
 男さんから見れば手も、背だって小さいですし、それに胸だって……」

 服の内側に目を凝らし、僅かに膨らんだ乳房をチラリと見るエルフ。今までは明確な比較対象がいなかったので、口では不満気にしながらもそこまで劣等感を抱くことはなかったが、昨日から彼女の元には自分よりも成長した理想のエルフが現れてしまったため、その表情は晴れない。
 そんな彼女の心境を察したのか、男はしばし空いている片方の手を口元に添え、何かを考える素振りを見せていた。
 しばらく、二人の間に気まずい空気が流れる。ほとんど結び目の解けかかった二人の手の重なりをエルフが静かに解こうとした時、ちょうど考え事を終えた男がキュッと強く握り締めた。

エルフ「えっ!?」

男「ん? どうかした」

エルフ「あっ、いえ……なんでもないです」

 エルフが二人の重なりを解こうとしたのをわかっているはずなのに、男はまるでそれに気がついていないようにしていた。どういうことかと戸惑う彼女に諭すように、優しく男は呟く。

男「まあ、確かに僕から見ればエルフはまだまだ成長途中のお子様かもね」

 思っても見ない男のその一言にエルフは思わずシュンと肩を落とした。しかし、続けて発せられた男の言葉に彼女は耳を傾けることになる。

男「でもね、それが普通なんだよ。確かに、エルフはいま子供だね。でも、誰だってみんな昔は子供だったんだ。騎士や女騎士、女魔法使いは……まだ成長途中か。
 まあ、彼らやもちろん僕も昔はエルフと同じように小さな体で、早く大人になりたくて色々と背伸びをしたりもした。
 けど、いくら成長が早くったって大人の真似ごとをしても結局はまだ子供のままなんだ。あくまでも〝大人びている〟っていうだけ」

エルフ「それってどう違うんですか?」

男「う~んとね、何を持って大人になるかって定義するのは難しいね。
 一人で自立して暮らせるようになること、お酒や嗜好品を嗜めるようになること、お金をたくさん持つこととかちょっと考えるだけで大人っぽいことっていうのはたくさん出てくる。
 でもね、僕が思う大人っていうのはこれとは違うんだ」

エルフ「男さんの考える大人って……」

男「それはね、〝何かを許せるようになること〟と〝自然と誰かの助けになれること〟。この二つができるようになることを大人になるって言うんだと思うな」

エルフ「〝何かを許せるようになること〟と〝自然と誰かの助けになれること〟ですか? なんだかピンと来ないです」

男「ま、まあ。自分でも言葉にしてみて随分と抽象的な考えだとは思うよ。そうだな、僕自身の例えになっちゃうけど、僕は昔エルフの種族が嫌いだったんだ」

 エルフ族は嫌い、そう聞いてエルフの胸にチクリと小さな痛みが刺した。それが表情に出てしまっていたのか、慌てて男が弁解する。

男「あ、いや、違うよ。昔の話ね、昔の。
 そうだな、僕がまだ戦争に参加していたときが多分一番酷かったかな。多分、あの時の僕に今こうしてエルフと一緒に歩いている姿なんて見られたら問答無用で殺害されても文句が言えないくらい……嫌いだった。
 でも、僕は今こうしてエルフと一緒に同じ道を歩いている。これがさっき言ってた〝何かを許せるようになること〟かな。
 どうしても許せない、許してはいけないと思っている相手がいたとして、自分のことばかりを考えるんじゃなくて相手の立場になって一度考えてみるんだ。自分はどうしてその相手が許せないのか、相手はそんな自分のことをどう思っているのかって……ね。
 そうすると、意外にその相手の考えていることや自分のことをどう思っているのかとかわかるものなんだ。
 だから、絶対とか無理とか最初から決めつけないで一度考えてみるんだ。自分にとってどうしても許せないことがあったとしてどうすればそれを許せるようになるかなんてね」

 男の話をイマイチ理解できていないのかエルフは唸りながら考えを纏めていた。そんな彼女の様子を見て、男はもっと簡単な例えを出すことにした。

男「それじゃあ、こうしよう。例えばエルフがとってもお腹を空かせて待ちに待った夕食が出たとする。けれど、僕がそれを勝手に食べちゃってエルフは許せないっていう感じに」

エルフ「私は……相手が男さんなら許しますよ? そりゃ、ちょっとムッとしますけど」

男「そう……ありがとうエルフ。ああ、それじゃあこうしよう。全く見たことのないボロボロの服を着た男性がエルフの大切に作った食事をちょっと目を離した隙に勝手に食べちゃった。そして、それをエルフは許せないでいる」

エルフ「なるほど、そのたとえはとてもわかり易いです」

 今度はエルフも理解できたようなので、男はそのまま話を続けた。

男「当然、エルフは怒っている。まあ、ここでは仮にの話だから余計なツッコミは入れないけれど、その相手のことが許せない。けれど、相手は何も答えない。何も答えないから何もわからないし、当然許せずにいる」

エルフ「そうですね……こちらとしては勝手にご飯を食べられてしまったのですし、当然ですね」

男「うん、僕もその怒りは当然のものだと思う。でも、もしその相手が泣きながらこう語ったとする。
 『自分は、戦争で職を失い今日まで乞食としていきてきた。しかし、極限の空腹に耐え切れずについ魔が差して貴方の家の食事に手を出してしまった』ってね。
 こう言われたらエルフはどう思う?」

エルフ「え、えっと。困ります……ね。確かにかわいそうに思いますし、力になってあげたいですけれどやってしまったことで怒っているのも事実ですし」

男「そうだね、まあ時と場合によってはそんな相手の言い分なんてこっちには関係ないって言うかもしれないね。
 でも、その話を聞いてほんの少しでも心が揺れたんじゃない?」

エルフ「それは……まあ」

男「それが嘘か本当かはわからない。でも、もし仮に男の話を聞くことなく絶対に許すことはできないと判断してさっさと家から追い出してしまったら彼がどんな人間なのか、どうしてこんなことをしたのかもわからないんじゃないかな。
 やってしまったことは確かに悪いことかもしれない。それでも怒りを抑えて話を聞けばさっきまで〝絶対〟だったものがそうじゃなくなるかもしれない。〝許せる〟余地がほんの少しでも出てくるかもしれない。
 僕が言っているのはこういう状況で絶対と決めつけないで相手を知って許すことを考えて行動できることを大人になるって事の一つだと考えてる」

エルフ「で、でも。さっきのはたまたまご飯を勝手に食べられたって例えだっただけで、実際にはどうしても許せないようなことも出てくるんじゃないですか?
 そういった時でも自分を押し殺して相手を許すっていうのが大人なんでしょうか? だとしたら、そんな大人にはなりたくありません」

 ここまでの話から何かを察したのかエルフは男の考えにやや否定的だった。けれど、次に男の口から出てきた言葉はそんな彼女考えを肯定するものだった。

男「うん、僕もそう思うよ。僕たちはただの善人じゃない。ちゃんと考えて生きている人なんだ。もちろん、どうしても許せないことも出てくる。
 でもね、ちょっとだけ相手の気持ちになって考えてみるんだ。それでもその相手のことが許せないというのならそれはそれで仕方がないと思う。
 けど、何も聞かず、何も知らず、自分だけの判断で相手を決め付けてしまったらきっと後になって後悔するかもしれないんだ」

エルフ「だから、そうしないためにも一度考えるんですね」

男「うん。それが僕の考える〝大人〟の一つ。〝何かを許せるようになること〟かな」

 それまで聞いてエルフはしばし物思いに耽っていた。おそらく、今彼女の中では男が提示した〝何かを許せるようになること〟に該当する問題があり、今はそのことについて考えたいとエルフ自身が思っているのだろう。
 しばしの沈黙。そして己の中で何か答えが見つかったのか少しだけスッキリとした表情を見せたエルフはもう一つの大人の条件について質問した。

エルフ「〝何かを許せるようになること〟についてはわかりました。それで、もう一つの〝自然と誰かの助けになれること〟は?」

男「こっちは簡単だよ。いや、でも難しくもあるかな? これはね、自分の目の前で誰かが困っていたとしてそれが自分の力で助けることができるようなことであれば手を差し伸べるってだけのことなんだ」

エルフ「えっと……それだけ、ですか?」

男「それだけって言うけれど、これが意外と難しいんだよ。人って自分が思っている以上にいっぱいいっぱいだから自分のことで精一杯にすぐなっちゃう。僕だってそんな経験はしょっちゅうしてきた。
 けど、だからこそせめて自分の手の届くところにいる人には手を差し伸べて上げられたらいいなって思うんだ。そうして、身近な人たちが助け合って、その輪がたくさん広がれば最終的にはみんなが手を取り合って生きていける。
 ……なんて。こんなことをいうのはちょっと恥ずかしいね」

エルフ「……いえ、そんなことありません。そうですね……これが男さんの考える〝大人〟ですか。
 私も……ちょっとはこの〝大人〟について考えてみようと思います」

 男の目を真っ直ぐと見据えてそう話すエルフに男もまた視線を逸らさずに返事をした。

男「うん。エルフがそう考えてくれるっていうだけでも僕はとても嬉しいよ」

 少女と青年が語るには濃い会話を繰り広げ二人は森へと向かっていく。そんな二人の表情は僅かに明るいものになっていた。

エルフ「あっ……でも、さっきの話は別にして。男さんまた私のことを子供扱いして! 男さんの考えではさっきのが〝大人〟なのかもしれないですけれど、私の中では男性がドキドキするような身体になっていればもう大人のようなものなんですからねっ!」

 そう言って握った手とは別の手を繋いだ男の腕に絡めて身体を密着させ、エルフはピョンピョンとその場に跳ねて男の耳元に口を近づけると耳たぶを甘噛みした。

エルフ「……ハプッ」

 チクッと僅かな痛みと背筋を走る妙な快感を感じ、油断をしていた男は僅かに嬌声を上げてしまう。

男「ちょっ、エルフッ!」

エルフ「せっかく久しぶりに二人っきりなんですからこれくらい許してくださいよ~。えへへ~チュッ」

 甘えるような撫で声でそう呟き、エルフは男の耳元からうなじにターゲットを変えて吸い付くようにキスをした。既に繋いだ手は離れて両手は腕を支えにして身体を浮かせていた。
 そんなエルフの行動にヤキモキしながら同時にこれまで長い間放置してしまったお詫びにと男は彼女の行動を黙認するのであった。

旧エルフがエルフと男の住む家を訪れてから少しだけ時間が流れた。自分の居場所を取られまいと必死になっていたエルフだったが、男と二人だけで過ごした際に言われたことで思うことがあったのか、表立って何か彼女に言ったり行動に移すこともなく、表面上は穏やかに過ごしていた。
 もっとも、男と旧エルフの距離が近くなったり二人の間に漂う空気が甘くなったりした時には嫉妬から不機嫌になったりするなんてことはあるが……。
 とはいえ、今のところは三人の生活が破綻することなどもなく静かな日常を送れているのだった。

エルフ「それじゃ、男さん。今日も行ってきますね」

男「うん、わかった。気をつけてね、エルフ」

エルフ「はい! それと、旧エルフさん。私がいないからって男さんとあまりベタベタしないでくださいよ……」

旧エルフ「あははは……。わかってますよ、エルフちゃん」

 旧エルフに釘を刺すことを忘れずにエルフは家を出る。ここ最近エルフは老紳士の元に向かっては彼の経営する店の手伝いをすることが多くなっていた。元々、お茶を頂いたりするお礼に店の掃除を始めたのがキッカケで、今では店の売り子として働かせてもらうようにまでなったのだ。
 そのこともあってか、彼の店を通じて町の人とも交流を少しずつ深めていき、エルフは今ではこの町に住む人の多くに受け入れられつつあった。
 そんな彼女と彼女の周りの人々の変化を男は喜ばしく思いながら、同時に彼女が自分の元を離れて独り立ちしはじめたことをほんの少しだけ寂しくも思っていた。
 言ってしまえば、独占欲のようなものが男の中にもあったということだろう。エルフが己から少し離れてゆくことに寂しさを紛らわすように男もまたここしばらく仕事に没頭していたのであった。

男「それじゃ、僕もそろそろ仕事を始めるよ。何かあったら呼んでね。あ、それと……わかってるとは思うけれど買い物に行く時は絶対に僕に声をかけるように。くれぐれも一人で行こうとはしないでね」

旧エルフ「む~、男さんは過保護ですよ。ちょっとは信用してくださいってば!」

男「わかってるよ。でも、君がいなくなるなんて今の僕にはもう想像できない……いや、想像したくない」

 男の言葉がかつて自分が死んだ時のことを言っているのに旧エルフが気づいたのはすぐだった。

旧エルフ「男さん……」

男「過保護だって思われても、僕の目の届かない所で君に何かがあって欲しくないんだ」

 苦しそうな表情で俯く男に、そっと旧エルフが近づき、今にも泣き出しそうな彼の頭をそっと撫でた。

旧エルフ「もう……大丈夫ですよ。私は、もう二度とあなたの傍を離れたりなんてしません。だから、安心してください。
 そ・れ・に! 私にばっかりベッタリだとエルフちゃんに愛想を尽かされちゃいますよ? 私たちのこと大事にしてくれるんですよね? だったら、私ばっかり特別扱いはダメ、ですよ」

男「あ、はは。それも、そうだね。確かに、旧エルフを過保護に扱いすぎるってことはそれだけ特別扱いしてるって捉えられなくもないね」

旧エルフ「ふふっ、そうですよ。あっ、でもお買い物は一緒に行くって考えには賛成です。私、ずっと男さんと一緒に買い物したかったんです」

男「それくらいならいつだって。お安い御用だよ、旧エルフ」

旧エルフ「それじゃあ、今すぐにでも?」

男「そ、それはちょっと……。まだ仕事が……」

旧エルフ「わかってますよ。それじゃあ、今日は私のお部屋の整理をしますね。一応寝床は作れましたけど、まだまだ片付いていないので」

男「うん。それじゃあ、僕は作業に入るよ」

旧エルフ「はい、それじゃあまた後で。頑張ってください、男さん」

 そうして三人はそれぞれの己のやるべきことを開始するのだった。

――エルフの場合――

エルフ「おじいさ~ん。今日も来ましたよ!」

老紳士「おや、エルフさん。おはようございます」

エルフ「今日は何を手伝えばいいですか? 私、何でもしますよ!」

老紳士「ふふ。相変わらず元気で何よりです。けれど、最初からそんなに元気が良すぎると後になって疲れてしまいますよ?」

エルフ「そ、そうですね。もうちょっと落ち着きます……」

老紳士「少し前まで元気がなかったのですが、これだけ元気が出たのはやっぱり男さんが帰ってきたからですか?」

エルフ「えっ!? いや、その……違いますよぉ」

老紳士「ふむ……そのように緩みきった顔で言われても何も説得力はありませんよ?」

エルフ「も、もおっ! やめてください、おじいさん! 恥ずかしいです」

老紳士「若者をからかうのも年配の楽しみの一つですから。諦めてください」

エルフ「むぅぅ……」

 男のいない間にすっかり仲良くなったエルフと老紳士の二人。そんな二人の元に今日一人目のお客がやってくる。

エルフ「あっ! いらっしゃいませ!」

 ふらりとこの店に立ち寄ったお客なのか、中にエルフがいるとは思わず僅かに驚いていたが、彼女がこの町に馴染み始めているエルフだと気がつくと苦笑いを浮かべながらも、「どうも」と返事をした。
 そんななんでもないやりとりにエルフは嬉しそうに微笑む。そして、今日もまた一人、彼女は出会った人間の心を動かしていくのだった。

――旧エルフの場合――

旧エルフ「さて、今日も片付け開始です」

 数日前から男の隣にある空き部屋を掃除し始め、自分の部屋を作り始めた旧エルフ。元々、男が彼に寄せられる依頼の報酬や自室に入りきらなくなった書物を保管する場所という体で使用されていた空き部屋であったが、その実態は入りきらなくなった物を無理やり押し込めた雑貨置き場であった。
 一番最初に旧エルフがこの部屋の扉を開いた先に広がっていたのはまさに魔界。ありとあらゆる雑貨が乱雑に転がっており、部屋の至るところには蜘蛛の巣やホコリがまみれていた。
 それを見るとすぐさま、隣の部屋で作業をしている男を呼び寄せ、なぜこんなになるまで放置していたのかを問い詰めたが、返ってきた言葉は、

男『い、いつの間にこんなことに……』

 というものだった。本人は半ば無意識で邪魔になった荷物を放り込んでいたらしい。ということで、気がつかないうちに少しずつ、少しずつ元々あった荷物に加えて新たに荷物が加わっていき掃除もせず放置された結果このような世界が生まれたということだ。
 旧エルフはもっと整理整頓し、常日頃綺麗にするよう心がけるようにと男をちょっぴり叱ったあと、少しずつ部屋の荷物で必要なものとそうでないものを整理し始めた。
 用途の不明なモノや見るからに不必要な書物を捨てようと家の外に運んでひとまず隔離していた旧エルフだったが、仕事に戻っていた男が小休憩と旧エルフの様子を見に来た際にそれを見て慌てて家の中へとそれらを仕舞いこんだ。
 本人曰く、これらは今は使わなくてもいずれ使うことになる必要なモノだそうだった。
 旧エルフは今使わないのなら置く場所もないし、なにより自分の寝床が作れないという名目の最終兵器を持ち出して男を説得し、そのほとんどを捨てようとした。
 男は若干涙目になりそれらの物品を手放すことを悲しんでいたが、そんな彼らの元に老紳士の元から返ってきたエルフが家の外に放置された品々を見て、事情を尋ねるともしかしたら老紳士の店でこれらの商品をおけるかもしれないと提案したのだ。
 結局、男の家に置かれていた物品の大半は老紳士の店に引き取られ、譲り渡した物品の売上の二割をもらうことでどうにか男も納得するのであった。
 この出来事に関してはエルフも旧エルフも顔を見合わせ、「男の人の収集癖ってよくわからない」と呆れたように呟く二人。
 そうこうしているうちに少しずつ部屋の掃除を行い、着々と空き部屋は綺麗になっていった。そして、新しいベッドを買い出しに男が出かけ、業者を通じてそれを二階へと運んでもらい、ひとまず寝床が完成する。
 しかし、これだけでは部屋が物寂しいと思った旧エルフは部屋の中に彩りを付けるために花を持ち込むことにした。家の外に置かれた幾つかの陶器に植えられた花を運んで行き、陽の当たる窓際に配置する。
 その後、男の部屋へと赴き彼に小さな本棚と幾つかの蔵書をもらえないかと頼み込んだ。

旧エルフ「男さん、いくつか本を頂いてもよろしいですか?」

男「ん? いいよ。今特に必要としていないものだったら適当に持っていって。必要になる時があればまた取りに行くから」

旧エルフ「ありがとうございます。それと、一つ本棚ももらいたいんですけれど……」

男「そうだな~。ん~、これなんてどうだい?」

 そう言って男が指差したのは部屋の角に置かれた小さな本棚。入っても数十冊程度のそれを旧エルフに男は勧めた。

旧エルフ「あ、これで充分です。どうもありがとうございます男さん」

男「よければ僕が運ぶよ?」

旧エルフ「本当ですか? それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらいますね」

 現在行っている仕事である魔術書の翻訳作業の手を止め、エルフの部屋へと本棚を運び始める男。

男「よい、しょっと」

 中に入っていた本を一度全て取り出し本棚を持ち上げる男。それほど重いわけではないが、元々力のある方ではない彼にとっては中身のない本棚でも少々運ぶのはキツイ。しかし、旧エルフの手前そんな素振りを見せるのも癪なのか震える手で必死に本棚を抱きかかえ、笑顔を見せたまま運んでいく。
 そうして、短い距離とはいえ重い荷物を運びうっすらと首元に汗を滲ませた男は涼しい顔を張り付かせて再び部屋へと戻ろうとした。

男「他に運ぶものはないよね? それじゃあ、僕は作業に戻るから」

旧エルフ「あっ! 男さん、ちょっと待ってください」

 部屋を出ていこうとする男を咄嗟に旧エルフが引き止めた。何だろうかと男が思っていると、そんな彼の頬にひんやりと冷たく柔らかな感触が伝わった。

旧エルフ「えへへっ。頑張ってくれて、ありがとうございます。今のは、そのお礼です」

 突然のことに理解するまで数秒。理解できると同時に顔に熱が集まり、照れくささが一気に増した。

男「いや……当たり前のことをしただけだから」

 和やかな空気が自然と流れてゆく。しばらくの間互いに黙り込み、チラチラと相手の顔を伺っていた二人。

旧エルフ「ふふっ」

男「あははっ」

 どちらともなく笑い合い、二人はそれぞれの作業を再び開始した。男は仕事を再開し、旧エルフは掃除をまた始めた。
 失った時間を取り戻そうと焦ることもなく、ゆっくりと穏やかな日常へと浸っていく。これが二人の今のありようなのだろう。

エルフ「ただいま帰りました~」

 その後、エルフが元気な声で帰宅を知らせると二人はそれぞれ作業を止めて彼女の元へと向かうのだった。

――男の場合――

 エルフが老紳士の元から帰宅し、旧エルフの掃除も一息つき三人で夕食を取った。食卓には柔らかな雰囲気が流れ、楽しい食事の時間はあっという間に過ぎていく。
 以前に比べると少しずつ旧エルフに対する警戒も解けはじめ、自分の居場所が彼女によって奪われるという焦燥感はエルフの中から少しずつ消え始めていた。
 むしろ、旧エルフが来たことでこれまでのエルフと男の関係が変化したと言える。女魔法使いがいた時とはまた違う同種族がもう一人いるという事実。
 まるで、自分に姉がいたらこのような人だろうかという考えをエルフに抱かせ、男にとっては大切で、自分にとっては話だけ聞いていた空想上の存在は少しずつ、少しずつ実を持ち始めエルフの中で〝家族〟として認識されつつあった。
 それは旧エルフにとっても同じなのか、元々面倒見の良い性格の彼女は自分よりも僅かに幼いエルフの世話を焼こうと無意識のうちに思っており、知らず知らずのうちに手を貸しているのであった。

旧エルフ「エルフちゃん、口元汚れていますよ?」

エルフ「えっ? 本当ですか。どこでしょうか?」

旧エルフ「私が拭いてあげます。ほら、ジッとして」

エルフ「んっ。ん~」

 その証拠に今この時も旧エルフはエルフの口元に付いたソースをそっと拭き取り、エルフもまたそれを素直に受け入れていた。
 その光景を見ていた男はクスリと微笑み、二人の仲がちょっぴり進んだことを喜ばしく思うのだった。
 食後、片付けのため食器を洗おうとする男だったが旧エルフとエルフの二人によって断られてしまい、やることもなく手持ち無沙汰な状態になった。仕方なく、仲良さげに食器を洗っていく二人の背中をソファに座りチラリと横目で男は眺めるのであった。

エルフ「ふんふんふ~ん」

旧エルフ「ご機嫌ですね、エルフちゃん。何かいいことでもあったんですか?」

エルフ「えへへ~。実はですね、最近お店に来てくるお客さんが普通に喋ってくれるようになったんですよ~」

旧エルフ「へえ~そうなんですか。私が以前ここにいた時からは考えられないですね……。
 もしかして、変な要求とかされていません? 駄目ですよ、知らない人に付いていったりしちゃ。エルフちゃんまだ小さいですし何されるかわからないですよ?」

エルフ「むっ、子供扱いはやめてください。これでもそれなりに知識はありますから!
 そ、それに私男さんとキスだってしたんですよ!」

 キス。その単語を聞いて、忘れていたあることを思い出したのか、旧エルフが「あっ!」と声を上げた。

旧エルフ「そ、そうです。忘れていました! 男さん、キスですよ、キス!」

男「へっ?」

旧エルフ「もうっ! 忘れちゃったんですか? ほら、私が目を覚ましてすぐに約束したじゃないですかッ!」

男「あっ……」

 そう言われて男は以前旧エルフから己を受け入れた証にキスをせがまれていたことを思い出した。

男「ああ、うん。もちろん、覚えてたよ?」

旧エルフ「本当ですか~。絶対に、今私が思い出さなかった忘れてましたよね?」

男「……そんなことないよ?」

 ジトッとした目つきで男を睨む旧エルフ。すっかりと約束を忘れていた男は罪悪感から彼女の視線に合わせないように顔を逸した。

旧エルフ「お~と~こ~さ~ん」

男「……ごめん、実を言うと忘れてた」

 旧エルフは顔を逸したままの男を睨み続け、とうとう彼が約束を忘れていたことを白状させた。

エルフ「えっ、と。それどういうことですか?」

 一方、二人の約束について知らないエルフはキョトンしながらも、話の内容を聞き漏らさないように耳を澄ませていた。

旧エルフ「えっとね、男さん私を生き返らせてくれた後に私の想いを受け入れてくれたんだけれど、キスをせがんだらしてくれなかったの。
 まあ、その理由はエルフちゃんがいたからなんだけど……」

 今になって先ほど頬にキスをした時にそれを唇にするべきだったと後悔する旧エルフであった。

エルフ「……あれ? もしかして、旧エルフさんって男さんとちゃんとキスしたことないんですか?」

 彼女の生前の日記を読んでいたエルフはふと旧エルフがきちんとした形で男とそのような行為に及んだことがないということを理解した。
 エルフの真実を突くその問いかけに旧エルフは「うっ……」と呻き声を漏らし、ピクピクと顔を引きつらせていた。
 そんな彼女を見たエルフはニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべる。

エルフ「ふふ~ん。なるほど、なるほど。そうだったんですか~。旧エルフさん、男さんにキスしてもらったことないんですね~。
 あ、ごめんなさい。私はしてもらっちゃいましたよ~」

旧エルフ「ぐ、ぬぬぬ……。エルフちゃん、最近大人しくしていたと思ったのに。私たち仲良くなれたんじゃないんですか!?」

エルフ「それとこれとは別ですよ~だ。確かにここしばらくで旧エルフさんがいい人だっていうことは改めて認識できましたが、男さんの一番は私なんです。
 いくら旧エルフさんでもこればっかりは譲りません!」

 挑発するエルフにこれまで大人な対応をとってきた旧エルフだったが、自分がまだできていないことを年下のエルフがしてしまっているということが悔しかったのか、ついムキになって反論した。

旧エルフ「い、言わせておけば~。いいですか、エルフちゃん! 私が、最初に、男さんのエルフになったんです! 言うなれば私は男さんの初めての女なんです!」

男「いや……それは違うんだけど」

旧エルフ「えっ?」

エルフ「えっ?」

男「あっ、いや、なんでもないです。すいません」

旧エルフ「……コホンッ。今何やら、聞いてはならない事実が聞こえてきましたが、それはひとまず置いておいて。
 つまりですね、最初の相手というのは忘れようとしても忘れられないわけでして、その証拠に男さんは私が一度いなくなったあともこうしてずっと想ってくださりました。そして、また私に男さんの傍にいる資格を与えてくれたんです。
 つ、ま、り。私こそが男さんにとって一番だということがこの時点で証明されています!」

 自信満々にそう語る旧エルフに今度はエルフが対抗する。

エルフ「いいえ、それは違いますよ旧エルフさん。確かに男さんは旧エルフさんのことを忘れていなかったかもしれません。ですが、それは旧エルフさんへの負い目からです! 
 こう言ってはなんですが、旧エルフさんの死を乗り越えて私と男さんは結ばれたんです。キスだって男さんから私はしてもらいました! つまりですね、私こそが男さんにとって一番だということが証明されてます。
 旧エルフさんは所詮過去の女です!」

旧エルフ「むむむ、言ったなぁ~。この貧乳ちびっ子! 子供体型! 私がエルフちゃんくらいの年にはもっと胸大きかったよ!」

エルフ「胸は大きければいいってものでもありません! それに私はまだ成長途中です! すぐに旧エルフさんに追いつきます。
 それに、いくら体型を馬鹿にされようと私が男さんとキスをしたって事実は変わりません。ということは、旧エルフさんはこんな貧乳で、ちびっ子で、子供体型な女に負けてるんですよ!」

旧エルフ「む、む~ッ! もう我慢の限界です。男さん! キスです! キスしてください!
 ……ってあれ? 男さんは?」

 二人共言い争いがヒートアップしていて気がつかなかったが、いつの間にか男の姿がこの場から消えていた。慌てて視線を周囲に巡らすと、不意にギィッという男が階段方向から聞こえてきた。

旧エルフ「あっ! 男さん。逃げないでください。エルフちゃんの前で私と男さんのキスを見せつけてあげましょうよ」

エルフ「男さん、駄目ですからね。男さんとキスするのは私なんですから!」

 すぐさま、二階へと上がっていった男の後を追う二人。だが、彼らが階段を上り切る頃には男はそそくさと自室へと逃げ去っていたのだった。

旧エルフ「おとこさ~ん」

 そうしてその場には恨めしげに彼の名前を呼ぶ旧エルフと、

エルフ「ふふんっ。やっぱり私が一番です」

 未だに己の優位性が崩れないことに安心したエルフの二人の姿であった。

……



 夜のキス騒動から数時間。夜明け前のまだ人々が寝静まっている時間。そんな中、足音を殺し、ゆっくり、ゆっくりと部屋の扉を開ける一人の女性がいた。

旧エルフ「……」

 コソコソと一歩一歩ゆっくりと自室から男の部屋へと向かっていく旧エルフ。エルフに言われたことがやっぱり悔しかった彼女は結局あの後一睡もできずこうして朝を迎えようとしていた。
 男の部屋の前に立った彼女はコン、コンと控えめに男の部屋の扉をノックした。当然だが返事はない。男はまだ眠っているのだろう。
 それを確認した旧エルフはそっとドアノブに手をかけ捻った。キィッと木具が軋む音が周りに響いたが鍵はかかっておらず、静かに扉が開いていく。

旧エルフ「……」

 そうして男の部屋へと侵入した旧エルフは焦らず急いで扉を閉めた。扉を閉めて一息吐くと、彼女はベッドで未だ眠りについている男の元へと近づいていく。

旧エルフ「男さんの……せいですよ」

 己の内側から湧き上がってくる強い衝動を抑えるように服の裾をギュッと噛み締め、今すぐにでも彼に襲いかかろうとする本能を制する。

旧エルフ「ふぅっ……ふぅ……んっ……んんっ」

 乱れる呼吸を必死に抑え、安らかな表情を浮かべる男の顔に手を当てる。

旧エルフ「ごめんなさい、男さん。やっぱり私全然変わっていません。男さんに日記を見られて、私がどんなにいやらしいエルフか知られてしまったのに、それなのに同じことを繰り返そうとしています。
 ホントは、ただ嫉妬してるだけなんです。エルフちゃんにはキスして、私にはまだしてくれないことに……」

 徐々に近づいていく旧エルフと男の距離。とうとう唇が重なりあうかと思ったその時、タイミング悪く男が寝返りをうって、旧エルフから離れる。

旧エルフ「……もう! 大人しくしてください。も、もう一度……」

反対側を向いてしまった男の唇を狙い、旧エルフもまた対面へと移動する。そうして、再び己の唇を男の唇に近づけるのだった。

旧エルフ「……そ~っ」

 そうして、とうとう二人のそれが重なり合った。旧エルフにとって久方ぶりの男とのキス。頬ではなく、彼女が望んだ口と口での行為。
 もちろん、本人の了承は得られていないが、むしろ彼に内緒で行為に及んでいるという背徳感と罪悪感が彼女の中で奇妙な感情を産み出し、より興奮させる追加要素になっているのだった。
 一心不乱に男の唇を貪る旧エルフ。いつの間にか彼女の手は男の手に重ね合わせられ握り締められていた。しかし、彼女は気づいていなかった行為に夢中になりすぎて息苦しさから男が目を覚ましているという事実に。

男「こらっ!」

 ペシッと小さく肌を叩く音が聞こえた。目を覚ました男が身体を起こし、旧エルフの頭を叩いたのだ。

旧エルフ「痛っ! お、男さん!? いつから……」

男「今だよ、もう……。全く、何やってるのかと思えば人の寝込みを襲うなんて」

旧エルフ「……すみません」

 男に怒られ、ションボリと肩を落とす旧エルフ。そんな彼女を見て男は溜め息を吐きだした。

男「あのさ、旧エルフ僕この間言ったよね? その……君がこんな風にならないように気をつけるってさ」

旧エルフ「えっ?」

男「いや、だから……。確かに夜の一件については僕が悪かったよ。君とした約束を忘れてて。
 けど、エルフのいるあの場で君にキスするのはどうにも居心地が悪いというか胃が痛くなるというか……。
 その、わかるだろ? 僕は二人共が甲乙つけがたいくらい大事でも二人は僕の一番だと思ってくれてるんだから行為に及んでいない方の嫉妬が……」

旧エルフ「そんなことは百も承知です。女性二人を同時に愛するんですから、その程度受け入れてください!」

男「……む。まあ、それはその通りだけど。ただ、言い訳させてもらうなら僕としては旧エルフとの最初のキスは二人っきりでしたかったんだ。
 ほら、あの時はまだ僕ら二人だけだっただろ?」

 言われて旧エルフは思い出す。確かに昔はこの家にはエルフもおらず、ほとんど人が訪れるなんてこともなかった。ほとんど男と旧エルフの二人だけの世界だったのだ。

旧エルフ「そうでしたね」

 そんな過去を思い出してしんみりとする旧エルフ。そんな彼女に男は告げる。

男「あの時の続きってわけじゃないけれど、僕としては旧エルフと二人の時に改めて想いを伝えて行為に及びたかったんだ。
 まあ、僕としてはここまで旧エルフがキスしたいと思ってくれてたのが唯一予想外だったけど」

旧エルフ「うっ……すみません」

男「ま、まあ。ひとまず今のもカウントに含めないで、今から行うのが最初ってことにしておこうか」

旧エルフ「は、はい。そうですね」

 互いに心を落ち着けるため深く息を吸っては吐いた。そして、意を決した男が膝を追ってその場に座る旧エルフに告白する。

男「旧エルフ。僕は、君が好きだ。ずっと、ずっと、好きだった。これからもずっと、僕の傍にいて欲しい」

 遺跡の時の再現。男に告白された旧エルフは心の底から嬉しそうに笑顔を見せて、彼に返事をする。

旧エルフ「私も、男さんのことが大好きです。あなたが傍にいてくれと望んでくれる限り、私はずっと隣で寄り添います」

 互いの想いを改めて確かめ合い、今度こそ二人は己の意思で顔を近づける。
 この時ついに、長い時を経て二人の想いを込め合ったキスは交わされるのだった。

旧エルフ「ふふふっ」

男「あははっ」

旧エルフ「想いのこもったキスって、こんなにも心地いいものなんですね……」

男「うん、ホントに。僕もそう思うよ」

旧エルフ「ねえ、男さん?」

男「ん?」

旧エルフ「今日、このまま一緒に寝ちゃダメですか?」

男「え、え~っと、それは……」

旧エルフ「ダメ、ですか?」

 上目遣いに懇願する旧エルフに男の理性はあっけなく崩れ去り、

男「い、いい……よ」

 キスを交わした二人はそのまま仲良く一緒のベッドで眠りにつくのだった。

……



エルフ「男さん、男さん! 起きてください! 大変です!」

男「うっ、うぅん? なに、エルフ?」

エルフ「いえ、あの、そのですね、なんといったらいいんでしょう。とにかく起きてください!」

 眠りについていたところを強制的に起こされた男は半覚醒状態のままエルフに毛布を剥ぎ取られた。当然、そこには明け方一緒に眠りについた旧エルフの姿が有り……。

旧エルフ「むにゃ……男さん~……えへへ~」

エルフ「……男さん、これはいったいどういうことですか?」

 男の身体を抱きしめながら未だ眠りについている旧エルフの姿を見つけ、エルフは頬を思いっきり膨らませて涙目で男を睨みつけた。

男「うん、これはだね……」

エルフ「いっつも私には入ってくるなっていうくせに……。ええい、文句は後にします。それよりも、玄関にお客さんです! 物騒なお客さんです!」

男「物騒な? それ、どういうこと?」

エルフ「わかりません、私が出たら乱暴な口調で男さんを出せって言われました!」

 エルフから話を聞いた男はすぐさま思考を完全に覚醒させて、ベッドから飛び起きた。

旧エルフ「ひゃっ! な、なんです?」

 当然、彼にしがみついていた旧エルフは無理やり彼の身体から引き剥がされて、その際の衝撃で目を覚ました。

エルフ「旧エルフさん、この状況がどういうことか後でたっぷりと説明してもらいますからね!」

旧エルフ「え、エルフちゃん……。あははっ、あははは……」

 蛇に睨まれた蛙のように縮こまる旧エルフとジト目で彼女を睨みつけるエルフの二人を部屋に残すと、男は自室を出てすぐさま玄関へと向かった。
 そして、扉を開いた先で彼を迎えたのはかつて彼が所属していたある軍の兵隊たちだった。

中央兵A「私は〝軍〟の兵士です。男さん、あなたに中央軍への召喚要請が出されています。先に行っておきますが拒否という選択肢は存在しません。
 なぜなら……」

 そうして、目の前の兵士は男たちの日常を終わらせる言葉を告げる。

中央兵A「あなたには、戦時中における軍からの逃亡罪が掛けられているからです」

 平和な日常はここに終わり、新たな戦いが今始まろうとしているのだった。


 荷台を取り付けた馬車が平野を駆ける。ガタン、ゴトン。ガタン、ゴトンと小石を弾き、車輪を回す。
 そんな馬車の荷台の中、数名の兵士により監視される一人の男がいた。
 手足には拘束具。左右を屈強な肉体を持つ兵士に挟まれその行動の一挙一動を見張られている。彼ら兵士の今回の任務は一人の罪人を捕らえて〝軍〟の中央本部に移送することだった。
 その罪人の名は『男』。かつて、人とエルフの間で起こった戦争を終結させる要因の一つになった西方での戦いの立役者と言える、とある分隊に所属していた隊長。
 馬車に乗る兵の中にその戦いに実際に参加していたものは存在しないが、彼ら自身その噂については軍に所属する者として誰もが一度は聞いたことがあるものだった。
 一分隊で中隊にも匹敵する敵を撃退した伝説的存在。女騎士、女魔法使い、騎士、そして男。男を除いた他の三人、特に女騎士と女魔法使いとは共に任務に赴いたことがあるものもこの兵士たちの中には少なからずいる。
 最初はその噂について彼らもある程度脚色を加えられ、誇張されたものだと思っていた者も多かった。だが、実際に任務に同行し、彼らの実力を目の当たりにした結果、噂が真実だとすぐに悟ることになった。
 兵士たちにとって、かの分隊に所属していた四人は尊敬するに値する人物であり、その命を安心して預けることができる相手だと誰もが感じた。
 だからこそ、そんなメンバーを率いていた『男』について既に軍を去ったと聞いていた彼らは今回の任務を聞くまでは敬意を払うべき同胞だと思っていたのだ。
 だが、今。彼らにとって目の前にいる青年は今や得体のしれない存在でしかなくなってしまっていた。
 任務の際に渡された書類に書かれていた逃亡罪という罪状。これはすなわち戦場から彼が逃げ出したことを意味した。分隊を尊敬していた者にとっては裏切り同然の行為であり、許しがたいことであった。
 しかも、それだけならともかくあろうことか彼は、かつて敵であったエルフと生活を共にしていたのだ。それも、奴隷として扱うのではなく、まるで家族のように……。
 全くもって、理解ができない彼の考えに兵士たちは大いに動揺した。そして、彼を中央に移送するため、家から連れ出そうとした際のやり取りを思いだし、彼に罪状を言い渡した中央兵Aは思わず身震いした。

中央兵A(……やはり、あの分隊を率いていた隊長なだけはある)

 今は枷を付けられた男の手先をジッと見つめ、中央兵Aはそう思った。

……



男「逃亡罪? ちょっと待ってくれ、一体それはどういう事なんだ?」

中央兵A「言ったとおりの意味です。あなたは戦争終結直前、軍から逃亡して姿を眩ませた。私が渡された報告書にはそう記載されていました」

男「なんだって? 確かに、僕は勝手に軍を抜け処罰を受けても仕方がない状況だった。けれど、それは騎士が軍上層部に掛け合って西方での戦いの功績に免じて特赦を受けたはずだ」

中央兵A「そう申されても現に我々がこうしてあなたを中央へと移送するために派遣されているというのが事実です。それに、あなたが言うその特赦が真実であるかどうかの確認は我々には取れません。
 もしそれが真実であるのなら、それを証明するためにも我々に同行していただきたい」

男「……断る、と言ったら?」

中央兵A「その時は力づくであなたを中央まで連行させていただきます」

 睨み合う二人。中央兵Aの背後に控える他の兵士たちの間にも緊張した空気が漂う。
 そんな彼らの元に二階へと上がっていたエルフたちが戻ってきた。

エルフ「お、男さん!? ちょっと、やめてください! 何をしているんですか!」

 旧エルフを連れて現れたエルフの姿を見た中央兵Aは背後にいた他の兵士たちに合図を飛ばす。
 それを受けた兵士たちは男を押しのけ、室内へと侵入した。

男「おい、何をする気だ!」

 兵士たちはすぐさまエルフと旧エルフを取り囲み、力づくで身動きを取れないようにした。

中央兵B「エルフめ。この下等種が! なぜ、貴様らのような存在が未だのうのうと生き続けているのだ」

中央兵C「任務でさえなかったら貴様らなど……」

エルフ「痛い! 男さん、助けて!」

旧エルフ「やめてください! 手を離してください!」

男「やめろ! 彼女たちに手を上げるな!」

中央兵A「言い忘れていましたが、あなた以外にもそこのエルフたちも捕獲し、中央へと移送するよう任務が言い渡されています。大人しくしておいた方があなたも、エルフたちも無事に済むと思いますが?」

男「お前たち……」

 その言葉を聞いた瞬間、普段温厚な男の瞳が暗い光を宿し、鬼気迫る殺気を全身から放った。その殺気に当てられたのか、それまで様子見だった兵士たちが一斉に臨戦態勢を取った。

男「いいか、彼女たちは僕にとって何よりもかけがえのない存在だ。そんな彼女たちに危害を加えようとするのなら、僕は全力をもってお前たちを潰すぞ」

 ドスの聞いた低い声で兵士たちを脅す男。いつの間にか彼の指はいくつもの軌跡を描いて魔法紋を描いており、それが単に口だけの脅しでないことを証明していた。
 あまりにも普段の彼からかけ離れた姿を目にしエルフも旧エルフも思わず言葉を失う。そして、そんな彼と対峙する兵士たちは我慢こそすれ、恐怖から身震いしていた。
 多対一。冷静に考えれば状況は自分たちの方が有利であることは明白であるにも関わらず、彼らはたった一人の青年の発する空気に呑まれていた。

中央兵A「そ、そう思うのなら自身の身の潔白を証明していただくためにも中央へと来ていただきたい。
 もちろん、その間あなたの身は拘束させていただきますが……。
 ただ、あなたが大人しくするというのであればエルフたちには危害を加えないと約束しましょう」

男「……本当だな?」

中央兵A「ええ、我々としてもあなたと事を構えて無事で済むとは思わないので」

 しばしの沈黙が両者の間に流れる。そして、彼が下した決断は……。

男「わかった。ただし、絶対に彼女たちには危害を加えるな。もしその約束を違えた時は……」

 冷たい眼差しで兵士たちを睨みつけ、男は最後にこう告げた。

男「……その身を持ってこの世に生まれてきたことを後悔させてやる」


 こうして、男は身柄を確保され中央へと移送されることとなったのだった。

……



長い時間をかけ、幾つもの町を渡り歩いてきた馬車もついに終着点へと辿り着く。大陸中央に存在する巨大都市。多数の人々が行き交い活気に満ち溢れるこの街を軍の紋章が入った荷馬車が通っていく。
 ある者はその光景に目を向け、ある者はいつものように商売に勤しむために声を張り上げる。人々の表情には浮かぶのは笑顔ばかり。
 だが、荷馬車に備え付けられた小さな窓。そこから見える光景は、何も明るいものばかりではない。
 そう……人以外の種族にとっては。
 店先の店員、料理を運ぶ給仕には人以外にも特徴的な長い耳を持ち、整った容姿を備えたエルフの姿も見られる。
 だが、笑顔を浮かべ楽しそうに過ごしている人々とは対照的に、彼らの表情は陰っており、視線は下を向いていた。粗相をすれば乱暴を働かれ、嫌な顔をすれば更に追い打ちがかけられる。
 戦争に負け、行き場を失くした彼らに待っている現実はこのような扱いであった。僅かな食事や寝床を確保できているだけ彼らにとってこの状況はまだマシな方なのであろう。
 そんな同胞たちの姿をチラリと目にし、エルフは思わず視線を逸らし、旧エルフは言葉を失った。彼女たちはここに来てようやく、いかに自分たちが恵まれた環境で過ごしてきたのかを実感したのだ。
 荷台の中は奇妙な沈黙に包まれ、どんどんと先へ進んでいく。そうして、中央都市に到着し、しばらくの後。彼らはようやく目的地である軍本部へと辿りついたのであった。

中央兵A「どうやら、着いたようですね。男さん、あなたにはこのまま私たちに付いてきていただきます。
 そちらのエルフたちはまた別の場所に移動することになりますが……」

 到着と同時に中央兵Aが呟いた一言に思わずエルフが叫んだ。

エルフ「ちょ、ちょっと待ってください! 私たちも男さんと一緒に付いていきます!」

中央兵A「残念ながらそれはできません。我々はあくまでも男さんとの交渉によってあなたたちに危害を加えないことを約束しましたが、この軍に所属する他の兵士たちもがそうとは限りません。
 中にはエルフたちによって己の大切な存在を奪われたものも数多く存在します。
 いいですか? あなたがたはもう少し自分たちがどのような存在なのか自覚をしたほうがいい。
 男さんがどのようにあなたたちに接してきたかは知りませんが、あなたたちエルフは所詮戦争に負け、人間の下に属する下等種族です。人に逆らうことも許されないし、最悪命を奪われてもこの街に住む人間ならそれを悪いことだと批判するような人も少ない。
 恨むのなら、戦争を起こして私たち人を殺してきた自分たちの同胞を恨むのですね」

 感情の篭らない冷たい眼差しを彼女たちに向け、そう言い放つと中央兵Aは他の兵士たちに彼女たちを移動させるように指示した。

エルフ「嫌ッ! 男さん! 男さん!」

 両腕を兵士たちに捉えられたエルフはジタバタともがきながら男の名を呼んだ。対して、旧エルフは特に抵抗を見せず、静かに男と視線を合わせると、

旧エルフ「男さん……待ってます。あなたのことを信じています」

 と告げ、その場を去っていった。
 エルフたちがその場を後にするとそれまで静かに事の成り行きを見守っていた男は改めて中央兵Aに問い詰めた。

男「約束だぞ、彼女たちには絶対に危害を加えるなよ」

中央兵A「ええ、その点に関しては約束しましょう。ただし、貴方の身の潔白が証明されることが条件ですが……ね」

男「ふん。なら、さっさと僕を連れてくんだな。どうせすぐに真実は明らかになる」

中央兵A「そう願いますよ。我々もできることならあなたには尊敬すべき分隊を率いた隊長のままでいて欲しいですからね」

 そうして中央兵Aたちに男は連行されるのであった。


 男が軍へと到着し、エルフたちと別れさせられた頃、軍内部のとある一室では一人の少女が眉を釣り上げ、とある青年に対し怒りを顕にしていた。

女魔法使い「一体どういうことですか! どうして先生が捕らえられなければいけないんですか!」

 室内に備え付けられた椅子に腰掛ける青年、騎士は耳元で叫ぶ女魔法使いの叫びを必死に防ごうと両手で耳を抑えていた。

騎士「だ、か、ら! 何度も言ってるだろうが! 軍上層部から男を捕縛するよう指令が下ったんだよ!」

女魔法使い「だから、どうしてそんなことになってるのかって私は言っているんです! そもそも、先生の件は戦時中の功績に免じて特赦が下りたはずだったじゃないですか。なのになんで今更こんな無理矢理連れ去ってくるなんて状況になっているんですか!」

騎士「いや……それは……」

 女魔法使いの言及に言い淀む騎士。そんな二人のやり取りを傍で見守っていたもう一人の女性もさすがにそのことが気になったのか、それまで閉ざしていた口を開いた。

女騎士「確かにそうだ。男の件は騎士がどうにか掛け合って許しをもらっていたはずじゃないの? なのに今更こんな急にあいつを呼び寄せるなんておかしいんじゃない?」

騎士「だから……その……な?」

女魔法使い「もしかして騎士さん……何か私たちに隠し事をしていません?」

 女魔法使いの鋭い一言にあからさまに動揺し、騎士は表情を崩した。

騎士「うっ……」

 そんな彼の様子に長年共に背を預けてきた二人が気づかないはずもなく……。

女魔法使い「いい加減に白状したほうが身のためですよ。私は先生のためなら軍の人たちを敵に回すのなんて全くためらいませんからね」

女騎士「女魔法使いの意見は少し過激だけれど、概ね私もその意見には賛成だ。男は私たちにとって大切な戦友だ。友を守るためならば私だってできるかぎるのことをするぞ」

 二人の強い意志を目の前にし、騎士は溜め息を一つ吐き、とうとう自ら折れることになるのだった。

騎士「わかったよ……。けど、これ聞いても怒らないでくれよ? 俺だってこんな状況になるってわかっていたらあんなことをしなかったんだから……」

女魔法使い「それは騎士さんの話を聞いてから決めます」

騎士「お手柔らかにな」

 そうして騎士は事のあらましを二人に説明しはじめた。
 発端はそもそも彼ら三人が以前西に派遣された調査隊がいつまで経っても帰還せず、独自に調査を始めた際に遭遇した出来事にまで遡る。
 たくさんの死体で埋め尽くされたある場所で、唯一の生存者である一人の少女を連れて、中央としに帰還した彼らはそのことを軍上層部に報告した。
 その時はまだ軍上層部も彼らの報告を受け、次の指示を待てという命令を出しただけだった。
 騎士もまた、悲惨な状況に悲しみを感じていたが、ただ一人の生存者である少女のことを気遣い、あわよくば何か情報を得られないだろうかということに集中していたため特に何も思うことはなかった。
 そこから騎士と少女の二人での生活が始まるのだが、この件には関係ないため割愛する。
 ちょうどその頃、中央都市では不思議な噂が民衆の間で広がっていた。
 それは、かつて人とエルフとの間で起こった戦で死した兵士たちが怨霊となり蘇り、夜な夜な村や町を襲い、民衆を皆殺しにしているというものだった。
 たまたま行きつけの店でその噂を聞いた騎士はまさかと話半分に聴きながらも、さして注意を払っていなかった。
 所詮噂は噂。噂が広がっていく過程で話が誇張されてこのようなことになってしまったのだろう。そう……思っていた。
 だが、少し前。久方ぶりに男から届いた手紙に心躍らせ、友の近況を確認しようと手紙の入った封を開き、そこに書かれた内容を見た騎士は言葉を失った。
 そこに書かれていたのは、かつて彼の隣に立っていた一人のエルフが蘇ったということ。そして、遥か昔に人とエルフが手を取り合い、ある敵と戦ったということ、そしてその敵が今再びこの世に蘇り人やエルフに危害を加えようと動き出しているというものだった。
 最初にこれを見た騎士はこの手紙に書かれていた内容に半信半疑だった。それもそのはず。死した者が蘇るなど聞いたことがない。そのようなことがあるのであれば、誰もがその奇跡を願い失った大切な者が再び蘇るように願うからだ。
 かつて己にとって大切なエルフを失い、荒れ果てた生活を送っていたばかりの頃の男がこのような手紙を送ってきたのであれば騎士は彼の心の状態を心配し、それでいてこの話を否定していただろう。
 だが、今の男はかつてと違い大切な存在が再び彼の横に立ち、心は穏やかそのもの。妄言じみた手紙を彼に送る理由などひとつもない。
 それとは別に、ここ最近地方各地で村や町が襲われているという噂は彼の耳に届いていた。今はまだ小さな村や町だけのため、軍に所属するひと握りの者の耳にしか入っていない情報だが、それを実行しているのが正体不明の敵であるということだけはわかっている。
 少し前までなら、この件を騎士はかつての戦争を逃れ、生き残ったエルフの残党が起こしているものだと思っていた。しかし、男の手紙を読んだ彼にはある推測が生まれつつあった。
 民衆の間に広まる噂。実際に行われている村の襲撃。男の手紙に書かれていた〝黄昏〟という敵の存在。
 馬鹿馬鹿しいと笑われるかもしれないが、これらの事象は全て同一だという考えが彼にはあった。
 そう考えた彼は妄想の類だと切り捨てられるのを承知で男の手紙と今回の件についての関連性を軍上層部に報告したのだった。
 実際、彼がこの報告をした際はほとんどのものが鼻で笑い、馬鹿馬鹿しいと切り捨てた。だが、その報告に対し興味を持った一人の男性がいた。

将軍「ふむ……。これは、面白い。よければ詳しく話を聞かせてもらえないだろうか?」

 話を終え、一人自室へと戻ろうとする騎士を引き止めた壮年の男性。それは軍に所属するものならば誰でも知っている最高地位を与えられた存在。かつてエルフと人との間に起こった戦争を集結させた真の立役者である将軍だった。

騎士「しょ、将軍! 将軍はこの話を信じていただけるのですか?」

 騎士にとって公の場以外では初になる英雄との会話に緊張しながらも、騎士は彼に自分の考える推測を隠すことなく全て話した。
 その過程で過去に彼が所属していた分隊を率いた男のことや、それまで彼が参加した戦闘や身の上話や世間話など英雄との会話に興奮した彼は本題と全く関係のない様々なことを語ったのだ。
 そして、将軍は騎士の話を一通り聴き終えたあと、何かを考える素振りを見せ、最後にただ一言「この件は私に任せなさい。いいかい、何があっても私を信じるように。他言は無用だ」とだけ告げて去っていったのだ。
 そうして、それから数日が経ったある日。騎士の元に一つの知らせが届いた。それが、過去に特赦を下されたはずの男に対する逃亡罪による捕縛。及び、裁判とのことだった。
 その報告に驚き、すぐさま先日の出来事を思い出した騎士は顔面を蒼白にしながらもすぐさま将軍の元へと向かい、謁見の場を立ててもらえるように懇願した。
 しかし、将軍の側近から告げられた回答はその件に関しては「貴公の関わる余地はなし」とのことだった。
 それから何度も何度も騎士は将軍の元へと足を運んだが、彼は一度として騎士と会うことなくこうして今日を迎えたというわけであった……。
 騎士の話を聞き終えた女騎士と女魔法使いはなんとも言えない表情で騎士を見ていた。騎士は騎士でよかれと思って行動した結果が裏目に出てしまい、こうして男の状況を悪くしてしまったことを後悔しているのか、居心地悪そうにしている。

女騎士「……つまり、男が今こうして連行されることになった原因は騎士にあるってこと?」

騎士「まあ、端的に言うとそうなっちまうな」

女魔法使い「なんというか……その。とりあえず騎士さん、一度ひっぱたかせてもらっていいですか?」

騎士「すまん……。それで気が済むのなら……」

 申し訳なさそうにそう呟く騎士だが、直後パンッ! と渇いた音が室内に響き渡った。

騎士「いっ……てええええええええええ! ちょ、待てよ。確かにいいとは言ったけど本気で叩く奴がいるか!」

女魔法使い「知りません。いいって言ったのは騎士さんですから」

騎士「それにしたって、本当にするとは思わねえだろ! ここは、ほら。俺の失態を認めつつ同情するとこじゃないの?」

女魔法使い「それで先生の状況が変わるのでしたらいくらでもしますよ。でも、そんなことをしても何も変わらないのは騎士さんが一番よくわかっているんじゃないですか?」

騎士「それはそうだけどよ……」

女魔法使い「ちなみに今の一発はそんなに大事な話をずっと私たちに黙っていたことと、先生をこんな状況に追い込んだ騎士さんに対する私の個人的な怒りです。
 上官に手を挙げたことで私も軍法会議にかけますか?」

騎士「しねえよ、バカ。そんなことしても何の得にもなりゃしねえ」

女魔法使い「騎士さんが仲間想いの上官で安心しました。では、これより先生の立場を改善する案をみんなで出し合いましょう」

騎士「……はっ?」

女魔法使い「……はっ? じゃありませんよ。騎士さん一人で行動した結果がこれだったんでしょう? でも、一人じゃダメでも二人、三人で考えて行動すれば少しは何かが変わるかもしれないじゃないですか?
 全く、一体何のための仲間なんですか。騎士さんにとって私たちはそんなに頼りにならない間柄だったんですか? そうだとしたら、心底ガッカリです」

騎士「女魔法使い……」

女騎士「ふふっ。一本取られたな、騎士。私も女魔法使いの意見に賛成だ。騎士一人でダメなら私たちもいくらでも手を貸すよ。
 大事な仲間のピンチなんだ。今まで散々男には世話になってきたんだし、こういった時にでも恩を返しておかないとね」

騎士「……ああっ! そうだな! よし、二人共俺に手を貸してくれ」

女騎士「了解」

女魔法使い「承知しました」

 こうして、かつての仲間の危機を救うため三人は事態の打開策を考え始めるのだった。


 一方、中央兵たちにより裁判にかけられるためエルフたちとは別の場所に移動させられている男はこの状況を移送中の荷馬車で考えていた推測を改めて整理していた。

男(そもそもなんだって急にこんなことになった。今まで何度も軍に復隊するように勧められはしていたけれどこんな強引なことは一度だってなかったはずだ。
 実際、逃亡の件も騎士が掛け合って特赦が下りた。となると、こうやって僕をここまで連れてきたのは何か他に理由があると考えたほうがいい)

 そうして思い出されるのは騎士に当てて出した一枚の手紙。軍部に対して未知の脅威が迫りつつあるということを警告すると同時に彼に自身の近況を書き綴ったもの。

男(原因はやっぱり……あれ、か? いや、でも軍部の人間があんな妄想紛いの内容を信じるとも思えない。でも、そうなるとエルフたちを連れてきたことにも説明がつかない)

 自宅から連行する際、中央兵Aがエルフたちも捕縛して自分と共に連行するように命令を受けていたということを口にしていたことを男は確かに聞いていた。つまり、彼女たちも少なからず今回の件に関わりがあるということだ。
 騎士、女騎士、女魔法使い。この三人以外に軍部の人間が会ったことのない、それもエルフを連れてくる理由など今の彼には他に思い浮かばなかった。

男(……発端は僕自身の手紙が切っ掛けかもしれない。けど、これは……)

 男の脳裏に思い返されるある女性が告げた台詞。それは、旧エルフを蘇らせた遺跡に存在していた残留思念とも呼べる存在。
 かつて、人と手を取り合い、〝救世主〟としてこの地に救いをもたらしたとされる一人のエルフの言葉。

褐色エルフ『無理だよ。避けることができないものだから運命と言われるんだから。どこへ逃げようと、隠れようとその運命が背負った者を追いかける』

 〝運命〟。
 
 その言葉が今になって重く男の肩に乗しかかった。旧エルフとの再会が嬉しくて、エルフと一緒に三人で生活を日常を過ごせていることが幸せで、その言葉を意識的に頭の中から除外していた。
 彼女の言葉が真実ならこれが運命なのだろう。本人の意思とは無関係に否応なしに戦いの場にその身を投じることになる。
 そして、それは〝救世主〟の支えになり人とエルフを繋ぐ役目を背負った〝導者〟として選ばれた己にも言えることだと男は考える。

男(どのみち事態は動き出した。もし、仮にここで僕の逃亡罪が再び許されたとしても、このまま何も起こらずにいる保証なんてない。
 旧エルフも、エルフも今回の件で巻き込んでしまった。
 なら、僕が今後取るべき行動は……)

 考えに耽っていたせいか、男は彼の前を歩く中央兵たちがいつの間にか足を止めていることに気がつかなかった。
 前を歩く兵士の背に顔をぶつけ、ようやくそのことに気がつき顔を上げると見上げた先に会ったことのない壮年の男性が立っていた。

中央兵A「あ、あなたは……」

将軍「うむ、任務ご苦労。彼が件の人物かな?」

中央兵A「は、はっ! そうであります。ただいま彼を牢へと移送中であります!」

将軍「ふむ、ふむ。なるほど……。任務に励んでいるようで何より。
 ……それで、だ。任務に忠実な君たちには非常に申し訳ないのだが今から彼の身柄を私に預けてもらえないだろうか?」

 男性の唐突な提案にその場にいた誰もが思わず言葉を失った。

中央兵A「……は?」

将軍「いや、なに。言ったままの意味だよ。今から先は彼の身柄は私が預かると言ったんだ。
 なに、君たちが心配するようなことは何もない。そもそも〝逃亡罪にかけられるような軟弱な兵士は我々の軍には今も昔も存在しなかった〟。
 ただそれだけのことだ」

 その言葉を聞き、彼が何を言いたいのかを中央兵Aはすぐさま理解した。だが、理解はできても納得できないこともあるのか、つい余計な言葉を呟いてしまう。

中央兵A「で、ですがこれは正規の依頼でして。いかに将軍といえど……」

将軍「ああ、その点なら問題ない。そもそも、この任務を言い渡したのはこの私だ。
 いいかい、君たちに課せられた任務はかつての戦争を終結させる要因ともなった分隊の隊長が今どうしているのか様子を見に行ったというだけのことだ。
 これは、今まで他の者が何度も行っている任務だから何も問題はない。あわよくば、また彼に復隊してもらいたかったが、今回もダメだったようだね。
 つまり、君たちは〝彼の様子を見てきたが本人はまだ軍に複隊できるような状況じゃなかったため、そのまま帰ってきた。以後も機を見て訪問を行う〟。
 ただ、それだけを上に報告すればいいんだ」

 有無を言わさぬ将軍の言葉に、疑問を感じつつもそれを口にすることは許されないということを今度こそ本当に理解した中央兵Aは、

中央兵A「わかり、ました。上にはそう報告させていただきます」

 それだけを告げ、男の身柄を彼に引き渡した。

将軍「よろしい。理解のある素直な同胞を持てて私は幸せだ」

 そうして男は将軍に連れられまた別の場所へと移動することになるのだった。


 自身を連行する兵士たちの元から引き離された男は将軍に連れられ、彼の部屋を訪れていた。

将軍「さて、枷をつけたままで申し訳ないが楽にしてくれたまえ」

 室内に設置された高級そうな椅子に座り、将軍は来客用の席に男を促した。ジャラジャラと鎖を引きづりながら男は未だ警戒心を心の奥に抱きながら椅子に腰掛けた。

男「まずは軍の最高地位に属する将軍にお会いできたことに対し光栄に思います。かつて一兵士として軍に所属していた者としては願ってもないことです。
 ……それで、話は変わりますが今回の件は一体どういうことなのか説明いただけるのでしょうか?」

将軍「ふふふ。そう身構えなくとも何かするつもりはない」

男「それは、私が将軍の意に沿うような説明を行えなかった場合でしょうか?」

 これまでの出来事、そして今回の事件に対し裏で手を引いていた将軍の行動から推測される答えを想像し、男はそう答えた。

将軍「これは驚いた。どうやら、思っている以上に君は頭が回るようだ。なら、余計な前置きは不要だ」

 そう言うと、将軍は室内に置かれた本棚から幾つか書類を抜き取り、男の前に置いた。

男「これは?」

将軍「まずは一通り目を通してみなさい」

 将軍にそう促され、言われるがまま男は置かれた書類に書かれた内容を読み進めていく。
 そこに書かれていたのはここ数ヶ月の間に謎の勢力により壊滅させられた村や、殺された人々について記載されていた。

将軍「一応最後まで読んだようだね。それで、それを見てなにか気がついたことはないかね?」

 表面上は穏やかな表情を見せる将軍。だが、男はそんな彼の瞳に宿る鋭さに気づいていた。
 彼は今、これを見せることにより男に何かを試していた。

男「……失礼ですが、ここに書かれている死者の人数は正確なもので?」

将軍「もちろんだとも」

男「そうですか。では、お聞きしますがこの死者数に対し埋葬にかかった日数があまりにも短いのですがそれは一体どういうことなのでしょうか?」

 そう呟いた男に将軍は満足そうに顎をさすりながら返事をした。

将軍「ふむ、なにかおかしな点でもあったかね? 確かに埋葬にかかった期間は短かったかもしれんが、それは現地に向かった兵士たちが死者たちを悼んで休まず埋葬を行っただけだと私は考えているが?」

男「……そうですか。
 では、もう一つ質問を。これほどの民が無残に殺されているのにも関わらず何故大っぴらに軍は動いていないのでしょう?
 既に死者が百を超え、いくつかの村が消されているにも関わらず……です。普通ならばこれはかつての戦争で生き残ったエルフの残党が起こしたと皆考え、兵士たちは躍起になってこの敵を探しているはずです。
 ですが、今彼らはとくに殺気立った様子もなく、かつて軍から逃亡した私などに構っています。
 おそらく、一般の兵士たちの多くはこの事実を知らず通常の任務を遂行している。なら、これはまだ大っぴらに公表できず、将軍のような高位の地位に属するものたちの間で情報が抑えられているということ」

将軍「つまり?」

男「これは私の推測に過ぎませんが、事態は私たちが思っている以上に深刻であるということ。一般の兵士や民衆の間にまだ情報が伝わっていないのは下手に危機感や恐怖を与えないためかと。
 いずれ手は打つにしろ現状の把握を行うことが現在最優先だと上層部は判断していると私は思っています」


 男の推測を聞き終えた将軍はしばし沈黙し、何かを見定めるようにジッと彼の瞳を見つめていた。そしてその後、不意に口元から笑いを零した。

将軍「ふっ……はっはっは! いや、実に面白い。書類や噂、それから騎士から君の話を聞いてはいたが、やはり本人に直接会ってその実力を確かめる方が手っ取り早かったようだ。
 それに、聞いていた部分と違う点も色々とわかった。悪かったね、拘束までしてここに連れてきたりして」

 そう言うと彼は男の腕に付けられた拘束具にそっと手を伸ばした。

男「えっ?」

 バキッという音が聞こえたかと思うと男の枷となっていた拘束具は一瞬にして跡形もなく粉々に砕け散っていた。
 何が起こったのかを理解する暇もなくさらにもう一度、今度は足に付けられていたそれが砕けて消えた。

将軍「さて、これで君を縛るものはなくなった。悪かったね」

 笑顔を男に向けたまま謝罪を口にする将軍。おそらく、彼にとっては今目の前で行われた現象は造作もないことなのだろう。
 戸惑いながらも、男はそれを表に出さないよう努めた。

男「い、いえ……」

将軍「さて、身一つでここに来た君は家に帰ろうにもその術がないだろう。しばらくの間はここでゆっくりとしていきなさい。
 なに、君の旧友もきっと君との再会を楽しみにしているだろう。その際にかかる経費は全て私が負担しよう。迷惑をかけたせめてもの謝礼だ」

 用は全て済んだと言わんばかりに男が部屋を出ていくのを待つ将軍。だが、男にとってはあと一つ。彼にとっては最も気にかかることがあった。

男「あの、申し訳ないのですが僕と一緒に連れてこられたエルフたちを返していただきたいのですが」

 男としては当然の質問をしたのだが、将軍の口から出た次の一言は彼にとって予想だにしないものだった。

将軍「ああ、エルフたちか。彼女たちにはまだ少し用があるからもう少しこちらで預からせてもらうよ。心配ない、用が済めば返してもいい。なんなら代わりのエルフをこちらで用意しよう。
 なに、心配はいらない。君はただ私の言うことを〝信じて〟待っていればそれでいい」

 その一言を口にした際の将軍のひどく冷たい眼差しに気圧され、男は何も言えずその場は引き下がることしかできなかったのだった。


 将軍の元から解放された男は彼の側近と思われる男性により軍の宿舎へと案内された。前の住人が去って間もないその部屋は物こそなくなれど、その住人が住んでいたなごりを僅かに感じさせる。

側近「では、こちらが当面の生活費になります」

 そうして渡される支給金。だが、それを男は受け取ろうとはしなかった。それを受け取るということはすなわちエルフたちを見捨てるということになるからだ。

側近「……まあ、このお金は既にあなたのものですので使おうが使わまいがどちらでも構いません。将軍もまだあなたに用があるみたいですので……。
 しばらくの間はこの街に滞在してもらいます。それと、先に言っておきますがあなたと共に連れてこられたエルフたちとは面会することはできません。
 くれぐれも無謀な行動を取ろうなどと考えないように」

 そう言い残して側近は男の元を去っていった。
 部屋に一人取り残された男はひとまず備え付けられているベッドに横たわり、今後の行動について考え始めた。

男(……どうする。実質軍のトップと言っていい人物が動いている。下手な行動は取れない。
 かといって、このままエルフたちを見捨てるなんてこと僕には……)

 心の拠り所になっている彼女たちを失うということは、つまり男にとって生きる目的を失うことに相当する。
 思い返せば、彼にとっての始まりは喪失だった。家族を失い、怒りと復讐心に駆られ己の無力さを実感した幼少期。
 幼さ故周りが見えず、大人たちの優しさと温もりに触れ心癒され居場所を見つけた。
 けれども、その居場所も彼の行動によって再び失い、周りを拒絶することで一人になろうと努めた。それでもまた、彼の周りに人は集い、気がつけば再び居場所は作られた。
 だが、それすらも戦争という魔の手によって狂わされ、己の手でまた居場所を消さぬよう孤独を感じながらも一人で生きる道を選択した。
 目的を失い、居場所を得られず、茫然自失の彼の前に唐突に救世主は現れた。憎むべきはずの種族、大切な人たちの命を奪った敵の同類。
 憎しみは怒りに、怒りは虚しさに。ただ一時の衝動が彼に生きる実感を与えた。
 しかし、憎悪と愛情は表裏一体。気づけば憎しみは愛情に変わりはじめ、再び彼は誰かを愛そうと思い始めた。
 結局、それも最後は喪失へと変わり、彼の中には残ったのは何度目かになるかわからない深い絶望と悲しみ。そして、ある目的が残された。
 救えなかった彼女のために、また己の傍にエルフが来ることがあれば彼女にできなかった全てを……と。
 使命を心に抱き、愛情を目いっぱいに注ぎながらも、それでも己の心に残らないように……。もう二度と喪う悲しみを感じないようにとそう思い日々を過ごしていたはずだった。
 けれども、無邪気に笑う少女の姿はいつの間にか瞼に焼き付き、気がつけば少女から向けられる愛情を自然に受け入れていた。
 そうして今度こそ彼は愛する者と心を通わせ、かつての友と笑顔で語らい、平穏な日々を手に入れた。

 その……はずだった。

  平穏な日々はかつて愛そうとした少女の帰還によって静かに崩壊していった。彼の愛した二人の少女。エルフと旧エルフ。
 初めはぎこちない三人での生活も少しずつ、少しずつ、喧嘩したり、文句を言ったり、泣いて、笑って、一歩一歩〝家族〟という形を作り始めていた。
 望んでいた最高の結末。長い喪失の果てにそれを手に入れたはずだった。
 だが、運命は天へと旅立つ彼らの足を掴み、再び底の見えない闇の中へと引きずり込む。
 奇跡に代償は付きもの。幾度の喪失を経て、悲しみと絶望に包まれても運命の代価にはまだ足りない。
 望んだ平穏は彼方へ消え、彼は再び血で血を洗う戦場へと舞い戻りつつあった。
 いっそのこと己の力で彼女たちを連れ去り、このまま何処かへ……。そう、思いもした。
 けれども、その果てに待っているのは心休まることのない逃避行。そして、終わりの見えた結末。
 今や人間の支配するこの地に裏切り者の烙印を押された者の居場所など存在しない。人にも、エルフの側にも。
 まして、彼は元軍人。人だけでなく、戦火を逃れ身を潜め生きているエルフたちからも命を狙われる可能性すらある。
 かつて、己の独断で行動をとった彼の手には何も残らなかった。
 では、諦めるのか? それは違う。彼はたくさんの間違いを犯し、喪失を経験した。しかし、代わりに手に入れたものも確かにあった。

 気づけば既に窓から見える景色は黄昏時。もうすぐ暗い、暗い夜が訪れる。少女たちは愛する人と離され、身を震わせながら夜を迎えるはずだ。

男「……行こう、みんなのところへ」

 ベッドから起き出し、彼は愛する少女たちのため動き出す。喪失の果て手に入れたもう一つの大切な居場所へ。
 かつて背中を合わせ戦い、命を預け合った心許せる友たちの元へと……。


一方、男と引き離されたエルフと旧エルフは冷たい牢獄に閉じ込められお互いの身を寄せ合い寒さを凌いでいた。
 周りを見回せば、ここにはエルフたちの他に多数のエルフ族が牢の中に入れられていた。

エルフ「旧エルフさん、私たちこれからどうなっちゃうんでしょう……」

 男と離され、見知らぬ土地でいきなりこのような手荒い歓迎を受けたエルフは恐怖と不安に駆られていた。そんな彼女の不安を受け止めるように、旧エルフは優しく声をかける。

旧エルフ「大丈夫ですよ。きっと、男さんが何とかしてくれます。信じましょう、私たちの選んだ人は絶対に私たちのことを見捨てたりしません」

エルフ「は、はい! そうですよね。きっと、男さんなら……」

 新参者のエルフが語る希望。だが、同じように牢に入れられたエルフたちはその光景を冷ややかな目で見つめていた。

囚人エルフA「……ハッ。のんきなこった。これから自分たちが何をされるかも知りもしないで」

囚人エルフB「馬鹿な子ね。ここに入れられている時点で私たちには希望も何もないのよ。待ってるのは理不尽な暴力。私たちの扱いは看守のその日の機嫌次第」

囚人エルフC「可哀想な子だ。一体どこで捕まったのやら。こんないたいけな子達を……人間め、よくも」

 聞き耳を立てれば聞こえてくる罵詈雑言。そのほとんどが人間に対する恨み言や憎悪の言葉の羅列だった。
 だが、人の中にも心優しい者たちがいると知っているエルフはそれが聞き捨てならず思わずその文句に反論してしまった。

エルフ「人の中にだっていい人はきちんといます! 確かに、悪い人にばかり目が行きますけど、みんながみんなそうじゃないんです!」

 言い終えてからしまったと旧エルフが感じ、すぐさまエルフの口元を抑えるが時は既に遅く、先程までは同情的だった同類たちの目が一気に冷めた者に変わる。

囚人エルフA「んだよ、裏切り者のエルフか。ハッ! 人間様に媚を売って何がいいんだか? そうやって、身も心も人に売り渡し最後は裏切られたか。
 ざまあみろ、〝売女〟め」

囚人エルフB「私だって、今まで何度も身体を汚されはしたけど心までは人間に売り渡しはしなかったわ。それなのに、あなたのような幼い子が……汚らわしい」

囚人エルフC「ワシの妻と子を奪った人に何故肩入れなどする。理解ができんよ」

 獄中生活で溜まったストレスの捌け口を見つけたのか、牢に入れられた者たちは一斉にエルフを罵倒した。
 人からではなく、同類から向けられる悪意の塊にエルフは怯えてしまい、口を閉ざし、ギュッと旧エルフの身体にしがみついた。

旧エルフ「やめて! やめてください! どうして私たち同じエルフ族なのにこんな言い争いをしないといけないんです?
 こんな……悲しすぎます」

 何故同じ種族で争わねばならないのか。そのことを悲しく思った旧エルフが声を張り上げるが、それさえも他の者たちの浴びせる罵声にかき消されてしまう。そのあまりの迫力に気圧され、彼女は思わず耳を塞いだ。
 だが、いつまで経っても声は消えない。延々と繰り返されると思われたそれは、しかし唐突に終わりを迎えた。

?「……やめろ、耳障りだ」

 牢の奥の方から一人の男の声が響いたと思うと、それまでざわめいていた囚人エルフたちは一斉に押し黙り、辺りはシンと静まり返った。
 そのことに気がついた旧エルフは耳に押し当てていた手を離し、エルフは旧エルフの身体にしがみつきながらも顔を上げた。

?「人が気持ちよく寝ているにも関わらず、なんの騒ぎだこれは」

囚人エルフA「だ、旦那。すみません、ちょっと生意気な新人が入って来たもので……」

囚人エルフB「そうですよ。こいつら、よりにもよって人間なんかの肩を持ったんですよ!」

?「だからどうした。騒いだところでそいつらの考えが変わるわけでもあるまい。相手をするだけ体力の無駄遣いだ。放っておけ」

 この場にいる全ての囚人エルフたちを即座に黙らせる一人のエルフ。一体彼は何者なのか、気になったエルフと旧エルフは鉄格子の隙間から声のする方向を眺めた。
 エルフたちが閉じ込められた牢の最奥。幾多もの鎖に繋がれた一人の男性エルフがそこにいた。
 光の届かない暗い牢獄。ようやく慣れ始めた目を薄くさせ、遠くに存在する彼の姿を二人は視認する。
 に磨きぬかれた鋭い刃を連想させる眼差し、捕らえられてなお自らを縛る鎖を引きちぎるのではと思わせる屈強な肉体。
 そして、見るもの全ての視線を引きつける頬に刻まれた横一文字の大きな傷跡。

エルフ「あなたは……」

旧エルフ「一体、誰ですか?」

 問いかける二人に暗闇の奥から声は答える。

?「俺か……。俺は、傷エルフ。かつて大切な者たちを人に奪われ、復讐のため戦い、そして……敗れ去った負け犬だ」

 流れゆく時の中、人とエルフの間に生まれた縁は絡まり、交差する。待ち受けるそれぞれの〝運命〟へ向けて少しずつ、少しずつ……。



……

ガシャン、ガシャンと虚空へ向けて鎧の軋む音が響く。果て無き大地を、一歩一歩、力強く踏みしめ歩く一つの影。それに続くように後続には一つ、また一つと黒い影が月明かりに照らされて現れる。
 まるで御伽噺に登場する死者の行進。いや、その例えは適切ではない。これは、御伽噺そのものだ。
 先頭を歩く全身を鎧に包んだ導き手に誘われかつてこの世を去った肉塊が再び顕現し、現世をさ迷う。
 現実味のないこの光景は月夜に見える幻か、はたまた今を生きる者たちにとっての悪夢だろうか?
 ……不意に、ここまで歩き通しの導き手が急に足を止めた。真似するように、後続を歩く者たちもまた歩みを止める。

?「……ォッ。……ォォッ」

 言葉にならない呻き声を兜の隙間から漏らし、何かを叫ぶ導き手。それは怒りの叫びにも、慟哭のようにも聞こえる。
 その叫びに応える者は誰もいない。ただ静かに頭上に浮かぶ月が彼らを見つめている。
 しばらくそうして叫び声を上げていた導き手だったが、やがて声を上げるのをやめ、再び彼方に向かって歩き出した。
 向かう先は視線の遥か先に存在する小さなともしび。平穏な毎日を享受する人々が笑顔を浮かべて過ごしているであろう小さな村。
 それに焦点を合わせると、導き手は再び天に向かって声を上げた。今度は、明確な怒りを伴って。

?「ォ、ォォオオオオオオオオオオオオオオオッ!」

 そして今宵もまた殺戮の舞台が幕を開ける。平穏な世界は徐々に崩れ去り、再び混沌とした時代が訪れようとしているのだった……。

……



女魔法使い「だから、結局将軍の所に行かないと話が進まないって行っているじゃないですか!
 騎士さんはそんなに自分の立場が大事なんですか!」

騎士「ちげえよ! けど余計な反感を買って俺たちの立場まで悪くなっちゃ男を助けることもできなくなるって言ってんだろ! 
 ここはもう少し様子を見てだな……」

女魔法使い「あ~あ~そうですか~。臆病風に吹かれるなんて騎士さんも日和ましたね」

騎士「んだと! 今の言葉は聞き捨てならねえ! 訂正しろ」

女魔法使い「そう思われるのが嫌ならもっとまともな案を出してくださいよ!」

騎士「出してるだろうが! くっそ、昔は男の後ろにくっついてばっかりだった人見知りが口ばっか達者になりやがって」

女魔法使い「なんですって!」

 男が既に将軍によってその身を保護され、軍内部に存在する部屋の一室を与えられていた頃、そんな彼の現状を知らない騎士たちは未だにどうやって彼を解放しようかと考えていた。
 だが、話の途中から強行派の女魔法使いと穏健派の騎士で意見が分かれてしまい、話は脱線。結局、具体案が出る前に二人の言い争いが始まり、今に至っていた。

女騎士「……もう、全然話が進んでいないじゃない。こんな状態で男の助けになれるのかしら?」

 三人の中で唯一冷静さを保っている女騎士は二人の言い争いを少し離れた部屋の扉付近で静かに眺めながらも男を助けるための案を考えて、言い争いの合間に自分の意見を発していた。
 しかし、ヒートアップしてしまっている二人にはどっちつかずな女騎士の案はすぐに否定されてしまい、仕方なく二人が頭を冷やすまで溜め息を吐きながら事態を静観していた。

女魔法使い「全く、地位が高くなると保身も強くなるみたいですね。これならまだ昔のガムシャラな騎士さんの方がマシでしたよ!」

騎士「んなこと言ったらお前なんて男以外のことなんててんで興味を示さないで、軍から依頼があっても魔法の研究がどうとかいって全然協力しないだろうが!
 そのせいで俺がどんだけ周りのやつからお前の文句を言われて、それをなだめてると思ってんだよ。
 もうちょっと感謝しろ!」

女魔法使い「私は別にそんなことをしてくれなんて頼んでいません!」

騎士「あ~そうかよ! それなら今度から自分に降りかかる火の粉は自分で対処しろよ!」

 お互いにそっぽを向き、意固地になる騎士と女魔法使い。そんな二人の様子を見て女騎士が頭を抱えていると彼らのいる部屋の扉が静かに開いた。

少女「……あ、あの」

 おずおずと遠慮がちに室内に入ってきたのは以前三人が独自に調査に向かった先で見つけた唯一の生存者である少女だった。

女騎士「あら? どうしたの、こんなところに」

 睨み合いを続ける騎士と女魔法使いは少女が来たのに気がついていなかったため、仕方なく女騎士が彼女に返事をした。

少女「あ、いえ。実は騎士さんに用事があったんですけれど途中で皆さんにお会いしたいという人に会いまして……」

女騎士「そうなの。わざわざこんなところまでありがとう。道には迷わなかった?」

少女「実はちょっと道に迷っちゃって……。でも、その人に案内してもらってここに来ることができたんです」

女騎士「そうだったの。それで、その案内してくれた人っていうのは?」

少女「あ、ちょっと待ってください。今外で待ってくれているので」

男「……よお、久しぶり」

 少女に手招きされ、室内へと顔を出した男を見て思わず女騎士は言葉をなくす。
 一拍おいて男が目の前に存在するという事実を認識できた女騎士は思わず叫び声を上げた。

女騎士「って、ええええええええええええええええ!」

 そして、そんな彼女の叫びを聞いた女魔法使いと騎士もようやく少女と男が扉の前に立っていることに気がつき、全く同じ反応を返した。

女魔法使い「ええええええええええええええ!」

騎士「なああああああああああああ!」

 三人の反応に少女は驚き、男は申し訳なさそうに苦笑いを浮かべながら事情を説明するのだった。

……



騎士「ってとなにか? 将軍はエルフたちを人質に実質男の軍への復帰を要請してるってことか?」

男「まあ、それもあるだろうけれどほかにも理由はあるんだろうね、きっと」

女魔法使い「先生、お茶をどうぞ」

男「ありがと、女魔法使い。
 それで、僕としてはどうにかエルフと旧エルフを取り返したいんだけれどなにかいい手はないかな?」

女騎士「旧エルフ?」

騎士「お前たちも知っているエルフが男の元に来るまで男の家にいたエルフのことだよ。ま、一度死んじまったらしいがな」

女騎士「?」

女魔法使い「?」

騎士「いや、まあ。それが当然の反応だけどよ……」

男「だよね……」

 今の状況については説明していたが、旧エルフの件を二人に話していなかった男は今度は旧エルフのことについても二人に説明をするのだった。

女騎士「ふ~ん、そんな子がいたのね。私たちとはあんな別れ方しておいて、すぐにそんな女の子を囲っていたんだ。
 ……エルフだけど」

女魔法使い「ぐ、ぬぬぬ。私がいればそんなエルフに先生が心奪われることもなかったはずなのに……。
 やっぱり、エルフは私の敵です!」

 女性陣からの非難の言葉を一身に受ける男は返す言葉もなく、ただ冷や汗を流すしかなかった。
 それもそのはず、女魔法使いは男が拾って面倒をみた少女であり、女騎士に至っては戦時中互いの心の平穏を保つためとは身体を重ねあった関係だ。そんな彼女たちに彼が今なお男が愛している女性の話をされて平静を保てという方がおかしい。
 さらに言えば、旧エルフは一度この世を去っており、男の中で悲劇として美化され長い間神聖視されていた存在だ。
 そんな存在が文字通り〝奇跡〟の体現として再び現世に蘇ったとなれば彼女たちの心中は穏やかではないだろう。
 二人の嫉妬に満ちた視線に耐え切れず、男はチラチラと騎士の方へ救援を要請する。そして騎士はこんな状況を自分で作った男を少しだけ羨ましく思いながらも、仕方なく助け舟を出すのだった。

騎士「ほら、二人共。今はそんな嫉妬してる場合じゃないだろ。一番の問題だった男の解放は済んだことだし、今度はエルフたちの解放について考えるとしようぜ」

 騎士の言葉にどうにか二人の救出について考え始める女騎士と女魔法使いだったが、内心不満でいっぱいなのは一目瞭然であった。

女騎士「けど、一体どうしたらいいのかしらね。さっきまでの話もそうだけれど、相手が将軍じゃ迂闊に動けないんじゃない?」

騎士「もっとも手っ取り早そうなのは男が軍に複隊することだけど……」

男「いや、たぶん僕がただ軍に戻ったところで状況は変わらないと思う。もしそうなったとしても今度は正式な軍人として上からの命令に従わないといけなくなるし……。
 そうなれば状況は今より悪くなる」

女魔法使い「だとすると、将軍はなにか他のことを先生に求めていると?」

男「たぶんね。だっておかしいじゃないか? 一応僕は軍に属していた人間だ。自分で言うのも変だけど、軍を去ってからも魔法の研究は欠かさなかったしそれなりに腕は立つ。
 まあ、体力は昔に比べて落ちたけどさ……」

騎士「確かにな。本気で男がエルフたちを取り戻そうとして、なりふり構わず行動したのなら少なからず被害は出るだろうな」

男「うん。でも、将軍はそんな行動を僕が取らないと確信していると思う。さっき会った時の問答は今の世界の状況の確認だけじゃなく、僕がどういう人間なのかを実際に会って確かめるっていう意味もあったんだと思う」

女騎士「う~ん。そうだとするなら一体将軍は男に何を求めているんだ? このまま大人しく引き下がらないとわかっていて、それでもこんな風に男を自由にしている。
 本当に何もさせないつもりなら誰か監視役を置くなり軟禁状態にするなり色々と手はあったと思うんだけれど」

男「実を言うと僕もそこが分からないんだ。将軍が僕に何を求めて、どう動くことを期待しているのか。
 そもそも本当は何も期待なんてしていないのかもしれなくて、仮に僕が無謀な行動をとったとしても容易にそれを抑えこめると思っている自信の裏返しなのかも……」

 考えれば考えるだけ将軍の行動が全く理解できず、一同は頭を悩ませる。普段接することのない英雄の存在はそれだけ彼らの理解の及ばない存在なのだ。
 と、それまで彼らの話についていけず居心地悪そうにキョロキョロと辺りを見回していた少女が意見を発した。

少女「あ、あの」

騎士「ん? どうかしたか」

少女「その、話の途中ですみません。みなさんが色々と話をされているのはわかるんですけれども、私全然それについていけないんですけれど。
 私、ここにいていいんですかね?」

騎士「ん~。確かにそうだな。一度部屋に戻るか?」

少女「で、できれば……」

男「そういえばさっきから気になっていたんだけれど、その子は?」

騎士「ああ、そういえば男は知らなかったな。以前女魔法使いを借りて調査に行ったことがあったろ。この子はその時に見つけた孤児だよ」

男「それじゃあ、この子は……」

騎士「まあ、お前の推測通りなら例の〝黄昏〟とやらの被害者の一人だ」

 騎士から目の前にいる少女の境遇を聞いたことで男の表情に影が差した。わかってはいたが、既に〝黄昏〟による被害は生まれている。今はまだ世界がそのことに気がついていないだけで犠牲者は今この時も生まれているのだ。
 家族を失った時のことを思い出したのか、不安そうに騎士の手を掴む少女。そんな彼女に目線を合わせるため腰を落とし、男は優しく呟いた。

男「ごめんね。君の家族を取り戻すことは僕たちにはできない。でも、これからの君の人生がいいものになるようにできたらいいと思っている。
 今君の面倒を見てくれていると思う騎士だけど、ちょっと暑苦しいところもあるけれど、面倒見はいいからきっと君の力になってくれるはずだ。
 困っていることがあったら彼か、もしくは僕たちに声をかけて」

騎士「ったく、俺が言いたいことを全部言っちまうなよ。それと暑苦しいとはなんだ」

男「だって騎士って結構熱血でしょ? 困っている人がいたらすぐに声かけるし」

騎士「それはお前も同じだっての」

 互いに根っこの部分は似た者同士だということに改めて気がついた二人はクスリと微笑み、それぞれ肩を小突いた。

騎士「んじゃ、俺はこの子を部屋まで送ってくるわ。三人は事態の打開策についてこのまま話しててくれ」

男「うん、わかった」

女騎士「早く戻ってきなさいよ」

女魔法使い「送り狼にならないでくださいね……」

騎士「ならねえよ! どんだけ年の差があると思ってるんだよ! こんな年頃じゃ立つものも立たねえよ!」

 いつもの調子を取り戻したのか女魔法使いにからかわれながら、少女を連れて騎士は部屋を後にした。
 残された三人は先ほどと同じように打開策を見つけようと意見を出し合うが話し合いは一向に進展する気配を見せなかった。
 そして騎士が少女を部屋に送り届け再び四人での意見交換は行われたが事態は停滞したまま。次第に焦燥感が四人の間、とりわけ男の身から発せられていることに気がついた女騎士が一度休憩を挟むように提案した。
 気がつけば外は既に暗くなっており、部屋の窓から見える街並みは今日も無事仕事を終えたことを祝う人々の灯りによって埋め尽くされていた。
 女魔法使いと男は疲労回復の紅茶を作り、糖分を補給するため騎士の部屋に置かれていた茶菓子を幾つかテーブルの上に持っていき、各々休息を取り始める。
 だが、そんな中でも連れて行かれたエルフと旧エルフの事が気になるのか、男は深い溜め息を吐きだしたのだった。
 このまま状況は変わらないままなのだろうか? そう思っていた一同であったが、事態は女魔法使いが発したある一言により、一気に動き出すことになる。

男「……ダメだ。考えても考えても将軍の意図が見えてこない。一体あの人は何を考えているんだ」

騎士「よくよく考えてみれば俺たちが軍の施設に入った時には既に将軍は今の地位にいたんだよな。
 俺も戦場での功績を取り立ててもらって今の地位についてようやく少し話す機会が得られたんだ。今までなんて文字通り雲の上の存在だったしな~」

女騎士「そりゃ、今まで戦場で数多くの武功を立てている人なんだもん。私たちみたいな下位階級の人間なんて演説の時くらいしかお目にかかれないわよ」

女魔法使い「……そういえば、ふと思ったんですけれども将軍って一体どんな人なんでしょう?」

 不意に投げかけられた女魔法使いの一言。そのことに先ほど散々嫌味を投げかけられた騎士が仕返しとばかりに反応する。

騎士「ったく、そんなことも知らねえのか? 全く、少しは魔法以外のことにも興味持てよな。
 将軍は俺たちがまだ子供だった時からエルフたちと戦って来た歴戦の強者だよ。数多くの戦場でエルフと対峙しこれを打ち倒し、人間側に勝利をもたらしてきた立役者だよ。
 一般兵の多くは将軍に憧れて軍に入るなんてことも珍しくねえ。吟遊詩人たちも将軍の過去の英雄譚を歌にして詠ったりしてるしな」

女騎士「そうだね。戦いに関係のない民衆でも将軍のことを知らない人はほとんどいないとは思うわ。あの人はまさに歴史に名を刻むほどの人間だし」

女魔法使い「いえ……私が言いたいのはそういうことではないんですけど」

男「将軍の経歴とかの話を聞きたかったんじゃないの?」

女魔法使い「確かに私は将軍の経歴だったり彼の武功についてほとんど知りません。今騎士さんが話してくれた比較的一般的であろう内容についても初めて聞きました。
 でも、私が言ってるのはそれらに関してではなく将軍とは一体どういう人なのかということです」

男「どういうこと?」

女魔法使い「さっき騎士さんが言っていましたよね? 雲の上のような存在だって。つまり、今の私たちにとって将軍という存在は正しい認識すらできない存在だということです。だって接点もないですから。
 それに、今騎士さんと女騎士さんの話を聞いて余計に思ったのですが、私たちは彼の経歴や武功について多くは知っているようですが彼の人となりやどういった信念や思いで今まで動いてきたという彼自身の有り様についてあまりにも知らなすぎます」

騎士「あっ……」

男「確かに、それは……」

 三人とも女魔法使いに言われて気がつく。確かに彼らは将軍がどのような功績を立ててきたかだとかどんな活躍をしてきたかは知っている。
 だが、彼が〝どういう人物〟なのかということについてまでは知らなかったのだ。

騎士「ああ、そうか。考えてみりゃ単純な話だ。相手がどういう人物か知らないで、その意図や思惑を考えたところで答えなんて出るわけねえよな」

女騎士「その通りだ。だって、私たちはその相手について何一つ知らないんだから」

女魔法使い「そうなると私たちが次に取るべき行動は……」

男「うん、一つだね。急ごう、あまり長い間エルフたちを彼らに預けて置くわけにもいかない」

 話し合いの末、ようやく事態を動かすことのできる可能性がある一筋の光を見出した四人。
 彼らが次にとる行動。それは、〝将軍〟という人物がどのような人間なのかという探ることであった。

……



 男たちが将軍について調べ始めて既に二日。彼らはそれぞれの立場を活かし、将軍の人となりを探っていた。
 騎士、女騎士は軍関係者から。女魔法使いは魔法に関わりのあるものたちから。そして男は街の人々から。
 結果だけを言うのならば、当たりを引いたのは男だった。

騎士「まさか、こんな近くに将軍と同郷だっていう人物がいるとはな」

男「ああ。本当に灯台下暗しとはこのことだよ」

 彼らは今ある店の前にいた。人気の少ない路地の一角。まるで隠れ家のようにひっそりと営業している店。
 そう、そこは以前この中央都市を男が訪れた際に女魔法使いによって連れてこられた店だった。
 酒場とは違う落ち着いた空気を纏う店。秘密裏の話や裏のある大人たちが使うのにも、日々の生活に疲れ心休めたい人が使うのにも、うってつけの店といえよう。

女魔法使い「ここのマスターが将軍と同郷、しかもかつては戦友だったそうですね」

女騎士「そんな話今までに聞いたことなかったけど……」

男「でも、手がかりは今のところここしかない。今はなにより時間が惜しいんだ。少しでも将軍の人となりがわかるのなら、それに越したことはないよ」

騎士「だな。よし、んじゃいつまでも店の前に立ってないでそろそろ中に入るか」

 そうして騎士を先頭に四人は扉を開け、店の中へと入っていくのだった……。
 店内に入った四人がまず見たのは店奥に座る二人の男性。なにか重要な話をしているのか、声を潜め周囲に警戒を払っている。男たちが発している気配から一般の人物とは違うことを直ぐに彼らは悟った。
 だが、今そのことに気を使っている場合ではないと判断した男たちはすぐさま目的の人物を探す。だが、店内に目的の人物の姿は見当たらない。

騎士「……あれ? おかしいな。いないのか?」

 騎士がそう呟き四人は入口に立ったままキョロキョロと周囲を見回す。するとカウンターの奥から件の人物が現れた。
 年相応の落ち着きと、年季の入った皺が特徴的な初老の男性。彼が男達にとって目的の人物であり、将軍と同郷だったという者だ。

マスター「……よろしければこちらの席へどうぞ」

 何度もこの店に顔を出している女騎士や女魔法使いを見たマスターが彼らに声をかける。促されるまま男たちはカウンター席へと移動する。

マスター「いらっしゃいませ」

 穏やかな様子で挨拶をするマスターに早速女騎士が本題を切り出そうとする。しかし、そんな彼女をマスターは手で制す。

マスター「まずは一杯どうぞ。お話はそれから承りましょう。私になにか聞きたいことがあるのでしょう?」

 マスターが告げるその言葉に一同は驚きを顕にした。

男「何故、僕たちがあなたに話があると?」

マスター「職業柄ここには色々な人が訪れるのですよ。必然、様々な情報が集まり、私はその情報を時たま客の側から受け取ることがあるのですよ」

 それを聞いて男は益々驚いた。彼自身ただの一般人だと男たちは思っていたが、店を営業するだけではなく情報屋のようなことも行っているようだった。

マスター「どうぞ、こちらはサービスになります」

 男たちがマスターの言動に驚いている間に彼は四人分の飲み物を用意していた。それを受け取りそれぞれ口にした。

女魔法使い「いつも思いますが美味しいですね」

騎士「ああ、確かにな」

 話の腰をやんわりと折られた彼らはマスターに出された飲み物をゆっくりと飲み干した。
 ようやく本題に入ろうとする四人。

男「では、本題に入らせていただきたいのですがよろしいでしょうか?」

マスター「ええ、どうぞ。何からお聞きになりますか?」

男「……そうですね。あなたはあの将軍と同郷だと聞いたのですが、それは本当ですか?」

マスター「ええ、そうですよ。ここに訪れるお客様の中にもその話を聞いて彼の武勇伝をせがまれることがよくあります」

男「申し訳ありませんが、僕たちは今日将軍の武勇伝を聞くために来たんではないんです。
 できれば僕は将軍という人物がどんな人間なのかをお聞きしたいんです」

 男の真剣な眼差しを見てマスターは顎を擦り、なにか考える素振りを見せた。そして、しばらくの沈黙の後重々しく呟いた。

マスター「ふむ……。それは構いませんが、もしかしたら君たちの持っている彼の理想像を崩してしまうかもしれませんがそれでもいいのですか?
 実際、似たような話を以前にも軍に所属する人にしましたが彼らはその話を信じようとはしませんでした」

男「構いません。僕たちには時間がない。たとえその話をして僕たちの抱いている将軍像を崩したとしても、それはそれで問題ありません」

マスター「そうですか。それではお話させていただきましょう」

 そう言ってマスターは静かに語り始めた。そして、その口から飛び出す将軍という人の真実はまさに驚きの連続だった。

マスター「私たちのいた村はかつて東部の田舎町でした。昔は今ほど交通の便が発達しておらず町の外をウロつく魔物の存在もあって人と人の交流はさほどありませんでした。
 そのような地域だったからでしょうか、町に住む人は互いに助け合い日々を過ごしていました。
 そして、その中には人以外の存在も含まれていたんです」

騎士「人以外の存在? それは……」

マスター「はい、あなたがたの想像通りです。私たちはかつてエルフと共に生活を過ごしていました」

 マスターの告げる言葉に一同は言葉を失う。そんな彼らを静かに見つめながらもマスターは話を続ける。

マスター「ちょうど私たちがあなたたちよりも少し若い頃です。その頃はまだ人とエルフの争いもそこまで過激なものではなく、まだ互いに良き隣人として過ごしていけると信じていたものも多かった。
 そして、それは私だけでなく今では将軍と呼ばれる彼もそうでした」

 今となっては遠い、遠い過去を思いだし懐かしむように語るマスター。そんな彼の雰囲気に呑まれたのか四人は黙って話に耳を傾ける。

マスター「当時、彼には将来を約束した相手がいました。それは同じ町に住み、私と彼と一緒に幼い頃から生活を共にしてきた一人のエルフでした。
 今でも思い出します。彼らは毎日笑顔を浮かべ将来を語り合い、明るい未来が訪れることを信じて疑いませんでした。
 ですが、それから少しして平穏な日々は崩壊しました」

男「……何が、あったんですか?」

マスター「なに、簡単なことですよ。それまで小康状態を保っていた人とエルフの争いが激化したんです。
 そして、その影響は私たちの住む町にも現れました。それまでお互いに助け合い、笑顔を浮かべていた隣人が日に日にいがみ合い、罵声を飛ばすようになった。
 そしてその結果エルフたちは町を追われたのです。そして彼とエルフは分かれることになった」

 そこでマスターは一度話を止め、カウンター席に座る四人の空いたグラスに飲み物を注いだ。

マスター「さて、続きを話すとしましょう。それから少しして私と彼は軍に入ることになりました。当時は今とは違い、ある一定の年齢に達したら軍に所属しなくてはならなかったんです。
 元々持っていた才覚がそこで花開いたんでしょう。彼は訓練生の頃から頭角を現し、戦場にでてすぐに功績を上げました。そしてそのまま次々と武功を立て、気づけば同期の誰よりも先を行っていました。
 その後、エルフとの戦争が本格的になり彼は中隊を率いる身となっていました。私もその中隊に所属する一員として戦場に出た。
 そして……悲劇は起こったのです」

 悲劇。その言葉を聞いて一同は思わず息を飲んだ。

マスター「戦場に出た私たちは敵エルフの罠に嵌り窮地に立たされたのです。味方の一人が我々の情報をエルフに売り渡し、その結果中隊に所属する半数以上の兵士がエルフによって殺されることになった。
 逃げ場を失い、絶体絶命に陥った私たちですがそんな私たちに降伏するように申し入れをした一人のエルフがいたんです。降伏さえすれば人質としてですが身柄を保証すると。
 そう告げたのはかつて私と将軍と共に生活をしていたエルフでした……」

女騎士「なぜ、そのエルフはそんなことを?」

マスター「さあ? 戦争時はそんなことを考える余裕がありませんでしたからなぜ彼女が敵となった我々にそのような甘い言葉を投げかけたのかはわかりませんでした。
 ですが、今となって思えば将軍とならばもしかしたら人とエルフがかつてのように共に過ごせる日々をまた取り戻せるとでも思ったんでしょう……」

 マスターから聞かされる将軍に関する様々な真実に驚きながらも男はある考えを抱いていた。

男(似てる……かつての将軍はまるで今の僕のようだ)

 人とエルフ。別の種族という垣根を越えて愛しあった彼に男は知らず奇妙な親近感を感じていた。

マスター「ですが、それまでの戦いでエルフの恐ろしさ、仲間を殺されてきた怒り、そして戦争という熱に当てられていた私たちにはその要求は断固として受け入れられるものではありませんでした。
 当然、部隊に所属するものは皆その要求を拒否しました。そのような情けをかけられるくらいなら戦って死んだ方がマシだ……とね。
 だが、将軍だけは違いました。彼だけは彼女の言葉を信じ、交渉に応じようと一人、交渉の場へと向かったのです」

 続きを話そうとし、辛い過去を思い出したのかマスターは思わず言葉を詰まらせた。しかし、それでも全てを語ろうとポツリ、ポツリとその結末を語った。

マスター「結果として交渉は破談しました。将軍の愛したエルフを使った同胞たちの裏切りによってね。
 結果、彼女は将軍の目の前で殺された。怒りに我を忘れた将軍はたった一人で数十のエルフたちを殺し、彼らを退却させたのです。
 これは、彼の持つ武功の中でもとりわけ有名なものなのであなたたちも聞いたことがあるのではないですか?」

 確かに、マスターの言うとおり将軍の武功の中には、たった一人で疲弊した仲間を安全な場所に置き、エルフの大軍を退けたというものがあった。しかし、その真実がこのようなものだったとは今この話を聞くまでは彼らは知る由もなかった。

マスター「その日から彼は変わりました。それまでエルフに対し、僅かながらも戦うことに躊躇いを覚えていた彼が一切の容赦をすることなくその命を奪っていったのです。
 私はその戦いの後軍を辞めましたがどこにいても彼の武功は耳に届きました。そして、それを聞くたびに悲しい思いになったものです。
 あれほど、互いを大事に想い笑い合っていたかつての私たちは今はもうどこにもいなくなってしまったことを実感したからです。
 そうして、私はこの中央都市で一民間人として働くようになり、この店の先代から店を任され今に至るということになります。
 その間将軍はさらに軍内部での地位を高め、やがて今の最高地位に落ち着くことになったというわけです。
 どうですか? 彼の話を聞いてあなたたちはどのようなことを思いましたか?」

 マスターから投げかけられる言葉に男たちは即座に答えることができなかった。それほど彼が語った将軍という人物の過去は壮絶で、予想だにしないものだったからだ。

男「……正直、意外でした。あれほどエルフとの戦いで功績を上げ、エルフに対して容赦のない将軍にそんな過去があったなんて」

マスター「当然です。彼は己の過去についてあまり話したがりませんからね。だからこそ、脚色された話ばかりが人々の耳に入り、理想の像が勝手に作られるのですよ」

 一通りの話を聞いた男は改めて将軍について考える。そして、あることに気がついた。

男「あの、もう一つお聞きしてもよろしいですか?」

マスター「ええ、なんでしょうか?」

男「戦争終結後、エルフの奴隷制について真っ先に声を上げたのは将軍だったはずですが、それはどのような意味があったとあなたは思っていますか?」

 男の口から発せられたその質問にマスターはこの店に来て始めて驚愕の表情を見せた。しかし、すぐさま元の平静な表情を取り戻すと優しい声音で男の質問に答えた。

マスター「さて? 私は彼ではないので、これは推測にすぎませんが奴隷制を掲げることでこれ以上無駄な犠牲が生まれるのを防ごうとしたのではないのでしょうか?」

男「無駄な犠牲……ですか?」

マスター「ええ。非情に徹しているように見えても彼の心の奥底には最後まで人とわかりあえることを信じていたあのエルフの存在が根付いていると私は信じています。
 だからこそ、奴隷制を掲げることでたとえ扱いは酷かったとしてもその利便性を人々が感じられるうちはそう簡単に人がエルフを殺さないようにしたのだと私は思っています。
 もっとも、彼に真実を問いただしたところで否定されるのがオチでしょうがね」

男「なるほど。よくわかりました。貴重なお話を聞かせていただきありがとうございました」

マスター「お役に立つことはできましたか?」

男「ええ、充分に」

 勘定を払い、静かに席に立つ男。他の三人は満足気に微笑む男と違い未だに戸惑いの表情を見せたまま店を後にする彼に続いていく。
 そして、四人が店を出て行くところを見届けたマスターは独り言をそっとつぶやくのだった。

マスター「あの子はかつての彼にとてもよく似ている。願わくば私たちにできなかったことを成し遂げてもらいたいものです」

 そうして彼は今日もまたいつものように客が訪れるの静かに待つのだった。

 店を出た男は戸惑う三人の質問に答えながら一直線に軍本部へと向かっていた。

騎士「ちょ、ちょっと待てよ男! お前どこに向かってるんだ?」

男「将軍のところさ。わかったんだよ、彼が僕に望んでいることが」

女魔法使い「あの話を聞いただけですか?」

男「ああ、あまりにも都合がよくて馬鹿げた話だと思われるかもしれないけれどね」

女騎士「一体なんだっていうの?」

男「たぶん、将軍は僕を通して人とエルフがまた手を取り合える手助けを、いやそこまでいかずとも、ほんの少しでもわだかまりをなくすことができればいいんじゃないかと考えているんじゃないかと思うんだ」

騎士「正気か!? いくらなんでもそれはないだろ」

男「僕だってそう思うさ。でも、マスターから将軍の話を聞いて彼が未だに心の奥底ではエルフを信じたいと思っているんじゃないかと思えて仕方ないんだ。
 最初は半信半疑だったけど、奴隷制の話を聞いてもしかしたらそうじゃないかって思えたんだよ。
 だって、本当にエルフを一人残らず根絶やしにしたいのならそんな制度を提案する必要なんてないじゃないか。
 軍の最高地位に属しているんだ、彼の提案一つでエルフの行く末なんて決まっていたようなものだ。でも彼は少なからずエルフが生きれる道を残した。
 もしかしたらそれはエルフとまた共に笑って過ごせる未来へ未練があったからじゃないのか?」

騎士「そうだとしても、そこでどうしてお前が関係してくるんだ?」

男「それは、今軍に関わりのある人間でおそらく僕が唯一エルフと心を通わせている人間だから……だと思う。
 騎士は僕の話を将軍に話したんだろう? なら、僕が過去にどれだけエルフを憎んでいてそれでも今エルフという種族を大切に思っているのかを彼はわかったんじゃないかな?
 将軍はエルフのことを憎からず大切に思っている。でも彼にとって過去や地位が邪魔して表立ってエルフに肩入れすることはできない。そうしたところで人間、エルフの両方から反感を得るだけだから……。
 でも、僕なら。もしかしたらその人とエルフを繋ぐことができるかもしれない。そう思ってくれているんじゃないかって思うんだ。
 ホント都合のいい考えだと思うけれどね」

 苦笑いを浮かべる男に騎士たちは言葉を失う。それは確かに都合のいい考えだ。だが、マスターから将軍の話を聞いたあとでは〝もしかしたら〟とも思ってしまう。
 そうこうしているうちに彼らは軍へと辿りついた。

男「ここから先は僕が将軍に話をつけてくる。ありがとう、みんな。それぞれ自分の立場があるにもかかわらず協力してくれて」

 頭を下げ、お礼を述べる男に驚きながらも照れくさそうに返事をする三人。

騎士「んだよ、今更水臭いぜ。俺たちは何度も命を預け合った仲だろ? こんなことくらいで一々礼なんて言ってんじゃねえよ」

女騎士「そうだぞ、男。仲間の願い事を無碍に断るほど私たちは薄情じゃない。それに、お前がいたから今の私たちがあるんだ」

女魔法使い「先生には一生かかっても返しきれない恩があります。それに比べればこの程度のお願い事なんて安いものです」

男「みんな……。ありがとう。僕はこんな素晴らしい仲間を持てたことを本当に誇りに思うよ」

 改めて礼を述べ、笑顔を浮かべる男。

男「それじゃあ、行ってくる。待っていてくれ、みんな」

騎士「ああ」

女騎士「待ってるぞ、男。エルフたちを取り戻してこい」

女魔法使い「まあ、あのエルフがいなくても私は構いませんが。いないといないで張り合いがありませんからね」

 男に向かって激励をし、三人はその背を見送った。そして、男は一人交渉のために将軍の元へと向かうのだった。

……



将軍に謁見できるよう軍上層部へと申し入れを行った男。しかし、現在彼は会議の最中であり、まして正式な軍関係者ではない男の申し入れ伝えたとしてもそう簡単に会えるとは思わないほうがいいという答えが返ってきた。
 しかし、男はそれでも構わないと告げ将軍から返事を待っていた。だが、その返事は彼の予想を遥かに超えた速さで返ってきた。
 一度与えられた部屋に戻った男の元に将軍の側近が訪れ、彼からの伝言を持ってきたのだ。

側近「将軍があなたとお会いするとおっしゃっております。次の会議までの間の短い時間ですがそれでもよろしければお会いになられますか?」

 男が将軍に会うのが嫌なのか、その感情を隠そうともせず嫌そうな顔を顕にしながら側近は告げる。だが、それに構うことなく男は即答した。

男「是非」

 そうして、彼は側近に連れられ再び将軍の部屋を訪れるのだった。

側近「失礼いたします。男様をお連れいたしました」

将軍「うむ。中に入れてくれたまえ。それと、君は席を外してくれるかな?」

側近「ハッ! 承知いたしました」

 側近に顎で促され男は扉を開いて室内へと足を踏み入れる。将軍は悠然と椅子に座り、男を静かに見つめていた。

将軍「さて、私も次の会議まで時間がない。さっそく本題に入ってもらおうか」

 以前のように椅子に案内することもなく男に話を促した。

男「では失礼して。私なりに将軍が用が済んでなお私をこの軍におく理由を考えてみました」

将軍「ふむ、それで?」

男「少し自信過剰の発言になりますが、私にはまだ軍に貢献できるだけの力があると思っています。未知の敵に対しても微力ながら力添え出来ると思っています。
 ですが、それだけではありません。失礼を承知で言わせて頂ければ私にはエルフを他の者より上手く扱える自信があります。
 軍の関係者はエルフに関して憎しみを抱いているものが多い。必然エルフを自然に扱えることができるものは限られます。エルフの者も人間に対し反感を抱いているものも多いはずです。
 しかし、私なら心を通わせているエルフを通じて彼らに協力を要請することが出来る可能性が高い。未知の敵に対し、立ち向かう勢力は少しでも多い方がいいのではないのでしょうか?」

 男の意見を聞いた将軍はしばしその意見について考える素振りを見せていた。将軍から返ってくる言葉を息を飲んで男は待っていた。
 今言った意見は男にとって見れば本心半分、建前半分である。エルフたちの地位を少しでもよくするために戦いに協力させることができれば思っているのも確かだ。
 だが、それを抜きにしても一刻も早くエルフを解放してやりたいという思いがあるため将軍から色よい返事が出ることを期待していた。
 かつて今の己と同じ想いを抱いていた将軍ならばと……そんな思いがあったから。
 だが、それはやはり甘い考えであった。

将軍「確かに、君の言うことも一理ある。だが、我々は君に頼らずともエルフを従えることはできるのだよ。
 今やエルフは人間より下、というのが当たり前。余計な反感が生まれるようなら力を持ってそんなものをねじ伏せればいい。
 それに軍の人間を甘く見ては困る。エルフなどの手を借りずとも未知の敵に対処することなど造作もない。
 あまり我々を甘く見てもらっては困るな」

 ドッと将軍の身体から唐突に発せられた怒気に思わず男は後ずさった。そして、己の浅はかさをここに来て痛感した。

男(しまった。将軍なら僕の考えにもしかしたら同調してくれるかもしれないと思っていたけれど……考えが甘すぎた。
 確かに彼はエルフのことを心の奥底では大切に思っているかもしれない。でも、それ以前に彼は人々を守る要である軍の最高責任者でもあるんだ。なら、否定されるなんて目に見えていたことじゃないか!)

 突然現れた希望に心躍らせ、気が緩んでいたことを今更ながら男は身をもって思い知った。だが、それでもここで諦めるわけにはいかなかった。
 おそらく、今を逃せばエルフたちを再びこの手に取り戻すことは叶わない。彼に残されたチャンスはこれが最後だということを自然と感じ取っていたのだ。
 彼の前では生半可な意見は通用しない。なら、余計な建前は全て省いて男は真摯に自分の想いを告げることにした。
 どうせ、ダメなら当たって砕けろ。そう思ったのだ。

男「申し訳ありません。あまりにも浅慮な考えでした。確かに、私などが手を貸さなくとも軍の人間には私以上に有能な者はたくさんいます。
 でも、それでも私は今回の件に関わりたいのです」

将軍「なぜかね? 聞けば君はかつての戦いで身も心もボロボロになり、もう戦いに関わりたくなくて軍を去ったはずだ。
 その君が何故また争いにその身を晒そうというのだ? 大切なものを失い、傷つくことがわかっているというのに」

男「……大切な存在がいるんです。戦いに疲れ、憎しみに囚われていた自分を救ってくれた者がいるんです。
 彼女は私たちとは違う種族です。憎み、怒り、酷い言葉ばかり投げかけていたにも関わらず、それでも僕の隣に寄り添ってくれていた。
 喪失の痛みから償いのために利用したと言っても仕方のない僕を受け入れてくれた相手がいるんです。
 そんな彼女たちを、彼女たちと同じ種族が、そして人が今危機に晒されようとしている。なら、僕はそんな彼らの力になりたい。そう……思ったんです。
 かつての戦争で彼女たちの同胞を殺してきた僕が何を言っているのかと思うかもしれません。彼女たちの同胞から憎しみをこの身に受けることになるかもしれません。
 でも、それでも! 僕はエルフたちの力になりたい。人とエルフが笑って過ごせる未来を作りたい!
 そのためにまずは僕がエルフたちと歩み寄らなければいけないんです! だから、そのためにはたとえ裏切り者と罵られようと、彼らと共に戦わなければならないんです。
 将軍! お願いします。どうか僕を軍に再び戻していただけないでしょうか!? そして、エルフと人を繋ぐ役割を与えていただけないでしょうか?」

 深く、深く頭を下げて男は将軍に懇願した。そんな男を将軍は黙ったまま見つめる。
 沈黙がその場を支配する。緊張した空気が男と将軍の間に漂う。

将軍「一つ、聞いてもいいかね?」

 沈黙の中、小さく呟いた将軍の問いかけに男は顔をあげて答える。

男「なんでしょうか?」

将軍「仮に、君を軍に戻しエルフたちを任せたとしよう。そして全てが丸く収まり人とエルフが一時的にでも和解する切っ掛けを作れたとしよう。
 だが、その後それが続くという保証がどこにある? 今までも似たような状況になったことはあった。それでも、人とエルフは何度も同じ過ちを繰り返し、結局は敵対してきた。
 もし君がそのような現実に直面したとき果たして、本当に人とエルフを繋ぐ役目を放棄できないと言い切れるのかね?」

 鋭い視線で男を見つめる将軍。この質問こそおそらく男が本当に待っていた彼からの問いだろう。

男「……諦めません、そう言うのはおそらく簡単でしょう。ですが、私は敢えてわからないと答えます。
 何故なら未来は誰にもわからないからです。かつての私はエルフを憎んでいました。その私が今ではエルフの少女を愛している。こんなこと当時は考えもしませんでした。
 人は変わる。エルフたちも同じように変わる。確かに仮にエルフと人が歩みよることができたとしても過去の過ちを繰り返してしまうかもしれません。
 でも、それでもこうも考えられませんか? 歩み寄ろうとする意志を持つ者が諦めなければいつかきっと、かつてのように互いに笑顔を浮かべ、良き隣人として共に過ごすことができるとも」

将軍「……まるで夢物語のような空想だな。現実味がまるでない」

男「でも、私は……いえ、僕はそんな夢物語を現実にできればと思っています」

 再びの沈黙。互いに視線を逸らすことなく男と将軍は視線で想いをぶつけ合った。しばらく視線を交わらせていた両者であったがやがて静かに将軍は視線を男から外し、席を立つと窓の外を眺め、ポツリと呟いた。

将軍「若いな。現実を知らず、青臭い理想論を掲げる。そのようなことができるのは若い者の特権だ。
 ……いつの間にか、私はこのような理想を聞かされるほど老いたのだ、な」

 己の過去を思い返しているのか遠い目をしながら将軍は言葉を漏らした。それは男に向けて呟いているというよりは、かつての若かりし頃の自分に向けて呟いているようにも感じられた。

男「……」

 そして、男はそんな将軍を静かに見守っていた。ある意味で今の将軍は男にとっての未来の姿の一つかもしれないからだ。
 理想を掲げ、人とエルフが笑い合える未来を信じ、それでも挫折した姿。それこそが将軍という人物であったから。

将軍「……軍に戻れば君は上からの命令を聞かなくてはならなくなる。それがたとえどのように理不尽なものであったとしてもだ。
 人からは裏切り者と罵られ、エルフからは憎しみをぶつけられる。それでも、君は茨の道を進むつもりかね?」

男「元より覚悟の上です」

将軍「そう……か。ならば、私も時にはそのような青臭い理想に賭けてみるの悪くはないかもしれないな」

男「で、ではッ!」

将軍「君の復隊についてはこちらで処理しておこう。そして、エルフと関わりを持てるようにも手配しよう。
 君のエルフたちに関しても解放するように指示を出しておく。ただし、今後君は私の直轄になると思ってくれたまえ。このような無茶な要求を聞くのだ、命令があればそれに従い、手に入れた情報は何一つ隠すことなく伝えるように。
 特に、例の〝黄昏〟に関する情報は特に。今はなによりそれに関する情報が惜しい」

男「は、はいッ! ありがとう……ございます!」

 先ほどと同じくらい、いやそれ以上に深々と頭を下げ将軍に感謝する男。こうして彼は再び軍へと所属することになりエルフの解放に成功したのだった。

……



 将軍からエルフを解放する指示をすぐに出してもらった男はすぐさま彼女たちが捉えられている牢へと向かった。短いと思うなどおこがましい。彼女たちをこんな目にあわせてしまったことを申し訳なく思い、再会したらすぐにでも謝ろうと思い、駆けていった。
 そして、目的地である牢へと辿りついた男はすぐさま囚えられている囚人たちの中からエルフと旧エルフの姿を探した。

エルフ「……男、さん?」

男「エルフッ!」

 牢に入ってすぐ、入口から近い牢屋に入れられていたエルフが男の名を呼んだ。すぐさま、男は事前に預かっていた牢の鍵を手に取り彼女たちを捉えている鉄格子の錠を開けた。

男「ごめん、こんな目に合わせて。でも、もう大丈夫だから。迎えにきたよ、君たちを」

旧エルフ「……もう、遅いですよ男さん。ずっと、ずっと待っていたんですからね……」

 鉄格子の扉を開くと同時に涙目になったエルフと旧エルフが男の胸に飛び込んだ。再会の喜びに満ち溢れる三人。男は二人の少女を二度と離さないと表すように、両腕で二人の身体を強く、強く抱きしめた。
 だが、その光景を快く思わないのか他の牢に囚えられているエルフたちは冷めた目で三人を見つめていた。そして、牢の最奥に囚えられている存在もまた今は彼らと同じ心境だったのか三人の再会の喜びに水を差すように声を上げた。

傷エルフ「忌々しい人間め。何が迎えに来た……だ。白々しい。どうせ、貴様も他の人間どもと同じように都合が悪くなればその少女たちを切り捨てるのだろう?」

 唐突に投げかけられた言葉に男は驚いた。だが、それは彼から投げかけられた言葉に反応してではない。その言葉を発する声が余りにも鮮明に彼の記憶に残っていたからだ。

男(まさか、まさか、まさかッ!?)

 エルフたちをその場に止め、男は牢の最奥に向かって歩いていく。バク、バクとやけに心臓が高鳴る。頬には冷や汗が流れ、心の奥底に封じ込めた憎悪が静かに湧き上がってくる。

傷エルフ「なんだ、今の言葉が勘にでも触ったか? それとも聞こえなかったか?
 なら、今度はもっとわかりやすく言ってやろう。
 いいか、人とエルフが分かり合うことなどけしてない。なんと言おうと、これは絶対だ!」

 とうとう彼のいる鉄格子の前に立つ男。鉄格子の先にいたのは忘れることなどできないかつての仇敵の姿。
 己の友を、家族を、大切な仲間たちの命を奪っていった彼にとって最も憎い存在がそこにはいた。

男「お前……は」

 男の脳裏に先ほど将軍と交わした言葉が蘇る。

将軍『仮に、君を軍に戻しエルフたちを任せたとしよう。そして全てが丸く収まり人とエルフが一時的にでも和解する切っ掛けを作れたとしよう。
 だが、その後それが続くという保証がどこにある? 今までも似たような状況になったことはあった。それでも、人とエルフは何度も同じ過ちを繰り返し、結局は敵対してきた。
 もし君がそのような現実に直面したとき果たして、本当に人とエルフを繋ぐ役目を放棄できないと言い切れるのかね?』

 その言葉を告げられてからまだ幾ばくも経たない。にも関わらず男は早速その現実に直面することになる。
 そう、それはかつて己の大切な存在を奪っていった傷エルフに男がどう反応するかということ。
 人とエルフ。互いに互いを憎しみあう二種族を繋ぐ役割を与えられ、それを受け入れた男。
 茨の道と知ってなお進んだ一歩目。彼はあまりにも重い現実に直面することになった。
 〝選択〟の時は来た。彼がかつての導者や将軍のように挫折してしまうのか。それとも、未だ見果てぬ未来のために別の道を選ぶのか。
 その、時が……。

息が詰まり、喉が乾く。冷や汗が流れた痕を撫でるように牢屋に漂う冷たい空気がそっと触れる。高鳴る心音、湧き出す憎悪。
 かつての仇敵との再開から数秒。たったそれだけの時間にも関わらず、目の前にいる男の様子はそれまでの温厚な彼とはかけ離れたものへと変わっていた。

男「……お前は、お前はッ!」

 ギリッと強く奥歯を噛み締め鉄格子を勢い良く掴む男。彼の身から発せられる憎悪と怒りに思わずこの牢屋にいる者たちはたじろぐ。ただひとり、傷エルフを除いて。

傷エルフ「どうした、人間。何をそんなに怒っている? そんなに先ほどの言葉が気に入らなかったのか?」

 怒りの形相で傷エルフを睨みつける男。彼にとって目の前にいる傷エルフという存在は忘れることなどできない存在である。だが、傷エルフもそうであるかというと、それは違う。
 かつて二度、男は傷エルフと対峙した。一度目は無力な少年として、二度目は己の力を過信し、仲間を失った時。
 彼にとって日常や居場所を奪った相手は未だに男が何故こうも怒りを顕にしているのか理解していない。それはつまり、男にとって忘れることなどできない辛い過去も彼にしてみれば些細な出来事の一つであったということだろう。
 そして、それを理解したからこそ男は傷エルフのことが許せなかった。

男「僕を見て、何も思い出さないのか! 僕の家族も、仲間も、愛した人さえも奪っていったはずなのに!」

 身を震わせながら悲痛な叫びをぶつける男。だが、傷エルフはそんな男を鼻で笑い、冷たい言葉を浴びせた。

傷エルフ「ふんッ。何かと思えば、そんなことか。馬鹿馬鹿しい……。
 命を奪った人間のことなんて一々覚えているわけないだろう。そんなことを覚えてるくらいならお前たちに殺されていった同胞たちとの思い出を覚えていられるように努力してるさ」

男「貴様ッ!」

傷エルフ「どうした? そんなに俺が憎いのなら今すぐにでも殺してみればいいだろう? こっちは丸腰だぞ。鎖に繋がれ身動きを取ることすら叶わない。そんな相手を前にして何故お前はそうも吠える?
 ほら、やりたいのならやれ。口ではいくら綺麗事を述べたところでお前も所詮他の人間たちと同じだ」

男「なん……だとッ!?」

傷エルフ「それとも何か? 俺の記憶にはないようだが、どうやら俺はお前の仲間や家族の命を奪ったらしい。
 にも関わらずお前は生きている。つまりお前は仲間や家族を守ろうともせず逃げ出したりしたんじゃないか? でなければ今こうしてお前のように吠えるだけで何も行動を起こせない臆病者が生き残れるはずがないからな。
 ハッ! フハハッ! アッハッハッハッハッ!」

 傷エルフにとって唯一自由を得ている口で彼は男を挑発し、侮辱した。高笑いを上げる彼に同調するように先程まで男の発する怒気に萎縮していた他のエルフたちも同調するように笑い声を牢屋に響かせた。

男「お前は……お前みたいなやつに……ッ!」

 そう呟くと同時に、男の脳裏に家族やかつての仲間たちとの思い出が駆け抜けた。
 温かな日常。くだらないことで笑って、裕福ではなくとも明るい家族や友人たちに囲まれ優しい日常に包まれていた。
 全てを失い、自暴自棄になる自分に優しく手を差し出してくれた仲間たち。強くなろうと決意する自分に文句を言うことなく快く手を貸してくれた彼ら。
 そんな遠い昔の優しい記憶が蘇り、そして無神経な言葉で汚される。
 彼らはこんなやつに殺されなければならなかったのか? 何故? どうして?
 ……そんな疑問が男の心の内に湧いては消える。

男(こんなやつに、みんなは……。許せない、こいつだけは絶対に許してはならない!)

 先程までの駄々っ子のように怒りをぶつける態度から一変。男は身も凍るような眼差しで傷エルフを見下ろし、指先に光を宿した。

傷エルフ「ほう……ただの臆病者だと侮っていたがそうでもないらしい。先ほどの言葉は少し訂正しておこう。お前は臆病者の皮を被った殺人者だ」

男「言いたいことは、それだけか?」

 そうして男の意志を反映するように光を宿した指先は滑らかに宙を滑り幾何学紋様を描いていく。
 今まさに〝選択〟の結果が決まろうとしたその瞬間。対峙する男と傷エルフの間に漂う空気を壊すようにエルフの叫び声が牢屋に響いた。

エルフ「だ、めえええええええええええええええええええ!」

 その叫びを聞いて男の身体がビクリと僅かに跳ねる。その際に集中力が途切れたのか綺麗な紋様を描いていた指先の光は煙のように消え、宙を漂う紋様も姿を消した。
 驚く暇もなく男と傷エルフの間に割って入り、男を止めようとその体にしがみつくエルフ。

男「エルフ!? そこをどいてくれ!」

エルフ「嫌です! だって男さん私がここをどいたらこの人のこと殺そうとします」

男「何を当たり前なことを! こいつは、こいつだけは許しちゃいけない!」

エルフ「なら尚更どきません! だって、今の男さんは私の知ってる男さんじゃない! 男さんはいつだって優しくて、明るくて、笑顔を浮かべて……今みたいに怖い顔をして相手を殺すなんて軽々しく口にしません!」

男「それは違う! これが僕だ! いや、これも僕なんだ!」

エルフ「だとしてもッ! 私は男さんにそんなことして欲しくない。男さん、前に私に言ってくださりましたよね?
 〝何かを許せるようになること〟ができるのが大人だって」

男「ああ、言ったさ! けれど、絶対に許せないこともあるってことも君に言ったはずだ!」

エルフ「確かにそうです! でも、今の男さんはそれ以前の問題です! 私に言いましたよね? もしかしたら相手にも何か事情があるかもしれない。だからまずはそれを聞いてみて、それでも許せないというのならそれは仕方ないことだって!
 でも、今の男さんはそれをすることすら放棄して、ただ自分の都合だけを押し付けて怒ってる。
 それじゃあただの子供です! 私にだってわかるんですよ、そんなことが!
 私に、私に……大人ってどういうことなのかを教えてくれた男さんは今みたいに感情をただぶつけるあなたみたいな人じゃない!」

 気づけばいつの間にかエルフはポロポロと涙を零しながら男に向かって己の想いを訴えていた。そんな彼女の姿を見て僅かながらも冷静さを取り戻した男はハッとして怒りを少しずつ沈めていった。
 そんな彼らのやり取りを傷エルフはもちろん旧エルフや他の囚人エルフたちも黙って見ていた。

男「……そう、だったね。ごめん、エルフ。あれだけ偉そうに君にそのことを教えていた僕がこんなんじゃ、駄目……だよね」

 怒りに我を忘れ、強く握りしめていた片方の拳をゆっくりと開いていく男。そして、開いたその手を涙を流し己を止めようとするエルフの頭にいつものように優しく乗せ、撫でた。

エルフ「男……さん?」

男「ありがとう、エルフ。覚悟しているなんてあれだけ偉そうに将軍に啖呵を切ったくせに僕は何一つ分かっていなかったみたいだ」

 何度も己の頭を撫で、髪を梳く男の手をエルフはただ静かに受け入れる。そして男は自分のせいで彼女に涙を流させてしまったことを心底後悔しながら未だに頬を伝う彼女の涙をそっと指で拭い去った。
だが、落ち着きを取り戻した空気に再びヒビを入れるように渇いた声で傷エルフが男たちに暴言を投げかける。

傷エルフ「……ふんッ! なんだこれは? 茶番もいいところだな。怒りも、憎しみも心の奥底で煮立っているにも関わらず、それに無理やり蓋をして見ないフリをする。
 なんだ? これがお前が選んだ選択とでもいうのか? つまらん、実につまらないな!」

男「なんだと?」

傷エルフ「綺麗事を並べ立てるな! 真実から目を背けるな! 怒り、苦しみ、憎しみ。その全てを吐き出してみろ!
 それが人間! 非道で、悪逆で、嘘偽りにまみれている! それこそが人という種族の本質だろうが!」

男「黙れ……」

 傷エルフの言葉の数々に一度は平常を取り戻した男の心が再びかき乱される。

傷エルフ「そうだ、怒れ! 本性を見せろ!」

 先程とは違い、傷エルフに詰め寄ろうとはしないものの、再び握り締めた男の拳からは血が流れていた。
 そしてそれに気がついたエルフは、また彼が先ほどのように豹変してしまわないか不安になり、彼の腕を掴む力をより強めた。
 緊張する牢屋。だが、その空気に終止符を討ったのはこれまで一言も意見を発することなかった旧エルフだった。

旧エルフ「なにが……いけないんですか?」

傷エルフ「なに?」

旧エルフ「確かに、人という種族は非道で、悪逆で、嘘偽りにまみれているかもしれない。実際、私はそんな人間を多く見ました。
 自分のことばかり考えて、戦争に負けた私たちエルフという種族を下に見て、軽く扱う。そんな人間を……」

傷エルフ「そうだ、こいつも他の人間たちも」

旧エルフ「ですが! それが全てではないということも私は知っている!」

 傷エルフの言葉を遮り、大声を上げて彼の言葉を否定する旧エルフ。そんな彼女の態度に僅かながら傷エルフが怯んだ。

旧エルフ「ええ、そうです。あなたの言うことにも一理あります。でも、それだけなんてことはきっとない!
 だって、本当にそうなら男さんは自分の立場が危うくなるかもしれないのこうして私たちを助けに来る必要なんてなかったはずです!
 そうでしょ? 今の時代私たちエルフの地位は低い。何故? 答えは簡単。私たちは戦争に負けたからです!
 分かり合える道も、手を取り合って助け合える道もあったはずなのに一部の戦争肯定派の人に先導され、流されて、その結果がこれです!」

 周りにいるエルフ立ちに向かって旧エルフが叫ぶ。それに対して文句を言う者は今のところ一人もいない。

旧エルフ「この中には戦争に巻き込まれただけで、こんな立場になった人だっているかもしれない。
 でも、だからといって私たちが人間だけを否定するのはおかしい!
 非道な扱いを受けたかもしれない。辛い思いをして、相手を憎むことがあったかもしれない。
 でも、それで全ての人間を憎むなんておかしい! だって、人もエルフも条件は同じだったはずです!
 戦力に差があった? 卑劣な罠にハメられた? そんなの関係ありません! だって、戦争を始めた時点でそんなことを言うのはお門違いだからです!
 もし仮に私たちが戦争に勝っていたらのなら、こうなっていたのは人間のほうなんです。憎いのも、人に対して怒りを持つのも仕方がないことかもしれない。
 でも、それならどうして私たちは戦争を止めようと考えなかったんですか!」

 旧エルフの訴えに牢に囚えられているエルフたちがざわめき始める。だが、どこからかポツリと彼女に対する反論が漏れた。

?「なら、あんたは止めようとしたのかよ」

 そんな小さな意見は彼女の意見の正当性を認めたくない囚人たちにより一気に熱を持ち、次々と反論を生み出した。

囚人エルフA「そうだ、そうだ! お前はどうなんだ? さっきから聞いてりゃ偉そうに説教をかましてくれて。止めようとしたのか、戦争を! それともお前がいれば人とエルフが分かり合える道でも作れたっていうのかよ!」

囚人エルフB「そうよ! だいたい、旦那の話を聞いていればこの人間だって私たちと戦ってたってことじゃない。なら、こいつを憎んだとしても別に悪くないじゃない!」

囚人エルフC「そうじゃのう。確かに人にもいいものがおるかもしれん。だが、悪いものもおるのじゃ。お前さんは自分の家族を人間に奪われ、それでも人と手をとりあえというのか!」

 次々と浴びせられる非難。それを聞いたエルフは不安そうな様子で男の顔を見上げる。
 男は彼らエルフの批判を静かに聞き入れ、黙ったまま旧エルフの横顔を見つめていた。
 そして、旧エルフはそんな男の視線に気づき優しく微笑み返した。

旧エルフ「あなたたちの言うことももっともです。だって、私も状況に流されていた一人ですから。エルフが勝つと信じ、それでも戦いたくなくてずっと戦いから逃げていた臆病者です。
 私一人戦争をやめようだなんて声を上げても何も変わらなかったでしょう。でも、戦いたくなかったエルフだって私以外にもきっといたはず。そんな思いを持った人たちが一丸になって声を上げていたらもしかしたら何か変わっていたかもしれません。
 でも、もう終わってしまった過去は変えられない。だから、私は前を向くことにしました。
 人とエルフ。二つの種族が手を取り合っていけるように。たとえそれが本当に小さな一歩だとしても」

 そうして旧エルフはゆっくりと男の横へと歩いていき、彼の手を取った。それを見て男は一瞬驚いた顔をしたが、彼女の微笑みを見て同じように微笑み返した。

男「……ありがとうエルフ、旧エルフ」

 二人から勇気をもらった男は再び牢に繋がれた傷エルフに目を合わす。先程とは違う意思のこもった視線で。

男「本心から言えば僕は今でもお前が憎い。気を抜いて心の奥に残った憎しみに任さればすぐにでも僕の心はお前めがけて殺意を向けるだろう。
 でも、僕はそんな〝選択〟をしない! だって、僕にとって今一番大事なのは彼女たちだからだ!
 僕がお前を殺せば彼女たちは同胞を殺され、きっと悲しむ。
 だから、だからッ! ……僕はお前を殺さない。たとえそれが、家族や大切な仲間を僕から奪ったお前であろうと……」

 一言、一言。それこそ身を切るような思いで必死に怒りを抑え男は言葉を吐きだした。強く握り締める両拳には彼を支える二人の少女の手が上から優しく重ねられている。

男「……今、人とそしてエルフにとって敵になるような未知の存在が現れている。過去にもそいつは現れ、その際には人とエルフが共に手を取り戦い勝利を収めたそうだ。
 今、人とエルフの間には大きな溝ができ、かつてのように戦うことはできなくなっている。
 けど、このままじゃおそらく人にとってもエルフにとっても最悪な未来が待ち受けていると僕は思っている。そうならないためにも僕はかつてのように二つの種族が共に手を取り合い、戦えるように動くつもりだ。
 たとえ味方から裏切り者と罵られようと、エルフたちから憎しみをぶつけられようとも!
 彼女たちと僕が共に歩いていける未来を創るために!」

 シンと静まり返る牢屋。男の真摯な言葉、それが嘘偽りではないことを気迫で悟ったのか誰も何も言おうとはしなかった。だが、それを聞いたところで傷エルフが男を見る目は何も変わりはしなかった。

男「……言いたいことはそれだけだ。僕は前に進む。それこそが僕が力なく失った家族や友、そして仲間。それから戦争という熱に当てられ、憎しみに任せて命を奪っていった彼女たちの同胞に対してできる唯一の償いだと思っているから。
 過去を忘れるつもりは微塵もないけど、それでも過去に囚われることだけはもうしない。エルフが止めてくれたように、旧エルフが教えてくれたように、僕は新しい未来に向かって進んでいく」

 そうして男はエルフと旧エルフを連れ牢屋から出ていった。遠くで扉が閉まる音が聞こえると、静けさの余韻が残るこの牢屋で傷エルフは忌々しげに呟いた。

傷エルフ「前に、進むだと? そんなこと、させるものか……」

 新たな未来へ向けて前に進んだ男と、未だ過去に囚われ続ける彼の再会は、それぞれの心に大きな波紋を生みながらも、こうして終わりを迎えたのだった。


エルフと旧エルフ。二人を己の傍へと取り戻した男はその対価として軍への復隊を要請された。
 その話は瞬く間に軍関係者の元へと届けられることになり、ある者は戸惑い、またある者は伝説の分隊の隊長が復帰することへの喜びを顕にしていた。
 ほぼ多くの者が顔を合わせたことのない男という存在は軍に所属する兵士たちの話題の中心になり、気づけばその噂はかつての戦いの栄光の記録と共に民衆の耳にも渡っていったのだった。
 とはいえ、当の本人といえばこの噂が広まることをあまり好ましく思っておらず、苦い表情を浮かべながらこの状況を受け入れていた。

男「……はぁ。気が重いよ」

 軍内部の一室。騎士にあてがわれた部屋に置かれた椅子に持たれエルフたちの前では見せない弱気な様子を見せる男。そんな彼に書類処理を行っていた騎士がつい口を挟んだ。

騎士「おいおい、そんなんでこれからやっていけるのか? ただでさえ戦時中の話が脚色されておもしろおかしく語られてるんだぞ。
 俺もさっき食堂に行ってきたが他の隊に所属してる兵士たちにお前のこと聞かれまくったんだぞ?
 ……ま、そのほとんどが実際のお前とはかけ離れたもんだったけどな」

男「噂って本当に怖いね。なんか僕巨体で筋骨隆々、それに加えて頭も回るなんて思われているみたいだ。さっき街にふらりと出たときに街の人がそんな話をしてたよ。
 まあ、そのおかげで僕がその噂の張本人だって気づかれなかったんだけどさ」

騎士「……ぷっ。巨体で筋骨隆々? お前がか?
 あっはっは! こりゃおかしい。こんなひょろっひょろな身体したお前がか? そりゃ笑える」

男「……そんなに笑わなくったっていいだろ! そりゃ、僕だって自分のそんな姿想像できないけどさ」

騎士「わりい、わりい。いや、あんまりにもおかしかったからさ」

男「全くもう……」

騎士「でもさ、形はどうあれこれでまたあの時みたいに全員揃ったんだな」

男「……そう、だね」

 騎士の呟きを聞いた男はもう遠い昔のように思える過去を思い返した。戦争の熱に当てられ、狂気に飲まれ、その果に身勝手な行動とも取られてもしかたない軍からの離脱を図った男。
 戦勝に震える周りの目を盗み軍から去る際、彼を見送った騎士が最後に叫んだ想いを男は覚えている。
 いつか再び、この場所に戻ってくるのを待っているという彼からの約束を。
 長い、長い寄り道。結果としては不本意なものだったかもしれない。それでも、彼は再びこの場所へ戻ってきた。
 怒号と、血が飛び交い、命の奪い合いをする血なまぐさいこの世界に。しかし、そんな中でも大切な仲間に背を預け、明るい未来のために語り合ったこの世界に。

男「戻って……きたんだね」

騎士「ずっと、ずっと、お前が帰ってくるのを俺たちは待っていた。改めて言うと何か気恥ずかしいが一応言っておくぜ。
 ……おかえり、男」

男「ああ。ただいま、騎士」

 いつもならここで姦しい女性たちがこの会話に割り込んでくるのだが、幸い今この場にいるのは男二人のみ。多少青臭い言葉が交わされようとも、笑って流せられるこの空気は男性に与えられた〝友情〟という名の特権だろう。

騎士「……やっぱ柄じゃねえなこういうの。今更恥ずかしくなってきたわ」

男「僕もだ。いつもなら女魔法使いとかがここで横槍を入れるんだろうけどね。『騎士さん、そのセリフ恥ずかしくないんですか?』とかさ」

騎士「あ~あいつなら言いそうだ。毎回毎回余計なツッコミばっかり入れやがってよ。てか、あいつの人格形成の大部分はお前のせいなんだからどうにかしろよ、〝先生〟」

男「やめてってば。その先生っていうの言われると恥ずかしいんだよ。女魔法使いは僕のこと高く買ってくれてるみたいだけど、僕なんて全然そんな風に好意を寄せてもらえるような立派な人間なんかじゃないんだから」

騎士「まあ、同じ部隊の人間に手を出すくらいだからな~」

男「ちょっ!? え? ど、どうして?」

騎士「気づかねえわけねえだろ。戦時中あんだけ夜中に出かけてりゃだいたい察しはつくっての。俺はてっきり女騎士とお前があのままくっつくと思ってたんだがな……」

男「……その話はやめようよ。いや、やめてくださいホント。女騎士に申し訳が立たないから」

騎士「ハッハッハ! これで普段俺があいつらからいじられるのがどれだけ辛いかわかったか。
 ま、あいつもある程度あの時のことには割り切りができてるだろうし笑い話にしてやるくらいがちょうどいいだろ」

男「いや、それは女騎士が怒るでしょ……」

騎士「いいんだよ。これぐらいにしなきゃあいつも次に進めねえだろうしな」

男「なんだか騎士が立派に上官してる……」

騎士「意外そうにするなよ! あいつらの前じゃ形無しだけどこれでも結構人望ある方なんだぞ!」

男「ふふっ。そんなことわかってるよ。だって騎士って訓練生の時からみんなから慕われてたしね。僕もそんな騎士に救われた一人だからさ、騎士を慕ってる人たちの気持ち、よくわかるよ」

騎士「お、おう……。なんか、急に褒められると違和感がすごいな」

男「アッハッハ! 普段どれだけ貶されてるんだよ。全く、騎士らしいと言えばらしいけど」

騎士「うっせえな……」

数日前の緊迫した空気から一変、和やかな雰囲気に包まれる室内。だが、そんな時間も彼らの元を訪れた将軍の側近によって終わりを告げる。

側近「失礼します。男さん、騎士さん、将軍からの言伝を預かってまいりました。男さんからの情報と、北方軍からの被害要請を受け、軍本部は〝黄昏〟の被害拡大に伴い軍による敵戦力殲滅命令が下されました。
 現在、敵は北方から中央に向けて進行中とのこと。これに対し我ら中央軍から兵を派遣することが決定しました。
 お二人には戦闘準備における部隊編成及び、今作戦において特別に作成される部隊、エルフ部隊に関するお話があるそうです。今すぐに将軍の元へと向かってください」

 側近からの言伝を聞いた二人は顔を見合わせ、すぐさま部屋を出て将軍の元へと足を向けるのだった。

 その晩、中央軍に所属する兵士たちにある情報が伝えられた。それは、エルフとはまた別の未知の敵〝黄昏〟という魔物の殲滅作戦だった。これに伴い、現在軍が把握している町や村、そして人的被害が公開され、兵士たちはこの情報に驚き、そして戦慄した。
 エルフとの戦争終結からまだ数年。にも関わらず〝人〟という種族の前にまた新たな障害とも呼べる敵の存在が現れたのだ。やはりというべきか、兵たちの間には動揺が生まれた。
 しかし、彼らの中には状況を楽観視する者もいた。なぜなら、先の大戦における英雄である将軍がこの中央には存在すること。そして以前から噂は流れていた、西方の戦いで多大な功績を上げた分隊を率いた男の復隊が事前に彼らの耳に届いていたからだ。
 つまり、今回戦争終結直前以来の伝説の分隊に所属していた者たちがこの中央に揃ったということになる。それ以外にも腕利きの兵士たちが多数集まるこの中央軍。たとえ未知の魔物が相手であろうと彼らがいれば敗北することなどありえないと考えるものも少なくなかったのである。
 もたらされた情報、英雄たちのかつての逸話、そしてこの後彼らを待ち構える戦いについて。話題は尽きず、夜は過ぎた。
 明朝。兵士たちに衝撃を与えた〝黄昏〟に関する情報開示から一夜明けたこの日。
 とうとう将軍直々に今作戦の内容説明と軍に複隊した男のお披露目が軍施設の広場にて行われようとしていた。そして渦中の人物である男は今広場へと続く建物の廊下から、規則正しく整列している兵士たちの姿を眺めながら将軍と共に向かっていた。

将軍「さて、準備はいいかね?」

男「……はい。でも、私何かがこんな場所にいても大丈夫なんでしょうか?」

将軍「ん? どう言う意味かね」

男「いえ、場違いじゃないかと思いまして。まして私は一度軍から逃げた人間ですし」

将軍「問題あるまい。それを知っているのは軍の中でもほんのひと握りの者だけだ。ほとんどのものは君が戦争終結の理由で退役したと思っているよ。
 負い目からか君は自己評価が低いようだが、軍の中では君が率いた分隊を尊敬する者も多い。もう少し堂々としていたまえ。それだけ君たちが成した功績は大きかったということなのだから」

男「……そう、ですね」

将軍「それに、本当の試練はこれからだ。今は羨望の眼差しを向ける兵士たちが明日には失望しているかもしれないんだからね。
 君がこれから進もうとしている道はそういう道だ」

男「ええ、よくわかっています。今度こそ、本当に」

将軍「よろしい。では、行こうか。そろそろ時間だ」

男「はい」

 そうして二人は廊下を抜け、広場へと足を踏み入れた。
 将軍、そして男の姿を捉えた兵士たち。一瞬、ざわめきが広場に拡散する。だが、兵たちの前方に二人が歩み、その足を止めた瞬間ざわめきは静かに収束していった。
 静まり返る広場。あまりにも多くの視線に晒された男は僅かに萎縮した。だが、先ほどの将軍の言葉を思いだし、できる限り堂々としていようと胸を張る。
 そして、男の隣で悠然と集まった兵士たちを見回す将軍の元に一人の女性兵士が近づいた。

女性兵士「将軍、拡声魔法をかけさせていただきます」

将軍「よろしく頼む」

 そう言うと女性兵士は指先で魔法紋を描き、魔法を発動させた。将軍の口元に小さな幾何学模様の紋様が現れ、彼がコホンと小さく咳払いをするとそれに紋様が反応し、小さく光ったと思うと一拍遅れて先ほどの将軍が吐いた咳の音を広場全体に響かせた。

将軍「諸君、今日集まってもらったのは他でもない。既に皆の耳に入っているとは思うが、今我々人類に再び危機が訪れようとしている」

 本日の本題を語り始めた将軍。その言葉を一言一句聞き漏らさぬよう、兵士たちは緊張した面持ちで彼の言葉に耳を傾ける。

将軍「かつて、我々の前には一つの大きな危機が訪れていた。そう、言わずともわかるだろうエルフとの大戦だ。長きに渡り続けられてきた人とエルフの争いは我々〝人〟の勝利に終わった。
 得たものは大きい、気の遠くなるほど長い、長い戦いを我々の代で終結させることができたのだから。
 だが、同時に失ったものもまた、多かった。戦争の影響で土地はやせ細り、民は飢え、治世は乱れ、多くの命が失われた。
 あれから数年。ようやく、平穏だと口にできるまでには我々を取り巻く環境は回復した。
 だが、しかし! そんな平穏を壊そうとする存在が現れた。そう、それこそが〝黄昏〟! 我々〝人〟に再び害なす存在が!」

 熱の篭った将軍の言葉が兵士たちの胸を打つ。最高指導者の、英雄の言葉に明かりに惹かれる蛾のごとく兵士たちの視線が集まる。

将軍「彼奴は争いとは無関係な民間人を虐殺し、村や町を幾つも滅ぼした。これを我々は許すのか!? いや、許すことなどできまい!
 聞け! 無残に殺された民の嘆きを! 恐怖に震え、痛みに耐え、涙を流し、それでも救われなかった無垢な魂の叫びを見過ごすことなどできない!
 諸君、武器を取れ! この戦いは殺された民に捧げる鎮魂歌だ! 敵を殲滅し、勝利の花束を彼らの墓標に捧げるため、武器をその手に今立ち上がれ!」

 熱を込めた語りが終わり、広場は静寂に包まれる。だが、それも一瞬。誰かが声を上げると、それにつられるように天に向かって次々と声が響き渡る。広場一体を揺らすような叫びの数々。兵士たちは熱狂し、将軍から受け取った言葉に打ち震えた。

男「……すごい」

 そんな光景を見た男は思わず呟いた。人心をまとめあげるカリスマ性もそうだが、彼の一言でこれだけの人間が動くということを認識し、男は衝撃を受けた。

男(これは、下手な考えを実行しないで正解だったかな)

 エルフと旧エルフを奪還する際に力ずくで取り返す手段もあったが、そんな行動を取らなくてやはり正解だったと男は改めて実感した。
 これが〝英雄〟。数々の戦いを経て、神聖視されるまでにその存在を昇華させた、存在というものの一つの極点。

男(けど、僕が辿り着きたいのはそこじゃない。どちらかといえば将軍とは対極に位置する存在だ)

 そう、男が目指すのはあくまでも〝導者〟。人々の人心を掌握し、神聖視されるような存在ではない。
 彼があろうとするのは、人とエルフという違う種族を繋ぐ仲介人。そのために必要なのは、二つの種族に対する深い理解であり、けして他者からの尊敬の眼差しなどではない。
 兵士たちの熱狂冷めやらぬ中、再び将軍が口を開く。

将軍「皆の平和にかける思いを改めて確認でき、私はとても満足している。さて、今からもう一つ別の話をしようと思う。先程から気になっている者も多いだろうことについてだ。
 今、私の隣に一人の青年がいる。彼は一度軍を去った身だが、今回の件についていち早く気づき、こうして我々に迫る危機について忠告してくれた情報提供者だ。
 彼がいなければ、我々はまだこの事態を楽観視し取り返しのつかない状況に陥ってしまっていたかもしれない」

 次々と将軍の口から溢れる賞賛の言葉の数々に男は驚いた。

男(……すごいな。確かに情報を提供したかもしれないけれど、そこまでにどんな強引な手を使ったかなんて微塵も表していない。
 ある意味一軍の将のすることらしいといえばらしいけど、裏で何があったのかを体感した本人としては複雑な心境だな……)

 そんな男の心中を知ってか、将軍はチラリと彼の顔を横目で見た。そして少しだけ愉快そうな顔をしながら話を続けた。

将軍「諸君の中には彼のことを知る者も多いだろう。かつてエルフとの戦争において戦争終結の要因の一つになったと言っても過言ではないある分隊の存在を。
 彼は、かつてその分隊を率いた隊長である男だ。もっとも戦争終結と同時に軍を去ってしまったが……。
 だが、それもこの間までのこと。今回の危機に伴い彼は我々の力になるため再び軍へと複隊してくれた!」

 将軍の言葉に兵士たちが先程よりも更に熱を持った歓声を上げた。まさに今、広場の中の熱気は最高潮にまで高まっているだろう。

将軍「今作戦には彼も参加する。ある部隊を率いる身として」

 将軍の発言に兵士たちのざわめきがより大きなものへと変わる。彼らの中にはもしかしたら自分こそがと思うものもいるのだろう。だが、その反応は次に将軍が発した言葉によって呆然としたものへと変わる。

将軍「彼は今作戦において実験的に投入されるエルフによる部隊の隊長として動いてもらうことになった。なお、この部隊に組み込まれる人間は隊長を務める彼と、彼の補佐をしてもらう騎士の二名のみ。
 ……話は以上だ」

 こうして、将軍から兵士たちに向けられた話は終わった。この出来事は彼らの心に驚きと戸惑いを残し、ポツリ、ポツリと広場から少しずつ兵たちは去っていくのだった。

 軍に所属する兵士たちにとって衝撃的な演説から早数日。あの演説の後、すぐさま遠征のための準備を整えた中央軍は本拠地である中央都市を離れ、殲滅対象である〝黄昏〟の元を目指し行進を続けていた。
 その中には当然、男や騎士たちの姿もある。そんな中、まるで不純物のように兵たちに紛れて行進を共にする複数の集団があった。
 周囲からの冷たい視線に晒され、ビクビクと周りの目を気にしながら歩く集団。先日将軍によって発表された〝エルフ〟の部隊がそこにはあった。

男「……」

 そんなエルフたちを率いて歩く男。少し前までは興味と好奇心の視線を浴びせられていた彼もまたエルフたちと同じような扱いを受けているのだった。

騎士「男、その……あんまり気にすんな」

男「ん? どうかしたの、騎士」

騎士「どうかしたって……。その、お前ももう気づいてるだろ? 今この作戦に参加している他の部隊の奴らがお前のことなんて噂してるか」

男「ああ、そのことか。大丈夫、知ってるよ。〝左遷〟〝裏切り者〟〝エルフにたぶらかされた者〟簡単に言ってそんなところだろ?」

騎士「やっぱり知ってたか。薄情だよな、つい先日まであんだけ都合よく英雄の帰還だとか伝説の部隊長の復帰だとか噂してたくせに」

 そう、今男は他の部隊に所属する兵士たちからあらぬ噂を立てられてしまっていた。将軍の突然のエルフによる部隊の発足発表。そこにかつての戦争終結の立役者の一人である男の就任。
 突然のことに戸惑い、疑問を抱く者も多かった。
 しかし、兵士たちの疑問の声は上がれど、その部隊発足を告げた当の将軍の口からは何も語られることはなく、人々は様々な憶測を立て、より現実的な考えを結論に据えることでどうにか自分を納得させようとした。
 その結果、男自身の過去や今の彼自身の行動、そしてどこかから漏れた情報により、ある憶測が結論に置かれた。
 それは、男が軍所属時に重大な規則違反を犯し軍を追放されたというもの。だが、そのことは一般の兵士には伝えられることなく現在に至った。
 そして、〝黄昏〟という未知の敵が現れた際、いち早く敵の情報を持ってきたことにより名誉挽回の機会を与えられエルフを使った部隊を率いて功績を上げれば、今後の待遇について考えるというものだった。
 彼がやけにエルフと親しくしているのは、追放された先でエルフの娼婦に出会いエルフに対し情を抱いてしまった、あるいは肉体を重ねたことによりたぶらかされたためだと陰で言われている。

男「まあ……ね。でも仕方ないさ。いきなり〝黄昏〟が過去にも現れた敵であって、その時にはエルフと人は協力して倒したなんて言ったところで誰も信じない。
 むしろ、妄言を口にしていると思われて益々兵士たちから奇異な目で見られるだけだよ」

騎士「でも、やっぱり納得いかねえよ!」

男「そうだとしても無理やり納得するしかないんだよ。それに、僕がかつて軍から逃げ出したのは事実だ。誰が何を言おうと、僕は一度は殺されても仕方のないことをしたんだ」

騎士「それはッ!?」

男「名誉挽回? そうだね、その通りだ。僕はかつて何もかも捨てて逃げ出した。責任も、立場も、そして大切な仲間さえも。
 ……ツケを払う時が来たんだよ。不甲斐なかったかつての自分と決別する時がね」

騎士「……男」

男「僕はもう……逃げない! 大切な存在を守るため、重い運命を背負わされた彼女のために」

 そうして男はエルフ部隊の先頭を歩く一人の少女をジッと見つめた。そこには、暗い面持ちで俯きながら行進を続けるエルフとは違い、何かを決意したような強い光を瞳に宿し、男の背を追う旧エルフの姿があった。

旧エルフ「男さん、どうかしましたか?」

 ジッと見られていたことが気になっていたのか、旧エルフは彼の元へと駆け寄った。

男「いや、なんでもないよ。それより、他のエルフたちの様子はどう?」

旧エルフ「……それは、その」

男「昨日から変わらずってとこかな?」

旧エルフ「……はい。皆さんに話をしようと思っても男さんの味方だと知られている私は拒絶されてしまって」

男「そっか。でも、このままじゃ不味い」

 そう言って男は今度は後方を歩くエルフたちの姿を眺めた。馬を使い、荷物を運ぶ人とは違い、彼らは大きな荷物を背負いながら行進をしていた。もちろん、同じ部隊に所属している男と騎士もそれは同じだ。
 唯一違う点があるとすればそれは旧エルフを除いたエルフたち全員の首には見慣れない装置が取り付けられているということだった。

男「あれが原因なのはわかっているんだけれど……」

 己の不甲斐なさを嘆くように男は溜め息を吐き、ギュッと強く拳を握り締めた。
 エルフたちの首に取り付けられているもの、それは魔法による起爆装置だ。戦時中、遠隔魔法による研究により特定の魔法紋を描くことにより遠方にある装置に描いた魔法を発動させる特別な装置が発明された。しかし、それを製造するのには時間が足りず、戦時中に装置が活用されることはなかった。
 だが、戦争も終わりエルフたち奴隷の脱走、あるいは反乱を抑えるという名目でその装置は製造され始めたのだ。これがあることで無用な反発も命を対価にするという脅しをかけられるし、隙を見て逃げられたとしてもある程度の距離なら起爆することにより死を持って制裁を下すことができる。
 もっとも、まだまだ装置自体が製造するのにコストがかかるためそれほど大量に製造されていないが、数名多くても二十にも届かない男が率いる部隊のエルフ程度の人数ならば装置を用意するのは他愛のないことだったようだ。
 逃げることなど許されず、待ち受けるのは未知の敵。前方、後方どちらにも逃げ場のないエルフたちは遠くない未来に待ち受ける死に怯えていた。

旧エルフ「私も『男さんはそんな酷いことはしない!』って何度も伝えたんですけれど頑なに聞き入れようとしてくれなくて……」

男「だろうね。向こうからしたら人間の言うことなんて信用できないだろうし。それに、ここにいるエルフは確か前に旧エルフとエルフが捕まっていた牢屋にいたエルフたちだろう?」

 男の言うように、見れば部隊にいるエルフたちの中には以前男がエルフと旧エルフを助けた際に牢に入れられていた者たちだった。

旧エルフ「はい。あそこで聞いた話だと皆は看守たちから酷い扱いを受けていたみたいで、それもあって余計に人を信じられなくなっていると私は思います」

男「耳が痛いよ、本当」

 どこまでも追ってくる過去の罪に男は自嘲することしかできなかった。そんな彼を旧エルフは悲しそうに見つめていた。
 無論、男はエルフたちに付けられている装置を起動する気など全くない。しかし、装置を外したりでもしたら他の兵士やエルフたちの間に漂う空気をより悪くしてしまい、最悪取り返しのつかない事態を引き起こしてしまう可能性がある。
 装置が防波堤になり、かつての敵に対する憎しみを行動に移せずにいるだけなのだ。それは人だけでなくエルフもまた同じ。命の危険から解放されたと分かれば、彼らがどんな行動に出るか分からない。
 そんな状況を作らせないため、男は悩んだ末装置を取り付けたままにしている。
 だが、そんな彼の心中をエルフたちに察しろというのも無理な話で、こうしてろくにコミュニケーションも取れないまま数日が経ってしまったのだった。

旧エルフ「どうして、こうなっちゃうんでしょうね。人も、エルフも分かり合えるはずなのに……」

 ボソリと呟く旧エルフ。そんな彼女に男は答える。

男「分かり合えるからこそ、だよ。今まで憎しみ合い、殺し合ってきた相手が自分と同じような存在だなんて急に言われても普通は無理だ。
 だって、それを認めてしまったら何のためにその相手と戦っていたのかがわからなくなるから……。
 だからこそ、人もエルフも相手を悪いと決めつけて声高に批判する。そうしなければ戦う意味も憎む理由もなくなってしまうんだ」

 旧エルフにそう告げてから男はハッとした。少し前、ずっと憎み続けた傷エルフとの再会時、エルフに止められなかった自分がまさに〝そう〟なのだと気づいたからだ。

男(ああ、そうか。僕がそうだったように、あいつも……同じなんだ。
 これまで自分がやってきたことを正当化したくて、憎む理由を、意味をなくしたくないからあれほどまでに人を拒絶する。
 『相手の立場になって一度考えてみる』……か。こんな偉そうなことをよくも堂々とエルフに言い切ったものだよ。それがどういうことなのか本当の意味でわかっていなくって、彼女に止められてようやく理解したくせに。
 エルフがいてくれないとそんなことにも気づけないなんて、ホント僕は駄目なんだなぁ)

 今この場にはいない少女のことを想い、男は意識を空へと向けた。彼女は今元気にしているだろうか? そんなことを考える。
 今回の作戦には参加していない女騎士と女魔法使いにエルフのことを頼んだものの、やはり目の届かないところに彼女の姿がないのは心配なのか男の胸中は揺れていた。

騎士「おい、男。進行速度が遅れてる。このままじゃまた昨晩みたいに他の部隊に難癖つけられるぞ。できるだけ急ごう」

男「あ、ああ。わかった、ありがとう騎士。
 旧エルフ、悪いけれど歩く速度を早めるよう他のエルフたちに頼めるかな?」

旧エルフ「はい、男さん。それじゃあ、また後で」

 そうして、旧エルフは男と騎士の元を離れて後方を歩くエルフたちの元へと向かった。

男(このままじゃ駄目だ。どうにか、この状況を変えられるように動かないと……)

 溜まっていく疲労、頼ることなどできない同類、一向に距離の縮まらない部隊員たち。問題は山積み。だが、それでも泣き言を言っている暇はない。
 決戦の時は今この時も刻々と近づいているのだ。一秒でも早くどうにか問題を解決しなければ〝人〟や〝エルフ〟以前に自分たちの命すら守ることすらできない。
 行進は続く。夜が深まり、その足を止めるその時まで。だが、互いの理解を深める時間など今の彼らにはもはや残されていなかった。
 その晩、休息を取るために野営地を設営していた兵士たち。その中でも周囲を警戒するために馬を使い、索敵していた観測兵が視線の先にとある群体を見つけた。月明かりに照らされ、こちらに向けて進行する多数の影。

観測兵「ぜ、前方に正体不明の敵影多数あり! 繰り返す。前方に敵影多数あり! 詳しい数は不明。だが、一個大隊に匹敵するほどの可能性あり!」

 緊迫する事態を告げる声が周囲へと伝達され、いよいよ決戦の時が訪れた。各部隊の隊長達は作戦会議のために集められ、兵たちは敵との交戦に備えて交代で身体を休ませる。
 終わりへと向かう最後の戦いはこの時をもって始まりの合図を告げた。


 窓から見上げる空模様は鉛色をした曇天だった。今にも雨が降りだしそうなジトリとした重苦しい空気。そんな空を与えられた部屋で一人眺め、エルフは溜め息を吐いていた。

エルフ(……男さんたち大丈夫でしょうか)

 男と旧エルフとは違い、戦地へと赴く理由がなかったため、軍施設へと置いていかれることになったエルフ。兵力を残すという意味で残された女騎士や女魔法使いとは違い、本当の意味でなんの力も持たない彼女は、この時になって己の力不足を嘆いていた。

エルフ(私、肝心な時に役に立たないんですね)

 種族上の立場からあまり軽々と外を出歩くこともできないエルフは女騎士や女魔法使いの手が空いていないときはこうして一人で部屋にいることくらいしかできなかった。自分一人では誰かの力になることすらできないという事実がエルフに歯がゆい思いをさせている。
 力になりたい、でもなれない。
 わかっていたこととはいえ、改めて現実に直面するとその事実は思っていたよりも彼女の心を重くした。
 無意識の内にまた溜息が溢れる。もう何度目かになるかわからない行為に気づかいてまた気分が落ち込む。そんな時、不意に扉の外からコン、コンと部屋の戸をノックする音が聞こえた。

エルフ「は~い。どちらさまですか?」

女魔法使い「私です。入りますよ」

 そう言って扉を開け、中に入ってきたのは女魔法使いだった。

エルフ「女魔法使いさん? どうしたんですか」

女魔法使い「別に。ただ、時間が空いたからここに来ただけです」

エルフ「そ、そうですか」

 女魔法使いはそれ以上何を言うでもなく部屋に備え付けられているベッドに腰掛け、持ってきた本を読み始めた。
 そしてエルフはといえば、そんな彼女に話を振るべきか否か迷っていた。

エルフ(男さんが旅立ってからこうして時間が空いたらいつも部屋に来てくれますけれど、やることといえばいつも本を読んでばかり……。
 う、う~ん。もしかしたら私のことを心配してくれているんでしょうか?)

 現状と彼女の立場を考えればこんな風にのんびりしている時間などないはずなのに、女騎士よりも多く自分の元を訪れる女魔法使いの行動をエルフは不思議に思っていた。
 しばらくの間互いに無言の時間が流れる。その間、チラチラと気づかれないように女魔法使いの様子を伺うエルフであったが、女魔法使いは読書に熱中しているのか彼女の視線に少しも気づかない。
 やがて、意を決してエルフは女魔法使いに声をかけた。

エルフ「あ、あの~。女魔法使いさん」

女魔法使い「なに?」

エルフ「もしかして、気を使って私のところに来てくれてます?」

女魔法使い「なんで私があなたに気を使わないといけないの?」

エルフ「その……心配、してくれてるのかな~って」

女魔法使い「そんなわけないじゃないですか。馬鹿馬鹿しい妄想ですね」

エルフ「ごめんなさい……」

 いつもであれば、ここから二人の言い争いが始まるのだが前述した理由から気落ちしてしまっているエルフはションボリと肩を落として益々落ち込んでしまった。
 そんな彼女の様子が気に入らないのか、女魔法使いはムッとした表情を見せた後、苛立たしげに呟いた。

女魔法使い「いつもの威勢はどこへ行ったのやら。先生がいないからってそうやってウジウジとするのはやめてください。
 置いていかれたのがそんなに不満なんですか?」

エルフ「だって、私こんな時に男さんの力に何もなれませんし……」

女魔法使い「……ハァ。そんなわかりきっていたことに今更落ち込んでいるんですか? いいですか、できないことを嘆いたところでどうしようもないでしょう?
 それなら、今のあなたにできることでもしたらどうなんですか?」

エルフ「今の私にできること?」

女魔法使い「ええ、そうです。自分の無力さを嘆いて何も動こうとしないのなら、それはただの怠け者です。そんなことをして時間を無為にするくらいなら、今の自分でもできることをしたらどうですか」

エルフ「で、でも今の私にできることなんてあるんでしょうか?」

女魔法使い「知りません。それを考えることからでも始めたらどうですか?」

 そうして女魔法使いは読書を再開した。エルフは彼女に言われたことを頭の中で反芻し、今の自分にもできることを考え始める。

エルフ(力もない、ここでの人との繋がりもない私にできること。それは……)

 そんな彼女の脳裏に一人のエルフの姿が思い浮かんだ。頬に大きな傷を刻んだ一人のエルフの姿が。
 今はそれだけ。未だ彼女は自分の出来ることを見いだせず、停滞を続けていた。
 再び空を見上げるエルフ。相変わらず重苦しい空気を纏った空からはとうとう雨粒が落ち始めた。
 この空の続く先にいる男の無事を祈るエルフ。だが、今この時にも戦場での戦いは激化の一途を歩んでいるのだった。

 曇天の空の続く先にて、雨粒がポツポツと兵士たちの鎧へと落ちてゆく。緊迫する空気、誰もが視線の先の敵に息を呑み、開戦の合図を待っていた。
 未知の敵がどんなものなのか誰もが一度は想像した。だが、これは視線の先に存在するのはあまりにも予想外な光景。
 嘘だ。そう呟くのは簡単。だけど、彼らは軍人。どんな状況でも覚悟を決め、一度敵だと定めたものとは戦わなければならない。
 それが例え、身体の各部を欠損し、生気を失った眼差しでこちらへと向かってくる〝人〟と〝エルフ〟の軍団だとしても……。
 一歩、一歩と徐々に縮まる互いの距離。動揺する部下たちに上官が喝を飛ばしてどうにか落ち着かせようとする。だが、動揺しているのは彼らも同じだろう。
 とうとう敵が戦闘領域へと足を踏み入れた。同時に指揮官の一人が戦闘開始の号令を告げる。
 異様な状況に流されぬよう声を天に轟かせて己を奮い立たせる兵士たち。合図を受け、魔法部隊による攻撃が敵に向かって放たれた。

指揮官A「戦闘、開始いいいいいいいいいいぃぃぃ!」

 それを引き金に一斉に敵へ向かって進撃する兵士たち。敵に向かって進む最前部隊の一つには男率いるエルフ部隊の姿もあった。

男(できるだけ多く生き残ってくれ……)

 未だ恐怖と不安で一杯の表情を浮かべたまま敵目掛けて突進する部下のエルフたちを心配しながら男もまた戦闘を開始した。
 〝軍〟の行動から一拍遅れ、まるで鏡写しのように〝黄昏〟側も動き出した。
 激突する二つの大群。エルフと人以来の大戦闘がこの時を持って再び始まった。



騎士「どうなってんだよ、これは!」

 手に持った剣を流れる水のようにゆるやかに、それでいて鋭く打ち抜き次々と敵を切り裂きながら倒していく騎士。彼が倒していくのは明らかに非戦闘員の外見をした男女たち。
 武器を持つもの、持たぬもの。違いはあれど向かってくる敵にはいくつか共通点がある。
 一つ。彼らから放たれる一撃は熟練の戦士が放つ一撃並に重く、ヘタをすれば一撃で絶命に陥る。今も騎士の隣で鞭のような素手の一撃をくらった兵士の顔面が陥没し、絶命した。
 一つ。敵からは明らかに死臭と思われる死者特有の匂いが漂うにも関わらずその肉体は頑強。まるで死後硬直後の身体を無理やり動かしているようなぎこちなさでこちらに向かって攻撃している。
 得体の知れぬ的に兵士たちの士気がみるみる落ちてゆくのが騎士を含めた場数を踏んだ兵士たちにはわかった。
 そして、更に絶望的な事態が彼らを襲う。

戦闘兵A「た、たすけてくれえええええええぇぇぇ」

 叫び声を上げる兵士の声に騎士が視線を向ければ、そこには先ほど彼が切り倒したはずの敵が腹部から臓物を撒き散らしながら味方の兵士に襲いかかっている光景が見えた。

騎士「おいおい……冗談だろ?」

 すぐさま兵士の元へと助けに向かう騎士。兵士も必死の抵抗とばかりに己にしがみつこうとする敵の喉元に剣を突き刺した。

戦闘兵A「ど、どうだッ!」

 ここまですれば絶命は必須。だが、安心も束の間。凄まじい力で敵は剣を持つ兵士の腕を掴み、その両腕の骨を折った。

戦闘兵A「ぎゃあああああああああああああ」

 悲鳴が周りに響き渡る。両腕を掴まれた兵士は痛みに悶え、咄嗟にその場から逃げようとする。だが、掴まれた両腕はガッチリと固定されており逃げ出すことままならない。

屍人A「オオオォォォ」

 唸り声を上げ、喉を剣で割かれた敵はそのままズルズルと剣の先へと進んでいく。あまりにも非現実的光景。その光景に兵士は絶句し、心を折られる。

戦闘兵A「へ、へへへ。な、なんだよ。なんなんだよおおおおおおおおおおお」

 そして敵の顔が己の眼前へと辿りつく。ガパッと大きく敵の口が開く。先ほどの仕返しとばかりに今度は兵士の喉が噛み切られることになった。
 そして兵士は絶命した。

騎士「チィッ! 間に合わなかったか」

 兵の救援に向かった騎士は助けが間に合わなかったことに苛立ち舌打ちをした。そして、その怒りをそのまま敵へとぶつけた。
 今度こそ一刀両断される敵の胴体。動かなくなった敵と味方を一瞬だけ見ると、騎士は次の敵へと向けて周りを見回した。

騎士「どこもかしこも混戦状態。やってられねえぜ、全く」

 愚痴を呟く暇もなく即座に横から次の敵が襲いかかってくる。今度の敵は鍬を持っている。おそらく生前は農民だったのであろう。

騎士「ったくよ……。ふっざけんじゃねえぞ!」

 死者を冒涜する行為に騎士の怒りが頂点に達する。怒りを力にし、振り下ろされた鍬の柄を持っている剣の腹で受け流し、受け流した勢いを利用して剣の柄を顔面目掛けて勢い良くぶつける。
 グシャリと鼻骨が折れ、顔面が歪む屍人。だが、敵の数は次から次へと増えていく。その中にはさきほど死んだはずの味方の姿もあった。

騎士「クソッ! 何なんだよこれはッ!」

 状況は想像以上に最悪。軍の兵士たちは敵が再び動かぬよう四肢切断くらいしなければならないにも関わらず、敵はこちらの兵士を一人倒せばまた一人戦力が増えるというふざけたもの。

騎士(男、ヤバイぞ。もしかしたらこの戦い、俺たちは……負ける)

 現状に動揺し、思考停止状態で戦う多くの兵とは違い、事態の深刻さに気がついた一人である騎士は次々と襲い来る敵を薙ぎ払うのであった。
 同刻。騎士と同じように敵の異常さ、そして死体を操ると思われる未知の敵の能力による今後の戦況について悟った男もまた背筋に冷たいものを感じていた。

男(マズイ。このまま闇雲に戦ったとしても時間が経過するほどこちらが不利になる。まさか、こっちの味方の死体まで敵になるなんて……)

 そのようなことが起こるかもしれないということはある意味予想できていた。だが、予想はしていても実際にその事態に遭遇した際に冷静でいられるかどうかは話は別だ。
 なぜなら、先程まで背中を預けて戦っていた戦友が次の瞬間には己の命を奪おうと襲ってくるのだ。これで冷静でいられるほうがおかしい。
 事実、彼の周りでも叫び声を上げて戦場から逃げようと試みる兵士もいた。異様な現実を受け入れられず半ば呆然として死んだ戦友に剣を突き立てられ殺される者もいた。
 そして、彼が引き受けることになった部隊のエルフたちも既に半数ほど数を減らしているのだった。

男(わかっていたことだけど、僕が与えられたエルフの大半はロクに戦ったことのないエルフばかりだ。
 万が一ここから反乱が起こらないよう将軍が手配したんだろうけれど、目の前でエルフや旧エルフの同胞が無残に殺されていくのを見なきゃいけないなんてある意味拷問だ!)

 敵の屍人や屍エルフに襲われるエルフたちを助けるため、必死に立ち回る男だが、悲しいことに一人が奮闘してもその結果などしれている。力のないものからふるいにかけられ、一人また一人と彼の目の前で命が散る。

男「やめろ……ヤメロッ!」

 持っていた短刀を向かってくる屍人の首筋に刺し、すぐさまその場を離脱。首筋から血を撒き散らし、それを気にした様子もなく己に向かってくる敵へ炎の魔法を打ち込む。
 対象に魔法がぶつかった瞬間、炎は爆散。熱と、衝撃を周囲へと拡散する。直撃した敵は下半身が焼失し、衝撃の余波を受けた他の敵は大きく後ろへと吹き飛ばされた。
 だが、下半身が消えてもなおズルズルと身体を引きずりながらこちらに向かってくる屍人を見て、男の心に気味の悪さよりもとうとう恐怖が上回った。

男「嘘……だろ。こんなことが現実に起こってたまるものか!」

 声を荒げ、叫ばなければ他の兵士たちのように錯乱してしまいそうになる。それほどまでに今この場で起きている現象は悲惨で、ありえないものだった。

男「こんな、こんな敵と一体どうやって戦えばいいんだ!?」

 絶望的な状況を目の前に突きつけられながら、それでもどうにかするしかないと希望への道筋を見つけようとする男。
 だが、そんなことを考えている暇もなく、彼の視線の先では部隊に配属された自分よりも幼い少年エルフが敵に襲われていた。
 そのエルフは支給された小剣を必死に振り回し、近づく敵へ牽制する。だが、理性も恐怖もない敵の前ではそんな行動は意味をなさず、どんどんと互いの距離は縮まっていった。

男「間に合ええええええ!」

 急いで魔法紋を描き、風の刃を放つ魔法を発動させる男。それを襲われている少年エルフの方へと打ち放つ。同時に、魔法だけで仕留めきれなかった場合の対処を行うため駆け出した。

少年エルフ「やめろ。来るな! クソッ! こんなはずじゃ……」

 迫る死を前に思わず喉が鳴り、少年エルフの顔が引き攣る。ガクガクと足を震わせ、それでもまだ死ねないと自分にはやることがあるんだと言い聞かせて必死に生き延びようとする。

少年エルフ「俺は、俺はあいつを……あいつをッ!」

 中央都市を旅立つ前、自分に課せられた使命を少年エルフは思い出す。〝彼〟から命じられた己の使命。それは単なる命令ではなく、少年エルフにとっても命を賭して果たすだけの価値のある命令だった。
 そして、この戦いが起こるまでの間ずっとその機を伺っていた。だが、中々隙を見せない相手を前にしているうちに戦いが始まってしまい、使命を果たす以前に己の命が消えそうになっていた。

少年エルフ「チクショウ……チクショウッ!」

 とうとう己の間合いに敵が侵入する。

――これまでか。

 諦めと共に瞼を閉じる。心の中で最後まで憎む相手への怨嗟の言葉を吐き出し、今世との別れを静かに待つ。
 だが、いつまで経ってもその時はこなかった。不思議に思い、瞼を開けようとするが、その前にグッと強い力で己の身体を後方へと何者かに引っ張られた。
 すぐさま、瞼を開いて己を引っ張る者を少年エルフは確認した。

男「大丈夫か!?」

 そこには彼の所属するエルフたちの部隊を率いることになった隊長の姿があった。周りを見れば、胴体や首を切断されて倒れている屍人たちの姿が確認できる。それだけで少年エルフは自分が彼によって命を助けられたのだと理解した。
 だが、彼は助けられたことへの礼を口にすることもなく隊長である男をジロリと睨みつける。
 男はそれを人間に助けられたことへの不満を抱いているのだと解釈した。だが、今はそんなことに構っていられるほど状況は楽ではない。

男「自分の足で走れるか? なら、すぐに後方へと退却するんだ。戦況は時間の経過と共に悪化している。ウチの隊ももうボロボロだ。
 おそらくじきに退却の命令が全部隊に下されるはずだ。僕はこのまま他の兵士やエルフたちの救援に向かう」

 そう言って男は少年エルフの元から離れていった。だが、彼はそんな男の背を少し眺めた後、少年エルフは気づかれないよう距離を取りながら彼の後を追い始めた。
 戦闘開始からほどなくして姿を見失った彼本来の〝目的〟。それは牢から出される前、他のエルフを通じて〝彼〟により命じられた少年エルフの使命。そして、彼自身にとってもずっと待ち望み、予期せずして訪れた運命。

少年エルフ「……待っていろ。あの時、俺たちを見逃したことを後悔させてやる」

 戦いは少しずつ終わりへ向けて進んでいく。出発前、誰もが予期しなかった軍の敗北という形へと向けて。


 終結へ向けて少しずつ進む戦闘。あちこちで轟音や怒号が飛び交い、血飛沫が舞う。雨足は徐々に強くなり、雷が雲の中で不気味に光る。
 終わりの見え始めた戦場から少し離れた場所にある軍の救護場では、敵の命を奪う戦場と違い、味方の命を救うための作業が行われていた。
 いや、正確には行われていたはずだった。

軍医A「うわああああああああ。な、なんだこれは!?」

 最初は治療が間に合わず死を迎えた兵士を看取った一人の軍医の叫びから始まった。
 死人を移動させ、新たに運ばれてきた重傷者の治療を行おうとしたところ、先ほど確かに死んだはずの兵士が立ち上がり、軍医へと襲いかかったのだ。首を屍人の両手に絞められた軍医。
 一、二、三。
 ゴキリと言う音が静かに響き、軍医の頚椎が折られる。僅かな静寂、すぐさまの絶叫。一部始終をただ見ることしかできなかった他の軍医や兵士たちは事態を受け入れるよりも先にパニックに陥ってしまった。
 叫び、喚き、ドタバタと簡易テントの周りで人と人がぶつかり、死体が増える。敵が増える。
 一人殺され、味方が減って敵が増える。この場において死体は物言わぬ物体ではなく、生きていた頃の記憶や意思をなくした操り人間という敵になっていく。
 それを理解し、落ち着きを取り戻した一部の兵士たちが動き出す。
 死体を〝殺す〟。その行為はもはや戦いとは呼べなかった。単なる破壊行動。己がそうならないため、敵を増やさないためと言い聞かせ、屍人の身体を剣で切り、魔法で破壊していく。
 そんな光景を屍人から距離を取り、パニックに陥った人々に囲まれながら旧エルフも見ていた。

旧エルフ「こんな……酷い。これが私たちの相手にしている敵」

 恐怖は感じる、もし自分があんな風になったらと思うと身体が震える。死してなお、戦いの果てに命を天へと捧げることになった味方への敬意を払うこともできずに、その身体に鞭を打たなければならない。それが今の彼女たちが直面している事態。
 それは死者への冒涜などという言葉で言い表せるほど生易しいものではなかった。
 〝死〟という概念を覆し、世界の法則すら曲げる敵。そんな敵、〝黄昏〟を彼女は恐ろしいと思う。
 
 ……〝だが〟。

旧エルフ「許せない……」

 それ以上に彼女の胸の内から湧き上がったのは怒りだった。
 戦うには力なく、黄昏と関係があるという理由で軍の殲滅任務に同行し、負傷した兵士の治療という建前上の役割を与えられ後方にて待機をさせられていた彼女。
 立ち向かえば、死は免れない。それほどまでに敵と己の力の差は歴然だった。だが、それでも今彼女はこの現象を引き起こしている敵と対峙し、事態を止めたいと思うほどに怒っていた。
 なぜなら、死はこのような残酷で、悲惨なものではないと彼女は知っているから。死を迎えた者の行く先は無。そして、肉体は静かに土の中で眠りにつく。これこそが彼女が知る〝死〟なのだ。
 仮に、死から再び生を与えられたのならそれは喜ばれるものでなくてはならない。でなければ、何のためにその者は死を迎えたのかわからなくなるからだ。
 だが、目の前にて繰り広げられる光景は違う。かつての仲間を襲う屍人の姿は死した者の意思を穢す行為だ。
 こんなことを許していいのか? いや、許してはならない。
 そう思うものの、彼女には現状に立ち向かう力などない。それが現実。現実はいつだって厳しい。
 でも、それでもと諦めない彼女にもまた、選択の時が訪れる。

褐色エルフ「そう……あなたもようやく決意したんだ」

 声が響く。どこからからか。耳からではなく、脳内へと直接。

旧エルフ「誰?」

 キョロキョロと周りを見回すが、そこにいるのは身を縮め、事態が収集するのを待つ軍医の姿のみ。

褐色エルフ「あなたはもう知っているはずだよ。あたしが、誰なのか。だって、あたしはあなたなんだから」

 瞬間、まるで走馬灯のように様々な光景が彼女の脳裏を駆け巡った。友との旅、敵との戦い、一時の安らぎ、愛した者との別れ。その全てが彼女の知らない誰かの記憶であった。

褐色エルフ「あたしはあなた。かつて同じ〝救世主〟として運命を背負った存在」

 不思議なことに、姿は見えないのに聞こえてくる正体不明の声が近づいてくる。同時に、目の前にボンヤリとモヤのような光が集まりだした。

褐色エルフ「〝黄昏〟に立ち向かうには人だけでは駄目。人とエルフ。この二種族が協力して始めて奴らと戦うことができる」

 凛とした声は徐々に形作られるモヤから発せられていた。そのモヤも不定形から形を定め、褐色色の肌をした一人の女エルフが旧エルフの視線の先に顕れていた。
 だが、彼女以外にその姿は見えないのか誰もその存在に気がつかない。

旧エルフ「あなたは……」

褐色エルフ「あなたならもう理解しているはずだよ旧エルフ。あたしはかつてのあなた」

旧エルフ「私が?」

褐色エルフ「そう。色々と話したいことはあるけれど、今は切迫した状態みたいだし、これだけを聞くね。
 ねえ、この戦いを止めたい? 人を、あなたの愛する彼を助けたい?」

 突然の問いかけにドクンと旧エルフの心臓が大きく跳ねる。

旧エルフ「できるんですか?」

褐色エルフ「あなたが望めば。だけど、対価は必要になる。力を得るということはあなたは完全な〝救世主〟になるということ。
 今のあなたはまだ中途半端な存在。己の内に秘めた力の存在にも気づかず、この世界に蘇っただけのただのエルフ。
 もし、力を望むのならあなたは与えられた〝運命〟を背負わなければならない。それはあなたが愛する彼が望まなかったこと。できる限り戦いから遠ざけたいと思って動いてきた彼の行為を無駄にすること。
 それでも、あなたは力を望む?」

 真剣な眼差しで己を見つめる褐色エルフに旧エルフは黙り込む。彼女の言うことが真実であるのならば、自分には今の状況を打開する力がある。だが、その力を経て戦いに参加することを男は望まなかったという。
 それは、彼が旧エルフのことを大事に扱い、血なまぐさい争いに巻き込みたくなかったということもあるのだろう。
 そのことを理解し、旧エルフの胸が温かくなる。自分は、彼にこんなにも大切に思ってもらえているのだとわかるから。
 けど、だからこそ。男が旧エルフを大切に思うように彼女もまた彼が大事だからこそ。

旧エルフ「私は、望む。力を、この戦いを止めるだけの力を。人を、男さんを助けることができる力を!」

 旧エルフが示した答えに褐色エルフは満足そうに微笑み、彼女へと近づいていく。

褐色エルフ「やっぱり……あたしと一緒だね」

 旧エルフもまた褐色エルフに合わせるように、自然と彼女のもとへと歩み寄っていく。やがて、二人の距離はゼロになった。

褐色エルフ「手を出して」

 言われるがまま旧エルフは褐色エルフの眼前に両手を出した。それに彼女は己の掌をそれぞれ重ね合わせる。

褐色エルフ「いい? これであたしとあなたは本当の意味で一つになる。肉体の再生による同一化という意味じゃなく、魂の融合という意味で。
 あたしはあなた、あなたはあたし。あなたが経験した記憶はあたしの記憶に、あたしが蓄えた知識や技術はあなたのものに。その逆もまた然り。
 つまり、救世主としての全てをあなたは引き継ぐことができる。そして、その代価は……」

 静かに、褐色エルフが力を得る代価を彼女へと語る。それを聞いた旧エルフは驚きを顕にしたが、それでも笑ってそれを受け入れた。

旧エルフ「それくらい、安いものです。みんなを助けることができるのなら、私は構いません」

褐色エルフ「そう。後悔はない?」

旧エルフ「それで全てが終わるのなら」

褐色エルフ「いい答えだわ」

 重ね合わせた手と手を通じて少しずつ二人は溶け合っていく。暗闇に覆われた空を割くように、同化する旧エルフの体から生み出される一筋の光が空に向かって昇っていく。
 その光景に、その場にいたものは元よりここから離れた戦場に立つ者もまた一瞬、神秘的なその光景に目を奪われた。
 ただ一人、鎧を全身に纏いその光を見つけて憎悪や敵意をより周囲へと発し始めた〝黄昏〟を除いて。
 天へと昇る光は徐々に収束し、旧エルフの身体へと収まる。

旧エルフ「……ふう」

 たった一言。息を吐きだした程度のことにも関わらず、その場にいて彼女を見ていた者全員の背筋がゾクリとした。
 それはまるで歴戦の将が傍に立っているような感覚だった。
 先程まで、何も感じなかったはずの一人のエルフ。それが今やただの人では近寄りがたいと感じるような神秘さと、数々の修羅場をくぐり抜けてきたかのような気配を感じさせた。

旧エルフ「わかる。私が今何をすればいいのか」

 未だに騒ぎの収まらない周り。たまたまなのか、それとも気配の変わった旧エルフに屍人を通して〝黄昏〟が感じた感情の影響が出たのか、数体の屍人が彼女目掛けて襲いかかった。
 獣のように一心不乱に。歯をむき出しにし、知性などまるで感じない勢いに任せた突撃。頭上に飛び上がり、彼女へと強烈な一撃を与えようとする屍人たち。死後間もない彼らの動きは戦場にいる屍人や屍エルフ立ちに比べると素早かった。
 自分に襲いかかる屍人に動じることなく、静かに状況を理解し旧エルフは対処する。両手を宙へとかざし、凄まじい速度で誰にも理解できない魔法紋を描いていく。かつて〝彼女〟が使用した太古の魔法。そして、今は彼女だけが使用することができる〝黄昏〟に対抗する唯一の力。
 紡ぎ終えた魔法紋はいくつもの光の矢を生み出した。そして、それは旧エルフへと向かう屍人に標的を定め、一斉に発射された。
 光の矢が敵を射抜く。射抜かれた敵は衝撃から巻き戻しのように後方へと吹き飛ばされるが、身体を貫いているはずの矢の刺さった部分からは血は一滴も流れない。どころか、光の矢は接触部分から徐々に屍人の体内へと溶けていき、やがて消えていった。
 目の前で起こった光景を誰もが理解できずにいると、糸が切れたように唐突に先程まで暴れまわっていたはずの屍人が動かなくなった。

旧エルフ「今度こそ、安らかに眠ってください」

 今度こそ本当の意味で死を迎えた人々にそう言い残して、旧エルフはこの戦いを止めるための魔法紋を描き出す。

旧エルフ「まだ、駄目。〝黄昏と〟戦うには今のままじゃ……」

 そのことをこの戦場で戦う全ての兵士に伝えるために彼女は動き出す。太古の記憶を引き継ぎ、今を救うための意思を持った本当の〝救世主〟として再誕して。


男「ハァ、ハァ。ちくしょう、キリがない」

 息を切らし、緊張の糸を張り詰め、指先を動かし魔法を紡ぐ。放たれる魔法は敵を裂き、燃やし、吹き飛ばす。けれども、少しでも動ける部位が残っていればそれは男目掛けてゆっくりと少しずつ向かってくる。
 故に、彼は対峙する敵の肉片を欠片も残さずに消し去らなければならなかった。そして、それがどれだけ精神的な疲労を生むか。言わずとも理解できよう。
 己と同じ人の形をした者を、愛する者と同じ姿をした者たちを肉片一つ残さずに殺し尽くす。
 それはもはや狂気。今にも発狂してしまいそうな殲滅行為。命の大切さを知る者であればあるほど、心を壊してしまいそうなこの戦闘はこれまでの渡の戦いよりも辛く、やりきれないものだった。

男(殺しても、生き返る。切っても気にせず立ち向かい、焼き尽くしても肉の焦げた臭いを撒き散らしながら近づく。僕たちを殺して、同類にするために……)

 このままでは全滅する可能性もある。だが、今後のことを考えればそれ以上に防がなければならないことがある。

男(ここで、僕らがもし全滅することがあれば死んだ僕たちの身体は見知った人々、愛した人々を自分の身体で殺してしまうことになる)

 そう、仮に男たちがここで殺し尽くされることになってもその肉体は〝黄昏〟によって操られ、彼らが大切に思う人たちを己の手で殺すことになるだろう。そんな光景を想像するだけで、心が張り裂けそうになるし、それを防ぐためにも男は発狂してしまいそうなこの現実を前にしても必死に歯を食いしばって戦い続けていたのだった。
 だが、張り詰めた糸はいつか切れる。戦闘に次ぐ戦闘で息をつく間もなく、不意打ち気味に思考に空白の時が生まれる。
 見計らったかのように、彼の近くで生まれた死体が動き出し、襲いかかる。動きは遅いものの、威力のある一撃。腹部目掛けて振るわれる、鞭のような腕。
 地面に倒れこむようにして身をよじり、ギリギリのところで男はそれを回避するがとっさのことに体勢が崩れてしまう。それに合わせるように男の頭部へ鋭い蹴りが放たれる。

男(マズイッ!)

 ゾワリと男の背後に身も凍るような感覚が走る。無様に横へと身体を転がし、どうにかその屍人の蹴りを避け、転がった勢いをつけて起き上がる。だが、避けた先にはこのやりとりの間に彼に近づいていた一人の屍エルフの姿があった。
 ほとんど反射的に短剣を持つ腕を身体の前に差し出し防御の構えを取る。だが、その防御すら無視する強烈な一撃に後方へ大きく弾き飛ばされ、受身を取ることもできず男は何度も地を転がった。

男「グッ!? ウゥッ……」

 呻き声を上げながら、男は力の入らぬ腕で身体を支えてどうにか起き上がろうとする。だが、吹き飛ばされた際に頭を打ったのか彼の瞳に映る世界はぐるぐると回っていた。

男(く、くそ。熱い……。これは、折れたかも)

 肋骨部分から徐々に伝わる熱。ジンワリと、徐々に熱を広げていくそれは先ほどの一撃を受けて飛ばされた時に受身を取れずにいたことによりおそらく骨折したのだろう。
 予期せず距離を取れたが敵の攻撃はこれで終わりではない。朦朧とする意識の中で未だ身動きが取れずにいる男。だが、そんなことは敵からすればどうでもいい話だ。

男(動け、動け、動けッ……。僕はまだ、ここで死ぬわけにはいかないんだよ……)

 乱れる意識を正そうと必死に己の身体に喝を入れるが、力が入らない。

男「チク、ショウ……」

 霞む意識、揺れる視界。もはや終わることしか許されないこの状況。それでも男は必死に足掻いた。

男(起き上がれないなら、這いずってでも逃げろ。無様でも、惨めでも、僕はここで終われないんだ。
 僕の帰りを待っていてくれる彼女たちのためにも……)

 ズルズルと身体を引きずり、少しでも屍人たちから遠ざかろうとする男。しかし、既に周囲は屍人や屍エルフたちで埋められており、逃げ場などどこにもなかった。

男(――終わり、か)

 諦めない心を持ったまま、それでも現実はこれ以上何もできることがなくなったことを悟った男。悔しさを滲ませ涙が溢れそうになる。

屍人「オオオォォォ」

屍エルフ「アアアアアァァ」

 そして死は訪れた。

……





……

騎士「ったくよ、こんなところで這いつくばってんじゃねえよ!」

 声が聞こえる。いつだって頼りになる友の声が。

男「……騎士?」

 男を取り囲む屍たちを次々と切り倒し、彼の命を救ったのは騎士だった。揺れる視界で彼を見上げるとダラリと片腕を力なく垂れ下げ、それでも剣を持つもう片方の手で必死に敵を切り裂き、退路を作り出す。

騎士「早く立て! 俺だってそう長くは持たねえ。それともお前はこんなところで諦めるほど弱いやつだったのか!?」

 騎士の言葉に答えるように、余力を振り絞りどうにか立ち上がる男。

男「言ってくれるね。だけど……正論だ」

 どうにか起き上がった男だったが、まだ逃げられるほどの状態ではない。そんな彼に襲いかかる屍たち。だが、それを防ぐように騎士が男と敵の間に割って入り、盾となる。

騎士「ッ! しぶてえやつらだな。おい、男。こいつら纏めてどうにかしてくれよ」

男「待っててくれ。すぐに……やってやるさ!」

 そう言って息を切らしながら魔法紋を描く男。そこにいつものキレはない。思考の回らぬ頭で必死に指を動かし、体内から魔力を練り上げる。二人共もはや満身創痍。いつ倒れてもおかしくない。
 だが、それでも信頼する友のために一人は盾となり時間を稼ぎ、もう一人はそれに応えようと魔法を生み出していた。

男「騎士ッ!」

騎士「応!」

 言葉にせずともわかる互いの意思。騎士は肉迫する屍人を力いっぱい蹴飛ばすと、魔法の構築を終えた男を抱えて全速力でこの場を離脱した。
 それに合わせるように男は距離の離れた敵めがけて魔法を打ち放つ。

男「いけええええええええええ!」

 巨大な魔法紋が先程まで男たちのいた場所に現れ、まるで火山の噴火とも言える巨大な火柱を天に向けて撃ち放つ。超高温の熱に晒された屍たちは欠片も残さず灰塵と貸し、火の粉がハラハラと地に落ちる。
 危機的状況を脱した二人は、そのまま簡易基地へ向けて後退し始める。

騎士「男、まだ自分で走れないか?」

男「いや、もうそろそろ大丈夫だ。悪い、騎士。おかげで助かった」

 そう言って男は己の身体を抱える騎士から離れて自らの足で走り出す。

騎士「気にするな。けど、軍の連中はこのまま戦うつもりか?」

男「それはないと……思いたいね」

 見れば、戦場は敗戦色濃く兵士たちの士気は明らかに低下している。味方がヘルに比例して敵の数は増加していく一方。これで士気を上げろという方が無理がある。
 正式な退却命令はまだ出ていない。だが、それをしないのはこれだけの大軍を率いたにも関わらず敗北したという事実を認めたくない一部の上官たちのプライドが邪魔しているからだろう。しかし、これ以上戦闘を続けるのなら、より犠牲者を出すことになることもおそらく彼らも理解している。
 何か切っ掛けさえあれば軍はすぐさま撤退を開始するはずなのだ。

男「早く、早くしないと……」

 焦る男の心情を理解できるのか騎士も苦い顔をしていた。だが、そんな二人の耳に予期せぬ声が響き渡った。

旧エルフ『軍に所属するみなさん、聞こえますか?』

男「これは……旧エルフ?」

 この場にいないはずの少女の声が聞こえた男は反射的に周りを見回す。だが、どこを見ても彼女の姿は見当たらない。

旧エルフ『私の名前は旧エルフ。今回の作戦に参加しているエルフの一人です。
 今、この戦いに参加している皆さんに警告します。今すぐに戦場から退却してください。繰り返します、直ちに戦場から退却してください』

騎士「これは、魔法か? 以前将軍の演説の時にあった時のような。いや、それにしてはこれは……」

 見れば、騎士や男たちの他の兵士たちにもこの声は届いているようだった。しかし、これは耳から聞こえる声というよりは脳に直接響いているような声だった。

男「そんなことより、どうして彼女が退却命令なんて……」

 そんな男の疑問も次の旧エルフの言葉ですぐに理解できた。

旧エルフ『私は今からこの場に存在する〝黄昏〟の配下、並びに本体の封印を施す結界魔法を発動させます。この魔法に一度閉じ込められてしまったら魔法を解除するか、強制的に破壊される以外に脱出する方法はありません。
 ですが、このまま戦い続ければ皆さんは黄昏と共に結界の中に閉じ込められてしまい敵の犠牲になるでしょう。
 それを避けるためにも退却を。封印の範囲は軍簡易基地前方二十メートルからになります』

騎士「おいおい。これはマジか? こいつらを纏めて封印するなんてそんな魔法聞いたことねえぞ」

男「けど、彼女が嘘を言っているとも思えない。それに、上官たちもこれを黙って聴いてるはずない。もしかしたら、戦況を惑わすためにこんな虚言を言ってると判断されるかも」

騎士「そりゃマズイな。すぐにでも戻らねえと」

男「ああ、そうだね」

旧エルフ『繰り返します。この戦いに参加されている皆さん――』

 もう一度旧エルフが先ほど口にした内容をこの場にいる兵士たちへ向けて発信する。それを聞きながら、一刻も早く彼女の元へ向かうために男たちは駆け出した。
 見れば、彼らと同じように戦場から退却する兵たちの姿もチラホラと見えた。おそらく彼らは先の見えない絶望的な状況を打開する策が僅かにでも残っていると信じて戦場から離れようとしているのだろう。
 最も、そんな高尚な理由などなく、ただ単に死にたくないというのが誰もの本音だろうが……。

男「ん? あれは……」

 基地への退却の途中、突然男が動かし続ける足を止め、ある一点を見つめていた。

騎士「おい、男! どうしたんだよ。早く基地へ行くぞ」

男「待ってくれ、騎士。クソッ! なんでまだあんなところに……」

 そう言って男は視線の先に見つけた一人のエルフの元へ向けて駆け出した。

騎士「あっ! ったく、待てよ男!」

 すぐさま騎士も男の後に続いていく。
 痛む脇腹を片手で抑え、男は立ち尽くし荒れ果てた戦場を見つめる一人のエルフの元へと到着した。

男「退却しろって言っていただろう。こんなところで一体何をしているんだ!?」

 それは少し前に男が助けた部下の一人である少年エルフだった。彼は無言のままジロリと男を睨みつける。

少年エルフ「あの時と、同じだ。俺たちが会ったのもこんな戦いの中だった」

男「何を言ってるんだ? ああ、くそッ! 時間がない、早く逃げるぞ!」

 グイッと無理やり少年エルフの手を掴み、その場から離れようとする男。だが、少年エルフはそれに抵抗するように腕を引き、男をその場に留めた。

少年エルフ「あの時、あの時お前が俺たちを見逃したりなんてしなければ、俺たちはあんな苦しい思いをしなくてもすんだ。妹もまた、死ぬことはなかった」

男「なんだ? 何の話をしているんだ?」

 少年エルフが何を言っているのか男にはまるで理解できなかった。だが、それでも彼の瞳に宿る強い憎悪の感情が自分に向いていることだけはわかった。

少年エルフ「何故あの時見逃したりなんてした。お前が、お前が余計な情をかけなければ俺も、妹もあの時一緒に楽に死ねたはずなのに!」

 男から少し遅れてその場にたどり着いた騎士はすぐさま異変に気がついた。正確には少年が後ろに隠し持っていた小剣を今まさに抜き放とうとしていることに……。

騎士「男、逃げろおおおおおおおおおおッ!」

 叫び声を上げ、男を助けようと走り出す騎士。同時に、少年エルフ、もとい男がかつての戦いで見逃した二人のエルフの一人である兄エルフが小剣を男めがけて振り下ろした。
 一拍遅れて事態に気がついた男は必死にそれを回避しようとする。だが、その一瞬が致命的な時間差になった。
 剣は深々と男の腹部へと突き刺さり、それを見た騎士は怒りのまま兄エルフを殴り飛ばした。

騎士「男おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 叫び声が戦場に木霊する。それからしばらくして旧エルフの結界魔法が発動した。光により作られた結界は戦場を覆い、〝黄昏〟の軍勢を囲って閉じ込めた。天高く伸びていく結界の光は雨雲を裂き、空に光を生み出した。
 こうして、〝黄昏〟と〝軍〟の最初の戦いは終わった。〝軍〟の大敗という形で。
 封印の結界の中、多くの屍たちに囲まれて守られる〝黄昏〟は忌々しげに簡易基地のある方角を、正確にはそこに存在する〝救世主〟へ怒りと憎しみの眼差しを向ける。そして、それに対抗するように〝救世主〟として覚醒した旧エルフもまた〝黄昏〟を静かに見つめていた。
 未だ前哨戦に過ぎぬ〝黄昏〟との戦い。だが、たったこれだけの戦いで多くの兵士たちの心は無残に折られた。
 これより先、人だけで戦えば今回の二の舞になるだろう。〝黄昏〟に勝つにはかつてのように人とエルフが共に手を取り戦わなければならない。
 だが、二つの種族を繋ぐ役割を背負った〝導者〟の意識は今ここにはない。過去の罪が時を越えて彼を断罪し、暗闇の世界へと彼を墜とした。
 彼の安否を心配するエルフは未だ雨の止まぬ空を見上げる。そして、運命を背負うことを受け入れた旧エルフも、固い決意を天に誓うように空を見上げるのだった。


 暗い、暗い闇の中。ふわふわとゆらゆらと力の入らぬ身体で彼は浮遊する。そんな彼の横を光という名の記憶がまるで流星のように過ぎ去っていく。
 怒り、悲しみ、喜び、楽しみ。記憶の中にある様々な光景がパッと現れては消えていく。
 あの時こうしていれば。今のような力があれば。そんな考えがボンヤリと浮かんでは無意味なことだともう一人の自分に否定される。
 何が正しく、何が悪いのか。どんな行動をとるのが真の正解だったのか。
 幼少時、妹などを庇わず醜く己の生を欲して死んでおくべきだったのか。
 少年時、仲間の忠告を素直に聞き入れ、復讐に身を委ねずに幸福の世界に浸っているべきだったのか。
 青年時、かつての自分と重ね合わせた敵種族の兄妹を見逃すことなどせず、ためらわず殺して狂うべきだったのか。
 仮に酒に酔った勢いでそんなことを話したとしても、それを聞いた者はきっとこういうだろう。変えられない過去を悔やんだところで仕方ない。それよりもこれから先のことを考えたらどうだ? と。
 きっと、それが誰かにとっては正しい考えで、彼にとっては正しくない考えなのだろう。
 選んだ道は正解だと信じていた。けれど、後にそれは同時に不正解だとも判明した。積もりに積もったツケは支払われ、復讐の連鎖が己に届く時がきた。
 〝それでも〟と彼は全身に力を入れる。為すべきことはまだ残っている。ここで死ぬのならばきっと彼の人生は本当に負け犬のそれでしかない。
 愛する者を悲しませ、また新たな復讐の円環を作り出し、己の人生に何の意義も見いだせずに消えていく。
 そんなことは許されない。なにより、彼自身が一番許さない。
 だから……彼は楽になるための道、目を凝らすと薄らと見える〝死〟という名の救いの糸を手に取らない。
 最後の最後まで醜く足掻き、本当の意味で終わりを迎えられた時に〝正しい道〟を選べたと自分自身で納得できるように、彼は現実という先の見えない闇の中へと静かに溶けていった。


 目を開いたという意識は男にはなかった。気がつけば瞼が開いており、無機質な素材で出来た天井が目に入った。錆び付いた刃のように頭は回らず、しばらくしてようやく、自分は今まで眠りについていて今目を覚ましたのだと理解する。

エルフ「……男、さん」

 不意に声が聞こえた。驚き、今にも泣き出しそうに声を震わせて己の名を呼ぶ聞きなれた少女の声。
 未だ回らぬ頭で、それでも返事はしなければとするが自分自身の命令を身体が受け付けない。代わりに生まれたのは弱々しいかすれ声だった。

男「――――ぁ」

 そんな声しか出せない今の自分に失望し、かろうじて言うことを聞く目を使い、己の名を呼んだ少女、エルフの方へ視線を移す。
 身体にかぶせられた毛布越しに僅かに見える少女の顔。それは表現し難いほどクシャクシャに歪んで目元からはボロボロと涙がこぼれていた。

エルフ「よかっ、よかった。わたし、もうおきないかもっ、て。う、うぇぇ、ひっぐ、えっぐ」

 エルフの口からは嗚咽ばかりが漏れて、言葉が繋がらない。おそらく男の身体を拭くために用意した濡れタオルにどんどんと水滴を足していく。
 泣きじゃくる彼女を目にし、少しずつ思考がクリアになっていく。
 〝慰めたい〟。いつものように小さなその身体を抱きしめて安心させたい。サラサラとした触れると心地よい髪を己の手で撫でて優しく諭したい。そう思っても、男の身体は彼の言うことを依然として聞こうとしない。

男「える……ふ」

 掠れた声でどうにか少女の名を口にする。今の自分にできる全力を振り絞り、どうにか身体の一部を強制的に働かせる。
 毛布の中からぎこちなく右手が外に現れる。近くにいるけれど、触れるには遠い少女に届けと手を伸ばす。
 涙に加え、鼻水までズルズルと垂らすエルフは男の手が動いていることに気がつくと、すぐさま彼の横へと駆け寄った。

エルフ「うぅっ、おとござん……。ぶぢで、よがっだでず……」

 どうにか持ち上げた腕を力いっぱい両手で握り締め、祈るような形で彼が生きてくれてたことを感謝するエルフ。温かい彼女の手を頼りなく震える己の手でどうにか握る男。

男「ごめ……んな」

 今まで一緒にいて見たことがないくらいに泣いてしまった彼女に謝らないといけないと思い、どうにか言葉を口にする男。だが、今の彼にはこれだけの行動でも身体の限界だったのか、プツンと糸が切れるように再び意識が断絶する。
 一度は目覚めた彼が再び意識を失ったことに気がついたエルフは、しばらくの間混乱し、どうしたらいいのか判断できず、ウロウロと彼の眠る病室を歩き回りながら泣き叫んでいた。
 その後、男の元へと見舞いにきた女騎士がそんなエルフを見つけ、必死にあやして事情を聞いたことにより、彼の目覚めを知ることになるのだった。

……





……

 次に男が目を覚ましたのは月明かりが僅かに部屋を照らす夜遅くのことだった。前回とは違い、思考はある程度ハッキリとしており、身体は起き上がらせられないものの少しは手足は僅かに動かせるほどになっていた。
 だが、その代わりに以前は意識できていなかった腹部から発せられる猛烈な痛みを自覚することになった。

男「……うぐっ。……あっつ」

 まるで高温で熱した鉄を常に腹部に押し付けられているような痛みに男は思わず呻き声を上げる。この時、声もまた先ほどよりハッキリと発せられていたのだが、痛みとそれに付随するように発生した熱に意識の大半を向けることになっていた男はそのことに気がつかなかった。
 痛みを意識した男の額には無意識のうちに流していた以上の脂汗が滲み出す。それを拭こうにもそんな余裕が今の彼にある訳もなく不快感ばかりが増していく。
 ベッドの上で身悶え、被せられた毛布を噛んで激痛に耐える。寝返りを打つこともできず、首を左右に振りながら気を紛らわせようとする。
 断続的に続く痛みの波。だが、それもしばらくするとほんの少しだけ和らいだ。どうにか、意識を激痛に耐えること以外に向けられるようになった男は暗くなった部屋に慣れた目で周りを見た。
 すると、男は彼のすぐ隣に置かれた椅子に座りながら毛布に身体を包み、静かな寝息を立てて眠りについているエルフの姿を見つけた。

男「はっ、ははっ……」

 乱れた呼吸をしながら、それでもこの時だけは腹部から伝わる熱や痛みを忘れて彼女との再会できた喜びを噛み締める。

男(どうにか、生き残ったんだ)

 再び戦いに身を投じ、部下を失い、醜態を晒しながらそれでも生き残った。支払った代価は決して軽いものではないが、死んでいなければどうにでもなる。命さえあれば、生きてさえいれば何度でも立ち上がることができるのだから。

男「うっ、ぐぐっ……」

 少しの間傷が痛むのを堪え、男はエルフの方へ向かって手を伸ばした。眠る彼女を起こさぬよう、壊れ物を扱うようにそっとエルフの頬に手を添える。

男「ただいま……エルフ。あっ!? いててててっ」

 だが、まだまだ無茶をするほど回復したわけではないのか、すぐさま元の体勢に戻り、未だ弱った身体の回復に務める。
 先程までは微かに和らいでいた腹部からの痛みも無理をしたせいか、またしても痛みの波を全身に発し始める。眠りについたエルフを起こさぬようにどうにか声を殺す男。そんな彼の元へ夜遅くの訪問者が現れた。
 キィッと扉が軋む音を部屋に響かせながらゆっくりと中にいる住人を起こさぬよう配慮しながら開かれる。

旧エルフ「ふう。ようやく時間が取れました」

 疲れたようにそう呟き部屋へ入ってきたのは旧エルフだった。彼女はまだ男が起きているとは気づいておらず、男も声をかけようとするのだが痛みに意識を取られて声がかけられないでいた。

旧エルフ「男さん……」

 静かに、音を立てぬように歩きながら男のもとへと近づく旧エルフ。だが、エルフの隣にて男の顔を覗き込むように近づいた時に彼女はようやく男の目が覚めているのだということに気がつく。

旧エルフ「起きていたんですか、男さん……」

 声を出すことができない今の男は旧エルフと目を合わせ、顔を上下に動かすことで肯定の意を表した。そして、彼の今の状態をすぐさま察した旧エルフは日中エルフが使っていたタオルを手に取り、水の入った容器に浸して濡らす。十分に水が染み込んだタオルをギュッと絞り、余分な水分を抜くとそれを持って男の身体に浮かぶ汗をゆっくりと拭いていった。
 ひんやりとした感覚が肌から伝わり、熱で火照った身体を冷やしていく。
 汗をたくさん書いて、身体にまとわりつくベタつきに気持ちの悪さも感じていた男だったが、旧エルフのおかげでそれも軽減されていく。それに満足し微笑むと、旧エルフも彼に向かって柔らかい表情を浮かべて微笑み返した。だが、やはり身体に走る傷みは想像を絶するものなのか、気持ち悪さの軽減と比例するように意識は痛みの波に飲まれていく。

旧エルフ「ごめんなさい。本当なら私もずっとここにいてエルフちゃんと一緒に男さんの面倒を見ていたいんですけれど……」

 シュンとしながら男の身体を拭いていたタオルから手を離し、苦しそうに呻く男の口元にそっと指を押し当てる。

旧エルフ「男さん。私、あなたに大切にしてもらえて本当に、本当に嬉しいです。でも、だからといって、あなたひとりに全てを抱え込んでもらいたいわけじゃないんですよ?」

 もはや彼女の声は耳に届いていないだろう男に旧エルフは話しかけながら、ツーッと男の唇を指で撫でる。そしてそれを己の口元へと運び、同じように撫でた。

旧エルフ「やっぱり、除け者にされるのは辛いです。私も、エルフちゃんもできるのならあなたの背負っているものを分かち合いたい。
 あなたはきっと私がこんな風に戦いの場に私自らが足を踏み入れるのに反対するはずです。けれど、私も一緒に戦いたい。あなたの力に……なりたい。
 だから、ごめんなさい。いつものように、我侭を言う私をまた許してください」

 旧エルフはそう言って男にそっとキスをした。

旧エルフ「早く、よくなってください。この戦いには〝救世主〟の力だけじゃなく、〝導者〟の力も必要です」

 旧エルフは立ち上がり、男の傍を離れようとする。だが、彼の隣で静かに寝息を立てて眠っているエルフの存在を思いだし、眠りにつく彼女に近づくとエルフの頬に軽く口づけをした。

旧エルフ「エルフちゃん、ありがとう。そして、ごめんなさい。これからも男さんのことをお願いします」

 深い眠りにつくエルフにそう告げ、旧エルフは来た時と同じように音を立てぬように静かに部屋を出ていった。
 男は、その背を追うことも声をかけることもできず再び暗闇へと意識を落とすのだった。

 それから、何日か過ぎた頃。ようやく、状況も少し落ち着きを見せ始めたのか余裕のある時間を見つけては男の部屋を訪れる訪問者が増えてきた。
 彼の看病を担当するエルフはもちろん、女魔法使いはたびたび訪れ、騎士や女騎士も時間のあるときは顔を見せるようにしていた。
 ただ、旧エルフだけはあの日以来一度も訪れることはない。その理由を男は既に騎士によって聞かされていた。
 そして、今もまた空いた時間でベッドに腰掛ける男の元を騎士が訪れ、動けない彼に変わって現状の報告をしている。

男「それで、相変わらず話は平行線のまま?」

騎士「ああ。上はあの戦いでの敗北は何かの間違いだやら俺たちの不甲斐なさが原因だだとか何かと理由をつけて負けを素直に認めようとしないままさ。
 正直こんなことで時間を食っている場合じゃないんだけどな。これだから融通の聞かない権力者ってのは嫌いなんだよ」

男「確かにね。けど、このままじゃ前回の二の舞、いやそれよりも酷い状況になるのはあの戦いに参加した人はみんな理解しているんだろう?」

騎士「まあな。だからこそ上も彼女の言い分に耳を傾けているわけだけどさ」

 騎士が言う彼女とは〝救世主〟として覚醒した旧エルフのことだ。

騎士「にしても、驚いたぜ。話の場を設けてあの子が今後の対策としてエルフの力が必要だと語った時のことはよ」

男「上の人間は将軍以外は誰も話を聞こうとしなかったんだっけ?」

騎士「ああ。けど、彼女はそんな奴らの目の前で堂々と『私の話を聞かないのは勝手ですが、これはお互いの種族の今後のためにも聞いておいて損はないかと思います。
 そうでないのなら、うっかり私が発動している封印が消えてしまうかもしれませんからね』なんて脅しを口にしたんだからな」

男「それは……冷や汗をかくなんてもんじゃないだろうね」

騎士「正直上は彼女が過去の救世主の記憶を引き継いだって話も、〝黄昏〟との戦いにエルフたちとの協力が必要だって話も半信半疑だけどな。
 けど、実際にあの戦いの場にいた連中は彼女が封印の魔法を発動させるのを見ているし、そのおかげで〝黄昏〟の進行を食い止めていられる」

男「けど、その封印ももってあと二ヶ月ほどなんだよね」

騎士「彼女の言う通りならな。もしかしたらもう少し早まるみたいだ」

男「となると、それまでの間にエルフと人との協力関係を成立させておかないといけないってことか」

騎士「だな。けれど、話はそう簡単じゃないだろうな」

男「なにせ、つい数年前まで戦争をしていた相手だ。しかも、終戦後はエルフ族は人によって虐げられてきた。強気で協力を要請すれば仮に黄昏との戦いに勝てたとしても今後に禍根を残すことになるし、弱気になればその分つけ込まれる。
 かといって、動かなければどちらの種族も滅びる」

騎士「仮に協力体制が成立するにしろエルフ側の陣営をまとめる人物が必要になってくる。しかもできるだけ人間側の代表と対等に接することができる人物が。
 こっちに関してもその代表の立場が弱すぎれば協力関係とは言えず服従したようにエルフたちからは見えるし、強すぎれば将来的な反抗勢力の芽だと思われる」

男「難しいね……」

騎士「そもそも、まだ何をするかはわからんがエルフたちを集めるのにも一苦労するだろうしな」

男「そっか。それじゃあ、僕も早く傷を癒して彼女の力にならないとね」

 数日前の夜。一度だけ彼の部屋を訪れた際に旧エルフは男に語った。〝導者〟の力が必要だと。男が真に〝導者〟としての道を進むのならば、まさにここが最初で最大の出来事だろう。
 だが、今の彼は深い傷を負い自分の部屋を移動するにも苦労するありさまだ。こんな状態では力になるどころか逆に足でまといになるのがオチだ。それがわかっているからこそ、今の彼は焦る気持ちを抑えて少しでも傷を治すことに専念していた。
 騎士との話も長くなり、喉が乾き小腹もすき始めた男はベッドの傍に置かれた瑞々しい果実を手に取り豪快に齧った。これは少し前に見舞いに来た女魔法使いが持ってきてくれたものだった。
 シャリシャリと美味しそうにそれを食べていると、先ほどの少し気の抜けた雰囲気とは違い、真剣な表情で男を見つめる騎士の視線に男は気づいた。

男「……どうしたの?」

騎士「言いたいことはわかってんだろ。いい加減、あのガキの処遇を決めたいんだが」

男「兄エルフのこと? それなら、前に言った通りだよ。処遇も何も、彼は僕に何もしていない。むしろ、敵から僕を庇ってくれたんだ」

騎士「おい、男……」

男「事実さ。ただ、その際避けきれなかった敵の剣が僕に刺さったからこうなっただけ。彼は何も悪くない。だから、この話はこれで終わりさ」

 呆れたように語る男の態度に苛立ったのか、彼の隣で座って話をしていた騎士はガタリと立ち上がり、男の胸ぐらを掴んで顔を引き寄せた。

騎士「いい加減にしとけよ。んな嘘を吐かれても困るんだよ」

男「……」

騎士「お前の言いたいことも確かにわかる。聞いたぞ、あいつ終戦前にお前が逃したエルフらしいな」

男「なんのことだかわからないな」

 とぼける男に対し、騎士は話を続ける。

騎士「お前のことだから昔の自分に重ねて見逃したかもしれない。そんでもって、そいつらにもその後色々あってお前を恨んで行動を起こしたんだろうな。
 それ自体はある意味仕方ないことかもしれない。お前自身も納得してるからあのエルフを庇っているんだろうよ。
 まあ、当然他にも理由はあるんだろうな。エルフに肩入れしているお前が肩入れしているはずのエルフに刺されたら人間側の連中は『ああ、やっぱり』って思うはずだ。他にも、現状で旧エルフちゃんがエルフと人との協力体制を築こうとしているのに自分の状況がそれを邪魔してしまうとでも思ってんだろうよ。
 そして、それは間違ってはない。大局的に見ればお前の判断は正しいんだろうよ」

 男の胸ぐらを掴む力を強め、怒りからか声を震わせながら騎士は語った。

騎士「けどな、そんなこと俺たちからすればなんにも関係ないんだよ。あのガキの事情? 知るかそんなもん。多かれ、少なかれ俺たちはみんな同じ環境で生きてきたんだ。
 戦争時なんて何が起きるか分からない。恨みだってあるだろうけどそれはそいつの都合だろ。
 だからな、男。あのガキは俺からすれば大事な大事な親友をいきなり現れて殺しかけた今すぐにでも八つ裂きにしてやりたい相手なんだよ。言っておくけど、こう考えてるのは俺だけじゃねえぞ? 
 女魔法使いも、普段は滅多に怒らない女騎士でさえ俺の意見に同意してる。だからさ、男。言えよ、あいつに処遇を下すための本当のことをさ。
 言っておくが、俺はあの場にいたから真相は全て知ってる。ここまで処遇を待っているのはあの時点でお前が俺の上官であり、刺された直後に気力を振り絞ってこの事を黙ってるように頼んだからだぜ」

 生半可な理由では引く気がないということが男にも伝わったのか、溜め息を一つ吐くと、彼もまた真剣な表情で騎士に語りだした。

男「……騎士の言い分はよくわかったよ。確かに、僕が騎士の立場だったらきっと同じことを言ったと思う」

騎士「ならッ!」

男「でも、それは昔の話だ。今の僕は違う。
 確かに、騎士の言うこともその気持ちもよくわかるよ。でもさ、それって結局同じことを繰り返しているだけじゃないか」

騎士「どういうことだよ」

男「やったら、やりかえして。血で血を洗って、恨みを買って、売って。それって結局戦争の時とまるで変わってない。まるで、それしか方法がないって思い込んで、そうすることが正しいって思っている。
 でも、そんなこといつまで続ければいいの? ずっとずっと昔からそんなことを続けた結果が僕たちの世代で形だけの集結を迎えた人とエルフの戦争であり、今の〝黄昏〟との戦いなんじゃないのかな?
 僕はさ、もう嫌なんだよ。目に見えない過去からの制度のように恨みを生み続けるのは。
 だから、周りから非難されても親友たちが納得しなくても誰かがこの流れを止めないといけない。それは僕じゃないかもしれない。でも、自分以外の誰かに任せるなんて楽天的な考えをしていて結局誰も動かないくらいなら僕がしたいんだ」

騎士「……じゃあ、俺たちを納得させるつもりはないんだな? それならこっちも勝手に動かせてもらうぞ」

男「納得しなくてもとは言ったけれど、納得してもらうために動かないとは言っていないよ。
 あのエルフのことをきっと許せないとは思うけれど、だからといって報復行為だとかそういったことはして欲しくない。結局それじゃあまた向こうの恨みを買って同じことの繰り返しになるから……」

騎士「お前なぁ……」

男「ごめん。無茶苦茶言ってるのは自覚してる。けど、僕にはこうしてお願いすることしかできない。
 頼む……騎士」

騎士「……」

 懇願する男に騎士は彼の胸ぐらを掴んでいた手を離し、黙ったまま彼を見下ろしていた。
 長い、長い沈黙が二人の間を流れた。

騎士「……わかったよ、報復行為はやめておいてやる」

男「騎士ッ!」

騎士「だが、勘違いするな。俺はあのガキを許したわけでもない。もし次に同じことをしようとしたときは止められても殺すぞ?」

男「そうならないように僕の方でも努力するよ」

騎士「お前がしてどうする。するのはあのガキだろ。ったく、今日はもうこれ以上話をする感じじゃねえな。また来るとするわ。
 あ、それと。俺以外の二人にはちゃんと自分で説明を入れておけよ。まあ、あいつらも納得しねえと思うけどな」

男「ああ。ありがとう、騎士」

 そう言って騎士は男の部屋を後にした。そして、部屋に一人残された男はあと二人説得する相手がいるという現実を前にして深い深い溜め息を吐き出すのだった。

……





……

 男の部屋を出た騎士は扉の横で悲しそうな顔を浮かべ、膝を抱え込んでその場に座り混んでいる一人の少女を見つけた。

騎士「聞いてたんだな。なあ、どうする? あいつ、このままじゃ遅かれ早かれ死んじまうぜ。正直、一々恨みを買っていたらキリがない。かと言って、あいつの今の生き方を変えることは俺たちにはできない」

エルフ「……私が、私がどうにかしてみせます。どうにかして、男さんの力になって、人もエルフも協力できるようにしてみせます」

騎士「そうか。でも、なんの力もないエルフちゃんがどうやって?」

 真理を突く騎士の一言にグサリと胸を刺されて傷つくエルフだが、それを表に出すことなく彼にこう言った。

エルフ「私を……傷エルフさんのところに連れて行ってください!」

 その一言に騎士は驚きを顕にする。だが、しばらく彼女の提案に対して考える素振りを見せた後、静かに頷き返すのだった。
 再びの決戦まで刻々と時は近づいていく。未だエルフと人は別々の道を歩んだまま、その道が交わることはない。
 しかし、同じ道を歩むことを願う者たちは各々の目的のために動き始め、状況は少しずつ変化していくのだった。


 重苦しい空気が室内に充満していた。中央軍に所属する権力者たちが集まる軍内部の会議室。この部屋には今、一人の不純物が紛れ込んでいた。そして、それがこの場にいる多くの人々の頭を悩ませる事態を引き起こしていた。

傷エルフ「さて、お前たちの話を聞いてやるとしよう」

 会議室に置かれた円卓型の机に両足を乗せ、不遜な態度で室内にいる人々を挑発するのは、本来牢に捕らえられているはずの傷エルフ。そんな彼の態度が気に入らない多くの者は隠すこともせず彼の前で陰口を叩き、ある者は罵倒していた。

将軍「ふむ……。そうだね、それじゃあはじめるとしようか」

 だが、そんな彼の挑発や周りの状況に動じる事なく淡々と話しを進めようとするのは歴戦の将である将軍。彼と傷エルフ、そして他の軍権力者。この場に集められた者たちはまさに今、こうしている間にも迫りつつある危機に対しての対抗策として人とエルフの同盟関係を築こうとしているのだった。

将軍「まずは、同盟締結の際におけるエルフ族に関する扱いを纏めた書類を読んでもらおう」

 そう言って将軍は傍に控えていた部下に指示を出し、傷エルフの元に書類を届けさせる。部下の手にあった書類を乱暴に奪い取ると傷エルフはすぐさまその内容に目を通した。

傷エルフ「……これで全部か?」

将軍「ああ、そうだが。何か問題でもあったかな?」

傷エルフ「いいや。むしろ逆だ。同盟締結におけるエルフ族の奴隷解放。人権の確保、エルフに対し危害を加えることの防止、及びそれを破った際の罰則。その他諸々。
 少しどころかこちらに対して都合の良すぎるものばかりだ。さて? 我々エルフ族を一番に追い詰めた者がこんなにも簡単に掌を返すような行為をするなんて一体どういう風の吹き回しかと思ってな」

将軍「さあ、どうだろうね? 今は個人の些細な感情を優先するべき時ではないように思ったから私は最善だと思う案を講じたまでだが」

傷エルフ「ほお。個人的怨みや憎しみよりも人類全体の命を優先したと?」

将軍「付け加えさせてもらうのならば、一応君たちエルフの命も……だがね」

傷エルフ「ああ、そうだったな。俺たちはこれから同盟を締結するんだもんな」

将軍「その通りだ。それで、他に何も問題はないかな?」

 真っ直ぐに傷エルフの瞳を見据え、貫禄のある鋭い眼差しで彼に問いかける将軍。だが、傷エルフは自分に向けられた鋭い視線をのらりくらりと受け流し、更に質問した。

傷エルフ「くっ、くくく。ああ、確かに問題はないな。……同盟締結期間中の俺たちの扱いに関することは、だがな」

 その言葉にそれまで黙って二人のやり取りを見ていた他の人々の顔色が一斉に変わった。

傷エルフ「おいおい、この程度のことで一々動揺するな。それでもお前たち軍の上層部に座する人間か? つまらないやつらだな。
 まあ、いい。そんなことよりも、早く答えてくれ。同盟締結中の俺たちの地位向上や被害防止などはわかった。まあ、それが実際に守られるかどうかは後にしておこう。
 問題は、その後だ。かつての戦争相手である俺たちにここまで譲歩した好条件を出すんだ。お前たちはこのまま例の敵相手に屈するつもりはないんだろう。そのために個人の感情を飲み込んでエルフと協力関係を取るんだしな。
 だが、人とエルフ。これまで対立していた種族が一時的に手を取り共通の敵を倒したとしよう。その後はどうするつもりだ?」

将軍「……どう、とは?」

傷エルフ「わからないわけはないだろう? お互いに恨みを、憎しみを曝け出し命を奪い合った争いからまだ数年も経ってないんだ。
 一度決着はついたとはいえ、その結果にエルフたちが納得していると思うか? むしろ、今の彼らの現状を鑑みれば不満しかないはずだ。
 強制的な奴隷化。友、家族、愛する者たちの命を奪われ、己の尊厳を奪われ、人にいいように扱われてきた者たちがこのまま黙っているとでも?
 というよりまず同盟を組むとして相手が共通の敵という認識も危ういな。俺たちの敵はいつだって貴様ら〝人間〟だ」

将軍「ほう……。この場でそんな大胆な発言をしていいのかな? 君はもう少し己の立場を理解したらどうだね」

 部屋の入口に立つ護衛兵、そして将軍の傍に控えていた部下が今の傷エルフの発言に憤り、腰に提げていた剣に手をかけようとするのを将軍はやんわりと制した。だが、傷エルフの発言はまだ止まらない。

傷エルフ「俺を討つか? いいだろう、やってみろ。
 言っておくが俺は既にエルフの代表として貴様ら人と共通の敵〝黄昏〟と戦うための同盟を組むための交渉を行うと事前に部下に伝えてある。もちろん貴様らはそれが誰なのか知りえないだろうがな。
 そしてその情報は既にこの中央都市にいる多くのエルフの耳に伝わっているだろう。そんな俺がこの場で殺されればどうなるかわかるだろう?
 同盟締結のため丸腰で向かった俺を討った貴様らは悪逆非道の徒としてエルフたちに知られることになり、今の己の立場が向上する可能性を信じていた者たちの心を折り、彼らに絶望と怒りを生み出す。
 それは新たな戦火の火種になり、俺は死してなお、彼らの心に火を灯す悲劇の英雄となるだろう」

将軍「なるほど、それも一理ある。だが、ここまでコケにされては我々もうっかり手が滑るなんてことがあるかもしれない。
 それに、こちらはそちらのためを思ってこんなにも好条件を出しているのだがね。やろうと思えば、完全な服従による協力という手もあるのだがね?
 最も、それは今からの君の行動次第だが」

 両者の間に緊迫した空気が走る。結局のところ、これは互いの妥協点をどこに見出すかの探り合いだ。踏み込みすぎれば切り捨てられ、かといって足踏みしたままでは相手の都合のいい考えに解釈される。
 人間側は前回の戦いにおける経験から人だけでの戦いでは〝黄昏〟には勝てないと悟った。そのため未だ半信半疑の者も多いが、かつての〝救世主〟の記憶を引き継いだ旧エルフによる、エルフとの協力体制の成立が不可欠との忠告を受けいれようとしていた。
 しかし戦争に勝利し、エルフより上の立場に立った人間側からしてみれば、多大な犠牲を支払い、手に入れた勝利と栄光を捨てろと言われているようなもの。そう軽々しく受け入れられるはずがない。
 だが、受け入れなければ確実に人類は、滅ぶことになる。そのため、どうにか見栄を保ちながらエルフたちと協力を結ぶ妥協点を見つけなければならなかった。
 対して、エルフたちは人間と比べればかなり楽な立場に存在する。今回、人類はエルフへ協力を要請するという下の立場。現状、敗戦により立場が低下し、人の奴隷と化しているエルフたちからすれば、まさに奇跡とも言えるような好機。
 彼らの協力がなければ人類は滅びる。この条件ならば己の立場の改善など様々な無理難題を押し付けることが可能だ。
 だが、それは同時に諸刃の剣でもある。今の彼らはあくまでも敗者であり、分を過ぎた望みを押し付ければそれを受け入れるどころか、人間側は要請を拒絶し支配による強制的協力関係を生み出す可能性さえある。
 そして、エルフたちにはそれに抗う術も戦うだけの力もない。なにせ、一度終結した大戦により戦う意思を折られた者は思っているよりも多く、下手に逆らわず人に媚を売っていれば最低限の暮らしは営めるという家畜の精神が僅かとは言え彼らの中に根付いてしまったからだ。
 守るべき土地も、戦う力ももはや持たない彼らは、最終的には人間側の要求を受け入れなければならない。だが、全てに頷き、現状に甘えれば今後のエルフと人間の関係は支配するものとされるものというこれまでのものから永遠に変わらないだろう。
 だからこそ傷エルフはそんな状況にならないためにも〝黄昏〟との戦いが終わり、同盟の内容が意味をなさなくなった後でも、エルフの立場が今よりも良いものであるようにするために将軍と駆け引きを行っていたのだ。

傷エルフ「……」

将軍「……」

 話し合いは平行線。立場や責任からどちらも引くことができない。なにせ、己の一言で人、エルフのそれぞれの種族の今後が決まるといっても過言ではないのだ。その責任の重圧さは尋常なものではないだろう。
 だが、彼らは少しでも早く決断をくださなければいけない。残されている時間はもう……残り少ないのだから。

傷エルフ「……ふぅ」

 これ以上の交渉はもはや不利益しか生まないとでも言うように、深く息を吐き出す傷エルフ。吐きだした重い空気と入れ替えに新鮮な空気を身体に取り込み、次の話を口にしようとしたその時。

将軍「ふむ……仕方ない。元はといえば、こちらがお願いする立場なのだ。そちらの願いを聞き入れよう」

 傷エルフが言葉を紡ぐ直前、将軍が彼の呼吸と呼吸の間に割って入り、機先を制した。
 その言葉はこの場にいる全員にハッキリと聞こえていたものの、それを将軍自身が口にしたことがあまりにも予想外であったのか、皆信じられないものを聞いたとでもいうように目を見開き、呆然としていた。
 その中に例外はなく、当然傷エルフも含まれていた。

将軍「そもそも、このまま〝黄昏〟に敗れ、人という種族が滅ぼされることがあれば立場の上も下もないのだ。エルフの人権を保証することで種族の滅びが回避されるのならば安いものだとは思わないかね?」

 不意打ち気味に将軍は隣に座る小太りな将校へと問いかけた。男は、戸惑いつつも、将軍の言葉に対する返答をどう答えるべきか迷っていたが、やや間をおいて、否定的に答えた。

将校「い、いや。それはどうか? 少なくとも私は人だけで十分に奴らに渡り合えると思っている。
 だいたい何故我らが敗戦し、家畜以下の身分に身を落としたエルフなんぞの意見を聴いたり要望を聞き入れねばならんのだ?
 私としては将軍はこやつらの話など聞き入れもせず切って捨てるとばかり思っていたのですがな」

 最初は遠慮がちに意見を口にしていた将校であったが、途中でこれまでの将軍からは考えられない行動の数々を思いだし口にしたり、話を脱線させることで将軍の失態に対し揚げ足を取り、自尊心を満たしていた。
 いざという時に自分の保身しか考えず、現場の責任などから逃れて面倒な仕事は部下に押し付ける。まさに、どこの組織にも存在するような〝膿〟はこういった貶しあいなどに関してはやたらと頭が働くものである。
 現に、その〝膿〟の言葉を聞いたこの場の多くの者は「そうかもしれないな」「確かに今日の将軍はらしくないではないかね?」などと今の自分に都合のいい話へと流されている。
 人とエルフの交渉の場はいつの間にか人と人の醜い内部分裂へと移行していた。

傷エルフ(ふん。やはり人間というものは醜い。互いの利益ばかりを優先し、それが脅かされるのならば例え同種であろうと容赦なく蹴落とす。
 先ほどの将軍の発言には少々驚かされたが、それもどうせ裏があるのだろう。
 それにどうも俺の存在は今のこいつらの眼中にないようだ)

  やはり、人とエルフはわかりあえることなどない。そもそも、そんなわかりきったことを今更また考えることなど傷エルフにはなかった。
 そう、この前までなら。

傷エルフ(焼きが回ったか……。馬鹿らしい、あんな小娘の戯言を真に受けるなんて、本当に……らしくない)

 人間たちの言い争いをどこか遠い出来事のように眺めながら、傷エルフは枷を嵌められ、暗く冷たい牢に閉じ込められていた少し前までのことを静かに思い出していた。
 ある日を境に、毎日のように何度も何度もたった一人で牢を訪れ、罵倒や嘲笑にその身を晒しながらも諦めず、光の宿った瞳で真っ直ぐに黒く濁った己の瞳を見つめた少女のことを。
 自分ではこの状況で役に立てる力がないのを自覚し、だからこそ力になることができる別の者へと懇願し、結果として代価を支払い契約を結んだ。
 誰かの為にそんなことができるのがどれだけ凄いことか自覚せず、本人はただ愚直なまでに大切な者のためだと信じ……。
 もう取り返すことができない遠い過去。己の中で神聖化され、汚れ切った自分にはふさわしくないと思い出すこともなかった家族や、恋人と共に過ごした明るい日々。その頃の自分はきっとあの少女と同じ瞳をしていたのだろうと傷エルフは思う。
 だからこそ、戦争中に多くのエルフを率いて人と戦い、未だにエルフたちへ多くの影響力を与えることができる彼がこの同盟の代表と決まった時、それまで彼の元を訪れ、人とエルフを繋ぐための手助けをしてもらえないかと頼む少女の願い事を条件付きで聞き入れたのだ。
 しかし、人は醜く、すぐに裏切り心変わりする。信じるだけ無駄だと思っている彼にそのようなことをさせるのだから、代価は重いものだった。
 そしてその代価を彼女が愛する人物は知らない。それは契約に必要なことであるから。
 こうして青年と少女は契約を結んだ。少女は青年の信念を捻じ曲げてまで人に協力をする見返りとして、彼女が愛する者がもし〝裏切った〟際には代価としてその命を目の前で奪われるということ。
 彼女の最愛である者、つまり男はこの契約を知らない。彼はこれから先、どれだけ辛いことがあろうと、悲しむことがあろうと人とエルフを繋ぐ者として生き、両種族の関係がよりよいものになるよう努めなければならない。
 そうでなければ、男は己の心の拠り所である者を目の前で奪われるという最大の絶望を再び味わうことになるからだ。
 ……もっとも、そんなことになるなど少女、エルフは欠片も思っていないようであったが。
 そして、そんな彼女の姿が、ただでさえ不本意な契約を結んだ傷エルフを余計に苛立たせたことは言うまでもない。

傷エルフ(人とエルフは共に歩んでいける……か)

 らしくない感傷に浸っていた傷エルフは不意に詰問攻めに合っている将軍と目があった。

将軍「君は……どう思うかね?」

 騒がしい外野を無視し、問いかけられた言葉に彼は答える。

傷エルフ「俺は……」

 そうして人とエルフの会議は長い時間をかけた末、静かに終わりを告げた。

……





……

騎士「男、準備できたか?」

男「ああ、大丈夫だ」

騎士「そうか。それじゃあ行くか」

 部屋の外、彼の準備が終わるのを待っていた騎士に促され、男は数週間を過ごした一室を後にする。
 兄エルフに刺された腹部の傷は完治したものの、まだ僅かに痛む。だが、そんなことを気にしていたらこれから待ち受ける戦いではまともに動くことすらままならない。
 だから、歩く際の衝撃で痛む傷を無視し、男は先を歩く騎士の後を駆け足で追い、彼の隣に並ぶ。目的地である会議室に向かうためには今二人が歩いている長い廊下を抜けなければならない。

騎士「で? あいつらの許しは結局もらえたのか?」

男「う、う~んどうだろう。二人共結局納得はしてくれなかったとは思う。けど、何を言っても僕が折れる気がないって悟って諦めてくれたって感じかな」

騎士「ハァ~。だと思ったぜ。どうりで最近女魔法使いの俺に対する当たりがキツイと思ったんだよ」

男「そうだったんだ。鬱憤のはけ口がそんなところにいってるだなんて……」

騎士「ホント勘弁しろよ。お前があのガキの処分を下せと言うだけで済む話だってのによ」

男「いや……ホントごめん。でも、それは許可できないって言ってるだろ?」

騎士「ったく、これだから。女騎士を宥めるのも大変だったんだぜ。あいつお前がヤバイ状態の時は情緒不安定になってたし。
 容態が落ち着いてからもお前がそんなこと言ってるから怒りとか鬱憤をどこに晴らしていいのかわからなくて、素振りをして頭を真っ白にすることで何も考えないようにしてたしよ」

男「それはなんというか……女騎士らしいね」

騎士「おい、冗談じゃねえんだぞ。お前もうちょっと当事者の自覚持てよな。俺たちじゃなかったらこんな風になってねえんだぞ」

男「うん、ごめん」

 騎士の厳しい言葉に自然と謝罪を口にする男。だが、その口元は緩んでいた。

騎士「その割には反省の色が見えないんだけどな」

男「そんなことないよ。本当に手を出さずにいてくれて感謝してる。でもさ、それってみんなが僕の意思を尊重してくれたんだろ?
 そんな仲間を持てたのがさ、ちょっと嬉しくて……」

騎士「……」

 照れくさそうに頬を掻きながらそう答える男に騎士は呆れ混じりに呟く。

騎士「ホント、青くせえ奴。全く、昔はイジイジして根暗だったやつがどうしたらこんな堂々とクサイ言葉を吐けるようになるのやら」

男「僕以上に青臭い友達がすぐ近くにいたんだよ、きっと」

騎士「うっせえ! 人の独り言をこっそり聞いてんじゃねえよ!」

 久方ぶりの明るい会話が二人の間でリズムよく続く。ここ最近は民衆へと広まった噂の収拾や今後の対策に追われて誰もが暗い面持ちで過ごしてばかりだったため、こうして笑顔を浮かべて過ごすことも少なかった。
 だが、それができるのもあと僅か。この先も笑顔をずっと浮かべてくだらない話を続けることができる未来のために、二人の表情は真剣なものへと徐々に変わっていく。

男「……準備はできたんだね」

騎士「ああ。後は俺とお前が合流して今作戦の要になる人物は全員揃う」

男「そう。……そういえばさ、旧エルフは元気にしてる?」

 病室での一件以来今の旧エルフの立場上軽々しく会うこともできず、一度も言葉を交わせていない男は彼女と会う機会が多かった騎士にそう尋ねた。

騎士「さあ、どうだろうな。どうせ今から会うことになるんだ。自分の目で確かめたらどうだ?」

男「それも、そうだね」

 そうして彼らは目的地へと辿りついた。簡素な装飾が施された巨大な扉。その扉越しからでも中にいる人々の緊張が伝わってくる。

騎士「行くか」

男「ああ」

 扉の取っ手に騎士が手をかけ、ゆっくりと開いていく。その先にいたのは……。

女騎士「遅いぞ、二人共」

女魔法使い「遅刻ですよ、先生」

旧エルフ「……」

傷エルフ「……ふん」


 男にとっては見知った顔ぶれが数名と、その他に見知らぬ顔が多く会議室に置かれた席に座って彼と騎士の入室に注目していた。軍にいた頃には遠目でしか見たことのない階級の者が多く集まっていることにも驚いた男だったが、それ以上に彼の心を揺らしたのは。傷エルフを含めた数名のエルフがこの場にいるということだった。
 事前に騎士からエルフ側の代表として彼が選ばれことを知らせれていたものの、やはり実際にその光景を目の当たりにすると驚きが隠せない。そんな男の心情を読み取ったのか、挑発的に傷エルフが憎まれ口を口にした。

傷エルフ「なんだ? どうせなら一生あの牢に繋がれていて欲しかったか?」

 彼の言葉にその場にいた人々の注目が一斉に集まる。もちろん、挑発された男に対しても。
 だが、男はその挑発に対しニコリと笑みを作ってやんわりとした態度で返事をする。

男「もしお前が人を傷つけるのならそう思うかもしれないな。けど、今の僕たちは同じ敵を倒すために協力する〝仲間〟だろ?
 これからは嫌でも背中を預け合うことになるんだ。そんなこと思うわけないさ」

傷エルフ「……ふん、偽善者が。やはり、お前は気に食わない」

男「そりゃ、どうも。僕だって自分が善人だなんて思ってないさ。
 初めから全てのエルフに僕のことを認めてもらえるとは思っていない。実際、僕はエルフたちに対してとても酷い行いをしてきたから……。
 でも、だからといってエルフたちに僕という人間を認めてもらうための努力をやめる気はない。例え偽善者と言われようとね」

 対立をしているつもりはなくとも端から見ればそのように見える二人のやりとり。過去のしがらみからおそらくこの二人が和解することはできないのだろう。
 だが、和解はできずともお互いに歩み寄ることはできる。だからこそ、長い歴史の中で戦い合ってきた人とエルフは今こうして同じ場所に立っているのだ。

将軍「……最初からそういがみあわなくてもいいだろう。今作戦は人とエルフが協力しなければ成功しないものなのだ。
 仲良くしろなどとは言わない。お互いそう簡単にこれまで争ってきた相手を受け入れることなどできないはずだからね。
 だが、我々はこれから失敗の許されない戦いに赴くのだ。せめて、今くらいは過去を心の内に深く仕舞い、全力で協力し合ってはどうかな?」

 雰囲気の悪くなり始めた空気を一新するように将軍が男と傷エルフに、というよりはこの場にいる人とエルフに向けて言い放った。
 男はそれに黙って頷き、傷エルフは悪態を付きながらもそれ以上は何も言うことはなかった。

将軍「ふむ。それでは、集まるべき者は揃ったことだ。そろそろ、対〝黄昏〟戦における我々が行うべき作戦について話し合うとしよう」

 いよいよ対〝黄昏〟戦における作戦説明が始まる。男と騎士は他の者たちと同じように、すぐさま空いている席へと座った。
 騎士は女騎士の隣に、そして男はまるで彼のために初めから用意されていたかのように、久しぶりに顔を見た旧エルフの隣へと。
 先ほどの入室の際に男が気づいたことだったが、どうも旧エルフはどこか男に対する接し方がよそよそしかった。それは隣に座った際にも感じられることで、彼女が決して男と視線を合わせようとしないことからも分かった。
 彼女が何故そのような態度をとるのかは男にはわからない。だが、旧エルフのことだからきっと何か事情があるのだろうと男は考えた。だからこそ、彼は何も言わずただいつものように旧エルフへ向けて優しく微笑んだ。
 そして、そっけない態度をとっていてもやはり男の存在が気になるのか、チラリと彼の様子を伺う旧エルフは、自分に向かって笑みを向ける男の姿を見て、酷く動揺した。
 それまで必死に取り繕っていた仮面は彼の笑顔を見た瞬間に剥がれ、誰にも言えない秘密を抱え込んだような、それでいて今にも泣き出してこの場から飛び出してしまいそうなほど辛い表情が彼女の顔に浮かび上がる。
 だが、それを無理やり己の内へと押し込め、すぐさま平常を装った。

男「……旧エルフ?」

 何か言葉をかけなければと男が旧エルフの名を口にしたと同時に、将軍による対〝黄昏〟戦における作戦の説明が始まった。
 旧エルフの様子が気がかりであった男であったが、作戦を聞き漏らす訳にもいかず、気持ちを切り替えて話に集中した。
 そして、長い時間をかけた将軍による説明が終わり、その作戦に対する意見をこの場に集まった各々が述べていき、その日の会議は終わりを告げた。
 一同解散となり、次々と室内から人やエルフが出ていく中、男と旧エルフの二人は最後まで会議室に残っていた。
 久しぶりに二人きりになった彼ら。積もる話はたくさんあるが、どちらも話を切り出す様子はない。
 長い、長い沈黙が二人の間に漂う。そんな中、男は隣に座る旧エルフにそっと手を伸ばし彼女の手に己の手を合わせた。
 そんな彼の行動に旧エルフはハッとした様子で、男の顔を見た。同時に、己の内に溜め込んでいたものがとうとう表に溢れ出たのか、目尻に涙を浮かべて彼に向かって抱きついた。
 急に抱きついてきた旧エルフに男は驚くが、そのまま彼女の身体を受け入れ、その背に両手を回して抱きしめる。

旧エルフ「ごめんなさい、男さん。少し、ほんの少しの間だけこうしていてもいいですか?」

男「うん。旧エルフの気が済むまで……」

 それ以上何も聞くことなく男は黙って彼女を受け入れ続けた。そんな男の頭越しにポタポタと旧エルフは涙を流す。けして、彼にはその涙を見せまいと言うように嗚咽を漏らすのを堪え、泣き続けた。
 彼女がこの時何を抱え込んでいたのか、そして何故このように涙を流すのか。その理由を男が知るのはもう少し後になってのことになる……。
 その晩、泣き止んだ旧エルフを連れて会議室を後にした男は彼女と一緒にエルフの元へと向かい、かつてのように三人で共に食事をとった。
 それは、とてもありきたりで、平凡で、でも彼らにとってはとても幸せな一時の出来事であった。


 死臭漂うかつての戦地に今、再びの戦いを挑む者たちが集っていた。その数は前回よりも多く、今度こそこの戦いに終止符を討たんと着々と皆準備を整え、来るべきその日のために動いていた。
 旧エルフの封印の影響で、敵の傀儡に回ることを免れた者たちを、土葬ではなく火葬することにより弔い、封印地から遠く離れた場所に本格的に拠点を築き上げた。そこにいる者たちは剣を磨き、精神を研ぎ澄ませ、覚悟を決めていく。
 だが、封印された光の中にかつての仲間がいるかもしれないという事実が彼らの覚悟を弱くする。
 討てるのか? いや、討たねばならない。
 そうして彼らは周りの者と励ましあい、明るく振舞うことで折れそうな弱い心を必死に強く保っていくのだった。
 一見すると順調に決戦の準備が進んでいるように見える拠点地域。だが、それは形だけの話でそこにいる者たちの心境は誠に複雑なものだった。
 何故なら今の彼らが住み、戦いの準備を行っているその場には〝人〟だけではなくかつての仇敵である〝エルフ〟たちの姿も多くあったからだ。
 仕方ない。人類全体の未来のため、上の人間から告げられた事実や実際に前回の戦いに参加した者たちは彼らの協力が必要であるということは、頭の片隅では理解できている。
 だが、この間まで敵であったものに対し、僅か数週間という短い時間を同じ場所で暮らしたからといってそう容易く己の背を預けることなどできない。
 それはエルフ側も同じ考えであるのか、両者は同じ空間に存在しながらもピリピリとした空気を発し、関わることを意図的に避け続けてきた。
 しかし、そんな状況を続けて〝黄昏〟に勝てると思えないと考える者は少ない。何か切っ掛けがあれば彼らもおそらく彼らは動けるのだろう。
 そして、その切っ掛けを作るために男たちは動こうとしていた。

男「……演説ですか?」

将軍「そうだ。聞くまでもないことだが〝黄昏〟との決戦に備えてこの場に軍の兵士や傷エルフの招集によって多くのエルフが集まっていることは君も知っているだろう。
 だが、今のままでは彼らが協力して〝黄昏〟に立ち向かえるとは到底思えない。心のどこかで協力をしなければと皆思っているのだろうが、そのための一歩を踏み出せずにいる。
 そこで君には彼らにその切っ掛けを与えてもらいたいのだよ」

 拠点に作られたテントの一つ。その中で将軍と男は、この戦いの行く末を左右するエルフとの協力体制について話し合いを行っていた。

男「ですが、私が演説をしたとしても聞き入れてもらえるでしょうか?」

将軍「そればかりはやってみなければわからない。
 だが、真摯な姿勢で投げかける言葉は空虚な戯言を吐くよりはよっぽど相手の心に届くものだと私は思っているよ。それは人であれ、エルフであれ……ね。
 それに、この演説は君一人だけで行うものではないのだ」

男「というと?」

将軍「実は君以外にもう一人、傷エルフにも演説を頼もうと思っている。人間側からすれば腹の立つ敵種族の代表と捉えられるかもしれないが、あれで彼は有能だ。
 この短期間の間に腕利きのエルフの多くをこの場に集めたことから、彼が戦時中どれだけ仲間に慕われ、尊敬されていたかよくわかる。
 その彼が人間と同等の立場で言葉を投げかければ、少なからず何かしらの変化が現れると私は考えていてね」

男「確かにあいつはエルフの陣営からは随分と慕われているみたいでしたね」

 この拠点に赴く際、どこからか集めてきた多くのエルフに囲まれて道中を進んでいた彼は、男が見たことのないような気さくな態度を他のエルフたちに見せ、笑顔を浮かべることが多かった。
 その中には男によって罪の真相を隠され、無罪のまま放免されている兄エルフの姿もあった。

将軍「君がエルフに肩入れすることに疑問を抱く兵士たちは多いが、それでも君はかつての戦争における人間側の立役者の一人だ。そして、傷エルフは敗戦こそすれ、現エルフ側の希望。
 この二人が同じ場所に立ち並んで人とエルフの協力体制について語ればエルフや兵士たちに起こる影響も大きいはずだ」

男「……あいつはその提案を聞き入れたんですか?」

将軍「彼は快く引き受けてくれたよ。もっとも、本心は別だろうし、何か裏で考えてはいるだろうが、最終的にはこちらに協力すると私は思っている。
 どのみち、この戦いに勝てなければ人にも、そしてエルフにも未来はない。エルフの屍を使役しているところを見ても〝黄昏〟が彼らを生き残らせるとも思えないからね」

男「そうですね。……わかりました。その役目謹んで引き受けさせていただきます」

将軍「よろしく頼むよ。ちなみに演説は明朝だ、それまでに話す内容をしっかりと考えておいてくれたまえ」

男「はい。では、失礼します」

 そう言って男は将軍の元を後にし、己に当てられた宿舎へと向かった。
 道中ふと空を見上げると、ベタつく空気と共に雨雲がこの場所に近づきつつあった。その光景は嫌でも前回の戦いを思い出す。

男(あの時とは違う。今度こそ、僕たちは……勝ってみせる)

 〝黄昏〟との戦いへの意気込みを静かに胸に刻み、男は明日の演説で話す内容を考えながらその日を終えるのだった。

……





……

翌日、とうとうその時がやってきた。拠点から少し離れた空き地には多くの人々、そしてエルフが集まっている。
 そんな中、男と傷エルフは演説台の前に立ち、目の前に待つ多くの兵士たちへ、言葉を送る時を待っていた。

男(……すごい数の視線が突き刺さる。やっぱりこういう場は慣れないな)

 緊張から掌に滲む汗を何度も服で拭い取り、昨晩考えた演説内容を男は反芻していた。
 チラリ横を見ると傷エルフはたいして緊張もしていないのか、いつもの不遜な態度のまま己の番が来るのを待っていた。
 何度も視線を送っていたためか、男の様子に気がついた傷エルフは、同じように横を向いた。そして、自分とは対照的に緊張した様子の男を見て、彼は小馬鹿にしたような笑みを浮かべるのだった。
 そんな傷エルフの態度に僅かに苛立った男だったが、結果として緊張がほぐれ、先ほどとは違い落ち着いた態度でいることができた。

将軍「さて、そろそろ始めよう」

 予定の時刻になり、将軍の声がこの場にいる全員に届くほど響き渡った。おそらく拡声魔法が使われたのだろう。

男(来たか……)

 一度は落ち着いた鼓動が再び忙しなく音を立て始める。大きく息を吸い込み、吐き出す。何度かの深呼吸を繰り返し、無理やり鼓動を抑え付ける。

将軍「今日、ここに集まってもらったのは他でもない。来るべき〝黄昏〟との再戦に向けて、我々はより一層の相互理解を深めなければならないと判断したからだ。
 だが、かつての敵である者にそう簡単に心を許せというのも難しいだろう。
 だからこそ私は君たち人とエルフ、その両方からそれぞれ代表を選び、皆の前でこの戦いにおいてそれぞれの想いを代弁してもらいたいと思う。
 その二人とは傷エルフと男。
 まず最初に傷エルフ。君から皆へ向けて想いを語ってもらいたい」

 将軍からの指名を受け、傷エルフがゆっくりと壇上へと昇っていく。その姿はとても敗戦した種族のものとは思えぬほど堂々としたもので、静まり返ったこの場の注目を一身に集めた。
 壇上に昇り終えた傷エルフはひと呼吸し、語り始めた。

傷エルフ「……まず最初に言っておく。人間共、俺は貴様らのことを今日この時も未だに許したことはない。
 貴様らは協力などと不抜けた考えを抱いているようだが、我々エルフにとってはそのようなつもりはない。
 貴様らが泣いて縋るから仕方なく力を貸してやるというだけの話だ」

 傷エルフの初っ端からの衝撃的発言に人間側の兵士たちは驚愕し、エルフたちは待っていたとばかりに歓喜の声を顕にした。

傷エルフ「いいか? 今この時も、そして戦いが始まったとしても貴様らの心に刻んでおけ。我らエルフに貴様たちがした仕打ちの数々を。
 敗戦種族として恥を晒し、屈辱に耐え、それでも俺たちは今日まで生きてきた。
 お前たちにされた卑劣で非道な行為を、俺たちは片時も忘れたことはない。
 今こうしてお前たち人と同じ場に立っていることなど本来ありえないことなのだ。
 だが、我々の待遇を変えてやるという将軍からの提案で、我らは人の窮地に手を貸しているのだ。そして、この戦いが終われば貴様ら人と我らは対等。
 それを理解せず、これまでと同じ態度のままでいるというのならば、我らは〝黄昏〟と同じく貴様らに再び敵対する者となるだろう」

 傷エルフの言っていることはまさに彼の真意であり、本来彼があるべき姿なのだろう。そんな彼の人に対する発言に我慢の限界が来ている者も多いが、この場で事を起こしでもしたらエルフとの協力関係は即座に破断することになることを誰もが理解しているため、皆黙って彼の言葉に耐えていた。
 そんな彼らを愉快そうに眺めながら傷エルフは話を続けた。

傷エルフ「我らが同胞よ。よくぞ今日この時まで耐え忍んだ。
 時は来た! 今こそ我らエルフの力を愚かな人に示し、再び気高きエルフ族の権威を取り戻すのだ!
 そして、そのためには我らエルフの同胞によって封じ込めている黄昏共を駆逐しなければならない。
 戦え! そして勝利をこの手に掴むのだ! その時我々は真の意味での自由をまたこの手に掴み取ることになる。
 惰弱な人間に我らエルフの崇高な力を分け与え、格の違いを見せつけてやれ!」

 そう言い残し、傷エルフは壇上を後にした。そして一拍おいてエルフたちの大歓声が彼に向かって次々と聞こえてきた。
 その様子を間近で見ていた男は心底苦い顔をし、

男(やってくれたな……おかげで昨日考えていた演説内容が全部無駄になったじゃないか)

 と心の中で愚痴をこぼした。そもそも、この演説はエルフと人の両種族の信頼関係を築くために行われたものであったのだ。
 にも関わらず、このような演説をされてしまってはエルフに対する人の印象は益々悪くなり協力どころではなくなってしまう。
 男の隣へと戻ってきた傷エルフはしてやったりと、忌々しいほど得意げな笑みを見せている。
 それを見た男は、これは自分に対する挑発だと思った。ある意味傷エルフは自分を試しているのだ。人とエルフを繋ぐというのなら、これくらい切り抜けて見せろと。

男「……ふう」

 心底相性が悪い相手だと隣に佇む傷エルフを苦手に思い、今度は男が壇上へと進んでいく。
 傷エルフの後だけあって、雰囲気は最悪。エルフたちの態度は拒絶的で、人間側は彼の行動を静かに見守っていた。
 しかし、そんな雰囲気の中でも男は静かに、しかし透き通るような声で彼らに向かって語りかけ始めた。

男「先ほどの彼の発言には過激なものが多くあったと思う。そのことを喜ばしく思う者もいれば、腹立たしく思う者もいるだろう。
 けれど、正直な事をいえば僕は彼の言っていることが別に間違っていることだとは思わない」

 先ほどとは逆に人間側に味方する発言が飛び出ると思っていた人やエルフは、男が放った言葉にこれまた驚き、言葉を失った。

男「そもそも、彼らエルフがそう思うのは当然のことだ。敗戦種族だから僕ら酷い扱いを受けてきた。そんな彼らが今よりも良い立場を望むのは当然のことだ。そして、彼らからすれば今回の件はまさに好機。喜ぶのも当たり前だ。
 けど、そう思うのなら全力で協力してくれと僕は言いたい。今この時ばかりは過去を持ち出さず、未来の自分たちのためにも人に協力して欲しい。
 厚かましいと感じるかもしれない。けど、意地を張ったところで立場がよくなるか? そんなはずない。むしろ印象は悪くなるだけだ。
 なら、互いの手を取り合うための一歩を踏み出してみないか? それはエルフだけじゃなく人も同じだ。
 滅びを前にしても張らなきゃいけないような意地があるというのなら話は別だ。家族や、恋人、友人。無駄な意地を張ったせいで自分の大切な者を失っていいというのなら好きにすればいい。
 けど、経験者として言わせてもらう。無駄な意地を張ったせいで大切な存在を失った後悔は、きっと死の直前まで君たちを追い詰める。
 毎日、毎日寝ても覚めても後悔に苛まれることになる」

 そう言って男は壇上の近くにて彼を見守る旧エルフへと一瞬視線を移した。

男「確かに僕らは少し前まで殺し、殺されと血で血を洗うような関係だった。だが、今はどうだ? それぞれに目的は違えど、肩を並べ同じ場所に立っている。
 戦争中ならこんな風に協力体制を築くだなんて誰も考えなかったはずだ。たとえ、滅びが近づいていたとしても……だ。
 未来は誰にだって分からない。仮にこの戦いに勝ったとしても、もしかしたら人とエルフはまた争いを始めるかもしれない。
 けど、そうならないかもしれない。これほど強大な敵を僕たちが力を合わせて倒すことができるのなら、きっとその手を取り合ってより良い未来を作れるとは思わないか?
 できることならば、僕はそんな未来が訪れることを願う。そして、そのためにはまず〝黄昏〟を打ち倒さなければならない。人も、エルフも関係ない、僕たち全員の明日を守るために。
 ……戦おう。そして掴み取ろう、未来を。その時僕は両種族に新しい関係を築き上げることができると信じている。
 今は無理でも、君たちの中の一人でも多くがいつか僕と同じ想いを抱いてくれることを願う」

 そう言い残し、男は壇上を後にした。拍手はない、歓声もない。ただただ、皆が静かに彼の話に聞き入っていた。
 共感とまではいかずとも、きっと今彼らの胸の内には男が送った言葉の数々が心に響き波紋を生んでいるのだろう。
 そうして対照的な二人による演説は終わった。集まった一同は解散し、男と傷エルフもまた己を待つ者たちの元へと向かっていく。
 傷エルフは迎えに来た他のエルフたちと共にこの場を去り、男は彼の元へと駆け寄ってきた旧エルフの手を取ってこの場を後にした。
 それから決戦までの数日は瞬く間に過ぎていった。だが、その数日の間にエルフや人は喧嘩したり、言い争いをしたり、関わりあうことを避け、無関心でいたそれまでとは違う変化を少しずつ見せていった。
 あの日の演説で何かが変わった。こうして不器用な形ながらも切っ掛けは得られた。残すは彼ら全員を信じて〝黄昏〟との戦いに臨むのみ。
 落雷が鳴り響き、雨粒を纏った黒雲が空に漂うその日。天へと立ち昇る光の結界は効力を失い、黄昏を閉じ込めていた檻はあっけなく崩れさった。新鮮な血肉を求める亡者達は我先にと前進していく。
 二度目となる運命との対峙。滅亡か、生存か。未来を懸けた最終決戦は耳をつんざくほど大きな落雷を合図に幕を開けた。


 叫び声が空に向かって響き渡る。先制攻撃の遠距離魔法が人間、エルフ側から一斉に黄昏たちに向かって撃ち放たれる。
 圧縮された空気の塊、灼熱の炎、冷気を纏った氷の刃。それらはゆっくりと更新する屍人や屍エルフめがけて凄まじい速度で飛んでいった。
 そのほとんどが敵の肉を抉り、骨を砕き、黒く澱んだ血を宙に撒き散らし、敵の動きを僅かに止める。だが、これまで誰も届かせることのなかった〝黄昏〟本体へ攻撃。敵全体目掛けて放つと見せかけた攻撃の中に本命の魔法を混ぜ、〝黄昏〟の位置を感知している旧エルフによる指示の下、それを撃ち放った。
 結果、望遠鏡で敵を確認する偵察兵の報告により〝黄昏〟らしき物体への魔法の着弾を確認したとのこと。
 風の魔法により宙へ砂塵が舞い、無軌道に撃ち放たれ、衝突した炎と氷の魔法が生み出した水蒸気が視界を遮る。
 視界が開けるのを待ち、敵の状況を確認しようとしたその時、砂塵や水蒸気の壁を打ち破り、数えられないほど多くの黒い光が男たちの元へと飛んできた。

騎士「何ッ!?」

傷エルフ「チィッ!」

 直撃コースにいた騎士や傷エルフは咄嗟にそれを回避する。だが、避けきれなかった兵士たちは正体不明の黒光に身体を貫かれた。しかし、兵士の身体を貫いたと思われたそれは傷跡を残すこともなく、瞬きするほどの一瞬でその者の体の中に吸い込まれていくかのように消えていった。
 初めは一体何が起こったのかわからなかった多くの兵士だったが、数秒後、黒光に身体を貫かれた兵士たちは一斉に内部から幾多もの黒い光でできた刃で内部から貫かれた。

女魔法使い「じょ、冗談じゃないですよ!」

 敵による未知の攻撃に驚愕と悲鳴の声が戦場に木霊した。それぞれの隊を率いる上官たちはそれぞれの隊にすぐさま散開の命令を下した。
 先ほどの攻撃、味方が近くにいればいるほど黒光が当たった際の被害が大きくなる。しかも、当たった当人の救出は不可という常識外の攻撃。

男「……チッ! やっぱり旧エルフの言っていた通りだ。〝黄昏〟の奴、時間が経っている分だけ成長している」

騎士「封印していてたからもしかしたらって思ったが、そう都合よくいかないみたいだなッ!」

 徐々に晴れ始めた視界の先、多くの屍人と屍エルフに取り囲まれて守りを固めている〝黄昏〟本体に鋭い視線をぶつける二人。直撃したと思われた先ほどの攻撃は当たっていないのか、〝黄昏〟本体もその周辺の屍人たちも無傷だった。

女騎士「無傷……。男、これももしかして彼女の言っていた?」

男「ああ、そうだ。〝魔法無効化能力〟だ」

 事前に知らされていた〝黄昏〟の固有能力を男は思い出す。あらゆる魔法を無効化する目に見えない障壁のようなものが〝黄昏〟の周囲には張り巡らされているということ。
 死者を操るという能力も含め、あくまでそれは過去の〝黄昏〟の能力であった。そのため今回の〝黄昏〟もその能力を有しているかどうかはわからなかったが、今の出来事でそれも判明した。
 ただ、それよりも危惧すべき事は先ほど放たれた黒光。これは旧エルフも知らなかった今回の〝黄昏〟の持つ新たな能力だ。それだけに現状対抗策はなく、あれに対しては絶対に回避を行わなければならない。

騎士「どうする! 作戦通りなら近づけば近づくだけこっちが不利だぞ!」

男「そんなことを言ったところで今更どうにかなる問題じゃないだろう!
 ……将軍!」

 焦る仲間に落ち着くよう叱咤しつつ、男はこの作戦の最重要人物である将軍に問いかける。

将軍「……不測の事態など戦場ではいつだって起こりうるものだ。今、この時を逃せばおそらくもう二度と我々に〝黄昏〟を打倒する機会は訪れないだろう。
 全員、覚悟を決めたまえ。作戦は続行! 進軍するぞ!」

 将軍の一言で、男たちを含めた全員が大声を上げ、〝黄昏〟目掛けて進軍を始めた将軍の後を追い始めた。

旧エルフ「……それでは、私の方も動きます。エルフの皆さん、事前に伝えた魔法を発動させてください!」

 脳に直接響く〝救世主〟の声。彼女の言葉に戦場に立つエルフたちが全員頷く。

旧エルフ「いきます!」

 そうして、旧エルフは両手を使い、幾何学模様の魔法紋を描き出した。滑らかに、美しく、常人には理解できない領域の魔法が空中を滑り紋様を描いていくと共に作り出されていく。
 それに続くようにエルフたちもまた旧エルフの描くものに似た紋様を描いていく。
 紋様の完成と共に何もない虚空からいくつもの光が空に向かって飛び立ち、エルフたちの描いた紋様の中へと収束する。収束した光は僅かな時を置いた後、さらに多くの光を生み出し、戦場をかける人やエルフの身体に飛んでいった。
 衝撃はない。ただ、眩い光が兵士たちの身体の中に入っていったのみ。だが、それこそが対〝黄昏〟戦において必要不可欠となる魔法だった。
 エルフにのみ使える特別な魔法。死者を操る〝黄昏〟の能力を無効化し、死してなおこの世に留まる者たちへ安らかな眠りを送ることができる力を与える魔法。
 数では劣り、単独では〝黄昏〟と戦うことができないエルフ族。数では優れど、〝黄昏〟と戦う手段を持ち得ない人類。
 この二種族が協力して始めて成立する〝黄昏〟に対する唯一の対抗策がこれだった。

旧エルフ「この魔法を使っている間、エルフは他の魔法を使用することができません。
 武器を使った戦闘は可能ですが、魔法を使うことができる人間の皆さんに主な戦闘を任せることになります!」

 再びの旧エルフの声。以前とは違い、不滅の敵である〝黄昏〟への対抗策を得た兵士たちの不安は薄れ、先ほどの敵の攻撃で生まれた動揺などかき消すほど士気を高めた。
 そして、この戦いの要として〝黄昏〟を直接叩くために将軍選ばれた精鋭たちも、旧エルフが作り出した光をその身に宿し、群がる死者を次々と眠りに導きながら〝黄昏〟へと続く道を作り出していた。

男「騎士、右!」

騎士「おうよ!」

女騎士「女魔法使い、援護をお願い!」

女魔法使い「了解です!」

傷エルフ「ふん、貴様ら。後ろの心配も少しはしたらどうだ?」

将軍「誰か老体の私の心配をしてくれてもいいものを……」

 最前列に将軍。その後に騎士と女騎士が並び、二人を援護するように男と女魔法使いが控え、殿に傷エルフが控えている。
 武力と魔法。それぞれ最高峰の実力を兼ね備え、その部門においては並び立つものなど殆どいない彼らこそ〝黄昏〟と戦うために組まれたおそらく最初で最後の最高の部隊だろう。
 中でも、やはり英雄と呼ばれるだけある将軍は全盛期を過ぎているにも関わらず、彼が持つ特有の魔法である破砕による敵の撃退が目を引く。
 死者を眠りにつかせる旧エルフの魔法など必要とでもしないかのような消失系の魔法は襲いかかる敵を次々と消滅させ、〝黄昏〟へと続く道を作り出す。

騎士「反則的だろあの魔法。こんなん一個人が使っていいものじゃねえ」

男「だね。敵に回せば恐ろしい魔法だけど、味方だとこれほど頼もしいものもない」

将軍「君たち、褒めすぎはよくない。これだって、一応魔法を作り出すための時間は必要なのだ。その隙を狙われれば私だって危ないし、遠距離戦には全く向かないという弱点もある。
 あくまで、魔法が発動する対象は私が直接触れたものに限られるのだからね」

女騎士「なら、私たちの為すべきことは」

女魔法使い「遠方からの将軍に対する攻撃を防ぎ、近接戦闘では将軍が魔法を生み出す時間を作ることですね!」

傷エルフ「……そんなことをしているくらいなら、俺が手を下したほうが早い!」

 まるで将軍に対抗するように傷エルフが風の魔法を作り出し、彼らの周囲を取り囲もうとする死者の群れめがけて撃ち放った。
 巨大な風の刃が多くの死者の身体を切り裂き、永遠の死を与える。しかし、合図も行われず発動した魔法は危うく男たち一行の身体も引き裂くところだった。

騎士「おい、やるのなら声くらいかけろ! 危うくこっちまで巻き込まれるところだっただろう!」

傷エルフ「知るか。こんなことで死ぬような奴なら用はない。それに、俺は貴様らが死んだところでどうでもいい」

騎士「この! 減らず口ばかり叩きやがって!」

 他のエルフたちとは違い、ただ一人〝黄昏〟用の魔法を発動させていない傷エルフは、男たちと同じように通常の魔法を発動し、一応の形ではあるが彼らの援護に回っていた。
 もっとも、それは彼の態度と同様に男たちにとって危ないものではあるが……。
 しかし、そんな言い争いをしながらも着実に男たちは〝黄昏〟との距離を縮めていた。そして、ついに彼らの視界の中に〝黄昏〟の姿が捉えられた。

女騎士「あれが……」

 古めかしい甲冑で全身を纏う〝黄昏〟。思っていたよりもその体躯は細く、近くで見れば弱々しさを彼ら一行に感じさせた。だが、見かけとは違いその身体から発せられる殺気や人とエルフに対する憎悪は凄まじい敵意の塊で、思わず後ずさりしてしまいそうなほど強大だった。

黄昏「オオオオオオオオオオオオオッッ!」

 己のパーソナルスペースに踏み込んだ外敵の存在が不快なのか、これまで誰も聞いたことのなかった〝黄昏〟の地から響くような叫び声が周りに響く。
 ただの咆哮にも関わらず、大気が震え、戦場の空気は一変した。それまでエルフたちの魔法により対抗手段を得た人間たちの攻勢で劣勢気味だった屍人や屍エルフたちであったが、今の〝黄昏〟の咆哮によりまるで士気を上げたかのように鈍重としたこれまでの動きから一変した。
 鈍重な動きではあるが一撃自体は重いこれまでから筋繊維が切れるほど力を込めた俊敏な動きによる強烈な一撃を与えるようになったのだ。
 これも〝黄昏〟の能力なのか、筋肉が断裂してもすぐさま再生し、敵により〝死〟を与えられるまではその身をどこまでも犠牲にする兵隊が一斉に生まれた。
 敵の豹変に驚く兵士も多かったが、どうにか体制を崩すことなく均衡を保っている。しかし、おそらくそれが崩れるのも時間の問題だろう。体力に限りのある生者とは違い、向こうはそれに制限がない。
 兵士たちの多くが精根尽き果て、倒れる時こそ勝敗は決する。その前に生者側が勝利するには男たちが〝黄昏〟を討たねばならない。

将軍「行くぞ!」

 周りの屍人たちの変貌とそれが〝黄昏〟の影響によるものと即座に気づいた将軍は一同に声をかけ、一刻も早く敵の頭を討たんと進撃する。
 だが、ある一定の距離まで彼らが踏み込んだその瞬間、それまで使えていた魔法が使用できなくなったのだ。

女魔法使い「これはッ!?」

男「くそっ! どうやら〝黄昏〟の魔法無効化領域に入ったみたいだ!」

 真っ先にその事態に気がついた男と女魔法使いはすぐさま後方へと下がり、魔法が使用できる領域から進撃する仲間の支援を行った。
 その間にも将軍たちは肉迫する屍人たちと交戦を続けている。この場にいる屍人たちは生前名のある戦士だったのか、その腕前はこれまで打ち倒してきた雑兵とは違い、それぞれがとてつもなく強い。

騎士「このッ!」

女騎士「こいつら……強いッ!?」

 剣と剣を交わらせ、火花を散らす騎士たち。その姿に余裕はなく、全身全霊で目の前に立ちふさがる強敵との戦いに集中していた。
 そして、それは傷エルフも同じであり……。

傷エルフ「全く、不甲斐ない。我が同胞を何が悲しくてこんな得体のしれない相手に死んでなお、操られなければならないのだ」

 二本の短刀をその手に持ち、対峙する屍エルフの一人と向かいあう傷エルフ。その瞳に宿る感情は怒りや悲しみが入り混じったものだった。

屍エルフ「アアアアアアァァ」

傷エルフ「今、楽にしてやる」

 舞うように、次々と手に持った短剣で敵を切り裂いていく傷エルフ。だが、敵もやられるだけではないのか、受ける傷などお構いなしに傷エルフとの距離を縮め、鍛え上げられた肉体から放つ一撃を叩き込もうとする。一進一退の攻防がそこでは繰り広げられていた。
 そして、残された将軍は当初の目的通りついに対峙した〝黄昏〟を前にし、

将軍「さて、若い者の期待に応えるのも年配の努めというものだ。
 ……行かせてもらおう」

 それまで魔法ばかりで使用することのなかった腰に提げた長剣を抜き放ち、〝黄昏〟目掛けて駆けていった。
 〝黄昏〟との距離を詰め、上段からの重たい一撃を打ち込む将軍。〝黄昏〟はそれを手甲にて防ぐと、反撃に甲冑の隙間からいくつもの黒光を外に向けて放った。
 将軍だけでなく、その場にいた全員がそれに気がつき回避行動を取る。中には回避が間に合わず、とっさに敵を黒光の射線上に吹き飛ばし、己の盾にする者もいた。

騎士「よっしゃあ!」

 そのひとりである騎士は黒光が屍人の身体の中へと吸収されたのを確認し、思わず叫び声を上げた。だが、喜びも束の間。黒光により爆散すると思われた屍人の身体への変化は起こらず、むしろ先程よりもさらに力を増して騎士めがけて襲いかかってきた。

騎士「おい、反則だろ! こいつらにはあの光は効かねえのか!?」

 旧エルフの放った対〝黄昏〟用の光の魔法が彼女固有の魔法だとすれば、〝黄昏〟の放つ黒光はまさにその逆。
 〝救世主〟とそれに与するものにのみ害を与え、己の操るものに力を与えるというもの。どちらも常人では使うことなど叶わない反則的な魔法だ。

男「これは益々時間がかけられないな。将軍、今から僕と女魔法使いで援護に回ります! 隙を付いて〝黄昏〟を討ち取ってください!」

 そう言って男は女魔法使いに合図を送ると、将軍をサポートするために新しい魔法を描き始めた。

将軍「頼む!」

 将軍はそれに頷くと、時間を稼ぐために〝黄昏〟へ猛攻を加え始めた。〝黄昏〟の纏う硬い鎧の前に何度も切り込みを行った将軍の剣の刃が欠けていく。だが、向こうも無傷とはいかないのか幾度もの斬り込みや打ち込みにより鎧の所々がへこんでいた。

女魔法使い「先生!」

 そして、将軍の猛攻の最中に魔法の準備を終えた女魔法使いと男はこの場にいる全員に一斉に合図を送った。

男「みんな! 一度敵から距離を取れ!」

 指示を飛ばすと、その場にいた全員が即座に敵から離れた。そして、それを見計らった男と女魔法使いは今の彼らにできる最大の魔法を敵目掛けて撃ち放った。

女魔法使い「あああああああああああああああ!」

 女魔法使いの上空には小さな太陽とも思えるような灼熱を発する火球が現れた。それを〝黄昏〟から離れた屍人たち目掛けて投げ込むと、鼓膜を麻痺させるほどの轟音と爆発が生まれ、地面が溶けるほどの高熱が生んだ蒸気が〝黄昏〟を含めた周辺の敵を巻き込んだ。

男「これで、どうだああああああ!」

 さらに追撃をかけるように、男はかつての戦いの中で編み出した血を使った魔法を発動させる。周囲に散布していた敵、味方両名の血が彼の元へと集まる。
 上空へと腕をかざし、それを地面へと押し付けると、屍人の周囲にいくつもの血柱が生まれた。それは一瞬にして男の元を飛び出し、蒸気の中に隠れた数多くの屍人を串刺しにした。
 静寂がその場に現れる。不安と期待。戦いの終わりがすぐそこまで近づいていることを彼らは確かに感じていた。
 だが……それは敵にも言えることだったのかもしれない。

女騎士「不味い! 女魔法使い!」

 最初に状況の変化に気がついたのは女騎士だった。視界を遮る白い蒸気の中から突如飛び出してきた黒い影。それは女魔法使い目掛けて一直線に飛び込んでいく。
 気がついたときには既に女魔法使いの眼前に溶けた鎧を身につけた〝黄昏〟が現れていた。

女魔法使い「えっ?」

 事態を把握できず、間抜けな声を上げた女魔法使いは腹部へと強烈な掌打を打ち込まれていた。皮肉にも彼女が先ほど放った魔法の余波で生まれた高熱により、鎧が溶けるほどの熱を持ったまま与えられた一撃は、より大きなダメージを女魔法使いへと与えた。
 その威力の高さから、後方へと大きく吹き飛ばされた女魔法使いはゴム球のように何度も地面を跳ね、衝撃が吸収されきったところで停止。ピクリとも動くことなくその場に倒れた。

女騎士「きさまああああああああ!」

騎士「テッメエエエエエエエエエエエ!」

 大事な仲間をやられた怒りから、すぐさま騎士と女騎士が〝黄昏〟へと突っ込んでいく。だが、怒りに我を忘れた二人は〝黄昏〟の身体から放たれようとしている黒光に気づかない。

男「二人とも、避けろおおおおッ!」

 男の発した声で、一瞬冷静に返った二人だったが、回避を取るにはもはや時間が足りなかった。覚悟を決め、相打ちするつもりで〝黄昏〟へとそのまま突進する。
 左右両方から鎧の隙間を縫い、〝黄昏〟の腹部に二人の剣が突き刺さる。だが、それと同時に〝黄昏〟の脚部から放たれた黒光が突撃した騎士と女騎士の左足と右足をそれぞれかする。
 黒光は二人の内部へと侵入。しばしの時間をおいて爆散した。

騎士「グッ、アアアアアアアアアア!」

女騎士「アアアアアアアアアアッ!?」

 肉を抉り、骨を砕くその一撃に二人は叫び声を上げた。見れば、黒光の当たった二人の足は横半分ほど肉が削がれていた。
 身動きも取れず、〝黄昏〟の眼前にて項垂れる二人。もう一度先ほどの黒光が放たれれば今度こそ絶命は免れない。

男「――ッ!」

 それに気がつき、今度は男が二人を助けるために〝黄昏〟の元へと向かう。だが、そんな彼よりも早く二人の救援へと向かった影があった。

傷エルフ「この馬鹿どもが! 後先考えずに突っ込むからこんなことになるんだ」

 相変わらずの憎まれ口を叩きながらも、誰よりも先に二人を助けるために動き出した傷エルフ。そんな彼の行動に思わず男は驚きを顕にするのだった。
 〝黄昏〟の身体から再び黒光が放たれようとしている。駆ける男と傷エルフ。黒光が放たれる刹那、滑り込むようにして騎士と女騎士の身体をそれぞれ抱きとめ、二人を回収すると同時に〝黄昏〟の黒光が飛んでいく。
 間一髪、仲間の死を防いだ男たち。心臓は破れそうなほどバクバクと鼓動し、背後まで近寄ってきた絶望と不安で口はカラカラになっている。

将軍「ここまで……のようだな」

 知らず身体から湧き出る恐怖に身動き取れずにいる男たちを安心させるように将軍が声をあげた。

男「将軍?」

将軍「君は彼らを連れて一度撤退しろ。作戦は失敗だが、まだ軍は瓦解したわけじゃない。体制を立て直せば、おそらくもう一度くらいはまともに戦うことができるだろう。
 こいつは……私が食い止める」

男「そんな……何を言っているんですか!」

将軍「早く行きたまえ。それとも、周りが見えていないのかね?」

 将軍に言われ視線を周りへと移すと、いつの間にか男たちの周りに多くの屍人たちが近づき始めていた。

将軍「わかるだろう? このままでは全員死ぬことになる。だが、今ならまだ間に合う。
 行きたまえ。君たちにはまだ若い。今はダメでもまだ〝次〟がある。
 若き兵士のために死ねるのならば、それは老兵の本望だ」

男「……ううっ」

 将軍の言葉に男の心は酷く揺れた。過去を変えたくて、明るい未来を作りたくて動いてきた。その結果、人とエルフが協力する新しい明日への一歩を生み出すことができた。
 だが、今彼らに訪れている危機はどうしようもなく男を捕えて離さない過去からの呪縛そのものだった。
 愛する者、大切な仲間の危機。己の命を助けるために大切な誰かが犠牲にならなければいけない状況。

男(またなのか? また、僕は同じ過ちを犯すのか?)

 決断するための猶予はもうあまり残されていない。
 
 ――撤退か、死か。
 
 選ぶことなどできない選択に憤った男は天に向けて咆吼した。

男「ちっ、くしょおおおおおおおおおおおおお!」

 だが、そんな彼の悲痛な叫びに応える声があった。

旧エルフ「……大丈夫ですよ、男さん」

 声と共に男たちと屍人たちを遮る結界が現れる。〝黄昏〟をその場に残し、空間を隔離する光の魔法。
 驚き、振り返ればそこには本来遥か後方にいるはずの〝救世主〟の姿があった。

男「旧……エルフ」

 信じられないものを見たかのように、唖然とした様子で呟く男。そんな彼に向かって旧エルフは微笑みながら力強い口調で返事をする。

旧エルフ「ここからは、私も戦います!」

 〝黄昏〟を睨みつけ、毅然とした態度で対峙する〝救世主〟。忌々しい仇敵の姿に〝黄昏〟は再び咆哮する。

黄昏「オオオオオオオオオオオオオォォォ!」

 それまでとは比較にならないほどの大きな咆哮。それに臆することなく、旧エルフもまた声を荒げる。

旧エルフ「来なさい、〝黄昏〟! この場所があなたの終着点です!」

 そうして〝黄昏〟と〝救世主〟の戦いが始まった。
 近くにいた男たちには目もくれず、一直線に旧エルフの元へと飛び込んでいく〝黄昏〟。形状の変化した鎧を揺らしながら、旧エルフの身体を捕らえようと黒光の漏れた腕を伸ばす。
 旧エルフはそれに対し、先ほど空間を断絶した光の魔法を〝黄昏〟の周囲に顕現させ、捕獲しようとする。
 だが、〝黄昏〟は旧エルフの考えに気がついたのかジグザグと回避行動を取りながら彼女に近づいていき、次々と現れる結界を避けていく。

旧エルフ「この! ちょこまかと」

 〝黄昏〟との距離が縮まったため、旧エルフは即座にその場を離脱。敵との距離を取ろうとする。だが、そんな彼女に〝黄昏〟は黒光を放ち、追撃する。
 空に放たれた黒光が流星群のように流れていき、旧エルフの周囲へと落ちていく。それに対し、旧エルフは光の結界を己の頭上に何重にも展開し、防いでいく。

旧エルフ「うっ……くぅっ!」

 均衡する光と闇。少しでも気を緩めれば黒光は結界を破り、彼女の身体を容赦なく打ち砕くだろう。

男「旧エルフ!」

 〝黄昏〟と旧エルフとの攻防の中、一人吹き飛ばされた女魔法使いを助けに向かい、彼女の無事を確認した男は、旧エルフが危機に陥っていることに気づく。
 だが、女魔法使いを放って旧エルフの援護に向かうこともできず、ひとまず騎士と女騎士の安全を確保している傷エルフの元へと急いだ。
 そんな中、一人手の空いている将軍は二人の攻防の隙を伺い、〝黄昏〟の身体から放たれる黒光が止んだ一瞬を見極めると、急襲。

将軍「ここだ!」

 鎧の継ぎ目を狙い、下段から剣を振り上げた。遠心力も加わったその一撃は〝黄昏〟の鎧を砕き、左腕を切断した。その影響で集中が途切れたのか、旧エルフを襲っていた黒光は消失し、旧エルフはすぐさまその場から離脱した。
 だが、これまでの攻防で欠けていた将軍の剣もついに限界を迎えたのか、〝黄昏〟の腕を切ると同時に折れてしまい、使い物にならなくなってしまう。
 腕を切られた〝黄昏〟は、まるで怒り狂ったかのように発狂し、将軍の身体を残った右腕で掴むと、力任せに振り回し、傷エルフと合流した男たちの方へと投げ飛ばした。

傷エルフ「チィッ!」

 それを見た傷エルフは舌打ちしながらも、飛ばされた将軍の射線上へと割り込み、彼の身体を受け止めると共に吹き飛ばされた。その際には、その身を犠牲にして可能な限り衝撃を殺した。
 だが、凄まじい勢いで飛ばされた人一人を受け止めた代償に、彼の腕はあらぬ方向へと曲がった。
 将軍も老体に無理をさせたツケが来たのか、もはやまともに動ける状態ではなかった。

男「傷エルフ、お前……」

 二人の元へと駆け寄った男だが、そんな彼を傷エルフはジロリと睨みつけた。

傷エルフ「勘違いするな。俺はあくまで義理を果たしただけだ。約束を……したからな。
 この戦いで貴様らに恩を売っておくに越したことはない。今後のエルフたちのためにも」

男「ああ……そうだな。そういうことにしておくよ」

傷エルフ「ふん。やはり嫌なやつだよ、お前は」

 女魔法使い、騎士、女騎士、将軍、そして傷エルフ。多くの仲間が倒れ、残されたのは男と旧エルフのみ。だが、〝黄昏〟も多くの攻撃を受け、片腕を失い、もはや満身創痍に見える。

男「決着を、つけてやる」

 男の元へと合流した旧エルフと共に〝黄昏〟を見据え、固い決意と共に男は呟く。仲間たちが作り上げた新しい未来へと続く道を男は走っていく。
 そして、そんな彼の隣に寄り添うように旧エルフも彼の後に続いていく。
 人とエルフ。交わることのなかった両種が手を取り、強大な敵へと立ち向かう。その光景を見た〝黄昏〟は吠え、男と旧エルフ目掛けて駆けてゆく。

男「うおおおおおおおおおおお!」

黄昏「オオオオオオオオオオオ!」

 〝黄昏〟から放たれる死の黒光。それに対し、男は回避行動を取らなかった。共に敵に立ち向かう最愛のパートナーがそれを防ぐと信じていたから。
 光の結界が黒光を防ぐ。結界の脇をすり抜け、男は無防備となった〝黄昏〟の内に侵入する。

男「ハアアアアアァァッ!」

 〝黄昏〟の腹部に残された騎士と女騎士の剣。男はその片方を抜き放つ。激痛に悶える〝黄昏〟は黒光を纏った右腕を男の顔面へと振り下ろした。
 それに合わせるように男は剣を振り上げ〝黄昏〟の腕を弾く。同時に剣を手から離し、〝黄昏〟に刺さったもうひと振りの剣を抜き、弾いた右腕を切り落とす。
 そして、ダメ押しとばかりに兜に上段からの一撃を与える。衝撃に耐え切れなかった剣は砕け、男の手はビリビリと痺れた。
 だが、男は痺れる手に無理やり力を込め、腰に装着していた短剣を抜き放ち、トドメの一撃を〝黄昏〟目掛けて打ち込んだ。
 貫かれる〝黄昏〟の頭部。生暖かい血飛沫が彼の顔に吹き飛ぶ。
 戦いの終わりを感じるその刹那、男は見た。兜を破壊したことにより、現れた〝黄昏〟の素顔を。
 そこには憎悪に顔を歪め、生きとし生けるもの全てを憎む男の姿があった。
 その男の耳は特徴的なエルフのものによく似ており、それでいてエルフよりも短かった。
 ゆっくりと、〝黄昏〟の身体が後ろへと倒れていく。同時に、〝黄昏〟の身体からこれまで以上の黒光が発生した。
 光は外へと放たれることなく内へと収束していき、〝黄昏〟の身体は鎧が地面につく頃には欠片も残さず消えていた。
 その光景を、男は静かに眺めていた。

旧エルフ「……男さん」

 そんな彼の元へと旧エルフが歩いてくる。

男「旧エルフ……君は、知っていたのか?」

 そんな彼女を見て、男は先ほど見た〝黄昏〟の正体について問いかけようとする。だが、彼女は何も言わず首を振った。

旧エルフ「男さん、〝黄昏〟は正体不明の魔物。きっと、それが誰も傷つかない結末です」

男「でも、あれは……」

旧エルフ「〝黄昏〟は、あれの正体を知るのはきっと〝救世主〟と〝導者〟だけでいいんです。私たちが背負うのは希望であり、罪です。
 歴史の因果の中に生まれた〝黄昏〟という魔物。それを生み出したのはかつての人とエルフなのですから」

男「……それが、過去の〝救世主〟や〝導者〟が選んだ道か」

旧エルフ「ええ。そして、この魔物を生まれることはもうありません。だって、男さんがそうならない未来を作ってくれるって、私は信じていますから」

男「ああ。そうだな……」

 空を見上げれば、いつの間にか黒雲の隙間から顔をのぞかせるように、いくつもの光が大地に降り注いでいた。
 〝黄昏〟の死と共に屍人たちは事切れ、それが戦いの終わりと悟った兵士たちの歓声が戦場に響き渡る。
 意識を取り戻した女魔法使いと痛む体に鞭を打ちながら歩く将軍に肩を貸してもらう女騎士と騎士。その後ろから少し距離を開けて傷エルフが続く。
 こちらへ向かう仲間たちを男と旧エルフは待っていた。そんな二人の手はいつのまにか結ばれ、強く握り締められていた。
 ……こうして、〝黄昏〟との戦いは終わった。〝救世主〟と〝導者〟は新たな歴史を作り、その伝説は後世まで語り継がれていくことになる。
 それは書物や人を通じ、やがて各地を渡る吟遊詩人たちによって語られ、長い時代を経てなお、人々の記憶に残っていく。
 過去の呪縛は解け、人とエルフは新たな未来へ向けて歩みだす。その道は険しく、苦しいもの。
 だが、彼は諦めない。かつてのようにまた、両種族が共に笑って過ごせる未来へ向けて進んでいくために。

エルフ「……そ~っ」 男「こらっ!」 after story 未来編 ――完――
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完結

こんにちは、建野海です。
久しぶりの更新になります。前回の更新の際の宣言通り、とうとうエルフ「……そ~っ」 男「こらっ!」が完結しました。
といっても、まだSS速報の方には更新していないので実質的な完結はしていませんが……。
思えば、この作品を書き始めたのが一年半前の春。当時、SSのまとめを読みあさっていてエルフのssを読んで衝動的に書き始めたのがキッカケでした。
今になって思い返せば、一時期書くのを中断したとは言えこれほど長い話になるとは思いもしませんでした。
VIP+からSS速報に移った時点で結末も既に決まっていたこの作品。
元々が安価でどんな話を書いて欲しいかという意見を聞いて、本編終了後にそのリクエストに答える感じで書いていました。
その途中に自分の中で広がった物語と作品を読んでくれている人が出した意見を参考にしながら過去編と未来編を構築し、最終的な結末までの流れを作ったのがおそらくちょうど一年前。
それから、結末を書くのに一年かかるとは……。頑張って書いたな~と少しだけ自分を褒めようかと思いますw

今年の夏終わりまでには書き終えたいと思っていましたが、どうにか間に合うことができました。
14日の更新で実質的な完結をするので、その時にまた作品について触れたいと思いますが、ひとまずはこれだけ長い物語を始めて完結させたことを喜びたいと思います。
未来編の終盤で一度文章量を数えた時点で40万字を超えていたと思うので実質文庫本四冊ほどの量を書けたと思います。
量が多ければいいってものでもないですが、できる限り伏線を回収して、謎も残さないようにしたと思います。一年半前から読んでくださった人には読み終わった後に「読んでいてよかったな」と思ってもらえると嬉しいです。
長い話になってしまいましたが、これからアル旅の再構築とその続き。それと同時にまた別の話も書く事になるかもしれませんので、どうぞよろしくお願いします。

では、続きはまた14日の更新後に。
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趣味: 読書、ツーリング、ゲーム、ピアノ、映画鑑賞。

好きなマンガ:
ワールドエンブリオ
修羅の門
     3月のライオン
     エリアの騎士
     フルーツバスケット

好きな小説:ダレンシャン
      白夜行
      スロウハイツの神様
      向日葵の咲かない夏
      白い巨塔など。

好きな映画:プラダを着た悪魔
      ワイルドスピード
      僕駐
      インセプションなど。

好きなゲーム:キングダムハーツ
       テイルズ
       ルーンファクトリー
       ゼルダの伝説など

好きなアーティスト:福山雅治
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