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「壁の中より」 第0話

第0話 収容車両にて


辺りに廃屋が立ち並ぶ道を一台の車が走っていた。窓には鉄格子が取り付けられ、車の外装は一部を除いて黒く塗りつぶされている。ワゴン車よりもひとまわり大きいその車内からは叫び声や嘆き声、それから狂喜の声が響いていた。

 車内では手枷をはめられた男性、女性、小さな子供が乗っている。

 ある者は人畜無害にも見え、ある者は薬漬けになってイカレたようにも見える。

 一見何ら規則性のないように思える彼らだが、一部を除いてある共通点があった。

 彼らは『犯罪者』であった。

 中には人を殺した殺人者や、軽犯罪を重ね、簡易更生施設での指導を受けながらも再犯を繰り返したものなど社会不適合者として更生を余儀なくされた人々だ。

 そして、それ以外の理由から、この車内に乗っているものもまた更生を余儀なくされた者である。

 ざわめく車内。中には、彼ら以外に運転手と屈強そうな男のガードマンが二人いる。

「黙れ! 騒ぐんじゃない」

 ガードマンの一人が怒鳴りたてる。

「うるせえよ、国家の犬が! 規則に縛られたてめえこそ黙っていろ!」

 まだ若そうな金髪の男が反論する。ガードマンにガンを飛ばし、顔を近づける。

「犯罪者ごときが調子に乗るな。今すぐ自分の席に戻れ」

「はっ! 偉そうにしやがって。席に戻らなかったらどうするんだ?」

 金髪の男はガードマンを挑発する。彼のほかに先ほどから騒ぎ立てていた者たちもまた、奇声を上げたりするなどしてガードマンを挑発する。

「知っているか? この車に乗った時点で、きさまたちの人権は殆ど剥奪されている。つまりきさまらは既に人ではない。いい例が奴隷だ! だからきさまらに我々がなにをしようとも問題ではないということだ」

 ガードマンの一人がそう言い終わると、それまで黙っていたもう一人のガードマンが立ち上がり、金髪の男の頭を掴んだ。そして、そのまま男を窓に取り付けてある鉄格子へと叩きつけた。

一回、二回、三回。幾度も叩きつけるうち、男の鼻から鼻血が垂れ、次に骨が折れる音が聞こえ、やがて呻き声が聞こえた。

「……ご、め、さ、い」

 歯が折れたのだろうか、男はうまくしゃべれないながらに謝罪の言葉を口にした。

「……ふん。いいか! これが今のきさまらと我々の立場だ。これ以降己の立場をわきまえない者は、この男と同じようになると思っておけ」

 ガードマンの言葉に車内が静まり返る。先ほどのように騒ぎ立てる者はもういなかった。

「わかったら、さっさときさまも席に戻れ!」

 それまで男を痛めつけていたもう一人のガードマンが男を乱暴に蹴飛ばす。当然、弱っている男はそのまま地面へと転がった。そして、そんな彼を誰も助け起こそうとはしなかった。彼に手を貸せば、自分も同じような目にあうのではないかという不安をみな感じていたからである。

「どうした? 席に戻らないということは我々の命令を無視するということか?」

 先程男に暴力をふるっていないガードマンが問いかける。しかし、もはや男には問いかけに答える気力もなかった。

「いかんなぁ。これからきさまは更生をしなければならないというのに。そんな態度ではいつまで経っても更生できる可能性がないではないか」

 饒舌なガードマンは寡黙なガードマンへと視線を移し、無言で促す。

 寡黙なガードマンはゆっくりと男に近づき、再び暴行を加えようとした。だが、ガードマンが暴行を加えるよりも早くにある少年が男を踏みつぶした。

「おらっ! 早く席に戻れっていわれてんだろうが。お前のせいでおれたちに迷惑がかかってんだ。さっさと戻れ!」

 少年はガードマンが男に暴行を加える暇もないほど、男を踏み、蹴りとばした。

「すいません。今すぐこの男を席に戻しますので。おれたちに同じことをするのは勘弁してください」

 媚びへつらうように少年は二人のガードマンに懇願する。

「まあいいだろう。きさまは自分の立場がよくわかっているようだしな。それに、これ以上床をその男の汚い血で汚されてもかなわんからな」

「ありがとうございます」

 少年は笑顔でお礼を告げると、倒れている男の手を掴み、引きずりながら元の席に戻し、その後自分の席へと戻った。

 ほんの数分前の騒々しさは消え、静寂さが訪れた車内で少年は誰にも聞こえないほどの大きさで呟いた。

「くそったれ」
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「壁の中より」 第0話 2


 やがて、廃屋が立ち並ぶ道を通り過ぎたころ、鉄格子が付いた窓の隙間から前方に巨大な建造物が見えた。

 否、正確には巨大な壁である。

 その壁こそ、彼らの到着地である『更生都市』であった。

 正式名称、犯罪者更生第二都市である。

 一定以上の犯罪を行った者と、ある理由を持った一部の人間を更生させ、社会に復帰させるための巨大施設として都市を建設し、国内で七ヶ所都市としての形をとった更生施設が存在する。中には、財政難に陥っていた都市を更生施設にするかわりに莫大な補助金を国が出して財政の立て直しを行った場所もある。

 当然、当時住んでいた住人はそのことに猛反対したが、住民の反対を押し切り、当時の都市の責任者が強引に了承した。その結果、住民のほとんどは都市から出て行き、他の地へ移って行った。

しかし、中にはその土地に愛着がある人や、経済的事情から他の地へ移ることができない人々がいた。そうした人々には『更生都市』ができてからもその地に残る代価として補助金があてられることになった。もっとも、その補助金というのはある事情があり、他の地に移る者にとってはあまり役に立たないものなのであるのだが……。

 そして、今犯罪者を乗せてむかっている第二都市こそが、元々一般人が住んでおり、今も一部の一般人と犯罪者が同じ場所に存在する『更生都市』なのであった。

 やがて、巨大な壁の先端が窓から見えなくなるほど近づき、目の前に門が現れた。門の中に入ると、車はスピードを徐々に緩め、やがて停止した。

 車が停止するとともに、饒舌なガードマンが立ち上がり、声を張り上げた。

「いいか! これよりある場所にてきさまたちの手術を行う」

 手術という言葉に誰もが息をのむ。

「怖いか? 臓器でも取られるのかと思ったか? しかし、残念なことにそんな事をするわけではない。レーザーを使ってマークを刻むだけだ」

 犯罪者たちの大きな不安はなくなったが、それでもレーザーでマークを刻むと聞いてどれほどの痛みを伴うのかと別の不安が沸き起こった。

「いいか、これより番号を呼ばれた者から順番に降りてこい」

 彼はそういうと、順番に番号を呼び始めた。

 一人、また一人と車を降りて行き、先程痛めつけられた金髪の男もガードマンにおびえながら降りて行った。
 そして、車内には二人の少年が残った。

 一人は先程金髪の男を蹴り、席へと戻した少年。茶色の髪に引き締まった細身の体。人懐っこそうな顔立ちをしており、さっきまで暴行を働いていたものとは思えない。

 もう一人は車の最後列に座っている黒髪の少年。中性的な顔立ちで、若干女のようにも見える。かといって弱そうに見えるというわけではない。また、彼の周りは張りつめた雰囲気があった。

「三十七番、三十八番。降りろ」

 番号を呼ばれた二人は、黙って車を降りた。そして、ガードマンに連れられてある場所へと連れて行かれた。

 真っ白な部屋。中にはレーザーの機械と思われるものと手術用の椅子、それから小さな机が一つあった。そして、手術用の椅子の横には白衣の女性が立っていた。

「番号順に一人ずつこっちへ来なさい」

 女性に呼ばれ、番号の早い茶色の髪の少年が進む。

「座って。そのまま動かないで」

 少年が椅子に座ると、女性は少年の手足を器具で固定し始め、動けないようにした。

「ちょっと、なにすんですか?」

 まさか、手足を縛りつけられるとは思っていなかった少年は必死にもがく。しかし、一緒に来たガードマンに押さえつけられて、そのまま手足すべてに器具を付けられてしまった。

「大丈夫よ、すぐに済むから。その代わり暴れたりするとマークがうまく刻まれないで何度も痛い思いをすることになるから動かないほうがいいわよ」

 女性はそう言って椅子から離れると机の上に置いてあったノートパソコンに何かの情報を入力した。それに呼応するかのように椅子の近くにある機械が動きだし、少年の左手の甲の上で止まった。

 引きつった笑みを浮かべ、少年は機械を凝視する。

「う、ああああああぁぁぁぁ」

 少年の絶叫が部屋の中に響いた。原因は言うまでもなくレーザーが彼の手の甲にマークを刻んでいるためであった。

 しばらく絶叫が続いていたが、やがてマークを刻み終えた機械が動きを止めるとともに絶叫も止まった。

 やがて、手足を固定していた器具を外されると、奥にある扉から現れた別のガードマンと白衣の男性に彼は連れて行かれた。

「さて、次はあなたの番ね」

 部屋の入り口で立っていた黒髪の少年の方を向き、女性が呼びかける。少年は黙って椅子の方へと進んでいった。

「へえ。あなた、さっきのを見て全く怖気づいていないのね。その年齢でたいしたものだわ」
器具を手足にとりつけながら女性は少年を褒める。しかし、少年は無言のままだ。

「それにしても、あなたの刻むマークって相当珍しいわね。私こんなマークって初めて見たわ。なんでも……」

「いいから早くマークを刻んでください」

 それまで黙っていた少年が女性の言葉を遮るように作業を促した。

「あら? 怒ったのかしら。でも確かに、あなたとあまり話すのはよくないわね。犯罪者なんだから」

 その言葉を聞いた少年は、一瞬女性を睨みつけたが、すぐに元の無関心な表情へと戻った。

「じゃあ、ここからは独り言でも呟くことにするわ」

 女性はノートパソコンの元へと行き、機械を動かすための情報を入力し、再び少年の元へと戻った。

 機械が動き始め、少年の左手の甲の上へ移動し、止まる。

「これから、あなたはあるマークを刻まれるわ。そしてそれを刻み終えたら都市内で義務を負って過ごしていくことになる」

 レーザーが少しずつ少年の甲にマークを刻み始める。少年は歯をくいしばって叫び声が出るのをこらえる。

「中に住んでいる犯罪者以外の人達は、絶対に歓迎なんてしてくれないでしょうから、私が代わりに言ってあげる」

 麻酔なしでの行為に痛みが限界を超え、徐々に少年の意識は遠のき始めた。そして、女性の言葉とともに意識が消えた。

「ようこそ、『更生都市』へ」

「壁の中より」  第1話

 第1話 入国


左手の痛みとともに黒髪の少年は目を覚ました。

目を覚まして最初に視界に映し出されたのは真っ白な天井。それから、ベッドに横たわる人々。しばらく様子を見たところ、ここにいる全員の手の甲に何かしらのマークが刻まれており、手術を終えた犯罪者を集める場所なのだと少年は悟った。

「……ん? 目を覚ましたのか」

 少年が目を覚ましたことに気が付いたのか、坊主頭の白衣を着た男性が少年を見た。

「君は確か……。そう、三十八番」

 あらかじめ振り分けられていた番号で呼ばれ、少年は視線で反応する。

「目を覚ましたのならちょうどいい。動けるかね?」

「ええ」

「では、私についてきたまえ。一応言っておくが、逃走しようなどとは思わないことだ」

 坊主頭の男性は少年に忠告すると、歩き出した。少年もそれに続く。

 先程までいた部屋を出て、迷路のような通路をいくつも曲がる。どれくらい進んだのか分からなくなったころ、
ある扉の前で坊主頭の男性は止まった。

「ここから先は一人で進みたまえ」

「わかりました」

 男子に促され、少年は扉の向こう側へと進んだ。

 扉を開いた先にあったのは直進型のエスカレータだった。少年はそのままエスカレータへと乗る。すると、天井から一つのクリアファイルが落ちてきた。

 落ちてきたファイルを拾い、中を調べてみると数枚のプリントがあった。そこには、少年の罪科、更生のための刑期、都市内での義務とその説明、都市に入った後の生活、それから少年が住むための住所や地図などが書かれていた。

 プリントを軽く読み、内容を頭に入れる。

「東区の六番街か」

 本当の意味で都市の内部に入った後、少年が住むことになる場所、それが東区の六番街であった。

 プリントの地図には都市が四分割されていた。それぞれ、北、東、西、南の四区に分けられており、そこからまたそれぞれの区ごとに六分割の街とされている。
 
 今現在少年がいるエスカレータがたどり着く先は東区の三番街であり、そこから六番街へとむかうことになる。プリントによれば、交通機関は無償であるのでそれを使ってむかうようだ。ご丁寧に住所までの行き方まで書かれている。

(それにしても、こんな待遇をするなんて本当にここは収容施設なのか?)

 少年はこのあまりに好待遇な措置に疑問を抱いていた。確かに更生施設という名目上、犯罪者たちへのわずかな自由は許されるかもしれないが、よくよく考えてみれば、一般人と同じ空間で生活をすることはありえない。

それなのに、手枷などもなく、なにかあるといったら、手の甲に刻まれたマークのみ。こうなってくると、ここに運ばれてくる前に他の犯罪者たちが話していた、都市の噂が現実を帯びてくる。

曰く、『更生都市』とは名ばかりの犯罪者の楽園らしい。そこでは何をしても問題でない。

曰く、都市に入った人間は世間からその存在を抹消されるため二度と外に出ることはない。

曰く、都市にいる犯罪者は人身売買で他国へ連れられるか、臓器売買をされて処分されるなど。

巨大な壁に囲われ、都市に入った人間や出た人間に関する情報の規制、マスコミの立ち入り禁止など徹底した秘密主義のせいで、『更生都市』に関する情報は外に出回っていない。

そのため、国が犯罪者たちを匿っているのではないかと言いだす人々が出始め、反対団体の「ACRG」(反犯罪者更生団体)が生まれた。「ACRG」のメンバーは殆どが犯罪の被害者や遺族たちでできており、国に『更生都市』に関する情報を開示するように求める活動をしている。

少年が犯罪者として、ここに来ることになる前、一般人だったころも街頭演説をする「ACRG」の人達がいた。

 再び少年はプリントを見る。

 プリントの一枚、少年の罪科と更生刑期が書かれたものがある。そこには『この者の更生に必要とされる刑期はおよそ三年であり、更生の可能性が見込めない場合はこれを延期する』と書かれていた。

 もし、少年が何も問題を起こさずに都市で三年を過ごしたとすれば、三年で外に出ることができる。そうすれば、いくら国が緘口令を敷いていたとしても、どこかから都市に関する情報が漏れるはずなのである。それなのに、まったく情報が漏れていない。

 これはもしかしたら、噂の一部のように外に出されることがないことを意味しているのかもしれなかった。

(まあ、今更こんなことを考えても仕方ないか)

 そう思った少年は都市について考えることをやめた。

 そうしてプリントに書かれていることを今度はじっくりと読みだし、ある一つの部分に目をとめた。

 そこには少年の都市内での新しい名前が記されていた。

 秋月湊。

 それが少年の新しい名前だった。

「壁の中より」 第1話 2

 エスカレータが最後の地点に着き、自動ドアを抜け、湊の目に最初に入ったのは眩しい日差し。収容車で運ばれているときに既に日は沈みかけていたので、手術をしてから少なくとも一日以上経ったということを、湊はこの時初めて理解した。

 日差しの眩しさに目が慣れて次に視界に映ったのは、和風建築物の数々だった。辺りに立ち並ぶ店や家屋は一部のアパートやマンションを除いてほぼすべてが和風。道を歩く人々はさすがに和服を着ているなどということはしていなかった。

 予想していなかった街並みに湊が驚いていると、自動ドアの入り口付近に受付係のように座っていた女性が声をかけてきた。

「新しく収容された方ですね?」

「そうです」

「こちらに来るまでに、ここについて記載されたプリントは見られましたか?」

「ええ、見ました」

「では、知っているとは思いますが、一応確認のために二つだけ説明をさせていただきます」

 女性は機械のように説明を始めた。

「まず、あなたの手の甲にあるマークは、あなたが犯罪者であるという証であり、どのような犯罪をしたのか、だいたいわかるように刻まれています。この都市には一般の人々も生活しているので、彼らと区別を付けるためにマークは常に見えるようにしておかなければなりません。故意にマークを隠すなどをすると、都市警備の者から罰則を受けることとなるので注意してください」

「わかりました」

「それと、残り一つもプリントに記載されていたとは思いますが、あなた方犯罪者にはこの都市にいる間はそれぞれに義務が生じます。その義務を破っても罰則を受けることになるのでそちらも注意してください。この他にもあなたがたが都市で生活するにあたって必要なことがありますが、それは既に渡されたプリントや新しい住居先で説明があると思われるので確認しておいてください」

 女性は説明を終えると再び元の場所へと戻って行った。

 女性が戻るのを見届け、湊はプリントに地図のルートに沿って目的地へと向かい始めた。

 都市の入り口を出てからの道は一本道で、そのまま進むと駅と思われる建物が見えた。

 入り口前には噴水があり、周囲にはいくつかのベンチが置いてあり、休憩をしている人々が大勢いる。ガラの悪そうな少年達や年老いた老人などさまざまだ。

 湊は彼らを一瞬だけ見た後、駅の中に行こうとした。しかし、ベンチの前を通り過ぎ、駅の中に入る直前に後ろの方から怒鳴り声が聞こえ、気になって後ろを振り向いた。

 見ると、先程までガラの悪そうな少年達がいた場所で気弱そうな青年と少年達が言い争いをしていた。

「おい、お前なにこっち見てんだよ」

 少年達のリーダーと思われる少し太っているが体格の良い少年が気弱そうな青年を威圧する。

「み、見ていませんよ」

 青年は少年と視線を合わせないように下を向きながら弁解する。

「ウソついてんじゃねえよ。浩二君が見たって言ってるんだから見たんだろうが!」

 少年の一人が追求する。

「ホ、ホントに見てないです」

「ふうん? 普通の奴だったら信じてもいいけど、お前カハンだろ? 犯罪者の言うことを信用しろって言われてもなぁ」

 浩二と呼ばれた少年は他の少年の方を向いて同意を求める。彼らは全員顔を見合わせて浩二に同意するように冷ややかな目で青年を見つめていた。

「……そんな」

「とりあえず、人を不快にした罰を与えないとな」

 浩二と呼ばれた少年が青年に近づく。青年は恐怖からおろおろとし、助けを求めるように周りを見るが、誰も視線を合わせようとしない。たとえ、同じ犯罪者でも。

 ついに少年が青年の目の前に来て、勢い良くこぶしを振り上げた。青年は「ヒィッ」と声をあげて目をつぶる。

 しかし、いつまで経っても青年にそのこぶしが降りかかることはなかった。

 恐る恐る青年が目を開けると、少年の手はこぶしをつくる代わりに財布を握っていた。それは、青年の財布だった。

「なんだよ、3000Dしか入ってねえのかよ」

 中に入ったお札を抜き出すと、少年は財布を青年の顔に叩きつけた。

「こんだけしかねえから菓子でも買って帰るか」

 周りの少年達を連れて、浩二と呼ばれた少年はその場を立ち去り始めた。

「ま、まて」

「……あ?」

 青年の呼びかけに少年達が振り返る。

「それはボクが働いて稼いだ金だ。か、かえしぇよ」

 理不尽な出来事に納得がいかない青年はついに少年達にキレた。しかし、多対一の恐怖があるのか、言葉を噛んでしまった。少年たちはそれを馬鹿にして笑い出した。

「『かえしぇ』だってよ。聞いたか?」

「聞いた、聞いた。だっせぇ」

「そういえばさっきも『ヒィッ』とか言ってたな」

「……やべぇ、お前超似てるよ」

 青年の言葉をまともに取りあうどころか、先程までの行動を真似しだす少年達。その行動に我慢できなくなった青年はついに少年達に殴りかかった。浩二と呼ばれた少年の顔に青年のパンチが当たる。

「あ~あ。やっちゃった」

 少年達は焦るどころか、むしろ冷静に状況を観察していた。青年の行動の結果がどうなるかがわかるかのように。

 そして、その結果はすぐに訪れた。

 それまで少年と青年のやり取りを見ていた、大人男性の一人が青年に近づいて地面に取り押さえた。

「な、なにするんだよ」

「更生都市における犯罪者の一般人に対する暴行は禁止されている。よってお前は罰則を受けなければならない。署へと連行する」

 男がそう言うと、他に二人の男女が近づいて青年を捕らえてどこかへと連れて行った。

 残された少年達も、今あった出来事を愚痴りながらどこかへと去って行った。

「……なるほど。これがこの都市における一般人と犯罪者の立場ってわけか」

 近くから今の光景を見ていた湊は納得するように呟く。

「とりあえず、からまれたら逃げることだな」

 今度こそ駅の中に入って目的地である六番街へと向かった。

「壁の中より」  第1話 3

駅に入り、待つこと数分。現れた電車に乗り、六番街へと湊は着いた。

(本当に無料だったな)

 プリントに書かれていたとおり、交通機関の使用は無料だった。おそらく、国から出ている補助金がそれを可能にしているのだろう。

 駅を出ると先ほどの和風の家は少なくなり、その代わりにマンションや高層ビルが多く立ち並んでいた。洋風の家もさっきよりは多く見られる。

 湊は人の多い大通りを地図に沿って歩きながら高層ビル群を見上げる。

「――たかっ」

 あまりの高さに湊は思わず声が漏れた。少なくとも三十階はあるだろうビルが横一列にいくつも並んでいる。だが、それほど高いビルでも、都市を覆っている壁よりは遥かに小さい。そのことから周りの壁がどれほど高いのか理解できる。

(やっぱ、逃亡阻止が目的か? まあ、こんな高さじゃ誰も出られないと思うけど)

 などと、どうでもいいことを考えながら駅から歩くこと十数分。ようやく目的のマンションを見つけた。高さ的に十数階のマンションで、駅を出てすぐに見たマンションに比べれば低いが、見た目は悪くない。犯罪者の住処としては十分以上のものだ。そして、このマンションの501号室が今日から湊の部屋となる。

 マンションの入り口に入ると暗証番号を打ち込む機械があった。しかし、湊のプリントには扉を開けるための暗証番号が書かれていなかった。

(しかたない。外から人が戻ってくるか、中から人が出てくるのを待とう)

 湊はひとまず、人が来るのを待つことにした。

 五分、十分、十五分。入り口にかけてある時計を見ながら待つこと二十分。ようやく、中から一人の少女が出てきた。

 年は十歳くらいだろうか。湊と頭二つほど差がある少女は、腰まである長い髪の毛を後ろで縛り、赤と黒のスポーツジャージを着ている。しかし、サイズが大きいのか、少女が着ているジャージはだぼだぼだった。

 湊は挨拶と扉を開けてくれたお礼代わりに少女に軽く頭を下げた。少女は気づいていなかったのか、それとも故意にか、わからないが、湊を無視してそのまま外へと出て行った。

 湊は入り口のすぐそばにあるエレベータに乗り、五階へと上がる。エレベータが五階に着き、501号室の前に湊は立つ。ドアノブを手に取り、鍵がかっていないことを確かめて、扉を開いた。

「――あれ?」

 扉を開いてまず初めて入った光景は、床に食べ散らかした菓子の空箱。飲みかけのジュースの入ったペットボトル。それから毛布などだった。

(おかしいな? 部屋を間違えたか?)

 自分が入るまでは空き部屋だと予想していた湊は、不思議に思い、玄関に書いてある番号を確かめる。

 501。

 部屋は間違ってはいなかった。

 しかし、部屋の番号の下に先程見落としたと思われるものがあった。

 三島。

 表札があった。

(もしかしたら、ここは既に誰か住んでいるのか?)

 手違いでもあったのかと湊が考えている中、部屋の奥からふと女性の声が聞こえてきた。

「だれ、あんた? わたしに何か用?」

 再び湊が部屋の中を見ると、そこには一人の少女が眠たそうに瞼をこすりながら湊を見ていた。

 見たところ湊より少し幼いと思われる少女。寝癖が付いている肩ほどの長さの金髪。着崩れたパジャマ。気品のかけらもなく、「だらしない」の一言に尽きる少女だが、その容姿は整っていれば人を引き付けると湊は感じた。

「お~い。返事してくれなきゃ用がなんなのかわからないけど?」

 少女に再度問いかけられたことによって湊は本来の目的を思い出した。

「きみって、ここの住人?」

「……? 見てのとおり」

「そう。それは失礼。実は僕の住所もここなんだけど」

 湊は言うより見せた方が早いと考え、持っているプリントを少女に渡した。

「あ~。あんた新規入国者か。そっか、そっか。だいじょうぶ。あんたの住居はここであってるよ」

「いや、でもここ、きみの部屋なんじゃ……」

「さっきまではね。今からは共同だから」

「共同?」

「そっ。今からここは、あんたとあたしの部屋。そんなわけで、よろしく!」

 少女は湊のもとに近寄り手を差し出す。

「えっと、よろしく」

 状況を半分ほどしか理解していない湊であったが、差し出された手を握り締めて握手を交わす。

 そのまま数秒ほど握手を交わし、少女は手を離した。

「とりあえず、中に入りなよ」

 いつまでも玄関で立っている湊を誘い、少女は中へと戻って行った。湊もまたそれに続き中に入る。中に入りな
がらも湊は頭の中で先程気づいたあることを頭の片隅に留めていた。

 差し出された手の甲に刻まれていた湊のものとは違うマーク。

(こいつも犯罪者か)

「壁の中より」 第1話 4

 カーテンが閉め切られた薄暗いリビング。床の所々に落ちているゴミ。それらをよけて進み、少女はリビングに置いてあるソファに座った。もちろんゴミ付き。湊も同じように座る。

「それじゃ、最初に自己紹介を。わたしは三島千晶。呼び方はなんでもいいよ。年は十六。ここには、だいたい半年前に入った。だから、あんたが今聞きたいこともだいたいはわかってる……と思う。だから質問は後で答えてあげる。はい次あんたの番」

 湊は呼び名をどうするか一瞬悩んだが、彼女を名前で呼ぶことに決めた。

「僕? 僕は秋月湊。年は十七。僕の方も呼び方はなんでもいいよ」

「そう? じゃあ湊。あっ? わたしため口だけどいい?」

「いいよ。気にしてない」

「だったらいいわ。とりあえず湊、この都市でのこれからの生活について今どれくらい知ってる?」

「犯罪者は一般人に逆らわないこと。それとマークは隠さずに過ごして、生活のための資金は自分ですべて稼ぐこと。都市への献上金が必要ってこと。後は科せられた義務に従うことかな?」

「う~ん。まあだいたいはそんなとこかな? ちなみにここでのお金の通貨は外と呼び方が違ってD(ドット)って呼ぶの」

 湊は駅でそんな単語を聞いたことを思い出す。

「なるほど」

「持ってるプリントにも書いてある都市への献上金っていうのは年齢によってノルマがある。毎月都市にそれを納めないと罰則を与えられるから気をつけたほうがいいよ」

「ちなみに僕の場合はどれくらい必要?」

「湊の場合は毎月10万Dね。毎日普通に働いていれば稼げない額じゃないかな?」

「そうなんだ。じゃあ、千晶。別のことを聞いてもいいかな?」

「なに?」

「この都市の具体的な構造ってどうなってる? 少し観察してみたけど、ここの地区は和風の建物が多いっていうイメージだけど」

「確かにそのイメージは正しいよ。えっとね……。プリントにはこの都市は四の区と六の街に分かれているよね。街は細かすぎるから区だけ説明するね」

 千晶はおもむろに立ち上がると、壁に留めてあった地図をはがして持ってきた。

「これがこの都市の地図。それで、ここが今わたしたちのいる東区」

 千晶は地図の中央にある円形の建物から少し横にずれた位置を指す。

「ここの区は東に行けばいくほど和風の建築物が増えていく。西区はそれと同じように西に行くほど西洋風の建築物が増える」

「なるほど。それじゃあ、北と南は?」

「北は主にこの都市における富豪達の区ね。豪邸とか見に行きたくなったら行くといいよ。あそこ豪邸しかないから。ただ、富豪達が多い場所だから当然警備もきつくなるし、犯罪者だったら尚更あらぬ誤解を受けることになるから、行かないことをお勧めするよ」

「じゃあ、南はそれとは逆ってことか」

 これまで聞いた話の内容から湊は予想を立てる。

「……そっ。南はノルマを払えなくなった人や、都市に対する不満を抱えて反抗している連中の集まった区ね。区
の人口のほとんど全員が犯罪者だから無法地帯になってる。都市の警備担当もあそこには迂闊に手は出せない」

「ところで、さっきから気になってたんだけど、この中央にある円形の建物はなに?」

 湊は地図の中央にある巨大な円形の建物を指差す。四つの区それぞれに接する形で建物は立っており、広さもかなりのものだ。

「ああ、それ? それはこの都市の警備本部よ」

「警備本部?」

「そう。南を除いた各地区に、この都市の治安を守る警備隊の地区本部があって、各街にたくさんの部署があるわ。それで、ここはその警備隊の中央本部」

「そういうことか。……ありがとう、だいたいのことはわかったよ」

「どういたしまして。ところで、次の話なんだけど……」

「共同生活のこと?」

 湊は千晶が話す前に答える。

「そうそう。よくわかったね」

 まさか、自分が次に話すことを予想されているとは思っていなかった千晶は、ほんの少し驚いていた。

「それもいいんだけどさ……その前に、このゴミの山を片付けない?」

 周りに散らかっているゴミの塊を湊は見渡す。

「う~ん。そんなに散らかってるない気がするけど?」

「……これのどこが?」

 これからこの少女と同居するのかと思うと湊は頭が痛くなった。

「壁の中より」 第1話 5

 ゴミ袋を玄関の外に出し、湊は額から垂れる汗をぬぐう。外に出したゴミ袋はこれで四つ目だった。部屋の中にあったゴミを袋の中に入れる作業を繰り返している間、湊は何度も考えた。

(どんだけ、掃除していないんだよ)

 本来はきれいだったであろう部屋から出てくるゴミというゴミ。いつ作ったのかもわからないカップ麺の汁入りの箱や、食べかけの菓子類。必要のないと思われる雑誌。そして肝心の千晶の部屋は、

『ダメダメ。いや、いくら同居人になるからって会って数十分で女の子の部屋に入るっていうのは……』

 などと言って、湊の侵入を拒んだが、最終的に実力行使で侵入した。

 湊が入った部屋は、もはや〝女〟の部屋と呼べるものではなかった。外よりはまだきれいにしてあったが、そこには脱ぎ散らかされた服や、床やベッドに落ちた食べカス。換気もしていないのか、部屋からは異臭がした。

『これのどこが女の子の部屋?』

『いろいろとごめんなさい』

 そして、二人で部屋の換気や掃除をし、現在は湊が居間の掃除、千晶は自分の部屋の掃除をしていた。

 二人で掃除をした甲斐もあって、掃除を始めてから一時間弱。入った時にくらべると中はずいぶんときれいになった。

(ここらへんで一度休憩をいれよう)

 玄関横に座り込み、壁に体を預ける。指を曲げ、首を回すとポキッとこぎみよい音が響いた。

 程よく休憩をしたところで、湊はひとまず玄関前に溜まっているゴミを捨てに行こうと考えた。

「お~い、千晶。ゴミ捨てに行くけれど、そっちはまだゴミある?」


 一応持っていく袋がこれ以上ないか千晶に確認をとる。

「いや、別にないよ~」

「わかった」

 置いてあるゴミ袋を全て抱え、エレベータに乗って下へと降りる。
 
 エレベータを降りた後、マンション入り口を出てすぐの場所にあるゴミ捨て場にゴミを捨て、中へと戻ろうとしたところで、湊はあることに気が付いた。

(しまった。中に入るための暗証番号を聞いていなかった)

 またしても中に入れなくなった湊は試しに千晶を呼んでみた。

「千晶~。聞こえるか?」

 できるかぎり大きい声を出したが、返事がなかった。どうやら聞こえなかったようだ。

(――待つとしよう。あまりにも戻ってくるのが遅かったら、千晶が様子を見にくるかもしれないし)

 ふと、湊は空を見上げた。視界には高くそびえたつマンションやそれらよりも高い壁が入り、空を狭めた。籠の中の鳥が見える風景はこんな感じなのだろうか? 空を飛ぶという自由を奪われ、飼い主から仮の名を与えられ、
媚を売り、外に出られる機会をじっと狙う。中には逆らうことを諦めて飼い主に付き従うものもいる。

 自分はどうなるのだろうか? 

 漠然とした疑問を湊は抱いた。かつていた街からは、ずいぶんと遠くに来た。犯罪者というレッテルが張られた
からには、もう元の街に戻ることもないだろう。

 自分が起こしたこと、その結果を後悔はしていなかったが、一つだけ気がかりがあった。

『あなたは、どうしたいの? 自分で考えなきゃ始まらないよ』

 自分にとっての数少ない理解者だった人の言葉を思い出す。自分が『更生都市』に送られた後、あの人はどうなったか? それが湊の唯一の気がかりだった。

(これから、どうなるかな?)

 今は出ない答えを、湊はひとまず保留した。

 入り口で待つこと数分。一人の中年の男性がマンションの中から出てきた。身長は湊よりも一回り大きく、190㎝ほど。二の腕は分厚い辞書のように太く、頬には縦に一線、右目もとから口にかけて大きな傷跡が残っている。身に纏っている黒色のスーツは彼を一般人という枠から外すように思われる。

 黒のスーツを着た男は湊を一瞥し、立ち去った。 男の異様な雰囲気を感じながら、湊は501号室に戻る。
 リビングに戻ると、ソファに横になってだらけている千晶がいた。

「あ~おかえり。もう、片付けるものないから終了ね、しゅうりょう」

「ああ。それじゃあ僕も休憩するよ」

 湊は近くにある椅子に腰かける。木製の椅子からはタバコと木の香りが混じった匂いがした。

「そういえば、湊は他のとこに挨拶行ってなかったっけ?」

 首だけを湊の側に向けて千晶が尋ねる。

「ああ。まだ行ってないね」

「じゃあ、後で行ってきなよ。ただし504号室には行かないほうがいいよ」

「どうして? 何か悪いことでも?」

「そこに住んでる人は東区の警備支部長だから。目を付けられたら、ちょっとしたことで懲罰行きになるかもしれない」

「たしかに……それは行かないほうがいいね。なら、504以外の部屋に挨拶に行くことにするよ」

「うん。じゃあ、挨拶が終わったら買い出し行こうよ! 時間もちょうどいいし。おなかすいたし」

「でもいま僕お金持ってないけど?」

「なんのための共同生活者よ。最初の一ヶ月は新規入国者の支援を共同生活者がしなくちゃいけないの。だから、食費とかも全部共同者持ち。まあ、中には支援しない奴もいるんだけどね。まあ、これはこの都市での犯罪者たちの暗黙の了解みたいなものだから。一応憶えておいて」

「わかった。ところで、最初の時も言ってたけど新規入国者って?」

「他の都市にも言えるんだけど、基本的にここって、他の地域からかなり離れてて、おまけに隔離されてるよね。それに都市の周りを壁で囲ってるわけだから、ある意味独立した国って言えないこともないんだよね~。そんなわけでわたし達はみんなここを都市っていうより国として捉えているんだ。だから外から来た犯罪者を新規入国者って言ってるんだよ」

「へ~。そんな理由があったんだ。言われてみれば、そんな気もするな」

 なるほどと湊は納得した。千晶の話を聞いて、この都市での犯罪者たちの生活がほんの少しだけわかった。この都市では立場が低い犯罪者たちは支えあって生きているようだ。

「それじゃあ、そろそろ挨拶に行ってくるよ」

「いってらっさ~い」

 ソファでだらけている千晶を置いて、湊はリビングを後にした。

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ジャンル : 小説・文学

「壁の中より」 第1話 6

 501号室をでた湊は最初に隣の502号室に挨拶をしに行った。インターホンを押してしばらく間が空く。返事がない、どうやら留守のようだ。ひとまず、502への挨拶は後にして、先に503号室の住人に挨拶をすることにした。

「……どちらさん?」

 503号室の扉が開く。中からは上半身裸の男性がけだるげそうに現れた。年のころは二十歳を超えているだろうか。背は湊よりも少しだけ大きく、肩ほどの長さの黒髪をゴムで縛り、赤色のメガネをかけている。そして、左手の甲には犯罪者の証のマークが刻まれていた。これも湊とは違うものだ。

 男は突然現れた来訪者に警戒心を持ち、いぶかしげに湊を見ている。

「今日から501で生活することになった秋月湊です。挨拶に来ました」

「あんた、新規入国者か?」

「ええ、そうです」

「そうか、じゃあ千晶の奴の共同生活者か。ならよかった~。おれはひょっとしてゲンのおっさんが新しい警備の奴を連れてきたかと思ったぜ」

 警戒心が解けたのか、男は安堵していた。

「おお、悪い悪い。ちょっと心配していたことがあったもんだからな。おれは矢野剛史ってんだ。よろしくな」

「よろしくお願いします。矢野さん」

 湊がほんの少し頭を下げて返事をすると、

「だぁ~もう。かたっ苦しいな。もっと楽に接してくれていいぞ」

 矢野は湊の頭をくしゃくしゃと触った。湊は矢野の突然の行動に少し驚きながら乱れた髪を元に戻した。

「でも、見たところ矢野さんは僕よりも年上ですよね?」

「まあな。おれは今二十四だ。おまえはどうだ?」

「僕は十七です」

「そっか七歳差か。まあ、年上だからって気なんてつかわなくていいぞ。それと困ったことがあったら気軽に来い」

「わかりました。ありがとうございます」

 なかなかいい雰囲気になって湊が安心していると、矢野の部屋の奥から女性の声が聞こえてきた。

「ちょっとぉ。いつまで人を裸にさせたままで待たせるのよ!」

 女性の発言に先程まで和やかだった二人の空気が微妙なものになる。

「……すいません、お邪魔だったみたいですね」

「いや、こっちこそすまん」

 お互いになんと言っていいのか分からず次に切り出す言葉を探していた。

「……あ。僕買い物に行かないといけないんで、そろそろ戻ります」

「お、おう。じゃあ、またな」

 結局最後まで微妙な空気のまま湊は矢野の元を後にした。

「こりゃ、気軽には行けないかな……」

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次回予告


「おれたちはもう共犯者だ。お前が納得してなくても、周りはそう思ってるんだよ」

「常識的に考えてそれはない。……絶対ない」

「坊主、おめえはどうしてここに来た?」

「まあ、いいや。とりあえず服脱ぎな」

「……本当の犯罪者はどっちだろうな」

「私はこんなところにいたくない。どんなことをしてでも抜け出してみせる」

「実はわたしは嘘つき……だったり?」

「助けたことを後悔してないかって? 今してるところだよ!」

次回「壁の中より」第2話

火種

「壁の中より」 第2話

 第二話 火種


 霞が周りに漂い、まだ暗闇が主役の舞台。一日の始まりを告げる太陽はまだ舞台裏で待機している。
 
 ピッ、ピッと笛を吹く音が聞こえる。まるで鬼火のような誘導棒の赤色光が笛の音に合わせてリズムよく踊る。
一方、笛の音をかき消すようにコンクリートを削る掘削機の音があたりに響く。皮膚を削られているコンクリートは悲鳴を上げ、中の肉を露わにして、新しい皮膚を移植されている。

 それぞれの音が不協和音を奏でている中、「ふぁぁ~」と気の抜けた音が音の合間を縫って聞こえる。

「なんだ、坊主。きついのか?」

 隣で一緒に交通整理をしている男性が湊に声をかける。

「いえ、大丈夫です。ただ、少し眠気が来ただけで」

 あくびをしているのを見られていると思っていなかった湊は、すぐにさっきまでの真面目な表情に戻し、意識を集中させた。

「おう、そうか。それにしても、その年で徹夜はキツイだろ」

「実を言えば、ほんの少しだけ」

「そうだろ、そうだろ! ガキが遠慮なんてするな。キツけりゃキツイっていやぁいいんだよ。まあ、こき使うけどな」

 カッカッカと笑う年老いた男性。湊が都市に来て仕事を始めてから約一ヶ月。仕事を始めてからずっと一緒に働いているが、お互いに名前も知らない。

 仕事の時にだけ顔を合わせて、仕事が終われば会うこともない。話すことは主に仕事の内容とほんの少しの雑談。それでも、男性は湊のことを気に入っているのか、親しげに坊主などと呼んでくる。
 
 この男性もまた、犯罪者である。

「あと何時間で終わるんですかね?」

「ん? まあ、だいたい一時間とすこしってぇところだろ。時間なんて気にするんじゃねえ。終わりが長く感じるだけだぞ」

「そうですね、すみません」

「まあ、今日なんて昨日の夕方からずっとだったかんな。特に忙しいわけでもねえし、話しながらするか」

「いいですね。今日は何を話します?」

「そうだな……。たまには真面目な話でもするか」

「真面目な話……ですか?」

「おう」と男性が言い、近くにあるガードレールに二人は腰かけた。

「おれは、もうこんな年になっちまって老い先短い身だ。正直言っていつ死んだってかまわねえと思ってる。ただ
、最後にやっておきてえことがあんだ」

 夜風が二人の間を静かに通り過ぎる。男性は遠い過去を思い出すかのように左手の甲にあるマークを見つめた。

「ここを出たら被害者の家族のとこに行って謝りてえと思ってる。もう何年も前のことだが、おれのせいで人生を狂わせちまった」

「いったいなんで……」

「ここに来る前のおれは本当に貧しい生活をしていてな。金がなかった。食うものにも困って、ある日とうとう空き巣に入った」

「……」

「家に入ったところまでは良かったんだ。金になりそうなものを一通り盗って後は抜け出すだけだった。だが、家から出ようとしたところで家主が帰ってきた」

 男性の乾いた笑いがむなしく響く。

「家主は女性だった。後から聞いた話だと婚約者がいたそうだ。あとは、まあお決まりの展開だ。おれは家主を殺した」

「わざと殺したってことですか?」

「おいおい、そんなことを確かめたところでしょうがねえだろ。結果的におれは人を殺してここに来たってことだ。わざとかそうじゃねえかは問題じゃねえ。殺したか殺してないかなんだよ」

 そうだろうかと湊は思う。同じ犯罪を犯したとしても意識的にやったかそうでないかは違うんじゃないのか。

「捕まった最初のころは、ドジ踏んだとか、もうおれの人生も終わりかとか自分のことばっか考えてた。けどよ、ここにきてしばらく経った頃、ふと、おれが殺した相手の家族はどうしてんのか? 婚約者はどうした? そんな事を考え始めた。何せ外からの情報が全然入ってこないから余計に気になった。そんなことを毎日考えて、自分がやったことを後悔して、ある日被害者のとこに行きてえと思うようになったんだ」

「僕は……そんなことをしても許されないと思います」

 自分にそんなことを言う資格なんてないと思いながらも、湊は男性に問わずにはいられなかった。

「そうだな。結局おれのしようとしてることは自己満足で、余計に相手を傷つけるだけだろうよ」

「そこまでわかってるなら、どうして?」

「さあな、ただおれにとってのけじめみてえなもんだな」

「……なんで僕にこんな話をするんですか」

 名前も知らず、今まで互いの関係に深く踏み込まなかったのに、ここにきて急にこんな話をする男性に湊は疑問を抱いた。

「なんでかな……。ただ、おめえと一緒にいると、なんかこう壁を感じるんだよ。一定以上は踏み込んでこない。そいつは楽かもしれねえけど、なんか違うって思ったからだろうな。だからこれはおめえよりほんの少し長く後悔の人生を歩んだおれからのアドバイスだな」

 男性は視線を前から湊へと移し、一瞬躊躇う様子を見せた後に尋ねた。

「坊主、おめえはどうしてここに来た?」

 男性の視線を湊は受け止めることができずに視線を下へとそらす。いつまで経っても湊は黙ったまま何も答えることができなかった。

「まあ、坊主には早い話だったか」

 ガードレールから立ち上がり男性は湊を置いて仕事を再開した。湊もそれから少しして元の場所へと戻って行った。

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「壁の中より」 第2話 2

 男性との話からおよそ一時間が経った頃、仕事の終わりを告げる笛が響き、作業員たちが一斉に帰り始めた。男性も他の作業員と同じように帰り、湊もまたマンションへの道を歩き始めた。
 
 作業場から駅へ歩き、電車に乗る。長時間の作業のせいで湊の疲労は限界に達していた。六番街の駅に着くまでに何度か意識が飛び、危うく降りる駅を通り過ぎるそうになる。

 マンションに着くころには朝日が顔を半分覗かせていた。今は閑散としている周りもあと数時間もすれば人であふれかえるだろう。

 暗証番号を入力して入り口を通り、エスカレータで五階にあがる。ようやく501号室の前にたどりついた。ポケットから取り出した鍵で扉を開く。リビングは暗闇に満たされていた。明かりをつけ、リビングに入る。冷蔵庫を開けて中から缶のスポーツドリンクを取り出し一気に全部飲みほした。

「ふう」

 全身に水分が行きわたるのを感じる。空き缶をゴミ箱に捨て、リビング右手にある千晶の部屋の前に立った。扉をほんの少しあけるとカーテンの隙間から差し込む太陽の光でちょうどベッドで眠る千晶の顔が見えた。規則正しい寝息をたてて眠っている。寝相の悪さのせいか掛け布団が床に落ちていた。そのせいか、千晶は寒さに耐えるために体を丸めていた。

 しょうがないなと思いながら湊は部屋の中に入り、掛け布団を拾って千晶にかけた。

 千晶の行動は一緒に生活した一ヶ月の間に大体把握していた。寝相が悪いのも学んだことの一つ。

 千晶を起こさないようにそっと部屋を出る。バスルームに入り、シャワーを浴びる。熱いお湯が外の空気で冷え切った体の節々を少しずつほぐしていく。

『坊主、おめえはどうしてここに来た?』

 先程の男性の言葉が頭の中で反芻していた。

(どうしてここに来た……か。失ったからここに来たんだ)

 左手の甲に刻まれたマーク。逆さの状態で男と女が抱き合い、胴の部分から一体化して螺旋状に絡まった物がそ
こには刻まれている。

 これが湊の罪の証。

 一通り体を洗い終わり、シャワーを止めて湊はバスルームを出た。
 
 体を拭いて髪を乾かしながらリビング左手にある自分の部屋に行き、新しい服に着替える。部屋にはスタンドライトが薄ぼんやりと明りを灯している。湊はスタンドライトの電源を切り部屋を出た。そのまま外に出て502号室のインターホンを押す。

 少しして中から少女が出てきた。真白鈴。502号室の住人の一人で腰まである長い髪が印象的な少女だ。鈴は相変わらず体のサイズに合っていないジャージを着ていた。

「うぅ……」

 鈴は眠いのか瞼をこすっている。必死に意識を繋ぎとめようと腕をつねっているが、今にも眠りそうな様子からあまり効果がないように見えた。

「ごめんね、ちょっと僕の部屋に行っててくれる?」

 鈴は言っていることを理解したかわからないが、寝ぼけながら501号室へと入って行った。

 彼女は少し特殊だが、犯罪者だ。

 湊は中に入り、リビングで缶チューハイを飲み、つまみを食べている女性に声をかけた。

「楓さん、来ましたよ」

「……ん? ああ、お前か」

 声を掛けられて湊に気が付いた女性、本宮楓。名目上は鈴の保護者で、そして湊の義務の契約相手。年はまだ二十代。年齢は湊が以前ここに来た時に楓がいったことでわかった。

 楓は本来ならすれ違う男性の視線を引くほどのスタイルだ。しかし、昼夜逆転の生活をしているためそれを見る機会がある者は少ない。

 彼女は犯罪者ではない。
 
 そのため、湊の契約相手になった。

 ベコッと缶が潰れる音がして、楓は飲み終わった空き缶を今いる場所から少し距離のあるゴミ箱に投げ捨てた。空き缶は弧を描きながらゴミ箱の中に吸い込まれていった。

「それで、今日はどっちの用で来たんだ?」

「今日は……義務の方で」

「そうか、だったら部屋に行くか」

 楓は立ちあがると、自分の部屋に向かった。湊も後に続く。

 楓の部屋に湊が来るのはこれで四度目だったが、相変わらず必要最低限の物しかない部屋だった。作業机とスタンドライト、仕事用と言っているノートパソコン。そして床に敷いてある布団。それと行為に必要なもの。これが楓の部屋の服以外の物のすべてだった。

「ほら、適当に座れ」

 楓は敷いてある布団の上に座り、湊も同じく座る。四度目とはいえ今から起こることを想像すると湊は気分が悪くなってきた。

「なんだ? 相変わらず気分が悪いのか?」

「まあ、そんなにすぐに直るものでもないですし」

「どっちでもいいけどな、あたしは。どうせやることは変わらないし」

 そう言うと楓は湊の顔に手を当ててキスをする。やわらかく温かい感触と先程まで飲んでいた酒の匂いがした。

 しばらくキスを続けていると恍惚の表情を浮かべる楓とは対照的に湊の顔色がどんどんと青ざめていった。

「やっぱりだめか?」

「……すいません」

「まあ、いいや。とりあえず服脱ぎな」

 言われた通りに湊は服を脱ぎ始め、楓もまた服を脱いだ。

 外が明りで満たされ始め、人々が光の下に出始めた時、薄暗い部屋の中で湊は義務である一般人への身売りを行っていた。

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「壁の中より」 第2話 3

 夕日が沈み、空を暗闇が覆い始めた。小さな星達が現在留守にしている月に代わって空を照らしている。地上では星や月に代わり、人工的な光が辺りを照らす。そんな中、地上の明かりが届かない路地裏では、一人の少年が複数の男に取り囲まれていた。

「だ~か~ら。さっさと金出してくれない?」

「黙ってないでさ、浩二君の質問に答えたら?」

 浩二の周りにいる者たちが顔を近づけながら問いかける。

 どうしてこんなことになったのだろうと少年は思った。
 
 ――少年は今からほんの少し前に一ヶ月働いて手に入れたお金を受け取ったところだった。都市に送られてから一ヶ月。必死に働いて手に入れたお金だ。犯罪者ということで、封筒に入れたお金を手渡しでもらう。
 
 初の給料ということもあって少年の頬は自然と緩む。浮かれる気持ちを抑え、自宅へと帰る途中、電車を降りて駅の広場を抜けようとしたそんな時、少年は彼らに声をかけられた。

「あ~ちょっと。キミ」

 男たちが少年に声をかけた。少年は最初、自分が声をかけられたとは思っていなかったので、そのまま立ち去ろうとしたが、

「いや、だからキミだって」

「ぼくのことですか?」

「そうそう。ちょっと待ってくれない?」

 少年は言葉にできない嫌な感じを抱いたが、特には気にしなかった。そして、この時に何も考えずに逃げていれば今の状況にはならなかった。
 
 少年の周りに集まりだした男たちは少年を取り囲み、有無を言わせずに路地裏へと連れて行く。

 ――そして、現在少年は男たちに金を請求されていた。

「あ、あの。すみませんけど、お金は渡せないです」

 オドオドと遠慮がちに小さな声で答える。しかし、返事をした瞬間に少年の頬に痛みが走った。一瞬何が起こったかわからず、数秒して自分が殴られたのだと理解した。

「え? ごめん。もう一度言ってくれるかな?」

 ここで少年は一緒に仕事をしている先輩が話した、ある話を思い出した。

『そういえば、お前新入りか。じゃあ、給料日は気をつけろよ。給料日になると金目当てにおれたちを狩るようなやつらが出てくるからな。もし会ったら、すぐに逃げろ』

 思い出すのが遅かったなぁと少年は思った。人目につきにくい路地裏。まして数人の男に取り囲まれているため、少年の姿は殆ど外から見えない。仮に見えたとしても誰も少年を助けないだろう。この都市の現状がそうなのは少年も知っていた。

「とりあえず、気絶させとく?」

「いいね、浩二君。そうしようよ」

 周りの男たちが口笛を吹き盛り上げる。

(あぁ、もうだめか)

 少年がそう感じた時、背後からバキッと鈍い音が響いた。その場にいる全員の視線が音のした方へと向けられる。

 そこには、口元をバンダナで覆った少年が三人立っていた。足元には浩二の取り巻きの男の一人が倒れている。

「なに? お前ら」

 楽しい時間を邪魔された浩二が不満そうな顔をして呟く。

「お前らこそ何なの? 一人相手に大人数で取り囲んでみっともねえ。しかも一方的に殴りやがって。これじゃどっちが犯罪者かわかんねえな」

 三人の中の一人、茶色髪の少年の一之瀬由宇が浩二を挑発した。

「てめえ……」

「なんだよ、怒ったのか? 事実を言っただけだろうが」

 浩二は由宇の挑発に怒り、殴りかかろうとしたところで、浩二はある事に気づいてニヤニヤと嫌な笑みを浮かべた。

「なんだよ、お前もカハンじゃねえか。犯罪者がおれら一般人に説教かよ。こりゃおもしれえ」

 浩二が笑いだし、周りの者も微笑を浮かべる。

「しかもお前、おれらに危害を加えたな? 懲罰行きだぜ」

「ふ~ん。それで?」

 浩二の言葉を聞いても由宇は少しも動揺していない。

「それでっ……て、すぐに警備のやつらがくるぞ」

「それはここで起こっていることに気づいたらの話だろ。それにお前らが選んだんだぜ、人目につきにくいここを。ほんの少しの間だったら、何が起こっていようが誰にも判らねえよ」

 由宇の発言に浩二の周りがざわめき始める。今までの犯罪者たちと違って目の前の少年は自分たちに本気で手を出す。そのことを彼らはようやく理解した。

「さて、それじゃあ仲間の救出を始めるか」

 由宇の言葉を引き金に、少年達の抗争が始まった。

「壁の中より」 第2話 4

 大量の食料品の入ったビニール袋を千晶と湊はそれぞれ片手に提げ、スーパーから出た。外はもう暗くなっている。

 湊はチラリとビニールを見る。買いすぎたかなと思わないでもなかった。

 大量の食糧品は主に今日の夕食に使われるもので、お祝いもかねていたため必然的に量が多くなってしまった。

 今日は湊の初給料日だった。

「ようやく入ったか~。この一ヶ月、湊の給料が入るのをどれだけ待ったことか」

 わざとらしく涙ぐむしぐさを千晶がした。もちろん涙は少しも流れていない。

「そう? そんなに待ってた気配はしなかったように思えるけど」

「いや、すごく待っていたよ。ホントに。だって今月は予定外の出費で生活ぎりぎりだったし」

 予定外の出費というのはもちろん湊のことだ。衣服代、食費、その他生活に必要な物をそろえる必要最低限のお金は千晶がすべて出していた。自分の出費や都市へ納めるお金、それに湊のお金が加わる。生活がぎりぎりになるというのは当然のことだった。

「千晶」

「ん~。なに?」

「ありがとう」

「どういたしまして。それで、初の給料はどれくらいだった?」

 興味ありげに千晶が聞いた。

「約17万Dってとこかな」

「最初だしやっぱりそんなものか~」

「そんなものかな?」

「そうだね。でも、別のところで働けばもっと手に入ると思うよ。今は都市が出している仕事を選んでるけれど、一般のところで働けたらもっといい給料がもらえるし。手にしたお金が多ければ、それだけ使えるお金も増えていくしね」

 湊が一日八時間ほど毎日働いて得た17万D。都市へ納める分で10万ほど消えてしまうがそれでも手元には7万も残る。この都市は外の世界に比べれば多少物価が高かったが、それでも残ったお金とはいえ、それを好きなようにしていいといえるここはやはり少しおかしいと湊は思った。


「あれ? 千晶と湊じゃねえか」

 声をかけられたのは千晶と湊がスーパーを出てからしばらくしてからのことだった。胸元を大きく露出する派手な服装をした女性を連れた矢野が二人の後方からゆっくり近づいてくる。

「どうも、矢野さん」

 湊が矢野の姿を見るのは久しぶりだった。一週間ほど前までは仕事から帰った湊と部屋の入り口で顔を合わせることが何度かあったが、最近では一度もなかった。

「おう、久しぶりだな。二人で買い物するなんて仲いいなお前ら」

「そういう矢野さんこそ」

 連れている女性を湊はチラリと見る。以前見た女性とは違う女性だった。

「そうか? そんな風に見える?」

 矢野は少し困ったように笑った。

「それにしてもすげえ量だな、それ。一週間分の食材か?」

 湊と千晶が持っている袋を見た矢野の表情は驚いているとも呆れているともとれる。

「いえ、実は今日の分なんですけど」

「なんだそりゃ。お前ら二人でヤケ食いでもするのかよ」

「違いますって。実は502の楓さんと鈴ちゃんの分もあるんですよ」

 数日前、楓との行為を終えて501に戻った湊に千晶がある提案してきた。

『今度鈴ちゃんと楓さん誘って一緒にご飯食べない?』

 隣人として交流を深めたいと千晶が言った。湊はそれに賛成し、楓のほうには鈴を通して話が伝わった。そして今日、湊の給料で買った食材を使ってみんなで食事をする。

「ふ~ん。いいねぇ、みんな楽しそうで。おれはお呼びじゃなかったみたいだし」

 子供のようにすねる矢野。だが、湊は同情など少しもしなかった。

「だって矢野さん、ここ数日いなかったじゃないですか」

「言われてみれば確かに」

「一応僕と千晶で何度か確認に行ったんですよ」

「そ、そうなのか……」

 気を落とす矢野を隣の女性がやれやれといった様子で慰める。年は矢野の方が上に見えるのに、こうして見ると矢野の方が幼く見える。もしかしたら女性の方が年上なのかもしれない。

「じゃあさ、矢野も今から一緒にご飯食べる?」

 千晶が言った。精神年齢が近いからなのか、千晶は矢野に対してため口だった。

「う~ん。悪いけど断らせてもらうわ。おれ、今からこいつとの用があるからな」

 矢野は隣の女性の肩を掴んで自分の元へと引き寄せる。

「そっか。それじゃあ矢野との食事はまた今度だね」

「そうだな。……ところで話は変わるけど千晶、お前最近仕事のほうはどうなの?」

 矢野の言葉を聞いた千晶は少しだけ気まずそうな表情をして湊を見た。

 千晶の仕事について湊は何も知らない。何をしているか千晶は話さなかったし、湊も聞こうと思わなかったからだ。千晶がきまずそうにしているのはおそらく仕事について聞いてほしくないからだと湊は考えた。

「順調だから気にしなくていいよ」

「ふ~ん。それならべつにいいけど」

 聞きたいことは聞いた。そう判断したのか、矢野は女性を連れて夜の街へと消えていった。

 矢野が去り、また二人で帰路へと歩み始める。

「さっきのさ、やっぱり気になる?」

 千晶のさっきが何を言っているのか湊はわかっている。

「仕事のことでしょ。別に気にしてないよ。言いたくないことは言わなくていい」

 千晶はしばらく「う~ん」と唸って散々悩んだ後にこう言った。

「実はわたしの仕事ってスパイなんだよね。日夜都市の秘密を探るために奔走しているんだ」

「あっそう」と湊は千晶の作った適当な答えを流した。

「あれ? 信じてない?」

「うん。これっぽっちも」

「そっか、信じてないのか。その言葉をいつか後悔するよ!」

「大丈夫。そんな想像をいつもしているダメな人と一緒に住んでることを、すでに後悔してるから」

「湊ってさ……結構ひどいよね。冗談ってわかってるよね?」

 冗談を流されたのがショックだったのか千晶は少し泣きそうだった。

「さあ?」

 湊は苦笑した。

 マンションはもう目の前に近づいていた。

こねこ時計 ver.3

CATS
Sweets

プロフィール

建野海

Author:建野海
扉の中の部品たちへようこそ。

名前:建野海

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好きな食べ物: 和菓子、洋菓子などデザート類。

趣味: 読書、ツーリング、ゲーム、ピアノ、映画鑑賞。

好きなマンガ:
ワールドエンブリオ
修羅の門
     3月のライオン
     エリアの騎士
     フルーツバスケット

好きな小説:ダレンシャン
      白夜行
      スロウハイツの神様
      向日葵の咲かない夏
      白い巨塔など。

好きな映画:プラダを着た悪魔
      ワイルドスピード
      僕駐
      インセプションなど。

好きなゲーム:キングダムハーツ
       テイルズ
       ルーンファクトリー
       ゼルダの伝説など

好きなアーティスト:福山雅治
          宇多田ヒカル
          UVERworld
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