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どこの誰でもない、ただのウィン

部屋の中に入ったフィードとリオーネは老婆に促される形で空いている二つの椅子に座った。老婆は机の上にあるティーポットから空いているカップに紅茶を注ぎ、二人の前に差し出した。

「まずは一杯飲みんさい。話はそれからでも遅くはないだろうしね」

 その言葉に困惑するフィードだが、リオーネは慣れているのか、カップに手を伸ばし、紅茶を口にする。それに合わせるようにフィードもまたそれをゆっくりと味わった。
 爽やかな香りと、口当たりのよい味に驚きを覚える。思っていたよりもずっと美味なそれを一気に口にした。

「美味しい……」

 無意識に言葉が零れでて、慌ててフィードは口を閉ざした。そんな彼の様子を見て老婆は満足そうに微笑んだ。

「そうかい、そりゃあよかった。こっちもよい物を出せたというものだね」

 そう言うと空になったフィードのカップに再び紅茶を注いだ。フィードはお礼を言い、今度はゆっくりと紅茶を飲み始めた。
 そして、彼に少し遅れる形で紅茶を飲み終えたリオーネがここに来た本題を老婆に向かって切り出した。

「レーヴァさん。さっそくで申し訳ないと思うのですけれども、情報を売ってほしいんです」

 リオーネが真剣な眼差しでレーヴァに訴える。レーヴァは持っていたカップをそっと、ソーサーの上に置いた。

「やれやれ、若い物はせっかちだね。まあ、それがいいところでもあり悪いところでもあるんだけどね。ねえ、そこのお兄さんもそう思わないかい?」

「いや、どうだろうな。まあ、状況によるんじゃないか? 少なくとも今俺たちは少しでも早く情報を手に入れたいと思っている」

「そうかい……それじゃあ仕方ないねえ」

 意見が一致しなかった事が残念なのか、レーヴァは短く溜め息を吐き、ゆっくりと語りだした。そこには先程まで柔和な笑みを浮かべていた親しみやすい老婆の姿は無く、情報屋としての裏の顔が覗いていた。

「で? お前さん達は何について知りたいんだい?」

 レーヴァは自身のすぐ傍に置いてある小物置き場からキセルを取り出すと、香代わりに焚いてあった炭火に雁首を近づけて火をつけ、煙を吸い込んだ。

「それについてですが、まずは先にこちらを」

 そう言ってリオーネは上着のポケットから小袋をレーヴァに手渡した。

「ほう……話をする前に口止め金を渡すなんてずいぶん慎重だねえ。よっぽどこの件について知られたくないと見える」

「そうですね。こうでもしないとあなたは私たちが情報を求めてここを訪れたという“情報”をまた誰かに売る事になりますから」

「来る物は拒まずがうちのモットーだからねえ。些細な情報も、誰が相手だろうが売る事に決めているんでね」

「それについては、私も理解しています。ですから、これはその情報を売らないという代価として納めていただければということで」

「そうさね……まあ、よしとしよう。リオーネはうちをよく利用してくれる上客だからね。こちらとしては、これからも贔屓にしてもらいたいものだしね」

「ありがとうございます」

 一通りの裏取引が済んだ事により、いよいよ本来の目的に関しての動きが起こる。

「それで、提供していただきたい情報なんですが、貴族のクーリック氏はご存知ですか?」

「ああ、知っているとも。うちの子達をよく可愛がってくれる上客の一人さね。もっとも、金使いがいい代わりに娘達に対する態度は最悪だから評判は悪いけれども」

「そうですか、それなら話は早い。実はそのクーリック氏に最近接触した何者かがいるらしいのですが、その人物に関する情報を提供していただきたいのです」

「なんだい、そりゃ? あまりにも抽象的すぎやしないかい?」

「それは承知しています。その上で情報を集めていただきたいのです。もちろん、確実な情報だと判断できる物を提供いただいた場合は多大な報酬を差し上げる事を約束いたします」

 報酬に関しての話をリオーネが持ち出すと、それまで渋い顔をしていたレーヴァの顔がくしゃりと歪む。

「ほう、ほう。そりゃあ興味深いね。騎士団の顔になりつつあるあんたにそこまで言うんだ。どうやら報酬は弾んでもらえるようだねえ」

「ええ、もちろん」

「……三日待ちな。それまでに情報を集めておいてあげるよ。もし、情報が確実に集まらなかった場合は報酬は必要ないよ。その時は情報屋の名折れだからね」

「ありがとうございます。では、三日後にまたこちらに伺わせていただきます」

 座ったまま一礼をし、リオーネは席を立った。

「では、私たちはこれで失礼します。いきますよ、フィード」

「ん? ああ、悪い。すまんが、少し先に行っていてくれ。俺はまだ話がある」

 それまで黙ってリオーネとレーヴァのやり取りを聞いていたフィードはそれだけを告げ、その場に居座った。そんな彼の様子を訝しみながらも、リオーネは一人部屋を後にした。
 部屋に残されたフィードとレーヴァ。カップに入った紅茶は既に冷えていた。

「それで、話したいって言う事は一体なんなんだい? もしかして、あんたの方も依頼かい?」

「まあ、ある意味ではな。俺の場合はむしろ情報を流してほしい」

「ほう。そりゃ珍しいね。情報を提供してほしいって言う人はたくさんいるが、自分から流すのは余り以内んだがね。それで? どんな情報を流してほしいんだい」

「なに、そう難しい事じゃない。一応俺は今城下町である程度噂になっている人物らしい。その噂の一つにこう付け加えて欲しいだけだ。
 『騎士団試験に合格した新人は十二支徒を追ってここまで来た』ってな」

 十二支徒という単語を聞いたレーヴァはピクリと眉を釣り上げてフィードをジッと見つめた。

「ほうほう。あの犯罪者集団の名前をこんなところで上げるなんて、あんたが初めてだよ。どうやら、何か因縁があるようだね」

「余計な詮索はなしにしてもらおうか。それこそ、こちらが情報を売る代わりに代価をいただくことになるかもな」

「はっはっは。こりゃ、確かに。あんたの言う通りだね。仮にも情報屋なら気になる事柄は自分で調べる事にしておくとするかね。
 そうだね、今回はリオーネの付き添いという形といえ、今後うちを使ってもらう機会もあるかもしれないからね。あんたの場合だったら本業の方でも客として来てほしいところだしね。サービスとして噂は流しておいてあげるとするよ」

「感謝する。ああ、先に行っておくが俺がここに来るとしたら、裏の用事でしか来ないつもりだ。ここの中は香水の匂いが漂いすぎて匂いがキツい」

「そうかね? まあ、何度か来ればその匂いにも慣れるさね。さて、それじゃああんたも早く出て行きな。あの子が待っているだろうしね」

「ああ、そうさせてもらうよ」

 それだけを告げて、フィードもまた部屋を出た。薄暗い部屋に僅かに灯る蝋燭の灯火がゆらゆらと揺れる。その明かりを遮るようにレーヴァが吐き出した煙がプカプカと宙を漂う。

「ふむ、思ったよりも面白そうだねえ。これは、少し力を入れて調べてみようとするかね。リオーネの件も、噂のフィードとかいうあの青年の事に関しても……ね」

 薄笑いを浮かべながら、一人残った部屋にてレーヴァは呟くのだった。


「遅い! 早くしてよね!」

「はい、はい。わかりましたよ、お姫様」

「ちょっと! もうちょっとシャキッとしてよね」

「わかったから、もう少し大人しくしろって。お前の正体を知られるわけにはいかないんだからさ」

「まあ、まあフィード。ウィンディ様も町に来て気分が高揚しているんですよ。それと、ウィンディ様もフィードの言う通りもう少し大人しくしてくださいね。町の者に気づかれたら大騒ぎになりますから」

「む〜。仕方ないわね。私だって、そんなことになって町に来れなくなるのは嫌だから我慢するわ」

 不満げにしながらもしぶしぶと言う事をきくウィンディを見てくすりと微笑む二人。今日は昨日交わした約束通りウィンディを城下町に連れて行く事になった。
 もっとも、本来は皇女としての責務が存在するため、こんな風に羽目を外す事もあまりできないのだが彼女は遊びに出かけたい一心で午前中にこなすべき責務を全て終わらせ、夕方にある貴族達の社交界に顔を出すまでの間目一杯楽しむ予定であるのだ。

「ん〜やっぱりここはいつ来ても楽しいわ。社交界も悪いってわけじゃないけれど、毎回毎回話す内容はどこどこの貴族が価値ある物品を買っただとか、最近始めた趣味を語ったりだとかしてて妙に堅苦しいのよね。正直、同じような話を毎日のように聞かされてたら嫌にもなるわよ」

「まあ、ウィンみたいな破天荒な奴にはそういったところはなんだか似合わなそうだな」

 どちらかと言えば大広間などで着飾ってお高くとまっているよりも彼女は泥にまみれながら子供達と一緒に遊び尽くすというイメージがフィードには強かった。

「わかってるじゃない。自分で言うのもなんだけど、私って本来あるべきイメージと現実の差が激しいのよね。だからこそあんまり同年代の人との交流が持ててないのよね」

「あの、ウィンディ様。そのようなことは」

 その発言の意味することを察したリオーネが思わず声を挟んだ。

「あ、勘違いしないでよ。だからどうってことでもないし。一応社交界に行けば声はかけてもらえるし無視をされているってわけじゃないのよ。ただ、みんな私の立場だったりこういった性格を知ってるせいか、腹を割って話してくれそうじゃないのよね。
 まあ、貴族や富裕層の人間なんてみんな腹の中にどんなものを飼ってるか分からないしね。下手に私の機嫌を損ねても不味いし、表面上は仲良くしておこうって風にしか思ってないでしょうね」

「だからこそ、ここに来たがるのか?」

 歩きながらフィードは視線の隅に映る子供達の姿を捉える。ちょうど、ウィンディと同じくらいの年頃の少年少女が仲睦まじく会話を交わして笑顔を浮かべている。

「まあね。ここなら私は姫でもなんでもなくただの年頃の少女だもん。正体が知られない限りはみんなただのウィンとして扱ってくれる」

 それを聞いてフィードは先日の酒場での一件を思い出した。あの時、ウィンは酔っていた男ともめ事を起こしていたが、それも彼女がただのウィンであったからこそ起こったことだ。もし、彼女がこの国の姫であると知られていたのなら、決してそのような事は起こることもなく、酔っぱらいは彼女にへりくだり、許しを求めただろう。
 彼女は……寂しいのだ。対等に付き合える人間が彼女の周りに余りに少なく、遠慮なく自分に接してくれる存在を少しでも多く求めている。
 だからこそ、フィードが再会して彼女に対して敬語を使った時にはそれを嫌い、今まで通りに接するように命令したのだ。

「ま、お姫様も色々大変だな」

 彼女の抱える事情を理解し、頭に手を置くフィード。その距離は護衛と主というものではなく一人の友人に接するものであった。

「自分は分かっているぞとでもいいたげね、もう……。まあ、いいわ。これからもフィードはそのままでいてよ」

「ん、了解」

「それと、リオーネはもう少し柔らかくなれない? 私、そうやって距離のある話し方されるの嫌なの」

「ですが……」

「立場を気にしてるのなら別に構わないわよ。現にフィードはすぐに実行しているし。それでもどうしても気になるようならこうして他の騎士達の人目がない時でいいから普段のように話してもらえない?」

「えっと、それじゃあ……。普段のように話すわね、ウィン……ちゃん?」

「ごめんなさい、ちゃんはやめてもらっていいかしら」

「駄目なのね。それじゃあ、ウィン。改めてよろしくね」

「うん、こちらこそよろしく」

 ようやく互いの距離感を正しく掴み始めた三人は再び城下町の探索を始めた。

「さあ、今日はとことん楽しむわよ!」

 ウィンディはフィードとリオーネの手を取り、ギュッと握りしめるとそのまま城下町を駆け抜けた。屈託ない笑顔を浮かべて駆け抜ける彼女に引っ張られる二人もまたつられるようにして微笑むのだった。


 夕刻、ウィンディの次の予定である社交界の時間が近づいて来たため城へと戻ったフィードとリオーネは彼女を自室へと送り届け、社交界においてのウィンディの護衛と役割を交代し、騎士団宿舎に向かって歩いていた。

「にしても、面倒だな。こうした特別な予定は護衛を交代しなくちゃならないなんて」

「仕方ありません。貴族派は私たちのような平民生まれを嫌っています。特に、私なんてその最たるものですし、平民が貴族達の交流の場に護衛とはいえ顔を出すのを快く思っていないのでしょう」

「それが国のしがらみって奴かね。まあいいや。とりあえず夕食がまだだから先に飯でも食うとするか」

「いいですね。今日は宿舎の方で食べますか?」

「そうだな。今からまた城下町の方に行くのも面倒だし」

 これからの予定を立てながら歩く二人。そんな二人の前方から見知った顔が近づいて来た。

「げっ……」

 その姿を捉えたフィードは思わず言葉を漏らし、顔をしかめた。徐々に近づいて来るその人影は、ことあるごとに彼に突っかかって来るエルロイド教崇拝者のミレーヌであった。

「ああ、リオーネこんなところにいたのですか。探しましたよ」

 ようやく話せる距離にまで近づいたミレーヌはあからさまにフィードを無視してリオーネに対してのみ声をかけた。そのことにリオーネも気づいているのかきまずそうにしながらも会話を続けた。そして、フィードはただ黙って空気になっていた。

「え、えっと……なにかあったんですか?」

「ええ。状況に進展がありました。どうやらグラードさんが有益な情報を持って来たみたいで先程隊長から招集がかかりました」

「そうだったんですか。分かりました、それじゃあエルロイドさんの所に向かえばいいんですね。それにしても、どうしてこちらへ?」

「ああ、そのことですか。いえ、招集がかかってすぐにあなたの部屋に向かったのですが留守だったので、まだ姫様の所にいると思って足を運んだだけです。こうして合流する事もできましたし一緒に向かいましょうか」

 そう言ってさっそくエルロイドの元へと向かおうとするミレーヌ。だが、ここでリオーネは意を決して彼女に尋ねた。

「あ、あの。もちろんそれはフィードも一緒にってことでですよね?」

 歩を進め始めたミレーヌが再びピタリと立ち止まり、リオーネに背を向けたまま答える。

「そう言えば、招集された中にそんな名前があったような気もしますね。まあ、いいでしょう。早く行きますよ」

 振り返ることなく足早に歩いて行くミレーヌ。その様子を見てリオーネは深い溜め息を吐き出すのだった。フィードとミレーヌ。二人の関係に挟まれているリオーネの胃は既にキリキリと悲鳴を上げていた。

「ねえ、フィード。この状況どうにかなりませんか?」

「いや、俺に言われても……」

 ようやく空気状態から解放されたフィードもまた頭を掻いて溜め息を吐くのだった。

「とりあえず、行こうぜ。エルロイドの奴が呼んでいるみたいだし」

「そうですね。一体どんな情報を掴んだんですかね」

 そうして、ミレーヌの後に続くようにエルロイドの元へと二人は向かうのであった。
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私情混じりの夜の任務

空は暗く深い闇に染まり、町を照らす酒場や街灯の明かりが空に向かって光を放っている。昼間の人々が入り交じり、声が辺り一面に向かって飛び交う騒がしさとはまた違った、一日の終わりを互いにたたえ合う労働者達の明るい声が明かりの灯る幾つもの店から外に向かって響いていた。
 人通りの少なくなった通り。店の外にテーブルや椅子を出し、わざわざ外で酒盛りをする男や女達。彼らの表情は喜びに満ちており、平和を感じさせる。
 そんな中、酒を飲むわけでもなく、食事をするわけでもなく、観察するように通りを歩く二つの人影があった。

「なあ、本当にこんな堂々と歩いてていいのか?」

 現在城下町を駆け巡る噂の中心人物の一人となったフィードは隣を歩くリオーネに向かって尋ねた。

「ええ、構いません。むしろ、普通に食事を取りにきたと思われるんじゃないですかね。その方がこちらとしてもカモフラージュになっていいですし」

 ニコリと微笑みリオーネは質問に答える。心なしか、どこか浮かれているように彼女は見える。

「まあ、確かに。あまりコソコソと動いてこちらの動きを相手に悟られても困るしな」

「ええ、ですから特に意識せずに目的地に向かいましょう。ついでにどこかで食事の方も取っておきましょう」

 やはり、どこか妙に機嫌のいいリオーネを見てフィードは肩をすくめる。今は一応任務中であるにも関わらず、彼女はそんなことを気にした様子も無く、むしろこの時間を楽しんでいるようにフィードは感じた。
 いつもであれば、このような任務に生真面目に対処し、即座に終わらせるリオーネであるが、フィードとの再会で気分が良くなっているのか、普段の彼女ではあまり見る事のできない姿を晒していた。
 かくいうフィードもまた、姫のお守りから外されこうしてリオーネと二人でいる時間を心のどこかで喜んでいた。こうして二人で同じ時間を共有するのは、セントールでの別れを除けば、リオーネをこの国に置き去りにする前にまで遡る事になる。
 その事を思い出し、思わず微笑むフィード。そんな彼の様子に気がついたのか、不思議そうにリオーネがフィードの顔を覗き込んだ。

「どうしたんですか、フィード。急に笑い出したりして」

「いや、なに。なんだかこんなやり取りも懐かしいなって思ってさ。もうずいぶん長い事リーネと二人だけでこうやって町を巡ったりしていなかったなって」

「そう言われてみれば、確かにそうですね」

「昔はあれだけ一緒にいたのに、不思議なもんだよな」

「まあ、そうなった原因はフィードにあるんですけどね」

「馬鹿、それを言うなよ。せっかくいい事言ったと思ったのに台無しだろうが」

「だったら、最初っから私を置いてかなければよかったんですよ。もう……」

 プイッと顔を背けて拗ねたような態度を取るリオーネ。ただ、実際に拗ねているわけではなくそれがあくまで形だけのものだとフィードは気づいている。

「まあ、その件は俺が悪かったって何度も言ってるけどさ。でも、今はこうしてまた一緒にいられるんだからいいだろ?」

 そう呟くフィードだったが、リオーネはその返事では納得できないのか、未だ顔を背けたまま言葉を返した。

「でも、フィードは今回の件が終わったらこの国を離れるんですよね?」

「そりゃ、まあな……」

 そればかりはどうする事もできない。フィードの今いるべき場所はセントールであり、そこでは待ってくれている人たちがいるのだ。もしかしたら、別れる事になってしまうアルにしても、もう一度話し合えと隣にいるリオーネに文句を言われたばかりだ。だから、最終的にはフィードはセントールに帰ることになる。

「やっぱり、不思議です。あんなに離れないと思って、ずっと傍にいると思っていたのに、気がつけばこうして二人とも別々の道を歩んでいるんですから。昔の私は今みたいにこうやって、ずっとフィードと町を巡って、旅をして行くものだと思っていたのに……」

 再び前を向き、遠い過去を懐かしむようにリオーネが語る。しんみりとした空気に当てられたのか、フィードもまた似合わないようなクサイ言葉を紡いでいく。

「変わらないものなんて無いさ。色々あって、すれ違って、でもこうやって昔みたいに一緒に歩いている。別々の道を歩いたってそうできる。変わらないものもあるってことだろ?」

「そうですね。でも、もしかしたらこうやって同じ道を歩けなかったかもしれないんですよね。私たちがすれ違ったままで、私はフィードの事をずっと憎んだままで、フィードは真実を言わないままなんて未来もあったかもしれません」

「かもな、だがそれは仮定の話だ。『もし』の話をしたところでなんの意味も無いさ」

「ふふっ、そうですね。確かにそうです。私たちは今こうして一緒にいられるんですから」

 いつの間にか二人の存在に気がついた民衆達がジッと視線を向けていた。普段であれば、所構わず質問攻めにし、情け容赦なく無遠慮に絡んでくるはずの人々だが、フィードとリオーネが作り出している世界が余りにも余人の侵入を許さない無意識の壁を作っており、近付き難いと感じてしまっていた。
 そのため、彼らは遠巻きに二人を見守りながら、その関係を邪推して酒のつまみにしているのだった。

「それはそうとさ。俺たちは今からリーネの知り合いだっていう情報屋のところに行って、めぼしい情報がないか確認にするからいいとして、他の三人はどうやって調査するつもりなんだ?」

 素朴な疑問を投げかけるフィードにリオーネはくすりと笑みを浮かべて答える。

「そうですね、アイルさんはその辺りの酒場にでも行って、最近不審な人物を見なかったかどうか確認するんじゃないでしょうか? まあ、あの人の場合はそれをダシにしてただお酒を飲みたい気もしますけど」

「まあ、少ししか見ていないけどあいつはそういう感じの奴っぽいな」

「それで、ミレーヌさんの場合ですけれどあの人は町に出たりはしないでしょうね。仕事に厳しい人ですから。おそらく、他の騎士に聞いて情報を収集するでしょうね」

「ふ〜ん。まあ、ある程度予想通りと言えば予想通りだな。で、最後の一人のお前の上司は?」

「グラードさんですか? う〜ん、あの人はちょっとよくわからないですね。私たちの知らないルートで情報を仕入れていそうです。しかも、その上で素知らぬ顔をしてそうですね」

「なんていうか、お前の上司ってタチが悪そうだな。ちょっと、不気味な感じがするし」

「そんな事言ってはいけませんよ、フィード。あれで隊のみんなからの人望も厚いんですから。まあ、ちょっと隊長に見られない事もあって困りますが。欲を言えばもう少しだけ威厳が欲しいところですね」

 ハァと溜め息を立ち、副隊長として隊長を支えてきたこれまでの苦労を滲ませるリオーネ。そんな彼女がなんだかとても不憫に見えて、フィードは慌ててフォローを入れる。

「ま、まあ……その分お前が頑張ってるってことだろ。とりあえず、元気出せ。飯でも奢ってやるから」

 そう言うや否や、下を向いていた顔がおもむろに上を向き、キラキラと輝く瞳でフィードを見つめた。

「言いましたね! 丁度お腹が空きはじめたところだったんです。情報屋のところにいく前に腹ごなしをするとしましょう」

 急に元気になったリオーネに手を引かれ、そのまま、ずるずると町を引きずられて行くフィード。今夜はどこまでもリオーネに振り回されそうだと胸の内で彼は呟くのだった。


 リオーネがよく行くという食事場で二人は少し遅めの夕食をとった。手を繋ぎ、店内に入って来た二人を見て、店主と女将は意味深な笑みを浮かべて、妙に機嫌良く接してくれた。注文の際に、まだ頼んでもいない飲み物や料理を出し、二人を引き止めると同時に、サービスの対価として二人の関係を根掘り葉掘り聞こうとして来た。他の客達もその話が気になっていたのか、遠くからこっそりと聞き耳を立てて質問をジッと聞いていた。
 どうも、リオーネは以前からここでフィードの話を出していたらしく、飲み物を運んできた粋のいい店主にバンバンと勢いよく背中を何度も叩かれ、「お前が噂の兄ちゃんか。話は聞いてるぞ、一時期はここであんたの愚痴を散々聞かされたからな!」と高笑いを上げながら飲み物を置いてカウンターの中へと戻って行った。
 フィードがその事に対してどういう意味だ? とリオーネに睨みを利かせると、肝心のリオーネは顔を赤くして、そっぽを向いていた。都合が悪い事からは目を背けたいようだ。
 次に、料理を運んで来た女将さんも店主と同じく、口元に手を当てて含み笑いをし、「よかったね、リーネちゃん。愛しのフィードさんが来てくれて」とわざとらしくフィードにも聞こえるようにリオーネに対して呟いた。それを聞いたリオーネは手をあたふたとさせ、必死にそんなことはないと誤魔化そうとしていた。
 ここまで来ては、フィードはもう諦めるしか無いと思い、余計な事だけは口にしないでおこうと黙って、テーブルに置かれた飲み物を口に含んだ。
 先程までの元気はどこに行ったのか、リオーネは借りて来た猫のように大人しく縮こまり、常連客からの茶化しの声に慌てふためいたり、女将からの質問に顔を真っ赤にして俯いたりしていた。時折フィードの方に視線を向けては気の抜けた笑みを浮かべた。
 まるで任務の事など忘れているかのようなその振る舞いにフィードは呆れるとともに、絡んで来る客達の対処に追われていた。さばいてもさばいても減らない客達。飲めや、食えやと要求して来る人々を若干うっとうしく思いながらも、どこか懐かしく感じる。
 そう、この店はセントールにあるレオードの店を思い起こさせた。
 懐かしいと思えるほどには彼の酒場を訪れていないと思うフィード。長い事顔を合わせていないセントールの町の人々の顔がふいに思い浮かんだ。
 ここしばらくは本格的に町長の仕事を手伝わされ、以前のように顔を合わせる事が少なくなったクルス。旅を続けている中でも元気に酒場を経営して、相変わらず客達に怒声を浴びせているであろうレオード。
 根無し草であったフィードが一時的とはいえ今までで一番長い間滞在している宿の女店主グリン。かつては敵の奴隷でありながら、今はフィードと同じ宿にて看板娘の一角を背負うまでに成長したイオ。そう言えば、彼女と約束したプレゼントの件について今まですっかり忘れていた事をフィードは思い出す。この際、フラムの工芸品を何か探しておこうと考える。
 そして、最後に。リオーネと別れてからこれまでずっと一緒に旅をして来た少女、アルの姿が思い浮かぶ。元気にしているだろうか? 病気にはなっていないだろうか? 頑張っているのだろうか? 
 今、彼女は何をしているのだろうか。そんなことがフィードは気になった。だが、そんな風に考えにふけっていると、隣からクイッと彼の裾が引かれた。

「フィード。ちょっと、聞いてますか〜」

 見れば、リオーネが顔を真っ赤にさせ、視点の定まらない瞳でこちらを見ていた。このような状況になっては仕方ない、早いところ外に出ようと判断し、フィードは彼女の腕を肩に回して勘定を済ませて外に出た。

「また来るよ」

 今はセントールの事を考えている時ではない。そう思いながらフィードはリオーネを抱きかかえながら店を後にした。
 外に出ると冷えた夜風が身に染みた。だが、酒が入り、身体が火照ったリオーネから伝わる体温がその寒さを打ち消した。

「はぁ……。で? どこに行けばいいんだ、リーネ?」

 そう問いかけると、リオーネはろれつの回らない口でこれからの行き先を示した。大通りを外れ、うねうねと迷路のように入り組んでいる路地を抜けて行く。そして、町の中心地から外れ、夜の欲望が渦巻く裏路地に存在する歓楽区域へと辿り着く。
 あくまでも合法と認可されている店だけが人目を忍びつつ、それでも華やかさを忘れずに店の前に明かりを灯す。見れば、休みを貰った男達が嬉々とした顔で店を見て回っている。
 フィードはこの光景を見て、思わず頭を抱えた。

「なあ、リーネ。本当にここでいいのか?」

「はい〜。あ、あそこの店です。早く入りましょう〜」

 赤みを帯びた顔で指差す目的地。そこは男女二人が夜に入ったとすればやる事は一つしか無いような店であった。

「もう、どうにでもなってくれ」

 ただでさえ広まる尾ひれ付きの噂がこれから更に酷くなる事を考えながら、フィードは目的地の店の中に入った。

「いらっしゃいませ。ようこそ、キクへ。リオーネ様に、フィード様ですね。お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ」

 中に入ると案内人であろう女中が待っていた。連絡も何も取っていないにも関わらず、二人が来る事を分かっていたというように淡々と語り、奥の部屋に向かって案内する。
 未だに力を抜いて、自身の身体をフィードに預けてへばりつくリオーネにいい加減苛立ち、フィードは思わずリオーネの頭部に手刀を叩き込んだ。

「イタッ!」

 と、はっきりとした声が室内に響き、リオーネが上目遣いにフィードを見つめていた。その表情には先程までの赤みはなく、酔っぱらってあやふやとなっていたはずだった視点はきちんと定まっていた。

「一体いつまでお前のヘタクソな演技に付き合わなきゃいけないんだよ。だいたい、そんな風にしてここに来たせいで、俺の噂がまた変に立ったりする可能性が大だぞ!」

「いえ、すみません。こうしたほうがより敵の目を欺けると思いまして……」

「お前、絶対私情をはさんでたろ」

 酔っぱらったふりをしてここまで彼女を連れてくることになったフィードはジロリと彼女を睨みつけた。

「……なんのことでしょう」

 自身の行動を誤魔化すために顔を背けて視線を合わせないようにするリオーネ。今日だけで、何度この行動をとられた事か。

「ガキか、お前は」

 いい加減怒るのも時間の無駄だと判断したフィードは、先を歩く女中の後を追った。リオーネもそれに続く。そして、案内された先はこの店の最奥。明らかに他にある部屋とは異質な雰囲気が漂う部屋だった。

「では、よいお時間を」

 そう言い残し、女中は元来た道を引き返して行った。残されたフィードは顔を合わせ、最後の確認をリオーネに取る。

「中に入っていいのか?」

「ええ。そこで情報屋が待っています」

 目の前にある取っ手に手をとり、扉を開く。そして、視界に映る先にいたのは、

「よく来たね、二人とも。とりあえず座りんさい」

 優雅に椅子に座り、二人を迎える小太りな老婆だった。
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薬にも毒にもなりうる男

ふてくされたウィンディの機嫌を直すために試行錯誤を繰り返し、今度二人が一緒に護衛につき、城下町を訪れるということでどうにか納得してもらう事になった。
 正直、機嫌を直す際の妥協案を出した時点でウィンディがニヤニヤと口元を緩めていたため、今更な話だがフィードはあのお姫様にしてやられたと内心思っていた。リオーネも同じように思っているのか、隣を歩きながら疲れたように溜め息を吐き出していた。
 そんな二人は現在、騎士団のトップであるエルロイドに呼ばれ、彼の執務室へ向かっていた。呼ばれた理由にはだいたい察しがついている。おそらくは状況に進展があったのだろう。それが何かまでは分からないが、それも部屋に着けばわかるはずである。
 そして、長い長い渡り廊下を抜けて、二人は目的地に辿り着いた。部屋の戸を叩き、中にいるエルロイドに断りを入れた。

「エルロイドさん、リオーネです。こちらへ来るようにという報告を受けて参りました」

 呼びかけると、少し間を置いて「入って来たまえ」と返事がきた。それを聞いた二人は扉を開き、中へ入る。中に入った二人を迎え入れたのは正面奥、木製の椅子に座ったエルロイド。それから、三名の人物だった。

「おや、意外に早い到着ですね。てっきり姫様がまただだをこねられて二人を離すのを惜しむかと思いましたが」

「おっ! 来たな、噂のルーキー。どうだ、姫様の相手は? めんどくせえだろ、我が侭ばっかり言っててよ」

「アイル。あなたのその発言は姫様に対する不敬と取られますよ。もう少し言葉を慎んでください」

「今更なに言ってるんだよミレーヌ。だいたい、お前エルロイド隊長が同じ事言ったらもう少し柔らかい物腰のくせによ。贔屓はよくないぜ、贔屓は」

「隊長とあなたでは普段の行いが雲泥の差ですから贔屓したところで何も問題はありません。それだけ、私の信頼を得ているということですから」

「ケッ! やだね〜敬虔な信奉者は。隊長ももう少し部下の面倒はしっかりしておいた方がいいんじゃないんですか?」

「アイル! あなたという人は……」

 エルロイドに対して態度の悪いアイルを見て怒りを露にするミレーヌ。普段なら憎しみの籠った視線でフィードを睨みつける彼女だが、今だけはまるで彼のことを気にしている余裕など無いと言わんばかりにアイルの相手に必死になっていた。
 半ば放置気味となったフィードとリオーネはひとまず扉の前から部屋の隅へと移動し、このやり取りを見守る事にした。
 まず、執務室に置かれた無装飾で、実務専用と言った机に両手を置き、困った顔で成り行きを見守っているのは説明の必要も無い騎士団トップ、エルロイド。そんな彼の手前、フィード達から見て右からリオーネの上司でもあり第九部隊隊長グラードがニコリと微笑んでいる。
 そして、グラードから順に左へ向かって並んでいるのは、先日ケインの第二試験の際に試験官として戦った第七部隊副隊長アイル。おどけた様子で隣に立つミレーヌをからかい、エルロイドに不満を投げかけている。
 そんな彼の不真面目な態度に苛立っているのは、第一部隊副隊長ミレーヌ。腰にさげた剣を今にも抜刀しそうなほど肩を振るわせ、どうにかキレるのを我慢している。
 こうして見ると騎士団でも中々見る事のできない、そうそうたる顔ぶれだ。この四人に更にリオーネまで加われば一体何が起こるのだろうと、この状況を見た他の騎士達は思うだろう。
 自分がこの場にいるのがどうにも場違いな感じがしたフィードは、さっさと用件を済ませてここから離れようと思い、肝心の話を切り出した。

「……で? 楽しく漫才するのは構わないんだけど、俺たちは一体何の用で呼ばれたんだ? ここにいるみんなが知っての通り、今の俺が相手をしている姫様は我が侭で、すぐに駄々をこねるような人間だ。
 できることなら、さっさと用件を済ませて姫様のご機嫌を取らないといけないんだ。まあ、お前達が姫様の機嫌を損ねたいのなら俺は止めないが」

 唐突なフィードの発言を聞いたこの部屋にいる五人の反応は多種多様であった。
 まず、エルロイドはこの発言を面白いと捉えたのか、感嘆した様子で微笑んでいる。グラードは先程から一切様子を変えず、笑顔を浮かべたままだ。その様子をフィードは少し不気味だと感じた。
 アイルは部屋に響く程の大きさで口笛を吹き、この状況で発言をしたフィードを褒めたたえるように、二、三度拍手した。だが、おもしろがっている態度とは別に彼がフィードに対して向けている視線は少しも笑っておらず、むしろ警戒するような意図が含まれていた。
 ミレーヌは先程のアイルとの口論を漫才と告げられた事が実に不服なのか肩をプルプルと震わせて俯いていた。まさに爆発一歩手前の状況である。
 そして、最後に全員の反応を見ていたリオーネが隣で呆れ果て、

「フィード。もう少し空気を読んで発言をしてください」

 と、言ったところで聞いてもらえないだろう忠告を呟くのだった。
 それから、一瞬室内に静寂が訪れた。誰もが次に紡ぐ言葉を探している中、コホンと咳をする音が聞こえ、視線が一斉にその音を発した主の元へ集まる。

「そうだな。フィードの言う通り、重要な用件があったから君たちを集めたのだ。それぞれの業務もあることだろうし、手短にすませよう」

 そう言ってエルロイドは説明を始めた。

「さて、ここに来てもらった時点で気がついているかもしれないが、状況が動いた。より正確に言えば相手がボロを出したというべきだがね」

 机の上に置いてあった一枚の紙をアイル達の前に出して、書かれている内容が見えるようにする。フィードとリオーネもその内容を確認しようと机の前に歩いて行く。

「これは……貴族のクーリック氏? 彼が事件の黒幕だと?」

 そこに書かれていた内容はクーリックという貴族が怪しげな人物と密会していたという報告が記されていた。そして、その人物に金品を渡しているところを目撃したとも。

「いや、そこまではまだわからない。その怪しげな人物がリオーネ君を襲った人物と同一犯という確信も無いが、実際にクーリック氏が怪しい行動をとっていたのは事実だ。それに彼は元々反平民派だということも大きい」

「反平民派?」

 聞き慣れない単語に思わずフィードが聞き返す。

「ああ、そうか。フィードはまだ知らなかったかね。騎士団の中に派閥があるのは以前話をしただろうが、貴族派と平民派という二つの派閥ができていてね。
 元々この騎士団は貴族達が作ったものだから、貴族など家柄を持つ者こそが真に騎士として相応しいと主張しているものが騎士団の中にいるんだよ。
 だが、家柄などがあったとしても実際に人々の役に立たないのではなんの意味も無い。それで、ここ数年は一般の公募を募り、実力があり、人格的にも的確な人物を騎士として採用しているのだよ。
 だが、そんなどこの血筋かも分からない元農民や町民が騎士になるのが気に入らない貴族派の一部が彼らに嫌がらせをするなどしていてね。それに反発した騎士達が作った派閥が平民派だよ。
 もっとも、貴族の血筋を引いた騎士が全員貴族派というわけではないがね。ここにいるグラードやミレーヌも貴族や富裕層の家柄の人間だが、平民派だ。
 ちなみに、この部屋にいる全員平民派ということになる。特に、リオーネ君は平民派の顔として名を挙げられる事も多い」

 その発言にリオーネはブンブンと身体の前で何度も手を交互させて否定する。実際、本人がそう思っていなくとも、周りの認識ではそのようになっているのだろう。

「ほう、そんな面倒な派閥争いがあるのか。つまり、こういうことか? その貴族派のクーリックとかいう貴族が最近活躍目覚ましい平民派の顔になりつつあるリーネを目障りだと感じて、刺客を向けたと?」

「まあ、そのように考えてもらえば問題ない。だが、実際のところこれで確定と断言するにはあまりにも根拠が弱すぎるのだよ」

 苦笑いを浮かべるエルロイドの様子を見かねたのか、ミレーヌがいつものようにフォローに入る。

「ええ、そうでしょうね。そもそも、リオーネさんを襲ったのは我が隊の騎士で彼は平民派でした。お金で動くような理由もありませんし、報告を聞く限りでは操られていたと言われた方が納得できます。
 しかし、クーリック氏が隠れて金を渡していた人物が今回の件と関係あるという確証もありません。もしかしたら、今回とは別の件で報酬を渡していたのかもしれませんしね」

「でもよ、そんな事言ってたらいつまで経っても何も進まねえだろうがよ。だから、その件が今回の件と関係しているかって確認を取れっていいたいんだろ、エルロイド隊長は? んなこともおめーはわからねえのかよ」

 乱暴な言い方をしてミレーヌを小馬鹿にするアイル。態度が悪い事この上ない。さすがに、これにはミレーヌも頭に来たのか声を荒げてアイルに向かって怒鳴りつける。

「分かっていましたから! いいですか、その程度の事は口にするまでもないと判断したまでです! あなたは少し黙っていてください!」

 ハァ、ハァと息を乱すミレーヌ。突然の事にこの場の誰もが唖然としてしまい言葉を失う。さすがに、これはやりすぎたと思ったミレーヌは咳払いをし、話を戻した。

「ンンッ! えっと、それでですね。確認を取るのは構わないんですが、何もこれほどの人材を集めなくてもよいのではないのでしょうか? あ、新人は除いてですけど」

 さりげなくフィードに対する毒を吐きながらエルロイドに問いかけるミレーヌ。言われてみれば確かに彼女の言う通り、この場にいるメンバーは騎士団の中でも主力を集めた精鋭達。一騎当千の力を兼ね備えた隊長、副隊長たちしかいない。一人の貴族の調査のために揃えるような人材ではない。

「いや、現状敵の規模も目的も分からないこの状態ではこれくらいのメンバーで行動をした方がいいだろう。最悪の場合はあの十二支徒が相手になるかもしれないのだからな。リオーネ君なら私が言いたい事が分かるだろう?」

「はい……」

 重々しく口を開くリオーネにはかつて自身が戦った十二支徒の一人、エンリカの姿が思い浮かぶ。万全の体調ではなかったとはいえ、フィードと二人掛かりで全力で挑んだにもかかわらず彼女の顔に一撃を与えるので精一杯であった。しかも、最後は見逃される形で命を拾った。
 あれから時が経ち、今の自分が当時に比べて強くなっていると思うものの、正直それは向こうにも同じ事がいえるかもしれなかった。そのため、もしこの事件の背後に十二支徒がいるのならば、騎士団の主力をこれだけ集めて行動しても足りないくらいかもしれない。
 そんな風にリオーネが胸中に生まれた不安を抱いていると、そんな彼女の不安を吹き飛ばすようにフィードが肩に手を置き、宣言した。

「安心しろ。十二支徒が出てこようが関係ない。でなかったら、すぐに解決する話だ。そして、もし出て来たのなら……」

 言葉を切り、禍々しいほどの笑みを浮かべてこの場にいる全員に向かって告げる。

「俺が……殺す」

 その言葉に込められた憎悪と敵意にその場にいた全員が反応する。リオーネは悲しそうに目を伏せ、エルロイドは期待を込めた眼差しを向ける。
 言葉に込められた敵意を自分に向けられたものと、思わず錯覚したミレーヌとアイルは、無意識のうちに剣を抜刀してフィードの首元に突きつけていた。
 グラードは目を細め、冷や汗を垂らしながら剣を向ける二人に対して言葉を投げかける。

「二人とも、その辺で剣を収めておきましょうか。大丈夫です、彼は敵ではありません」

 その言葉を聞いてゆっくりと剣を降ろす二人。アイルは先程までのひょうひょうとした態度でフィードに向かって愚痴を呟く。

「ったく、勘弁しろよ。どうやったら、そこまでの敵意を向けられんだよ。思わず身体が反応しちまったじゃねえか」

 額に浮かぶ汗を拭いながら告げるアイル。二次試験の時もフィードの異質さに僅かとはいえ気づいていた彼だったが、ここに来てようやく彼はフィードを構成する本質の一部を垣間みたのだろう。

「やはり、あなたは警戒すべき対象ですね。あなたが騎士団いなければ私がすぐにでも斬りつけています。あなたは、ここにいるにはあまりにも危険すぎる……」

 キッと鋭い視線でフィードを睨みつけるミレーヌ。まるで、今すぐにでも飛びかかってきそうな気配を発していた。

「そりゃ、どうも。俺もこんなところに長居するつもりは無い。用が済めばさっさと消えるさ」

 興味ないと言うようにフィードはそう吐き捨てた。一触即発の空気になりつつあるこの状況を打破しようと必死にリオーネが話を纏める。

「それで、私たち全員でクーリック氏が接触を図った人物の調査を行い、それが前回の件に繋がっているのなら尋問を行うということでよろしいですか?」

「ああ、それで構わない。もし関係なかったとしてもせっかくだから彼の弱みの一つや二つでも手に入れておいてくれ。派閥争いの際に役に立ちそうだからね」

「わかりました。それで、その行動をとるのは一体いつからでしょう?」

 リオーネの質問になんでもない事をいうようにエルロイドは呟いた。

「ん? 今夜から」

 気の抜けた声で発したその発言にその場にいた誰もが思わず毒気を抜かれてしまう。そして、それを見ていたリオーネは「さすがエルロイドさんです」と呟き、安堵した。

 その後、他の報告もなかったため解散となり、リオーネとフィードは再びウィンディの元に戻り、自分たちの代わりに姫の番をしていた騎士達にお礼をいって再び任務に就いた。
 もっとも、二人の代わりをしていた騎士の対応が気に入らなかったのか、ウィンディはまた機嫌を損ねており、さらには今夜別の任務が入って彼女の傍付きをしていられないことを話すと、増々怒ってまたふてくされてしまったのだった。
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妹みたいなお姫様

フラム皇女、ウィンディの元にフィードが配属となって二日が過ぎようとしていた。騎士団試験に合格した新人がいきなり姫様の傍付きとなったこともそうだが、先日のエルロイドとの一件の噂もあり、民衆はたちまち彼に関する情報を集め始めた。
 いわく、セントールの何でも屋だったと。いわく、かつては人殺しをした人物だったと。いやいや、実はエルロイドとはかつての親友で、実力が伴った今彼を支えるために騎士団に入団したなど様々な噂が町を飛び交った。
 そしてそれとは別に現在騎士団の顔になりつつあるリオーネの無事も確認され、彼女の世話になったことのある町の人々は安堵するとともに彼女もまたウィンディの傍付きとして転属したことに驚いた。
 年若い乙女達は騎士団の内情を勝手に妄想し、今回のフィードとの同時就任に関してこんな憶測を立てたりもしていた。
 実は前回のセントール訪問で彼女はフィードと顔を合わせており、そこで恋に落ちたのだと。いや、実は二人はかつて別れた恋人同士で、今回の就任で互いに気まずい状況なのだと。
 そんな、真実でもあり妄想でもある噂の数々が町を駆け巡る中、当の本人達は今日もまた姫の機嫌を取るために話に付き合わされていた。

「ねえ、ねえ。今城下町では二人の噂がこんな風に言われているんだけど、実際のところどうなの? 私としてはその辺がものすごい気になっているんだけど!」

 部屋に置かれた巨大なベッドに一人寝転がり、扉の前にて立ったまま警護をするフィードとリオーネに問いかけるウィンディ。ここ二日でさんざん彼らが経験した戦いやフィードのセントールでの日々を語ったというのに、それでもまだ少女の好奇心は満たされないらしい。
 今となってはそこまで気まずさはないものの、どう話していいものか悩む二人の過去について触れられ正直フィード達は困っていた。

「おい、リーネ。これは話さなきゃならないのか?」

 ウィンディに聞こえないように小声で会話するフィード。そんな彼にリオーネも困り顔で答える。

「答えないと駄目……なんでしょうね。拗ねて機嫌を損ねられて困りますし」

 予想通りの返答にフィードは肩を落とす。ちらりとウィンディの方を盗み見ると、彼女はまだか、まだかと二人が語りだすのを待ちわびていた。

「それじゃあ、話させていただきますが……」

 そう言ってフィードが話を切り出そうとした時、唐突にウィンディがむっとした表情を浮かべて、話を遮った。

「ちょっと、また口調が変になってる。もう、私たちしかいない時は前みたいな話し方でいいって言ったでしょ!」

「あ〜しかしな」

「いいの! だいたい、私はこの国の皇女なんだから。私のやる事に堂々と文句を言っていいのはお母様くらいなんだから」

 そう言って、フィードの似合わない敬語口調を改めさせようとするウィンディ。どうも彼女は先日の宿でのフィードの接し方を気に入っているらしく、仰々しくかしこまった今の彼の態度がお気に召さないようであった。
 ともかく、姫の許可が出ているのならば変に取り繕う事もないかとフィードは勝手に納得し、気を悪くしない程度に口調を噛み砕く事にした。

「んじゃ、話させてもらうけど。元々リーネが富裕層の家系だったってのは知っているか?」

「いえ、知らないわ? そうだったの?」

 視線をフィードからリオーネに移し、問いかけるウィンディ。それに対してリオーネは微笑みながら答える。

「ええ、そうですよ。今は没落してしまってもう家柄も地位もなにもありませんけどね」

「へえ〜そうだったんだ。それで、それで? どうして二人は出会ったの? まさか、幼いながらの逃避行?」

「いや、そういうわけじゃないよ。実は、家に借金があったリーネは身売りされて奴隷になりかけてたんだ。それで奴隷商に連れて行かれそうになっているのをたまたま俺が見つけてさ、成り行きでリーネを引き取る事になったんだ」

「ええ。あの時私がフィードに出会っていなければ今こうして私は姫様の傍にいることもなく、ただの奴隷として一生を終えていたでしょうね。
 本当にこの恩は一生かかっても返しきれません」

「よせよ。別に俺はそんなつもりでお前を引き取ったわけじゃない」

「いいえ。それでも私はあなたに感謝しているんです」

 改めて感謝の言葉を口にするリオーネ。そして、毎度の事ながらそれを素直に受け取るのがむず痒くて遠慮するフィード。そんな二人を見てウィンディは先程よりも更に興奮した様子で話を促す。

「二人ともなんだかすごい通じ合っている感じがするわね。あれ? でもちょっと待って……」

 そこまで来て、何かに気がついたのかウィンディが何かに気づいたのか話を一度止めて何かを考える素振りを見せる。二人は彼女が考えを纏め終わるのを黙って待った。

「ねえ、ちょっとおかしな事に気がついたんだけど。聞いてもいい?」

「ん? なんだ?」

「いや、今の話を聞いている限りだとリオーネがフィードに引き取られたのって結構前なようなんだけど、二人とも同じ年くらいよね? 一体それいつの話?」

 そう尋ねられ、フィードは一体それがいつぐらい前だったのかを思い返す。リオーネもまたフィードと同じように出会った時がいつだったのか回想していた。

「たしか……五、六年くらい前じゃなかったか?」

「ええ、そうですね。まだ私が子供の頃でしたし……」

 なんの気なしに二人は呟いた言葉だったが、それを聞いたウィンディは増々困惑した。

「えっ? えっ! だって、リオーネが子供の頃だったらフィードもそうなのよね? もしかして、フィードって別の国ではいいとこの家系なの?」

 と、そこまで言われてようやく目の前にいる少女が根本的な勘違いをしている事に気がついたフィードは苦笑しながら説明する。

「ああ、そういうことか。いや、俺はこんな見た目だから幼く見えるけど、リーネよりもだいぶ年上だぞ。たぶんウィンと俺だと一回りくらい年が離れているぞ」

 それを聞いてウィンが口をポカンと空けたまま呆然とする。てっきり自分よりも少し年上だとフィードのことを思っていたのだろう。
 その事に気がついたリオーネもまた笑いを堪えきれず思わず口元を手で押さえた。

「まあ、そうですよね。普通は勘違いしますもんね。見た目だけならフィードは若いですから」

「うるさいな。事情があるんだから仕方ないだろ?」

 放心状態のウィンディを余所に話を続ける二人だったが、ようやく我に返ったウィンによって再び質問を投げかけられる。

「そ、それじゃあフィードってもしかしてエルロイドと年があまり変わらないの?」

「まあ、そうなるな。あいつの方が二歳か三歳くらい年上なんじゃないか?」

「信じられない! 一体どうしたらそんなに差が出るのよ。だって、あなた今まだ十代くらいの外見じゃない」

「その辺は色々あってな。さすがにちょっと説明できないから聞かないでもらえると嬉しいんだが」

 まさか十二支徒との因縁を話すわけにもいかず、言葉を濁すフィード。この少女にはかつての血なまぐさい過去を語ってあまり幻滅してほしくないという思いが少なからず彼の中にあった。
 そんなフィードの心中を察したのか、釘を刺されては聞くに聞けず、渋々聞くのを諦めたウィンディだった。

「わかったわよ。誰だって聞かれたくない事情の一つや二つはあるだろうし、聞かないでおくわ」

「ありがとう、助かるよ」

「でも、その代わり。もっと、私が楽しめるような話をしてよね!」

「はい、はい。姫様の仰せの通りに」

 意外にも早くこの状況に慣れていることに気がつくフィード。最初は皇女の傍付きなど気を使って、面倒で仕方ないと思っていたものだが、ウィンディが相手となるとそれもあまり気にならなかった。
 親しみやすく、誰に対しても分け隔てない。我が侭こそあるものの、それも彼女の人柄の前では嫌とは思わず、むしろ手のかかる妹の面倒を見ている気分のようであった。

(妹……か)

 そこでフィードはかつて十二支徒に殺された妹のことを思い出していた。年の離れた妹が生きていたのならこのように成長していたのだろうかと。このように明るく笑顔を振りまいて、時には我が侭を言って自分を困らせて、それでも最後には笑って言う事を聞いてあげるような日常があったのかと。
 だが、現実はそんなものは存在しない。彼の目の前で家族は、妹は殺され、ただ一人生き延びた自分に残されたのは復讐という道だけだった。
 それを思い出し、無意識のうちに腕に力が入った。握りしめた拳は爪が深く食い込み、自然と顔は険しいものとなっていた。

「フィード……」

 そんな彼の様子に気がついたリオーネが思わず彼を嗜める。気づけば、ウィンディが少し怯えた様子でこちらを見ていた。

「……悪い。ちょっと、昔を思い出して」

「そ、そう。ごめんなさい、あまり聞いていい話じゃなかったみたいね」

「そんなことないよ。それに、ウィンは皇女なんだろ? 部下である騎士の機嫌をいちいち伺っていたら女王になった時やってられないぞ」

 この微妙な空気を打ち壊そうとわざと明るく振るまい、話を続けやすくするフィード。彼女もまたそれを察したのか、咄嗟に彼に合わせる。

「間違いないわね! でも、相手の事を気遣えるのも女王としての資質だろうから、今度から気をつけるわ」

「そうそう。その調子で町に出ようとする我が侭も少しは抑えてくれるとこっちとしてはありがたいんだけどな」

「言うじゃない。私じゃなかった即首になっても文句言えない発言よ?」

「でも、ウィンはそんなことじゃ首にしないんだろ? だって、ちゃんと一人一人の実力をきちんと評価してくれる立派な姫様なんだからな」

「ふ〜ん。わかってるじゃない。そうよ、私は見るべきところはちゃんと見ているんだから! 心の広い、この国の皇女として相応しい人間なんだから」

「まあ、その割には酒場で酔っぱらい相手に本気で怒っていたけどな」

 先日の一件を思い出し、フィードがそう突っ込みを入れると、その時の事を思い出したのかウィンディが顔を真っ赤にして怒鳴りだした。

「いい! あの時の事は忘れなさい! だいたい、あのときはこっそり護衛がついてたんだから! 別に問題は何もなかったの!」

「その割には今にも泣きそうな顔で周りに助けを求めていたけどな」

「なっ!? ち、違うわよ。あの時はそう言う演技だっただけだし! 別に助けてほしいだなんて一言も口にしていなかったし」

「そうか? まあ、そういうことにしておくかな。姫様の名誉のためにも……な」

 笑いを堪えきれずにお腹を抑えて視線を逸らすフィードにウィンディの恥ずかしさが頂点に達したのか、ベッドから抜け出しフィードの元へ近寄り、彼の身体をポカポカと何度も叩いた。

「ええい忘れろ! 記憶を消してしまえ!」

「無理、無理。だって、この国の姫がまさか酒場で酔っぱらい相手に喧嘩を売るだなんてきっと誰も想像できないぞ。もしかしたら歴史書に名を刻む事になるかもな。
 女王ウィンディ。若かりし頃は城を抜け出し城下町に繰り出し、酔っぱらい相手に喧嘩を売るってな」

 ついに我慢の限界が来たのか、笑い声を上げるフィード。他の騎士がこの状況を目にすれば顔を青くするに違いない。なんせ、騎士になったばかりの新人が皇女に対しため口で話しをし、挙げ句からかっているのだ。下手をすれば物理的に首が飛んでも可笑しくない。
 そして、そんな状況をあまり笑えないで見守っている人物がこの部屋に一人いた。そう、リオーネである。

「あの、フィード。その辺りにしておいたほうが……」

 おろおろとし、肝を冷やしているリオーネがフィードに忠告するが、調子に乗ったフィードはあろうことかウィンディの肩に手を置き、トドメの一言を口にする。

「まあ、あれもいい人生経験という事で。よかったな、ウィン。我が侭ばっかり言って好き放題やってると罰が当たるっていう経験になったろ。これからはもう少し大人しくするんだな」

 その一言がウィンにとっての我慢の限界であったのか、頬をぷっくりと膨らませぷるぷると身体を震わせ、涙目になりながらキッとリオーネの方を向いた。

「リオーネ。皇女命令よ。今すぐこの馬鹿な男を懲らしめなさい!」

 完全に私情が入っている命令にリオーネもまた困り果てた。皇女の命令を無視するわけにはいかないし、フィードと戦うなど彼女にはしたくない。結局二つの考えの間をうろうろと彷徨いその場で固まってしまう。
 そして、自分の命令を聞いてくれない部下を見てますます不満を募らせたウィンディはついに大声を上げて叫んだ。

「も〜〜〜! 二人とも絶対に許さないんだから!」

 そのままベッドに向かって駆け出し、思いっきり飛び込んだ後。ふてくされてしまう。
 そんな彼女を見て、さすがにやりすぎたかと気を悪くするフィードとそんな彼の横腹を小突いて反省するように文句を言うリオーネ。
 結局、その後二人をエルロイドの元に来るように報告に来た騎士が中に入るまでフィードとリオーネはウィンディの機嫌を直すのに全力を注ぐ事になるのだった。
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異例の配属

騎士団寄宿舎の入り口にあるホールには既に試験に合格した全員の姿があった。彼らは皆、自身が配属される隊を言い渡されるのが楽しみでもあり、同時に緊張しているようだった。顔はほころんでいるにも関わらず身体は固くなっているのがその証拠だ。
 そんな中、まだ完治していない怪我を押しながらもこの場にいるケインの姿を見つけ、フィードは思わず声をかけた。

「よお、ケイン。怪我の方はだいぶよくなったのか?」

 今までのように気軽に声をかけたフィード。てっきりケインの方もいつもと同じように返事をしてくれると思っていたが、実際の反応は違っていた。

「あ……フィード。い、いや。怪我の方はまだ……完治してないかな?」

 どこかぎこちない返答をするケインに違和感を覚えるフィード。目には見えない距離がいつの間にか二人の間にできていた。

「ケイン? どうかしたのか」

 思わずそう問いかけるフィードだったが、ケインはフィードから視線を逸らすだけで答えようとしない。フィードもまたこの微妙な空気を肌で感じ取り、どうしたものかと思っていると、先程フィードが通って来た廊下の奥から一人の女性騎士がこちらに向かって歩いて来た。
 鎧をその身に纏いながらも強調する部分は強調している体型を維持している。背筋を張り、凛とした態度を崩さないその姿は同じく女性騎士としての活躍が目覚ましいリオーネと人気を二分する女性騎士、ミレーヌである。

「時間です。全員揃っていますね。では、今から今期騎士団試験を無事合格した皆さんがこれから所属する事になる部隊の配属を言い渡したいと思います」

 すれ違いざま、フィードに対して身も凍るような鋭い視線をぶつけながら、ミレーヌはこの場にいる全員の前に立った。手には一枚の紙切れを持ち、どこか苛立った様子を滲ませている。こんな雑務はさっさと終わらせてしまいたいと言いたげな態度である。その理由は口にするまでもなく、数日前に行われた二次試験で彼女の敬愛する騎士団長を打ち負かしたフィードが原因であろう。
 だが、仕事は仕事と本人の中で区別ができているのか、一度大きく息を吐き出し普段の冷静で職務に忠実な彼女へと即座に切り替わる。

「では、まずは……」

 そう切り出し、彼女は合格者達に所属する部隊を言い渡し始めた。まず最初の合格者は第三部隊への配属。次に名を呼ばれた者は第八部隊。そしてその次に呼ばれたケインは第七部隊へ。奇しくも彼が第二試験で戦った試験官の所属する部隊への配属となった。
 そのことを聞いたケインは一瞬驚いた顔をしていたが、すぐに口元をほころばせ、小さく拳を握りしめた。前回の戦いで思う事があったのか、彼にとってその知らせはよいものだったらしい。
 そして次に名を呼ばれた者は第一部隊。これはエルロイドの所属する隊でもあり、そのことを知っていた当人は喜びを隠しきれず思わず叫び声を上げて喜びを露にしていた。最もすぐにミレーヌの咳払いによって無言の注意を受けたが……。
 残すところはフィード一人。一体どの部隊への配属になることになるのか、フィード自身を含めたこの場にいる全員が気にかけていた。
 それもそのはず。この場にいる殆どの人はフィードとエルロイドの戦いを目にしている。であればこそ、彼が所属することになる隊はこれまで以上の成果を上げる可能性が必然的に高くなるからだ。
 最も、彼らは知る由もないがフィード自身今回の件が片付けば騎士団から去るつもりであるためそんなことは決して起こりえないのであるが……。
 他の者と違い、やたらと時間をかけてフィードの配属先を言い渡そうとするミレーヌ。それはわざとそうしているというよりは、そこに書かれている内容に納得できず、口にするのを嫌がっているようにも見えた。
 だが、しばらくしてようやく重く閉ざしていた口を開き、彼女はフィードの配属先を口にした。

「騎士団試験合格者、フィード。あなたの所属は今日からフラム国皇女、ウィンディ様の傍付きとなります」

 その言葉を聞いたフィード以外のその場の誰もが思わず息を呑んだ。それは、ミレーヌの口にした内容を耳にしたからということもあるが、何より騎士団合格直後にこの国の次期トップとなる皇女の傍付きになるという異例の配属に驚きを隠しきれなかったからだ。

「くれぐれも……姫様に失礼のないように。あなたの行動一つで騎士団全員の信用が失われるという事もありえるのですから」

 硬い口調で呟くミレーヌの表情に笑みは一切無く、その言葉には有無を言わせぬ迫力があった。威圧感を発し続けるミレーヌと目を合わせぬようにフィードは視線を逸らし、思わず溜め息を吐いた。

(はあ。この間の一件で完全に邪魔者だっていうレッテルを貼られたな。彼女にしてみれば、俺が今この場にいる事ですら苛立つ要因の一つなんだろうな。無意識なんだろうが眉間にしわが寄ってるし……。
 まあ、それは俺にも原因があるから仕方ないとして、この配属には正直驚いたな。少しでも情報が得られそうなリーネかエルロイドの隊に入れればいいと思っていたが、まさかこの国の姫様の傍付きとはな。
 一体、どうしてこうなったか少し気になるな……)

 口元に手を当て、そう考えるフィードは思わずミレーヌに質問を投げかけた。

「少しいいか?」

「駄目です。質問は受け付けません。では、これにて各合格者の配属通達を終えます。以後は配属先である部隊の隊員が各隊の元へと案内をしてくれます。
 では、私はこれで……」

 ミレーヌはそれだけを告げると振り返ることなくそのまま来た道を引き返して行った。その姿が見えなくなると入り口の扉付近に待機していた騎士達が合格者達の元に近づいていった。そして、そのままそれぞれの行く先へと彼らを連れて行った。
 結局、この場に残されたのはフィード一人となった。ケインとはどこかぎこちないまま別れる事になり、配属先は異例ともいえる一国の姫の傍付き。そして、そんな彼の案内役はこの場にいない。

「まったく、この国に来てから予想外な出来事ばっかり起こっている気がするな」

 思わず愚痴をこぼすフィード。彼の案内役がこの場にいないのは仕方ない。遅れているのか、それとも案内などないのかも分からない。下手に動き回って勝手な行動をとったと見なされても困ると考えたため、仕方なくホールの支えである柱の一つに背を預け、そのまま待機する。
 成り行きで騎士団に入ったとはいえ、自分勝手な行動で騎士団の評判を下げる事になるのは彼にとっても望む事ではない。まして、この国の皇女の傍付きとなればよりいっそう神経を使わなければならないだろう。
 失礼の無いように敬語を使い、礼を失せず、それでいて相手に対して常に気を使わなければならない。実際にそれを行動に起こしている自分を想像し、フィードは思わずげんなりとした。
 似合わないにも程があった。これでは、まだ騎士団の鎧を身に纏って警護に付いている方がまだマシだというものである。
 そんな風にして、何故こんな状況になってしまったのか後でエルロイドに問いつめようと考えていたところ、彼の元に向かって走ってくる一つの人影があった。

「ん? あれは……」

 見れば、先程別れたばかりのリオーネがいつもの戦闘服に着替えてこちらに向かってきていた。

「フィード」

「どうした、リーネ。なんだ、もう外に出ていいことになってたのか?」

「はい。実はあなたが部屋を出てすぐにミレーヌさんが私のところに来て、もう外に出ていいと伝えてくれたんです。それと、部隊の転属を言い渡されて……」

 それを聞いてフィードはもしや? と思った。そして、案の定リオーネの口から出た言葉は彼の予想した通りのものだった。

「実は、私とフィードがウィンディ様の傍付きの騎士としてこれからしばらくの間護衛に付くとのことで。それで、今から姫様のところへ転属と配属となったことを報告に私たちが伺うことになっているんですけれど、フィードはまだこのハイル城内に詳しくないとの事で私が案内しようと思ったんです」

「そっか。それじゃリーネが俺の案内役か」

「そうなりますね。それにしても一体どうしてこんな急な転属を。といより、フィードに至っては異例すぎる配属ですよ」

「だな。俺も正直どうしてこうなったのかわからないんだ。詳しい事は後でエルロイドに聞くとするか」

「そうですね。今はひとまず姫様の所に向かいましょう」

 そう言っていつもとは変わってフィードの一歩前を歩き、彼を目的地まで案内し始めるリオーネ。その後ろ姿を見て、かつては自分の後ろを歩いていた少女の成長を実感し、思わず微笑むフィード。その様子を悟られないようにと、前を歩くリオーネに質問を投げかける。

「なあ、リーネ。この国の姫様って一体どんな人なんだ? やっぱり、皇族というだけあって気難しいのか?」

 その問いかけに一瞬リオーネは口ごもったが、少し間を置いた後、答え始めた。

「えっと……こういうとむしろ悪いように聞こえてしまうかもしれないのですが、ウィンディ様はある意味で枠にはまらない方ですね。家柄や地位によって人を判断するのではなくその人物の純粋な力量や実力に応じて判断を下す人物です」

「へえ、それはまた。こういった立場の人間ではめったにお目にかかれない珍しい人種だな」

「ええ、その点に関しては私も同感です。普通このような貴族や富裕層はどうしても家柄などによって人を判断する傾向がありますから。実際騎士団の中にもそのような人たちがいないわけでもないんです。元々、この騎士団はこの国の貴族達が作ったものらしいですから」

「まあ、それは仕方のない事かもしれないな。それより、そんな人だったら一部の人間を除いて殆どの人から好意的な印象なんじゃないか? 悪いように聞こえるかもって言ったからには他に何か思い当たることがあるんだろ?」

「それは、まあ……。実は、ウィンディ様には私も何度かお目にかかった事があるのですけれども、どうも自分が姫という立場にいるのが嫌なようで、たびたび傍付きの騎士に無理を言いつけたり、脅したりして下町に出ているようでして。私が顔を合わせる機会があった時はいつも外の世界の話を聞かせるようにおっしゃられたものです」

「なるほどね。まあ、立場上そんな風に外の世界に憧れる気持ちも分からなくはないが」

 情報を共有しながら二人は寄宿舎から城内へと続く道を歩いて行く。意外とこの道が長かった。

「年齢を考えれば確かにそうかもしれないんですけれども、その我が侭に付き合わされる騎士としてみればたまったものじゃありませんよ。下手な事をして姫様の機嫌を損ねたりでもしたら即首なんてこともあるわけですから」

 その状況を想像し、フィードは増々気を落とした。自分に与えられたのは端から見れば確かに異例の出世と見えるかもしれないが、その分即座に全てを失う可能性もはらんでいたからだ。もし、姫様の機嫌を損ねて騎士団を辞めさせられる事になったら、今後の行動に支障が出てくる可能性が高かったからだ。実績を積み、国に住まう人々からの信頼も厚いリオーネはそう簡単に辞めさせられる事はないだろうが、素性の知れない騎士団に入ったばかりの新人などすぐに首を切られることになっても可笑しくない。
 そう考えると、フィードは頭が痛くなってきた。

「あ〜。エルロイドの奴厄介ごとを押し付けてきやがって。ようは“おてんば姫”の面倒を見ろってことか?」

 その発言を聞いているものがいれば不敬罪ともとられかねない発言にリオーネが思わず後ろを振り返り、青ざめた顔でフィードに押し迫る。

「フィード……。お願いですから、そう言う発言はこれからは私と二人だけで、人気がない場所でできるだけしてください。こんなことを他の人に聞かれでもしたら面倒な事態になりますから。
 それに、せっかくこうしてまた一緒に行動できるようになったんです。私としては短い期間とはいえまたあなたと一緒に行動できるだけでも嬉しいんです。できることならこの思いを無駄にしないでいただけるとありがたいんですけれど……」

 建前は前半に、本音を後半にして忠告するリオーネ。あまりに必死な彼女の態度を見て、フィードは思わず苦笑した。

「悪い、悪い。ちょっと、気を抜きすぎてた。そうだな、一応今の俺は騎士団所属ってことだし、そういうところは気をつけないとな。頭では分かってるつもりなんだけど、なにぶんこういう組織に所属した事がなかったから、あんまり意識ができなくてな」

「もう、本当に気をつけてくださいよ」

「わかったって。そんなことより、姫様のところに急ごうぜ」

 向かい合うよう形になるよう身体をフィードの側に向け、足を止めながら話をするリオーネの肩を掴み、再び前を向かせるフィード。そのまま肩を押して前へと進ませる。そんな彼の様子にリオーネは嘆息しながら先へと進む。
 二人は現在外の道を歩き終え、ハイル城の内部へと入っていた。
 それからしばらく無言のまま目的の皇女の元に向かった歩き続ける二人。そんな中、フィードは前を歩くリオーネの左手に目が移った。そして、なんの気なしにリオーネに尋ねる。

「なあ、リーネ」

「なんですか、フィード?」

 今度は振り返らず、歩みを止めず、先に進みながら条件反射のように返事をするリオーネ。

「いや、今ふと気づいたんだけどさ。お前、前にセントールで買った指輪。もしかしていつもそうやってつけているのか?」

「へっ?」

 リオーネにしては珍しく、何とも気の抜けた声がその場に上がった。そして、フィードに言われて気づいたのか左手の薬指にはまっている指輪の存在に気づき、慌てふためいた。

「い、いえ! これは、ですね。その、いつもこうして着けているわけじゃなくて……。その、本当は部屋の中でだけこっそりつけていたんですよ? でも、軟禁状態がちょっと長かったんで外すのをつい忘れてて……」

 本人も着けている事を忘れていたのか、この状況に動揺していた。ここに来る間何人かの騎士とすれ違っている。もしかしたら、リオーネの着けている指輪に気がついた騎士もいるかもしれない。中には彼女のことを慕っている男性騎士も多いだろう。そんな彼らがこの指輪を見たら、卒倒するかもしれない。
 そうなったときの怒りの矛先は言わずもがな、フィードに向かうはずである。もちろん、この指輪を送った相手がフィードだと知られればの話であるが。
 最も、リオーネのこの様子を見る限りでは、他の人と接する際の態度とはまた違う彼女だと普通の人でも気づくほどあからさまなものであるため、フィードがその相手だと気づくのは時間の問題だ。
 そのような事態が起こるのは考えたくないのか、フィードはリオーネの様子だけに目を向け、その慌てっぷりを見て微笑んだ。

「うん、わかったよ。そう言う事にしとく。まあ、せっかく送ったプレゼントを使ってもらってないよりかは全然いいしな」

「そ、そうですよね。あは、あははははは」

 渇いた笑い声を上げながら、リオーネは羞恥から顔を赤くした。結局、姫の部屋に辿り着くまで彼女の顔は真っ赤に染まったままだった。
 そして、長い道のりの末、二人は目的の皇女の部屋の前に辿り着いた。扉の前には二人の女性騎士が見張り番として立っている。どうやら、彼女達はフィード達以外のお付きの護衛のようだ。

「では、フィード。準備はいいですか?」

「ああ。まあ、やれるだけやってみるさ」

 フィードの確認をとり終えると、リオーネは扉の前に立っている女性に向かって声を張り上げた。

「フラム騎士団第九部隊副隊長リオーネ。並びにフラム騎士団新人隊員フィード。騎士団本部からの転属、配属命令を受け、着任の挨拶のため参りました。
 姫様のご都合がよろしければ、お時間をいただけないでしょうか?」

 その発言を聞いた見張り番はリオーネに向かって言葉を返した。

「リオーネ様にフィード様ですね。お待ちしておりました。ええ、本当に。先程から姫様がいつ来るかとお二人の到着を首を長くしておりました。できれば、すぐに中に入って会ってください」

「はい、わかりました」

 そう答え、扉に近づくリオーネ。コン、コンと二回扉をノックし、断りを入れた。

「リオーネ、フィード共に中に入らせていただきます」

 扉を開け、中に入る。まず目に入ったのは絢爛豪華な装飾品の数々。部屋のあちこちは光を反射するほどの光沢を兼ね備えた貴金属類の装飾に彩られている。広々とした室内はそこが一人のためだけに用意された部屋だとは到底思えない。一般人からしてみればまるで夢のような空間である。
 そんな中、このきらびやかな部屋に相応しくない薄汚れた木製のソファに腰掛け、本を読んでいる一人の少女がいた。
 まず目を奪われるのはその容姿、幼さを残しながらも大人への成長を見せ始めた細身の身体。美しい顔立ちは、嫌でも人目を惹くし、なにより部屋に入る陽光で光り輝くプラチナブロンドの色の髪はこの場にとても似合っていた。
 と、そこまで見てフィードは固まった。なぜなら、目の前にいる少女に見覚えがあったからだ。少女の方もまた来訪者の存在に気づき、本から視線を移して二人を見据える。そして、フィードの姿を視界に捉えると、口元を釣り上げてニコリと微笑んだ。

(なるほどね、“おてんば姫”。冗談で言ったつもりだったけど、案外その通りかもしれないな)

 そこにいたのは、先日宿で相部屋となった相手であるウィンだった。
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誓いを胸に

フィードがエルロイドとの激闘を繰り広げてから早三日が経った。あの日、エルロイドから提案された騎士団入団の誘いを受け入れたフィードは、数日前と同じように門の前に立っていた。あの時と違う事があるとするならば、今の彼を見る周りの視線くらいだろう。
 門番をしている衛兵や、彼と同じように試験に合格し、城内へと向かっている人々がフィードへ向ける視線はどれも複雑なものだった。
 恐れや嫉妬。または得体の知れない存在を見極めるために観察するような視線など、あまり好意的でないもの方が多い。どうしてこうなったのかと言われると、その理由は明白であり、エルロイドとの戦いの時にその場に立ち会わせた者達が外部の者に戦いの結末を漏らしたからである。

 曰く、騎士団最強は無名の受験者によって打ち破られた。とのことらしい。

 昔から人の口に戸は立てられないと言うが、まさにその通りでフィードがまともに動けるようになり、宿に戻った昨日には既にこの噂は広まっており、この噂の真偽を確かめようと宿にいた人々はフィードを見つけると即座に駆け寄って来て質問を次々と投げかけた。
 あまり変な返答をして民衆の想像をかき立てるようなことになってはエルロイド、というよりは騎士団そのものに迷惑がかかるという事をフィードは既に騎士団の一人に忠告されていたため、下手に回答はせず人々から逃げるという選択を取った。結局その日はどこに行っても同じ質問ばかりされたため、結局落ち着いて一所に留まる事はできずにあっという間に一日が過ぎたという事である。
 そして、今日。元々の予定であった部隊配属、及び配属された隊にての交流会が開かれるということらしい。もっとも、交流会というものが文字通りとは限らないため、もしかしたら隊独自の手厳しい先例が待ち構えてるかもしれないのだが……。
 そんな事を考えながらフィードは門を潜った。そして、目的地である騎士団の宿舎へと歩いて行く。しばらく歩き続け、宿舎の前へと辿り着く。

「ようやく、か」

 フィードはここに来るまでのことを思い返し、溜め息まじりに呟いた。倭東からセントールへと戻ってすぐにフラムへ向かって再び旅立った。リオーネの無事を確認するのと、誰に襲われたのかという情報を聞き出すだけ、すぐに済むはずの用事だったはずだったのだ。
 それが一体どうしたのか? 紆余曲折を経て、今フィードは騎士団に入団している。入るつもりも、関わりを持つつもりもほとんどなかった騎士団にだ。
 目的であったリオーネの無事も、その相手が十二支徒かもしれないという情報が手にはいったとはいえ、この事態は彼にしてみれば少々、どころかだいぶ予想外の展開であった。
 等価交換ということかもしれないが、自分が騎士団員が身に着けているような鎧を着ているところを脳内で想像して思わずフィードは顔を青ざめた。

(全く似合わないよな……)

 そんな風にして宿舎の入り口にてボーッと立ち止まっている彼を見かねたのか、騎士の一人が声をかけた。

「あの、中に入らないんですか?」

 そう問いかけられて後ろを振り向き、フィードは初めて自分の後ろに数名の人が立ち並んでいるのに気がついた。どうも、その全員がフィードの一挙一動に興味があるのかだんまりとしたまま彼の次の行動を見守っていた。

「あ、ははは。悪い、もう入るから」

 フィードはまるで珍獣のような扱いをされて、じっと見つめられる事に気持ち悪さを感じ、すぐさま入り口の扉を開き、そそくさと彼らの元から離れて行った。
 自分の後ろに誰もついて来ていない事を確認し、一息つくと彼は目的地である場所に向かって行く。
 騎士団の部隊分けが行われるのは実を言えばもう少し時間が過ぎてからだ。フィード以外の合格者はそれが待ちきれずに時間よりも早く来ているに過ぎない。
 では、何故彼はこうして時間よりも早くこの場に来ているかと言えば、それはある人物に会うためであった。
 長い廊下を靴音を鳴らしながら歩いて行く。何度か角を曲がり、部屋が幾つも並んでいる区画を抜け、比較的少ない部屋。おそらくは部隊長たちが使用するであろう区画へと辿り着いた。
 そして、その一室。見張り番と思われる騎士が立っている部屋の前に辿り着いたフィードは番をしている騎士に声をかけた。

「悪い、ここはリーネの部屋であっているか?」

 声をかけられた騎士は最初なんのことを言っているのだ? と、不思議そうな顔を一瞬浮かべたがすぐに何か思い当たる事があったのか、どこか納得した様子でフィードに言葉を返した。

「ああ、あなたが噂の。なるほど、予想とはだいぶ違いますがこれが……」

 おそらくはエルロイドとの一件のことを言っているのだろうとフィードは思った。どこに行っても、みなその事ばかり話すため、いい加減彼も慣れたのである。どうせ、噂に尾ひれが色々とついて『エルロイドを倒したのは天下無双の剣士だ』だとか『実は、どこかの富裕層の嫡子で騎士団に入るために八百長を組んでエルロイドを無理矢理負けさせたのだ』とか言われているのだろう。真実が語られないと人はどこまでも話を広げて行くため、困ったものである。
 そんな風にうんざりとした様子を僅かに顔に出していると、そんな彼を可笑しく思ったのか、少しだけ微笑みながら騎士は扉の前から離れた。

「どうぞ、中にお入りください。こちらはリオーネさんの部屋となっています。あなたのことはエルロイド隊長から話を伺っていますので」

「そうか、間違っていたのならどうしようかと思ってた。じゃあ、入れさせてもらうよ」

 そう告げ、中に入ろうとするフィードだったが何故か扉に手をかける直前、騎士に入室を止められた。

「ああ、そうだ。一つだけ忠告しておきます」

「ん? なんだ?」

 なにを言うつもりなのだろうとフィードが身構えていると、やはり騎士は可笑しそうに笑いを堪えながらフィードに告げた。

「あなたの姫は大変ご立腹しています。正直、扉越しに愚痴を聞かされる身としてはもう、胸焼けがするくらいに。せっかくこうしてお二人とも騎士団に入られたので他の騎士を代表して言わせてもらいますが、あまり公私を混合しないでくださいね。
 主に、惚気方面で……」

 伝えたい事は全て言ったと言わんばかりに、騎士はついに笑いを堪えきれなくなり周りに響くほどの大声で笑い声を高らかに上げた。フィードは彼の言ったことを否定しようとしたが、結局上手い言葉が見つからず、苦い顔をしたまま扉を開けて中に入った。
 そして、中に入った彼を待っていたのは、ベッドに腰掛け、そわそわと落ち着きの無い一人の女性だった。


 久しぶりにその姿を見る彼女は以前会った時よりも更に美しさを増しており、肩を超えるほどの長さにまで伸びた金髪がゆらゆらと揺れていた。思わず目を奪われるような大人の色気を持ちながらも、待ち人が来るのを待つ子供のようなその姿は庇護欲を思わずかき立てられるほどだ。
 言葉を失い、扉の前に立ち尽くし彼女をじっと見ていたフィードだったが、室内に入って来た待ち人の姿を彼女もまた捉え、動かした視線が彼のそれとぶつかった。

「……」

「……」

 黙り込んだまま互いに見つめ合う二人。言いたい事は山ほどあるのだが、何故か言葉が出てこない。それは奇しくも数ヶ月前、すれ違いを起こし険悪な状態になっていた二人が再会していた状況と全く同じだった。
 だが、あの時とは違い、既に二人の間にわだかまりはない。その証拠に数秒間見つめ合った後、フィードが話を切り出した。

「よお、思ったより元気そうだな。安心したよ、リーネ」

 事前に聞いていたとはいえ、どこも不自由しているような様子の無いリオーネの姿を見て思わず微笑を浮かべるフィード。そんな彼の態度が気に入らなかったのか、リオーネは少し頬を膨らまし、文句を言った。

「久しぶりに会ったのにもっとこう、他に言う事はないんですか? いや、心配してくれるのはもちろん嬉しいんですけども……」

 照れ隠しなのか、ポンポンと柔らかなベッドを何度も叩きながら不満をぶつけるリオーネ。そんな彼女の反応を見てフィードはやれやれと先程の騎士の言葉を思い返していた。

(姫、ね。確かに、それっぽいな、今のリーネは)

 彼の今の格好はいつもの戦闘服ではなく、純白のひらひらとした寝間着であった。男からすれば下着の生地が厚くなったくらいじゃないのか? という印象でしかないそれを着て大人しくベッドの上で座り込んでいるリオーネは、見ようによっては姫のように見えなくもない。ただ、彼女の場合は少しだけ武闘派というおまけがついているが……。

「黙ってないで、何か言ってください。それとも、本当にそれを言うためにここに来たんですか?」

 元々リオーネの事はエルロイドに確認を取っていたため、本来なら会いに来る必要は無かったのだが、より具体的な話が聞きたくてここに来たつもりだった。だが、この状況ではそれを聞くような雰囲気ではないようだった。
 聞いた話では例の噂が立ってからリオーネはずっと軟禁状態にあっていたため、相当ストレスが溜まっていたようだ。普段のリオーネに比べて比較的我が侭がと“甘え”が目立つこの状況はそのストレスを発散するためであろう。しかも、特定の人物限定という制約付きだ。
 仕方ないと思いつつ、どこか嫌な気はしないフィードはそのままリオーネの隣に座った。

「ったく、まるで昔の我が侭お嬢様の頃みたいだな。でも、こうしてまた会う事ができて嬉しいよ、リーネ。前にあったときよりずっと綺麗になったな」

 自分の求めていたフィードからの言葉を受け取り、リオーネは明るい笑顔を浮かべた。そして、すぐにそれと代わるように頬を朱に染め、俯きながらも返事をする。

「私も、嬉しいですフィード。まさか、こうして会いに来てくれるとは思ってませんでした。しかも、騎士団に入ってまで」

「ん〜。まあ、それは成り行きというか色々と事情があったんだけどな。まあ、お前の無事を確認するって目的が果たせたから結果としてはいいんだけどな」

「そ、そうですか。えっと、それでですね。フィードはこの後部隊分けの説明を受けに行くんですよね?」

「ああ、そうだな」

「実はですね、私の方にも指示がありまして、そろそろ部隊に復帰ということになりました」

「ということは、状況が動くってことか?」

「はい。どうやらエルロイドさんたちが何か的の動きを掴んだみたいで、軟禁生活もこれで終わりです」

「それは、よかったな。まあ、同じ部隊になるかは分からないが、しばらくの間よろしく頼むよ」

「はい、こちらこそ」

 嬉しそうに微笑むリオーネを見つめていたフィードだったが、気恥ずかしくなってきたのか、思わず視線を逸らした。妙に生暖かい空気が二人の間に漂い始め、どうしたものかとフィードが思っていると、そんな空気を察したのかリオーネが話題を振って来た。

「そう言えば、アルちゃんはどうしたんですか? ここにも一緒に来ているんですか?」

 自分がフィードの傍を離れてから彼の横に離れないように付いて回っていた少女の姿が見えない事を不思議に思ったリオーネはそう尋ねた。その質問にフィードは気まずい表情を浮かべて答える。

「ん……。まあ、色々あってな。アルはセントールに置いて来たんだ」

 どうにも歯切れの悪い彼の態度から、彼らの間に何があったのかをだいたい察したリオーネは、思わず溜め息を吐き出した。

「もう……。どうせ、またあなたが一人で何でも抱え込んで余計な事を言ったんじゃないんですか? 相手の事を大切に思うのはあなたのいいところですが、それも行き過ぎるとただの考えの押し付けにしかなりませんよ」

「いや、そういうつもりじゃ……」

「じゃあ、どういうつもりだったんですか? いいですか、私みたいなことになるまえにアルちゃんときちんと話をしてくださいね」

「わかったよ。セントールに帰ったらまた話すよ」

「そうしてください。さて、それじゃあそろそろ本題に入っても構いませんよ」

 フィードがこの部屋を訪れている本当の目的に付いて察しがついていたのか、リオーネは話を促した。本当に何もかもお見通しな彼女にフィードは驚くと同時に、自分のことを理解してくれていることを嬉しく思った。

「ったく、お前には敵わないな。んじゃ、聞かせてもらうとするか。リーネ、お前を襲った騎士は本当に操られていたのか?」

 話を聞く上でまず確認するべきはその点であった。もしかしたら、リオーネを襲った相手は本当は操られていたのではなく、そう演技をしていただけであったという可能性もある。エルロイドから聞いた話ではどうも騎士団内部も派閥による抗争があるらしい。組織というものがある以上それが起こるのは仕方の無い事だといえるが、もし今回の件がそれに関係していて、操られる振りをしてリオーネを暗殺するためだけに起こったものだったとしたのならば、フィードがこれ以上この場にいる理由はなくなるからだ。
 彼がこの場にいるのはあくまで十二支徒への手がかりがあるというから残っているだけであり、そうでなければ今すぐにでも騎士団を辞め、この場を後にするだろう。
 そして、それが本当かどうかを確実に証明できるのは実際に被害を受けた本人であるリオーネだけなのである。その質問に対し、リオーネは一息間を空け、答えを示した。

「ええ、間違いありません。確かに私を襲った騎士は操られていたと思います。実はそのとき私の他にも騎士隊員がいたのですが、私を襲った騎士は他の騎士達には目もくれずに私だけに狙いを定めて襲いかかったんです」

「だが、それだけじゃ絶対的な理由にはならないんじゃないか?」

「私も最初はそう思いました。ですが、その騎士の二つの行動によって、これがエンリカによるものだと私は考えました」

「どういうことだ?」

「一つはその騎士が私の一部を執拗に狙い続けていた事。そう、顔です。しかも以前の戦いで私がエンリカに傷をつけたのと全く同じ箇所を。
 そしてもう一つはその騎士が普段なら言わないような心に抱え込んでいる不満や、嫉妬などの感情を全て表に出していたことです。これは、フィードから聞いたエリオードの例に非常に似ていました。この事から、私はこれがエンリカによるものじゃないかと考えたんです。
 騎士を使った今回の事件は宣戦布告みたいなものだと思います」

「そうか。それが聞ければ充分だ。エンリカには俺も前回借りがあるからな。あの時の借りを返すと同時に殺してやりたいと思っていたからな。いい機会だ」

 そう語るフィードの口元は酷く歪んでいた。表情は普段の彼からは想像できない程醜く歪んでおり、人殺しの顔を映していた。
 そんな彼を見たリオーネは一瞬驚きの表情を露にするが、その後少しだけ悲しそうに目元を伏せ、彼に向かって呟いた。

「しばらく見ないうちにずいぶんと昔のあなたに戻ってしまったのですね……」

 か細い声で呟いたその言葉はフィードの耳に届く事は無く、独り言として宙を漂い消えて行った。そして、本来の目的を達成したフィードはもうすぐ部隊配属が始まる時間だという事を思い出し、この部屋を後にしようとする。

「あ、そうだ。そろそろ時間だからもう行くよ。リーネも復帰したらよろしくな」

 明るい声でそう告げるフィードに先程までの鬼気迫る感情は感じられない。おそらく本人も無意識のうちに心の奥に沈めている感情が表れているのだろう。
 一抹の不安を感じたリオーネは部屋を出て行こうとするフィードの手を掴みその胸にそっと身体を預ける。

「どうした、リーネ?」

 そしてそんな彼女の行動を不思議に思ったフィードは胸元にすっぽりと収まったリオーネを見下ろしながら彼女の様子を伺った。

「フィード。あまり、無理はしないでくださいね。あなたは自分では気づいていませんが常に脆く、危うい道を歩んでいます。一歩間違えれば破滅してしまうような道を。
 今の私にできるのはそんなあなたの隣に立って、あなたが奈落の底に落ちないように手を取る事くらいです」

 力強くギュッと掴んだ手を握るリオーネ。どこか必死さが漂うリオーネの行動に戸惑いを覚えるフィード。

「悪い、いまいち言いたい事が分からない。でもまあ、力になってくれようって気持ちは伝わってるよ。ありがとな、リーネ」

 リオーネの背にそっと己の手を回し、その身体を優しく抱きしめるフィード。愛しい人の温もりが直に感じられ、自然と鼓動が高鳴った。
 それはリオーネも同じなのか、身体の力を抜きフィードに身を任せていた。瞳を閉じ、優しさに包まれながらリオーネは彼女が一番深く理解していフィードの危うさについて考えていた。

(昔のフィードに戻ってしまっているという事はもうこの人の心はだいぶ限界がきているんでしょう。おそらく、私が別れてからの数ヶ月の間にそうなってしまう程の劇的な出来事が起こったと考えるべきです。
 このままだとこの人はきっと壊れてしまう。いえ、表に出ていないから気づきにくいだけで既にこの人は少しずつ壊れています。
 でも、そうはさせません。私が絶対にこの人を幸せな日常に留めてみせます。幸い、しばらくの間は騎士団にいるみたいですし、この間に少しでも彼の心を癒す事ができれば……)

 他人では気づく事のできない彼の些細な変化に気がつけたのも長年旅を共にした経験のある彼女だからこそであった。そして、このまま彼が壊れて行った先にあるのは悲惨な未来でしかないという事も心のどこかで感じ取っていた。
 だからこそ、リオーネはそんなフィードを助けようと思った。

「あなたは、絶対に私が支えてみせます」

 誓いを立て、リオーネもまたフィードの背に手を回すのだった。そうして、しばらく互いに身体を抱きしめ合い、フィードが部屋を出て行ったのはそれから数分後の事だった。
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光と闇、刹那の交わり

「いらっしゃいませ!」

 張りのある元気のいい大きな声が室内に響く。今は昼時、店内にあるテーブルは既に客でいっぱいになっており、総勢三名で注文を取り、料理を作り、お客の元へ運びと急がしそうに動き回っていた。

「はい、野菜スープと焼き上がったパンの詰め合わせ。二人とも運んで行って」

 厨房からは主に料理を担当しているグリンがホールを駆け回るアルとイオに声をかけて料理を差し出す。

「はい、わかりました!」

「ミートパイが新しく入ったので、調理の方お願いします。後で手伝いにくるんで」

 アルとイオがそれぞれ注文の入った料理を手に取り、客の元へと運んで行く。今では店で出す料理のほとんどを作れるようになったイオはホールと厨房を交互に移動し、それぞれの作業をこなしていく。そして、残ったアルは主にホールで客の相手をしているのだった。
 元々、客相手の昼食のサービスは気まぐれでやっていたグリンの宿屋であったが、今となってはそれはこの下町で一、ニを争う人々の昼食場として使われていた。きっかけはフィードがログを撃退したことにより、人々がこの店に足を運ぶようになった事だ。しかし、それからはアルとイオの切磋琢磨する姿を見てファンとなった人々が何度もこの店へ通うようになってくれたのだ。それは、アルがフィードについて行って旅をしていた間でもあり、イオとグリンだけしかいないこの店でも常連となったお客さんは利用してくれていた。
 おかげで昼食時の利用だけではなく客室もほぼ毎日満室。商売繁盛とはまさにこのことであった。
 ただ、ここ最近常連を含め、イオやグリンが心配していたことが一つだけあった。そう、それは旅から帰って来たアルとフィードのことだった。
 以前にもトリアへと二人が向かい、帰って来た時にはフィードの様子がおかしくなった事はあった。皆、口には出さなかった町の人々は彼に何かがあったのだろうと内心心配していたのだ。だが、そんな彼の傍に寄り添うようにして支えるアルの姿を見て、どこか安心していた。彼女が傍にいるのなら大丈夫だろうと。事実、後になってフィードは元気を取り戻したからだ。
 だが、今回は違った。この町に帰って来てすぐにフィードがフラムへとむかってしまったため、このことに気がついたのはグリンとイオしかいなかったが、明らかにフィードとアルの関係は以前と変わっているように見えたのだ。これまで、フィードがアルを置いて旅に出る事は何度かあったが、端から見てもわかるほど二人の間には距離ができていた。まるで、見えない壁が二人前に立って近づくのを許さないとでもいうかのように。
 アル自身もその事に気がついているのか、フィードが旅立ってからしばらくは気を落とし、仕事にも身が入っていなかった。その証拠に仕事中に何度もミスを起こしていた。
 だが、不思議な事に数日前からそんなアルに笑顔が戻り始めたのだ。仕事はきちんとしているし、明るさも取り戻している。普通に考えればいい事なのだが、あまりにも突然元気を取り戻しているためイオとグリンの二人は疑問に思っていた。しかも、さりげなくグリンが元気になった理由を聞いたのだがアルは何でも無いと否定して答えようとしなかったのだ。
 結局、二人はアルが明るさを取り戻した理由を知ることなく、ここ数日を過ごしている。

「……やっぱり気になる。少しキツく当たりすぎたと思ってたのに、帰って来たら急に元気になっているんだもん。一体あの日になにがあったのかしら」

 料理を出し終わり、グリンの手伝いをするために厨房の中に入ったイオはホールにて空いているお皿を下げているアルの後ろ姿をジッと見つめながら小さく呟いた。
 少し前、あまりにも気の抜け、情けない姿を見せているアルに苛立っていた彼女はつい、キツい言葉を投げかけて彼女を叱咤した事があった。そして、休憩という名目で頭を冷やす時間を与えられたアルは店を出て外を出歩いていた。
 顔を合わせれば口喧嘩ばかりしている二人だが、イオ自身はそんな関係はあまり悪くないと思っていた。アルがどう思っているかは別として、彼女はそんな関係をむしろ気に入っているといってもよかった。
 だからこそ、帰って来たアルが全く張り合いのない腑抜けに成り下がり、溜め息ばかり吐いている姿を見て彼女は苛立を募らせた。いつものお前を見せろ、もっと強気な態度で言い返してこいと。だが、いくら自分が煽ったところでアルの反応は小さいままだった。
 そんな彼女が、叱咤して店を出て、帰って来たら元気になっていたのだ。今までのように……。

「——さん。イオさん!」

 自分の名を強く呼ぶ声を聞いてイオはハッとする。気がつけばカウンター越しにこちらを見つめる赤い二つの眼があった。

「あ……。ごめん、なに?」

「追加の注文が入りました。調理の方お願いしますね」

「うん、わかった」

 考え事に気を取られすぎていたことに気がつき、イオは気合いを入れ直すために頬を両手でパチンと叩いた。そして、この怒濤の昼時注文を乗り切るために再度集中する。

「よし、頑張るぞ〜」

 そうして、店員三人力を合わせて大勢の客をさばいていくのだった。


 激務の昼時の仕事をどうにか乗り切り、イオ達はもうへとへとになっていた。一日だけならともかく、こうも毎日客が来るのでは体力がいくらあっても持たない。実際グリンなどはここ数日の客の入りを見て、「一度昼食のサービスをするの止めようかしら」と愚痴をこぼす有様だ。
 にもかかわらず、三人のうちただ一人、アルだけは仕事を終えると疲れた表情を見せるのではなく、楽しそうな事がこれから待っていると言わんばかりにわくわくとした表情を見せ、一足先にエプロンを脱ぎ、出かける準備をしていた。

「グリンさん、今から私でかけてきますね」

「わかったよ。あんまり遅くならないようにしなさいね」

「はい! 夜までには帰ってきます」

 それだけを告げると元気よく店の外に向かって駆け出した。

「……」

 それを見て、イオはどこかもやもやとした気持ちが胸の中に生まれるのを感じた。これまではアルがどこかにでかけてもさして気にならず、好きなように行動していればいいと思っていたが、今回の一件だけはどうしても気になった。

「あの、グリンさん」

 アルと違い、グリンの店の従業員として働いているイオはそう簡単に店を開けるわけにはいかないと思っていた。なぜなら、アルに続いてイオまで店を抜けてしまえばここに残るのはグリン一人。そうなれば、全ての仕事を彼女一人でこなさなくならなくなってしまう。さすがに、それをするのは罪悪感が湧いた。自分のように過去に過ちを犯した人間を雇ってもらっているだけでも感謝しきれないのに、グリンはイオに対してまるで娘のようにこれまで接してくれてきたからだ。そのため、イオはグリンの支えになろうと、これまで必死に彼女の仕事を手伝って来た。それなのに、自分の我が侭で店を開けるのはどうも気が引けたのだ。
 だが、そんなイオの心情を読み取ったのはグリンは微笑を浮かべ、

「いいよ、アルちゃんの事が気になるんでしょ。私もなにをしているか少し心配だから様子を見に行ってあげて。イオちゃんはアルちゃんに対して少し厳しい態度を取る事もあるけれど、気にかけてくれているのは知っているからね」

「べつに気にかけているわけじゃないんですが……。まあ、あの子が働けなくなったら今以上にお店が大変になるので」

「はいはい、わかったから。ほら、早くいかないと追いつけなくなっちゃうよ」

「すいません、ありがとうございます!」

 快く自分を送り出してくれるグリンにお礼を告げると、イオは身につけていたエプロンを脱ぎ、外へ出たアルの後を追うのだった。
 そんな二人を見送り、一人残されたグリンはそっと呟く。

「やれやれ。若い子達は元気ね〜」


 店を出たアルは行き交う人混みを掻き分け、目的地の噴水広場へと向かっていた。そこではここ数日ずっと顔を合わせている約束の人物が待っている。
 噴水広場の前に着き、キョロキョロと周りを見渡す。そして広場の隅、花壇の植えられている場所にぽつりと佇む一人の少女の姿を見つけ、笑顔を見せながらアルは少女に向かって走って行く。

「イヴちゃん!」

 待ち人の名前を口に出すと、少女は一瞬ビクリと身体を震わせ挙動不審におろおろとしていた。だが、自分に近づいて来るアルの姿を見つけるとホッとした表情を見せた。

「こんにちは……アルさん」

「はい、こんにちは!」

 イヴの横に辿り着いたアルは息をゼーゼーと切らしながらも楽しそうな様子だった。そんな彼女を見て、イヴもまたつられるように笑顔を浮かべる。

「お仕事終わったんですか?」

「はい、終わりました! イヴちゃんは今までなにしていたんですか?」

「わたしは、特になにも……。あ、でも“みんな”と連絡を取り合ってました」

「あ、例のイヴさんのご家族さんですね」

「はい、そうです。血の繋がった本当の家族じゃないんですけど、わたしにとってはとっても大事な家族です。ただ、この間お兄ちゃんの一人が怪我しちゃって最近までずっと手当をしてました。
 ただ、ようやく状態が落ち着いたのでこうして町を歩けるんですけれども」

「そうだったんですか、お兄さんの具合がよくなってよかったですね」

「はい、本当に……。お兄ちゃんはわたしにいつも厳しくって邪魔者扱いするんですけれども、大事な時には助けてくれるんで大好きなんです。だから、怪我をしたときもしかしたら死んじゃうんじゃないかもしれないと思って、怒られるってわかったんですけれど、手を出しちゃって……。
 案の定後で怒られたんですけど、それでも最後にはお礼を言ってくれたんです。わたしはそれが嬉しくって、助けられてよかったなって思いました」

「ふふふ、お兄さんってなんだかすごく不器用な感じのする人ですね。でも、いいですね。イヴさんにそんなに想ってもらえるなんてお兄さんは幸せ者ですね」

「いえ、そんな……」

 他愛無いお互いの近況報告をする二人。初めてあった時に比べて二人の間の距離はほとんどなくなり、話は格段に弾んでいた。
 こうして毎日顔を合わせ、話をしていてわかったことだがイヴは結構な人見知りをする。それは少し前までのアルと同じで、年も近いからこそアルは妙な親近感を抱いていた。これまで周りにいた人々は誰もがアルよりも年が上の人ばかりで、一番年の近いイオでさえもアルよりも少し上なのだ。だからこそ、イヴというアルにとって初めて年下の知人ができたことは彼女にとってとても貴重な体験だった。
 なにしろ、自分の方がお姉さんなのだ。これまでは相談に乗ってもらったりしている側だったアルがイヴの話を聞いてアドバイスをしてあげたりするという経験をしたりしていた。そうしているうちに二人は打ち解け、今となっては普通に話ができるようになった。
 さらに、今でこそあまり気にならないが、自身の外見にコンプレックスを持っていたアルにと同じようにイヴもまた己の姿にコンプレックスを抱いていたのだ。それは、顔の左側に付けている面の下に隠されていた。

「そういえば、やっぱりまだお面の下の事は気になりますか?」

 アルの問いかけにイヴは黙ったままコクリと頷いた。

「はい……。やっぱり、今までのように他の人の嫌な顔を見るのが怖くて……」

 そう話しながらイヴは顔に付けている面にそっと手を伸ばす。触れるか触れないかというほどの力で面をそっとなで、その下にあるものを気にかける。
 イヴの付けている面の下。そこには酷くただれた火傷の痕があった。これをアルが知ったのは三日前。イヴと話をして、だいぶ自分に慣れて来たと思った時に、イヴの方から痕を見せてくれたのだ。

『あの、アルさんに先に見せなければいけないものがあります。これを見て、わたしのことを気持ち悪いと思ってもしかたありません。もし、そう思って会いたくないと思われたのなら二度と会いません。だから、これからも私と話をしてくださるのなら、これを見て決めてください』

 そう言ってアルに見せたのが彼女の顔の半分を焼いた火傷の痕だった。なんでも、自分が住んでいた村が夜盗に教われ、そのとき逃げ遅れ燃え盛る材木に顔を焼かれてそうなったのだそうだ。そのときに彼女は家族を失い、今の家族に拾われたという。
 どこまでも自分と似た境遇をもつ少女にアルは何か感じるものがあったのか、彼女とはこうして毎日顔を合わせているのだ。しかも、彼女と話をしている間は自分の問題であるこれからのことを考えずにすみ、それもあって彼女とおしゃべりを楽しんでいるのだった。

「あ、すみません。わたしばっかり話してしまって……」

 申し訳なさそうにしょぼくれるイヴ。そんな彼女を見て、慌ててアルがフォローする。

「いえいえ。そんなことないですよ。イヴちゃんの話は聞いていてすごく楽しいです。お兄さん達の話もすごく興味深いですし」

「本当ですか。そう言っていただけると嬉しいです……」

「はい、そうですよ」

 端から見ているとお互いに遠慮し合いながらぎこちない会話を続けているようにしか見えない二人。性格までも似た者同士なのか、遠慮がちな性格の二人は自然に話を盛り上げるのはどうにも苦手なようだった。
 それから沈黙を挟みながらも二人はたどたどしく会話を続けた。何度も話は途切れながらも、嫌な空気はちっともしないで時間はあっという間に過ぎて行った。
 そうして、日が真上に昇った頃、忘れていた事を思い出したかのようにイヴが「あっ」と声を上げた。

「どうかしたんですか?」

「あの、実はこれからまた家族で話をしないといけなくて。ごめんなさい、今日はここまでなんです」

 本当に済まなさそうに頭を下げてアルに謝るイヴ。そんな彼女にアルはちっとも気にした様子を見せず、告げる。

「大丈夫ですよ、また時間ができたときにお話ししましょう。明日の同じ時間は空いていますか?」

「はい、大丈夫だと思います」

「それじゃあ、また明日にここで会いましょう!」

「わかりました。それじゃあ、また明日」

「また明日です!」

 そうして去って行くイヴにアルは何度も手を振って二人は別れた。路地裏へと逃げるように走って行くイヴの姿を見送り、アルも宿に帰ろうと思った時、突然彼女の肩を何者かの手が叩いた。

「ひゃっ!」

 驚きのあまり奇声を上げるアル。恐る恐る振り返ると、そこにはイオの姿があった。

「い、イオさん……。どうしたんです? こんなところで」

 そう問いかけるとイオはどこか不機嫌そうにアルの質問に答えた。

「べつに〜。ここ最近、元気そうだったのは新しい友達ができたからだったのね。なるほど、これで納得がいったわ」

 なぜか一人で勝手に納得しているイオを不思議に思っているアルだったが、そんなことよりイオが何故ここにいるかの方が気になった。

「もしかして……私の後を付けて来たんですか?」

 悪趣味だと思って不満をぶつけたアルだったが、帰って来たのは予想外の答えだった。

「まあね。だって、グリンさん心配してたし。ここ最近あんた元気無かったしさ、私もちょっと言い過ぎたかなって思ってたからね」

 思いもよらないイオの言葉に、アルは驚くと同時に申し訳なくなった。

「すみません、ご心配をおかけして。でも、正直意外です。イオさんが私の心配をしてくれていたなんて……」

 普段は喧嘩ばかりしている相手。恋敵でもあるイオは自分の事を嫌っているだろうとアルはずっと思っていた。だからこそ、今の彼女の言葉がそれほどまでに意外だったのだ。

「ん〜。だって、あんたが元気ないと私も張り合い無いし。まあ、からかう相手がいないとつまらないもんね」

 そしてまた、イオから帰って来た予想外の答えにアルは一瞬放心した。そして、顔を真っ赤にするとプンスカと怒りだした。

「もう! どうせそんな事だろうと思いました! ふん、いいですよ。私もう帰りますから」

 ふくれ面で宿に向かって帰って行くアルを見てイオは思わず苦笑する。そして、アルには聞こえない声の大きさでこう呟くのだった。

「そうそう。あんたはそうやって怒っている方が“らしい”よ」

 日射しが地面を照りつける中、喧嘩友達ともいえるような二人の少女はつかず離れずの距離を保ちながら帰路を歩むのだった。


 そして、日の当たる道を歩む二人とは対照的に一足先にアルと別れたイヴは日の射さない路地裏の暗闇を歩いていた。入り組んだ道もここ数日ですっかり慣れ、今では道に迷うことなく目的地に着く事ができる。
 角を何度も曲がり、空腹から倒れる人々に目もくれず彼女の大切な家族の待つ目的地へ向かって、ただひたすら歩いて行く。
 それからしばらく歩んだ末彼女が辿り着いたのはとある廃屋だった。そこはかつて、十二支徒の一人ログによって奴隷とされた子供達が集められていた廃屋であった。
 ほとんど錆びている取っ手に手をかけ、裏口の扉を開くイヴ。扉を開けた際、下に溜まっていたホコリが宙に舞い、思わず咳き込む。口元に手を当て、ホコリが入らないように抑えながら光の入らないひんやりとした空気の室内に入って行く。
 そこに、彼女の家族は待っていた。

「おい、どこに行ってやがった。勝手な行動はやめろといっただろうがよ」

 どこまでも上から目線の厳しい口調でイヴを嗜めるのは一人の青年。室内の暗闇に目が慣れていないせいか、その姿ははっきりしない。

「ごめんなさい……」

「ったく、お前がいねえと他の奴らと話ができねえからな。あんまりうろちょろすんじゃねえ」

「はい……」

 青年に叱られながらイヴは彼の元にゆっくりと近づいて行く。こんな風に厳しい言葉を投げかけられるが、それも自分を思っての事だと彼女は思っているのだ。
 暗闇に目が慣れ始め、徐々に鮮明になっていく青年の姿。まるで血を彷彿させるような赤い髪。常に己と対等に渡り合える獲物を探す鋭い瞳。そして、なにより特徴的なのが肘より下から何もなくなったその右腕。まるで鋭利な刃にすっぱりと切り落とされたようなそれは今は包帯が巻かれている。

「いいか、俺たちの目的を果たすためには今はお前の力が必要なんだよ。わかってんだろうな、イヴ」

 そう告げる青年の口元はどこか楽しげに釣り上がっていた。それを見て、イヴは当然のように答える。

「はい。だって、わたしを助けてくれた家族のためにわたしが力を貸すのは当然ですから。ね、“猿哨お兄ちゃん”」

 その答えを聞いて青年、猿哨は高らかに笑い声を上げた。


 光と闇は知らず知らず交差する。一時の交わりを終えた果てにある結末をこの時はまだ誰も知る事はない。
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騎士団入団

ぼんやりとした意識の中、フィードは目を覚ました。見慣れない天井、薬品の匂いの香る室内。温かな毛布が身体を覆っている事に気がつき、ゆっくりと上半身を起こそうとする。

「――ッ! いっッ〜」

 しかし、全身に走る激痛に思わず顔をしかめ、そのままベッドの上に再び倒れ込んでしまう。辛うじて動かせる首上部分を左右へとずらし、今自分がどこにいるのかを確かめる。

「ここは……」

 よく見れば、自分と同じようにベッドの上にて横になっている複数の人々がいた。その中にはフィードの見た事のある人物もいる。一次、二次と試験を共にした他の受験者たちだ。

「となると、ここは騎士団の医務室ってところか」

 場所の把握を終えると、今度は自身の身体の状態を確認し始めた。手、足、腹部などには大げさと言えるほどの包帯が巻かれており、少しでも動かそうとすると激痛が走る。まともに動けるようになるにはまだまだ時間がかかりそうだった。

「人並み以上の治癒力があるといってもこれじゃあ数日は動けそうにないな」

 現状を受け入れると共に、当分はここに留まるしか無いと諦め、フィードは天井を見上げた。なにせ騎士団のトップとの激戦を繰り広げ、最終的には命をかけるまでの戦いとなったのだ。五体満足なだけでもよしと考えるのが妥当だろう。
 そうして改めて、フィードはエルロイドとの死闘を思い出す。勝敗を決したのは本当に僅かな運であった。エルロイドの絶技が正しく決まっていれば、フィードはこうして痛みに悶える事も無く彼との戦いを思い返す事すらできなかったのだから。

(ったく、よくよく考えれば何でこんな事になっているんだか。そもそもリーネに会いに来ただけだっていうのに、どうして命を賭けて騎士団のトップと戦わないといけないんだよ)

 そんなことを思い、内心で愚痴をこぼすフィード。騎士団の試験を受けることになったことでさえ彼にとってはイレギュラーな事態であるというのにエルロイドとの戦いなど予想外にもほどがあった。かつて戦ったときに比べても格段に力を付けている彼との戦いなどこんな機会であれば二度としたくないと思えるほどだ。
 だが、その苦労もあってひとまず騎士団の第二試験まではクリアできた。残る問題は一つだけ。

「三次試験だよ……な」

 そう、最終試験である面接。騎士団に相応しいかの適性試験である。いくら実力があったところでここで落とされてしまっては元も事もない。そう考えたとき、二次試験で自分が行ってしまった事は最悪と言っても過言ではないものだった。

「しまったな、このままじゃ自分が受かる姿が全く想像できない」

 なにしろ騎士団のトップを打ち倒し、その側近ともいえる者達に啖呵を切ったのだ。印象は最悪、試験を不合格にする理由はそれだけで充分だろう。
 しかし、ここまで来てリオーネの安否を確認。ついで、何者にやられたのかという情報を手に入れられないのは手痛い。それがもし十二支徒に関わる情報であればなおさらだ。

(いっそのこと、無理を押してリーネを探しに行くか? 幸いここは騎士団の敷地内。今なら見張りも特にはいない)

 何故かは分からないが、在中しているはずの医療人もこの場にはおらず、ここにいるのはほとんど意識を失った受験者ばかり。今なら一人くらい抜け出したところでバレやしないだろう。
 もっとも、その後外に出てから騎士達に見つからないかは自分次第なのだが……。そこまで考えてフィードは大きく溜め息を吐き出した。

「やめた、やめた。どうせ、この身体じゃろくなことができやしない。それに、エルロイドの奴も自分と戦わせるためにわざわざこんな回りくどい事をさせたんじゃないだろうしな。
 きっと、まだ何か俺にさせたいことがあるんだろう。それを聞いてからでも遅くない。それに、リーネの事もあいつに聞けば全部分かるだろうしな」

 そう結論を出し、再び眠りにつこうとするフィード。だが、目蓋を閉じようとしたその時、運悪くというべきか部屋の扉が開き、ある人物が中に入って来た。そして、他の者には目もくれずフィードの元へと一直線に歩いていく。

「やあ、調子はどうかね」

「酷いもんだよ、誰かさんが殺す勢いで思いっきりやってくれたからな」

「そうか、それは申し訳ないな。まあ、それはお互い様といこうじゃないか」

「まったく、勝者がこうしてベッドの上で横になっていて、敗者がピンピンしてるとはどうしてだろうね」

「まあ、信頼できる部下が周りにいるかいないかの差じゃないかね。それで、少し話をしたいのだがいいかね」

「ああ、構わないぞ、エルロイド」

 自分の元を訪れた来客者にそう答え、フィードは彼が話を始めるのを待った。

「ふむ、それではなにから話したものか……。まあ、まずは君も気にしているリオーネ君のことから話をするとしよう」

「そりゃ、ありがたい。で、あいつは無事なのか?」

「ああ、その点に関しては心配しなくてもいい。五体満足で、今も外に出せと文句を言っているよ。特に君と戦ったと話をしたら力づくにでも部屋から出ようとしてね。困ったものだ、もう少しだけ大人しくしていてもらいたいからね」

「その口ぶりじゃ軟禁されているようなんだがな」

「その通りだ。今彼女は軟禁状態にある。理由は、言わなくてもある程度推測がつくと思うが」

「噂になっていたあれか。リーネが襲われたっていう。でも、無事だっていうんならどうしてそんなことをする必要があるんだ?」

「そこが問題なのだよ。確かに、彼女は無事であるが“襲われた”ということは事実だ。しかも、その相手が同じ騎士団の団員であるからこそ今回の件は公にできない」

 その言葉を聞いてフィードの気が張りつめる。エルロイドもまた真剣な表情で話を進める。

「へえ、そりゃ興味深い話だな。まさか、騎士団の中で内部抗争が起こっているとはな」

「ふむ、まあそれも起こっているから否定する事はできないのだが、問題はまた別なのだよ」

「どういうことだ?」

「確かに、今騎士団は裏で内部抗争が起こっている。といっても、こちらは小競り合い程度だからさして問題はないのだ。問題はリオーネ君を襲った騎士が操られていたという点にある」

「操られていただって?」

「そうだ。意識がなくなっているわけではなく、まるで本人の意思を尊重しつつも暴走させているような操られ方だったそうだ」

 それは、どこかで聞いた話でもあった。そう、数ヶ月前にセントールに派遣されたリオーネと共にフィードが解決したある戦いに似た……。

「まさか……」

「ああ、私は報告書でしか読んでいないから詳しくは分からないが、今回の一件は十二支徒の一人、エンリカによる犯行が高い。しかも、未だどうやって騎士を操ったのかも分からないし、その足取りも目的も掴めない。一番恐れているのは今現在、普通に接していると思っている騎士が実は操られており、情報を相手に流しているかもしれないという事だ。
 しかも、この件を引き金に騎士団の主導権を握ろうと対立派閥が動きだし、最悪国が荒れることになるのだ」

 聞いていて思わずフィードの喉元が鳴った。最悪の事態を想定すると恐ろしいという気持ちがなくはないが、今の彼にはそんなことよりも、今回のリオーネの一件に十二支徒が絡んでいるかもしれないという話の方が衝撃が大きかったのだ。

(奴らが、ここに来ているかもしれない。もしやと思って来てみたが、当たりを引いたかもしれないな)

 そして、十二支徒の話を聞いてあからさまに表情を変えたフィードを見てエルロイドもまた悪どい笑みを浮かべる。

「それで、フィード。ここまで君に話をしたのはお願いがあってのことなんだよ」

 来た。とフィードは思った。ここまで直接会うことなく、騎士団試験をわざわざ受けさせるという回りくどい事をさせた理由がついに明かされる事になる。

「話を、聞こうか」

「君と直接会うことなくこうして試験を受けさせたのには理由がある。先程言った事件。もしかしたら十二支徒による犯行かもしれない。そして、今のところそれを知るものは少ない。リオーネ君をわざわざ出してまた敵に襲わせるのも不味いからこうして軟禁しているのだが、それももう少しで終わるつもりだ。
 今度はこちらから一手を打ち、敵を暴きだす。だが、その時部外者の君が現場に出てかき乱されてはたまらないのだ」

「それで?」

「部外者では問題がある。では、“仲間”であるのならば問題はあるまい。私は騎士団のトップだ。多少の独断行為であるのならば他の者の口を抑える事ができる。しかも、その者が実力のある者であるならばなおさらだ。君としても情報は少しでも多く手に入れたいだろうしな。
 どうだろう、フィード。今のところお互いの目的は一致している。君には今から騎士団に入ってもらい、今回の事件の解決に力を貸してもらいたいと思っている。
 答えがYESなら試験は合格。NOなら不合格だ。当然、情報は与えられないしリオーネ君に会わせる事はできない。さあ、どうする?」

 そっと彼の前に片手を差し出し、答えを待つエルロイド。それに対し、フィードは上半身を起こし、彼の顔を見上げながら呟いた。

「二つ、条件がある。一つは俺は用が済めば騎士団を抜けられるようにすること」

「それは構わない。いつでも抜ける事ができるよう手配しよう」

「もう一つ。仮に今回の敵が十二支徒であった場合、そいつらの命を奪うのは俺以外の誰にも譲るつもりはない」

「ああ、それも許可しよう」

「なら、構わない。しばらくの間世話になる」

「こちらこそ。君の多大な力を役に立てさせてもらうよ」

 互いの手を重ね合わせ、握手を交わす二人。こうして、フィードは騎士団試験を合格し、当分の間騎士団にその身を置く事になったのだった。
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紙一重の勝敗

フィードとエルロイド、実力者同士の対戦が始まってからすぐ、その戦いを中庭にいた全ての人々が見守っていた。まるで、視線を外す事を許さないかのように引き寄せられる激闘。一撃、一撃を見逃すまいとジッと見つめる。それは試験を落ちたものだけでなく、本来なら試験を進めなければならない当事者や試験官も例外ではなかった。人生においてそう何度も見る事ができないかもしれない高次元の戦いが、今彼らの目の前で起こっていたのだ。

「――フンッ!」

 目にも留まらぬ早さで振り抜かれる一閃。大気を切り裂く重い一撃が打ち放たれる。それを薄皮一枚で避けるフィード。まともに受ければ吹き飛ばされてしまう一撃だ。しかし、真に驚くべきはそこではなく、速度では僅かとはいえ分がある彼に対して攻める隙を与えないという点であった。
 その証拠に先程からフィードはエルロイドの攻撃に対して防戦一方であった。

「くっ! この変人が……。一体どんな鍛え方したらこんな風になるんだよ」

 思わず愚痴をこぼすフィード。防御に専念していると状況でさえ皮肉をいうだけの余裕がまだあるという点は、外野からしてみれば驚嘆に値するだろう。
 そんな彼の軽口に付き合うつもりはないのか、エルロイドはただ無心に剣を振り続ける。当たれば必殺の一撃。だが、こんなものは彼からしてみれば準備運動程度でしかない。その証拠に、彼の表情はまだまだ余裕そうであった。

「まさかとは思うが、それが今の君の全力じゃあるまいな。だとしたら期待はずれにも程がある。これならばまだ以前戦ったときの君の方が余程強かった。
 苛烈で、荒々しく、誰に対しても敵意を振りまく君はどこに行った? 下手な策を聾すくらいならば、何も考えずに向かって来るがいい。あまり……私を落胆させるな」

 エルロイドのその言葉にフィードは思わず舌打ちをする。元より彼はここで全力を出すつもりはなかった。予想外のエルロイドの登場に焦りもしたが、彼とて部下の手前全力を出す事はないだろうと鷹を括っていたからだ。
 だが、違った。彼は本気だった。全力で戦えばそれは試験でも何でも無く、ただの“殺し合い”だということを分かっていてなお勝負を挑んでいるのだ。
 かつて戦ったときのお前を見せてみろ。復讐に身を委ねて、己以外の全てを拒み、目標を駆逐する事に身を焦がしていた頃の力を出せと言っているのだ。
 そして、そうまで言われてフィードは黙っていられなかった。今の彼はある意味なめられているのだ。自分ですら倒せない相手が十二支徒の相手等できるのか? そう挑発されているのだ。
 倭東にて、彼は誓った。必要とあれば全てを犠牲にすると。そして、十二支徒の誰にも負けるつもりはないと。
 エルロイドは確かに強い。十二支徒にも匹敵する実力を兼ね備えているだろう。だからこそ、ここで彼に負けるのなら自分は十二支徒に負けるのと同じなのだ。

「ああ……そうかよ」

 何度目かのエルロイドの打ち込み。フィードの脇腹を一刀両断しようと放たれたそれに対し、とうとう彼は回避するのを止め、その一撃を受け止めた。常人であれば剣ごと身体を持って行かれるそれに対し、一歩も引くことなく対抗したのだ。

「悪かったな、変な考えをする余裕はお前相手にはなかった。今からお前は俺の仇敵と同種として扱う」

 受け止めたエルロイドの剣を弾き飛ばし、フィードは彼に告げる。今からお前は十二支徒だと。それは一切の躊躇いも容赦もしないことを指している。これより先、彼を絶命させるまで彼は自分の意思では決して止まらない。
 フィードから距離をとったエルロイドはそんな彼の変わりようを肌で感じていた。おそらく、彼以外もそれを感じ取っただろう。
 先程まではどこか捉えどころのない雰囲気を醸し出していた彼の気配が今では一変していた。肌を突き刺すような絶大な殺気。身も凍えるような凍てつく視線。一歩でも己が身を動かしたらその瞬間に命を奪われると思わせるほどの恐怖を感じる。それは錯覚でもなんでもなく、この戦いを見守っている人々の中にはそのプレッシャーに耐えきれず、嘔吐するものや冷や汗を全身から吹き出すものもいた。
 そんな彼らの様子をまるで気にかける素振りも見せず、フィードは手に持つ黒剣を縦に構える。禍々しく刀身を光らせるそれは主が獲物を狩り、自身の身体に血を塗るのを今か今かと待ちわびていた。

「やはり、君にはそちらの姿の方が似合っているよフィード。生温い環境に浸って堕落したと思っていたが、そうでもなかったらしい。むしろ、今の方がより狂気をその身に纏っているな。平常時の姿を見せられて勘違いしそうになるが、その本質は他の誰よりも狂っている。それが心の奥に内包されて、一見するだけでは分かりづらいからこそ余計にたちが悪い」

 困った顔をし、文句を言いながらもエルロイドの口元は釣り上がっていた。変わらぬ強敵。いや、かつてよりもより強く、鋭いプレッシャーを与える相手がいるという事実にエルロイドは喜んでいたのだ。本来なら二度と出会いたくないと思うような力の持ち主を目の前にして、喜べるなんてことは普通あり得ない。少なからず、彼もどこか壊れているのだろう。でなければ、このように命を賭けた戦いを自ら提案しない。
 対峙する二人の間には奇妙な沈黙が漂っている。互いの距離は本気を出せば一歩で間合いを詰める事のできる程度。おそらく、二人が今考えていることは同じだろう。彼らほどの実力者となれば意味のない打ち合いは無駄。むしろ、自身の持つ必殺の絶技を用いて一撃での決着をつけるはず。その証拠に、先程から彼らは呼吸を整え、その一撃を放つタイミングを計っていた。
 息の詰まるような静寂が辺りを包む。ただならぬ雰囲気を誰もが感じ取り、このままでは双方無事に済まないと分かっているにも関わらず、誰一人としてその場を動く事ができなかった。
 それは、戦士としてこの戦いの結末を見届けたいという思いと、この二人を止めるだけの力がないと誰もが理解しているからだった。
 そんな中、ただ一人。エルロイドにも負けず劣らずの力を持つグラードだけは楽しそうにこの戦いの行く末を見守っていた。

(さて……騎士団“最強”と復讐鬼の“最凶”。いったいどちらの実力が上なのか、確かめさせてもらいますよ)

 永遠とも思える停滞の時を終え、ついに時間が動き出す。均衡を先に破ったのはエルロイドだった。自身が引き出す事のできる全速でフィードとの距離を縮め、力強く握りしめた剣から絶技を繰り出す。
 超高速、超重量の威力による五連撃。袈裟切りから片足を軸にしての横一閃の回転切り、下段からの打ち上げ、そして打ち降ろし。そして最後は腕を捻り、回転を加えた突き。目にも留まらぬ早さで放たれる連撃はまさに絶技と呼ぶに相応しい威力を兼ね備えていた。速度についてこれても絶大な威力を止めることはできない。まさに絶命を約束された一撃。その名も『五閃残影刃』。
 その証拠に傍目にはフィードは防御などする間もなく身体を切り刻まれ血飛沫をまき散らしながら大きく後方へと吹き飛ばされた。勝負あり、誰もがそう思った。あれだけの一撃を受けて無事である方がおかしいと考えるのは当然だろう。むしろ命があれば儲けものといえるくらいだ。この戦いの軍配は騎士団の“最強に”上がったのだと外野のほとんどが感じた。
 そう、技を放ったエルロイド自身と今の出来事を正しく理解したグラードの二人を除いて。

(これは、勝負ありましたね)

 一連の出来事を眺めていたグラードはあの一瞬の間にフィードがなにをしたのかを見た。彼はエルロイドの一撃が回避不能だと悟ると、ほんの僅かでも剣先をずらす事に全神経を向け、どうにか致命傷を免れたのだ。
 もっとも、これは誰にでもできることではなく、エルロイドよりもフィードの方が僅かに速度が勝っており、剣の実力も拮抗していたからこそできた芸当だ。
 そんな奇跡とも言える光景を目にしたグラードが勝負の行く末を予想すると同時に、絶技を受け、再起不能の状態に陥ったかと思われたフィードがゆっくりと起き上がった。
 立ち上がり、剣を構える彼の身体から絶大な魔力が零れ出し始める。収める許容量を遥かに超えた魔力は外気に晒され、空気の流れを乱し、彼の周りを吹き荒れ、不可視のはずの魔力を目に見えるようにしていた。
 身体にかかる負担などまるで気にせず、見るものを凍え上がらせる冷徹な視線でフィードはエルロイドを睨みつける。その様はまさに十二支徒と対峙した彼そのものである。
 彼の凄まじい気迫に合わさるように、黒剣もまた魔力の流れに乗り、身を震わせていた。これから自分に付加され、生まれる絶大な一撃を放つのを、それは待っているのだ。
 魔力の収束が完了すると同時に、フィードは絶技を発動させる。それは今より少し前、対猿哨用に編み出された必殺の一撃。前回は一度の発動で壊れてしまった剣によって、あれ以上の強い力を出す事は叶わないかと思われたそれに、耐えうる事ができる剣を手に入れた事によって完成した不倶必罰の絶技なのである。
 そしてその始まり、魔術の詠唱が奏でられる。絶望の序曲がエルロイドの元へ届けられる。

「天轟き荒れ狂う。
 断罪の光は地へと落ち、罪ある愚者へと降り注ぐ。罰与えるは我が雷。眩い光に捕われ灰燼と化せ
 ――ライトニングジャッジメント――」

 目も眩むような凄まじい光が天を裂いてフィード持つ黒剣の元へ落ちて来た。帯電するそれを持ちながらも平気な様子を見せながらフィードはエルロイドに剣を向け、先程の借りを返すと言わんばかりに距離を詰めた。
 当然、このまま黙ってフィードの絶技を受けるつもりはエルロイドにはない。先程の五連撃にて弱ったフィードにトドメを刺そうと、腹部へと鋭い突きを入れた。だが、力の抜けた流れるような回避によってそれは避けられ、逆に自身の懐にフィードを招き入れる結果になってしまった。

「終わりだ、エルロイド。無限地獄を彷徨え!」

 雷を纏った黒剣をエルロイドに向かって振り抜く。轟音を立て、空気を切り裂くその一撃。『魔纏剣 ライトニングジャッジメント』
 絶大の威力を秘めたニ連撃は剣を盾に少しでも威力を下げようとしたエルロイドに対し、容赦なく襲いかかり、剣を完膚なきまで粉々に砕いてエルロイドの身体に×印を刻む……はずだった。

「なんのつもりだ……」

 どこまでも冷たい口調でフィードは目の前に現れた二人の人物に呟く。その声色はとても低く、表には出していないが怒りを滲ませているのは誰の目にも明らかだ。
 それもそのはず、一対一の戦いであるはずのこの場にて、対象絶命の一撃を放ったにも関わらず、突然現れた乱入者によって命を奪う事ができなかったからだ。彼の放った一撃は、エルロイドの剣を砕いた後、その身体を切り裂くはずが、二人の乱入者、グラードとミレーヌの剣によって止められていた。

「なんのつもりですって? あなたこそ、誰に向かって剣を向けたのか分かっているんでしょうね。今の一撃、決まっていれば隊長の命を確実に奪っていました。よもや、そのような事をしておいて今から無事にこの場を離れられると思っているんですか?」

 普段の冷静で、落ち着き払った様子からはまるで想像がつかないほど怒りを露にしてフィードを睨みつけるのはミレーヌ。エルロイドの元を尋ねたものの、書類整理をしているはずの彼の姿が見当たらず、窓枠から外を見れば中庭にて何者かと戦う彼の姿を見つけ、こうして駆けつけたのだ。
 そして、彼女と同じように剣を突き出し、フィードの一撃を止めたもう一人の男、グラード。下手をすれば自分も命を奪われるかもしれないような状況でも笑顔を崩さず、戯けた様子でフィードに話しかける。

「まあ、試験はこの辺りで終わりということにしておかないかね。元々これは殺し合いではなく君が騎士団に入るための実力があるかどうかの試験だ。結果は見ての通り。これ以上続けてはさすがに騎士団の沽券にも関わる。なにせ騎士団トップが破れたんだ。幸いこの光景を見ているものは少ない。どうか、ここは一つ我々は何も見なかったということにしておいてもらいたい。
 下手に話を盛って、この件が民衆に面白可笑しく伝えられては騎士団への不信感にも繋がるからね。なに、君の実力はこの場にいる誰もが認めている。試験は合格だ」

 無理矢理にでも場を収め、これ以上の戦いを禁止しようとするグラードの態度が気に入らないのか、フィードは彼の眼前に剣を突きつけた。

「それで俺が納得するとでも?」

 このまま戦いを続けさせてもらおうかという意思を表すフィードに向かって一瞬だけ笑顔を消したグラードが呟く。

「見くびるなよ小童。君は騎士団を甘く見すぎだ。たとえ一人では君に勝てないとしても人数を揃えれば勝つのはこちらだ。それに君がエルロイド君を殺したらどうなるか考えてみたまえ、君は騎士団だけでなくフラムという国から追われる犯罪者となることになる。
 そうなったら、君はかの十二支徒と同類だ。それでも構わないというのならかかって来たまえ。当然全力で阻止させてもらうがね」

 フィードの威圧に一歩も怯むことなく、逆に脅しを口にするグラード。交わる視線と視線。誰かが少しでも動きを見せれば再び戦いに戻るという一触即発の空気だ。この状況を外野の人々は緊張した面持ちで見守っていた。

「……わかった。エルロイドを殺しても俺にはなんの得もない。少々頭に血が上りすぎていたようだ」

 そう言ってフィードは剣を鞘に収めて敵意を解いた。それを見てグラードもまた剣を収めるが、ミレーヌだけは未だにフィードを睨みつけたまま剣を力強く握りしめていた。

「ミレーヌさん」

 未だに敵意むき出しのミレーヌをグラードが嗜める。彼女は少しも納得した様子はなかったが、渋々と剣を収め、エルロイドに手を貸し、身体を起こした。

「隊長、大丈夫ですか?」

「大丈夫だ。だが、何故手を出した」

「ああしなければ隊長は死んでいました。私の役目は隊長の命を守る事です。そう命じられたのはあなた自身です」

「そう……か。そう、だったな。だが、この戦いには水を差してほしくなかった」

 文字通り命を賭けた真剣勝負を邪魔された事により、エルロイドの機嫌はとことん落ち込んでいた。勝者は誰の目にも明らかなのに、それを無理矢理妨害し勝敗を確実に付けなかった事が彼を苛立たせた。

「すまない、フィード。部下の邪魔が入った」

「別に構わない。そいつらの言う通り、これは試験だ。俺は元々試験を受けに来たのであって殺し合いをしに来たわけじゃない」

「ふっ、そうだったな。では、次は試験ではなく本当の死闘をするとしよう。今度は誰の邪魔が入らないようにな」

「ああ、お前がそれを望むならな」

「その言葉、覚えておこう。ひとまず、今回の勝ちは君のものだ。次は……私が勝つ」

 そう言い残し、エルロイドは中庭を去って行く。そして、その後に続くようにミレーヌもまた少し遅れてその背を追う。
 残されたフィードは相変わらず飄々とした態度のグラードに苦手意識を覚えながら独り言を呟く。

「なんにせよ、これで二次試験は終了……だ」

 言い終わると同時に、彼の身体が傾き始める。止める間もなく地面に倒れ伏し、そのまま意識を失った。先程放たれたエルロイドの絶技。僅かに逸らしたと言っても必殺の一撃を実質五回その身に受けたのだ。気力でどうにか持っていた意識もここに来て限界を迎えたのだろう。
 もし、少しでもエルロイドの絶技を逸らすのに失敗していれば彼の命は既に失われていただろう。彼との戦いはまさに紙一重の勝負だったのだ。
 しばらく、呆然と気絶したフィードを眺めていた試験官達だったが、正気に返るとすぐさま彼を救護班の元へと連れてゆくのだった。
 こうして、騎士団試験第二次試験は幕を閉じた。余談ではあるが、フィードと同組で試験を受けた二人はレベルの違いをまざまざと見せつけられ、自ら試験を辞退したのだった。
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ジャンル : 小説・文学

前哨戦

一次試験から一夜明け、現在ケインとフィードはハイル城の中庭に来ていた。二次試験に挑むため、指示があるまで待機をしている二人であったがその姿は対照的だった。

「おい、本当に大丈夫かケイン?」

「だ、だいじょう……ぶ」

 息も切れ切れ、身体のあちこちに包帯や湿布を張り、どうにかこの場に立っているケイン。昨日の疲労や怪我のせいで彼は今にもその場に倒れ伏しそうなほどだった。
 そんな彼に手を貸し、身体を支えるのは彼とは違い気力に満ち、目立った傷も見られないフィードだった。

「ごめん、フィード。助けてもらっちゃってるね」

 申し訳なさそうに言うケインにフィードは照れくさそうに頬を掻きながら答える。

「気にするな。ここまで関わってきたんだ。このまま無視して何かあった方が寝覚めが悪い。それに……」

 と、続きを口にしようとしたところでフィードはそれを言うのを止めた。彼の生き方があまりにも真っすぐで、つい目を逸らしたくなったからだ。

(それに……俺はお前みたいな生き方は嫌いじゃないからな)

 似たような生き方をしてみようとして、やはり最後には血なまぐさい殺し合いの世界に戻る事になった彼にとって、ケインの生き方は眩しく、直視できるようなものではなかった。

「ははっ。やっぱりフィードはお人好しだね」

「かもしれないな」

 痛みを堪えながら笑みを浮かべるケインに思わずフィードも微笑み返した。できることなら、彼には騎士団試験を合格してもらいたいと思っているのだろう。
 この試験の当事者でない民衆たちがこの光景を見たのなら、二人の友情に僅かながらでも心を温める事になっただろう。だが、当事者である他の受験者からしてみれば彼らはこの場に相応しくない不純物であった。

「なんだ、あいつら? 本当にこの試験に助け合いだなんて馬鹿らしい。自分が騎士になるのが一番じゃねえか」

「まあ、美しい友情なんて泣かせるものだろうけど、それで試験に落ちたなんて事になったら本末転倒だよね」

「いいんじゃねえの。助け合いなんてしたところで評価に繋がるわけじゃねえし。好きにさせておけよ」

 一部肯定的な意見があるものの、それは自分には関係のないからそう言っているだけである。彼らとて試験に受かりたいのだ。そのために、他を切り捨ててでも自分を第一に考えて試験に臨んでいる。そのため、この場に至っても助け合いをしている彼らを見ていると自分たちが否定されているように思えてならないのだ。だからこそ、反発し、助け合いをするなどおかしいと口にするのだ。
 苛立とも、嫉妬とも取れるその態度が行動を伴おうとし始めようとした時、彼らの前に現れた騎士によって、ついに二次試験の説明が行われ始めた。

「さて、既に人数は揃っているようだな。では、二次試験を開始する。
 二次試験では君たちの実力を真の意味で確かめさせてもらう。我が騎士団から選ばれた試験官相手に戦ってもらう。
 もし、騎士達に勝てるというのならその場で二次試験は突破とする。だが、君たちの相手となる試験官は各隊でも指折りの実力者だ。そうそう勝てるとは思わない事だ。
 だからこそ、この試験では勝敗はそこまで問わない。もし、負けたとしても試験官となった騎士が求めている合格項目を満たしているのなら合格を受け渡されることもあるだろう。
 この試験における禁止事項は特には無い。負けを認めたいときは「参った」と一言言えばいい。それ以外は意識を手放した時点で試験を止めるものとする。
 では、今から順に三名ずつ名前を呼び、それぞれにあてがわれた試験官と戦ってもらう。
 ……準備はいいか?」

 その言葉に受験者一同の空気が一斉に張りつめた。いよいよ、実際の騎士達と戦える。騎士を目指す彼らにとって、目標でもあり先達でもある彼らとの戦いは思うところがあるのだろう。
 そんな彼らの空気を肌で感じ取りながら、フィードは周りを見渡す。見れば、いつの間にか中庭には十数名の騎士達が存在していた。
 おそらく、彼らが試験官となる騎士達なのだろう。悠然とした態度で受験者の闘争心を受け流している。

「おいおい、やる気満々じゃねえか! 上等! そんくらいの気概じゃなきゃな!」

「ふん、この試験を通してせいぜい自分の底の浅さを思い知るんだな」

 ……中には一部受験者と同じように闘争心を燃やしている騎士もいたが。

「では、最初に試験を受ける三名を発表する。ルーブ、ルイア、ケイン。三名はこちらへ来い」

「えっ!」

 思わず、フィードの口から驚愕の声が零れ出る。試験の最後の方までケインが休めればもう少し体力も戻ると考えていたが、こうも早く呼ばれては回復も何も無い。現在立っているのがやっとの彼では試験なんてとてもじゃないが受けられないし、ましてや試験官の合格項目を満たす前に勝手に意識を手放して試験を終えるのが見えている。

「いいんだ。頑張るよ……」

 そんなフィードの考えを見透かすように、ケインは支えであった彼の手を手放し、騎士の元へと向かって行く。自身の元を離れたケインをもはやフィードは見守る事しかできないのだった。


 広大な中庭にてそれぞれの相手となる騎士の前に立ち、受験者達は自身の武器を構えていた。始まりの合図はまだ出ない。
 ドク、ドクと心臓の鼓動が聞こえてくるようだ。試験を今受けている当人はもちろんのこと、それを見守っている他の受験者達もまた緊張していた。
 実際の騎士の強さがどれほどのものなのか、他の試験者がどれほど太刀打ちできるのか、そしてそれと比較して自分は歯が立つのかという考えが彼らをこうも硬くしているのだろう。
 だが、そんな中で一人。ケインだけはそのような事を考えている余裕が無かった。なぜなら今の彼は既に風前の灯火に等しく、軽く小突かれただけでも意識を手放してしまう可能性があるからだ。
 だから、持っていた自信の愛剣を地面に立て、添え木のようにしてどうにか身体を倒れないようにしていた。
 そんな彼の前に立つのは先程受験者の闘争心に刺激されていた騎士の一人だった。栗色のはねた髪をし、鋭く釣り上がった瞳。見た目からは騎士というより、街にいるゴロツキのような印象を与える青年だった。自分よりも少し上の年頃の騎士。今から戦える事を心底喜んでいるような笑顔はケインにとっては心の重しが増えるだけのものであった。
 そんな彼と目を合わせて対峙する事しばらく。ついに試験を見守る騎士が合図をだそうとする。それを見計らったかのように目の前の騎士がケインに声をかける。

「よう、あんた。俺は第七隊副隊長のアイルっていうもんだ。今からてめえの試験を担当する」

 試験を始める号令が周りに響く。ケイン以外の二人が一斉に試験官に向かって駆け出す。一拍遅れてケインも今の自分にできる最速でアイルへ向かう。

「満身創痍の中試験を受けようって気概は立派だと認めるぜ! そういう諦めない根性は俺は嫌いじゃねえ」

 アイルの胸元に向けて全力で剣を突き込む。その剣は隙だらけのアイルの元へ一直線に吸い込まれていった。

「だが、だからといって手を抜くほど俺は甘い奴じゃないぜ!」

 しかし、その剣がアイルの胸を覆う鎧へと達しようとする直前、凄まじい衝撃とともに剣は宙へと舞った。驚くケインをよそ目にアイルは余裕の表情を崩すことなく笑顔を貼付けたままがら空きのケインの鳩尾に前蹴りを繰り出した。

「ゲフッ!」

 胃液を吐き出しながら地を転がるケイン。そんな彼の姿に思わず視線を逸らす他の受験者達。アイルはその光景をただジッと見つめるだけで追撃をしようともしない。倒れながら僅かに顔を上げアイルを睨みつけながらケインは思う。

(追撃する必要も僕には無いってことなのか!)

 単純な実力差、そして今の一撃でもう終わりだと思われていることが悔しくてケインは砕けるほどの力で歯を噛み締めた。
 必死に起き上がろうとする彼の前に先程打ち跳ねられた愛剣が突き刺さる。それはもう向かって来るなといっているようにも、早く剣を手に取りかかってこいとも言っているようにも思えた。
 時間をかけ、身体に残る僅かばかりの力を絞ってどうにか立ち上がる。そして、一歩一歩ゆっくりとアイルへ向かって突き進む。そして彼の前に辿り着き、今にも尽きてしまいそうなほどの力でどうにか剣を振りあげ彼に向かって降ろした。
 よろよろとした一撃。それをあっさりと防ぎ、アイルは再びケインに言葉をかける。

「容赦はしないっていったよな。またわざわざここまで来たって事は痛い目を見るってわかっているんだよな」

 そう言ってケインの剣を流し、自身の剣の柄をケインの脇腹に突き刺す。鈍い音が聞こえ、その場にケインが崩れ落ちる。

「なあ、さっさと諦めた方がいいんじゃねえか。こんな痛い思いをしてまで騎士になる理由がお前にあるのか? 俺たちがしてる事なんてほんの序の口。実際に騎士になれば命を落とす可能性もあるし、今以上に痛い思いをするなんてこともあるんだ。
 そうまでして、お前が騎士を目指す理由はあるのか? 普通に生きて、普通に死ぬ人生じゃ駄目なのか?」

 ゲホッ、ゲホッと血痰を吐き出しながらケインはその質問に答えようとする。既に身体は限界を迎えており、言葉を紡ぐだけでも精一杯だった。

「僕、は……騎士になる。僕、を助けてくれた、騎士のように。だか……ら、ぜったいに、諦めない。たとえ……しんでも、だ!」

 最後の抵抗と言わんばかりにアイルに向かって言葉を吐き出すケイン。見れば、他の受験者は既に試験官である騎士によって意識を奪われており、残っているのはケイン一人だった。だが、それももう終わりが近い。
 ケインの答えを聞いたアイルは頬を膨らませた後、ニヤニヤと口元を歪め、

「最高だぜその答え」

 そう言ってケインの後頭部に手刀を放ち、意識を奪った。消え行く意識の中、ケインが最後に聞いた言葉は、

「ああ、そうだ。合格だよ、お前」

 自分が二次試験を突破したというものだった。


 意識を失った三人が他の騎士達によって運ばれて行くのをフィードは見守っていた。最後にケインが相手の騎士と何か話していたようだが、それが一体なんだったのかは聞こえなかった。
 試験の進行役の騎士が相手となった騎士たちから話を聞き、今の受験者達の合否を他の受験者達に告げた。

「ただいまの三人で合格者は一名。ケインだ。残りの二人は不合格とする」

 その発表を聞いて受験者達の間にざわめきが起きる。ほとんど、何もできていないケインがどうして試験に合格できたのか。少なくとも他の二人はある程度まともに戦い、自身の実力を見せていた。にもかかわらず不合格という事は、やはりこの試験は実力だけが全ての試験ではないという事である。
 ざわつく受験者達を静まらせるため、進行役の騎士が次の試験者の名前を呼ぶ。

「さて、次に試験を受けるものは——」

 そうして、次々と受験者が呼ばれ相対する騎士との戦いを繰り広げた。試験を受けてない受験者は残り三名となり、その中にはフィードもいた。今のところ、騎士と戦って合格を与えられた受験者はケインも含めて五名。他は全員不合格となった。そして、現在まで相対した騎士を打ち倒せたものは一人もいない。
 やはり、騎士達の力は強く、中には倒すまであと一歩という惜しいところまでいった者もいたが、力及ばず破れた。その事もあって残っているフィード以外の二人は試験の始まりよりもガチガチに緊張していた。
 だが、フィードは自分の今の力をただしく理解している。余程の実力者でなければ今現在この場にいる者に破れる可能性はそう高くはない。このまま相対する騎士を打ち倒し、二次試験を突破する。そう、思っていたときだった。
 進行役の男がフィード達の名前を呼ぼうとした時、中庭に二つの影が現れた。エルロイドとグラードだ。

「ふむ、試験の状況はどうなっているかね」

 彼らの存在に気づくと、試験官である騎士全員が胸に手を当て敬礼をした。そしてそれは騎士達だけに留まらず、不合格となった者や残った受験者も条件反射のように姿勢を正した。

「エルロイド様! 試験の方は順調です。次が最終組となっております」

「そうか。それで、今のところ合格者は何名かね」

「はっ! 五名であります。それと、一つお伺いしたい事があるのですが」

「どうかしたのかね」

「いえ、何故このような場所に?」

「実は先程まで書類の処理をしていたのだが、部屋に籠って同じ作業を何度も繰り返すのにもいい加減飽きてね。気分を変えるためにこうして外に出てきたというわけだ」

「は、はあ。なるほど」

 試験官の騎士にそう説明するエルロイドだったが、その最中彼の視線がフィードへと向いた。それに気づいたフィードは頬を引きつらせ、嫌な予感を抱いていた。

(あ、あの野郎。なにしに来やがった。まさか、面倒ごとを起こしに来たんじゃないだろうな)

 こういった時の嫌な予感というものは当たってほしくないと本人が思っていても避けられないもので、それは今回も例外ではなかった。
 試験官から視線を外し、受験者の方に目を向けるエルロイド。一通り彼らの顔を見た後、わざとらしくないようにしながらフィードのところで視線を止め、まるで知らない者かのようにして試験官の騎士に問いかける。

「彼は?」

「えっ! あ、はい。彼はフィードというもので、今から行う二次試験最終組の受験者です。それがどうかしたのですか?」

「いや、特には。ということは彼はまだ騎士と戦っていないのだね」

「はい、そうです」

 その答えを聞くと、エルロイドは不適な笑みを浮かべた。それを見てフィードの背筋がゾワリとする。

(おい、おい。まさか……)

「ふむ、ここ最近戦闘らしい戦闘も行っていなくて正直運動不足でね。よかったら、彼の相手を私にさせてもらえないか」

 その言葉に騎士も含めた全員が驚きの声を上げる。

「しょ、正気ですか!」

「ん? 何か悪いかね。私だって騎士だ。これから私の部下になるかもしれない者の力を見極めたいと思ってもいいとは思わないかね」

「ですが、彼ではエルロイド様の相手が務まると思いません。いえ、この場にいる騎士の誰でもあなたには敵わないでしょう」

「そうかね? だいたい、我々が知らないだけで力を持った者は以外にいるものだよ。リオーネくんのときがそうだっただろう」

「彼女は別格です。あんな規格外の人間がそうそういられては困ります」

 その言葉を聞いて思わずエルロイドが吹き出した。それもそのはず、彼はフィードとリオーネの関係を知っているからだ。今の言葉を聞く限りではリオーネの師でもあったフィードはその規格外の人間だという事になる。

「なら、なおさら問題ない。むしろ、君は後からその発言を撤回したくなるかもしれないな」

 含み笑いをするエルロイドにとうとう根負けしたのか、進行役の騎士は深い溜め息を吐いた。

「どうなっても知りませんよ」

 それだけを伝え、彼は今から試験を受ける最後の三名の名を呼んだ。

「では、最終組の試験を始める。オルク、フィード、ジトップ。こちらへ来い。なお、フィードは特例として我が騎士団第一隊隊長エルロイド様が試験の相手となる」

 相対する騎士の元へ進んで行く三名。だが、彼らや騎士の意識はもはや試験に向いておらず、突然現れた乱入者のエルロイドに向いていた。
 そして、そんな彼と相対するフィードは苦々しい表情を浮かべ、彼に向かって文句を口にしていた。

「ったく、散々回りくどい事をしてくれた上にこれかよ。一体どういうつもりだ、エルロイド」

「さあ、なんの事かね。私と君はこれが初対面のはずだが」

 あくまで初対面だということを強調するエルロイドにフィードの我慢が限界に達した。

「ああ、そうか。そっちがそのつもりなら、好きにさせてもらう。部下の前で情けない姿を晒しても、泣き言言うなよ」

「安心したまえ、それはない。それよりも全力で来た方がいいぞ。あの時よりも私は遥かに強くなった」

 かつての戦いを思い出したのか、エルロイドはそんな事を口にしてフィードを挑発した。

「それはこっちも同じ事」

 遠く、試験官による始まりの声が聞こえた。それと同時に二つの影が神速の勢いでぶつかり合う。
 十二支徒にも負けず劣らずの実力を兼ね備えた復讐鬼と、他国にまで名声轟く騎士団のトップの戦いが今ここに始まった。
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満身創痍の合格者

騎士団試験、その第一試験が始まった頃、ハイル城の敷地の一角にある騎士団宿舎に一人の男性が訪れていた。彼とすれ違う騎士たちは皆胸元に手を当て敬礼をし、緊張しながらも言葉を交わす。そんな部下達の態度に男はもう少し気楽に構えられないものだろうかと苦笑いを浮かべながら、目的の部屋に向かって行く。
 信頼できる部下に見張り番を任せたその部屋に辿り着き、男は見張りの衛兵に中の状況を確認した後、室内に入った。

「……やあ、体調の方はどうかな?」

 突然の来客にベッドに腰掛けていた女性が驚く。そんな彼女から少し離れた位置にある椅子に男は座り、調子はどうかと尋ねた。

「体調は元々悪くありません。それよりも、早く外に出していただけるとありがたいのですが。あなたならそれができるじゃないですか、エルロイドさん」

 柔らかな物腰の男に対し、苛立が募っているのか、女性の声は硬く、どこか冷たいものだった。

「私からは、後少し我慢してくれとしかいう事ができない。今君の姿を見せると、敵が中々出てきそうにないからね」

「それは、もうミレーヌさんから聞いています。ですが、こうも部屋に籠りっきりでは気も滅入ります」

「そう言ってくれるな。その事に関しては私もどうにかしたいと思っているんだよ、リオーネ」

 組織としての利を得るために個人を犠牲にしなくてはならない現状をエルロイド自身納得していないのか、困ったように笑いながらリオーネに告げる。彼とて早く彼女を外に出したいと思っているのだろう。そして、リオーネもそれが分かっているからこそ、エルロイドにそれ以上何も言う事ができなかった。

「外に出る事ができないのなら、せめて最近の外の状況を教えてくれませんか? ここにいては何も知る事ができませんから」

「そうだな……時間もあるし、少し話をするとしようか。それで、なにを聞きたい?」

「そうですね、まずは最近の街の状況はどうなっていますか?」

「ふむ、いつも通りといってはおかしいが、特に大きな事件も起こらずに小さないざこざがあるくらいだな。ああ、でも君がどうなっているのか民衆は皆心配しているようだね。まあ、これまで君が街の人たちに行ってきた善行を考えれば当然かもしれないが」

「そう……ですか。できることなら元気でいる事を知らせてあげたいのですが」

「それは現状を考えて非常に困る状況になるので却下だ。だが、君にとって喜ばしい報告もあるぞ」

 もったいぶったエルロイドの口ぶりにリオーネは興味を惹かれた。

「なんですか、それは?」

 何かを予期したのか、リオーネはベッドから身を乗り出しエルロイドに問いかける。そんな彼女を見てエルロイドは苦笑しながら答える。

「今この国で騎士団試験が行われているのは知っているな」

「ええ。ですが、それがなにか?」

「話は最後まで聞くものだ。実は今回の試験、例年よりも参加人数が多くてね。特に女性の受験者が多かったんだが、受験者の中に面白い名前を見つけてね」

 見つけたというものの、試験を受けさせるために誘導させたエルロイドにしてみれば、これは最初から仕組んでいた事であり、今からその名前を告げた際に見られるリオーネの反応を考えると笑いを抑えるのに必死だった。
 そして、リオーネもここまで話して“もしかして”と自分にとって嬉しい出来事を想像し、左手で高鳴る心臓を抑え、落ち着きのない様子を見せていた。

「彼が、来たよ。キミに会いに……ね」

 その一言でリオーネの顔がみるみる赤く染まってゆく。先程までどこか不機嫌そうな雰囲気を滲ませていた彼女はもはやおらず、代わりに突然の訪問者の存在に心乱され、戸惑う乙女がそこにいた。

(まったく、フィードが絡むとなると本当に彼女の反応は面白いな)

 数ヶ月前は怒りや憎しみを露にし、セントールへの派遣から戻ってきた際には心底幸せそうな緩みきった笑みを浮かべ、そして今は恋を覚えたばかりの少女のように狼狽えている。普段はどちらかといえば冷静で、大人なイメージのある彼女が彼の名前を出すだけでこうも幼い一面を見せるのだ。面白いというほかに表現はないだろう。
 ようやく、少し落ち着いたのかリオーネは左手の薬指に視線を移し、まるで独り言のように呟いた。

「そう、ですか。彼が、フィードが……来てくれたんですね」

 そんな彼女に黙って頷くエルロイド。カーテンのかかった窓の隙間から零れ出る光が彼女の左手を照らし出す。そこには、かつて青年が手渡した絆の証が光を反射して輝いていた。


 駆ける、蹴る、殴る、打ち込む、振り払う。試験の会場である森は現在人と人とが乱れあう混戦地帯となっていた。
 最初は一対一、多くても三つ巴の戦いであったものの、試験の合格枚数に達した受験者を狙う他の受験者が多くなり、それを奪ったところで、また別の受験者が狙ってと、ある意味同じ事の繰り返しをしていることになっていた。
 合格の規定枚数に達したものは素早くこの場を離脱しなければ、餌を持った獲物にめがけて飛びかかる獣のごとくその者へ襲いかかり、意識を刈り取る。だが、そんなことを何度も繰り返して、受験者の絶対数が減らないはずもなく、既に何名かは試験に合格をしているのだった。
 そんな中、フィードは未だ合格することができないでいた。その理由が前述した通りのことだ。

「どけっ!」

 真剣と違い、木刀は脆い。しかも、一撃の殺傷力が弱い上、相手に対しての威圧感も薄れる。既にフィードの手元には合格規定枚数の三枚の板があるのだが、それを狙って次々と襲いかかってくる敵を倒すのに手一杯になりこの場から離れる事が中々できないでいた。
 既に倒した敵の数は二桁に達したが、そんな彼を警戒した他の受験者達が一時的に手を組み、多勢にてフィードに向かってきているのだった。
 一対多数を経験したことがないわけではないが、木刀でさばく人数にも限界がある。魔術を発動させようにも、これだけ敵に入れ替わり密着されては自身をも巻き込みかねないため迂闊に発動させる事もできなかった。

「ほらほら! さっさと板を渡しちまえよ!」

 襲いかかる敵の一人が叫び声を上げながらフィードの背後から襲いかかる。最初に騎士から背後による攻撃は禁止との通告があったが、これだけ混戦状態になってしまえばそんなものを確認している余裕は無いだろう。あんな説明は実際のところあってないようなものだと、ここに至って受験者全員が理解していた。
 上段から振り下ろされる木刀を持っている木刀の腹にて弾き、受け流す。だが、それと同時に次は左右両方から下段からの木刀の振り上げが向かって来る。

「チィッ!」

 舌打ちをしながらフィードは身体を捻り、つい先程木刀を弾いた敵を蹴り飛ばし、右から襲いかかる木刀の主ごと吹き飛ばした。そして、その際の反動を利用し、左から襲いかかる一撃に己の一撃を合わせる。
 衝撃によって互いの木刀が弾かれる。焦りを募らせるフィードとは別に吹き飛ばされた男達は不適な笑みを浮かべている。
 なぜならば、彼らはあくまで前座であり。本番は次に待ち構えているのだから。

「さて、これだけの人数相手に一人で粘るのは驚異的ですが、これで終いです」

「酷いとは思いますが、これも私が試験を勝ち抜くためです」

「んじゃ、兄ちゃんお疲れさま!」

 体勢を崩し、地面へと倒れて行くフィードに向かって今度は三人の敵が襲いかかる前方、そして左右。この状況では受け身をとったところで相手の攻撃を防ぐのは間に合わない。それならば……。

 地面に倒れ込みながら、フィードは片足を地につけ、思い切り踏みこんだ。自身から一番近い右の敵の元へと飛んでいき、中段に構えた敵の獲物を空いているもう片方の足で弾き飛ばすと同時に地を蹴った足を敵の脇腹へと半回転しながら打ち込む。再び空中に投げ出されたフィードは、己に向かって最速で直進する少年に持っていた木刀鋭く投げ込む。突然の攻撃に思わず木刀を前に構え、防御の姿勢をとる少年。
 その間にフィードは地面に降り、先程弾いた木刀を上にかざした片手で掴みとる。それを構え、防御を解き再び襲いかかって来る少年の木刀と合わせる。少年の方はフィードの一撃を受け流そうとしたのだが、フィードがそれをさせなかった。結果つば迫り合いの状態となり、純粋な力比べをすることになった。
 徐々に押し込まれて行く少年。だが、ムキになって木刀を押し込もうと少年が重心を傾けた瞬間、フィードが木刀を引いて少年の体勢を崩した。
 そして横一閃の鋭い一撃を与え、少年を後方へと吹き飛ばす。無様に地面を転がって行く少年に目もくれず、フィードは残った最後の一人である少女の元へと駆けた。
 一瞬の攻防でフィードの実力の高さを思い知ったのか、少女は抵抗らしい抵抗もしなかった。だが、この後にまた襲われても厄介だと考え、フィードは彼女の手の甲に一撃を与え、しばらくは剣を握れない状態にした。
 地力の差を見せつけたフィードにそれ以上襲いかかるものはいなかった。彼に狙いを定めるより、他の者を相手にするほうがいいと思った者や、今の戦いで倒れた者の板を今のうちに奪っておく方が得策だと考える者の方が多かったからだ。
 自分に敵意を向ける者がこれ以上いないことを確認したフィードはこの森の入り口に向かって走り出した。そして、しばらくした後、入り口で待っていた騎士に合格規定枚数の三枚の鉄の板を渡し、第一次試験の合格を受け渡されるのだった。
 既に合格を決め、悠々とそれぞれ好きな事をしている合格者へと視線を移す。地面に腰掛け、雑談を交わす者、次の試験の確認のためか騎士と話し込む者、他の合格者が現れないか入り口に視線を向ける者。十数名のいずれも一筋縄ではいかなさそうな合格者がそこにはいた。
 そして、その中にはまだケインの姿は無く、フィードは思わず森の入り口へ視線を向ける。

(ケイン……)

 未だケインの姿は森から現れなかった。
 そして、それから数時間が経った。フィードが合格を決めてから既に何名も合格者が現れており、タイムリミットの日の入りはもうすぐだった。先に合格を決めた受験者の中には地面に寝転がり眠りにつく者まで現れる始末だ。さっさと解散しろと言わんばかりに、いびきをかいている。
 ただ、それは他の合格者も同じ事でいつまでもこんな場所に残されるよりはさっさと宿に帰って身体を休めて次の試験の準備をしたいと思っているのだろう。だが、試験官でもある騎士は合格者の解散を告げることなく、試験の終わりをただ待っていた。
 そして、合格者の他に怪我等の理由から試験を諦め森の中から人が現れ始め、もう日が完全に沈もうとした時だった。
 森の入り口からボロボロになった一人の青年が現れた。軽装の皮鎧隙間にある下着は酷く割かれており、目元が片方大きく腫れ、身体の至る所に青あざができていた。
 ふらふらとおぼつかない足で必死に騎士の元へと向かう青年。そして、持っていた三枚の板を手渡し、名前を告げると、騎士が彼の肩に手を置き呟いた。

「合格だ」

 たった一言、業務的に言われた一言だったにも関わらず、少年の目からは一筋の涙が流れていた。試験時間残り僅か。そうだとしても、合格できた事が嬉しかったのだろう。
 気が抜けたのか、今にも倒れてしまいそうな青年の元にフィードは向かい、ふらつく彼に肩を貸す。

「お疲れさま。やったな、ケイン」

 祝いの言葉をかけると、ケインは力なく微笑み。

「そういう、フィードは余裕みたいだったね」

 と、皮肉を返してきた。まだ軽口を叩ける余裕があることを確認し、安心したフィードもまた彼に対して軽口を口にする。

「ああ、お前が相手にいなかったおかげでな」

 その言葉にケインは目元を大きく見開き、それから何かを決意したかのように告げた。

「いつか、本当にそう言わせてみせるよ」

 そうして、他の合格者の元へと向かって行く二人。ついに日は完全に沈み、試験の終了を告げた。試験官である騎士の張った声が空気を揺らしながら受験者に向かって響き渡る。

「これにて、騎士団試験の第一次試験は終了とする!
 合格者は明日、正午より順番に二次試験を開始していく。場所は受付を行った中庭だ。次の試験では自身の武器を使用可とするので、各々準備を万全にして来るように!
 では、これにて解散とする。負傷者の手当が必要なら救護班の元にて手当を受けるように」

 その言葉とともに第一次試験は終了した。現段階ではまだ多数の合格者を出している一次試験。二次試験は騎士達との手合わせになる。一対一の勝負ではあるため、一次試験に比べて楽に思えるが、実際のところ自身の真の実力が露になる分、一次試験にて気を失った敵から板を盗んで合格するといった狡い手は使えないだろう。
 そして、ケインのように明日までに完治しない負傷を負ったものにとっては厳しい試験になるだろう。おそらく、試験官となる騎士に勝てなくても合格が貰えるのにはそのような場合を想定して試験を行っているからだろう。
 勝てるのが最善だが、勝てないのなら相手が求めているものを自身が見つけて試験中に出さなければならない。明日の試験はある意味一次試験よりも難しいのかもしれない。

(だが、騎士に負けるつもりは俺にはさらさらない。早いところ合格を決めてリーネに会うんだ)

 そう決意するフィードの横では満身創痍のケインがいつの間にか寝息を立てていた。そんな彼を見てフィードは思わず顔をしかめながら、仕方が無いと腕をしっかりと肩に回し、意識の無い彼を宿に向かって連れていく。

「本当に、お疲れ。ケイン」

 必死に騎士を目指す青年に労いの言葉をかけ、フィードは夜道を歩いて行くのだった。
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騎士団試験開始

受付を済ませた日から僅かに時間は流れ、試験当日の朝が来た。事前の告知によって試験受験者に知らされていたハイル近郊の森の前へとフィードとケインは移動していた。既に周りには大勢の受験者がおり、他の受験者に対する威圧や、警戒心をそれぞれ醸し出している。ピリピリとした空気が周りに漂う中、かすれるような声でケインが呟く。

「いよいよ、始まるね。なんだか、緊張してきた……」

 そわそわと落ち着きの無い様子を見せるケイン。そんな彼を見てフィードは思わず溜め息を吐いた。

「今更不安になってもどうしようもないだろ。それより、どうやってこの試験を突破するかを考えた方がいいとは思わないか?」

「そうは言ってもさ、フィード。緊張するものは仕方ないんだよ! 僕からしてみれば君がなんでそこまで落ち着いていられるか不思議だね」

「だって二次試験はともかく一次試験は真剣を使わないんだろ? だったら命を取られる事はないんだから少なくともそこに気を回す必要がなくていいじゃないか。その分試験に集中できるだろ」

「それは、そうだけどさ」

 やはり不安さが残るのか、後ろ向きなケインにフィードは呆れたように告げた。

「ここまで来たらなるようにしかならないだろ。全力を持って試験に臨むのみだ」

「そうかな。……うん、そうだね。お互いに頑張ろう、フィード」

「ああ。まあ、実際に試験が始まってみて、もしケインだけ試験に落ちても俺を恨むなよ」

「酷いな。僕だってそんな簡単に試験を脱落するつもりは無いよ」

 少しは緊張がほぐれたのか、まだぎこちなさの残る笑顔をケインは浮かべた。そんな中、二人の話が終わるのを見計らったかのように試験を監督する騎士の声が周りに響いた。

「時間だ。今から騎士団員採用の第一次試験を行う。現段階であらかじめ試験を受けるため登録をしているもののみを受験資格があるものとする。これ以降に訪れたものはその場で不採用だ。時間も守れないものに試験を受ける資格は無い。
 今から貴君らにあるものを渡す。これだ……」

 そう言って、騎士が腕を上に掲げて手元から取り出したのは首飾り……のようなものだった。遠目には分かりづらいが、鉄製の四角い小さな板に太い糸を通しているものだ。板の部分には小さく何かが書かれている。

「これを今から一人一枚配る。試験中はこれを奪い合ってもらう。そうだな、一人当たり三枚といったところだ。これが合格の基準となる。
 もちろん、規定枚数以上のものを取ってもいい。ライバルは少しでも減らしたいとこの場にいる誰もが思っているだろうからな。しかし、制限時間があるため残り時間を考えて行動しなければいくら板を取ったところで失格となる。気をつけておく事だ。
 その他、細かいルールとしては、故意な首より上の攻撃、背後からの急襲は禁止とする。試験者の中には我々騎士団の一員も紛れており試験を監視しているので不正な行為を見かけたらその時点でそのものは資格なしと判断し、失格とする。
 それと、この板は特殊な刻印が施されているため、複製はできない。まあ、そんな事は考えないだろうがもし不正を考えているものがいるのなら止めておいた方がいい。
 試験時間は本日の日が沈むまで。その間、各々全力で試験に臨むように。騎士を目指すものとして恥ずかしくない戦いをする事を祈っている。私からの説明は以上だ」

 騎士がそう告げると、板を持った数名の騎士達が現れ、一人ずつ試験を受ける者の名前を呼び出し始めた。いよいよ試験が始まる。
 一人、また一人と板とこの試験で必要となる武器の木刀を受け取り、首にかけ、森の奥へと進んで行く。これは先に中に入ったものであればあるほど使う時間が増え、待ち伏せなどができるため有利になる。その事を理解している二人は自分たちの名前が早く呼ばれないかと待ちかねていた。

「次! ケイン。ケイン、いるか!」

「はい!」

 先に呼ばれたケインは騎士の元へ駆けて行き、最後に一度だけフィードの方を振り返った。

「それじゃあ、フィード。一足先に行かせてもらうね。お互い、全力を尽くそう」

「ああ、頑張ろうな」

 そう言って森の中へと消えて行くケイン。彼の背を見送り、フィードは己の名が呼ばれるのを待った。
 それから少し後、ついにフィードの名が呼ばれ、鉄製の板と木刀を受け取った。

「頑張れよ」

 騎士からの激励を受け取り、フィードは苦笑いを浮かべながら森へと進んだ。板を首にかけると、手にした木刀をギュッと握りしめ、周囲を警戒しながら先へ、先へと進んで行く。
 騎士団試験、その第一次試験がついに始まりを告げた。


 森の中に入り、辺りの状況を伺いながら彷徨う事数分。現在フィードがいる位置から少し離れた場所から男の怒声が聞こえてきた。

「おらぁっ! とっとと板を渡しやがれ!」

 相手に気づかれないように気配を薄め、そっと声のする方向へと向かって行く。しばらくして先程声を上げた男と、もう一人彼と対峙する別の男の姿が現れた。
 つば迫り合いにより、密着する二人。先程声を上げていたと思われる筋骨隆々とした男が均衡する状況を崩そうと力任せに木刀を押し込む。だが、それに負けじと今度は押されていた男が一手を仕掛ける。

「お前の方こそくたばれ!」

 決して体格に恵まれているわけではないが、細身ながら無駄な肉を絞っている印象の男は密着した状態から膝蹴りを放つ。それが見事に相手の鳩尾に入り、ウッと呻き声を上げ、相手を後方へ下がらせる。
 再びできた距離、対峙する二人の視線は鋭い。この僅かなやり取りで既に二人の額には汗が滲み、呼吸は乱れていた。自分の板を奪われる緊張感と、一瞬でも気の抜けない集中力。それらが急激に二人の体力を奪っているのだろう。
 再び相手の意識を刈り取ろうと二人が構えを取った時、体力の減り始めた二人を倒そうと、漁父の利を狙った第三者がその場に現れた。

「はっ! てめえら二人とも俺の獲物だ!」

 近場に落ちていた。小石を手に取り二人に向かって投げつける男。急に現れた第三者に二人の意識が逸れる。向かって来る小石に対処しようと一人は木刀を薙ぎ払い石を叩き落とし、もう一人は地面を転がり回避した。
 だが、その間に男は二人との距離を縮め、より近くにいた筋骨隆々とした男の脇腹に持っていた木刀を振り抜いた。

「おらよ!」

 いくら木刀といっても当たりどころが悪ければ死に至る。まして、力ある者がそれを振るえばその威力は真剣にも劣らない。切断力はほぼ皆無だが、その分打撃に優れ、切る、ではなく当てることを前提にする。
 当然、全力で振るったその木刀はいくら筋肉の鎧に覆われているとはいえ、その内部にある骨を打ち砕く威力を持っており、結果としてゴキッという骨が折れる鈍い音を周りに響かせた。

「くっ、ぐうぅぅ……」

 激痛から思わずその場に倒れ込む男。そんな彼の首からすかさず鉄製の板を奪い取り、第三の男はもう一人の細身の男に向かって駆け出した。

「お前もくたばっちまいな!」

 中段に木刀を構え、速度を上げて距離を詰める男。そんな彼に細身の男は思わぬ一撃を与える。

「て、天を照らす太陽の欠片! その欠片の欠片を我に与えたまえ――フレア――」

 この場にいた誰もが想像しなかった魔術の詠唱。これまで木刀の打ち合いや肉弾戦ばかりしていたため気づかなかったが試験の説明をした騎士は確かに魔術の使用を禁止していなかった。おそらくは、不意打ちや汚い手段に使わなければこれも個人の技能として認められるのだろう。
 細身の男の手元に浮かび上がった火球は勢いよくその場から解き放たれた。目標めがけて飛び行くそれは対象の足下にぶつかると同時に爆散した。そして爆発の余波によって的であった男は吹き飛ばされる。
 その衝撃が余程強かったのか、男は背後にあった樹に後頭部をぶつけ、気を失った。残された細身の男は気絶した男から二枚の板を奪い取り、森の入り口へと向かおうとする。だが……

「おっ! さっそく、一人カモをはっけ〜ん」

「悪いが、そいつは俺の獲物だ」

「ふっ、君たちまとめて僕が正々堂々と片付けてあげよう」

「騎士になるのはこの私です!」

 次々に現れる別の受験者たち。倒しても倒しても終わりの見えないこの戦い。このバトルロイヤルは素早く敵を打ち倒し、合格規定枚数の板を手に入れた後、速やかにこの森を出なければ行けないのだ。
 予想以上にえげつないこの試験内容に深い溜め息を吐くフィード。だが、このまま動かないでいるのも不味いと判断した彼は、この場の戦闘に参加する事に決めた。

(まあ、いくら面倒でもこんなところで負けるわけにはいかないからな)

 己の目的のため、フィードはただ愚直に前に向かって突き進むのだった。
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書き置き

暗闇の底から自然と意識を引きずり上げられる。目指す先は光の向こう。徐々に開いて行く目蓋が朝日を浴び、その眩しさから思わず薄目を開けて周りの様子を伺う。見慣れない広い部屋がそこには存在し、起き抜けのまだ覚醒していない頭を必死に働かせ、ようやくここがハイルの城下町にある宿の一室であることを思い出す。

(ああ、そう言えば昨日ウィンと相部屋をしてこの部屋に泊まったんだったな)

 次第に鮮明になってゆく思考で昨晩の出来事を思い出すフィード。そう、彼は昨日成り行きから知り合った少女、ウィンと共にこの部屋で一晩を明かしたのだった。
 この部屋に到着した時、まだまだ元気の有り余っていたウィンとは対照的に旅の疲れが溜まっていたフィードは部屋について早々睡魔に襲われてそのまま意識を手放したのだった。
 普段の思考が戻るに連れてフィードはある事に気がついた。そう、昨晩までは一緒にいたはずのウィンの姿がこの部屋にはなかったのだ。もしかして食事を取りにでも行っているのだろうかとフィードは思ったが、その答えを代弁するように部屋の肩隅に置かれた机の上に一枚の書き置きがあった。
 身体を起こし、ベッドから抜け、書き置きのある机へと向かうフィード。そこに書かれた内容を見て彼は思わず苦笑した。

『この部屋を出て行く前に挨拶をしようと思ったけど、何度起こそうとしても起きないから諦めたわ。代わりにこの紙に文句を書いておくことにしたから。
 まず第一に、女性一人を残してさっさと眠りにつくなんて信じられない! 騎士を目指す男として女性を放ったらかしにしておくなんて事はマナーが欠けているにもほどがあるわ! もう少ししっかりしなさい!
 それから第二に、あれだけ自分で相部屋の問題について語ってたのに不用心すぎるわ。私がもし金品を盗ろうと思ったらすぐに盗れたわよ。
 最後に、私はこれ以上ここにはいられないから先に出るわ。代金の支払いは済ませておいたからゆっくり休んでる事ね。あ、ちなみにこれは助けてもらったお礼であって他意はないから。それと、帰りは優秀な護衛がついているので無事に家まで帰れます。
 ほんの少しの付き合いだったけれど貴方と一緒にいれてあまり悪い感じはしなかったわ。もし、騎士になることがあれば顔を合わせる事もあるかもしれないので、その時はまた相手をしてあげないこともないわよ』

 お説教なのか、心配してくれているのかわからないその書き置きはほんの少ししか接していなかったとはいえ、いかにも彼女らしいものだった。その文からどのような表情で自分に向かって言葉を投げかけているのかが容易に想像できてしまう。

「それにしても部屋代を出しておいたって、そんなこと別にしなくてもよかったのに」

 既にこの場を去ってしまった彼女に対しての文句を呟くフィード。それとは別に気になる一言が手紙の最後には付け加えられている。

「この、騎士になれば顔を合わせる事になるかもってどういう意味だ?」

 それだけが分からず、少しの間頭を悩ませていたが考えても答えはでなかったので、そのことについてひとまず頭の片隅に置いておいた。
 今日彼が向かうべき場所は既に決まっていた。そう、騎士団試験を受けるために再び城に向かい、受付を済ませる事だ。だが、日の昇りようを見る限りまだ受付が始まる時間とも思えない。その間の時間を潰すためにフィードは一階にある酒場で食事を取る事にした。
 着ている服を脱ぎ、持ってきた替えの服に身を包む。身支度を終えると、彼は下に降りた。既に一階にはフィードと同じように食事を取るために起きだした幾人もの人々にて席が埋まっていた。そして、その中には昨日別れたケインの姿があった。
 フィードがケインの存在に気づくと同時に、彼の方もまたフィードがこの場にいる事に気がついた。明るい笑顔を浮かべてブンブンと大きく手を振る。

「フィード! こんなところで偶然だね」

 声をかけられた以上それを流すわけにもいかず、フィードはケインの対面の空いている席に腰掛けた。

「そうだな。昨日別れたと思っていたらこんなところでまた出会うなんて。案外縁があるのかもな」

 冗談めかしていうフィードだったが、ケインの方はそうは思わなかったのか、「その通りかもね」と呟いて大げさに頷いた。

「それはそうとフィードの方はもう用事が済んだのかい?」

「いや、実を言うと思っていたよりも厄介な状況になってな……」

 事情を知らないケインは一体どういう事だと首を傾げた。そんな彼にフィードは昨日起こったできごとを説明した。

「へえ……結局フィードの目的の人には会う事ができなくて、会うためには騎士団の試験に合格しないといけないってこと?」

 ある程度話を省いて説明したが、ケインは特に話に横やりを入れることなく、今伝えた話だけを聞いて納得をしていた。

「まあ、そういうことになるな。無理矢理中に入ろうかとも考えたけど、後々面倒な事態になりそうだったからそれは止めておいた」

「あははっ。そりゃあ、そうだよ。騎士団の本部がある城内に勝手に侵入して無事に逃げられる方がおかしいもん。ほとんどの場合すぐに捕まって牢屋行きだよ」

「いや、頑張ればどうにかなるぞ」

「何言ってるんだよ、フィード。全く面白い冗談を言うなぁ」

 フィード自身冗談を言っているつもりはなかったが、ケインからしてみればそう聞こえるのだろう。それはつまり城の警備がいかに堅いかを証明するものであり、生半可な実力ではすぐさま捕らえられてしまう事を意味した。

(となると、やっぱり無理矢理中に忍び込むのは無理か……。下手したら犯罪者扱いだ)

 そんな風に考えていると、先程フィードの姿を見つけたときよりもケインが目を輝かせてフィードを見つめている事に気がついた。

「その事情があるにしても、フィードも一緒に騎士団試験を受ける事になったんだね」

「まあ、一応はそうなるな」

「そっかあ。いや、なんだか少し安心したよ」

「安心? どうしてだ?」

「だってさ、考えてみてよ。僕や他の人もそうだけど、ほとんどの人はここに一人で試験を受けにきているわけで知り合いなんて少ないじゃないか」

「ああ、そうだな」

「そんな中顔見知りが一人でもいるってだけで緊張感も少しはほぐれるものだよ」

「そうかもしれないな。だけど前にも言ったようにもし騎士団試験を一緒に受けるとなるとそれは相手を蹴落とさないといけない状況になるかもしれないんだぞ。それでもいいのか?」

「う〜ん、できることならそんな状況になってほしくないとは思うけど……。でも、もしそうなってもお互いに全力を出し合えばいいだけじゃないかな? だって、二人とも自分の目的を達成させるためにここにいるんだからさ。気力を出し切ればそこには不満は生まれないと思うんだ。
 たとえ相手に負けて自分が騎士になる道を閉ざされてもまだ次があるんだし、今回は自分の実力が足りなかったって思えるしね」

 思っていた以上にまともな答えが返ってきてフィードは少し驚いた。ケインがここまで考えて自分を試験に誘っているとは思わなかったからだ。

「正直、意外だ。ケインはもっと単純な理由で俺を誘っていると思っていた」

「なにそれ。もしかして、一人で試験を受けるのが不安だとか、そういうこと? まあ、確かにそういった事を思っていないわけじゃないけどね。
 ほら、フィードと手合わせ何度かしてもらったでしょ。あの時にフィードは僕よりも剣の腕が立つなって思ったんだ。だったら少なくとも僕より場数を踏んでいそうだし、色々と助言を貰えるかもと思ったんだよ。
 なんだかんだで、フィードはいい人みたいだしね。それで一緒に試験を受けないかって誘ったっていうのもあるよ」

 予想もしなかったケインのしたたかな考えに今度こそフィードは舌を巻いた。ケインに対する認識を改めないといけないなと彼は思った。目の前にいるのはただの純朴そうな田舎出の青年ではなく、自分の目的を達成するためにはどんなものでも使う、ある意味自分に似た人種だと。
 そして、それを意識せず普通に行おうとしているところから余計にたちが悪いという事も。

「どうかしたのかい、フィード? さっきから黙っているようだけど」

「いや、何でもない。人は見かけによらないものだなと思っただけだ」

「ふ〜ん。まあ、いいや。それよりもフィードも今から朝食だよね。僕もまだなんだよ。よかったら一緒に食べようか」

「ああ、この席に座った時から俺はそのつもりだよ」

 そうして二人のささやかな朝食会は始まりを告げた。それから食事が二人の前に並ぶまで、二人は騎士団試験に関しての話をするのだった。


 ケインと共に朝食を食べ終えたフィードは彼を連れて、昨日と同じように騎士団試験の案内のある城の前に来ていた。門を通り、城に続く道を通り中庭へと辿り着く。
 中庭の中央には噴水がおかれており、その周りから外周に沿って幾つもの花が植えられており、人々の目を癒していた。そして、噴水から少し離れた場所に数名の騎士が木製の椅子に座り、長机の上で試験を受けにきた者の名前を一人一人書き込んでいた。
 そこには既に長蛇の列ができており、フィードはその最後尾に並びながら己の番が回ってくるのを待っていた。ケインは昨日のうちにこの作業は終えているため、フィードから少し離れた位置に立ち、彼の作業が終わるのを待っていた。
 待ち時間、特にやる事もなかったためフィードは城の外観を眺めていた。こうしてみるとやはり大きい。城の最上部は首を真上に上げないと見えない。そこには幾つか窓枠が取り付けられており、おそらくあそこに住んでいるのはこの国の指導者であり、最高権力者である女王やその親族たちなのだろうと想像する。

(騎士達は頭の固い富裕層や貴族の相手もしなくちゃならないんだろうな、俺だったらごめんだな)

 相手に遠慮して、媚びへつらうなんて事は死んでもごめんだなどと思っていると、いつの間にか自分の番が来ている事に気がついた。

「次、名前は?」

 受付をしている騎士に呼ばれフィードは視線を下げる。そして、騎士に顔を合わせて驚いた。

「確かお前、リーネの隊の……」

 そこにいたのはかつてセントールに訪れたリオーネの隊の一員、エリオードだった。予想もしなかった再会にお互い言葉が出てこない。特に、エリオードの場合は前回の一件での罪悪感があるのだろう、居心地が悪そうにしていた。

「何故あなたが……。いえ、それよりも騎士を目指すためにこの試験を受けにきたんですか?」

「いや、そういうつもりじゃないんだ。実はリーネに会いにきたんだけど、門前払いを受けてね。話がしたけりゃ騎士になれってことで試験をうけることになってるんだ」

 と、そこまで話したところでフィードは彼がリオーネの状況について何かしらないかという考えに至った。

「なあ、お前リーネの事件の事知らないか? 同じ隊だったら何か知ってるだろ。あいつは無事なのか?」

 そう質問したものの、エリオード自身も困ったように微笑むのみだった。

「実を言うと僕も副隊長のことについてはよくわからないんです。噂になっている事件があった日は副隊長は一人で特別な任務に就いていたみたいで、その内容も明かされていなくて。それで、事件があった日から自室にて療養中という事で隊のみんなも一度も姿を見ていなくて。
 唯一事情を知っているのはうちの隊の隊長であるグラードさんなんです。でも、心配するなの一点張りで。隊長がそういうからには無事だとは思うのですが」

「そうか……。同じ隊のお前でも知らないとなると、こりゃ本当に直接会うしかあいつの様子を確かめる事ができないな」

 長く話しすぎたため、後ろに並ぶ人が苛立ち始めたことに気がついたフィードはそこで話を切った。

「ありがとな。それで、騎士団試験って実際のところなにをやるんだ?」

 フィードのお礼にエリオードは戸惑っていたが、すぐに他の人と同じように試験の説明を始めた。

「はい。試験の方は一次、二次、三次とあります。一次試験では試験を受けにきた人全てに首掛けを渡し、それを奪い合うバトルロイヤルを行ってもらいます。
 そして、二次の方では一次試験を突破したものの実力をより見極めるために現騎士団の隊員たちと直接戦ってもらいます。もちろん、勝つ事ができれば最良なのですが、こちらも鍛えているため勝つ事ができるのは難しいかもしれません。そこで、今後に見込みがあるものがいればたとえ戦いに負けたとしても、試験を担当した騎士の裁量で合格を渡し、次の試験に挑む事ができます」

「ふ〜ん。それで、三次試験の方はなにをするんだ?」

「三次試験の方は面接ですかね。本当にその人間が騎士として正しい資質を持っているかどうかを見極めるものになります。たとえ実力があったとしても、人格破綻者だったり、騎士として相応しくない人を隊の一員として認めるわけにはいきませんからね。
 ただ、ここだけの話。最近はここはあまり重要視されていない傾向にあります。恥ずかしい話ですが、騎士の中には人々が思っているような高潔な精神を持っていない人がいるのも事実ですから」

 そこまでの話を聞いてフィードはどうしたものかと考える。一次、二次試験を通る事はどうにかなりそうな気もするが三次試験はおそらく自分には厳しいかもしれないと考えたからだ。

(元々騎士になるつもりはないし、二次試験を通り抜けたとしてもそこで落とされる可能性があるんだよな……。どうにか、その時だけ猫を被っておくしかないか)

 そもそもの目的がリオーネに会う事なのだ、その目的を果たせばその後騎士失格の烙印を押されたところでたいして気にならない。

「うん、よくわかった。説明ありがとな」

 そう言ってその場を去ろうとするフィード。だが、そんな彼をエリオードが声をかけて引き止めた。

「あ、あの! あの時は、セントールでの事は申し訳ありませんでした。本当なら、向こうにいた時に謝らないとって思っていたんですが、勇気が出なくて」

「別に謝らなくてもいいさ。お前はただ操られていただけなんだから」

「それでも、あれが僕の本心であった事は変わりません。だからといって、騎士が民間人を傷つけていい理由にはならないです」

「なら、なおさら気にするな。俺は民間人っていうほど柔な人間じゃない。あれくらいの荒事なんてそれこそ日常茶飯事だ」

 そう告げて今度こそフィードはその場を後にする。残されたエリオードは複雑な表情を浮かべながらも、次の人の対処に追われる事になった。
 並んでいた列を逆戻りし、フィードは待っていたケインに話しかける。

「待たせたな、用はもう済んだよ」

「そっか、それじゃあ宿に戻ろうか。そういえば、フィード。受付をしている騎士と何か話していたみたいだけど、なに話していたの?」

「なに、もう終わった事さ」

 その返事にどこか不満そうな顔をするケイン。そんな彼に笑いかけながら、フィードは宿に向かって歩いて行く。
 そんな彼の姿を城の窓枠から眺める影が二つあった。一つは屈強な体格をし、人々の信頼を一身に受ける騎士団の顔であるエルロイド。不適な笑みを浮かべ、窓枠に手をかけ、去り行く彼の姿を見送る。
 そして、もう一つは……。

「ふん、ホントに来たんだ。ま、精々頑張りなさいよ」

 プラチナブロンドの髪を揺らす一人の少女だった。
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アルとイヴ

フィードがハイルに到着した頃、セントールに残されたアルは置いて行かれた事が気にかかって仕方がないのか、仕事に身が入らず、ここ数日失敗を繰り返していた。
 皿を割ったり、頼まれた注文を間違えたり、途中で注文された品を落としたりと些細なミスが目立った。幸い、お客さんの多くは常連の人ばかりで、久方ぶりにこの下町に帰ってきたアルの姿を見れただけでも儲け物だとその程度の失敗は笑って済ませてくれていた。
 しかし、このままではいけないということはアル自身感じていたし、そんな彼女にとても苛立っている人物が一人いた。

「ちょっと、落ち込むのは別にいいけど仕事はしっかりしてよ!」

 そう、イオだ。かつてフィードに助けられこの店で働く事になった彼女はこの数ヶ月フィードと一緒にアルが旅をしている間もこの店を女将であるグリンと共に回しており、当初はあまりできなかった仕事の処理速度の向上や調理などはとても上達しており、アルとはすっかり差ができてしまっていた。
 それとは別に彼女はフィードに惚れている。自分でもそう宣言していた。それがどの程度のものなのかはわからないが、そんな彼女にとって無条件で彼の傍にいられるアルは妬ましい存在そのものであろう。苛立つ原因の一端にはこれもあるだろう。
 にも関わらず、その事に関して彼女はフィードに直接文句を言わないし、ただ黙々と日々の仕事をこなして彼の帰りを待っている。もしかしたらここには帰らない可能性だってあるのかもしれないのに、それでも彼女はフィードがこの宿屋に帰って来ると信じて待ち続けているのだ。
 そこにはある種の信頼感があった。あやふやで、未だに形を定められない自分のフィードに対して向ける想いとは違って……。彼女の意思は堅かったのだ。
 傍にいられない分、強く、強く信じて待っているのだ。もし裏切られて姿を消されたとしても、何年か後にふらりと姿を見せた時に笑顔で迎えられるように。それほどの決意を既に彼女は持っているのだ。
 そんな彼女の前でこれ以上無様な姿を晒すわけにはいかない。そう思ってアルは仕事に集中して頑張ろうとする。しかし、実際にそう思ったからといってその通りに行動できれば苦労はしないわけで……。

「あっ!」

 カウンターの上に置かれたドリンクを運ぼうとしたところ手が滑って落としてしまった。
 さすがにこれが我慢の限界だったのか、他のお客の注文を取っていたイオがアルの元へと駆け寄り、お客からは見えないようにアルの額に指を強めに弾いて叱咤する。

「今日はもういいわ。今のあんたにここにいられても邪魔になるから、一度外にでて頭を冷やしてきなさい。ここは私がやっておくから」

 そう言って、カウンターの奥から乾いた雑巾を持ってきて床に零れた飲み物を拭いた。アルはどうすることもできず、思わずグリンの方を見たが、彼女もまた苦笑いを返し、

「確かに、今のアルちゃんは一度落ち着いたほうがいいのかもね」

 と呟くのだった。気を使われていると思ったアルは二人に申し訳なく思いながらも、今の自分がここにいても邪魔になってしまうと感じ、首に掛けていたエプロンを外し、店の外へ出るのだった。そして、そんな彼女を見てイオはこっそりと溜め息を吐いた。

「もう……しっかりしなさいよね」

 その呟きは誰の耳に届くわけでもなく、客の雑談に混じって消えるのだった。


 店を出たものの、特に行く場所もないアルは下町をぶらついていた。あのまま店に出ていたとしても失敗を繰り返し、邪魔になっていたのは明らかなためある意味で追い出されてよかったと彼女は思っている。しかし、だからといって落ち込まないわけではなく、自分が役に立てていないという現実は心を重く、暗くした。

(はぁ……私は一体なにをしているんでしょう。マスターの役にも立てないで、グリンさんやイオ……さんにも迷惑をかけて。このままじゃいけないのに)

 落ち込む彼女の脳裏に浮かぶのは数日前、彼女の主とも言えるフィードから告げられたある一言だった。

『いいんだよ。もうアルは誰かに縛られるような生き方をしなくてもいいんだ。無理に俺の傍にいる必要もない。昔はともかく、今はグリンさんやイオもいる。ここで一人で生きて行く事だってできるんだ。
 だから、俺が戻ってくるまでにこれからどうするかをちょっと考えていて欲しいんだ。何も好き好んで血の飛び交う場所に付いてくる必要はない』

 それは少し前にジャンにて起こったある戦いを経て彼が出した提案だった。自分の傍にいれば人が死に、大切なものを奪われて行く。そんな現実を何度も目の当たりにし、命の危険に晒されてまでも自分の傍にいる必要はないと彼がアルに対して告げたのだ。
 そんな彼の提案をアルは否定するつもりだった。以前に誓った約束から。フィードが望んでくれるのならば、自分はずっと傍に居続けると。
 だが、今になって思う。それはある意味で選択を彼に委ねていたのではないのだろうかと。彼が望んでくれるから傍にいるのではなく、自分で考えて隣に立ちたいと思っているのか? そう思った時、彼の隣に並び立ちたいと思うと同時に、今の彼の狂気的な一面を垣間見て、少なからず恐怖を感じている自分がいる事に彼女は気がついた。

(私は、あの時のマスターが恐ろしいと思ってしまいました。李名さんが犠牲になって、香林さんが悲しんで、その痛みに共感するよりも復讐のことを考えているマスターが……。
 だから、あんなことを言われたんでしょうか。私の事を気遣って、傍にいなくてもいいようにするために)

 考えても、考えても答えは出ず、ぐるぐると頭の中を駆け巡る思考の波にアルは疲れてしまい、路地の一角に入り、その場にしゃがみ込む。
 建物と建物の間、光の入らない路地は静かだった。すぐ外に出れば道行く人々の喧噪が聞こえるというのに、まるで境界線でもできているかのように路地と通りにはある種の壁ができていた。
 日陰の中に入り、しばらくの間ぼんやりと通りを眺めるアル。特にやる事もなく、身体を丸めてうずくまっていた彼女はふと、ここ数日魔術の練習をしていないことを思い出した。フラムにてフィードにその基礎を教えられ、それから彼がいる時に一緒に魔術を扱えるように練習していた。一人でやってはいけないと言われていたが、最近では魔力の流れを感じ取る事もでき始めていたため、こっそりと練習もしたりしていたのだ。
 そして、その結果一つだけ魔術を扱えるようになった。

「よし……」

 気を引き締め意識を集中させる。魔力の流れを感じ取り、それをイメージした魔術として形作る。自然と頭には詠唱の言葉が思い浮かび、頭の中のイメージが固まったと同時にそれを口にする。

「大気を漂う数多の液体。その欠片を集め、我に与えたまえ――アクア――」

 詠唱を終えると同時にアルの目の前には拳一つ分の大きさの小さな水の玉が浮かび上がった。プカプカと揺れながら宙を漂うそれを見て、魔術の発動を成功させた事を確信する。彼女が現在、唯一できる魔術がこれだ。
 そして、これを発動させる事ができるようになったことを彼女はまだフィードに伝えていない。こっそりと一人で練習し、いつかできるようになった時に見せて驚かせようと思っていたのだ。
 しかし、このような状況になってしまい、フィードと離れたことでそれを見せる事は今は叶わない。誰も彼女の頑張りを褒めてくれる人はいないのだ。
 僅かな虚しさを感じながら、アルは宙に浮かぶ水球を人差し指でつつく。水は少しの弾力を指に与えながら、内部への侵入を拒まなかった。ひんやりとした冷たい感触が指から伝わって来る。そんな風にして魔術を使って気を紛らわしていると、ふいに路地の奥から視線を感じた。
 顔を上げ、奥を見ると、そこにはアルと同じ年頃の少女がこちらを眺めている事に気がついた。

(誰……でしょうか?)

 この町に住んでだいぶ経つが、一度も見た事のない少女だった。背丈は低く、今のアルよりも僅かに小さい。
 くすんだ灰色の髪は目元までかかっており、どこか萎縮した態度は何かに怯えているように見える。 服はボロボロで、一見すると乞食かなにかにしか見えない。
 そして、何よりも特徴的なのは顔の左半分を覆う面だ。白地に何かの模様が描かれたそれは自然と人目を引く。そんな不思議な雰囲気の少女がジッとアルを眺めていたのだ。

「あ、あの〜」

 その場から動かず、何も話さない少女に対して意を決してアルは話しかける。アルの言葉に少女は一瞬ビクリと身を震わせ、キョロキョロと辺りを見渡した後、ようやく自分が声をかけられているのだと気がついた。

「わ、わた……し?」

 おどおどと、自信なさげに返事をする少女にアルはコクリと頷く。

「はい。えっと、先程からこちらを見ているようですけれど、どうかしたんですか?」

「あの……まじゅ、つ。わたしと、同じくらいの人が使ってるの初めて……みた、から」

 何度も言葉につかえながら答える少女。どうも、自分とそう変わらない歳のアルが魔術を使っているのが珍しかったのだろう。そのことにアルは恥ずかしさを覚えると同時に嬉しくなった。誰にも見せていない魔術を純粋に褒めてもらう事ができて胸が温かくなったのだ。

「ありがとう……ございます。もし、よかったら少しお話ししませんか?」

 気がついた時にはそんな事を口にしていた。少女はしばらく迷っていたが、やがて遠慮がちにアルの傍に来て、同じように座り込んだ。

「初めまして。私、アルって言います。あなたのお名前は?」

 自己紹介をするアルに少女はやはり言葉につかえながら答える。

「い、イヴ。あの……よろしく、ね」

「はい、よろしくお願いします」

 偶然出会った二人の少女。お互いの素性も、何もかも知らないこの時のアルはまだ気がつかない。この出会いによって一体なにが起こるかという事を。
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世間知らずなお嬢様

熱気のこもった酒場を後にし、フィードと少女は路地の一角に来ていた。先程の怒りがまだ収まらないのか少女は何度も地面を踏みつけていた。

「もうっ! もうっ! ほんっ……と最低! あの男、思い出しただけで腹が立つわ!」

 ブンブンと腕を振り回し、地面を踏んで怒りを解消する彼女を見てフィードは苦笑する。先程から感じていたデジャブの正体を彼女を見ていて思い立ったからだった。

(そうだ、この子昔のリーネに似ているんだ)

 出会った当初、まだ富裕層だったときの癖やプライドが抜けていなかったリオーネは何度も我が侭を言ったりしてフィードを困らせた。やれ金は払いたくないだとか、こんな汚い服は着れないだとか。
 その事を思い出して懐かしさを感じると同時に、ある疑問が浮かんだフィードはストレスを吐き出し満足したのか、少しだけ大人しくなった少女に問いかける。

「なあ、お前こんな場所にいるようなやつじゃないだろ。富裕層の家系の人間じゃないのか?」

 その問いかけに少女の表情が凍り付く。

「えっ……な、なんでそう思うの?」

「いや、お前に似たようなやつが俺の知り合いにいてさ。一時期一緒に生活していたんだけど、最初の頃に見せた世間知らずっぷりや、他の人への対応がお前にそっくりだったから」

 フィードの言葉にあからさまに動揺する少女。おそらくは彼の予想通り彼女は裕福な家庭の人間なのだろう。あの店には興味本位で訪れたのだろう。

「別にこういった場所に来るなとはいわないけど、もうちょっと考えて行動した方がいいぞ。女一人で歩くのは結構危ないんだから。家ではどんな過ごし方をしているかはわからないけど、ここはお前の思っている常識が全部通用する場所じゃないんだから。せめて護衛かなにか付けて来た方がいいぞ」

 フィードの指摘を聞いて、それが事実なのが恥ずかしいのか、少女は顔を真っ赤にして叫ぶように反論する。

「うっさい! わかってるわよ、そんなこと。さっきだってあなたに助けてもらわなかったら痛い目に遭ってたって事も、自分の思い通りにならないってことも!
 ええ、ええ。ごめんなさいね! どうせ私は世間知らずですよ。それがわかってて、今の状態が嫌だからこうして街に出てきてるんでしょうが!」

 目尻に涙を浮かべて悔しそうにする少女にフィードは自分が少女をいじめているような気分になって心中複雑なものになっていた。

「あ、あ〜。そうか、わかっているならそれでいいんだ。別に責めるつもりはなかったんだが、そう聞こえたのなら悪かった」

 フィードの謝罪の言葉を聞いて再び表に出そうになった怒りを抑えた少女。そして、一度溜め息をついた後、落ち着いた様子で今度はお礼の言葉を述べた。

「なにはともかく、助けてもらったお礼はきちんとしないとね。私はウィンディ……じゃなかった。ウィン、よ。この度は危ないところを助けていただき感謝いたしております」

 それまでとは違って急に丁寧な口調で礼をする少女、ウィン。その仕草はまさしく富裕層の挨拶に近いもので、今は普通の服を着ているが、まるでドレスの裾を掴んで礼をしているようなその仕草にフィードは一瞬見蕩れた。
 だが、本当にそれまでの粗雑な口調とはまるっきり違う彼女の仕草に驚いてしまい、思わず言わなくてもいい余計な一言が彼の口から零れ出た。

「お、おぉ。ちゃんとお礼が言えるんだな」

 それを聞いたウィンは心外と言わんばかりに文句を告げる。

「失礼な! 私だってちゃんと感謝をしていたらお礼を述べるわ! もう……せっかくちゃんとお礼の言葉を口にしたのに。私に感謝の言葉を与えられるなんて滅多に無い事なのよ! 今回の件を誇りに思ってもいいのよ!」

 自信満々にそう言う彼女にフィードは、

「ああ、そうか。うん、わかったから早いとこ家に帰れ。家までなら送ってあげるから」

 と冷たく話を流した。

「なっ! ちょっと、もっときちんと聞きなさいよ」

 予想外の反応に傷ついたのか、ウィンはムッとしてフィードを睨みつける。だが、そんな少女の鋭い眼光を受け流し、フィードは話を進める。

「それとも家出でもしているのか? そんなことしてもいつかは家に帰らないといけないんだから。子供一人で生きてくのにウィンが思っている以上に大変なんだぞ」

 優しく諭すフィード。彼の言っている事は事実であり、悪気が無い事も彼女はわかっているため、彼女もあまり文句を言わない。

「わかってるってば。それに、家出じゃないし! ちょっと外に出てるだけだし!」

 大人に黙って勝手にこうして出ているのならそれは家出というんじゃないのだろうかとフィードは思ったが、これ以上何かを言っても事態がややこしくなると思ったため、何も言わない事にした。

「それで、家に帰るつもりはあるのか?」

「……今日は帰らない」

「そう……。で、宿はあるの?」

「……さっきのとこ」

 ウィンの返事を聞いて深い溜め息を吐き出すフィード。一体どうしてこんな事になってしまったのかとほんの少しだけ後悔する。

「そっか、それじゃあとりあえずさっきの店に戻ろうか」

 なるべく先程もめ事を起こした男と顔をあわせないようにして彼女を戻そうとフィードは思い、宿に向かって足を進めようとする。だが、そこで唐突にそれまで気にかけていなかったある事を思い出した。

「ウィン……ウィン?」

 彼女の名前をどこかで聞いたことがあると思い、記憶の隅から忘れている何かを掘り起こす。そして、それを思い出したフィードは思わず驚きの声を上げた。

「ああ! ウィンってもしかして!」

「えっ? な、なによ」

 確か宿屋の女性店員が口にした相部屋にできるかもしれない相手の名前がウィンだった。しかも先程の宿屋に部屋を取っているところを見ると、彼女が本人と見て間違いないだろう。もうだいぶ日も暮れ、今から新しい宿を探しても空き部屋が見つかる可能性は低いだろう。最悪野宿をしても構わないが、ここ数日温かなベッドの上で寝ていないフィードとしてはその選択は避けたいところだった。

「こんな時に言うのは非常に申し訳ないと思うんだけど、ウィンに頼みがある」

 あくまで頼み事をする立場なため、下手にでるフィード。先程まで説教に近い忠告を聞かされていたウィンは彼が下手にでてお願いごとをしはじめたことに機嫌を良くし、強気の態度にでた。

「ふ〜ん、まあそのお願いごと次第だけど聞いてあげない事も無いわ」

「ああ、実は今日の宿を探しているんだけどあいにくどこの宿も一杯で。さっきの宿の店員に聞いたら相部屋だったら一部屋空いてるって言っていたんだよ。で、それがウィンの部屋だったんだけど、ウィンさえよかったら相部屋をお願いしたいんだが」

 断られることを覚悟してフィードはウィンに相部屋の許可を貰おうとお願いするが、ウィンの返事は彼の予想の斜め上をいっていた。

「えっと、ごめん。相部屋ってなに?」

 彼女の世間知らずぶりに再度呆れるフィードだったが、一応説明をしておく。

「相部屋って言うのは同じ部屋に他の客と泊まることをいうんだ。今みたいな騎士団試験を受けに来た人が多くいる時期なんかは一人につき一部屋だと泊まる人が限られるだろ? そんな時に他の客と同じ部屋を使う事でそういったことを防いだりもするんだ」

「ふ、ふ〜ん。そうなんだ。でも、それって問題とか起こるんじゃないの?」

「まあ、もちろん問題が無いわけじゃないけどな。荷物の盗難だったり、人同士のトラブルとか。でも宿泊代は安くなるし、寝床も確保できる。利点もきちんとあるんだ」

「それで、あんたは私にそれを頼みたいって言う事?」

「まあ、男と同室で一夜を過ごすって言うのは抵抗あるだろうし、無理なら構わない。探せば他の宿に空き部屋もあるかもしれないし」

 フィードがそう告げると、しばらくウィンは悩んだ素振りを見せた。それも当然、会ったばかりの男と同室で寝るというだけでも女性からしてみれば精神的に苦痛を伴う場合があるからだ。軍などの特殊な環境でなければそれは普通の反応だろう。
 やっぱりいいとフィードが声をかけようとしたところで、答えが出たのか、ウィンが彼の顔をジッと見つめて香告げた。

「……別にいいわよ。その代わり、絶対に変なことしないでよ! もし何かしたらあんたの命ないから」

「あ、ああ。わかった、ありがとうな」

 ウィンの気迫に僅かに後ずさりながらもフィードはお礼を述べる。ひとまずこれで今日の宿は確保する事ができた。
 お礼の言葉を受け取ったウィンは恥ずかしそうにもじもじとしていた。不思議に思ったフィードがどうかしたのかと様子を伺う。

「どうしたんだ?」

「……だ〜っ! 私、男の人と同じ部屋で寝た事無いの! 恥ずかしいんだからそんなこと言わせないでよ!」

 それを言っているのは自分だろと思いながらもフィードは口にしなかった。

「ともかく、宿に戻ろう。受付も済ませておきたいし」

 そう言って再び宿に戻ろうと足を進めるフィード。だが、ウィンはそんな彼の服の裾を掴んで動きを止めた。

「ちょっと、私まだあんたの名前聞いていないんだけど」

 言われてみれば確かに名乗っていなかったような気がした。これから同じ部屋に泊まるというのに相手の名前も知らないのは失礼だろうと思い、フィードはウィンに名乗る。

「俺の名前はフィードだ。今日一日よろしく頼む」

「そう、フィードって言うのね。よろしく……」

 そうして今度こそ宿に戻った二人。夜は暗さを増し、僅かな明かりが街を照らしていた。


 宿に戻り、受付を済ませた二人は宿屋の二階にある一番大きな部屋の中にいた。人二人どころか四人は入るほどの大きさの部屋を見てフィードは思わず溜め息を吐いた。

「お前……この部屋に一人で泊まろうとしていたのか?」

「ええ、そうよ。これでもだいぶ狭いんだけど、我慢しているのよ。偉いでしょ」

 自分が世間一般の発言とズレていることを自覚していないのか、ウィンは自慢そうに呟いた。そんな彼女の発言にこれ以上反応しないように努めながらフィードは空いているベッドの一つに腰を降ろし、持っていた荷物を置いた。
 久しぶりの柔らかい毛布の感触に全身を投げ出し身を委ねる。ここに来て長旅の疲れがドッと溢れ出した。目元を腕で隠し、視界を暗くする。身体は休息に努めさせながらも、脳内は今日の出来事を纏めていた。

(エルロイドが俺の言葉を流すのは予想外だった。あの伝言の通りなら俺は騎士団に入らない限りあいつと話ができないようだな。リーネの無事が確認できるか、せめてどんな奴にやられたかとか、その時の情報が手に入ればいいんだけど、それも難しいだろうな。
 となると、一番簡単に状況を確認できるのは騎士団試験に合格して騎士団の一員になることか。まあ、入って目的を達成したらすぐに辞めればいいとして、問題は何故そんな事をエルロイドが俺にさせるかだ)

 思い当たる事がないわけではないが、自分にできる事と言えば剣と魔法の腕がある程度立つという戦力面でしかない。人脈等そんなにあるわけではないし、フィードを必要としているとなると純粋に力が欲しいという事くらいだ。

(つまりは、俺みたいな奴の力でも借りたいような事が起こっているってことだよな。おそらく、リーネの一件もそれが絡んでいるんだろう)

 外部の者の手を借りると不都合なため、フィードを正式に騎士団の一員として迎え、あくまで己の保持する力として扱うということ。そんなことをする状況があるとすれば……。

(この国で何かが起こっているってことなんだろうな……)

 そこまで考えたところで、唐突に眠気が訪れた。やはり、疲れが溜まっていたのだろう。身体の限界がここにきて訪れた。

「ねえ、フィード。フィードはやっぱり騎士団試験を受けにきたの?」

 そんな時、彼の眠気を遮るようにウィンの質問が耳に届いた。

「いや、最初はそのつもりじゃなかったんだけど、受けざるを得ない理由ができた……かな」

 徐々に閉じようとしている目蓋を必死に開き、ウィンの質問に答えるフィード。そんな彼に興味を持ったのか、ウィンは矢継ぎ早に次々と質問を投げかける。

「へえ……。ねえ、フィードはどこの出身なの? 普段は何しているの? 戦った事とかある? 持っている剣はどこで作ったの? やっぱり戦うのって怖い?」

 だが、そんなウィンの質問に答えようとしたところでフィードの眠気は一気に力を増し、

「すまん……限界」

 彼の意識を暗闇へと引っ張って行ったのだった。
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酒場でのいざこざ

言伝を頼んだ衛兵が戻ってきたのはそれからしばらく経ってからの事だった。既に日は沈もうとしており、試験の案内を受けに訪れていた多くの人々が門を再び潜り城下町へと舞い戻っていた。残りの試験までの間、各々好きなようにして過ごすつもりだろう。
 その中には先程別れを告げたはずのケインの姿もあり、少しだけ格好のつかない形になりながらもフィードは城下町に向かう彼に手を振った。
 そして、待ちくたびれたとでも言うように戻ってきた衛兵の話を待ち、城の中、騎士団の宿舎がある場所に向かおうと思っていたフィードだったが、戻った衛兵の口から返ってきた答えは意外なものだった。

「申し訳ないが、上に話を通してみたところあんたのことをエルロイドさんは知らないと答えたそうだ。本人に話が通った事も意外だが、こんなに自信満々に知人面するあんたの態度にも俺は少し驚きだ」

 予想外の状況に驚きを隠せないフィード。こんな事になると思っていなかったため、次の言葉が続けられない。

「なっ……!」

 一体どうしたというのだろうかという疑問が湧き出る。

(どういうことだ……。もしかして、タチの悪い悪戯とでも思っているのか? いや、それはないはずだ……。こんなことに俺の名前を使う奴なんていないだろうし。だとしたら、何か考えが合ってのことなのか? それともリーネが倒れたっていうのが事実で俺に時間を割いている暇がないとかか?)

 どうすればいいか、いっその事城内に忍び込むかという考えが思い浮かぶが、衛兵の次の言葉でその行動をしておくのは止めようと思う。

「おっ……そういえば代わりといっちゃなんだが伝言を預かっていたんだ」

「なんだって?」

「ああ、なんでこんな悪戯をするあんたに伝言があるのかは不明だがな。なんでも『どこの誰だかは知らないが、言いたい事があるのなら騎士団に入りたまえ。私は騎士隊員からの意見なら喜んで聞き入れよう』だ、そうだ。
 さすがエルロイドさん。騎士団に対して分け隔てない扱いをしてくれるあの人の懐の大きさには恐れ入る。
 と、言うわけだ。エルロイドさんに会いたくて、あんたもあんな嘘をついたんだろうが、話をしたいんなら頑張って騎士団に入るんだな」

「……」

 それ以上は話を取り合う気はないのか、まるでそこにいない者かのようにフィードを扱い、通常業務に戻った。残されたフィードはひとまずこの場に残っていても仕方ないと考え、門の前を後にした。
 城下町に向かう途中、フィードは一度後ろを振り返る。沈み行く日に照らされる城はまるで魔物の住処のように見えた。


夜になり、暗くなった街道を明るい声とともに人々がすれ違う。歓談の声とともに木製のコップが打ち合う音が聞こえる。街にいくつもある酒場兼宿屋では酒を飲み、雑談に興じる人々の騒ぎ声が聞こえて来る。その多くはこの街の住人ではなく、騎士団試験を受けに他方から来た者ばかりだ。
 その年代は様々。日に焼け、ガタイのよい中年の男や、一見すると女性向けの男娼に見えるような顔の整った優男などもいる。かといえば、ただの小姓のような少年もその輪に混じっている。彼らは皆、騎士を目指しこのハイルに訪れているのだろう。
 そんな彼らを眺めながらフィードは空き部屋がないかどうか確認するために店員に声をかけた。

「すまない、宿を探しているんだが空き部屋はあるか?」

 まだ若そうな女性店員は少しだけ悩んだ様子を見せ、その後この店の店主と思われる男性の元へと向かい、再びフィードの元へと戻ってきた。

「えっと、ですね。一応空いていない事はないんですけれども、少し大きめの部屋を取られているお客様がいらっしゃいまして、その方の許可があれば同伴という形で泊まる事はできるんですけど」

「そう……か」

 その答えにフィードは少し困った。実を言うとこの宿にくるまでに別の宿を幾つか回った。しかし、そのどれもが満室で泊まる事等できなかった。
 それも当然、早い者であれば数日前から部屋を取り、そうでない者も日暮れ前には宿を取っていたのだ。部屋が空いていないのも当然だ。

「ん〜一応その相手を教えてもらいたいんだけど」

「ええ、構いませんよ」

 そう言って女性店員はフィードを連れてその部屋へと向かった。一階の酒場に集まる人々の脇をすり抜け、階段を上り部屋に向かう。
 幾つもある部屋の最奥。目的場所であるそこに辿り着いた女性店員は扉に向かってノックする。

「すみません、ウィンさん。いらっしゃいますか?」

 それから何回かノックをしたが、中から返事がすることはなかった。

「どうも、既にお休みになられたか出かけられたみたいですね」

 申し訳なさそうにする女性店員に対してフィードは微笑を浮かべてお礼を述べる。

「いや、わざわざありがとう。とりあえず、他の宿に向かうとするよ」

 そう言って再び階段を下りるフィード。一階の酒場に戻ると、先程よりも更に熱気に満ちた空間ができあがっていた。どんちゃん騒ぎをする人々を見て苦笑しながら入り口に向かって足を進めていると、そんな人々の中にある輪ができている事に気がついた。
 一体なんだ? と興味を引かれたフィードは遠くからその輪の中を眺めると、そこでは一人の少女と中年の男性が言い争いをしていた。
 少しお腹の出た小太りな男はおそらく騎士団試験を受けにきた一人だろう。それに対して少女の方はどことなくこの場にそぐわない雰囲気を持っている。こんな場所で酒を飲んでいるよりは富裕層達と同じようにその身を着飾りお高く止まっているような感じだ。
 腰ほどの長さはあるプラチナブロンドの髪はそれだけで人目を惹くし、まだ華奢で今にも折れてしまいそうな細い身体は守りたくなるような庇護欲をかき立てられる。

「おいおい、俺はちっと声をかけただけだろうがよ。それなのに、ひっぱたかれなきゃいけないなんてちょっと酷いとは思わねえか?」

「黙りなさい! 私の肌に私の許可無く触るなんて……。ホント、信じられない!」

「お〜怖っ。そんな癇癪持ちだと嫁の貰い手はいなさそうだな」

「こ、このっ……。誰に向かって口を聞いているのか分からせてあげましょうか……」

「あっ!? なんだって? お前みたいな小娘がいくら粋がったところで別に怖くもなんともねえよ」

「——ッ!」

 男の言葉が癪に触ったのか、気づいた時には少女は男の急所に蹴りをくれていた。それを見て他の男達は青ざめ、被害を受けた当事者は叫び声を抑えながら悶絶していた。
 そして、加害者である少女はというと自慢げな表情で股間を抑え、その場に伏している男を上から見下していた。

「ふんっ! 人の事を馬鹿にするからこうなるのよ」

 この後に自分がどうなるかなど予想もしない彼女はその場を逃げ出す事もなく自慢げに胸を突き出して立っていた。
 そんな様子を見ていたフィードは顔に手を当てて被害にあった男に同情していたが、この後に起こる事を考え、そのまま見過ごすわけにもいかず人ごみを掻き分け輪の中へと向かって行く。その時後ろで先程の女性店員が「あっ!」と声を上げていたが、フィードには聞こえなかった。
 それから少ししてようやく痛みが引いてきたのか、股間を蹴られた男は怒り心頭と言った様子で少女を睨みつけていた。

「素直に謝ってりゃいいものを。こんなことしてただですむと思っちゃいねーだろうな」

 女だからといって容赦をするつもりはないらしく、一発は自分が味わった痛みを少女に与えなければすまないらしい。指をポキポキと鳴らし、キツいお仕置きを少女にくだそうとする男。
 そこまで来て、ようやく自分の今の状況を理解したのか今度は少女が青ざめる。

「えっ! う、うそっ。やだ、誰か助けなさいよ」

 周りに向かって助けを求める少女だったが、生憎と見知らぬ他人を助ける者はいない。今の状況を見ている限り非があるのはどちらかと言えば少女の方だったからだ。

「やだっ、やだっ! 誰か!」

 迫り来る暴力というなの恐怖に声を上げてビクつく少女。そんな彼女に向かって被害者である男が告げる。

「これも勉強だと思いな。人様に手を挙げるとどうなるかっていうな!」

 振り下ろされる拳。咄嗟に目蓋を閉じる少女。襲いかかる衝撃を予想して身体を縮こまらせる。……だが、いつまで経ってもその衝撃が彼女を襲う事は無かった。
 恐る恐る目を開けると、彼女と男の間に一人の男が立っていた。

「な、なんだお前?」

 突然現れた男、フィードに戸惑う男。そんな彼の質問に対してフィードが答える。

「いや、さっきの状況をチラッと見ててこの子に非があるのは間違いないんだけど、仮にもまだ幼い女の子に対して手を出すのはどうかなと思って。出過ぎた真似だと思ったけど間に入らせてもらったよ。
 それで、一つ提案があるんだがこの子にはきちんと謝罪させるから手を出すのは勘弁してもらえないかなって」

 振り下ろされた男の拳を受け止め、掴みながらフィードがそう提案する。最初は男も怒りが収まらず、突き出した拳を引いて再び殴り掛かろうとしていた。
 しかし、フィードによって握りしめられた手はその場から動く事がなく、そのことに恐怖を感じた男は渋々フィードの提案を受け入れる事にした。

「言っておくが、きちんとした謝罪じゃないのなら認めないぞ」

「ああ、分かっている」

 男が提案を受け入れるとフィードは受け止めていた相手の拳を離し、驚いた表情を浮かべその場に縮こまっている少女を起き上がらせた。

「ほら、立て。それから謝れ。自分が悪い事をしたんだからこんな状況になってるんだ。ちゃんと謝って許してもらえ」

 少女に向かってフィードはそう告げるが、助けられた少女は何故か不満げに頬を膨らませ、文句を言ってきた。

「なんで私が謝らないといけないの! 悪いのは先に私の身体に触ってきた向こうなのよ!」

 謝る気がないのか、安全を確保した少女は再び強気の態度を見せ始めた。そんな彼女にどこかデジャブを感じながらも、フィードは呆れながら忠告する。

「言っておくけど俺は別にお前の味方でも何でも無いぞ。ただ目の前で自分より年下の女の子が殴られる姿を見るのが嫌だったから間に入っただけだ。ただ、反省するつもりがないのなら灸を据えられるのも悪くないと思っている。
 どうする? 決めるのはお前だ。このまま殴られて痛い思いをするか、相手に謝って何事も無くこの場を収めるか。好きな方を選べ」

 フィードのその言葉に最初は強がっていた少女だったが、彼が呆れてその場を後にしようとするのが分かるとすぐに態度を改め、

「わ、わかったわよ! 謝ればいいんでしょ! 謝ればっ!」

 といって渋々ながら男に対して頭を下げて謝った。

「ごめんなさい。いくらなんでも手を出したのは私が悪かったわ。だから、許して」

 反省の色はあまり見られなかったが、見た目の綺麗な少女から謝罪の言葉を貰うのは悪い気分ではないのか、男はそれを許した。

「まあ、俺も少し大人げない部分があったからな。これでこの話しは終いにしておいてやるよ」

 お互いに話が終わり、周りも再び散らばって酒を飲みだそうとしはじめる。だが、最後に男が告げた一言によって再び少女の手が出そうになる。

「で、だ。話は変わるがお前さん今夜俺の相手をする気はないか? そんだけ見た目が綺麗ならさぞかし“あそこ”は使い込んでいるんだろ? 今夜一晩でいいんだ、言い値を出すぜ」

 その言葉にまたも股間に蹴りを入れようとし、今度は二度と使い物にならないようにしようとする少女の両脇を掴み押さえ込むフィード。店を出て外に出るまで、卑猥な提案をする男への侮蔑のこもった少女の叫び声が店内に響き渡った。

「死ね! 死んじゃえ! 誰があんたみたいな奴の相手なんてするか! 身の程をわきまえなさい! この……糞豚ぁ!」

 唖然とする男を置いて二人は店の外に出るのだった。
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言伝

入り組んだ路地を抜け、城下町に住む住人達に道を聞き、どうにか城の前に辿り着いた二人。巨大な塔のようにそびえ立つ城はそれだけで威圧感を与える。もしここが戦場になったのならば、この城は味方には絶大の守りを、敵からは難攻不落の城塞として恐れられるだろう。
 そんな城の入り口に立つ衛兵に近づきケインが話しかける。

「あ、あの。騎士団の試験を受けに来たのですけれど」

 そう聞くと品定めするようにケインを見回す兵士。しばらくそうしていたかと思うとニカッと明るい笑顔を浮かべて雑談を始めた。

「見ろよ、昔の俺たちもこんな感じだったんだな」

「ああ、当時の衛兵が俺たちのことを笑っていた理由もよくわかるぜ」

 何故か納得したように苦笑する二人の衛兵。おそらく、彼らもケインと同じように試験を受けるためにこの街に来た時のことを思い出しているのだろう。そんな彼らの態度にケインが戸惑っていると、それに気がついた衛兵が我に返りケインの質問に答えた。

「おっと、すまなかったな。騎士団試験の手続きだったな。この入り口を通ってしばらく進んだ先に試験の案内をしている別の衛兵が立っているはずだ。彼らの案内に従って説明を受けてくれ」

「はい、わかりました」

 用を済ませたケインはそのまま先に進もうとする。だが、フィードはその場に立ち止まり、動こうとはしなかった。その事に気がついたケインが後ろを振り返る。

「フィード?」

「悪いな、ケイン。ここでお別れだ。俺の用事はここで済む」

 フィードがそう告げると、ケインはほんの少し驚いた表情を浮かべた。

「そっか、それじゃあ仕方ないね。短い間だったけど一緒に旅ができて楽しかったよフィード」

「ああ、俺もだ。騎士団の試験頑張れよ」

「機会があればまた」

「ああ……また」

 そう言ってお互いに別れをすませる。ケインは入り口の門を潜り奥へ。フィードはその場に残った。

「ん? なんだ、お前は試験を受けにきたんじゃないのか?」

 ケインと同じくフィードもまた騎士団の試験を受けにきたと思っていた衛兵は意外そうな顔をして彼を見た。

「いいや、俺は人に会いにここに来たんだ」

「へえ……。もしかして騎士団に所属している者で誰か家族や友人がいるのか? 俺たちが分かる範囲の人間なら話を通しておくぞ」

 こういった訪問は珍しくないのか二人の衛兵は顔を合わせてフィードに伝える。思ったよりもことがすんなりと行きそうだと思ったフィードはほんの少し安心した。

「それなら大丈夫。この国に住んでいる人間ならおそらく誰もが知っているやつだから」

 フィードのその言葉を聞いて衛兵達は僅かに訝しんだ。一体それは誰の事を言っているのだろうかと気になっているのだろう。そんな彼らの疑問に答えるためフィードは話を続ける。

「フラム騎士団のエルロイドに伝えてくれ。リオーネに会いにフィードが来たと」

 何でも無いようにフラムでは有名なその二人の名前を出された衛兵達は驚き、ニ、三度フィードを見返した。

「エルロイドって、うちのトップのエルロイドさんのことか?」

「ああ、そうだ。フィードが来たと言ってもらえれば多分通じると思う。よろしく頼む」

 そう言ってフィードは入り口の壁に移動し、背中を預けて腰を降ろした。そんな彼の様子を見てしばらく戸惑っていた衛兵達だったが、一応確認のために一人を騎士団本部の事務部署へと向かわせたのだった。


 その時、彼は自室にて書類を見ていた。そこに書かれているのは先日起こった出来事に関して纏められたものだ。今やフラム騎士団の若きエース、または象徴として扱われているリオーネについてのもの。
 凶刃に襲われたと噂されている彼女のその時に起こった出来事に着いて詳しく書かれているものがそれだ。書類に書かれた内容を見て彼は深いため息を吐き出した。

「まったく、ただでさえ最近頭痛の種が増えているというのにこれ以上厄介事を持ってきてもらいたくないものだな」

 普段の彼からは想像もできないような弱気な発言。目頭を抑え、木製の執務椅子に深く腰掛ける。指を重ね合わせ、目蓋を閉じ、自分の気を重くしている出来事をどうにか解消できまいかと考えにふける。だが、そんなことすらも許さないと部屋の扉をノックする音によって現実に引き戻された。

「入りたまえ」

 彼の了承を得て、室内に一人の女性が入ってくる。耳にかかるくらいの短い金髪にやや釣り上がり気味の目がどことなく冷たい印象を与える。

「やあ、ミレーヌ。また報告書の山かな? いい加減私も休みたいんだがな」

 ミレーヌと呼ばれた女性は皮肉を口にする彼の様子を見て僅かにため息を吐いた。そして、たった今皮肉られたように持っていた報告書の束を彼の机の上に置いた。

「そうはいっても、今あなたに休まれては業務が差し支えてしまいます。もう少しだけ我慢していてください、隊長」

 事務的に告げる女性にやれやれと彼は苦笑する。

「二人でいる時くらい昔のように名前で呼んでくれて構わないんだと以前言わなかったかな?」

「ええ、そんなことも言いましたね。ですが、今は職務中ですので。プライベートの時であればいくらでも御呼びしますよ“エルロイド隊長”」

 どこまでも堅物な彼女の態度に男、エルロイドは呆れるしかなかった。そして、先程まで憂鬱で仕方のなかった作業がまだまだ終わらない事が余計に彼の気を重くした。

「まあ、まだ作業が続くのなら早く終わらせるように努力するしかないか。それで、新しい報告の方は?」

 エルロイドが話を続けるよう促すとミレーユがほんの僅かに嫌そうな顔を見せた。だが、すぐに元の無表情な彼女に戻り、報告を始める。

「新しい報告というのならそれほど多くはありません。街中で起こった些細ないざこざが数件。多くは酒場でよった勢いで喧嘩になったものです。それから違法な取引を行おうとしていた商人の確保が一件。街中で起こった出来事はこのくらいです」

「ふむ……。まあ、これくらいはいつもとそう変わりないか。大きな事件が起こっていないだけマシだろう。それで、他の報告の方はどうかね」

「続けさせていただきます。現在ここ、ハイル城の中庭にて行われている騎士団試験の受付には今日だけで二十名ほど志願者が訪れたとの報告を受けました」

「ほう、試験の募集は毎回試験開始日の一週間前から行っているが、今年は特に志願者が多いな」

「リオーネの影響も少なからずあるのでしょうね。今年の志願者には女性の姿が例年よりも多く見られます」

「それはいい傾向だな。実力を持っているのに女性だからという理由で差別されてきた人たちがここに来て動いたのかもしれない。君や彼女のような優秀な女性隊員が増えてくれるのなら大歓迎だ」

「まあ、その辺は当人達の実力次第という事で。それからこれが少し問題なのですが……」

 思わず顔をしかめるミレーヌ。そんな彼女の様子を見てエルロイドはなにを言わんとしているのか悟った。

「まさか、また“姫様”か?」

 その問いかけにミレーヌは頷いた。

「ええ、そのまさかです。また城を抜け出して城下町の方に出かけていらしたようです」

 その報告を聞いてエルロイドは思わず肩を落とし、顔に手を当てた。

「全く、これで一体何度目だ……。そもそも、今回姫様の警護をしていた者はなにをしていたんだ」

 愚痴をこぼすエルロイドにミレーヌがその件に関しての報告を続けた。

「今回はどうも色仕掛けを迫って、その後に脅迫をしたみたいですね。もちろん、立場をわきまえている警護者は何もしていなかったのですが、上着を脱がれた姫様に『もしもここで私が逃げるのを見逃さなかったら、叫び声を上げて貴方に犯されそうになったって泣きわめくわよ』と申されたようです」

「なんてタチが悪い……。いい加減大人しくしてもらえないものか」

 大人しくという言葉を口にしてミレーヌはついでにある事を思い出し、その事に関してもエルロイドに告げた。

「大人しくと言えば、彼女そろそろ限界ですよ。いい加減軟禁状態に苛立っているみたいで、顔には出していないものの相当ストレスが溜まっているみたいですね」

「だろうな。だが、今この状況で表に出すわけにも行くまい」

「ですね。せめて、例の件について相手側の尻尾がつかめればいいのですが……」

 重ね合わせるように二人して溜め息を吐く。重苦しい雰囲気が室内に漂った。しばらくして、そんな空気を打ち払うようにエルロイドが打開策を切り出す。

「……ひとまず街でのもめ事には通常通り対処してくれ。何か異変等を感じたり、気にかけるような報告があればすぐに私の所に回したまえ」

「わかりました。それで、姫様と彼女のことについてはどうなさいますか?」

「それに関しては現状維持と言うほかあるまい。姫様の行動を止められる者は限られているし、皆自分の立場を失いたくはないだろうからある程度言いなりになるしかあるまい。もっとも、その事があのおてんば姫を調子に乗らせていることの一つだろうが」

「隊長、言葉が過ぎていますよ」

「おっと、すまない。とはいっても、姫様に関しては城の外に出た後にこっそり護衛を付けるという形式の方が合っていそうだからな。もしもの事がないようにだけは気をつけていてくれ」

「了解しました」

「それから、彼女に関してはもう少しだけ耐えるように伝えてくれ」

「そちらに関しても了解しました。せめて彼女が大人しくこの城内にいるような理由があればいいのですけれど」

「そうだな……。とはいっても、ないものを求めていても仕方あるまい。もう少しだけ辛抱してもらうようにお願いするしかないだろうな」

「分かりました。では、わたしはこれで」

 そう言って部屋を出て行くミレーヌ。入り口に向かい扉を開けてそのまま外へ出る。……と、そんな彼女と入れ替わるように中年の男性が中に入って来る。そう、第九隊隊長グラードだ。

「グラードか。どうした?」

 突然現れた別部隊の隊長の姿にさして驚いた様子も見せず、問いかけるエルロイド。彼もまた何か報告があるのだろうとエルロイドは思ったのだ。もしかしたら例の一件に関して何か情報を掴んだのかもしれない。
 そのことにミレーヌも気がついているのか、再び室内に入り、グラードの話を聞こうとする。

「エルロイドくん、急な訪問で申し訳ないんだけれど、少し耳に入れておきたい事があるんだ。今時間は大丈夫ですかね?」

「既に室内に入ってきているのだ時間がないと言って追い返して後で報告を受けるのも二度手間だ。なるべく早く話を終えてくれ。書類の処理がまだ大量に残っているのでな」

「そうですか。では、できるだけ簡潔に述べさせてもらいますね。実はさっき僕の部下から報告を受けたのですが、何でも城の入り口にいる衛兵に君に言伝を頼んだ人がいたそうですよ」

 グラードの言葉に興味が湧いたのか、エルロイドは僅かに身を乗り出し話の続きを促した。

「ほう、それは一体誰なんだね」

 そんなエルロイドの態度が気に入ったのか、グラードはその言伝を頼んだ相手の名を口にした。

「ええ、それはですね。今軟禁状態にある私の部隊の副隊長であるリオーネくんの大事な人、フィードくんだそうですよ。何でもリオーネくんに会わせてほしいだとか」

 その名前を口にすると、エルロイドは何かを考え込む仕草を見せ、やがて素晴らしい事を思いついたように明るい表情を浮かべた。

「……ふむ。これはいい案を思いついたぞ」

 何かに納得したように独り言を呟くエルロイド。嬉々とした様子の彼とは裏腹にフィードの名を聞いたミレーヌは何故か顰め面になった。そして、そんな二人の反応を見てグラードは楽しそうに笑顔を浮かべるのだった。
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テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

旅の友

ガタン、ゴトンと音を立て揺れる馬車の荷台に乗りながらフィードは一人フラムへと向かっていた。荷台には彼と同じようにフラム近郊の町や村に向かって移動する人々が存在した。そのほとんどは農村部に住むような農民たちや出稼ぎに出ていた男衆だが、中には剣を持つ若者の姿もある。彼らの目的はフラムの首都、ハイルに存在する騎士団への入隊だろう。
 かつては富裕層の人々によって形成されていた騎士団も時の流れと共に腕の立つ平民の募集を集い、今ではその多くが彼ら一般の人々によって組織作られている。彼らが騎士団に入る理由はさまざまだ。
 富や名声を得るために騎士を目指す者。純粋に人々の役に立ちたいと思っている者。閉鎖的で窮屈な村や町から抜け出したくて飛び出してきた者などだ。
 チラリとフィードは彼らを一瞥するがまだ実戦経験もそうなさそうな者達ばかり。せいぜい、村を襲ってきた野犬を追い払ってきたというくらいだろう。
 そもそも、初めから力を持っている者の方が異例なのだ。それこそ、フィードと共に旅をしてきて力を付け、その後騎士団に入り瞬く間に成果をあげてきたリオーネのような存在は珍しい。普通は彼らのように一から力を付けていく者の方が多い。
 とはいえ、募集をして集まった者を全員騎士として採用することなど到底できるはずも無い。そんなことをすればフラムの財源はあっという間に枯渇するだろう。
 そのために行うのが騎士採用試験だ。年に数度首都のハイムにて試験を行い、その試験を突破した者を騎士団の一員として採用するのだ。
 今のフィードにとっては全く関係のないことだが、彼らのしてみれば今後の己の一生を左右するかもしれない大事な試験だ。ハイムに着くにはまだ数日かかるというのにも関わらず、その緊張感がヒシヒシと伝わってくる。他の者達もそれを理解しているのか、彼らと距離をとりなるべく関わりあわないようにしていた。
 そんな中、まだ幼さを残した純朴な顔立ちをした青年がふいに立ち上がり、対面に座っているフィードの隣に移動し、声をかけてきた。

「やあ、君さっきからずっと周りの様子を伺っていたみたいだけれど、もしかして君も騎士団試験を受けるの?」

 そう問いかける青年の様子は他の者達と違い明るく、物腰柔らかい雰囲気だった。その口調から自分と同じ目的でこの馬車にフィードが乗っていると思って話しかけたのだろう。特に無視する理由もなかったため、フィードはその問いかけに返事をした。

「いや、俺は騎士団試験を受けるつもりはないよ」

「えっ! そうなのか……。てっきり僕と同じ目的でこの馬車に乗っているのだと思ったんだけど」

 心底意外そうな顔をして驚く青年。そんな彼の様子に苦笑しながらフィードは話を続ける。

「それは残念だったな。まあ、目的は違うけれど俺の行き先もハイルだ。到着先は同じだから、それまでの道中は一緒だろうな」

「そっか。いや〜実を言うとさっきまで僕以外で試験を受けそうな人に話をしようと思っていたんだ。でも、みんなピリピリしちゃってて声をかけづらかったんだよ。でも、君はすごく落ち着いて見えて、この人だったら大丈夫かなって思って声をかけてみたんだ」

 ニコニコと笑顔を浮かべて事情を説明する青年。この重苦しい空気の中で気軽に話しかけられる相手を見つけれて安心したのか、彼は饒舌になりだした。……と、そこでふと思い出したようにまだ自己紹介をしていなかったことに青年は気がつく。

「そういえば、まだ名乗っていなかったね。僕の名前はケインだ。騎士団試験を受けるためにハイルへ向かっている」

 スッと差し出される掌。フィードは何度かその手とケインの顔を交互に見つめた後、自分の手を差し出し、それを握りしめた。

「フィードだ。ハイルへは知人を尋ねるために向かっている。短い間だけどよろしくな、ケイン」

 互いに握手を交わし、揺れる馬車の中二人は声を抑えて談笑する。フラムの首都、ハイルに向かって馬車は荷台を揺らしながら向かって行くのだった。


「着いたよ、ハイルだ」

 セントールを出て、馬車に揺られる事数日。フィードとケインはフラムの首都ハイルへと到着した。城下町でもあるここは街の周りを川が流れ、東西南北それぞれに石橋が立てかけられその上を馬車や人々が行き交っている。橋の最奥には門があり、そこでは騎士団の一員が中に入る人々をチェックしている。
 そして、そこを通り抜けた先にあるのは街の中央に存在する巨大な城。そして、そこから円を描くように広がって行く家々。所狭しと並べられた家屋。複雑に入り組んだ路地。少しでも道を外れてしまえば未知の迷宮に迷い込んでしまったかのような錯覚に陥るに違いない。

「いやぁ、これは思っていた以上にすごいね。さすがにフラム一の人口を保有し、名声を他国に轟かせる騎士団の本部があるだけのことはあるなあ」

 小さな町で育ってきた者からすればあまりにも広大でスケールのある首都の一部を見て感極まっているケイン。しばらく、その場に立ち止まり顔を上げ、キョロキョロと周りを見回していた。
 端から見れば田舎者である事がまるわかりであり、彼の横を通り過ぎる者の中にはこのような光景に見慣れている住人達が可愛らしいものを愛でるように微笑んで去って行った。

「おい、ケイン。お前いつまでそうしているつもりだ? 感動するのはそのくらいにして先に進まないか。ここには観光をしにきたわけじゃないんだろう?」

 フィードの一言を聞いてハッとするケイン。両手で頬をパン、パンと軽くたたき気を引き締め直す。

「そうだったね。ありがとう、フィード。僕の目的は騎士になることだ。こんなことで気を抜いている場合じゃなかったね」

 そう言って目的である騎士団の本部へ向けて歩き出す二人。ここ数日の道中で二人の仲は深まっていた。なにせ話しをする以外他にやることがないのだ。必然、今までどんなことをしてきたかなどを話すことになる。
 フィードは自身の過去をある程度隠し、何でも屋としてセントールに滞在して生活をしていることを話をした。ハイルには騎士団に所属する知人を尋ねにきたという事も。
 それを聞いたケインは実に興味深そうにフィードに根掘り葉掘り話を聞いてきた。自身の目標である騎士団に所属する知人がいると聞いて彼らの活躍等を知りたいと思ったのだろう。
 フィードはケインの態度を見てその知人がリオーネであると伝えたら増々色んな事を聞かれると思ったため、彼女の事を伏せた上で、セントールを訪れていた時の騎士団の話を彼に伝えた。ケインは彼らの活躍を、特に人々のために働いていた事を聞くと感動してその身を震わせていた。
 どうやら、彼の場合地位を求めて騎士を目指しているのではなく、人の役に立ちたくてそれを目指しているのだろう。
 実際、それを聞いてみたところ彼が騎士を目指す理由は幼い頃、野盗に村が襲われた際、騎士によって助けられたのだという。それ以来騎士というものに憧れ、ずっと目標としてきたという。
 それを聞いたフィードは彼のような青年が騎士になってもらいたいものだと内心思った。そして、道中馬を休憩させるために止まっている時など、剣を合わせ少しでも彼が騎士団試験を合格できる足しになればと思って稽古をしたのだった。
 結局最終的な目的地が同じなため二人は騎士団本部に辿り着くまで一緒に行動することになった。彼の試験は今日より三日後。フィード自身は用が済めばすぐにでもここから離れる事になる。
 たった数日の付き合いではあるが、別れが近づくともの寂しさが漂うものである。ケインなど先程から何度もフィードを見ては名残惜しそうにしている。

「……まだ、別れるまで時間があるんだからそんなにそわそわとするなよな」

「いや、なんだかいざ別れが近づくと寂しくて。ねえ、いっそのことフィードも騎士団試験を受けない? 君なら僕より剣の腕はあるだろうし合格する可能性は高いよ」

「もしそうなったら自分の合格する可能性を狭めてるわけだぞ、お前。それに、騎士団の一員になるつもりはないって。これから先は一人で頑張るんだ」

「そうだよね……。うん、それじゃああと少しの間よろしく、フィード」

「ああ、もちろんだ」

 そう言って二人は城の内部にある騎士団本部に向けて歩き出すのだった。
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五章「輪獄の囚人」 選ぶべき道

今になって思えば、きっとこの時が一番平穏な日々だったのだろう。
 いつも宿に食事をしにくるお客さんの相手をし、自分の雇い主である中年の女性に料理を教わり、共に働いている少し年上の少女とはことあるごとに喧嘩する毎日。変化なんて、そうあるわけでもない。同じ事が繰り返される日々。それでもそんな代わりばえしないいつもが楽しかった。
 辛い事なんて全然なく、普段は怠けてばかりいるだらしない主に呆れながらも、ちゃんと働きにでかけるのを見送り、帰りを待つ。帰ってきたら頑張って作った料理を食べてもらって、失敗したところも自分に気づかれないようにおいしそうに食べてくれる。そして後になってそれに気がつき、自分は謝るのだ。
 日が沈んで夜になり、もう眠りにつくかというところで別々のベッドに入る。彼が寝ている間に気づかれないようこっそり同じベッドに潜り込み、安心しながら心地よい眠りにつく。そしてまた、新しい朝が始まる。
 こんな生活がずっと、いつまでも続いてほしいと……幼い故に彼女はそう願い続けていた。
 だからこそ、今になって後悔する。あの時の自分は本当に子供で、彼がその胸の内に秘めた暗闇の深さも、復讐に賭ける執念のことも自分は正しい意味で理解できていなかったのだと……。
 もし、あの時自分が大人だったらという考えは何度もした。後悔してもしきれない。時は戻らない。手の届かない過去への思いを胸に抱きながら、少女は歩き続ける。


 その隣に、かつて存在した青年の姿はもう……なかった。


 ジャンの端にある小さな町、倭東からアルとフィードが戻ってから一週間が過ぎようとしていた。久方ぶりに戻ってきたセントールの下町。そこは、というより正確にはセントール全体はここ数日ある話題で持ち切りだった。
 アルたちがこの下町の宿に戻ってすぐ、グリンによって知らされた話がそれであった。

 フラムの騎士、リオーネ。凶刃の前に倒れる。

 かつて、このセントールの下町を訪れたフラム騎士団の副隊長でもあり、今では下町で何でも屋を営んでいるフィードのパートナーとして昔は世界を巡り、彼の復讐を手助けをしていた女性。
 一時期はすれ違いにより、かつてのパートナーであるフィードを激しく憎んでいた彼女だったが、この下町で起こった十二支徒との対決の際、彼の心情についての真実を教えられ、紆余曲折の末に以前のようにとはいかずともそれに近いほどまで彼との仲を戻した。
 おそらくは、現在彼が最も気にかける人間の一人で、もっとも愛した女性。
 そんな彼女の凶報をこの町へ帰ってきて早々聞かされた二人。ここしばらく、人の死を多く見続けたアルは今回の話を聞いてその場に倒れそうになった。
 この下町で、自分によくしてくれた心優しい大人の女性。こんな人になりたいと思わせる魅力を持っていた彼女。誰からも好かれ、日の当たる場所にいる彼女が何故危険な目に遭わなければならないのか。そう思わずにはいられない。
 思わず、隣に立つ己の主はどんな反応をしているのだろうとそっと様子を伺う。自分と同じように、彼女の心配をしているのだろうかと思って彼の顔を見た。
 しかし、アルの予想に反してフィードはあまり驚いた様子はなかった。それどころか、納得がいかないように手を口元に当て訝しんでいる。倭東にいた時から思っていた事だったが、やはり今の彼はどこかおかしいとアルは内心思っていた。
 そんな風に思っていると、フィードは唐突に宿から借りている自室へと駆け上がり、何やら身支度を始めた。

「マスター? 何をしているんですか」

 そう問いかけるアルにフィードは簡潔に答えを述べる。

「ああ。こっちに戻ってきたばかりだけれど、今からフラムへ向かおうと思っているんだ」

 その返事に驚きながらも、アルはどこか安心した。やはりフィードもリオーネの事が心配なのだと。だが、次に彼が発した言葉によってその考えは否定される。

「リーネの強さについては俺もよく知っている。あいつはそんな簡単にやられるようなやつじゃない。もし噂が事実なら相手が余程の実力者だったか、何かそんなことになってしまう理由があったかだ。例えば人質を取られながらの戦いとか……な。
 後者はどちらかといえば現実的だが、その程度で倒されるような奴じゃないと思っている。そうなると、相手が格上だった場合の線が濃厚だ。もしかしたら十二支徒と接触したのかもしれない……」

 十二支徒という単語を聞いてアルの気持ちが重く、暗いものとなる。今のフィードにとって最優先されるべきは彼の存在であり、リオーネの心配は二の次だということがわかってしまう。

(マスターは変わってしまいました。一見すると全然変わってないように見えますけど、少し前と違って今は十二支徒の事ばかりです。今マスターと話していると、周りの人のことなんてどうでもいいように思ってるんじゃないかって感じてしまいます。
 でも、もしかしたらこれが元々のマスターだったのかもしれないんですよね。私と出会う前、リオーネさんと旅をしていた頃の……)

 今のフィードは最初に出会って、共にこの下町で過ごしてきた彼とはだいぶ変わってきてしまっている。それは、友の死や大切な人との別れ、仇敵との出会いがその変化を起こしているのだとアルにも理解できていた。
 この先、フィードがどうなっていくのかはアルには予想できない。でも、たとえ彼がどんな人間になったとしても自分は傍に居続けると決めたのだ。そう……彼がリオーネとの過去を話してくれたその夜に。
 だから、今からフィードがフラムへと向かうのならばそれに付いて行こうと決めていた。しかし、その考えの通りにはいかなかった。

「アル。お前は今回ここで待っていてくれ」

「えっ?」

 予想もしなかったフィードの言葉に思わずアルは言葉を失う。

「ど、どうしてですか、マスター!?」

 咄嗟に声を上げて尋ねるアル。そんな彼女にフィードは優しく答える。

「今回の長旅で疲れてるだろうし、もし何もなかったらすぐに帰ってくると思う。それに、アルもちょっと考えたい事があるんじゃないか?」

 それはここ最近のフィードの異常性に関する事を言っているのだとアルは気がついた。彼も自身の変わりように付いてはある程度は気がついているのだろう。だが、気がついたからといってどうにかなるものでもないという事も理解しているのだ。

「そ、それは……」

 それは違うと、フィードがたとえどう変わろうとも自分は傍にいると伝えようとするが、何故か上手く言葉が出てこない。口ごもって、下を俯く事しかできなかった。
 そんな彼女を見て、フィードは寂しげな顔をして苦笑する。

「いいんだよ。もうアルは誰かに縛られるような生き方をしなくてもいいんだ。無理に俺の傍にいる必要もない。昔はともかく、今はグリンさんやイオもいる。ここで一人で生きて行く事だってできるんだ。
 だから、俺が戻ってくるまでにこれからどうするかをちょっと考えていて欲しいんだ。何も好き好んで血の飛び交う場所に付いてくる必要はない」

 出立の準備ができたのか、フィードは荷物をまとめて部屋を出て行く。去り際、アルの頭にポンと手を一度乗せ、その横を通り過ぎて行く。
 そんな彼の背を追うことができず、アルはそのままその場に座り込んだ。
 正直なところ、これから先だなんてそんなことを考えたことはなかった。ただ、ずっと今みたいにフィードと一緒にいる生活が続くものだとばかり思っていた。
 だが、そうではなかった。時間は流れ、人は変わって行く。アルが奴隷の烙印を消してもらい、一般人となったように、フィードもまた優しい何でも屋から復讐者へと戻ろうとしている。
 自分には力がない。彼を支える事も、手を貸す事もできない。それを改めて実感して、アルは思う。

(私は……本当にマスターの傍にいる資格があるのでしょうか)

 ついさっきまでの決意はもろくも崩れ去ろうとしており、自分の決意という物がいかに脆弱なものであったかを実感させられた。
 答えの出ぬまま時間は過ぎ、下の食事場で待つグリンとイオの元へ向かった時にはフィードは既にフラムに向けて旅立った後だった。
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終わりの始まり

倭東における領主の屋敷。その最奥の広間には今二つの人影があった。元々この場所にいるこの屋敷の主と、そんな主に呼びつけられてここを訪れた青年の姿が。

「さて、お主を呼んだのは他でもない。まずは今回の件、見事だったぞ」

 ククッと含み笑いをしながら客人を褒めたたえる魅惑の麗人、卯月。普通の男性なら大人から子供まで、その美貌と色香の虜になってしまうような存在を前にして、客人として呼びつけられた青年フィードは全く反応を示さなかった。

「そうか。で、用件はそれだけか? そうだというのなら俺は一刻も早くこの場所から離れたいんだが。お前と同じ空間にて息をしていると考えるだけで吐き気がする」

 今まで以上に、いやそれこそ出会った当初の時のように卯月に対する憎悪を隠そうとせず口に出すフィード。これまで心のどこかで憎い相手だとわかっていながらもほんの僅か、一欠片ほどの情が無意識のうちに卯月へ湧いていた彼だったが、猿哨との一戦以降それはもはや消え、今はただ彼女を殺害の対象としてしか完全に見ていない。 今も隙があるのならば襲いかかり、その首をへし折ろうと考えているほどだ。
 そんなフィードの考えを卯月も理解しているのか、悠々とした態度を取りながらも隙を見せる事はなかった。

「まあ、待て。そう急くでない。今回はお前さんの功績を素直にたたえてやろうと思ってのう。ほれ」

 そう言って卯月が指をパチンとならすと、襖を開けてこの屋敷で働く侍女の一人が長細い木箱を持って入ってきた。

「卯月様、お持ちいたしました」

「うむ。それをそやつの前に置いたら下がってよいぞ」

 卯月の言う通りに侍女はフィードの前に木箱を置いてすぐに広間から出て行った。

「……これは?」

「まあ、まずは開けてみよ」

 言われるがままフィードは木箱の蓋を開け、その中身を確認する。そこにあったのは、見た事もない材質で作られた黒色の刀身の片手剣だった。見た目に反してずっしりと重量感のある剣。鍔の部分に添え付けられた赤色の装飾はまるで濁った血を想像させる。剣の腹を縦に向け、光り輝くほど研ぎすまされた刀身をジッと見つめる。そのあまりの美しさにこれは実践で使う剣ではなく、名のある美術品の一つではないのかと疑ってしまうほどだ。

「試してみるか」

 そう呟き、フィードは座ったままの状態から一気に卯月の元へと接近し、その顔に剣を突き刺した。鋭い風切り音とともに突き込まれる剣先。だが、それは卯月の顔面に突き刺さることなく後ろにある木製の壁に突き刺さるのみだった。

「全く……わしでなかったら死んでいたところじゃぞ」

 フィードの無礼を起こるわけでもなく、ただ淡々と語る卯月。その顔には一切の傷はなく、彼の高速の突きこみを紙一重で避けているのが分かる。

「そうだな。俺もそう簡単にお前が殺せるとは思っていないさ。だから試したんだろうが」

 彼女を殺せるとは最初から期待していなかったのか、その表情に落胆の色は見られない。

「だが、確かに切れ味は良さそうだな。いい剣だ」

 そう言ってフィードは剣を降ろし、卯月の頬に手を伸ばした。見れば、いつの間にか卯月の頬には一筋の線ができており、そこからポタリと血が垂れていた。

「ふむ、完全に避けたと思っていたんじゃがのう。これはいささか想定外じゃ」

 そう話す卯月に驚きの様子はなく、むしろ今起こっている事実を喜んでいるのか、その口元はほころんでいた。

「そうか。想定外なら、お前を殺す事はできなくもないってことだ。今はまだ無理みたいだけどな」

 頬から垂れ落ちる卯月の血に己の顔を近づけ唇を当てる。舌先でそれを舐めとり、フィードはそっと卯月から離れる。

「……で? これをどうしろと」

「どうとでも。わしはただ先の戦いでなくなったお主の剣の代わりを用意したまで。それはわしにもわからぬ材質でできた一振りでの。どこで作られたかも分からぬものじゃが、その切れ味と頑丈さは保証できる業物じゃ。
 それであれば、お主が先の戦闘の最後に使った斬撃にも普通に耐える事ができるじゃろう」

 卯月の言葉にフィードは改めて持っている黒剣の刀身を眺める。見れば見るほど吸い込まれてしまいそうなほど深い色をした刀身。底の見えない黒色は猿哨の持っていた大剣を思い起こさせる。
 初めて持ったというのに、妙に手に馴染むこの剣をフィードは気に入った。

「そうか。好きにしろというのならありがたく使わせてもらうとしよう。これでまた……俺は強くなれる」

 木箱の中に入っている黒色の鞘を手に取りむき出しの刀身を収める。そして、振り返ることなくそのまま広間から出て行ていこうとする。
 だが、部屋を出るために襖に手をかけたところで、思い出したかのように卯月の方を振り返り、フィードは告げた。

「ああ、そうだ。次に会う時は今度こそお前の命がなくなる時だ。それだけは、覚えておけ」

 宣戦布告をし、部屋を出るフィード。その姿にもはや何の迷いはなかった。
 彼が部屋を出てしばらくシンと静まり返っていた広間だったが、しばらくして卯月の笑い声が低く周りに響いた。

「くっ、くくっ。かっはっはっはっはっは! 面白い、実に面白いなぁフィードよ。お前さんは今自分が何を受け取ったのか理解していないだろう。いや、きっと理解していても受け取っただろう。敵を討つために少しでも必要な力を手に入れる事はお主にはもはやなんの躊躇いもないのだからのう」

 笑いを堪える事ができず、誰もいない空間にどす黒い悪意が反射する。目的のため、手段を選ばず、己のためだけに力を行使する彼の姿を先の戦闘で見て卯月は確信したのだ。未熟で、力なく地べたに這いつくばってきたかつての少年はもういないと。
 今そこにいるのは自分達の背を追い続け、とうとうその横に並んだ怨念を背負った悪鬼。同格である事を認めさせられ、同等の扱いをすることを許された存在。
 今卯月がフィードに与えた剣はそれを証明するものだった。
 そもそも十二支徒と呼ばれる集団は五人から始まった。彼らは同じ場所にて生まれ、己の力を誇示し、束縛された世界から飛び出し、自由になった。その際、彼らが羽ばたく際に見つけた五つの武器が存在した。材質の分からない禍々しい漆黒の色をした武器。

 片手剣、大剣、長槍、扇、杖。

 まるで五人が自由になるために用意されていたと言っても過言ではないそれを持ち、彼らは世界を駆け巡った。悪逆非道の組織として名を馳せ、その過程で同胞を増やし、世界の敵として活動し続けた。
 互いの立場に上下はなく、全て平等。これは卯月が最初に決め、皆が同意したものだった。元々十二支徒に仲間意識というものはほとんどない。ただ、利害関係の一致から一緒にいるだけなのだ。
 一緒にいれば自分にとって都合が良い、効率よく目的を果たす事ができる。そう思っているからこそ彼らは共にいる。だからこそ、それがなくなれば彼らは同胞を殺すため、敵に回る事になるだろう。殺しに飽き、十二支徒という組織に属する事に興味をなくし、彼らと敵対する道を選ぶようになった卯月と同じように。
 そして、そんな彼女がフィードに託した黒剣はかつて彼女の同胞が手にしていた始まりの武器の一振りである。同胞とは名ばかりの他の団員とは違い、真の意味での十二支徒として認めるための武器。継承されることなどないはずだったそれを受け取ったということがどういうことなのかは言うまでもないだろう。

「お主はこれでわしらと同格じゃ。真の意味で……な」

 甲高い笑い声が室内に響き渡る。表に立たず、裏から物語を鑑賞するはぐれもの。そんな彼女に認められ、今日ここに新たな十二支徒が誕生した。どの位にも当てはまらない彼にあてがわれたのは『鬼』
 名はフィード。二つ名は『復讐鬼』。
 本人が絶対に認知する事のない入団は今ここに終わり、欄外の十二支徒は産声を上げた。


 卯月の元を発ったフィードは現在の滞在先である家へと戻っていった。家の中に入ると李明の遺品整理を終えたのか、居間に座ってどこか遠くを見つめていた。李明が猿哨との戦いで命を落としてはや三日。彼の死を知ってから李蒙は一気に老け込んでしまった。
 まるで、これまで町を守るためにずっと努力し、張りつめていた気が切れて目指すべき道を見失っているようだった。

「李蒙さん、今帰りました」

 フィードがそう告げると、数秒の間をおいて返事がした。

「あ、ああ。フィードくんか。お帰り、用はもう済んだのかね」

「ええ、おかげさまで。李蒙さんの方も?」

「私の方はすぐに終わったよ。李明のやつ、あまり物を持っていなかったからね。こんなに早く終わるとは思っていなかったよ。父親なのに、息子のことをあまり分かっていなかったんだな、私は」

「そんなことないですよ」

「いや、思い返してみれば私は李明に対して父親らしい事をあまりやれていなかったと思う。仕事にばかり時間を費やしてあいつと一緒にいることがあまりできなかった。それなのに、あいつは私の手伝いがしたいと警護人に志願してくれて……。
 あと、少しだったんだ。部下からも慕われて総括に相応しいほどの力もついていた。あのまま生きてくれていれば次の総括に李明はなっていた……」

 顔を手で覆い、すすり泣く李蒙。そんな彼にかける言葉をフィードは持ち合わせていなかった。

「うっ……うぅぅ」

 涙を流し、悲しみに暮れる李蒙。そんな彼を居間に残し、フィードはその場を後にする。

「さようなら、李蒙さん。俺があなたの前に現れることはもう……二度とないでしょう」

 その一言だけを残し、フィードは家を後にした。
 外に出ると、中にいた彼が出てくるのを待っていたのか、アルと香林の姿があった。香林は李蒙と同じように今にも消えてしまいそうなほど弱々しい様子で、そんな彼女を支えるようにしてアルが傍にいた。
 そんな彼女を前にし、フィードは謝る事も申し訳ないと言った態度を取ることもなくアルに声をかける。

「アル、行くよ。この町にはもういる理由がない」

 そう告げ、二人の横を通り過ぎて先に進むフィード。もっと別の反応を期待していたのか、アルは驚き、戸惑いから声を上げた。

「ま、待ってくださいマスター! なにか、なにか他に言う事は?」

 そう問いかけるアルの言葉にフィードが振り向く。だが、彼女を見つめるフィードの眼差しはゾッとするほど冷たく、鋭いものだった。

「他にって……何を? もしかして、李明のこと?」

「それは……その……」

「もしかして、謝れとかそういった類いのことを言ってるの? だったら俺が言う事は何もないよ。俺はあの時自分にできること最善の手を尽くしたつもりだ。非が全くなかったとは言わないよ。もしかしたら李明が助かっていた可能性もあっただろう。
 でも、李明の命を優先したら結局二人とも死ぬ羽目になったと思うよ。それに俺たちが死んでいたら他の人だって……。
 アル。君はそれをふまえた上で俺に言っているんだよね。李明をどうして助けなかったかって」

 フィードの反論にアルは言葉を失う。彼の言っていることは正論で、アルが言っているのはあくまでも感情論だからだ。
 この町に来て、一緒に生活をして親しくなった青年が死んでしまった事を納得できず、どうして助けてくれなかったのかとフィードに当たっているのだ。
 アルの隣に立っている香林は何も言わない。本来ならばこの言葉を彼に投げかける一番の相手は彼女であるのだ。それなのに何も言わないところを見るとある程度はしかたのないことだと思っているのだろう。それが本意かは別として。

「他に聞く事がないのなら行くぞ、アル」

 そう言って更に先へと進んでいくフィード。アルはその場を離れるか迷っていたが、そんな彼女の背を押してフィードの元へ香林は向かわせた。申し訳なさそうに頭を下げて彼の横へ立つアル。
 そんな彼らにこれまで重い口を閉ざしていた香林がようやく問いかけの言葉を告げた。

「ねえ、フィードさん」

 香林の言葉にフィードは立ち止まり、振り返る。

「なんだ、香林」

「私、本当は分かっています。李明が死んだのは仕方ない事だって。だって、あの人じゃ十二支徒に敵うはずがないんですもの。それを分かっていたのに、ちゃんと忠告したのにあの人は私の言う事を聞いてくれませんでした。 だから、ある意味自業自得な面はあると思います。フィードさんにその責任をなすり付けるのはただの八つ当たりである事も」


「……」

「でも、やっぱり好きだった人だから。ようやく掴む事のできそうだった幸せだったから。わかっていてもそれを奪われる事が私には耐えきれません。まして、大事な幸せを私にもたらしてくれた彼の命を奪った相手がまだ生きているなんてことはなおさら……」

「ああ、そうだろうな」

 香林の言う事にフィードは同意する。そう、あの戦いの決着はまだついていないのだ。

「ですから、恨みごとを言う代わりに私のお願いを一つだけ聞いてください」

「何だ?」

「あいつを、あの十二支徒を絶対に殺してください。それも、できるだけ苦しむような死に方を……それだけが、今の私の望みです」

 ありったけの憎悪を視線に宿らせ、頼み込む香林に、フィードは頷く。

「了解した。目的は一致しているしな。絶対に、奴を殺してみせる」

「お願いします」

 たった一つの約束を交わし、二人の話は終わった。フィードは再び前を向いて町を出るために歩いて行く。その少し後方で彼の背中を追うようにして歩いて行くアル。香林の事が気になるのか、何度も、何度も振り返りながらもその小さな姿は徐々に遠ざかって行く。
 そして、そんな彼らの姿が見えなくなると、香林はその場に崩れ落ち、両手で顔を覆って涙を流した。彼らの前で出すまいと思っていた恨みや、涙が一気に溢れだす。

「なんで、なんで、あの人を助けてくれなかったんですか。フィードさんなら助けられたはずなのに、あの時、私たちを巻き込まなくてもすんだはずなのに。
 ようやく、幸せな日々が手に入ると思っていたのに。卯月様に奪われてから何も考えず、必死に生きる事だけ考えて、幸せなんて求めないでいてきたのに。そんな私に安らぎを与えてくれたあの人が今の私にとっての全てだったのに……。
 フィードさん、私はあなたを恨みます。あの人を救ってくれなかった、あなたを。もう一度手に入るはずだった幸せを奪ったあなたを。
 今のあなたはおそらく気づいていないでしょう。だけど、いつかきっと気がつきます。
 あなたは、あなたは……十二支徒と変わらない。卯月様がフィードさんに目をかけているのはきっと、自分と同じ匂いをあなたから感じたからでしょう。
 フィードさん、あなたは紛れもない彼らの同族。人の幸せを奪う事しかできない人間です」

 届く事のない憎しみの言葉は天に向かって消えていく。壊れゆく心、手に入れた力。その代価は人々からぶつけられる憎しみとなる。それを糧にし、鬼は進む。己自身の復讐を遂げるその時まで。


 倭東を出たフィードとアルはセントールへ向かって歩いていた。二人の間には少しまであった穏やかな雰囲気はなく、フィードが無意識に発する冷たい空気に飲み込まれてぎこちないものになってしまっていた。
 ここ数日でまるで別人のように変わってしまった主の姿を見て戸惑いを隠せないアル。だが、彼女はそんな彼に萎縮しながらも質問を投げかけた。

「マスター。あの、十二支徒を殺してくださいって香林さんの言葉。町を襲った十二支徒は倒したんじゃないんですか?」

 少なくともアルは李明の命と引き換えに十二支徒を打ち倒したと李蒙から聞いていた。だから、先程の香林の言葉を聞いて驚いていた。

「そのことか。あいつはまだ死んでいないよ。片腕はもぎ取ってやったけどね」

 そう言ってフィードはあの時のことを思い出す。猿哨の命を確実に奪ったと思ったあの時のことを。
 迫る必殺の風の刃を前にして猿哨は詰んでいた。襲いかかる凶刃に為す術無く逃げの一手を取るが、速度が違いすぎた。その場にいた誰もが彼の絶命を確信していた。
 真空の刃が李明とともに防御のために突き出された彼の腕を切り裂き、彼の身体に達しようとしたその瞬間、唐突に猿哨の姿がその場から掻き消えたのだ。
 残されたのは胴から半分に分たれた李明と、肘から下を切り落とされた猿哨の腕。真っ二つにされる予定だった猿哨の身体はどこにも見当たらなかった。
 突然の事態にフィードも驚きを隠せず、一体何が起こったのか理解できないでいた。あの一瞬でどこかへ移動したのか? という考えが思い浮かぶものの、意識を張れど猿哨の気配も姿も見当たらなかった。
 あっけない幕切れに苛立つ彼の脳裏に唐突に一つの考えが思い浮かぶ。それは、ある魔術の存在だった。

 転移魔術。

 あまりに高度な技術で、かつ絶大な魔力を持つものでしか扱えない魔術だ。対象を遠く離れた場所へと一瞬にて移動させるそれは世界でも数えられるほどしか習得者が存在しない事で知られている。
 それを使えば、あの一瞬にて猿哨を遠くにある安全な場所へ移動させる事も可能だ。つまり、十二支徒の仲間がすぐ近くでこの戦いを見ており、猿哨の敗北を悟ったため己とともに彼を移動させたと考えるのが妥当な線だった。
 つまり、フィードは殺せるはずだった仇敵をみすみす逃がしてしまったということになる。李明という比較的己に近しいものを犠牲に払ってまで挑んだ戦いの結末がこれである。あまりの事態に思わず言葉をなくす。
 だが、同時にまだ彼らと、あの強敵達と戦える事を心のどこかで喜んでいる自分がいる事にも彼は気がついていた。
 自分の大事な物を失うか、守れるかの瀬戸際での戦い。負ければ全てを失い、勝ったとしても力が足りていなければ代価を支払わなければならない。そんなギリギリでの戦いに彼は深く嵌り始めていたのだ。


「ああ、決着はきちんとつけるさ。香林との約束もあるしね」

 歪んだ笑みを浮かべてそう宣言するフィードを見てアルは恐怖を感じた。すぐ傍にいるはずの彼が手の届かないような場所へと行ってしまったかのような錯覚を覚えたのだ。
 そして二人は歩いて行く。残虐な行いを許した町を後にして、平穏な日々が待つ街へと。

 だが、既に終わりは始まっていた。それは、彼らがセントールへ辿り着いてすぐに知らされる事になる。

 フラムの騎士、リオーネ。凶刃の前に倒れる。その知らせが全ての始まりだった。
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悪鬼への回帰

土煙を巻き上げ、二つの影が交差する。常人の目には映らない早さでの攻防が先程から何度も続いていた。一方は迫り来る凶刃を薄皮一枚で避け、時に己の愛剣でそれを受け流し、相手に打ち込む隙がないか伺っている。
 もう一方は沸き上がる喜びを隠そうともせず、自分の剣撃を防ぎ続ける相手に容赦なく重い一撃を打ち込みつづけ、煽りの言葉を口にする。

「おい、おい。どうしたぁ! 防ぐだけじゃ埒があかねえぞ。もっと打ち込んでこいよ!」

 以前とは違い、油断からの挑発ではなく、もっと自分を楽しませてくれという意味を込めて、猿哨はフィードに語りかける。しかし、フィードは猿哨の言葉を聞いていないのか無視したまま回避行動を取りつづけた。
 彼の頭を占めるのはどうやったら猿哨の肉の鎧を破る事ができるかということだけだった。そのための策を脳内に張り巡らせ、最小限の思考で回避や防御行動をとっているのだ。

(生半可な攻撃じゃこいつの肉に防がれる。前の時のように上級魔術を打ち込めればいいが、それでも致命傷には至らないはずだ。それに、あれは魔力を練るのに時間がかかる。それだけの時間を今回あいつが与えてくれるとは思えない)

 眼前を風切音を立てて黒の大剣が通り過ぎる。剣が通り過ぎてなお残る風圧という剣撃の残滓に思わず体勢を崩しそうになるが、どうにか踏ん張り次の行動に移る。

「あ~。ったく、ちまちまとした動きばかりしやがって。お前はあれか? 玉付いてねえのか? 男なら小細工や後先考えずにかかってこいよ。俺とやり合うだけの力はあんだろうがよ!」

「……」

 どれほど挑発しようともフィードがそれに乗ってくることはなかった。むしろ、先程よりも更に回避に磨きがかかり、二人の戦いは膠着状態になっていた。
 片方は一撃当てれば勝負がつく。片方は己に降り掛かる死の一撃を避け続けることはできるが決め手に欠ける。
 どちらに分があるかは言うまでもない。決め手に欠けている時点でこの勝負は終わったようなものだ。しかし、そんな中でもフィードの瞳には光が灯っている。これは、勝負を諦めた者の目ではない。
 彼はこのような状況でも勝機を見いだすための“何か”を待っていた。
 そんな彼の様子に気がついたのか、猿哨は一度持っている剣を振るうことを止めた。

「つまらねえ、実につまらねえ! なんだよ、おい。せっかく楽しい戦いができると思って楽しみにしてたのによ。興醒めもいいとこだぜ。それとも、なんだ? 他に何か考えがあるのか? もしかして頼りになる仲間でもいるのか?」

 動きを止め、問いかけを始める猿哨に合わせるようにフィードもまた足を止め、呼吸を整える。本人が思っている以上に疲労を蓄積していた。猿哨の気まぐれに付き合いながらも脳内では次の一手のための思考は止めることなく続けていた。
 不意にできた僅かな休戦時間。この間に上級魔術を発動させるための魔力を練ろうかとフィードは考えた。だが、それをすることはできなかった。
 一見、猿哨はただ気を抜いてお喋りに興じているように見える。しかし、彼はそう見せているだけで実際のところは先程と変わらない規模の殺気をフィードに向かって飛ばしつづけている。彼が一瞬でも気を抜いて別のことに意識を向けでもすれば、一瞬のうちにその命を刈り取るだろう。
 つまり、今現在の休息時間は彼の質問、あるいは独り言を聞かされることの代価として支払われているということになる。

「それともあれか? お前もしかして、この町の連中を庇ってるのか? 自分に意識を向けさせる事によってここの奴らが逃げる時間を稼いでるんじゃねえだろうな。だとしたら馬鹿にされたもんだ。
 俺ともあろうものが自分より弱い奴に舐められるとはな」

 ゆらりとフィードよりも大きな猿哨の身体が揺れ動いた。一瞬、その巨躯が倍になったかとフィードは錯覚した。先程よりも更に大きくなったプレッシャー。自身の力を甘く見られたことに我慢ならなかったのか、猿哨は怒り、そしてそれを力に変えていた。
 実際のところフィードは猿哨の事を甘く見ているつもりも町の人々も庇っているつもりもなかった。そんな余裕は今の彼にはないし、言われるまでそんなことを思いもしなかった。
 今の彼の頭の中を占めるのはただ目の前に立つ仇敵をどう討ち取るかということのみ。それ以外のことを考える暇なんてなかったのだ。
 以前の、それこそこの倭東へ来る前のフィードであれば考えが違ったかもしれない。町の人々を助ける事を考えて、それまでの時間を稼ぐという選択肢も取っていたかもしれない。
 しかし、トリアでの友との死別。倭東における己の師であり仇敵の一人である卯月との再会。その際の手合わせによる惨敗。極め付きは盗賊討伐に際しての猿哨との戦いにおける敗北。これらの経験と卯月の言葉が甘さが生まれ、人としての道を歩み始めようとしていた彼を再び修羅の道へと引き戻した。
 言うなればこれは回帰。かつて、誰とも慣れ合わず復讐だけに身を焦がしていた悪鬼に彼が戻りつつあることを意味していた。
 だが、そんなことを猿哨が知るはずもなく、彼はフィードが己を馬鹿にしていると勝手に判断して一人で怒っていたのだった。
 この状況をどう扱うべきかフィードは考える。吉と出るか凶と出るかは猿哨の行動次第だからだ。

「……決めたぜ。打ち込んでこねえのならわざわざお前を攻撃する意味はねえ。せいぜい、自分が守ろうとしている存在が目の前で奪われるのを黙って見ているんだな」

 そうフィードに告げて猿哨は町の人々が逃げた先へと駆け出した。そして、そんな彼に続くようにフィードもまた駆け出した。
 町の人々を助けるためでなく、たった一人の少女の心配だけをして。


 鼓膜が破れるほどの絶叫が天に向かっていくつも響き渡る。目の前で大切なものを奪われるものの叫び。辛うじて命を繋ぎ、痛みに耐えかねて叫ぶ怪我人。そして、嗚咽を漏らして怨嗟の言葉を投げかける人々。
 彼らが睨み、怯える対象はただ一人。目の前で悠々と殺人行為を続ける一人の男、猿哨だった。そして、そんな男の後方には町の人々を守るわけでもなく、ただ黙って猿哨の行為を見続ける。かつての、自分の時のように何もできず家族や友人、そして恋人を奪われる無力な人々。地面に倒れ伏し、恨み言を積み重ねるその姿は幼い頃の自分の姿のようだとフィードは思った。
 虐殺を続ける猿哨に人々は見ていられないと顔を覆い、その行為から目を背けていたが、やがて男の後方に殺されることなく無傷で立ち続けるフィードの姿を見つけて助けを求め始めた。

「助けてくれ! あんた、剣を持ってるんだろ。俺の妻の仇を討ってくれ」

「私の息子の仇を! あいつを殺してちょうだい!」

「殺せ、殺せ、殺せ!」

 その場にいた被害者の心が一つになり、フィードに自身の願いを託した。しかし、そんな彼らをフィードは……冷めた目で見るだけだった。

(こいつらは、どうして何もしないんだ? 万に一つでも立ち向かえば倒せる可能性があるじゃないか。そもそも、俺が猿哨を倒せると信じているのならあいつの動きを止めるために特攻するくらいのことはしてくれても構わないのに)

 詰まる所、彼らは弱いから、自分では敵わないからという理由を言い訳に使って逃げているのだ。自分の力で戦おうとせず、人に頼る事しかできない。
 世の中の大半はこのような人間で溢れている。そんなことはとうの昔にフィードはわかっていたし、それでいてそんな人の力になろうと彼は己の持つ力を貸し出してきた。
 だが、今の彼はそんな彼らを見てただ呆れるだけだった。そんなことで自分の思考を遮るなと一瞥し、彼らの言葉を聞き流す。
 彼はこの虐殺中も猿哨に隙ができるのを待ちつづけ、その隙を突いて必殺の一撃を打ち込むための方法を考えつづけていたのだ。
 何度訴えかけても猿哨に立ち向かおうとしないフィードに対する苛立ちが限界に達したのか、町の人々はその恨みの矛先を彼に向ける事にした。

「ふざけるな! 何で立ち向かわない。あんたなら勝てるかもしれないだろ」

「この人でなし! あんたみたいな奴が私の息子を守らないから……う、うぅぅ」

「死ね! 死ね! 死んじまえ!」

 理不尽きわまりない言葉がフィードに向かって飛び交う。彼が何も言わないのをいいことに、彼らは好きなだけ不満や恨みをぶつけていた。
 それを見た猿哨が高らかに笑い声を響かせる。

「見ろよ! どうだ、これが人の本質だ。お前がいくら大事なものを守ろうとしたところで意味ないんだよ。一時は感謝されようが、窮地に追い込まれればすぐに自分より強い者に縋り、助けを求めるだけで何もしねえ。
 弱い事は罪だ。弱さを言い訳に奪われる事に不満を述べる奴なんて死んで当然。お前もそうは思わないか?」

 そう問いかけられフィードは意外にもその考えを受け入れていた。弱い事は罪。確かにそれは真理でもあった。
 実際、自分が弱かったから家族を奪われ、友を守れず、こうして仇敵に敗北を重ねている。あの時に今と同じ。いや、それ以上の力があったのなら自分は何も失う事はなかったはずだ。力があれば、大切な者を守る事ができる。力がなければ、ただそれを失うのを黙って見ている事しかできないのだ。
 認めたくはないが、自分は十二支徒と同じ考えをしている部分があるのだとフィードは内心感じていたのだった。

「ああ、そうだな。弱ければ何も守れやしない」

 向かい合う宿敵。立場も、その生き様も違えど同じ考えに行き着いた二人の男。対峙する二人の間はこの瞬間、まるで時が止まったかのような錯覚を覚えるほど静まり返った。
 この状態がいつまで続くのかと遠巻きに二人を見ていた人々だったが、停滞はすぐに破られる事になる。停滞の中、フィードの視線がほんの一瞬だけ猿哨から外れ、別の方角を見ていた。
 そこにいたのは白い髪をした少女とそんな彼女を遠くへと逃がそうとしている男女が一組。不意に視界に入った彼らの姿に思わず視線を向けてしまった。
 当然、そんなフィードの行動を見逃す猿哨でもなく、これまで町の人々を殺しても何の反応も見せなかったフィードがようやく出した別の反応を感じ取り、すぐさま三人の元へと駆け出した。

「はっ! 今度こそ当たりか!?」

 猿哨に一歩遅れてフィードが彼の背を追いかける。だが、その早さは同じため距離は縮まらない。

「こいつらを殺ればちったあやる気を見せてくれるかぁ! 復讐鬼!」

 振り下ろされる斬撃に割って入る事もできず、フィードはその光景をただ猿哨の背後で見ているだけだった。再び失われようとする大切な命。それを目の前にして彼は……

「ふっ、ははっ……」

 ……笑ったのだった。

 ギンっと鈍い金属音が響く。振りおろされた大剣は辛うじて抜刀した李明の剣によって防がれていた。しかし、今の一撃を防いだのが精一杯だったのか、苦い顔をして必死に大剣を押し込まれるのを防ぐ李明。
 だが、必死になって李明が猿哨の一撃を防いだ事により生まれた一瞬の空白時間を突いて、フィードが猿哨の横腹を思い切り蹴飛ばし、その身体を吹き飛ばした。

「大丈夫か、李明」

「はい、大丈夫です。それよりも、あいつが?」

 襲撃者の確認をその身を以てした李明がフィードに問いかける。それに彼は頷いて肯定する。

「ああ、そうだ。あいつが襲撃者で、この町の人々を殺して回ってる犯人だよ」

 そう告げるフィードにどこか違和感を感じる李明。今までも、それこそこの町の前で再会した時も彼は張りつめるような空気を身に纏い、触れれば切れるような雰囲気をしていた。それこそ、昔。子供の頃に見た彼のように。
 しかし、それでも一緒に過ごしている間は面倒見のよい兄貴分のような存在で、稽古をつけてもらっている時等は特にそれが顕著に現れていた。
 だからこそ、李明は今の彼からは違和感を感じたのだ。まるで外見だけはそのままに中身を全く別の人間に変えたような気持ち悪さが今のフィードからは感じられた。

「どうした、李明?」

 そんな李明の考えを知るはずもないフィードはいつものように彼に優しく語りかけた。こんな状況にもかかわらず、そんな声を出せる彼が李明には本当に異常に思えた。だが、今はそれを追求している場合ではなく、どうやってあの襲撃者を追い払うか、もしくは討ち倒すかが問題だ。

「いえ、何でもありません。それよりも、どうします? この状況」

 見れば、香林はともかくアルはあまりの出来事に腰が抜けてしまっていた。そんな彼女を支えながら香林とアルはこの場を離れて行く。
 二人を逃がすにしても時間を稼がなければならないし、命を奪われないように自分の身も守らなければならない。なぜなら、いくら時間を稼いだところで自分達が倒されるようなことがあっては、彼女達の命はすぐに失われてしまうからだ。

「そうだな、俺たち二人で奴を止めよう。行けそうか、李明」

 ここに来てようやくフィードは攻めの一手に出る事を選択した。既に彼の中には先程まではなかった猿哨を討ち倒す手が思い浮かんでいる。
 胸中に不安を抱いたまま、それでも彼を信じるしかない李明はコクリと頷き、腰を落として下段に剣を構える。先程の一撃の打ち込みを防いだ際、相手の実力が自分よりも遥か上で、一度でもその斬撃を受ければ絶命は免れないという事は理解した。そのため、より早く動け、少しずつダメージを蓄積するヒットアンドアウェイの戦法をとる事にしたのだ。一撃の威力よりも素早さを重視するために腰を落とし、少しでも次の一手に移れるように足先に力を入れてフィードの動きを待つ。
 そして、そのフィードはと言えば、剣を構えたまま動こうとせず、彼に吹き飛ばされた猿哨が立ち上がるのをジッと見つめていた。

「いっ……てえな。んだよ、戦えるんなら最初からそうしろよ。待ちくたびれたぜ」

 コキッ、コキッと首をならして起き上がる猿哨。その様子から伺えるのは、先程の一撃が全く効いておらず、より好戦的に相手がなっているという事だけだった。

「フィードさん、一つだけ泣き言を漏らしてもいいでしょうか?」

「なんだ?」

「俺、この相手に勝てそうにもないです」

 戦う前から相手の気迫に呑まれて萎縮している李明。見れば剣を握りしめる手は微かに震え、顔は青くなっていた。本当は今すぐにでも逃げ出したくてたまらないのだろう。だが、後ろの二人を逃がすため、そして逃がした後も猿哨に手を出させないために彼はこの場に残っているのだ。そんな彼を安心させるようにフィードはそっと囁いた。

「大丈夫だ。あいつの動きさえ止める事ができたならどうにかできる手が俺にはある。だから、李明はあいつを止める事だけを考えてくれ」

 その言葉には少しも不安そうな様子はなく、本当に猿哨を倒す事が自分にはできるという自信にあふれていた。自分よりも遥かに格上なフィードがそこまで言い切るのだ。信じるに足る何かがきっとあるのだと李明は思った。

「わかりました。俺はあいつを止める事に専念します。フィードさんは奴を倒すことに集中してください」

「ああ、頼んだぞ」

 そう言って二人は会話を終えた。見れば、こちらの会話が終わるのをわざわざ待っていたのか、猿哨がつまらなそうな顔をして立っていた。

「なんだ、作戦会議はもう終わりか? まあ、遅かろうと早かろうと俺には関係ないんだがな。それじゃあ……行くぞ、ゴラァッ!」

 咆哮と共に放たれたるは一撃必殺の威力を持つ投擲された大剣。これを避けられなければ直接猿哨とやり合うなんていうことは夢のまた夢。
 唸りを上げ襲いかかる大剣を二人は左右に大きく飛んで交わす。獲物を喰い千切るように飛びかかった大剣は無人の目標地点へと辿り着く。獲物を捕らえられなかった鬱憤をはらしているのか、地面に突き刺さると同時に凄まじい衝撃を与え、地面を割った。その際に飛び散った土塊が四方八方へ、まるで投石のように飛んで行く。
 襲いかかる土塊達にフィードと李明は両手を顔で覆い、その身を縮めて接触を最小限にし、受ける威力をできるだけ少なくした。
 ほんの僅か、一瞬の出来事。刹那に起こったやりとりをまともに理解できた者は少ないだろう。それほどまでにこの戦いは素早く、高度なものだったのだ。
 土塊の衝撃が来ないのを確認し、地面に降り立つ二人。だが、開けた視界の先には猿哨の姿はなかった。

「後ろだ!」

 不意に横から聞こえて来るフィードの叫びに李明は背筋がゾッとするのを感じた。そして、背後を振り返ることなく、全身のバネを使って再びの跳躍。
 フィードの側に飛びながら李明は己が今さっきまでいた場所をチラリと盗み見る。そこには捕食者の目をした猿哨が指を鳴らして立っていた。
 フィードの叫びに気がつかず、一瞬でも後方を振り返っていたりでもしたらその時点で李明の命はなかっただろう。限界ギリギリの命のやり取りに、彼の精神はほんの少しの対峙で既にかなり摩耗していた。
 長期戦になればこちらが不利。それが分かっているのか、フィードもまたこの対峙を素早く終わらせるための行動に移り始めた。

「風よ、その身を集めて凝固せよ。
 集う力は目に見えず、気づかぬままに敵を押しつぶす――コンプレスドエア――」

 素早く魔力を練り上げ詠唱を開始するフィード。そして、詠唱を終えた彼の上空には目には見えない大きな空気の塊が集まり、密度を増し始めていた。魔術に関しては素人の李明でさえ、この魔術の危険さを肌で感じる。常人であれば即死の一撃だ。
 さすがにこれを発動されるのは不味いと猿哨も感じ取ったのか、目にもとまらぬ早さで二人に向かって襲いかかった。踏み込みが強すぎるのか、地面は陥没し、数歩でそれまで空いていた距離を埋めてしまう。
 フィードの手前に存在する李明の胸に向かって突き出される高速の拳。それが彼の胸元を貫く前にフィードは圧縮された空気を猿哨の頭上へと叩き落とした。

「潰れろ!」

 グシャリと嫌な音がし、猿哨の身体が地面に沈み込む。さすがの彼も前回の風の槍と違い、超密度に圧縮された空気を押し返すほどの力を持っていなかったのか、肉を削り、骨を砕かれながら地面へと埋もれて行く。

「ぐっ、おぉぉっ……」

 うめき声を上げながら必死に抵抗を試みる猿哨。だが、さすがの彼も風の塊から逃れる事はできなかった。直前まで命の危機に晒され、どうにかそれを回避した李明はただ呆然と目の前で押しつぶされる襲撃者を見ていた。

「や、やった……」

 勝利を確信し、安堵の言葉を口にする李明。だが、フィードの叱咤の言葉で再び気を引き締める事になる。

「まだだ!」

 その言葉に李明が後ろを振り返る。見ると、魔術を発動させているフィードの額には脂汗が浮かび、苦しそうな表情を浮かべ、肩で息をしていた。
 緊迫した状況で忘れてしまっていたが、フィードの体調は万全ではなかったことを李明は思い出す。そして、それがどういう展開を引き起こすかを想像して彼の顔から血の気が引いた。
 ズンと大地を揺らす振動が彼ら二人の足下を揺らして伝わった。フィードの苦虫をかみつぶしたような表情に李明が再び振り返ると、そこには風の塊を弾き飛ばそうと片足を付いて起き上がろうとする猿哨の姿があった。

「化け物がっ……」

 たまらず愚痴をこぼすフィード。しかし、そうしたからといって状況が好転するわけでもなく、むしろ彼らの状況は悪化の一途へと辿り始めていた。
 今すぐに猿哨の息の音を止めたい。しかし、彼には生半可な攻撃は効かず、今近づけば自分も風の塊の餌食になる。そうした理由からトドメを刺す事もできず、この均衡を打ち崩せずにいた。
 だが、それもとうとう限界が来た。フィードの発動させた魔術は効力を失い霧散し、それまで空気の圧力に耐えていた猿哨は自由の身となり、風の拘束から解き放たれた。
 超密度の風圧によって押しつぶされて内臓を損傷したのか、猿哨の口元からは血が垂れていた。それを唾と一緒に口内に含み、勢いよく地面に吐き捨てる。

「やってくれたな。そうだよな、そうこなくっちゃな」

 あれだけの攻撃をくらってなお猿哨の顔に浮かぶのは笑顔だった。狂っているとしか思えない、真の意味での戦闘狂を目の前にして李明は絶望した。
 フィードは体調の悪化がぶり返し、満身創痍。そして猿哨はやる気満々の状態。元々李明はこの場に降り立つ役者としては相応しくない。精々主役のサポートができればいいといったレベルだ。
 だが、肝心の主役がバテてしまい舞台を続けられるような状況ではない。そうなると待っているのはもう一人の主役による終了宣言のみ。それはつまり彼ら二人、ひいては町の人々の命の終わりを指し示していた。

「駄目だ……」

 震える声で李明は呟く。彼の脳裏には数分後に哀れな肉塊と化した自分達の姿しか浮かび上がらなかった。しかし、そんな絶望的な中でも彼は諦めなかった。

「駄目だ、だめだ! 諦めたら、それこそみんなが犠牲になる。この町の俺が世話になった人たち、父さん、香林が。そんなのは駄目だ! フィードさんはあいつの動きを止めたらどうにかなるって言っていた。だから……俺は」

 意識は猿哨に向けたまま、フィードの様子を見る李明。彼はまだ息を切らしており、すぐに戦えるほど体力が戻っていなかった。
 李明は覚悟を決めた。フィードの言葉を信じて、決意を固める。

「フィードさん、信じてますよ」

 そう、彼に告げて李明は再び剣を構える。そして、叫び声と共に猿哨に向かって突っ込んで行った。中段から横一線に振り抜いた剣は、全力であったのにもかかわらず、猿哨の横腹に僅かに食い込み血を流す程度の傷しか生み出さなかった。

「くっ!」

 すぐに剣を抜き、少しでも時間を稼ごうとする李明。だが、筋肉の締め付けによって猿哨の横腹から李明の剣が抜けることはなかった。

「お前はもういい」

 淡々と死の宣告を告げる猿哨の顔を李明が覗き込む。

「かっ……けふっ……」

 次の瞬間には彼の腹部を猿哨の右腕が貫通していた。ポタ、ポタ、と腹部と貫通している腕の接合部から零れ落ちる多量の血。李明の口元からも溢れるように血が流れた。
 もはや絶命は免れない。だが、そんな状態でも彼は必死に抗いつづけた。

「ま、まだっ……じか、ん……を」

 己に残った最後の力を振り絞り、猿哨の腕をがっしりと掴む李明。彼を逃がすまいと必死に食らいつく。

「このっ! 雑魚が離しやがれ!」

 火事場の馬鹿力で自身の腕を掴み続ける李明の腹部から腕を引き抜こうとする猿哨だったが、それを行おうとした瞬間、これまでに感じたことのない怖気に襲われた。それは、李明の後方。先程まで満身創痍だったフィードから発せられるものだった。

「よくやった、李明。これでこいつの命を奪う事ができる」

 今までに見た事のない程顔を歪め、笑顔を浮かべるフィード。そこから感じられるのは狂気の感情。仲間が今にも死にそうだというのに、それを悲しむどころか仇敵の命を奪えることに喜びを感じる方が先だという。
 少し前に猿哨のことを化け物とフィードは言ったが、この状況を他の者達が近くで見ていたのなら彼も猿哨と何も変わらないと口にしただろう。
 よくよく考えてみればおかしな点はいくつもあった。町の人々が殺されても一切助けようとしなかったフィード。それが急に李明を含めた三人の方を気にかけたのだ。確かにあのままではいずれ猿哨が手を下していたのかもしれないが、それでもあの状況でわざわざ視線を向けて猿哨に気づかせる理由はない。
 つまり、あの時点ですでにフィードは彼らを囮に使っていたのだ。大切な者を守りたいと思いながら、その大切な者を復讐を遂げるために利用した。それが矛盾しているということにきっと彼は気がついていないのだろう。いや、もしくは気がついていてなおそのような行動を取っているのだろう。
 勝利宣言のようにフィードは剣を天に掲げ魔術の詠唱を開始する。それは、これまでの戦闘で培ってきた技術と、刃の通らないほど堅い筋肉の鎧で覆われた猿哨の身体を確実に切り裂くための新しい戦法だった。

「風よ、敵を貫く高速の槍を形作れ。
 捻れ、渦巻き、どんな強固な盾をも貫く矛――ソニックランス――」

 詠唱を終え、風の槍を空いた手に持つフィード。これだけなら今までと何ら変わりない戦い方だ。しかし、彼は発動させた魔術を剣の表面に重ね合わせるように付加した。
 これはある意味フィードのかつての友クローディアがやっていた二つの魔術を同時に操るという事に近い。魔術を発動させたまま、それを剣に重ね合わせ振るう。確かにそれは絶大な威力の斬撃を生み出すが、本来であれば短時間で霧散する魔術を長時間維持せねばならず、魔力、体力の消耗は激しい。それに、魔術が本来持つ威力に武器が耐えきれず破壊されてしまうだろう。これはまさに絶大な一撃と引き換えに己の戦えるための力を全て使い果たすということを意味していた。
 己の直感でその危険性を理解したのだろう、猿哨はすぐさま李明を引きはがそうとするが、どうしてもその手は彼の腹部から抜け出す事はできなかった。

「ちっくしょおおおおおおおおおおおお!」

 叫びながら李明ごとその場を離れようとする猿哨だったが、それよりも前にフィードの一撃が放たれた。

「これで終わりだ。死ね、猿哨」

 放たれる絶大な威力の風の刃。そのあまりの力にこれまでの戦いを共に戦ってきた愛剣は粉々に砕けちり、放った魔力の衝撃で剣を持っていた両腕にいくつもの切り傷を作った。
 一瞬にして猿哨の元へ辿り着く風の刃。その光景を見たのは当事者も含めて四人。
 一人はフィード。己の勝利と、十二支徒の一人、猿哨の命を確実に奪ったと確信しその顔に笑みを浮かべる。
 一人は猿哨。己の命が奪われると直感し、どうにかこの一撃を防ごうと最後まで足掻く。
 一人は香林。アルを無事な場所にまで連れて行った後、李明達の戦いを見届けようと近くにまで戻ってきていた。そして、愛する者が襲撃者によって胸を貫かれ、今その命を完全に終えようとしているのを見て声にならない叫びを上げた。
 そして、最後の一人は。

「くっ、くくく。ふはははははっ! ついに、ついに来よったか!」

 狂気に魅入られ、悪鬼へと再び身を堕としたフィードを遠くから見て歓喜する、十二支徒の元リーダー。手塩にかけて育てた彼の弟子が壊れ始めた様を目の当たりにした彼女の興奮は今最高潮に達していた。

「ここまで来たらもう戻れぬぞ。せいぜい残った理性を大事にして、それが失われた時の絶望をしっかりと噛み締めるとよい」

 町を一望できる見張り台の一つ。その頂上、戦いを観戦するには最高の特等席からそう呟く卯月。
 この四人だけが、戦いの最後を見届けていたのだった。
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強者の理

夢か現実かと問われれば、間違いなくこれは夢だとこの町に住むほぼ全ての人間がそう答えるだろう。なにせ、大人数名で開かせる町の門をたった一人で、それも蹴破って町へと侵入されたのだ。これを夢だと言わずになんと言うか。
 これまで盗賊達の幾多の襲撃にも耐えてきたその門は今となっては中央に大きなひび割れた亀裂を生み、その亀裂を打ち破って一人の侵入者を町中へ迎えていた。

「おうおう。しけた町だな」

 背中に身の丈以上の大剣を背負った筋肉質な赤毛の男。悪名高き十二支徒の一員であり、十二支徒の元となった組織の創設者の一人でもある猿哨は我が物顔で町を闊歩する。遠慮も何もそこにはない。己が何をしようが、文句があるのならかかってこいというのが彼の考えだ。それで打ち負かされるのならそもそも文句を言う筋合いもなく、どういう扱いを受けようが仕方のない事だと割り切らなければならない。
 つまり、彼の行動を制限させようとするならば、己の方が強いという事を戦って証明しなければならない。
 まさに弱肉強食。それは、同胞だったからそのような考えに至ったのか、同じ考えだから同胞になったのかは分からないがこの町の領主でもあり元十二支徒のリーダーでもある卯月と全く同じものだった。

「にしても結構広いな。これじゃあ探すのが面倒くせえ」

 周りを見渡し、目的の相手を捜す猿哨。己の身体に傷を負わせ、挙げ句逃げ切って見せた男、フィードを追って彼はこの町へと辿り着いたのだ。

「ま、見つからねえなら出てくるようにあぶり出すだけだけどな」

 そう言って猿哨は背負っていた大剣を手に取り、大通りを歩いて行く。
 平静な様子の彼とは対照的に、この町に住む人々は突然の襲撃者にパニックに陥ってしまっている。騒ぎに気づき、慌てて遠くへと逃げようとする者もいれば、ガタガタと身を震わせてその場に縮こまらせてしまっている人も。
 そんな中、事態に気がついていないのか幼子が猿哨の前に向かって行った。

「あ?」

 己の道を防いだことが気に入らなかったのか、猿哨は不機嫌そうに眉を吊り上げて不快そうに顔を歪めた。そして、幼子はそんな猿哨の心の機敏に気がつくはずがなく、無邪気に笑顔を向けて立ち止まっていた。
 ゆっくりと振り上げられる大剣。幼子に向けてそれは叩き付けられ、命を奪うであろう事はその場にいる誰もが理解していた。

「う、ああああああああああああ!」

 助けたいと思いながらも我が身もまた大事という考えで幼子を助けに誰も動けない中、一人の中年男性が叫び声をあげながら猿哨に向かって突撃していった。その男の後に続くように他にも数名の男や幼子の母親と思われる女性が一斉に走って行く。
 全員で一斉に飛びかかれば。あの大剣を奪い取る事ができれば……。圧倒的な力を持つ相手にほんの僅かに彼らが抱いた勝機がそれだったのだろう。
 猿哨の周りを取り囲むように陣形を取りながら男達が飛びかかる。幼子の母親が何が起こっているのか理解できていない我が子を抱きしめる。
 その光景をつまらなそうに、本当にくだらないと吐き捨てるように猿哨は侮蔑の眼差しで一瞥し、振り上げていた大剣を薙ぎ払うように振り下ろし、一回転させた。
 抉られる肉、飛び散る臓物。血潮は周りに吹き荒れ、背丈が小さく、かろうじて黒剣の獲物にならなかった幼子の頭を赤く染める。
 ピタリと幼子の頭上で止まる大剣。童子を助けようと向かった者は全て絶命し、その光景を見つめていた人々を更に絶望へと叩き込んだ。
 幼子を抱きしめていた母親の身体が崩れる。地面にぶつかり、その衝撃で抱きしめていた幼子は母親の腕から解放される。首から上がなくなった母親を見て不思議そうにする幼子。何度も、何度も横たわる母の身体を叩いて反応を伺うが、何の変化もない。そのことを不安に思ったのか、目に涙を溜めるとすぐさま大声で泣き出した。母の死を理解したのか、それとも相手になってくれなくて悲しかっただけなのかは分からない。ただ、幼子は泣き叫びつづけた。
 しかし、それもすぐさま泣き止む事となる。

「うるせえ、ガキ」

 ザクッという音が聞こえたと思うと、それまで耳をつんざくほどの大きさで響いていた鳴き声がピタリと止んだ。代わりに、その様子を遠目に見守っていた人々の方から心底怯えた叫び声が幾つか短く空に向かって上がった。
 大通りは一瞬にして血溜まりとなった。人の形をしていない死体が幾つも散らばり、まだ未来のある幼子の命も無惨に刈り取られた。唯一救いと呼べるようなものがあるとするならば母親と幼子寄り添うようにして死ねたことくらいだろうか。

「さて、そろそろ来てくれねえかな。そうじゃねえなら、どんどんと死体の数が増えていくだけだぜ」

 猿哨は目的の人物であるフィード目指して歩み続ける。だが、そんな彼の前に新たに幾つもの影が立ちふさがった。
 弓矢を携え、剣を構え、罪なき町の住民を惨殺した猿哨を鋭く睨みつける警護人達。その表情は怒りに満ちあふれていた。先程の光景をここに辿り着くまでに遠目で見ていた彼らの中には恐怖に怯えるものもいる。しかし、恐れよりも更に強く湧き出る怒りの感情に身を任せる事によって、どうにかこの場から逃げ出さずに猿哨の前に立ちふさがっていた。

「俺たちの町へ侵入し、町の人々を無惨に殺す気狂いめ! お前の悪行もこれまでと思え!」

 警護人達の先頭に立つ男が猿哨に向かって宣言する。周りの警護人たちも気力を振り絞り、恐れに負けまいと声を張り上げる。
 弓を構え、矢を添える。キリキリと音を立て弦を張る音が幾つもし、警護人達の手が弓矢から離れると、それは猿哨めがけて一斉に弓矢が飛んで行った。
 凄まじい勢いで襲いかかる弓矢の数々。だが、猿哨はそれを見ても動じることなく大剣を己の前に突き出して矢を防ぐ盾とした。
 甲高い金属音が周りに響く。ほとんどの矢は地面に突き刺さり、その他は猿哨の剣に弾かれて転がっていた。結果から言えば、警護人達が放った弓矢は何の効果も出すことなく終わったのだ。

「どうした、これで終わりか?」

 欠伸をしながら相手の次の一手を待つ猿哨。その姿を見て警護人達は戦慄する。この男は化け物だ。人の手で葬れる相手等ではない。本能的にそう理解する。だが、ここでこの男を逃してしまえば己の命も、ましてや家族や友人達の命も刈り取られる可能性が高いということにも彼らは気づいていた。
 逃げるわけにはいかない。男を逃がすわけにもいかない。打ち倒す事ができなくともせめて足止めまでは……。警護人の誰もが同じ考えに至ったのか、アイコンタクトをした後、次なる一手に移った。
 近づけば大剣にて真っ二つにされる。しかし、時間は稼がなければならない。ならば……。

「みんな、今すぐこの場から逃げるんだ!」

 恐怖から身動きの取れなくなっている住民達に先程声を張り上げた警護人が指示をした。それを聞いて一目散にこの場から逃げ出す人々。住民を逃がす時間を稼ぐため、警護人たちは全員弓を構え、猿哨へ向かって矢を放った。

「射て、射てっ! 弓矢に晒されている間はいくら奴といえども身動きは取れない。住民が逃げるまでの時間を稼ぐんだ!」

 矢を射ては構える警護人達。先程の再現のように猿哨は大剣を己の前に突き出し弓矢を防ぐ。

「おい、おい。つまらねえ事は止めろよ。興ざめしちまうだろうが。まあ、元々お前らには興味も何もないけどよ」

 弓矢の山が猿哨の周りに作られる。住民のほとんどは逃げ終わり、この場に残されたのは猿哨と警護人達だけとなった。弓矢はとうに全て射終わり、持っているのは剣一本のみ。人数では勝っている。普通ならば勝てるだろう。だが、目の前に立っている男が普通ではない事をこの場の誰もが理解していた。

「ん~、あの復讐鬼が来るまでの暇つぶしにでもなるかと思ったが、どうも駄目だ。もういいぞ、お前ら。目障りだ」

 猿哨がそう告げると同時に警護人達の元へ巨大な飛来物が向かってきた。凄まじい勢いで迫るそれに反応することも、ましてや防ぐ事もできず彼らの三分の一はそれに巻き込まれて吹き飛ばされた。
 飛来物が何なのか確認する間もなく、彼らに向かって突進する猿哨。その速さはまさに神速。無手にも関わらず自分たちに襲いかかる害敵に向かって剣を抜き放つ警護人。
 だが、強襲する敵のあまりの威圧感にパニックに陥ってしまったのか一部の警護人が持っていた剣を所構わず振り回した。味方によって切られる他の者たち。集団は一気に瓦解し、単なる烏合の衆へと成り代わった。
 当然、猿哨がそれを見逃すわけもなく、集団の隙間を縫い、先程から隊を纏めているリーダーと思われる男に向かって一直線に走り抜ける。
 迫る害敵に未だ冷静さを保っていた男は剣を上段から振り下ろす。一直線に向かってきた猿哨にその刃は突き刺さるものと思われた。
 しかし、彼らは忘れていた。町へ戻ってきたフィードによって李明に伝えられ、彼らにもまた教えられていた敵の特異性について。
 男の振り下ろした剣は猿哨が頭上にて交差させて構えた両腕によって阻まれていた。僅かに肉にめり込んでいるとはいえ、全力の一撃で振り下ろした剣がこのように防がれると思わなかった男は思わず硬直してしまう。

「へっ! どいつもこいつも。ちったあ違う反応をしろってんだよ!」

 すぐさま腕を横にずらして剣を肉から剥がす猿哨。そしてそのまま男の背後を取り、片腕で彼の首を締め上げた。
 ミシミシと嫌な音が周囲に聞こえる。誰もが唖然として動きを止め、その様子をただ見つめている。

「じゃあな。恨むんなら自分の命も守れない己の弱さを恨むんだな」

 ゴキッと首の骨が折れる音が周りに響き、男の身体が力なく垂れ下がる。それを見た他の警護人達の間に悲鳴が上がる。
 リーダーを潰され、怒りが霧散し恐怖が上回った人々は我先にと逃げ出し始めた。しかし、そんな彼らを猿哨が見逃すはずもなく、先にこちらに投げつけていた大剣を拾うと、逃げ回る人々を一人ずつ確実に殺していった。そして、最後の一人になった警護人にとどめを刺し、次の獲物を探そうとしたところで気づく。
 それまでとは違い、肌がひりつく感覚が彼の内から沸き上がる。背筋がぞくぞくとし、それまで萎えつづけていたやる気が一気に最高潮まで上がる。

「よお、待ってたぜ」

 口元についた血を指で拭い、喜びを露にする猿哨。その視線の先には一人の男が立っていた。数日前、己の身体に傷を負わせ、命を奪う事ができずに逃げられた敵。一度は力ない者と思い失望し、その後すぐにその考えを撤回させた男が。

「準備は万全か? 前と違って逃がすつもりも油断をする気もないぜ」

 猿哨の言葉に男は、フィードは黙って剣を抜く。それを見た猿哨もまた大剣を構える。

「さあ、再戦だ。今度こそ命尽きるまで戦い尽くそうぜ!」

 その言葉を開戦の火蓋とし、二人は相手に向かって駆け出した。
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大切な者は

揺ら揺らと暗闇に灯る一つの明かりがあった。メラメラと燃えるそれは、パチッ、パチッと宙に巻き上がる火の粉を舞わせ、薪は身体を折って音を鳴らしている。
 燃え上がる炎の煌めきに照らされ、写し出される一つの人影。筋骨隆々として力強い野生の獣を思わせる男が火の手の前に座り込んでいた。
 大量の血が染み込んだ大地に一人存在するその姿はまるで悪鬼や修羅の類いに見える。
 香ばしい匂いが漂い始めた事に気がついた男は嬉々とした様子で炎に晒していた肉を手に取ると、豪快にかぶりついた。
 溢れ出る肉汁。ブチブチと千切れる筋繊維。湯気は空へと昇り、姿を消して行く。がつがつと、一瞬にして肉を食らいつくし、満足げにする男。
 満腹になった腹部を撫でる男。数日前に負傷し、傷のあったそこは既に完治していた。

「さて、行くとするか」

 立ち上がり、己が狩ると決めた獲物が逃げた先を見据える男。燃え上がる炎を踏みつぶして消化し、地面に突き刺していた大剣を抜き放つ。
 月夜に照らされ、光を反射する黒剣。血に飢えたそれは今か、今かと新たな犠牲者が生み出されるのを待っている。
 目標に向かって修羅が歩む。その後ろには血道ができ、生き残るものは誰もいない。


 倭東にフィードが戻り療養生活を始めてから数日が過ぎた。傷を塞ぎ、体力を付けることだけに専念した結果、完治とまではいかないものの、八割ほど怪我は治り体力もほとんど回復したのだった。
 拳を握っては開き、力が入るかを確認する。握力は少し落ちていたが、剣を握る分には問題ない程度はあった。鞘に入っている剣を抜き、握りしめる。来るべき再戦に向けてフィードは静かに覚悟を決めた。

「マスター。ご飯ができたようですよ~」

 扉を開き、アルが剣を握りしめるフィードに声をかけた。

「ああ、今行く」

 剣を鞘に仕舞うと、フィードはその場を後にし、居間へと向かった。居間にはすでに李明とその父である李蒙が座って待っていた。

「フィードさん、体調の方はどうですか?」

 居間に入ってきた彼に李明が問いかける。

「大丈夫だよ。体力もだいぶ戻ったし、いつでも戦える」

「そうですか。それはよかった」

「それで、町の近辺で何か異常な出来事はあった?」

「いえ、特には。ですが、本当に来るんですか? あの十二支徒が」

 この町に運ばれ、意識が戻った翌日には李明に猿哨との戦いのことをフィードは話していた。そして、彼が自分を追ってこの町へ来るかもしれないということを。それを聞いた李明は探索隊を派遣し、町の近辺や盗賊の拠点としていた場所へと向かったが猿哨の姿は見当たらなかった。
 すでに別の場所へ移動したと仮定も立てたが、フィードの心がそれを否定していた。

(あれほど戦う事に執着している男が自分に傷をつけた男を放っておくはずがない。弱者には興味がないが、歯ごたえのある相手なら決着をつけておきたいと思うはずだ。このまま何事もなく終わるとは思えない)

 そう思うフィードの周りの空気が張りつめているのをこの場にいるのを誰もが感じていた。この町に帰って目覚めてからというものの、何かを決意したのかフィードの様子は以前とは少しだけ変わっていた。それが何かと問われれば答えに困るが、どこか危ういものをその内に秘めているのだけはわかるのだった。

「あ、そうだ! さっき香林さんが来て李明さんに話があるっていってましたよ。食事が済んだらいつもの所に来てくださいだそうです」

 この場の空気を変えようと思ったのか、アルがつい先程預かった伝言を李明に伝えた。

「えっ、いつの間に……」

「いえ、ホントについさっき来られて。伝言だけ頼まれて帰られたんです。なんでもお買い物の帰りだったみたいで」

「そうなんだ。わかった、後で向かっておくとするよ。伝言ありがとう」

 そんな二人のやり取りを見ながらフィードは空いている場所に座り、机の上に置いてある食事に目を移した。

「お、これもしかしてアルが作ったのか?」

 見れば、不格好ながらもジャンで有名な和風の料理がいくつかテーブルの上に置かれていた。

「は、はい。せっかく異国に来たのでできたらこちらの料理も覚えておこうと思って李明さんに教えてもらったんです」

「といっても、自分にできる数少ない料理だけですけどね」

「そうなのか。悪いな、何から何まで世話になっていて」

「そんなことは……フィードさんにはこの数日稽古に付き合ってもらってますし。お互い様ですよ」

 そう、李明の言う通りここ数日療養中でも腕が落ちないようにとフィードは李明と木刀を使った稽古を行っていた。やはり、昔と違い力もつけ町を守っている警護人なだけあり、李明は並の剣士よりは強かった。
 それでも、さまざまな敵と戦いつづけてきたフィードの経験や地力が勝っていたため、病み上がりでも李明相手に負ける事はなかった。

「やっぱりフィードさんは強いですよ。俺なんかまだまだです」

「そうでもないさ。後十年もしたら今の俺じゃ勝てなくなると思うぞ。李明は鍛錬も怠っていないみたいだし、もっと自信もってもいいぞ」

「ホントですか? いや~そう言われると照れますね」

 和気あいあいと会話を交わしていると、ダンと机を叩く音が聞こえた。その音の発信主は李明とフィードの対面に座っている李蒙だった。

「そろそろ……食事にしないかね」

 ジロリと二人を睨み、食事の開始を提案する李蒙。一見すると怒っているように見える彼だが、実際はそうではなく、ただ口べたなだけである。ただ、鋭い目つきや威厳のある風格、がっしりとした屈強な体格のせいで誤解される事がしばしばあるだけである。

「はい、はいわかりましたよ父さん。でも、机を叩くのは止めてください。話を切り出しにくいのに毎回そうやっているからみんなから怒っているって誤解されるんですよ」

「む……そうだな。すまん」

「別に謝らなくてもいいですよ。フィードさんもそのことはわかっていますから。ねえ、フィードさん」

「ん? ああ、俺は別に構わないんだけどな~」

 話を振られたフィードは半ば無意識に返事をし、すぐ近くで腰を抜かしてしまった少女に視線を向けた。

「まだ、アルは慣れていないみたいだな」

 微笑を浮かべ、涙目になっているアルを小馬鹿にしながら、起き上がれずにいる彼女の元へ近寄り、両脇に手を入れて抱きかかえた。

「わ、わっ! マスター、はなっ、離してください~」

 バタバタと手足を振るわせてもがくアル。嫌がる彼女を見てますます愉快そうに笑うフィード。そんな彼女達を見て李明もまた微笑んだ。

「ほんと、二人は仲がいいですね。まるで一緒にいるのが当たり前みたいです」

「そうか? だってさ、アル」

「それはどうもありがとうございます。……って、そうじゃなくて! マスターは早く下に降ろしてください!」

「わかった、わかった」

 言われたとおりにアルを床に降ろしたフィードは自由になったアルからすぐに反撃を受けた。

「もう! からかうのはよしてください。李蒙さんも困ってますよ」

「すまなかったって。そうだな、食事もまだだし。せっかくアルが作ってくれたんだ。おいしく頂くとしようか」

 アルを連れて再び席に着くフィード。そのまま四人はゆっくりと食事を始めた。

「ん、こりゃ美味い。アルもだいぶ料理を作るのが上手になったな」

「ありがとうございます。だてに宿屋で働いていませんからね」

「へえ、アルちゃん宿屋で働いているんだ。セントールに行く機会があったらそこに泊まってみようかな」

「是非来てください。その時はマスターと二人でお出迎えしますね」

「その時は早めに連絡してくれよ。突然来られていませんでしたなんて状況は嫌だからな」

「はい。事前に手紙を送っておきますね」

 他愛無い会話を続け、一同は食事を終えた。一人だけ、李蒙が最初から最後まで会話に混ざろうとしなかったが、これは単に口べたなだけであろう。

「それじゃ、俺は約束があるので出かけてきますね。二人とも今日の予定は?」

「う~ん、特にはないな。強いて言えば鍛錬」

「私も特には。マスターのお傍にいて鍛錬を見ている事くらいでしょうか。あ、でも魔法の練習もしないといけないんでした」

「そうですか。俺は今日は午後から見回りや警護があるんで、次に合うのは夜ですかね。それじゃ、また後で」

「ああ、またな」

 そう言って居間を出て行く李明を見送り、フィードもまた寝床に置いてきた剣を取りに行こうと起き上がろうとする。だが、その前に静止の声をかけられた。

「フィードくん。少し話があるのだが、いいかね」

 真剣な表情の李蒙が立ち上がろうとしていたフィードを止めたのだ。

「いいですよ。もしかして李明のことですか?」

 李明がこの場を立ち去ってすぐに話を持ち出してきたことから、フィードは何となく彼に関する話ではないかと推測していた。そして、その質問に李蒙は首を縦に振って肯定した。

「うむ。実は、一つ君に聞いてもらいたい事があるのだ」

「何でしょう。俺でよければ何でも聞きます」

「ありがたい。それでな、話というのは……」

 そう言って李蒙は一度口を閉ざして言葉を切った。そして、一拍を置いて続きを口にした。

「私はあやつを、李明を次のこの町の警護人の総括にしようと思っているのだよ」


 家を出てしばらく歩き、李明は目的の場所へと到着した。そこは町の四方に立てられた見張り台だ。高さは三、四メートルほどあり、町に向かってくる外敵の存在や行商人の姿をいち早く見つけられるようにと作られたものだ。本来であれば時間によって警護人達が見張りを交代するのだが、まだ若い警護人達の間では、仕事中にこっそりと恋人達と会うための場としても活用されていた。
 もちろん、最初は李明もこの事態を遺憾に思っていたのだが、周りの隊員の言葉に流され、いつの間にやら自分も共犯者に仕立て上げられていた。こうなったら、バレるまでとことんやれとの事で、自分も含めた隊員達はこっそりと恋人達との逢瀬を楽しんでいるのだった。
 添え付けられた梯子を昇り、見張り台の頂上に到着する李明。そこには既に彼を待っている香林の姿があった。

「遅かったですね。もう少し早く来てもらえると思っていました」

「ごめん、ごめん。思っていたよりゆっくり食事をしててさ」

「そうですか。私の方もあまり時間がないので少しの間だけしかここにいられませんが」

「そうなんだ。今日も忙しいの?」

「ええ。こっちは仕事をしない主が常に私に仕事を割り振ってくるので」

「ホントうちの領主様は横暴だよな」

「悪口ですか? そう言った事を言っていると私がそのまま伝えてしまいますよ」

「止めて、そうなったら俺この町で生きていけなくなるから」

「そうですか、嫌だというなら止めておくとします」

 そよ風が二人の間をすり抜ける。風に揺られてたなびく香林の髪に李明がそっと手を伸ばす。

「駄目ですよ。今は仕事中なんじゃないんですか?」

「そんな事言ってもここに来てる香林だってここに来てるじゃないか」

「私はちゃんと許可を貰っていますので」

「じゃあ俺の仕事の邪魔をしている代価ってことで」

 そっと口元を近づける李明に香林は……。

「いけません。それは、また今度です」

 やんわりと断りの言葉を告げ、近づく唇に指を添えるのだった。

「ちぇっ、ちょっとは期待してたんだけどな」

 接吻を拒否された事が不満なのか、李明はあからさまに不機嫌になっていた。まるで大きな少年のような彼の態度に仕方ないなと思い、香林は膝元をポンポンと叩いた。

「こちらでしたら使ってもらって構いませんよ。お詫び……というわけじゃないですけれどね」

 それを聞いた李明はすぐに香林の傍に寄り、膝の上に頭を乗せた。

「気持ちいいな~。しかもこの位置から見える景色は絶景だ」

 そう言って香林の胸元へと視線を移す李明。下心丸出しである。

「私が許したのは膝元だけですよ。それ以上下品な目で私の胸元を見るのでしたら両目とも潰させてもらいますけど?」

「それは勘弁。ごめん、もう見ない」

 サッと視線を横に逸らす李明。先程のお返しとばかりに自分の膝元にある李明の頭に手を近づけ彼の髪を触る香林。

「髪の毛、だいぶ伸びましたね」

「ん? そうかな」

「伸びました。私が言うので間違いないです」

「そっか、それじゃあまた切ってもらわないとな」

「そうしましょう。次のお休みの日なんてどうですか?」

「そうだね。それじゃあ、その時に切ってもらえるかな」

「わかりました。また予定を開けておきますね」

 静かで、穏やかな時間が過ぎて行く。厄介な問題は起こることなく、ただ平和な時が。

「ねえ、香林」

「なんですか、李明」

「フィードさんが言っているようにその猿哨って男はこの町に来ると思うかい?」

「どうでしょう。来るとも言えるでしょうし、来ないとも言えます」

「もし来たらさ、やっぱり戦わなくちゃいけないよね」

「そうですね。でも、戦うとしてもフィードさん一人でしょう」

「どうして?」

「あの人しかまともに戦える人がいないからです。卯月様も戦えますが、あの人はフィードさんを戦わせたがっているようですし」

「でも、フィードさんはまだ全快じゃない」

「でしょうね。でも、そんな事は相手に関係ありません」

「だから……」

 その続きを言おうとして、李明は再び香林の指によって唇を押さえられた。

「その続きは言わないでください。聞きたくありません」

「いや、でも……」

「あなたがこの町の警護人だということは分かっています。そのために外敵と戦っている事も。ですが、今回は戦わないでください。あなたでは十二支徒には勝てません。
 フィードさんのことも確かに大事ですが、私はあの人かあなたかを選べと言われたら間違いなくあなたを選びます」

「そう言ってもらえるのは嬉しいよ。でも、この町は俺の生まれ育った町だ。子供のときからお世話になった人もたくさんいる。もし、十二支徒がこの町に来てそんな人たちに害をなすというのなら俺はそれを黙って見ていられない。
 フィードさんに戦いを任せて自分は何もせずにいるなんて事はしたくないんだ」

「そうやって我を通そうとしても無駄です。私たちは黙ってみてればいいんです。その方があの人のためにもなりますし、邪魔にもなりません」

「……わかったよ。そこまでいうのなら、俺はフィードさんの戦いに手を出さない」

「はい、そうしてください」

「だけど、その相手が香林に手を出そうとしたら俺も戦う。俺は君を失いたくない」

「それであなたに死なれると私は困ります。ですから、もしそうなったら無理矢理でも一緒に逃げてもらいます」

 互いに互いを想い合う二人。このまま何も起きずにいてほしいと願わずにはいられない。そう、何も起こらなければ誰かが危険な目にあうこともなく、相手の身の安全を心配する必要もないのだ。
 だが、そんな願いを祈るほど、現実は非情な事態ばかり引き起こす。
 轟音とともに土煙が舞いあがる。異常事態に気がついた二人が見張り台から外を眺めると、町の門の一つが打ち破られていた。
 襲撃者が、倭東の町へと訪れた。激戦の火蓋が再び切られる時は、近い。
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暗闇へ

薄灰色のどんよりとした雲が空を覆い尽くす。今にも雨が降り出しそうなほどの天気だ。そんな陰鬱とした空模様に負けず劣らず、暗く重たい雰囲気がある家屋の一室に漂っていた。

「……マスター」

 白髪赤眼の少女がその姿に似つかわしくない和風の室内で座り込んでいた。その表情は悲しみや、不安で一杯といったようだった。
 既に何度も涙を流しているのか、目元は真っ赤に腫れ、それでもまだ溢れ出しそうな涙を抑えようとゴシゴシと服の袖で目元を拭う。
 彼女の横にはまるで死んでいるかのように静かに眠り続けている青年の姿があった。二日前は優しく彼女に笑いかけてくれたその表情はぴくりとも動くこともない。
 腹部と左手には大げさといっても可笑しくないほど厳重に包帯が巻かれていた。しかし、それが実際のところは大げさでもなんでもない事を彼女は知っている。
 半日前、倭東の町に戻ってきたフィードを出迎えに行ったアルはそこで血の気が引く光景を目にした。馬にもたれかかるようにしてどうにかこの町へと戻ってきた主の姿。顔面は蒼白で、腹部は青く滲み、左手からはダラダラと血が流れていた。無意識に咳き込む彼の口からは血が飛び散り、町に辿りついたことで安心したのか、フィードは意識を手放し、馬上から崩れ落ちた。
 叫び声を上げて彼の元へと駆け寄るアル。己より一回り大きなその身体に抱きつき、声をかけるが、彼が目を覚ます事はなかった。そして、警護人や李明たちによってその場は収拾され、その後フィードは李明の自宅へと運ばれて行った。
 事態を聞きつけた香林もまたすぐさま李明の家へと向かい、重傷を負ったフィードの治療を施した。
 それから半日。フィードは未だ目を覚まさず、その間アルはずっと眠りにつかず、彼の傍に居続けるのだった。

「少し、休んだら?」

 一睡もせずフィードの横で様子を見守り続けるアルに、水の入った桶とタオルを持ってきた香林が声をかける。だが、アルは彼女の提案に対して首を横に振って断りを入れる。

「いえ、大丈夫です。睡眠を取らないくらい今のマスターの状態にくらべたら何でもありません」

 アルは一瞬香林に視線を移して返事をするが、すぐさまフィードの方へと視線を戻す。今の彼女は一時たりとも彼から視線を外していたくないのだ。もしかすれば、その一瞬の間に彼がこの世界から姿を消してしまうかもしれないから。
 そんなアルの様子を見て、くすりと香林が微笑んだ。そのことに気がついたアルが少しだけ不快そうにして香林を睨みつけた。

「何ですか?」

 眠っていない事で気が立っているのか、アルの口調は厳しかった。

「いえ、ごめんなさいね。それだけ心配してもらえるなんてフィードさんは幸せ者だなって思ったの。昔のこの人は本当に触れたら切れてしまいそうなほどに常に神経を張りつめていて、人を寄せ付けないような人だったから。
 その時もきっと芯の部分は優しさで溢れていたんだろうけれど、まだまだ傷が癒えるほど時間が経っていなくて、今からは想像できないほど暴力に身を委ねていたわ。
 私も人のことは言えないけれど、あの時のこの人はきっと誰とも交わらないでこのまま一生を終えるんだろうなって心のどこかで思ってた。
 でも、違うのね。色んなものを失っても、どれだけ辛い思いをしてきても、人は人と交わってちっぽけでも、幸せを手に入れるのね。
 私にとってそれは李明で、フィードさんにとってはあなたなんでしょうね」

 優しく微笑み、幸せについて語る香林。そのようなことを言われるとは思わなかったアルは思わず呆気にとられてしまった。

「あっ、えとっ、その……私とマスターはそんな関係じゃなくて……」

 香林の言っている意味を察し、すぐさま否定しようとするアル。だが、何故か上手く言葉が出てこなかった。

「別にいいのよ。幸せって言っても形はさまざまだから。男と女っていう関係が全てじゃないんだから。辛い時、悲しい時、苦しい時に傍に居続けてくれる存在がいるだけで、その人にとってものすごい支えになるんだから。
 だから、あなたはそんな遠慮なんてしないでもっと自分を誇ってもいいと思うわ。
 余計な事だったら、ごめんなさいね。ちょっと、気になったものだから」

「そんなことないです。香林さんの言ってくださったことはあながち間違ってないですし」

 アルはフィードの意識が戻っていない事を確認すると、今度はきちんと香林の方を向いて話を続けた。

「私、少し前にマスターに助けて貰ったんです。それまでずっと、酷い生活だった私にとってマスターと過ごしている日々は本当に楽しい毎日を過ごしている実感がします。本当にマスターには感謝しても仕切れなくて……。
 でも、ふと思うんです。私はこうして過ごしていられているのに、マスターはなんでいつも辛い思いをしているんだろうって。
 いつも自分が傷ついて、損になる事ばかりして……。そんなマスターに楽しく日々を過ごしてもらいたいけれど、私には何にも力がなくって、結局はマスターの足を引っ張ってるような気がして。それが、情けなくて申し訳ないんです。
 今回だって、私に力があったらマスターはこんな風に傷を負う事もなかったかもしれないかもしれなかったじゃないかって思っちゃって……。
 私にできることなんて、こうしてマスターが目を覚ましてくれる事をただ待つ事と信じる事しかできないんです」

 そう語るアルの脳裏にはかつて出会った一人の女性の姿が思い浮かぶ。かつてフィードの傍らに居続け、正真正銘彼のパートナーとして支え続けた女性が。優しくて、誰かを助ける力もあった騎士。おそらく、彼が最も気にかけ、愛したといっても過言ではない女性、リオーネ。
 もし彼女が自分の代わりに今も彼の傍に居続けたのなら、彼はリオーネに心を預け、相談事を持ちかけたりもしたはずだ。厄介ごとがある度に、フィードが悩み等を自分の中に抱え込んで一人で解決しようとしていたことにアルは気がついていた。そして、それを自分には打ち明けてもらえない事も。
 力があれば、自分が子供じゃなければもっと信頼してもらえるのだろうか? 頼ってもらえるのだろうか? そんなことをアルは内心で考え続けてきたのだった。

「アルちゃんは……本当にフィードさんが大事なのね。大丈夫よ、フィードさんもきっとアルちゃんが自分のことを心配してくれているってわかっているわ。
 何もできないなんて思わなくてもいいと思う。あなたにはあなたにしかできないことがあるんだから。信じて待つ事だって、立派なことよ」

 香林の言葉にアルは少しだけ救われたような気持ちになる。いつも不安だったのだ。フィードと一緒に楽しく町を巡っているときも、一緒に旅をしているときも、そして同じ場所で暮らしていても、泣き言を漏らしてはくれても、それ以上の心を預けてくれない事が。

「頼って……くれるでしょうか? こんな私でも……」

「頼ってくれるわ。だから、そんなに心配しなくてもいいのよ」

 そう言って香林はアルの頭をそっと撫でた。その後、二人を残して静かに部屋を出て行った。話をするものがいなくなり、再び静まり返る室内。いつの間にか外ではぽつり、ぽつりと雨が降り出していた。

「マスター……早く目を覚ましてください」

 先程よりも更に強く彼の手を握りしめ、アルはフィードの目覚めを待ち続けるのだった。


 ざあざあと鳴り響く雨音を聞いてフィードは目を覚ました。見慣れない天井。木造、和室の室内だった。

(ああ……そういえば、ここは李明の……)

 ぼんやりとしてはっきりしない頭で周りを見渡す。徐々に鮮明になっていく記憶の中、盗賊達の拠点で出会った男の姿がふいに脳裏に浮かび上がる。

「――っ! そうだ、あいつは!?」

 横になっている身体を起き上がらせようとするが、腹部に激痛を感じ、上半身を起こす事しかできなかった。痛みに顔を歪めながら、羽織っている衣服をずらして腹部を見ると大げさに見えるほど包帯が巻かれていた。それは左手も同様で、こちらは痛みは感じないものの手を動かす感覚もなかった。
 それらを見てようやく自分がどうなったのかを理解したフィードはため息を吐き出した。

「そうか……俺、倭東まで戻ってきたんだな。あんなに必死になって逃げて……」

 馬を走らせ、激痛の走る腹部を押さえながら町に向かって駆けつづけた。その間一度も後ろを振り返らず、嫌なものから目を背けて、ただ生き残る事だけを優先して。
 戦いを終え、こうして静かな空間に置かれる事で改めて実感される事があった。それは、敗北。言い訳のしようもないほど圧倒的な敗北だった。
 猿哨が油断をしていなければ、一撃を与える事も叶わないまま命を奪われていただろう。それはこれまで同じ十二支徒と戦ってきて、相手を打ち倒してきたフィードにとってはあまりにも予想外な出来事だった。
 一番最初の十二支徒は自分にまだまだ力がなかったため、大苦戦の末に倒した。だが、そこから経験を積みより強い力をつけてきた。だが、猿哨を含め、ここ数ヶ月の間に出会った十二支徒たちは今まで倒してきた他の十二支徒とは明らかに格が違った。
 セントールにて出会ったログやエンリカ。ログはそもそも力の底を見せる前に戦いを切り上げて逃げ去った。エンリカに至ってはリオーネと二人がかりで挑んだにも関わらず顔に傷をつける事くらいが精々だった。
 そして、今回の猿哨。己の力が弱くなったとは思わないが、それでもこの三人は別格だった。そう、それはまるでかつて彼らのリーダーであった卯月に並び劣らぬ程の……。
 今までは十二支徒に関して自力で調べた情報しか持ち合わせていなかった。倒してきた他の十二支徒の口ぶりでは誰もが対等な関係だと言っていたからだ。だから、全ての十二支徒は己が打ち倒せるレベルの力しかないと思っていた。
 だが、実際はそうではなかった。彼らは現時点で自分よりも力を持っている。どうすれば彼らを打ち倒せるだろうかとフィードは思う。このままではまた彼は昔の力なかった頃へと逆戻りしてしまうだろう。
 そう……大切なものを奪われるのをただ目の前で見ている事しかできなかった頃の自分に。
 身体の奥底から沸き上がる怒りを抑えていると、彼の耳に心地よい寝息が聞こえてきた。気の抜けたそれは、固くなった彼の心を解した。

「ぅう~。マス、たー……く~っ」

 安らかな顔をして眠るアルを見てフィードは優しい笑みを作った。自分の心の支えになっている一人の少女。いつも笑顔を向けてくれて優しく穏やかな気持ちにさせてくれる大切な存在。

「アル……」

 そっとその頬に手を寄せ、プニプニと柔らかい頬をつつく。だが、眠っているアルはつつかれるのが嫌なのか、無意識に顔を背けてフィードの指から遠ざかろうとしていた。

「あははっ……」

 そんなアルの様子に苦笑するフィード。雨音がするだけの二人だけの室内はとても心地よいものだった。

 しかし……。

 雷鳴とともに、その穏やかな空間を壊す者が現れた。

「なんじゃ、重傷と聞いて来てみれば案外元気なものじゃのう」

 ハッとして声のした方を見ると、いつの間にか扉を開けて二人を見下ろす卯月の姿があった。

「何しにきた……」

「何をしに? じゃと。そんな事はお前さんが一番分かっておろうが。その傷、盗賊ごときで負うものじゃなかろう。誰にやられた?」

 卯月にはある程度察しがついているのか、ニヤニヤと楽しそうに笑いながら問いかけた。

「お前の元お仲間だよ。猿哨っていうやつだ」

「ほ~。あの筋肉ダルマ、まだ生きておったのか。てっきりもうくたばったと思っておったが……そうか、そうか」

 昔を懐かしんでいるのか、卯月は感傷に浸っているような素振りを見せた。やはり、元とはいえ仲間の動向は気になるようだ。

「仲間が生きていて嬉しいだなんて、裏切り者の言う言葉じゃないな」

 そんな卯月を見てつい挑発的な態度をとるフィードだったが、そんな彼に卯月は平然と異常な返事をする。

「そりゃあ以前殺し損ねた相手が野たれ死んでいないか心配だったというのがあるしのう。やっぱり気になるものだろう、そういうものは」

 あまりにもあっさりと答える卯月に一瞬言葉を失うフィード。そして、やはり卯月は異常な存在だと再度認識する。

「じゃが、十二支徒の連中はお主に譲ってやると決めておるから手は出さんよ。まあ、今回の結果を見たところ、どちらに分があるかははっきりしておるがな」

 小馬鹿にしたような態度に腹立たしさを感じるフィードだったが、その言葉は事実であったため否定する事ができなかった。

「卯月」

「ん? なんじゃ」

 フィードは下を向いて卯月に目を合わせないようにしながらあることを尋ねた。

「聞きたい事がある。お前以外の十二支徒についてだ」

 その言葉に卯月は今まで以上に楽しそうに口元を歪めた。

「ほう、ほう。お前さんが頼み事とは、これまた珍しい。いいぞ、申してみよ。もちろん、内容によっては代価をもらうがのう」

 代価と聞いてフィードは心底嫌そうな顔をしたが、今の状況で己が望む情報を持ち合わせているのは目の前にいる卯月のみだった。背に腹は代えられないと、後の事を考えないようにして話を進めた。

「俺は今まで十二支徒の半分近くを討ち取ってきた。苦労はしてきたが、それでも勝てるレベルの相手だった。だが、ここ数ヶ月で出会った三人の十二支徒は違う。奴らは強さが別格だった。
 ログ、エンリカ、猿哨。こいつらは何者だ。十二支徒の立場は一緒じゃないのか?」

 フィードの問いかけを黙って聞いていた卯月だったが、やがて閉ざしていた口を開き、十二支徒について語り始めた。

「これまたずいぶんと懐かしい名前が出たものだのう。そいつらは、わしと一緒に十二支徒、いや正確には十二支徒と呼ばれる前の集団を作ったメンバー達じゃよ」

「どういうことだ?」

「そう、焦るな。そうじゃのう、確かにわしらは十二支徒と呼ばれる十二人のメンバーで各地を荒らし、人を殺してきた。じゃがの、何も最初からわしらは十二人で活動をしていたのではないぞ。本当に最初からいたメンバーは五人だけじゃ」

「五人?」

「そうじゃよ。わし、猿哨、巳童、神辰、凛子、の五人が最初のメンバーじゃ」

 猿哨以外聞き慣れない名前にフィードが思わず口を挟む。

「ログとエンリカの名前がないぞ。この二人は初期のメンバーじゃないのか?」

「それは別名じゃよ。十二支徒という名と同じようにな。正確にはログが巳童、エンリカが凛子じゃ。この五人が最初期のメンバーで他のメンバーは後から加わったというわけじゃな」

「それじゃあ、初期のメンバー達の実力はみんなお前と同じくらいと考えてもいいのか?」

「そんなわけないわ! わしが一番強いに決まっておる。まあ、他の四人もわしと同じと言わずともそれに近い実力は兼ね備えておろう。それは、戦ったお主が一番よく分かっているのではないか?」

「……」

「なに、そう不安がらずともよい。力だけならお主も奴らに対抗できるほど既にある。それでも負けるのはのう」

 コツリとフィードの胸を小突いて卯月は呟く。

「心が弱いのじゃ。わしらに比べてお前さんは肝心なところで大きな決断ができずにいる。昔であればなりふり構わずにいたものが、なまじ力を付けたからと自惚れて自分の前に選択肢が増えたと勘違いしておる。
 いいか、目的を果たすためなら他の全てを犠牲にせよ。大事なものがあるならそれ以外は切り捨てよ。そうでないなら、お主はまた全てを失う事になるぞ」

 フィードの首に手を回し、身体を密着させ耳元で囁く卯月。それはまるで死神の宣告にもにて、近い将来本当に自分は何もかもを失うんじゃないかという錯覚に陥る。

「わしがこうまでしてお主に手を貸すのも期待を寄せておるからなのだぞ。あまり、その期待を裏切らないでもらいたいのう」

 顔を手前に引き、フィードの正面に持って来る卯月。艶かしい己の唇を一舐めし、フィードの唇へと重ね合わせる。

「んっ……ふむっ……代価をもらうぞ……」

 無理矢理奪われた唇。強引に押し付けて堅く閉ざされたそれを開けようとする卯月のそれを今回はフィードは拒むことなく、門を開け、彼女のそれと絡め合わせた。

「今回は……積極的じゃのう。んむっ……はぁっ、どうした? 気でも変わったか? 昔みたいにわしを抱くか?」

「誰が……。代価、なんだろう? ここで断ると後でどんなことを請求されるか分からないからな……。我慢してるだけだ」

「ふふっ、まあそれでもよい。じゃがのう、忘れるな。お主は……わしのものじゃ。他の女に心を寄せようとも、その身体も、心も全てわしのものじゃ……。お前さんが拒もうとも、最後はわしが勝つのじゃよ。
 それにしても……互いに大切に思っているものの片割れの唇を無理矢理奪うのは興奮するのう。純白の生地を泥で汚しているようじゃ」

「黙れ……。早く済ませろ」

「いいぞ、その目じゃ。その反抗的な目がたまらん。身の程をわきまえず、反発する無謀な態度が。やはり、お主は最高じゃよ。そのままわしを飽きさせないでいておくれ」

 二人の絡みはそれからしばらく続いた。そして、雨が一度止むと、目的は果たしたと言わんばかりにさっさと卯月はフィードの元を去っていった。
 傷も癒えていないのに長時間起きていたためか、フィードはどっと疲れてしまった。再び床へ倒れ込み、徐々に閉じて行く視界の中で思う。

(心の問題……か。もし奴の言う通り力は十二支徒に届くというのなら、後は……)

 目蓋を閉じ、消え行く意識で冷徹な意思を固めた。

(……必要ない他の全てを犠牲にする)

 変化は緩やかに、だが確実に訪れている。敗北は力への渇望を生み、渇望はやがて狂気へと移り変わっていく。
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敗走

 遭遇してから数分。幾度となく二つの影は交差し、時に動きを止め、甲高い金属音と火花を周りに飛び散らせていた。戦いは未だ序盤。今はまだ相手の力量を図るための手合わせ程度の打ち合いしかしていない。
だが、それでもお互いの戦法はこの時点である程度決まっていた。

「うおおおおおおおおおっ!」

 勢いよく声を上げて凄まじい早さで斬撃をいくつも繰り出すフィード。その一つ一つに必殺の力を込めた連撃。圧倒的な速度で相手に反撃をする暇を与えずに自分のペースに持って行こうとしている。

「へっ、甘めえんだよ!」

 対して猿哨はフィードの繰り出す連撃を手持ちの大剣でことごとく防ぎ、連撃の繋ぎに生まれる一瞬の隙を突いて己の一撃を繰り出す。ただ剣を振っているだけなのに弾き飛ばされそうな風圧を生み出す一撃。当たれば絶命を免れないそれは恐怖そのものだ。
 速さのフィード、力の猿哨。
 均衡する力。二人ともこのままではらちがあかないと判断したのか一度大きく距離をとり、この状況を打開するために知恵を絞り出す。

(速度では確実にこっちが勝っている。だが、力は圧倒的に向こうが上だ。あの剣撃、かすっただけでも致命傷になりそうだ。あいつに勝つためには一撃もあの大剣をくらうことなくこちらの攻撃を与え続けないといけない)

 それがどれほど難しいものであるか考えるまでもあるまい。向こうは一撃を与えるだけでいい。こちらはそれを躱しながら相手に攻撃を与えなければならないのだ。

(でも、やるしかない。やれなかった時は死ぬだけだ……)

 フィードは意識を集中させ、神経を張りつめる。ピリピリと張りつめた空気が彼の周りを覆い始めた。意識圏を広げ、己が剣を振って相手を切ることができる範囲を認識する。それと同時に、先程の打ち合いで測った猿哨の大剣の間合いを想像して危険位置を設定する。
 認識空間を把握し終わり、最後の準備に取りかかる。絶対的な速度を生み出すための魔術をフィードは口にする。

「速さを。効率を求め、より単純、より俊敏に――インプロスピード――」


 身体強化の魔術を使用する。それによって身体はまるで羽根のように軽くなり、今まで以上の速度を手に入れた。全ての準備を終え、最初の一撃を打ち込む隙を伺っていると、その事に気がついた猿哨がフィードを挑発した。

「来いよ。お前がどんな手でこようが関係ねえ。せいぜい俺に勝つための工夫を凝らすんだな」

 剣を持っていない手首を前後に動かし、フィードを煽る猿哨。未だ相手に舐められているという事実を認識したフィードは、

「そうやって上から目線で語っていられるのも今のうちだ。油断するならしておけ。その方が命を奪うのは容易いからな」

 そう言って地面に倒れ込むようにして一歩を踏み出す。零から一瞬にして最高速まで加速。常人には姿が消えたとしか思えないほどの速度で前進するフィード。数歩で猿哨との距離をほぼ縮め、己の剣を当てる事のできる範囲に彼を覆い尽くした。

「いくぞっ!」

 勢いを生かしたまま下段からの振り上げ。かろうじて猿哨はこの一撃を防ぐ。だが、フィードはこの一撃から連撃への流れを作り出す。
 振り上げた際の速度を利用し、回転。猿哨の右側へと回り込みそのまま回転切りを叩き込む。面積の広い大剣をずらすことによりまたしてもギリギリフィードの斬撃を防ぐ猿哨。だが、防がれたと理解すると同時にフィードはまた新たなる流れに移る。
 袈裟切り、柄による打突、剣に意識を向けさせて不意を突く形で放った拳底。どれも最高速で放った一撃だった。しかし、それら全てはギリギリの形で猿哨に防がれてしまう。最後に放った拳底に至っては空いている腕の甲によって直撃を逸らされていた。

「お~、やるね。今のは少し焦ったぜ」

 飄々とした態度そのまま、軽口を言い続ける事を止めない猿哨。まだまだ余裕そうなその様子を崩せない事にフィードは舌打ちをした。そして、再び距離を取ろうとして突きを繰り出す。
 先程までと同じようにこれも防ぐか、さもなくば避けるだろうと予想していたフィードだったが、次の瞬間ありえない現象を目撃する。

「なんだ、お前も他の奴らと同じ反応するんだな。つまらねえな」

 呆れたようにため息を吐く猿哨。彼の脇腹には先程フィードの突き出した剣が突き刺さっていた。いや、正確には猿哨の筋肉に阻まれ剣は内部に埋まることなくその動きを止めていた。

「冗談だろ……」

 半笑いを浮かべるフィード。凍り付く彼に向かって猿哨もまた笑い返す。

「残念だったな、これで終わりだよ」

 そう言って拳を引き、馬鹿力による強烈な一撃をフィードの腹部に向かって打ち付ける。咄嗟に後方へと飛んだフィードだったが、予想外の出来事による硬直により反応が遅れ、まともにその一撃を受けてしまう。

「ごほっ……」

 吐瀉物をまき散らしながら後方へと勢いよく吹き飛ばされるフィード。マトモな受け身を取る事もできず何度も地面に叩き付けられてようやく動きを止めた。
 激痛が体中に走る。中でも直撃をくらった腹部は酷い損傷だった。ズキズキと、熱を持った痛みが腹部から全身に向かって広がる。おそらく肋骨の二、三本は折れているだろう。もし後方に下がらなかったのならば、その全てが粉々に砕かれていてもおかしくなかった。

「くっ……げほっ、げほっ……うげっ」

 胃から逆流したものを全て吐き出す。内蔵を損傷したのか、吐瀉物の中には血が混じっていた。全身に走る痛みに耐えながらもフィードはすぐに起き上がろうと身体に鞭を打つ。今起き上がらなければ彼の命は一瞬にしてき得る事になるからだ。

「がっああああああああああああ」

 雄叫びを上げて立ち上がるフィード。まだダメージが抜けていないため視点はぶれ、身体を支える足は細かく震えている。それでもなお、立ち向かう意思を秘めた瞳は鋭く光り、頭はダメージを加味した上でどう対処するかを考え始めていた。

「へえ……てっきり今ので終わったと思ったんだけどな。意外にしぶといじゃねえか」

 余裕の様子を崩すことなくゆっくりとフィードに近づく猿哨。彼の中では先程の一撃で勝負は決まっていたものだと思っていたらしい。あまりにも格下だと認識された事を屈辱に感じながらも、油断しているならばまだ打つ手はあると考える。

(近接戦は今のままじゃほとんど勝ち目がない。さっきの一撃で速さもなくなったようなものだ。力も向こうのが遥かに上。なら、油断しているところを突くしかない。問題はあの鎧のような筋肉だ。どういう構造でああなっているのかはわからないけれど、生半可な攻撃じゃあの鎧は貫通できない。
 チャンスは一度。今自分の持てる全力の一撃を叩き込む)

 片手で剣を構え、策を練る。相対する敵の筋肉の鎧を突き破る必殺の一撃を生み出すための……。
 だが、それを黙って見過ごすほど猿哨は甘くない。

「何しようとしてるかは知らねえが、もういいぜ。聞いていたより全然弱くてガッカリだ。とっとと消えろ」

 振り下ろされる死の一撃。フィードは残った力を全て振り絞り、今出せる最高速で猿哨の懐へと飛び込んで行く。そして、己の頭上に向けて放たれた大剣に持っている剣をぶつけて滑らした。己の横を通り過ぎる死の一撃。
 今の攻撃を回避されるとは思っていなかったのか驚く猿哨。そして、猿哨の懐へと入り込んだフィードは、先程の仕返しと言わんばかりに剣を持っていない手を猿哨の腹部に当て、魔術を詠唱する。

「風よ、敵を貫く高速の槍を形作れ。
 捻れ、渦巻き、どんな強固な盾をも貫く矛――ソニックランス――」

 詠唱と共に風によって形作られた槍がフィードの掌から生み出され、猿哨の腹部を刺し貫いた。筋肉の鎧を突き破ろうと捻れながら先端部を押し込む風の槍。後方へ弾き飛ばされながらそれを打ち払おうとする猿哨。

「うっ……ぜえええええんだよっ! 消えろ!」

 恐ろしい事に、形作られた風の槍を猿哨は両手で押しつぶした。超高密度で圧縮された風の槍は押しつぶされた事によって霧散し、爆風を当たりにまき散らして砂嵐を生み出した。両者ともにそれに巻き込まれ、この中から抜け出そうとする。
 そんな中、フィードはある決断をしようとしているところだった。

(まさか、あれを防ぐなんて……。くそっ! このままじゃ打つ手がない。どうする……どうすれば……)

 よく見れば先程猿哨へ風の槍を放った際に使用した左手は血が溢れ、力なく垂れ下がっていた。超高密度に圧縮された風をこれほどの至近距離で打ち放ったのだ。むしろこれくらいの損害で済んだのは運が良かったというべきだろう。
 だが、このままの状態では剣をまともに握る事ができず、猿哨に破れる事は目に見えていた。確実に仕留めるために放った風の槍が防がれた時点で打つ手がなくなってしまったのだ。

(今の一撃で猿哨から油断はなくなるだろう。そうなった時、俺に勝機があるかと考えるとほとんど零だ。このままじゃ殺されているのは目に見えている)

 そう。冷静に考えればここは一度撤退し、体勢を立て直すべきだ。しかし……。

(ここで引いていいのか? 向こうだって今ので少なからず負傷したはずだ。追い討ちをかければ倒せるかもしれないじゃないか。そうだ、目の前にいるのは家族の仇だっ!)

 脳裏にはかつての惨劇の光景が浮かび、大事だった妹の最期がフラッシュバックする。

『お兄ちゃん……死にたく、ないよぅ』

 仇を討て、殺せと本能は叫ぶ。身体を突き破り、張り裂けそうな程のそれを押さえつけるものがあった。
 それは約束。ここに来る前に今の自分に取って大切な、失いたくない存在である少女と交わした一つの約束。

『そうだなぁ……それじゃあ一つ約束事をしようか。この町に来てからはろくにアルのしたいことさせてあげられていないから、俺が無事に帰ってこれたらアルの言う事を何でも一個聞いてあげるよ。好きなものを買ってほしいっていうお願いごとでも、どこかに連れて行ってほしいってお願いごとでもいいよ』

 このまま戦えば確かに猿哨を倒せるかもしれない。だが、それは最高の結果でも相打ちがいいところだろう。そうなってしまえばこの約束は果たす事ができない。
 自分が死ねば少女は、アルはきっと悲しむだろう。涙を流し、喪失感に苛まれるだろう。まだ幼い彼女には自分がついていなければいけないのだ。それが彼女を助け、傍に置いてある自分の義務であり、役目だ。
 そう考えてしまうと、どうしても最後の一線を越える事がフィードにはできなかった。本能に従う事はできなかったのだ。
 悔しさから唇をキツく噛み締め、フィードは剣を鞘に納めた。そして、砂嵐に紛れて待機させていた馬の元へと向かった。

(絶対に、絶対に次こそは討ち取ってみせる……)

 乗馬すると、手綱を握って馬を駆けさせてその場を後にした。十二支徒の一人、猿哨との初対決は最終的に痛み分けたとはいえ、結果はフィードの惨敗だった。
 昨日の一戦。そして、今日の一戦。立て続けに起こった十二支徒との対決はどちらともフィードの負けだった。彼らに少しでも追いついていたと思っていたフィードにこの事実は重くのしかかり、敗北の悔しさはキツく身に染みた。

(ちくしょう……ちくしょうっ! 力が、力が欲しいっ……確実にあいつらを殺せるだけの力が……)

 痛む脇腹を押さえながら、フィードは思う。彼の力への執着は以前より遥かに強くなっていった。それは、大切なものを全て失った彼に再び大切な存在ができ、それを失う事を恐れたためだった。

 カタカタと次々に何かが零れ落ちていく音が聞こえる。今までよりも長く、大きな音を立てて。
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不倶戴天

盗賊討伐の命を受けた翌日。朝日が昇り始めた頃、町を守る門を抜け、フィードは馬に跨がり、盗賊達の拠点があると思われる場所へ向かおうとしていた。そして、そんな彼を見送りにきた人物が三名、フィードの後方で彼の出立を見守っていた。
 一人は、香林。彼女は卯月の命を受けてフィードの出立を見届けにきた。
 その横には李明。彼は昨日フィードから盗賊討伐の依頼を受けた話を聞いて、自分たちも力になるとフィードに公言したのだったが、卯月が出した盗賊討伐の条件にフィード一人でこれを退治せよというものが入っていたため、 結局彼の力になるために加勢する事は叶わず、せめて見送りだけはと思いこの場に来た。
 そして、最後の一人は彼のパートナーのアル。不安そうな表情を浮かべ、フィードに視線を注いでいる。

「……はぁ」

 その視線に気がついたのか、フィードは一度馬を下り、手綱を李明に預け、アルの傍へと歩いて行く。

「そんなに不安そうにするなって。心配しなくても大丈夫だよ、アル」

 彼女の不安を紛らわせようと、肩に手を置き優しく説くフィード。だが、アルの表情は一向に晴れない。

「で、でもマスター……。この間見た盗賊達はたくさん人数がいたんですよ。それを一人で退治するだなんて。いくらマスターでもあの人数は……」

 フィードの言葉を信じられないわけではないが、分かっていても不安が拭えないアル。できることなら彼と一緒に付いて行きたいと思ってはいるものの、今の彼女にできることなど何もなく、足手まといになるのが分かっているため、この場に留まることにしているのだ。

「そうだなぁ……それじゃあ一つ約束事をしようか。この町に来てからはろくにアルのしたいことさせてあげられていないから、俺が無事に帰ってこれたらアルの言う事を何でも一個聞いてあげるよ。好きなものを買ってほしいっていうお願いごとでも、どこかに連れて行ってほしいってお願いごとでもいいよ」

 そう言うと、フィードはアルの眼前に小指を突き出した。

「ほら、指切りしよう。俺は……約束を守るよ」

 その時、一瞬寂しげな表情を見せたフィードだったが、すぐさま平常時の表情に戻り、アルに対して笑顔を見せた。そんなフィードにアルはどこか納得しきれていない様子だったが、彼が無事に帰ってきてくれるならばと己の小指をフィードのものに絡ませた。
 重なり合う指と指。シンと静まる周り。二人だからこそ分かり合える約束の大切さを胸に抱き、互いの指が離れるまでの僅かな時間を堪能した。
 数秒後、どちらともなく指は離れ、フィードは預けてあった馬の手綱を李明から受け取り、再び馬上に跨がった。

「それじゃあ、行って来る。李明、香林。アルの事、よろしくな」

「はい、責任もって面倒見させていただきます」

「任されました。フィードさんもお気をつけてください」

 フィードの言葉に李明、香林がそれぞれ返事をし、それを聞いたフィードはついにその場から盗賊達の拠点に向かって馬を駆け出した。
 勢い良く大地を蹴り、凄まじい速度でその場を離れて行くフィード。そんな彼の背が小さくなって見えなくなるまで、アルはその場で見続けているのだった。



 駆け出してから数時間。休憩を挟みながらもかなりの速さで盗賊達の元へとフィードは向かっていた。事前に卯月や香林から聞いていた盗賊達の拠点。今までその場所が分かっていながらも、倭東に住む警護人たちがそこを責められなかったのには理由がある。
 一つは、人数差。それほど大きな町でない倭東は、その町を守る警護人の数が圧倒的に少ない。腕に覚えのあるものこそそれなりにいるが、その絶対数が盗賊に比べると半分近くしかいないのだ。
 それに対して盗賊の側は戦闘に関しては素人同然だが数が多い。しかも、金品や食料を奪うのにほとんどためらいがないのだ。そんな彼らの邪魔をする警護人たちの命など奪って当然と思っても過言ではない。
 倭東付近であれば、警護人達に地の利があり、数の差で負けてはいても、盗賊達を撃退する事ができた。しかし、逆に彼らの拠点を攻めるとなると、いくら腕に覚えがある彼らでも多対一になってしまったとき、なす術無く殺されるという可能性があった。
 そのため、迂闊に彼らの拠点を攻める事ができず、これまで攻められては守るという膠着状態が続いていたのだ。
 そんな場所に卯月はフィードを一人放り込むことを命じた。そして、一人で彼らを討伐せよと。

(まったく、無茶苦茶なことを言ってくれるよ)

 フィードは改めて事態の困難さを理解し、内心で愚痴を呟いた。卯月のことだ、呼び寄せたフィードを都合のいい己の駒と考え、面倒に思っている問題を解決させようと思ったのだろう。

(まあ、あいつのことだからそれ以外にも理由があるんだろうな)

 おそらくは、今現在のフィードの腕試しも含めているのだろう。結果次第ではまた昨日のように仕置きをするかもしれない。
 昨日のダメージは完全に抜けていない。ズキリ、ズキリと痛む腹部を押さえるフィード。
 不老の彼はその特異さもあってか、身体に刻まれた痛みや傷は常人に比べて早く回復するのだ。しかし、それはあくまでも速度が速くなっただけであり、身体が治しきれないような深い傷を受けた場合などはそれがそのまま身体に残る。
 世の中に伝わる不老という噂にはもれなく不死という言葉がセットで付いてくる場合が多い。だが、実際に不老となった彼は不死ではない。
 傷を負えば、治るのに時間はかかる。命を落とせば蘇らない。病気にもかかるし、苦しみもする。寿命という概念がなくなった事以外何ら他の人間と変わりないのだ。
 だからこそ、力を付けたと自惚れて、油断をすれば思いもよらず命を失う事になる。今回の討伐はその最たるものだろう。

(アルの奴と“約束”したんだ。約束は守る、守らないといけない……)

 かつて果たせなかった約束が彼を縛る。呪縛のように幾重に身体に絡み付く見えない糸。それは、彼を縛ると同時に、意思を強く保つための鎧にもなる。

(油断はしない。容赦も一切しない。慈悲は残さず、一人も逃がさない)

 生死は問わないと言っていた卯月だが、実際には皆殺しにしろと言っているようなものだ。なぜなら、ここで慈悲をかけて彼らを生かした場合、その後に倭東に被害をもたらさないという保証はないのだ。その時に倭東にフィードがいるとは限らない。そうなってしまったら今回の件を完全にこなしたとは言いがたい。
 それに、卯月はアルの事もフィードに対する牽制として使っていた。もし、フィードが完全にこの依頼をこなせないならば卯月はアルを己の好きなようにするだろう。見世物小屋に売るのも、己のために慰めものにするのも、気まぐれに殺してしまう事もできる。今の彼女の傍にフィードはいないのだ。
 今回の件、フィードは様々な意味で彼女に試されている。それは、今の彼が今後の彼女にとって利用価値のあるかどうかを見極めるためだ。利用価値のなくなったものは容赦なく切り捨てる。弱肉強食の掟を掲げる彼女だからこそ、そう言えるのだ。
 そして、フィード自身はまだ彼女に及ばない。それは昨日の対決で分かった事だ。
 力が欲しい。誰にも負けない強さが欲しい……。そんな渇望が彼の内から沸き上がる。
 それは、ここしばらく彼の周りで起こった出来事や、昨日の敗北によってより強いものになっていった。

 後になってみれば、おそらくここが分岐点であったのだろう。
 強さを求め、守りたい者達をその胸に抱いた彼の。そして、彼の帰りを待ち続ける少女の……。



 しばらくして目的地である盗賊達の拠点が視界に入った。徐々に大きくなっていく建物だが、それと同時に異変にフィードは気がついた。

(やけに静かだ……。それに、人影もまるで見当たらない。どういうことだ?)

 疑問を抱きながら、ゆっくりと建物に近づく。周りに遮蔽物がないため、こちらが接近すれば向こうも己の存在に気がつくだろうということは予想していた。にもかかわらず、盗賊達が動く気配がまるで見当たらない。それどころか、人一人も周りには存在しなかった。

(おかしいな。まさか、まだこの拠点に戻っていないのか?)

 不審に思うと同時に、まだ盗賊達が帰っていないならば先に拠点を調べておこうと考え、更に建物へと近づくフィード。だが、彼がそこに近づき始めたところで異変の正体に気づいた。

「これは……!?」

 見れば、建物の近辺は血の海ができていた。まき散らされた死肉。それをついばむカラス達。遠目では分からなかった異常な事態の原因がそこにはあった。
 すでにあらかたの肉を食い荒して満足しているのか、カラスの大半は遠くからこの光景を見守っているだけだった。それもそのはず、突如として彼らの元に降って湧いた食料は多すぎたのだ。
 死体はこれまで何度も目にして、平気だと思っていたはずのフィードだったが、これほど大量の人の死を目の当たりにしたのはほとんどなかったため、思わず口元を押さえる。
 こんな光景を目の当たりにしたのは、ただ一度。そう、彼が全てを失った日以来だった。
 それを思い出し、彼の脳裏に浮かぶある予想。それは……。

(まさか、まさか、まさかっ!)

 不意に現れた人の気配を察し、フィードは振り向く。そこには徳利を片手に、もう片方に身の丈以上の大剣を持った男が立っていた。
 見覚えのある。いや、ありすぎるその男を見てフィードは硬直する。
 燃え上がる劫火。その火中にて愉悦の笑みを浮かべながら大剣を振り回し、人々を惨殺した悪魔。力なく、命が奪われるのを見る事しかできなかったあの頃の自分をあざけ笑った剣士。まるで、虫けらを踏みつぶすほどしか人の命を奪う事を考えていないその男は……。

「見つけたぞ……」

 氷のように冷たい声色でフィードは呟く。そんな彼の様子に気がついているのか、それとも気づいていてなおとぼけているのか、赤毛の男は彼に問いかける。

「なんだよ、お前こいつらの仲間か? 結構な殺気飛ばすところからしてある程度腕は立つみたいだけど、俺には勝てねえから止めておけ。今なら俺の機嫌もいいし見逃してやるよ」

 あくまでも余裕は崩さず、上からの目線で話しかける男にフィードはますます苛立つ。同胞を殺してきた己の事などまるで知らず、興味すらないと言わんばかりの態度。それにフィードは耐えきる事ができなかった。
 一瞬の加速と抜刀。男との距離を大幅に詰め、抜き出した剣を男に向かって全力で振り抜く。だが、戯けた態度をとっていた男もその様子を見てようやく真面目な表情を見せ、持っていた大剣でフィードの斬撃を防いだ。

「へえ、結構やるじゃねえか。お前、名は?」

 ここに来てようやく彼を本当の意味で見据えた男は問いかける。

「俺の名はフィード。お前達十二支徒を殺す者だ」

 その宣言を聞いて、男は思い当たる節があったのか、ニヤリと口元を釣り上げた。

「なるほど、お前か。ここ最近俺たちの仲間を狩ってやがったのは。面白い、一度会ってみたいと思っていたんだよ。どれほどの腕か試させてもらうぜ」

 そう言うと男は徳利を捨て、両手で大剣を支える。均衡していた刃と刃。だが、それも男が大剣に込めた協力な力によって崩れさる。

「ちぃっ!」

 状況の不利を察したフィードはすぐに後退し、男から距離をとる。力任せの薙ぎ払い。その場から一歩も動くことなく男はフィードの一撃を防ぎ、反撃したのだ。

「思ったよりやるじゃねえか! 他の奴らを倒してきたってのもまんざら嘘じゃなさそうだな!」

 己とマトモに戦える相手がいる事が余程嬉しいのか、男は大剣を大仰に振っている。だが、フィードにとってはそれすらも苛立の一因にしかならなかった。

「殺す。お前達十二支徒は全員俺の手で殺してやるっ!」

 表面に現れるどす黒い感情。それを隠そうともせず、フィードは男へと立ち向かう。

「おう、おう。生きがいいねえ。そうこなくっちゃな。いいぜ、来いよ。せっかく名を語ってくれたんだ。俺も名乗らねえと礼議に反するよな。
 俺の名は猿哨! 十二支徒が一の猿哨だ! 
 かかって来な、復讐鬼。頼むからとっととくたばってくれんなよ」

 そう言って、猿哨もまたフィードに向かって駆け出した。再び交差する剣と剣。辺りに響き渡る金属音が激闘の始まりを告げた。
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テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

十二支徒が一、“猿哨”

フィードが卯月によって盗賊討伐の依頼を強制的に受けさせられた頃、町の警護人たちによって追い払われた盗賊達はようやく拠点としているあばら屋に戻ってきた。粗雑な作りのその家屋に馬を繋ぎ、溜まっていた疲れを癒すために座るのにちょうどよい石に腰を降ろす。
ここ数日、格好の獲物の商人などを見つけては襲い、その度に町の警護人たちによって仕事を妨害されてきた。最初の一回などはよかったものの、それが何度も続くようになってからは盗賊たちの苛立は少しずつ募っていった。

「ちくしょう、あの野郎共。毎回、毎回俺たちの仕事の邪魔しやがって」

「今回の収穫はなし……か。金はいつもあるだけ使っちまってたから蓄えなんてないし、食うものも残り少ししかないな」

「このままじゃ、不味いな……」

盗賊と言っても彼らも人間である。金や食べ物がなければ生きるのも困難になる。盗賊などという一般的に見て世の中を生きにくい道を選んでいればなおさらだ。厄介者に手を差し伸べるものなどほぼ皆無。仮にいたとしても、自分に都合の言いように利用するつもりな人間くらいだろう。
この数日無理もさせた事もあり、馬の疲労も限界が来ている。出られてもあと一度。それで金目のものを奪えなければ彼らの今後は非常に苦しいものになる。

「やるしかねえな。おい、お前ら! 次の獲物は絶対に逃がすんじゃねえぞ」

盗賊達の頭が仲間達を鼓舞するために声を張り上げる。頭の声に負けまいと仲間達も対抗して活気を湧かす。

「あの警護人の糞野郎共に一泡吹かせてやろうじゃねえか!」

「おおおおおおおおおおおおおおおおお!」

「やってやるぜ!」

「あいつら全員ぶっ殺してやる!」

頭の言葉が聞いたのか、先程まで意気消沈していた仲間達は気力を取り戻し、やる気に満ちあふれていた。中には興奮しすぎて殴り合いを始めるものまでいた。
そんな彼らを見て、どうにかまだ大丈夫だと内心安堵する盗賊の頭。このままの勢いを持続させるために、離れにある酒蔵に保管している酒を振る舞っておこうと考え、近くにいた男に声をかける。

「おう、ちょっとすまねえが離れにある酒樽を二、三個ほど持ってきてくれねえか」

「了解です」

頭の命を受け、酒蔵に向かう男。それを見届けた頭は騒ぐ周りの人とは別に一人冷静に今後の方針について考えていた。

(さて、状況は芳しくないな。盗みを働く人数も増えて効率よく多くの荷を奪う事ができるようになったが、反面食料の消費は激しくなったし、分け前も少なくなった。不満を抱いている者もきっと少なくないだろう。
 かといって誰かを切り捨てるなんて真似をしたら俺の身が危ねえし……。どうにか都合よく人数を減らせないものか……)

腹黒い考えで仲間という存在をあっさり切り捨てる方法を模索している盗賊の頭。そんな彼の耳に先程酒を取りに行くよう命じた男の叫び声が届いた。

「う、わああああああああああ。なんだこりゃぁ!」

男の叫び声を聞いた他の仲間達がすぐさま離れに駆け出した。そして、入り口で立ち尽くす男の元に辿り着くと、彼らは男が声を挙げた理由を目にした。

「こいつは……」

「ああ、ひでえな……」

見れば大事に貯蔵してあった酒樽が全て空になり離れの中に転がり落ちていた。彼らがこの場所を離れていたのはほんの二、三日。その間に大量にある酒を全て空にするなんて事は普通あり得ない。盗むにしても中身だけを抜き取る理由が見当たらない。
そもそも、盗人が所有物を盗まれるなんて事は間抜け以外の何者でもないが……。
異様な光景に呆然としていた一同であったが、こうなった原因が何であるか確かめるものが残っていないかと思い立ち、入り口から奥へと転がっている酒樽を一つ一つ片付けることにした。中身がなくなり、軽くなった酒樽を運ぶ事など容易く、人数も多かったためすぐに奥までの酒樽を外へ出す事ができた。そして、離れがこうなってしまった原因もまた見つける事ができたのだった。

「おい……こいつは」

「ああ……」

神妙な顔をして離れの奥にあった、というよりは“いた”存在を男達はジッと見据える。そこにはあぐらをかき、腕を組んだまま壁にもたれかかって眠っている一人の男がいた。
凛々しい顔つきをした赤毛の青年。盗人の本拠地でこんなにも堂々と寝ている事もそうだが、周りにたくさんの人がいてもなお寝続けるというのは肝が据わっているのか、ただの大馬鹿者なのか判断しかねるところだ。
鎧などを身に着けず、軽装の和服一つ羽織っているだけ。一見すればこの青年はなにも害はなさそうに思える。本来ならば今すぐにでもこの青年を叩き起こして、この離れの状況について説明させてやりたいほどだ。
だが、青年がもたれかかっている壁と背中の間にあるものが男達をその行動に駆り立てるのを防いでいた。
青年の背中には身の丈よりも大きな大剣が存在した。黒く、妖しく光るその大剣はどこか不気味で、威圧感を感じさせる。それもあってか、盗人達は男を無理矢理起こす事を躊躇っていたのだ。下手に起こして機嫌を損ねて、背後にある剣で切られるかもしれないと考えたのである。

「お、おい。どうするよ」

「どうするって……起こすしかねえだろ」

「それならお前起こしてくれよ」

「いや、お前が……」

情けない事に、盗人と言えどその大半は小心者の卑怯者である。できることならば、自分に被害が及ばず、それでいて成果を得たいという者達の集まりだ。だからこそ、このように誰かが決断を出さなければならない状況が訪れると、誰も一歩踏み出すことなく、その責任を誰かに押し付けてしまおうと考えてしまうのだった。

「そう言えば、ここ任されたのお前だったよな」

と、沈黙を保ち、不可侵の条約を仲間の一人が破った。頭からこの離れに酒樽を取りにいくように男が頼まれていたことを思い出したのだ。

「なっ……。確かに俺はそう頼まれたけどよ、こいつを起こすのは関係ねえだろうが」

「なんだよ、怖いのかよ。別に剣さえ取り上げちまえば問題ねえだろ」

「お、おいっ……」

静止の言葉をかける間もなく、盗人は赤毛の男の背後にある剣に手をかけた……。

「……」

盗人一同が一斉に黙り込む中、男は大剣をそっと男の背から離して抜き取った。相当な重量があるそれは、細身の盗人には持ち上げる事も叶わず、床に引きずりながら移動させる事しかできなかった。

「お、重っ!」

見た目通り、というよりはむしろ見た目以上の重さを持つ大剣。それを力一杯引っ張って少しずつ男から引き離す盗人。このまま何事もなく剣を引き離し、男を叩き起こす事になるとこの時誰もが思っていた。だが……。

「えっ……」

それまで僅かながらでも動いていた剣が急にその場から少しも動かなくなった。見れば、仲間達の表情が青ざめ、焦りの色を浮かべていた。
そこから、ある結論を導きだした盗人は恐る、恐る後ろを振り返った。

「よお、おっさん。人の荷物持ってどこにいくつもりだ?」

少年のような人懐っこい笑みを浮かべながら赤毛の男が声をかける。盗人が全身の力を使ってようやく動かせていた大剣は、青年の片手によってその場に引き止められている。

「あ、いや、これは……」

突然の出来事にどう弁解するべきか分からず、あたふたとする盗人。そんな彼を庇うように仲間達が怒声を上げた。

「ん、んなことより、お前は一体誰なんだよ! 人様の酒蔵に入って何してやがったんだ!」

仲間のフォローを受けて、平静さを取り戻したのか、追い打ちをかけるように盗人もまた赤毛の男に声を張り上げる。

「お、おう。そうだ、そうだ! おめえ一体何もんだよ。返答によっちゃあ容赦しねえぜ」

男と距離を置き、強気の姿勢を作る盗人。そして仲間達。ここまで分かりやすい小物も早々いないだろう。それがわかっているからなのか、男はハッと小馬鹿にするように鼻で笑った。

「ったく、これだから弱っちいやつは嫌いなんだよ。力もねえくせにギャーギャーと耳障りなことばかりな喚きやがって」

面倒くさそうに後頭部を掻きながら溜め息を吐く男。彼の前にいる盗人など、まるで己の周りをうろつくうっとうしい羽虫と変わらないと言わんばかりの態度だ。あまりにも強気な男の姿勢に、一瞬呆気に取られる盗人達。だが、そのあまりにも強情な態度が癪に障ったのか、盗人たちの一人が我慢の限界に達した。

「このっ! 黙って聞いてりゃ調子に乗りやがって!」

床に落ちていた拳よりも少し小さな大きさの石を手に取り、至近距離から男に向かって勢いよく投げつける。
一瞬にして最高速に達した投石。反応する事も、ましてや避ける事も困難なそれに男は……。

「馬鹿が、こんなんで俺を止められると思ってんのかよ!」

だが、盗人たちの予想に反して男はあっさりと石を受け止め、そのまま手の中で砕いた。その異様な光景に思わず誰もが言葉を失う。

「な、なんなんだよこりゃ……」

恐怖を感じ、我先にと逃げ出そうとする盗人たち。だが、それより早く赤毛の男が持っていた大剣を振り上げ、横一線に振り抜いた。
強烈な一撃に生まれた風は鋭い音を立て、骨を砕く鈍い音が室内に響き渡る。ブチブチと筋肉は断裂し、血飛沫が部屋中にまき散らされる。数名いたはずの盗人たちは、今の一撃によって一人を残して絶命し、数秒前まで五体満足だった身体は、今では臓物を周りに散乱させ、無惨な姿となっていた。

「ひっ……ひいっ……」

生き残った一人も余りの出来事に腰が抜けたのか、這いつくばるようにして入り口へと向かう。だが、あと一歩で外に出られるというところで己の前に仲間を絶命させた大剣が突き刺さる。

「残念だったな。お前の命はここまでだ」

残った一人に、そう告げて男は相手の首を両手で押さえ、“軽め”の力で捻った。外へ助けを求める暇もなく、残った最後の一人もその場に絶命した。

「あーあ、余計な手間を取らせやがって。雑魚は雑魚らしく俺の邪魔をしないように息を潜めていりゃいいのに」

まるで己の前に立った事が罪とでも言うかのように男は吐き捨て、床に突き刺さった大剣を抜き放ち離れの外にでる。

「……ん?」

外に出て男が最初に目にしたのは、離れを囲む盗賊の群れ。離れの異常に気づいた頭が仲間に命じて中の様子を探らせて、そこで起こっていることを聞いてあらかじめ外に人を配置させていたのだ。だが、彼らの予想では男が怯えて離れから出てくると思っていたらしく、中にいた仲間を全員殺すなんて事は想像もしていなかった。

「ん~。こりゃまた邪魔な糞共が大量に。掃除するこっちの身にもなれよ」

仲間の血を纏い現れた男を見て声を出す事のできない盗人達とは正反対に、男は本当に呆れたように、というより面倒くさそうに呟く。

「俺は弱い奴には興味ねーんだよ。考えるのも面倒だから消えるか死ぬか選んどけ」

そう言って持っている大剣を背負い、盗人たちの動向を伺う。だが、そんな彼の前に無謀にも盗賊の頭は近づいて行った。

「頭っ!」

思わず声を上げる仲間。静止の言葉が端々から上がるが、頭は止まる気配を見せない。そして、男の前に立つと他の者たちには聞こえないほど小さな声で男にある事を提案した。

「なあ……お前俺と手を組まないか。どこの誰だか分かりゃしねえが、よっぽど腕が立つみたいだしよ。正直、俺ぁこの人数で盗賊家業を続けるのはキツいと思ってたんだ。分け前は少なくなるわ、食材は足りないわ、不便ばかり。
 だが、お前さん一人いればこいつ等全員分の働きはしてもらえそうだ。なあ……俺と組まねえか? お前とだったらいい働きができると思うんだよ。ああ、もちろんこいつ等の大半は殺してもらっても構わないぜ。なあ、どうだ?」

頭の提案に男は一瞬首を傾げた。それを頭は己の提案を受け入れるかどうか悩んでいると判断した。正直、仲間を減らそうと考えていたところに、都合良く現れた腕利きの剣士。いい加減今の仲間達の戦力に限界を感じていた頭は新しく現れたより強い戦力に心躍らせた。これでまた上手く稼ぎがでるようになると。
今後の事を考えて内心胸躍らせている頭だったが、男の発した一言によって一気に顔が青ざめた。

「お前、何言ってんだ? なんで、俺が自分より弱い奴と手を組まなきゃならねえんだよ。馬鹿らしい。とっとと死ねよ」

そう言って大剣をなぎ払った。

「なっ!?」

間一髪これを避けた頭だったが、完全には避けきれなかったため、腹部に切っ先が当たり、そこから血が流れていた。

「て、てめえ誰に対して剣を向けたのかわかってんのか!」

それまでの態度から一変、怒りを露にする頭。鋭い形相で男を睨みつけ、仲間達に彼を襲う準備をさせる。盗人達はそれぞれ持っている武器を構え、男に向かってそれを一斉に向ける。
だが、それを見ても男はそれまでの余裕を崩す事はなく、むしろ先程よりも更に気を抜いて周りを見渡していた。

「はぁ。お前たちこそ誰に向かって剣を向けてんのかわかってんのかよ」

未だ己の正体に気づかない盗人達に心底呆れた様子の男。盗人達は顔を見合わせ、彼の正体が何なのか確認し合うが、誰も知る者はいなかった。
それを見て、男は己の事を誰も知らないという事実にショックを受けた。

「マジか……。この数年まともに活動してなかったとはいえ、こんなにも早く人って奴は出来事を忘れて行くんだな。仕方ねえ、ここはもう一度やる事やって、俺が誰なのかをこの世界に知らしめてやるか」

そう言って男は大剣を正面に構える。そして、周りの盗人達に向けて己の存在を宣告する。

「俺は、十二支徒が一の“猿哨”! てめえら雑魚に絶望を運ぶ者だ!」

十二支徒。その単語を聞いてようやく盗人達は事態が引き返す事のできないほど所まで来ていた事に気づいた。だが、時は既に遅く、猿哨の名乗り口上が終わりを告げる。

「覚悟しな。一人残らず皆殺しにしてやるよ」

愉悦の笑みを浮かべ、猿哨は盗人達の塊に飛び込んで行った。
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理不尽な要求

「お~い、お兄ちゃん。早く来ないと置いていっちゃうよ!」

 幼い妹の声が自分より少し先の位置から聞こえてくる。大きく手を振り、早く早くと急かす妹の姿は微笑ましく、それを見て思わず笑みがこぼれてしまう。
 妹と同じように手を振って返事をしようとするが、何故か身体が動かない。まるで全身を硬い紐でキツく縛り付けられているかのように。
 そうしている間にも妹はどんどんと先へと進んでいく。その先にある光景に嫌な予感を感じ、彼女を止めようと必死に声を張り上げるが、その声は届くことはない。
 刹那、身動きの取れない自分の横を幾つかの影が通り抜ける。黒のシルエットとなったそれらはすぐさま妹の元へと追いつき、一瞥をくれると興味を失くしたかのように無視して先に進む。
 ようやく身体の縛りが解けた彼は、すぐさま妹の傍へと駆け出す。妹は何が起こっているのか分からず、いつものように気の抜けた笑みを浮かべながら彼を迎えた。

「さっきの人たちすごく速かったね」

 ここまでくれば、彼はもう何が起こっているのか理解していた。
 これは夢だ。それも最上級の悪夢。
 この場から逃げ出そうと試みるが、必死の抵抗むなしく身体はあの時を再現するように妹の手を引いて先に進んでいく。その足が村の近くまで歩みを続け、二人はようやく異変に気がつく。煙の上がる民家、聞こえてはすぐに消えていく悲鳴。彼らの両親が二人の元へ駆けつけようとして首を打ちはねられるのを遠目に見る。
 地獄の釜が蓋を開けようとしていた。

「――ぅぁぁぁあああっ!」

 叫び声を上げながら、フィードは悪夢から目を覚ました。身体中にまとわりつく冷汗。夢とは思えないほど生々しく、現実的な悪夢にフィードは思わず身震いする。
 目を覚まし、周りを見れば布団の上。いつの間にか庭から移動されて寝かされていたようだ。
 汗を拭いながら、先ほどの夢を思い返す。今の己を作り上げることになった原初の記憶。力なく、為す術なくただ蹂躙され、屈辱を骨の髄まで染み込まされ、悲しみや怒りから生まれた絶叫を天に向かって張り上げたあの時。
 変わったと思っていた。だが、それは己の勘違いだった。結局自分はあの時から何一つ変わっておらず、こうして今もまだ敗北し、悪夢を見る羽目になっている。

「ちく……しょう」

 思わず声が漏れる。握り締めた拳は爪が食い込み血が滲む。

「あ……目が覚めたんですね、フィードさん」

 悔しさから誰にも会いたくないと思っていたフィードに、そんな都合は知りもしないと言わんばかりに義務的に声をかけるものがいた。

「香林……?」

 視線を移すと、襖を開けて室内に入ってくる香林の姿があった。

「はい。お加減の方はどうでしょうか?」

「まだ少し節々が痛むけれど、動く分には支障はないよ。わざわざ様子を見に来てくれたのか?」

「いえ、卯月様のご命令で」

「そっか……」

 何を話そうかとフィードが迷っていると、その様子を察した香林が先に問いかけた。

「フィードさんは……まだ続けられるつもりなのですね」

 そう尋ねられ、フィードは最初それが己の復讐のことだとはすぐに思いつかなかった。

「ああ、止めるつもりはない。たとえ、どれだけ時間がかかったとしてもこの復讐を成し遂げるつもりだ。それにしても、今更何でこんな質問を? いや、それを言うならどうして君はまだ卯月に付き従っているんだ? 
 君も、俺と同じ境遇だったはずだろ? やつに家族を、知人を殺されてその命を気まぐれで拾われた……」

「ええ、そうです。確かに私はあなたと同じ境遇でした。あの方に全てを奪われ、己の命すらも好きにさせてもらえず、ただ利用価値があるから生かしてもらえている存在です。そして、一時期はあなたと同じく復讐を志してもいました」

「そうだ。君は俺と同じく奴を憎み、その命を奪ってやりたいと願っていたはずだ。表面上は付き従ったふりをしていても心の奥底では奴に対する悪意が渦巻いていたはずなんだ。
 なのに、再会した君からはそんな感情がまったく見られない。卯月と最初に現れた時からずっと思っていた。一体君に何があった。感情を隠すのが上手くなったのか? それとも、君はもう……」

 知らず、言葉が途切れる。その先に続くことを告げたくなくて。自分と同じ志を持っていたものが失われるのを予感して。
 だが、そんなフィードの思いを気遣うことなく香林は伝える。

「フィードさんの想像しているとおりです。私はもう、復讐に生きるのはやめました。ほんのちっぽけな、それでも人並みの幸せを手に入れることに残りの人生を費やそうと思ったのです」

 そう呟く彼女を見て、ふいにフィードの脳裏に一人の青年の姿が思い浮かぶ。

「もしかして……李明が……」

 独り言にも近いその問いかけに、香林はほんの少し、それでいてはっきりと頷いて答える。李明、彼の存在が彼女の有り様を変えた。かつてのフィードとリオーネのように。
 唯一違う点といえば、リオーネはフィードの心を癒しはしたが、その生き様を変えることはできなかった。だが、李明は彼女の生き方を変えたのだ。世間一般的に見ればそれこそ正しいと思える道に。
 それを理解し、一抹の寂しさを覚えながらもフィードは素直に香林を祝福することにした。

「そっか、おめでとうでいいのかな? 昔から君と李明は仲がよかったもんな。俺から見てもお似合いの二人だと思うよ」

「ありがとうございます。この話李明にもしてあげてください。からかうぶんにはいい話ですから」

「ははっ。話のネタにはさせてもらうよ」

 フィードと香林は互いに笑い合い、和やかな雰囲気が周りに漂う。しかし、そんな空気を一瞬にして壊す存在が遠慮もなく部屋に現れた。

「ほう、何やら二人して盛り上がって楽しそうじゃな。わしも混ぜてくれぬかのう」

 温かかった室内が一瞬にして凍りつく。突然の卯月の登場にフィードの視線は険しくなり、それを見て卯月は愉快そうに口元を上げ、香林はただの従者に戻った。

「誰がお前なんかを……。それで、何の用だ? お前がわざわざ俺のところに来るってことは何か押し付ける用事があるんだろ?」

 ジロリと卯月を睨みつけながらフィードが尋ねる。今すぐにでも先ほどのように卯月に襲いかかりそうなほど身を乗り出しながらの問いかけだ。

「なんじゃ、わしが用がなければお主の元に訪れないとでも思っておるのか? 寂しいのう。先ほどは少しやりすぎたと思うてこうして様子を見に来たというのに」

「ふん、余計なお世話だ。お前は一人部屋に篭ってふんぞり返っていろ」

「わしとしてもそうしていたのじゃが、最近野盗どもがわしの周りをうろちょろとして煩わしいのじゃよ。かといって、この程度の相手にわしがわざわざ出張るのも面倒じゃ。そこでわしの代わりに……」

「断る。なんで俺がお前の代わりをしないといけないんだ。お前の都合を俺が知るかってんだ」

「ほう。そのようなことを言ってよいのか?」

「どういう意味だ」

「いや、なに。お主がわしの都合を知らぬというのなら、わしもお主の都合など知らぬよ。そうじゃのう、例えば今お主が傍に連れておる白髪の少女。あれは実に珍しいな、そのへんの見世物小屋の店主にでも売りつければいい値で売れるであろうよ」

 挑発するように、それでいてフィードの逃げ道を防ぎながら己の要求を聞かせようとする。力の差は先ほど既に示した。お前に拒否権はない。卯月はフィードにそう告げているのだ。

「……クソっ。やってやる、その代わりあいつに手を出したらただじゃおかない」

「わかった、わかった。ほれ、さっさとわしの代わりに盗賊の討伐を頼むぞ。生死は別に問わぬからのう。お前さんの判断に任せる」

 ヒラヒラと手を振りながら卯月はこの場を去る。その背をフィードは睨みつけながら、己に課せられた任務を遂行するために動き出すのだった。

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血糸の接吻

 アルを李明の自宅へと置いたフィードは、昨晩の約束通り卯月の元へと向かっていた。本心を言えば話をしたくもないのだが、卯月が自分をこの町へ再び呼び戻した理由を知りたいという思いもあったため、こうして彼女の元へと向かっているのだった。

「フィードさん。顔、だいぶ強張っていますよ」

 隣を歩く李明に指摘されてフィードは己の頬に手を当てた。彼の言うとおり、無意識のうちに顔の筋肉に力が入っていた。だが、そうなってしまうのも仕方がないのかもしれない。
 今からフィードが向かう場所はかつて十二支徒に立ち向かえるだけの力をつけるために卯月によって修行を付けられ、何度も死にたいと思うような経験をした場所なのだ。意識していないところで身体に力が入るのは、その場所に行くことを本能的に拒否しているためであろう。

「あそこにはいい思い出なんて全くないからな……」

 幼い頃フィードと接しており、彼がどのような理由で卯月の元にいたかを知っている李明は悲しそうな顔をして彼に同情した。

「そうですね……。あそこでの出来事を聞いた自分としては、フィードさんが戻りたくないと思う気持ちもよく分かります」

「とは言っても、行かなかったら行かなかったで卯月の報復が恐ろしいからな。我慢するよ……」

 大通りを抜け、軒並み連なる商店を二人は抜ける。そして、その先にある広大な敷地の中、ポツリと立てられた一つの屋敷の前に辿り着く。この町で一番大きく、この町を治めるものの住んでいる屋敷がそこにはあった。
 門の前に立ち並ぶ衛兵に李明が事情を説明しにいく。すると、予想していたよりもあっさりと衛兵はフィードを門の中へと通した。

「フィードという者が訪れたら無条件で門を通せとの命令が上からきていましたので……」

 門を通る前に理由を聞いたフィードに門番はそう答えた。その後、李明と門の前で別れたフィードは一人、館へと向かって歩いていった。
 門の中に入ってまず目に入ったのは、地面一杯に敷き詰められた砂利。庭師によって整えられたと思われる木々の数々。その中にひっそりと目立つことなく、それでいて場の雰囲気を際立たせるために置かれた灯籠や景石。今朝方アルと一緒に見たししおどしが、庭を眺めるフィードの耳に気持ちの良い音を聞かせる。一定の間隔ごとに鳴り響くそれを聞きながら、フィードは屋敷の中へと入る。

「お待ちしておりました、フィード様」

 中に入ったフィードを待っていたのは、昨晩卯月の供を務めていた香林だった。昨日とはまた一風変わった派手な和装に身を包み、正座の状態でフィードを出迎える。

「やあ、香林。一日ぶりだな」

「ええ、そうですね。ですが、明るい日差しの下でこうしてお顔を拝見させていただくのは数年ぶりとなります。あなた様は本当にあの時からお変わりないようで……」

 己と違い、容姿がとても変わった香林の言葉にフィードは反応に困った。

「そんなにかしこまらないでくれ。正式な客って訳でもあるまいし、一応は見知った仲なんだから。敬語なんて使われると逆に距離ができたみたいで嫌だよ。それと、俺の容姿とかが変わらないのは仕方のないことだよ」

 自虐的な笑みを浮かべるフィードの様子を見て、香林は袖で口元を隠し、クスリと微笑んだ。

「そうですね……そうでした。ですけれど、この話し方はもう私の一部のようになってしまっているので、そこは変えることができません。ですが、名称を変えたりすることはできますので“フィードさん”と昨晩と同じように呼ばせていただきますね」

「ああ、そうしてくれ。それから、いつまでもそうして座っていてくれなくてもいいんだぞ。どうせ卯月のやつに案内でもしろと頼まれたんだろうが、この屋敷のことは俺もよく知っている身だ。だから、ほら」

 東方の国のしきたりに習い、入り口で履いていた靴を脱いで、フィードは座っている香林に手を差し伸べてその身体を起こした。

「どうもご丁寧に。相変わらずお優しいようで安心しました」

「よしてくれ。俺は優しくなんてない。そもそも本当に優しいやつなら人を殺したりなんてしないさ」

「そうでしょうか? 優しさ故に世の悪を許せず、人を罰するなんてこともあると思いますが」

「少なくとも俺は己の感情に従っているだけのただの人間だから、それには当てはまらないよ。優しさを正当性にして悪を罰するなんていう人間は生まれてから一度も悪行をしたことのないなんていう聖人君子だけだ」

「そういう考えもありますね。では、ご一緒に卯月様の元に向かいましょう」

 そう言って香林はフィードの一歩前を歩いて、卯月の待つ大広間へと向かっていく。そんな彼女の後ろ姿を眺めながら、フィードもまた歩き出す。
 ギシギシと軋む廊下を二人は無言で歩いていく。数年ぶりの再会で積もる話もあるだろうが、今はまだそれを口に出すときではないということだろう。長い廊下を右へ左へと曲がっていき、やがて目的地である大広間の前へと辿り着く。襖の前で香林が立ち止まってしゃがみこみ、中にいるであろう卯月に入室の許可を伺いたてた。

「卯月様、フィードさんがいらっしゃいました」

 一拍間をおいて、香林の言葉に対して返事がくる。

「そうか、では中に入れよ」

 その返事を聞くやいなや、香林は襖を開けてフィードを中に通す。

「香林、君は中に入らないのか?」

 フィードを通してなお襖の前から動こうとしない彼女に彼は問いかけた。

「ええ。今からはフィードさんと卯月様のみのお話になりますので、下女である私が中に入るのも野暮といえましょう。お話を終えてなお、お時間が有るようでしたら私にもこの数年の出来事をお聞かせください」

「ああ、わかったよ。それじゃあ、また後で」

 フィードがそう言うと、香林はそっと襖を閉めた。そして、フィードは広間の奥にいるであろう卯月の元へと向かっていく。そして部屋の最奥に着くと、そこにはゆったりとリラックスした体勢でフィードを迎え入れる卯月の姿があった。

「さて、一晩ぶりじゃのうフィード。昨夜はよく眠れたか?」

 ククッと含み笑いをしながら問いかける卯月にフィードは露骨な嫌悪感を露わにして答える。

「さあな。昨晩は誰かさんがいきなり押しかけてくるものだから、せっかく気持ちよく眠っていたのに起こされることになったよ。見たくもない顔を見せられたもんだから寝起きの気分は最悪だったな」

「ほう、それはそれは。まことに不運なこともあるものじゃのう。まあ、美女の顔が見られたのじゃ、その程度の代価は必要であろう」

「……そうかよ」

 フィードの悪態を気にする素振りも見せず、卯月は話を続ける。

「それで、お前さんを呼んだのは理由があっての。少し前に香林のやつが予知を見たと言うてのう」

「へえ……。昔言ってたジャンに住む少数民族が時折発現するっていう力か?」

「そうじゃ。己の身近にいるものの少し先に起こる未来を断片的な形で見るという力じゃ。わしが魔術の才もなくひ弱なあやつを傍においておる理由じゃよ」

 まるで、その才がなければ香林など興味がないというように吐き捨てる卯月にフィードは苛立ちを募らせるが、この場で暴れても仕方がないと判断し、黙って続きを聞く。

「それまでわしの身近に起こる瑣末な出来事ばかりを予知しておったが、その時はお主の姿を見たと言うてな。聞けばお前さんが男の亡骸を前にして情けなく泣き喚いていると言うではないか。それを聞いて随分と笑わせてもらったが、一応お前さんが心配になってのう。それから情報を集めてセントールにお主が滞在しているという噂を聞いたものじゃから、こうして手紙を出して呼びつけたというわけよ」

「それは一体どういう意味での心配だ……」

 己の友人の死をからかわれていると気がついたときには、フィードは卯月に対して敵対心を露わにしていた。嫌悪はしていてもたいていのことは我慢するつもりだった彼だが、己の友人の死をこうまで侮辱されて黙っていられるほど大人ではなかった。

「どういう意味? そのようなこともわからんのか、お前さんは。やれやれ、わしがお主を心配する理由など一つしかなかろう。ようはお主がその出来事のせいで駄目になっておらぬかと思っただけじゃ。お前はわしが他の十二支徒を殺すために拾った大事な、大事な玩具じゃからのう」

「……」

 フィードは卯月の言葉に対して言い返そうとして、しかしそうすることはできなかった。怒りは十分胸に溜まり、憎悪は当の昔に器から溢れかえるほど持っていた。かつてのように、さきほどまでのようにその感情のまま言い返すだけのはずであったのに、己の友人の死を卯月の口から持ち出されたことにより、本当に一瞬だけその心に迷いが生じたのだ。
 そして、それを見逃すほど卯月は甘い相手ではなかった。

「ほう……。どうも昨晩の威勢は単なる虚勢だったようじゃのう。まったく、少しは成長したと思ったのじゃが、わしの目も相当悪くなったものじゃ。やはり、お前さんはあの時から何一つ変わっておらぬよ。
 ……落胆した。罰として少し灸をすえてやろう」

 卯月が一呼吸すると、それまで広間を漂っていた空気が一変する。先ほどまでは張り詰めた空気であったものの、まだ均衡を保っていた。しかし、今は広間全体を包み込む底冷えするような空気が漂い、卯月は鋭い視線でフィードを睨みつけていた。

「――ッ!」

 自分に向けられる敵意にとっさに身構えようとするフィードだったが、そうするよりも先に卯月の足がフィードの喉元を貫いた。

「――――ゥァッ」

 蹴られた衝撃で襖を幾つも破り、二つほど遠くの部屋まで吹き飛ばされるフィード。苦痛の声を漏らすこともできず、気管を傷つけられた彼の口からは血が零れ落ちた。そんな彼を冷ややかな目で見下ろしながら、卯月が少しずつ、少しずつ距離を詰めていく。

「見てみよ、このざまを。お主はわしが拾ってやったあの時から何一つ変わっておらぬ。力をつけたと意気込み、幾人かの十二支徒を殺したところで所詮お主は変わらぬ。迷ってばかり、甘いことを吐いてばかり。現実をみようとしないで泣き叫んで逃げ回っているだけの赤子のままじゃ。いくら凄んだところでお主は弱者のままなのじゃよ」

 フィードは口元から垂れる血を腕で拭い取り、倒れこんだ身体を起こし、足に力を入れて視線の先にいる卯月に向かって駆け出した。
 一呼吸の間に縮まる二人の距離。フィードは卯月の前に着くと、姿勢を低くし勢いと遠心力を利用した下段の払いで卯月の足を刈り取ろうとする。だが、その払いが卯月に届くよりも先に宙に飛び上がった卯月の回し蹴りがフィードの顔面に当たり、再び彼を遠くへと吹き飛ばす。
 先ほどとは違い、部屋の外へと吹き飛ばされたフィード。予期せずして生まれた距離。卯月がその距離を詰める前にフィードは魔術詠唱を始める。

「大気を漂う数多の液体。その欠片を集め、固め、作り上げた鋭い刃は敵を突き刺す。
 その冷気で我に仇なす者を罰せよ――フロストエッジ――」

 大気中に生まれた幾つもの氷柱が卯月の元へとその刃を伸ばしていく。まともにくらえば無事ではすまない必殺の一撃。だが、そんな状況でも卯月は冷静さを失わず、むしろその表情に浮かぶ落胆はより色濃いものとなっていった。

「お主は、本当に馬鹿じゃのう。自分よりも力が上の相手に対してこんなに隙ができる行動を取ってどうする?」

 己の身に迫る氷柱を紙一重で避ける卯月。避けた際、彼女が着ている着物が氷柱に触れてビリビリと音を立てて引き裂かれる。

「動揺してまともな判断もできぬのか? それとも単に成長していないだけか?」

 再び縮まる二人の距離。迫り来る卯月に対して今度は構えを取り、その身体に合わせて右拳を振りぬくフィード。だが、ほぼゼロ距離で抜き放ったそれすらも卯月の前では無意味だった。

「あまり、わしを失望させるな。そうでないと……」

 振りぬいた拳が卯月の髪を裂き分ける。一瞬の出来事がまるでゆっくりと動いているかのように感じられる。

「うっかりお主を殺してしまうかもしれないからのう」

 刹那、強烈な衝撃がフィードの腹部を貫いた。そしてその直後、腹部から生まれた衝撃が全身へと広がり、連鎖するように衝撃が増していく。身体をくの字に折り、後方へと吹き飛ばされるフィード。その衝撃があまりに強大だったためか、外にある屋敷の塀にその身体を僅かながら埋めることになった。

「――ァッ。――――クッ」

 ぼやけ、視点の定まらない視界。叩きつけられた塀から無様に地面へと倒れ伏せ、指一本動かすこともままならない。僅かに動く顔を上げ、己を叩きのめした相手に対してせめてもと睨みつけることだけはやめない。

「……ふん。まだ睨みつけるくらいの余裕はあるようじゃのう。だが、無様。いくら睨みつけようと、わしがその気になればお主のような羽虫はいつでも叩き落とせる」

 ガリッと噛み砕けるほどの強さで歯をくいしばるフィード。それは迷いを見透かされたくやしさからか、はたまた己の仇敵に対して手も足も出なかったことからか、はたまたその両方の理由からか。
 ゆっくりとフィードの元へ近づいていく卯月。そして、ようやく彼の前に辿り着くと、彼女はしゃがみこみ、フィードの髪を掴み、上半身を起き上がらせる。

「ほれ、何か一言申してみせよ。またしてもお前さんはわしに届かなかったぞ」

 髪の毛を引っ張る手とは別の手でフィードの頬を叩く卯月。誰がどう見ても挑発しているのは明らかだった。そんな彼女に動かない身体に鞭を打ち、フィードは卯月の喉元にめがけて手刀を抜き放つ。……だが、それすらも喉元に届く前に卯月の手によって阻まれてしまった。
 しかし……。

「ほぉ……」

 それまでの落胆した態度から一変。卯月が感嘆の声を漏らした。見れば、卯月によって止められた手刀は僅かながらその喉元をかすめ、僅かに血を流していたのだ。

「少しは成長していたようじゃのう。では、褒美を与えねばのう」

 最後の力を使い果たし、力なく身動きの取れなくなったフィードに卯月が空いている手を伸ばす。そして、フィードの頬に手を当てて唇を重ね合わせた。瞳孔を見開き、再び湧き上がる怒りと憎悪を露わにしたフィードだが、悲しいことに身体は先ほど受けたダメージが抜けきっておらず、まったく彼の言うことを聞いてくれなかった。振りほどこうにも身体が動かない。そんなもどかしさを感じる彼を嗜虐的な笑みを浮かべて見つめながら、卯月は接吻を続ける。
 彼女の気がすむまで続けられると思われた接吻だが、その終わりは唐突に訪れた。

「――! こやつ……」

 唇を離した卯月は突然のことに驚きの声をあげ、己の口元とフィードの口元の間に浮かぶ一筋の赤い糸に視線を移す。それはたった今フィードによって噛み切られた己の口から流れた血が唾液と混じり、赤い糸を生み出しているのだった。久方ぶりに見る己の血に、卯月は先ほどよりも更に可笑しげに、狂ったような笑い声を上げた。

「くっ、くく。あっはっはっは! よい、よいぞ! そうでなくては困る。例え手足が動かずとも、いくら相手が己より力があろうとも、最後の最後まで足掻くさま。実に面白い。せっかく拾った玩具、少しでも長く楽しませてもらわねば、ここまで手塩にかけて育てた甲斐がない」

 今度こそ本当に力を使い果たしたフィードは、己の視界が徐々に暗くなっていくのを感じた。だが、そんな彼の様子に気づくことなく、卯月は一人歓喜とともに喋り続ける。

「だが、まだ迷いがあるのが駄目なところじゃ。復讐に走るのなら人の心など捨ててしまわねばならんな」

 それを最後にフィードの意識は暗転した。彼が気を失って倒れたことに卯月が気づくのはそれからしばらくしてからである。
 
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朝の散歩

 フィードの反応を見た卯月は満足そうな笑みを浮かべると、彼に近づくのを止めてその場にあぐらをかいた。

「その反応を見るとどうやら復讐を忘れていたわけではなさそうじゃの」

「当たり前だ。あの出来事を、覚えていられる犠牲者は俺一人なんだ。村のみんなの無念を晴らすためにも俺は奴ら全てを殺す。それは十二支徒を抜けたお前でさえも例外じゃない」

「大言壮語もそこまで行くと立派なものじゃ。よい、よい。わしは非常に満足しておる」

 威勢良く卯月に噛み付くフィードに、彼女は先程よりも更に喜んだ様子を見せた。その様子が不快なのか、フィード自身は終始苦い表情を浮かべていた。

「確かに風の噂や香林の予知でお前さんがそれなりの成果を上げてきておるのも事実じゃ。そこはきちんと評価せねばならんのう」

 そう言って卯月は再びフィードに近づき、その頬に手を当てて顔を近づける。だが、フィードはその手を振り払い、彼女を遠ざける。

「触るな! お前のような奴と同じ場所で息をしていると思うだけで吐き気がする」

 微塵の隙もない拒絶。卯月を見るフィードの眼は怒りの炎が燃え上がっている。

「つれないのう。かつては何度も一夜を共にしたというのに。それほどまでにこのわしが憎いか? お前に武を、魔を、知を授けて復讐の手助けをしておる師がそれほどまでに憎いのか?」

「ああ、憎いさ。今すぐにでもその喉を切り刻んでやりたいほどな。お前さえいなければ十二支徒なんてものが生まれる事もなかったんだからな!」

 息を荒げるフィードにやれやれと肩をすくめてため息を吐く卯月。

「まったく、せっかくお主が町に辿り着いたという報告を受けてこのわし自ら来てやったというのに……。これではまともに話もできん。困ったものじゃ」

「話なら俺が明日そっちに出向いてやるから待っていろ。そもそもこんな夜中に訪れるって事自体非常識だ」

「仕方ない。こうまでして拒絶されるのでは一旦引き下がるしかないのう。行くぞ、香林」

「はい、卯月様」

 卯月はそれまで己の後ろに黙って控えていた香林に声をかけ部屋を出て行こうとする。しかし、香林の名前を聞いたフィードが気になってつい彼女を引き止める。

「香林? もしかして、君はあの時の……」

 かつて李明と共に己の後ろにくっついて歩いていた少女の姿を思い出してフィードは問いかける。昔とは変わって美しい美女になった少女がそこにはいた。

「ええ、そうです。お久しぶりですフィードさん」

 懐かしさから昔と変わらない優しい笑みを浮かべて挨拶を交わす香林。だが、彼女がそんな笑みを浮かべる理由がフィードには分からなかった。

「どうして、どうして君は未だそんなところにいるんだ? だって君は……」

 と、次の言葉を紡ごうとしたとき、何の気配もなく香林がフィードの目の前に現れ指先で彼の口を抑えていた。

「その話の続きはまた明日。これ以上騒ぐと後ろにいる女の子が目を覚ましてしまいますので」

 思わず抱きしめたくなるような儚げな笑みを浮かべて香林は呟く。かつて色香に欠けていたただの少女は、今では一瞬で男を惑わす妖艶な美女へと成り代わっていた。

「……わかった。俺もこいつに余計な心配はかけたくない。また、明日……でいいんだよな?」

 不満げな態度のフィードにさして気にした様子も見せず香林は頷いた。

「ええ。フィードさんに時間があればいくらでも話す事はできます。この数年間どんなことをして過ごしていたのか、どんな出逢いや別れがあったのかなど。でも、一番に聞きたいのは復讐に関する事ですが……」

「わかったよ。時間はたっぷりあるし、君には全て話すよ。それに俺も聞きたい事がたくさんあるからな」

 互いに明日の約束を交わし、別れようとする。そんな二人の様子が気に入らないのか、先に帰ろうとしていた卯月が口を挟んだ。

「なんじゃ、なんじゃ。お前達二人ともわしを差し置いて仲良くしおって。つまらん、実につまらんのう。命の恩人であるわしにもう少し優しくしても罰は当たらんぞ」

 駄々をこねる子供のように嫉妬を露にする卯月に二人は全く同じ反応を見せた。

「ご冗談を。あなたに優しくする理由が私にはありませんので」

「冗談! お前に優しくするなんて死んでもごめんだ」

 そんな二人の反応にますます落ち込み、ようやく家を後にする卯月。そんな彼女を追うように、香林もフィードに一礼してその背に続く。そんな二人を見送った後、フィードはようやく再びの眠りにつくのだった。



「マスター! 見てくださいよ、これ。よくわからない木が水を溜めては音を鳴らして溜まった水を吐き出してますよ!」

 卯月の突然の襲来から数時間後。夜が明け、朝が訪れた倭東の中をフィードとアルは巡っていた。目新しいもので一杯の町をアルはうきうきとした様子で走り回っては目につくものをフィードに尋ねるのだった。

「それはししおどしっていうものだよ。元々は農場に被害を与える獣を追い払うための装置として使われていたものだったんだけど、今では富裕層の人々が庭園の装飾として使うようになっているものだ」

「そうなんですか~。じゃあ、じゃあ。これはなんですか?」

 ししおどしを見終わった後、次にアルが指したのは店の高柱にくくり付けられてある鉄製の風鈴だった。

「あれは風鈴っていって、夏期の時期に少しでも涼しい気分になれるように、ああしてくくり付けてその音を聞いて心を和やかなものにするんだ」

「それで涼しくなるのですか?」

「う~ん。実際に涼しくなるわけじゃないぞ。でも気持ちの持ちようだってよくいうだろ? あの音を聞いて涼しいと感じる事が重要なんだよ」

 フィードがそう言うと、丁度タイミングよく風が吹き、チリンチリンと風鈴が音を奏でる。

「なるほど~。気持ちが大事……。それじゃあ、あれはっ!?」

 息を吐く間もなく次々と質問を投げかけるアルにフィードは振り回されながらも、その無邪気な様子を微笑ましく思い笑顔を浮かべていた。会いたくない人物がいるこの町だったが、アルを連れてきた事によって図らずともフィードは心地よくこの町で過ごす事ができそうだと思っていた。

(ホント不思議だな。俺なんかよりもずっと弱く、頼りなくて。ただの小さな女の子のはずなのに……)

 少女の無邪気さに救われている部分があると心のどこかで理解しながらもフィードは己の内に抱えている矛盾について考える。
 アルを危険なことから遠ざけたい。そう思っていたはずなのに、今ではあれだけ教えるのを拒んでいた魔術を教え、こうして己の復讐の対象でもある卯月のいる倭東にさえも連れてきている。グリンの元で留守を頼み、そのまま一人でこの町に来ていたならば昨夜のように突然現れた野盗にアルを怯えさせることもなく、彼女の存在を気にせずあのまま野盗を切り刻むことも……。
 キーンとふいに耳鳴りが響き、フィードは一度考えるのを止めた。

 “そうではない”

(俺がアルを連れているのは、あくまでも俺の身勝手な考えからだ。目の届くところにいて欲しい。危険が及んでも救いの手を差し伸べられる場所にいて欲しい。そう思ってるから、こうして連れてきているんだろうな。それ以外にあれこれ理由をつけても仕方がない)

 アルを連れて旅をする理由についてそう結論づけるフィード。そんなことを彼が考えていると知りもしないアルは、ただ楽しそうにはしゃぎまわっているのだった。興奮して走り回る少女を見て、フィードは苦笑する。

「そんなにはしゃぎまわると夜まで体力持たないぞ、アル」

「昨日たくさん寝たんで大丈夫です! それよりもマスター。今日はどこに向かうんですか?」

「今日か? そうだな……しばらく町を離れていたことだし、探索がてら挨拶に行かないと行けない人のところに行く予定だ」

 もっとも、その挨拶自体アルが寝ている間に既に行われているのだが、これを話すとまた余計な心配をかけるだろうと思い、フィードはアルに話をしなかった。

「そうですか。この町は見たことないものがたくさんあるので、ただ回っているだけでも楽しいです!」

「そうか、それはよかった」

 ようやく先を歩くアルの隣に並んだフィードは、彼女がいつもと一点だけ違う部分があることに気がつく。

「あれ? そういえばその髪留め見たの久しぶりだな」

 そう言ってフィードはアルの髪に付けられている赤色の髪留めに視線を移した。それはリオーネがセントールを訪れた時にフィードがアルに日頃の頑張りの報酬としてプレゼントしたものだった。トリアに向かう前には定期的に付けているのを見かけていたが、それもここしばらくは目にすることはなかった。

「あ……はい。その、ここ最近付けていなかったのでたまにはと思いまして」

 いつもの自分と違う点にフィードが気づいてくれたのが嬉しいのか、アルはもじもじとしながらも上気した頬で上目遣いにフィードを見ていた。

「なるほどな。そう言えばその髪留めを見て思い出したがイオのやつに頑張っていたら同じようにプレゼントしてやるって約束をしていたな。ここならセントールになさそうなアクセサリーもありそうだし、また時間がある時に探してみるか」

 と、そこまで上機嫌のアルだったが、フィードがイオの名前を出し、あまつさえプレゼントを探すと口にした瞬間それまでとはうってかわって不機嫌になった。

「……マスターって本当にどんな女性にも優しいですよね」

 ムスッとしながらアルは呟く。

「どんなって……そんなつもりはないんだがな」

「マスターがそう思っていなくても、こっちはそう感じるんです! もう、ホントにしょうがないですね……」

 何故か一人で怒って自己完結してしまっているアルにフィードは苦笑いを浮かべるのだった。それから昼時になるまで二人で色々なお店を巡り、町を散策して李明の待つ家へと戻った。

「あ、二人共お帰りなさい。町を見た感想はどうです?」

 ジャンの言葉ではなく、他国の共用語で話しかける李明にアルが答える。身振り手振りを交えながらアルが答える。

「すごかったです! 今まで見たことのないような家や物がたくさんありました! ここに住んでいる人の服装も普段見られないような和装でしたし。とにかく目新しいものでいっぱいでした!」

 この興奮を誰かと分かち合いたいのか、アルはそれからしばらくの間ずっとこの町や人々のことについて話し続けた。これほどの反応が返ってくると思っていなかったのか、李明は薮蛇だったかと質問を投げかけたことを少し後悔しているようだった。
 しばらくして、アルの話が一段楽したところでフィードが話題を変えた。

「そう言えば、この後あいつのところに行く予定なんだが、その間アルをここに置かせてもらっても構わないか? ちょっと連れて行くのは気が進まなくて」

 そう言ってチラリと横目でアルを見るフィード。卯月の元にアルを連れて行くのはとある理由から止めておこうとの考えからだった。

「ええ、構いません。元々今日は非番で俺も家にいますし、いざって時に呼び出されたとしてもアルちゃんが家にいてくれれば問題ありませんからね。

「そういうわけだ、アル。今から俺は出かけてくるが、その間留守番していられるか? もちろん行きたいところがあるなら李明に言って出かけてもいい」

 フィードの問いかけにアルはすぐさま頷く。

「はい、マスター。でも今日は朝のうちに町を一緒に回ってもらえたので満足です。ここで帰りをお待ちしていますね」

 ニコリと微笑みながらアルはそのまま昨晩あてがわれた部屋へと向かっていった。アルの姿が見えなくなると李明が小さな声でフィードに問いかける。

「は~。本当によくできた子ですね。というか昨日は聞きそびれたんですけれど、あの子フィードさんとどのような関係なんですか? 下女か何かです?」

 不思議そうにしている李明にフィードは意地悪そうに唇をつり上げて答える。

「お前も昨日言ったろ、あいつは俺の娘みたいなものだよ」

 その答えに勘弁してくれといった様子の李明を見てフィードは口元を抑えて笑いを堪えるのだった。
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建野海

Author:建野海
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名前:建野海

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好きな食べ物: 和菓子、洋菓子などデザート類。

趣味: 読書、ツーリング、ゲーム、ピアノ、映画鑑賞。

好きなマンガ:
ワールドエンブリオ
修羅の門
     3月のライオン
     エリアの騎士
     フルーツバスケット

好きな小説:ダレンシャン
      白夜行
      スロウハイツの神様
      向日葵の咲かない夏
      白い巨塔など。

好きな映画:プラダを着た悪魔
      ワイルドスピード
      僕駐
      インセプションなど。

好きなゲーム:キングダムハーツ
       テイルズ
       ルーンファクトリー
       ゼルダの伝説など

好きなアーティスト:福山雅治
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