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プロローグ 始まりの回想

 始まりはそう、シンと静まり返った夜の事だった。
 冷たく、人気のない地下牢に閉じ込められてもう何時間が経ったのだろう。一度も人が来ていないから、一体今が朝なのか昼なのかもわからない。
 さっきからお腹は鳴り続けているけど、そんなことは今までいくらでもあったから気にしない。そもそも、今こんな風になってしまったのも、元を辿ればこの空腹に耐えきれなかった自分がいけなかったのだ
 叔母からの嫌がらせに耐えて、お腹が減るのを我慢して、露店に置いてあった果物なんて盗らなければ、こうして惨めに奴隷になんてなる事はなかった。
 暗闇に慣れた目で左肩を見ると、そこには奴隷の証である烙印の紋章がくっきりと刻まれていた。簡易魔法で刻まれた契約の証、人以下である存在の紋章が。 罪を犯した自分を叔母は喜んで引き渡した。そして、売りに出された私はその容姿の珍しさから、あっさりと富裕層の人間に買われる事になった。

 そこまではよかった。そう、そこまでは。

 案の定というべきか、私の容姿が珍しいのを他の富裕層に自慢したかったのか、私を買った少し小太りな男は私の首に繋がれた鎖を引いて私を引き連れ回した。周りの人々は私を見るなり、

「ほう、これは珍しい。一体どこで手に入れたので?」

「いやいや、立派な買い物をなさりましたね。この者はおいくらでなら譲っていただけますかな?」

「あなたもまた変わった趣味をしていらっしゃる。見たところまだ十かそこらの少女ではありませんか。そのような趣味をしていらっしゃるとは知りませんでしたな」

 などと、私をじろじろと見つめ、奇異なものを見るかのように接した。その中には一つも好印象なものは見られなかった。私は自分の容姿に誇りを持っていた。死んだ母が私に唯一残してくれたのがこの容姿だったから、たとえ人とは違っても、その事を卑下したことは一度もなかった。
 だけど、それでも。見せ物になるのだけは嫌だった。母から譲り受けたこの姿がこんな風にして晒されるのだけは我慢ならなかった。だから、この時になって私は自分を掴んでいる男に向かって反抗の意思を表した体当たりをした。
 しかし、結果は惨敗。男はよろめいただけで、自分に向かって反抗的な態度を取った私に、正確には私の烙印に命じて私を地に這いつくばらせた。

「この、奴隷風情が。そんなナリでも買ってやったというのに、この私に楯突くなんて……。せっかく話の種ができたと思ったが、こんな反抗的な奴隷では仕方ない。すぐにでも売りに出すとしよう。
 おい! 誰かこいつを地下牢に閉じ込めておけ。明日には市の売りに出すから傷はつけるなよ!」

 そう言って男に付き従っている数名が私を捕らえて地下牢に閉じ込めた。 そして、それから地下牢の扉が開く事はなかった。
 男の話を聞くと、私はまた売りに出されるらしい。またあの壇上に上がらされて、買い手の奇異なものを見る視線に晒されるかと思うと気が沈んで仕方がなかった。 せめて次に買う人はもう少しまともな人であってほしい。そんなことを考えて身体を丸めて顔を伏せたときだった。
 遠くから重い地下へと続く扉が開く音が聞こえ、ゆらゆらと揺れる蝋燭の明かりが、部屋の奥にある階段の上に見えた。もしかして、いつの間にか朝になっていたのだろうか? 
 コツ、コツと石段を歩く足音が周りに反響する。そして、しばらくして灯りとともに現れたのは一人の若い青年だった。彼は地下牢に入っている私を見つけると、

「あれ? こんなとこに女の子が閉じ込められてるなんて聞いてないぞ」

 と一人呟いた。そして私の事をじっと見つめた。こいつも他の人間と同じか。みんな私のことをじろじろモノみたいに見て、何が楽しいんだろう?
 そう思っていると、

「なあ、お前ここから出たいか?」

 と、男が思ってもいない事を言い出した。

「べつに俺はどっちでもいいんだ。まあ、出たかったら面倒見てやるから早く出ろ。出たくないならそのままここにいろ」

 一体何を言っているんだろう? 私はこの男の言ってる事が理解できなかった。

「ここを出たとしても、どうせ殺されます。だったら私はここに残っています。どうせ……どこに行っても同じですから」

「ふ〜ん。だったら、ここを出ても安全って言ったらどうする? お前は好きにしていいって言われたらどうする?」

「それは……」

 問いかけられて私は答えに困った。今まで言われた事をやるだけの生活だったから、自分でどうすればいいかだなんてことは考えた事がなかった。
 でも、ここから出て自由になったとして一体自分はなにがしたいのだろう? 結局は変わらずに嫌な視線を向けられるのがオチだろう。それならば、どこか遠く、自分が安心して過ごせるような場所に行ってみたい。

「どこか、遠く。私がいても変に思われない場所に行ってみたい」

 そう男に伝えた瞬間。目の前にあった鉄格子の扉が強引にこじ開けられた。

「そっか。じゃあ、俺と行こうか」

 男の馬鹿力に驚く間もなく、手を引かれ、勢いよく階段を駆け上る。灯りのある場所に上がると、鉄格子をこじ開けた音が地下から上に漏れていたのか、騒ぎに気がついた人々の走り回る足音が少し遠くから聞こえた。

「マズっ! ちょっと派手にやりすぎたなあ」

 マズいといいながらちっとも不安そうな表情を見せない男をどこか不思議に感じながら見上げていると、私の視線に気がついた男が

「ん? なんだ、不安なのか。安心しろって、俺がなんとかしてやるから」

「べつに不安に思っていません! 言いがかりはよしてください」

 私の反論が可笑しいのか、男は笑って私の頭を軽く叩いた。明るい場所に出て私の容姿ははっきり見えるようになっているのに男は何も言わなかった。

「あ、あの。なんで何も言わないんですか。その……」

 灯りに照らされてはっきりと見える白髪に赤眼。これこそが私が奴隷として小太りな男に買われた理由だった。

「いや、べつに姿なんて人それぞれだろ? 多少驚いたけど、それくらいで変に思う要素はないしな」

「そ、そうなんですか……」

 今まで出会った事のある人とはまったく違う反応に私は戸惑ってしまう。

「ああ。そんなんで驚いているようなら俺の秘密なんてもっとすごいぞ。聞いて驚け。実は俺はな……不老なんだ」

 それを聞いて私はこの男は頭がおかしいのだと思う事にした。勝手に出てきて勝手に助けて、私が今まで散々蔑まれて奇異の視線に晒されてきたこの容姿についても何も言わないで、挙げ句の果てには自分は不老だという。これをおかしいと思わないでどう思えばいいのだろう。

「ま、普通は信じねーわな。――っと、そろそろ向こうも来るな。俺からあんまり離れないようにして付いてこいよ」

 そう言って男は私の前に出た。私はこの時そのままここに残るという選択肢もまだ残っていたのに、気づけばいつの間にか男の背を追っていた。

 これが、私と旅人フィードの最初の出逢いだった。
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一章「セントールの何でも屋」酒場にて

この世界、名の付けられていないこの世界には一つの大陸が存在する。

 大陸は大きくわけて四つの国が存在し、
 東の武の国 ジャン
 西の剣の国 フラム
 南の知の国 トリア

 ジャンは武芸に優れた国。武術や気を扱う人々、それらを学ぶ人で溢れている。
 フラムは剣技に優れた国。勇猛果敢な騎士たちが今日も人々を守っている。
 トリアは魔術に優れた国。魔術に関する蔵書や、魔術の最先端である学院が存在し、魔術を研究するために訪れる人々も多い。

 そして、それら三国に囲まれ貿易国として栄えるのはセントール。各国の情報や特産物などが入り交じり、どの国よりも賑わい、人が行き交う国だ。
 一見すると他の三国に比べて武力に劣ると思われるこの国だが、各国から亡命するものが多く、彼らが集まって作った組織があるため、簡単には侵略される心配はない。
 そのためか、なんらかの理由で国を追われた亡命者が次々とこの国に流れてきたため、この国は亡益国と揶揄される事もある。

 物語は、そんなセントールの西側、剣の国フラムに近い小さな下町から始まる。

「おーいオッサン! なんか仕事紹介してくれ〜」

 下町にある酒場の扉を勢いよく開いて、一人の青年が中へと入ってきた。まだ日も昇りきっていないこの時間帯では酒場にいる人もまばらであり、彼が勢いよく登場してきても誰も大きな反応を示しはしない。

 初めて彼を見た者は何事かと一瞬驚き、しかしたいした事ではないと彼の言葉と雰囲気からすぐさま察し、食べかけていたパンに再び手を伸ばす。この酒場の馴染みの者は最近ここによく顔を出すようになった青年の毎度の行動に呆れ、ため息を吐き、そして店主に同情の眼差しを向ける。

「おい、今うちは営業中だ。仕事が欲しけりゃ食事の一つや二つ頼んでからにしてもらおうか」

 顔全体に深く生えた髭に、強面で体格のいい、暗い路地裏で一般人が出会った日には腰を抜かしてしまいそうな風貌をした中年の男性がカウンターの中で木製のグラスを拭いていた。

「そんな堅いこと言わないで紹介してくれよ。俺を路頭に迷わすつもりかよ」

 愚痴をこぼしながら、青年はカウンターの一席に座った。

「そうだぜ、レオード。さっさとそいつに仕事でもなんでも紹介してつまみ出しちまえ! こう毎日毎日入り浸られたんじゃ、せっかくの酒がまずくなって仕方がねえ」

 馴染みの客の一人がテーブル席から冗談混じりに文句を言う。

「うるせえ! おめえだってこんな日中からろくに働きもしねえでうちに入り浸ってるじゃねえか。おめえとこいつに違いがあるならうちに金を払ってるか払ってないかの違いくらいだ」

 すかさずカウンターの中からレオードが言い返した。その言葉に他の馴染みの客は「まちがいねえ」と頷いた。もっとも、頷いた彼らも結局のところ同類なのだという事に気がついていないのだが。

「そんじゃ、俺もここに寄付をするとしますかね。いつも仕事紹介してもらってるし。オッサン、俺アップルパイとラム酒ね」

「このガキ。頼むと言っておいてそいつはうちで一番安い料理とドリンクじゃねーか。どうせだったらもっと高いもん頼みやがれ!」

「え〜。だってオッサンの料理ってそんな上手くないし、せっかく高い金を支払っていいもの頼んで、黒こげになったもんを食わされちゃたまったもんじゃないからね」

 青年の一言にまたしても酒場に笑い声が響き渡る。「そりゃあそうだ」とか「おめえの負けだレオード」と言った野次が飛び交う。

「くっ……言わせておけば、好き放題言いやがって。おい、フィード! 俺は昔傭兵ギルドでも名の通った腕利きの傭兵だったんだ。あんまし馬鹿にしていると痛い目を見る事になるぞ」

 フィードと呼ばれた青年はレオードの脅し文句に、

「みんな聞いたか? ついに出たぞオッサンの謳い文句、傭兵レオード。一体それで今まで何人の女を口説いて相手にされなかった事やら」

 その言葉にまたしてもドッとひときわ高い笑い声が上がった。ある者はテーブルをドンドンと勢いよく叩き、ある者は「また始まったよ」とレオードのいつものやりとりに呆れかえる。

 この酒場の店主、レオード。彼が言うには彼は昔有名な傭兵ギルドで名のある傭兵だったらしい。その名を聞けば、誰もが恐れかえって彼に道を譲ったし、その任務成功率は相当な高確率だったようだ。
 実際、彼の身体には剣で切り刻まれたような痕や、魔法によって傷つけられたような痕もあるので信憑性は高いのだが、なにぶんこんな下町の酒場でそんなことを言っても、相手は酔っぱらいばかり。まともに話を取り合うわけもなく、みんなほらを吹いているのか、さもなければ妄想だと切り捨てていた。
 もっとも、彼自身いつからここにいるのか知っている人は少ないし、実際体格の良さから話を聞いた一部の人は実は本当じゃないのだろうかと疑っている。しかし、彼が戦っている姿など誰も見た事がないので、結局冗談だとしてみんな扱う事にしているのだった。

「お前たち……今日は閉店だ! おめえらもこんなところで油売ってないでとっとと仕事にでも行ってきやがれ!」

 レオードは怒声とともに木樽を酒場の中央へ放り投げた。

 さすがにマズいと思ったのか、怒りの矛先を自分に向けられたくないと思い、酒場にいた人々は代金だけ置いてそそくさと外へ出て行ってしまった。
 ただ一人、フィードを残して。

「オッサンのおかげで他の客はみんな仕事に行ったな。俺も同じように労働に勤しみたいんだけど?」

 レオードの怒りもなんのその。気にした様子を一切見せず、フィードはいつもの調子で話を続けた。

 いつものことながら、相手のペースに乗せられたことにようやく気がついたレオードは沸き上がる怒りを抑えて、しぶしぶフィードの要求を飲むことにした。

「まったく、お前が来るとうちは商売上がったりだ。頼むから二度とこないでくれ」

「そんなこといって、俺が来たときはみんな盛り上がっているじゃないか」

「お前が余計な事ばかり言うからだ!」

 カウンターの奥から何枚かの羊皮紙を持ってきたレオードはフィードの目の前に勢いよくそれを叩き付けた。

「ほら、お前が欲しがっている仕事だ。どれでもいいから好きなのを選べ! なんなら全部やってもいいんだぞ」

「いや、そこまで欲しいと思っていないから。どれどれ……」

 目の前に置かれた羊皮紙に書かれた内容をフィードはじっと見つめた。そこには下町に関する事件や人手の足りない作業の手伝いに関する内容が書かれていた。

「なになに? 中階層の建築の手伝い。土木作業じゃねえか、これ。嫌だよ、あんな男臭いところにいくなんて」

「仕事を紹介してもらってる立場で文句を言うんじゃねえ。だいたいお前なんでこんな風に仕事紹介してもらうなんていう形式をとってるんだ? そこらにいけば仕事なんて溢れるほどあるだろうが」

「う〜ん。べつにそうしてもいいんだけど、なるべくみんなの手に負えなくて困ってそうな仕事をこなしたいし。せっかく自分にできる事があるならできるやつがそれをやるべきだとは思わない?」

「まあ、そりゃあそうだけどな」

 確かにフィードの言った通り、できるやつがやれることをするべきだという考えはレオードにもある。しかし、比較的身分への差別が少ないこのセントールでもやはり格差が存在し、中階層、上階層の人間に比べれば下町の人々は魔術師や傭兵などといったものに依頼を頼む余裕がない。そのため、何か事件が起こったとしても自衛が基本になってしまう。
 もっとも、どうしても手に負えないような事件が起これば騎士団や魔術師団に依頼を出すのだが、彼らも下町の人々だけしか被害が出ていないうちは中々動こうとはしないのだ。中階層、上階層に被害が出てようやく動き出すといった感じである。
 だからこそ、今ではすっかりこの下町に馴染んだフィードたちが、初めて下町で起こった事件を手伝い解決し、何も金銭などを要求しなかった際、この町の誰もが彼を疑った。元よりよそ者、しかも亡益国と揶揄されるこの国に腕の立つものが現れたら警戒しない方がおかしい。きっと彼らもどこかの国で何か事件を起こし、亡命してきたのだろうと誰もが思ったのだ。

「ん? どうしたの、そんなにじっと俺の事見て」

 見たところまだ二十にもなっていなさそうな容貌をしているのに、どこか激戦をくぐり抜けてきたような貫禄も感じる。本人は何も言わないが、やはり訳ありなのだろうとレオードは勝手に考える。

「いや、特に何もない。いいからお前はさっさと仕事を選んで出て行きやがれ」

 ぶっきらぼうに言うが、フィードを無理やり追い出すこともなく、こうしてわざわざ仕事を紹介しているのは、レオードが彼を信頼しているからだろう。

「それじゃあ、こいつを貰ってくよ。任務成功したら報酬を町長から貰っておいてくれよ。それじゃあ、またな」

「二度と来るな、このくそったれが」

 ひらひらと羊皮紙をはためかせ、フィードは酒場を後にした。そんな彼の背を見送りながらレオードは残った羊皮紙を片付ける。そして、それらに一通り目を通したところで気がついた。

(ったく、あの野郎。なんだかんだ言って一番面倒な仕事を持って行ったじゃねえか。本当に素直じゃないやつだ)

 数枚あった仕事の依頼でフィードが持って行ったのは今下町を一番騒がせている事件、盗賊による被害防止の依頼だった。

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情けない主

 酒場を出たフィードは羊皮紙を上着のポケットに仕舞い、下町をぐるりと周り始めた。先ほど見た羊皮紙には、ここ数日下町を騒がせている盗賊による金品の盗難被害について書かれていた。娯楽や刺激の少ない下町では、ちょっとした事件でさえすぐに噂になる。盗賊が現れ、しかもその事件が連続で何件も起こったとなれば、下町にいる人間の誰もが今ではこの事件について知っていた。
 自分が被害に遭わなければ他人のちょっとした不幸なんてものは他の者にとっては話の種にしかならない。そのはずだったが、それも昨日の事件によって少々事情が変わった。
 昨晩下町の外れにある民家に盗賊が侵入し、侵入した民家の家主が後ろから切られて殺されたのだ。これまでは家主のいない時間帯を狙って金品を奪っていた盗賊だったが、ここに来てボロが出た。
 そもそも、野盗のような盗賊ならまだしも、自警団や騎士団がいる都市部で盗賊など滅多に見かけないはずなのだ。地形に詳しくなければ、すぐに足がつくし、下町などの金品を奪ったところでその金額などたかが知れている。しかも殺人を犯してしまってはいよいよ追いつめられてしまったといえるだろう。これ以上被害が広がるようなら、さすがに騎士団といえど動かざるを得ないだろう。
 しかし、騎士団を動かすとなると、それこそ隊によっては法外な金額の謝礼を請求される事もあるため、そうなる前に事件を解決しようとフィードは依頼を受けたという事である。
 事件のせいか、普段に比べて露店も少なく、人通りもまばらだ。大人はもとより、子供の姿など見つける方が難しい。

「困ったな。事件について話を色々聞きたかったんだけど、こうも人がいないんじゃどうしようもできないな」

 先ほどの酒場に集まっている人に話を聞いておけばよかったと今更後悔するフィード。とはいっても、彼らを追い出したのは彼自身なので自業自得なのだが……。
 と、きょろきょろと辺りを見回していると、ドンと軽い衝撃がフィードの腰元に響いた。

「お?」

 よく見ると小さな子供が勢いよく走り抜けた際にフィードにぶつかったようだ。普通の人ならばそのように見えただろう。しかし……。

「ほー。俺から金を盗むとはいい度胸をしてるじゃねーか」

 いつの間にか腰に付けていた硬貨袋がなくなっている事に気がついたフィードは、走り去る少年の背を見つめながら呟く。その表情にいつものような笑顔はなく、どこまでも冷めきった表情が浮かんでおり、彼の横をすれ違う者は道をあけるほどの不気味さだった。

「世の中を舐めてると痛い目を見るってことを俺が教えてやるとするか」

 そうしてフィードは少年の背を勢いよく追いかけ始めた。

 

 日が沈み始め、外に出ていた露店が店じまいを始めた頃、路地裏の一角で木箱に腰を預けて息を切らしていた一人の青年がいた。

「く、くそ。あの糞ガキ共。手加減してやっていれば調子に乗りやがって……」

 空を仰ぎ、息を整えながら負け惜しみの言葉を吐き出すフィード。そう、結果だけ言ってしまえば彼は結局金を盗まれたままだった。
 あの後、金を奪った少年を追いかけたフィードは行く先々で少年の仲間と思われる別の少年少女たちの妨害工作にあった。時には積み重なった木箱を倒され道を塞いだり、糞の入った小樽を投げつけてきたり、妨害工作に失敗して怪我をしたと思った少女に慌てて声をかけたらナイフで胸元を狙われたりした。最後は正直胸元を擦って危なかったが、それ以外はどうにか切り抜けれていた。
 しかし、途中で少年少女が多数入り混じったせいか、誰が硬貨袋を持っているのかがわからなくなってしまい、結局取り逃がす事になってしまった。

「しまったな……ガキだと思って油断しすぎた。こんなことがアルに知れたらまた文句を言われるに違いない」

 名目上は自分の奴隷である白髪の少女のことを思い出し、フィードの気分は一気に下降した。ただでさえ毎日小言を言われてうんざりしているのに今回の件がしれたら余計に小言が酷くなるということが容易に想像できたからだった。
 仕方なくもう一度少年たちを捜しに行こうと木箱から腰を上げ、前を見たところでフィードはようやく気がついた。自分の前方にフードをかぶった見慣れた少女がいるということに。
 人目を引く赤色の眼にフードに隠れきれていない部分からはみ出す白髪。アルビノと呼ばれる種の少女がそこには立っていた。

「さて、さっきからぶつぶつと独り言を呟くマスターに私はどう反応したらいいかわからなかったので、こうしてずっと待たせてもらいましたが、私に知られるとマズい話でもあるんですか? マスター」

 突然の少女の登場に動揺を隠せないフィード。少女のこめかみにはうっすらと筋が張っている。

「よ、ようアル。こんなところで会うなんて奇遇だな」

「奇遇なんて白々しいですよマスター。私に食材の買い出しを頼んだのマスターじゃないですか。酒場に行っているって聞いていたので行ってみればレオードさんにマスターはとっくに出て行ったと言われましたし、荷物を置いて探しに出てみればこんなところで倒れ込んでますし。それにまた、私に知られたらいけないような事を起こしてるみたいですし。一体今度はなにをやらかしたんですか」

「今度はって……毎回何か起こしているようにいうんじゃねーよ」

「マスターが動いて何もなかった事の方が少ないんですからしょうがないじゃないですか。私のときだって……」

「そう言われてもな……実際降り掛かる火の粉を払ってるだけだし」

「そういうことしてるから厄介ごとに巻き込まれるんですよ」

 ため息を吐き、アルはフィードの傍に近づいた。そして、

「それで、結局今回は何をしたんですか。マスターが色々な面で駄目な人だと言う事は今まで一緒に行動してきてもうわかっていますから、早く言った方がマスターのためですよ」

 身を乗り出し、問いつめるアルにフィードはとうとう根負けして、

「いや、実はな……」

 と先ほど起こった事を説明しだした。


「ハァ。もうホントに私のマスターはどうしようもないです。本当に駄目駄目です。何でこんなのが私のマスターなんでしょう。いっその事私がマスターになりたいくらいです」

 アルと合流したフィードは下宿先である宿に帰り、一階の食事場で夕食をとっていた。

「まあ、まあ。アルちゃんもその辺にしておきなよ。フィードさんだって悪気があってお金を奪われたわけじゃないんだから」

 温かな湯気の立つ野菜スープを運びながら、中年の女性がアルに口を挟む。

「それは当たり前ですグリンさん。悪気があってお金を盗られるなんてことがあったら最悪です」

 グリンと呼ばれた中年の女性は、そんなアルに苦笑しながらフィードとアルの前にスープを置いた。

「でもアルちゃんはフィードさんに養ってもらっているんだろう? だったら文句を言っちゃ行けないよ。こういった時に助け合うのが家族ってもんじゃないのかい?」

 グリンは背中まである長いくせ毛をなびかせて言う。アルもグリンの言っていることは内心理解しているからか、つい口ごもってしまった。

 と、ここまで来てようやくそれまで黙っていた話の当事者が話しだした。

「本当に悪かったな、アル。それとグリンさんもなんだかすいません。気を使わせたみたいで」

「いいんだよ。あんたが悪い奴じゃないってことは今までの下町での活躍を見てればわかるからね。それにアルちゃんのことも。あたしは奴隷にこれだけコケにされる主人ってのも見たことなかったしね」

 グリンのその言葉にフィードは苦笑いを浮かべるしかなかった。

「それで、お金の事はともかく、今回の依頼って言うのはやっぱりあれかい?」

 フィードが酒場を通じて下町のやっかいな依頼を受けている事を知っているグリンは気になっていたことを尋ねた。

「ええ。おそらくグリンさんの想像している通りです。盗賊の被害の防止、もしくは盗賊の捕縛ですよ」

「やっぱりそうなんだねー。ここ最近この辺りもその件で騒がしくなっていたし、昨日なんて死人が出たらしいからね。そろそろ依頼が出る頃だろうと思ったよ。うちの騎士団は下町の為になんて動いちゃくれないし。ここがフラムだったら話は違ったんだろうけどね」

 フラムという名前を聞いて一瞬フィードの表情に影が差した。しかし、それに二人が気がつく前にいつもの表情に戻ったため、誰もフィードの変化に気づく事はなかった。

「そうですね。フラムなら騎士団は身分など関係なく誰にでも救いの手を差し伸べますからね。一番治安がいい国も実際あそこですし」

「そうみたいだねえ。特にここ最近出てきた何番隊だったかの副隊長さん。たしかリオーネとかいったかしら。女性なのに他の隊の隊長と変わらないくらい強いみたいだね。
 しかも、あたしたちみたいな下町の人にも救いの手を何度も差し伸べてくれているみたいだし。本当にあんな人がうちの国にもいてくれたらいいんだけどね」

「そうですね。まあ、彼女みたいな人の代わりにならないかもしれないですけれど、俺も頑張らせてもらいますよ」

「せいぜい稼いできてもらうよ。お金をなくしたからって家賃を見逃すほどあたしは甘くないよ」

「依頼を早いとここなさないとな」と気を落とすフィード。アルはその横でのんびりと野菜スープを口にしていた。

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一日の始まり

 翌日、いつものようにベッドの上で目が覚めたフィードは違和感を感じていた。そして、その理由はすぐにわかった。

「おい、アル。お前俺のベッドに入るなって何度も言ってるだろうが」

 上半身を起き上がらせたフィードのすぐ横には、寒そうに身体を震わせてベッドの上で丸まっているアルの姿あった。

「マスター、寒いです。早く毛布をかけてください」

 一ミリも身体を動かすことなく、アルは言う。

「あのなあ、わざわざお前のためにもう一つベッドを用意してあるのになんで毎回毎回俺の方のベッドに入ってくるんだよ」

 何度言っても自分の言うことを聞かないアルに呆れながらフィードはベッドから降り、グリンによって洗われて綺麗になった赤色の上着を羽織る。その際、アルの身体に毛布を覆い被せて寒くないようにした。

「それじゃあ、俺は今日も盗賊の方の事件を調べて来るから、お前は大人しくグリンさんの言う事を聞いておけよ」

 それだけを言い残してフィードは部屋を出て行った。
 扉の閉まる音が聞こえ、しばらくするとアルは毛布を身体から剥がして起き上がった。元々アルにとってフィードと共にいる事自体に意味があるのであって、フィードがいなくなってしまってはベッドにいる意味もないのだ。

 フィードとアルの関係は少々、というよりかなり特殊だ。

 一般的には奴隷と主人という関係なのだが、実際に彼らが話している姿を見て、すぐにそうだと気がつく人は少ない。
 そもそも、奴隷というのは主人に思考、言動、最終的には命までも握られている状態である。奴隷の主人は彼らの命を金で買っているのだ。主人が気に入らないと判断して、奴隷の身体に刻まれている烙印に命じれば、その命を絶つことなんてことは訳もない。
 そのため、一般的な奴隷は主人の顔色を伺い、媚びへつらっている者が多い。もちろん例外はあるが、アルとフィードはその中でもまた例外中の例外だろう。昨日の一件でもそうだが、奴隷が主人を罵倒するなど特殊な趣味があるもの以外では普通あり得ないからだ。
 かといって、アルがフィードに対して常日頃そのような態度であるかというとそうでもない。普段はフィードがアルに対してふざけた態度を取っているため、アルの態度も必然冷たいものになるのだが、荒事などの際はフィードは普段から想像もできな程真面目な態度をとるようになる。そのときはアルもふざけた態度を取る事もなく、いつもとは違った対応を見せるのだ。
 しかし、そんな事態はそこまで多くないので、結局冷たい態度でフィードに接する事が多くなってしまうアルであった。

(全く、私があなたの傍にいないと眠れない理由をもう少し考えてくれてもいいと思うんですが。いえ、これは私のわがままですね。奴隷の身分で十分な衣食住を提供してもらって、その上言論の自由まで。
 ……思えばマスターに何かを強要されたり抑圧されたことなんて今まで一度もありませんでしたね。本人も便宜上奴隷という立場になってしまうって言ってましたし)

 かつてフィードに奴隷という立場から解放され、その後自ら望んで彼の旅に同行するようになってはや数ヶ月が経った。
 普段からキツい物言いをし、冷たい態度を貫き、外敵から身を守っているがその実信頼できる相手がいないからそのような態度になってしまっていることをアルは自覚していた。だからこそ、今アルが一番信頼できる自分の主、フィードの傍を一緒にいるときは離れないようにしているのだ。
 また、無自覚、自覚があるかどうかは別として、アルは常にフィードの姿を目で追っている。もっともアルのその行動にフィードが気がついているかどうかはわからないが。
 アルもまた羽毛でできた温かな上着を羽織ると、部屋の換気をするために窓を開け放つ。部屋の床に溜まったホコリがふわりと宙に舞い上がり、外の新鮮な空気と入れ替わっていく。

 急に舞い上がったホコリにアルは少し咳き込み、口元を押さえながら部屋を出た。

(しばらくは窓を開けて換気をしておきましょう。だいぶ中の空気が淀んでいましたから)

 そうしてアルは宿の二階に存在する自分たちの部屋を後にして一階の食事場に降りて行った。

「おや、アルちゃん。今日は少し遅めの起床だね。フィードさんはもう出かけちまったよ」

 宿に泊まっている他のお客が食べた食事を片付けながら、グリンが明るい笑顔とともにアルに声をかけた。

「おはようございます、グリンさん。マスターが出かけた事なら知っています。今日も……置いて行かれたので」

 しょんぼりと肩を落としながらアルは答える。その言葉はアルの奇抜な容姿と、親に見放されて落ち込む子供のような姿とのギャップからグリンやその場にいた者の母性本能を激しくくすぐった。

「もう、あたしがこの子の親なら絶対に置いて行ったりなんてしないのにね! フィードさんも色々と考えてアルちゃんをここに置いて行っているんだろうけど、まったくこれじゃあこの子がかわいそうだよ。安心おし、今日フィードさんが帰ってきたらあたしが一言言っておいてあげるから」

 そうだ、そうだ! と周りにいる宿泊客も同意の声を上げる。もっとも彼らの中でフィードの顔を知っている者はほとんどいないし、アルが奴隷だと知っているものもグリン以外にはいない。変わった容姿をした異国人とその保護者である旅人とぐらいの知識しかないのだ。
 そのせいか、フィードによく宿に置き去りにされ、グリンの仕事の手伝いをしていたアルはその容姿とフィード以外には余り話さない事から自然と寡黙で変わった容姿の可愛らしい少女と周りの人間から評価をくだされていたのだ。
 そして、一度決まった評価というのは中々変わるものではなく、宿に長い間滞在しているという事もあって、宿に泊まりにきた客や食事を取りにきた客からアルは新しく入った住み込みの可愛らしい少女と認識され、いつの間にかこの宿の看板娘としての地位を確立しつつあったのだった。

「グリンさん、どうもありがとうございます。それで今日は何を手伝えばいいんですか?」

 ペコリと腰を曲げてグリンにお礼を言うアル。この宿に滞在して、もうそれなりに月日が経とうとしている。その際、フィードに置いて行かれる事の方が多かったアルは自主的にグリンの手伝いをし始めたのだった。
 最初はお客にそんな事はさせられないと断っていたグリンだったが、フィードもアルのやる事がないとわかっていたため、料理などを覚えさせるという理由でグリンにアルの手伝いを認めてほしいと頼んだのだ。
 結局、二人のお願いに根負けしたのか、グリンはアルの手伝いを認める事にしたのだった。

「そうだね〜。ひとまず料理の材料が朝に使って少し足りなくなってきたから買い出しに行ってもらえるかい? その後の指示は帰ってからまたするから」

「わかりました。それでは買い出しに行ってきます」

 カウンターの隅に置いてあるメモが書かれた用紙をグリンはアルに手渡すと、そのまま他のお客の料理を作りに厨房へと引っ込んでしまった。
 アルは受け取った紙に書かれた内容をじっくりと見て、それを片手で握りしめたまま上着についているフードを深くかぶる。

(必要なのは鳥の胸肉とあとは玉葱、それからジャガイモですね。これなら一度の買い出しで済みそうです)

 アルは必要な食材を記憶し、メモを空いているポケットに入れ、カウンターの中に入り、置いてあった買い出し用の硬貨袋を持ち、宿を出ていったのだった。

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買い出し

 外に出るといつもより遅い時間に起きたせいか、多くの人が道を行き交っていた。露店に商品を並べ、商品を売り込むために声を張り上げる店員や、子馬に荷物を引かせる郵送屋、それらを眺めながら何を買おうかと悩んでいる一般人。多種多様な人々がいた。
 日中という事もあってアルがフードをかぶっていても特に誰も不審に思う事はなかった。これが小汚い上着であれば物乞いなどと勘違いして怪しまれたかもしれないが、フィードに買ってもらった綺麗な上着で特に汚す事もなく大切に扱っていたので新品と遜色ないほど綺麗さを保っていた。
 もちろん、それだけが不審に思われない理由ではない。最近セントールには厳しい日射しが照りつけており、一足早い夏季が訪れているのではないかと人々の間で噂になっていた。そのため、アル以外にも上着に付けられているフードをかぶる人や、藁で編まれた帽子をかぶる人、他にも日陰で休む人の姿も数多く見受けられる。
 これが実質アルが疑われない理由の大半だろう。大勢の人波をかき分けながらアルはいつもグリンが肉を仕入れている精肉店へと歩いて行った。

「あ、あの。鳥の胸肉を……くれませんか」

 精肉店についたアルはいつものフィードに話しかけているような毅然とした態度ではなく、下手をすれば町の雑多が鳴らす音にかき消されてしまうほど小さくか細い声で店主に話しかけた。

「ん? なんだい嬢ちゃん。買い物か? 鳥の胸肉が欲しいのか、いくつだい?」

 店主はアルに向かってできるだけ優しく声をかけた。少年少女のお使いに慣れているのか、どこか相手を気遣った話し方は淀みない。

「えっと……これくらいなんですけど」

 アルは持っていたメモ用紙を店主に見せた。店主はそれを見ると、

「おや? もしかしてあんたグリンさんのところにいる嬢ちゃんかい?」

 思いがけない店主の言葉にアルは少し面食らった。

「はい、そうですけど……」

 自分の知らない相手が自分の事を知っているという事実にアルは警戒心を抱いて身構えた。しかし、そんなアルを見て店主はケラケラと笑い声を上げる。

「いやいや、そんな警戒しなくても大丈夫だよ。実は少し前にグリンさんの所に食事をしに行った時に君の事を見かけてね。噂の可愛らしいお嬢さんがどれほどか確かめに行こうって友人に誘われて行ったのだけどね。
 そうしたら見かけない白髪の小さな子供がたどたどしく料理を運んでいる。しかもそんじょそこらじゃお目にかかれないような可愛いさときた。
 それに、後から聞いた話じゃ君の保護者はあのフィードだっていうじゃないか。実は前に荷物の護衛を彼に頼んでトリアの方の村に行った事があってね。その時野盗に襲われたんだが、彼は難なくそれを追い払ってね。あれは見ていて気持ちのいいものだったな。
 まあ、そういった訳で私は少々君たちの事を知ってるんだよ。もっともそれは私だけに限らず、下町の人間の大半はもう彼の事を知っていると思うよ。良くも悪くも彼は目立つからね」

 長々と続ける店主の話に一度も口を挟む事をなくアルは黙って聞いていた。確かに、フィードが荷物の輸送の護衛をするといって数日アルの元を離れた事はこれまで何度もあったため、店主の話は信用できる。問題はそんな事よりも自分とフィードが自分たちが思っている以上に下町の人間に覚えられているという事だった。

「そんなに私たちは有名なのですか?」

「そうだねえ。ただでさえこの下町というところに住んでいる人々は刺激に飢えているからね。ちょっとした話題でさえここじゃすぐに広まるよ。それにさっきも言ったけれど、君たちは良くも悪くも目立つからね……」

 良い方はともかく、悪い方で目立つのは願い下げしたいのだが、その悪い方で目立っているのは少なくともアルではないため、今すぐにはどうすることもできないのだった。

「ありがとうございます。以後気をつけるように言っておきます」

 店主が用意した肉の入った包みを受け取り、代金を支払う際にアルはそう伝える。店主は何の事だか分からないのか首を傾げていた。
 その後も残りの材料を買う時に、店員や店主から「グリンさんの所のかわいいお嬢さん」と言われ、じろじろと眺められ、果てはフードを取られて頭を撫でられる始末だ。さすがに、それについては怒ったアルだったが、怒り方も強く言えないため、黙ったままじっと不満げに相手を睨みつけるだけになり、結局それもまたかわいいと評される要因の一つになるのだった。

「はぁ、ただ買い出しに出かけただけなのに疲れました……」

 両手いっぱいになった買い出し品を抱えながらアルはグリンの元へと向かっていた。道中で何度か見知らぬ人々に声をかけられて困ったが、特に何かをされる訳でもなかったので、よかったのだが。

「そもそも、みんな私が奴隷だって事知らないからあんな風に気軽に声をかけてくれるんですよね」

 自分の肩に刻まれている烙印を一瞥してアルは独り言を呟く。

「実際に知っていても普通にしてくれるグリンさんはきっと珍しい人なんでしょうね。あれを普通だと思いたいのは私の希望でしょうし」

 実際、このセントールに来てから、今までのように外見で差別されるような事は余りなかった。物珍しそうに皆に見られるのは変わりないが、それで気味悪がられたりすることはほとんどない。他国との貿易をしているこの国だからこそ、アルのような変わり種の人間を見る機会は少なくないのだろう。
 しかし、奴隷となるとまた扱いは変わって来る。アルを最初に買った主とまではいかないものの、少なくとも今のアルとフィードのような関係性は見られない。奴隷は主人を立て、彼らの言う事に従順でなければならない。
 そして、彼らに対する一般人の対応もまた粗雑だ。奴隷が粗相をし、それが気に入らなければ乱暴な扱いを受けて当たり前。もちろん、奴隷は主の所有物なのでそれで怪我をした場合は主にそれ相応の金を支払わなければならないが、結局全て金で解決できてしまう。

(……やっぱりこの世界はお金が全てなんでしょうか)

 そう思い、すぐさま否定をする。それは彼女自身を助け、面倒を見てくれているフィードに対する侮辱だ。アルは彼の屈託のない子供のような明るい表情を思い出し、

(とはいっても私たちの場合はマスターに面倒を見てもらっているのか、私が見ているのかどっちなのかわかりませんけど)

 やれやれと思っていると、気が逸れていたせいか、前を歩く子供にぶつかってしまった。

「うわっ!」

「あっ……」

 アルと同じようにフードをかぶっていた少年が持っていた硬貨袋を落とし、アルも持っていた材料を地面に落としてしまう。慌てて落ちた材料を拾うアル。幸い、材料は包みに包まれていたため、汚れずにすんだ。そして、アルの足下に落ちた相手の硬貨袋を拾って手渡そうとして気づく。

(これ……マスターの硬貨袋)

 フィードがこれまで使っていた硬貨袋がアルの手元にあった。普通の硬貨袋であれば気づかなかったが、アルは何度かフィードから買い出しを頼まれてこの硬貨袋を使った事があったのだ。そして、それがフィードのだと気づく決定的な要因となったのは、一度袋の底が抜けた時にアルが縫って直した痕が残っていたからだ。
 自分で縫ったものを忘れるほどアルも子供ではない。おそらく、この少年が昨日フィードから硬貨袋を盗んだ少年なのだろう。そう理解するとアルは手にした硬貨袋をギュッと握りしめて目の前にいる少年を睨みつけた。少年の方もアルが硬貨袋に関して何か気づいたと悟ったのか、徐々に距離を取り、恨めし気に一瞥するとその場から逃げ出してしまった。

「まっ……」

 静止の言葉をかける間もなく少年の姿はその場から消えた。アルは手にした硬貨袋と材料を何度も見て、何事もなくすんでよかったと安堵するのだった。

(マスターの硬貨袋も戻ってきましたし、これで今月の家賃も払えそうです。本当に世話が焼けます。この事を話したらマスターの事ですからきっと褒めてくれますよね……)

 フィードに優しく褒められることを想像すると自然と緩む頬を抑える事ができず、終始笑顔のままアルはグリンの元へと歩いて行くのだった。

テーマ : オリジナル小説
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下調べ

 アルが買い出しを終え、グリンの元に向かっている頃、フィードは下町での聞き込みを行っていた。一昨日まで連続で起こっていた盗賊の犯行は何故か昨日は起こらなかった。

「あれじゃねえか。人を殺してビビっちまうような小心者だったんだろ。実際盗られたものもそこまで高価なもんじゃないって聞くぜ。だいたいこんな下町にそんな高価な金品があるわけねーだろうが」

 けだるげに答えるのはフィードより頭一つ低い青年。栗色の髪に緑色の瞳。年はもう20を超えているのだが、身長が同年代の者に比べて低い。そのため、年齢よりも幼く見られるのが悩みである青年だ。

「そう思うか? でも昨日はたまたま現れなかっただけかもしれないだろ。そうやって油断させておいてっていう手かもしれないと思うぞクルス」

 クルスと呼ばれた青年は頭をかき、まじめに考えようとするがどうにも落ち着かない。彼はこのように考えるよりも身体を動かす方が得意なのだ。

「まあ、そうかもしれねーけどよ。第一なんだってここなんだ? そりゃ、フラムでやるよりかセントールみたいな貿易国での盗みの方がリスクも低いし、やりやすいかもしれねーけどよ。わざわざ都市部に来なくたってフラムの端にあるような村に盗みに入った方がもっと金も入るし、楽だと思うんだけどな」

 と、一般人にあるまじき過激な発言をするクルス。こんな事を言っているが、実際彼は盗みを働いた事など一度もない。本人曰く言うだけなら自由という考えに基づいての事だった。

「確かにな。それとも、ここじゃないといけない何かがあったのかもしれないってことかも」

 口元に手を置き、フィードは熟孝する。そもそも、ここ最近特に大きな事件のなかった下町で何故急に盗賊が出るようになったのか、それが問題だ。一番に考えられるのは亡命者の存在。この国が他国からの亡命者を暗黙の了解で受け入れているのは周知の事実だ。事情を知らない亡命者が金品欲しさから金を盗み逃げ回っているというのが現状一番考えられる線だろう。
 しかし、どうにも腑に落ちない。そもそも亡命をするなら余程の事がない限り事前に下準備をして来る場合が多いはずだ。他国の権力者で、その存在が高位であればあるほどこの国の権力者への根回しをしているはずだからだ。
 それに、それほどの権力者でもただの富裕層であるのならば、まず盗みになど入らない。それは彼らの持つ意味のないプライドが大抵の場合は障害になり、行動に移せないし、人を殺した場合は後ろ盾がないので良心の呵責と罪悪感から普通にしていられないからだ。
 となると、この場合は権力者であるかどうかは置いておいて、金銭に余裕がなく、事前に計画をしてなく突発的な結果から亡命する事になった亡命者でそれなりに頭も回る相手だと考えた方がいいだろう。
 相手の頭が回るとフィードが考えたのはそれなりに日数が経ち、毎日犯行を行っているにもかかわらず、相手の特徴が少しも分かっていないという現状を鑑みての事だった。

「これはだいぶめんどくさそうだな」

 事態が思った以上に厄介であるという事にようやく気がついたフィードは思わず愚痴をこぼした。

「おいおい、しっかりしてくれよ。お前にどうにかできない問題だったら俺たちは特に役にも立たない騎士団たちに問題解決の要請をださなくちゃいけないんだぜ。あいつ等に金を払うくらいだったらパーッと酒場で飲み食いした方がまだマシだぜ」

 両手を大きく広げ、金をばらまく仕草をするクルス。その言葉の端々に騎士団に対する嫌悪感がにじみ出ていた。

「お前、相変わらず騎士団が嫌いなんだな」

 思わずフィードは口を挟んだ。

「あったりまえじゃねーか。あいつらが俺たちにしてくれたことなんて糞みて―なもんだぞ。大雨で街が浸水した時も、俺たちが必死に土嚢を積んでる中、酒場でただ酒を飲んでいるくらいで、終わってみれば派遣要請をした分の謝礼を寄越せとか、殺人鬼の亡命者が下町をうろついてた時に要請してみれば、殺人鬼に鉢合わせしてビビって逃げ出す始末。
 それでいて金は要求する。中にはまともな奴もいるけど大半の騎士隊はそんな奴らばかりだ。これでどうやって好きになれって言うんだよ」

 憤りを隠すことなく、心に溜まっているものを思いっきり吐き出すクルス。その大きな声に驚いたのか、通りを歩く他の人々はビクリと一瞬身を震わせたが、誰も彼を注意することなくその場を立ち去る。言葉には出さないが、他の下町の人々も彼と同じような考えなのだろう。

「だからさ、俺たちはお前が来てくれて本当に感謝してるんだよ。腕は立つのに全然金銭を要求したりしねーし。俺たちの事を下に扱ったりしないでいてくれるしさ。なんだかんだ困ってたら助けてくれるのはお前くらいだよ。
 だから俺は今回の件もお前がどうにかしてくれるって信じてる。それはきっと他の下町の奴らも一緒だ。だから、みんなお前が今までどんな風に生きていたか聞かないし、興味もない」

 真っすぐな眼差しでフィードを見据えるクルス。その視線にフィードは自分の視線を交わらせることなく、

「いいのか? そんな事言っているといざ事が起こった時に後悔するぞ」

「そんときはおれや下町の奴らの見る目がなかったってことだ。だいたいお前はそんなことしねーよ」

「どこからくるんだ、その根拠は」

 肩をすくめてフィードは呆れる。

「強いて言えば……勘? 他にも理由はあるけどな」

「勘って……一応お前ここの地区の次期町長だろうが。そんなあやふやなもん信じるなよ。で、他の理由って言うのは?」

「色々あるけど、一つあげるならアルちゃんに対するお前の態度だな。他人に対してあれだけ優しくできる奴が大それた事件とか起こすわけないだろ。それが奴隷ならなおさら……な」

 クルスの思いがけない言葉にフィードの視線が鋭くなる。

「お前、それをどこで……」

 しかし、フィードの鋭い視線を飄々と受け流してクルスは答える。

「そりゃ、お前。これだけ長い間この町に滞在してればそれくらいの事は分かる奴の一人や二人出て来るさ。まあ、この事を知ってるのは俺も含めて数人程度だから安心しろって。べつに言いふらしたりしねえからさ」

 その言葉の真意を探ろうとしたフィードだが、どうやら言葉通りの意味と受け取ってもいいようだ。自分と一緒にいる以上、周りで起こる騒ぎになるべくアルを巻き込まないように心がけている。グリンの元に預けているのもそう言った考えがあるからだ。だからこそ、今のようにクルスがアルの素性を知って、それが公になったときの彼女への被害はかなりのものになるだろう。
 一部の人は理解を示してくれるかもしれないが、ほとんどの人は態度を変えるだろう。まだどこの国でも奴隷というものへの差別的扱いは根深く存在しているのだ。

「ならいい。お前を信用する」

「さすがフィード。下町の何でも屋!」

 ドンドンと肩を叩くクルスの腕をフィードはうっとうしそうに振り払い、

「それじゃあ、なるべく早く問題を解決するよ。みんな迷惑しているみたいだからな」

「おう、よろしく頼むぜ!」

 クルスと別れて再び下町をぶらつくフィード。問題を解決するための糸口はある程度掴めていた。この手の依頼はフィードにとって初めてではないのだ。

「さて、それじゃあ次の被害が出る前に犯人を捕まえるとするか」

 そうしてフィードはある人物を探し始めた。

 その相手はフィードが昨日財布を盗まれた少年だった。

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捕われたアル

 材料をグリンの元に届けたアルは二階に上がる。被っていたフードを脱ぎ、換気するために開けていた窓を閉め、その後一階に下りていった。
 下に降りると、そこには焼きたてのパンをバスケットに入れて運ぶグリンの姿があった。

「お使いご苦労様アルちゃん」

 労うグリンにアルは、

「いえ、これくらいできて当然です。私ももう『子供』じゃありませんし」

 さも当然のように答える。やたらと「子供」という部分を強調しているが、本人は子供扱いされるのがよほど嫌なのだろう。

「そうなの? せっかくお使いに行ってくれたお礼に焼きたてのクッキーを食べてもらおうと思ったのに……。子供じゃないのならアルちゃんはいらないわね」

 アルが反応する事を分かっていてあえてグリンは挑発的な態度をとる。アルは甘いものが好きなのだ。

「そ、そうですね。私は子供じゃないので、そんな……甘いものなんて……」

 フィードがこの場にいたのなら「お前なに変な意地張ってるんだよ。いつも食べてるだろ」と突っ込みを入れ、あとでアルに怒られることになるのだが、当の本人は今ここにいないため、話が進まない。
 グリンもアルが甘いものを食べるのが好きだと分かってやっている。元々帰ってきたアルとグリンの二人で食べようと思ってクッキーを焼いていたのだ。ここでアルが意地を張り続けて食べないなんていうことになると、グリン一人で全て食べるには少々量が多いため、食事を取りにきた宿泊客にサービスとして出す事になってしまう。さすがにそれはもったいないかなと思っているグリンなので、結局今回はアルが折れることで話は終わるのだ。
 そのアルはというと、甘いものを我慢する「大人」というプライドと、好きなものを好きなだけ食べたいという「子供」との二つの間で激しく心が揺れ動いていた。

(くっ! グリンさんは私が甘いものが好きだと知っているはずなのに……。いえ、知っているからこそ、こんな風に意地の悪いことをするのですね)

 グリンの精神攻撃に必死に耐えていたアルだったが、厨房にある釜から漂うクッキーの甘い香りを嗅ぎ、とうとう折れてしまった。

「食べます。クッキー食べます……」

 自分が必死に強調していた「大人」の面をあっさりと覆されて悔しいのか、アルはプルプルと小刻みに肩を震わせていた。そんなアルの様子が面白いのか、グリンは口元を抑えて必死に笑いを堪えていた。

「まあまあ、子供は素直が一番だよ、アルちゃん」

 そう言って皿に大量のクッキーを乗せてアルの元へ持って来る。

「ほら、焼きたてのうちに食べておくれ」

 アルは受け取った皿を手に取り、空いている席に座り、甘く香りのよいクッキーをじっと見つめていた。

(むむむ。これはおいしそうです。クッキーの上にうっすらと蜂蜜が塗ってあって、それが香りを更に引き立てています)

 おずおずとクッキーに手を伸ばしてクッキーの一つを掴んだアル。ゆっくりとそれを口元に運び、一口。深く味わうように口にしたクッキーの欠片をよく咀嚼し、原型を失ったそれを飲み込む。

「おいしい。おいしい……です」

 一口食べてすぐにアルの表情が変わった。パッと表情が明るくなり、次から次へとクッキーを手で掴み、口へと運んで行った。

「おやおや、そんなに急がなくてもクッキーは逃げて行かないよ」

 飲み物を取りに厨房の中に入りながら、グリンがアルに注意する。しかし、アルは食べる事に夢中なのか、グリンの声が届いていないようだった。やがて、グリンが持ってきた飲み物を手渡す頃には皿の上には何も残っていなかった。結構な量、そもそもグリンとアルの二人で食べる量だったのだが、結局アル一人で食べてしまった。
 グリンが二人分の飲み物を持ってきた事でようやくアルも二人でクッキーを食べるつもりだったということに気がついたアルは、

「すみません……私、一人で食べちゃいました」

 意地汚さからの羞恥や、食べる事に夢中だった姿を晒していた事からか、アルは顔を真っ赤にして俯いてしまった。

「いいんだよ。あれだけ喜んで食べてくれたのなら作ったかいがあったってもんだよ。気にしないでおくれ」

「でも、グリンさんも一緒に食べるつもりで作ってくれていたのに」

 申し訳ないと思っているのか次第に声の小さくなっていくアルに、

「いいんだよ。私の分はなくなったけどまだ作っていないフィードさんの分が残っているからね」

 意地の悪い笑みを浮かべ、グリンはアルの肩を叩いた。それで、アルもグリンの言わんとしている事を理解した。

「はい、マスターには内緒ですね」

 親しいものにだけ見せる笑顔でアルは元気よく答えた。女二人だけのお茶会は、穏やかな時間と共に過ぎて行った。


 突発的なお茶会を終え、グリンが厨房の奥で溜まっている洗い物を片付け、アルは食事場の掃除をしていた。手にした箒で床に溜まったホコリを隅に追いやり、それを一ヶ所に集める。その後、集めたホコリを外に掃き捨てる。

「これで、一段落です」

 自分のやる事を終えて満足そうにするアル。外はもう昼を過ぎているせいか、日射しが更にキツくなっていた。澄み渡った青空が真上に広がり、下町の通りを心地よい風が吹き抜けていた。

(今日もいい天気です。後はマスターが頑張って依頼を片付けてくれれば問題ありません)

 穏やかな天候とは打って変わって通りを歩く人の様子はどこかぎこちない。連日の盗賊騒ぎ、特に一昨日の殺人が影響しているのだろう。通りを歩く人々に目を向けていると、アルは視界の端に今朝出会った少年の姿を見つけた。

(あれは……マスターの硬貨袋を持っていた)

 少年はじっとこっちを見つめていたが、やがてそっぽを向いて路地裏に向けて歩き出した。

「待って……」

 アルは持っていた箒を放り出してすぐさま少年の後を追いかけ始めた。何故、と問われるとアル以外には答えられないだろう。少年がアルを見ていた瞳がどこかもの悲し気で、追いつめられた様子に見えたからだ。
 それはかつてアルが叔母の元で生活していて、盗みを働く直前までしていた様子によく似ていた。だからこそ、アルは少年の事が気になり、何を思う訳でもなく、その背を追いかけたのだった。
 日の当たらない路地裏を少年は自分の庭を歩くように進んで行く。アルは少年から離されないようにするので精一杯だ。異臭のする路地裏。浮浪者が建物に背をもたれている。アルは得体の知れない恐怖と不安から周りに視線を映さないようにして少年の姿だけを追いかけた。
 やがて、路地裏の一角にある古ぼけた建物の中に少年は入って行った。

(ここは、どこでしょう。一体私はどこまで来たんでしょう)

 少年を追いかける事だけに集中していたせいか、アルは今自分がどこにいるのかもわからなくなってしまった。唯一道を知っていている少年は目の前にある建物の中に入ってしまい出てこない。
 このままここにいてもしょうがないと悟ったアルは、少年の入って行った建物に入る事に決めた。ほとんど錆びている扉に手をかけ、静かに扉を開ける。光の入っていない室内は薄暗くひんやりとした空気が漂っていた。一歩、一歩と足場を確認しながらアルは進んで行く。次第に暗闇に目が慣れてきた。周りを見回して室内の内装を見た限りでは、どうやらここは酒場の跡地のようだった。
 不意に部屋の隅で何か動くものをアルは見つけた。先ほどの少年だろうか? そう思って急いで近づく。

「あ、あの!」

 いつもより少しだけ大きな声で話しかけるアル。しかし、そこにいたのは先ほどの少年ではなかった。重しのついた鎖に繋がれ、涙で頬を濡らしている少年少女がそこにいた。小汚い衣装に身を包み、破れた衣装から見える肌は殴られたのか青くなっていた。その姿を見てアルはゾッとした。

(これは、これは……。市に出される前の奴隷です)

 アルはかつての自分の姿と少年少女たちの姿を重ねる。個人所有の奴隷となる前は、彼らは魔法で刻まれた烙印を押されず、買い手が見つかるまではこのように鎖で繋がれて逃げられないようにさせられるのだ。

(しかし、何故こんなところにこんなに多くの奴隷がいるのですか? これだけ多くの子供がいなくなれば誰か気づくはずなのに)

 奴隷自体はこの世界に数多く存在するが、中には奴隷の売り買いを嫌う者もいる。おおっぴらに市場を開く事は品がないとして奴隷を数多く所有する富裕層の間でもあまり好まれていない。そのため、こういった奴隷を売り買いするのは富裕層の家や隠れた場所で開かれる市に参加するという事になる。
 そもそも奴隷とは罪を犯したものを金で引き取って奴隷にしたりする例が普通なのである。敗残兵が奴隷になるという例もあるが、全く何をしていないものを連れ去って奴隷にするのは違法として罰せられる。
 しかし、バレなければ何も問題がないとのことから、無理矢理人をさらって契約をさせ、自分の奴隷にするということが今までになかったわけではないのだ。
 かつてフィードがアルを助けた後にそんな話をしていた。

(少なくとも十人以上の子供がここにいます。これが全員この地で手に入れた奴隷だとするといくら何でも多すぎます。これは絶対に無理矢理連れてきたに違いありません)

 見ると、子供たちはアルの姿を見て怯えていた。それは、アルの様子を見て怯えているのではなく、自分を追いつめる相手の仲間だと思い、怯えているのだ。

(どうにかしないといけません。ひとまずここを出て、グリンさんの所へ戻ってマスターに助けを求めれば……)

 そこまで考えて入ってきた扉に戻ろうとした時、アルは扉の前に黒い大きな影ができている事に気がついた。

「あっ……」

 明らかに自分よりも力があり、強さを持っている存在にアルは身をすくめた。

「おうおう、どうしたんだいお嬢ちゃん。道に迷ってこんなところまで来たのかい? 駄目だなあ俺たちに取って大事な商品を見ちゃあ。これは大事な顧客に売るものなんだから……」

 恐怖から身体が震え、カチカチと歯が音を鳴らす。

「あ、ああ……」

 思い出すのは暗く、狭い地下牢。あの時はそこまで不安も、恐怖もなかった。失うものがなかったから。しかし、今のアルには失いたくない大切な日常があった。
 いつも彼女の傍にいて優しい言葉と温かなぬくもりを与えてくれた青年。憎まれ口を叩きながらも一番信頼を寄せて傍にいてほしいと感じ、暗闇からアルを助け出した救世主。居場所を与えてくれた大好きな相手。だが、今ここに彼の姿はいない。目の前にいるのは帰ってきた暗闇からの使者。
 アルに向かって迫る大きな手、それを振り払う勇気も力もないアルは、ただただその場に立ち尽くすしかなかった。そして、アルを掴んだ男の横にいるもう一人の男の姿が目に入った。

「ふむ、少々暗いですね。これじゃあ、新しく入ってきた商品がどのようなものか見えません。明るくするとしましょう」

 そう言って男は手のひらを上に向けて魔術の詠唱を始めた。

「天を照らす太陽の欠片。その欠片の欠片を我に与えたまえ――フレア――」

 詠唱が終わると男の手に拳一つ分の大きさの小さな火球が現れた。それは部屋の中を照らし出し、今まで見えなかったものを見えるようにした。
 アルを掴んでいるのは無精髭を生やし、獣のような髪をたなびかせる無骨な男。そして、その隣にいて部屋を明るくしているのはフードを被り、眼鏡をかけたどこか栄養不足な感じのする細身の男。

「へえ、アルビノの少女とは珍しいですね」

「ん? なんだ、こいつだいぶ変わった容姿だが、やっぱり珍しいのか?」

「ええ、滅多にお目にかかれない突然変異種ですよ。その容姿の珍しさから市場では高値で売れます」

 眼鏡を抑え、男が解説をする。

「ほお……そりゃとんだ掘り出しものだ。金の方から俺たちのところにやって来るなんてツイテるな」

「そうですね、どうやってここに辿り着いたのかは分からないですが、見たところ見た目も綺麗ですし、売り物としてはかなりの良品です」

 既に男二人のアルを見る目は物扱いになっていた。二人の頭ではアルがいくらで売れるのかという考えしか、もうないのだろう。

「ゲード様」

 と暗闇の奥から新しい声がした。

「ん? なんだ、イオか。仕事もしないで、お前はなにをやってるんだ」

 暗闇から姿を現したのはアルがずっと追いかけていた少年だった。

「いえ、仕事は今からするつもりです。ですが、契約の確認をと思いまして」

 少年は凛とした姿でゲードと呼ばれた無骨な男の前に立っていた。

「おお、そのことか。心配するな、この件が上手くいったらお前を自由の身にしてやろう。契約どおりにな」

 その言葉を聞いて暗く沈んでいた少年の瞳に火が灯る。

「わかりました、その言葉を信じます。では、今から仕事にいきます」

「ああ、せいぜい町の奴らの注目をそっちに向けておけよ」

 少年はそう言い残して外へと出て行った。ただ、扉を出る直前、一瞬だけアルに哀れみとも似つかない視線を向けた。

「さて、こいつはどうするか」

「そうですね、ひとまず他の奴隷候補と一緒に鎖につないでおくのがいいでしょう。どうせ何もできないただの子供でしょうし」

 「子供」という言葉を強調されてアルは悔しさから歯を食いしばった。男の言う通り、アルは一人では何もできない無力な子供だったのだ。

(マスター……マスターッ!……)

 足に枷を付けられ、身動きの取れなくなったアルは自分の主に向けて助けを求める事もできず、祈る事しかできないのだった。

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鎮火

 下町での少年の探索を続けていたフィードだったが、一向に少年を見つける事ができずにいた。少年の手がかりになりそうな物があれば探査魔術で居場所を見つけられる事もできるのだが、手がかりが一つもない現状では聞き込みと足を使った探索方法以外にない。
 気づけば、太陽は空に昇りきり、グリンの元を出てから、もうずいぶん時間が経っていた。

(そういえば食事もろくにとっていないな。一度グリンさんの所に戻るか)

 強くなる日射しに手で影を作って光を遮る。フィードはグリンの元へ食事をとりに戻った。

「あら、フィードさんお帰りなさい。成果はあった?」

 戻ってきたフィードを笑顔で出迎え、グリンが厨房から声をかける。

「ただいま、グリンさん。成果のほうはあったといえば、あったかな。事件解決の糸口は見えているからもう少し待ってくれればどうにかできると思います」

「そうなのかい、それは頼もしい! それじゃ、これは私からの激励だよ」

 そう言ってグリンが厨房から取り出したのは鶏肉の蒸し焼き、焼きたてのパン、それからヴィシソワーズだった。フィードはそれらが並べられたカウンターの席に座った。どれも食欲をそそる香りを漂わせており、フィードの口内で唾液の量が増える。

「これ、いただいても?」

「もちろん、そのために取っておいたんだから」

 軽快な笑みでグリンが答える。その様子は早くフィードの食べた反応が見たいといったところだ。

「じゃあ、いただきますね」

 そう言って、フィードは鶏肉をスプーンで口に運んだ。

「うん、おいしいですよこれ」

 いつも通りというとありがたみがないように聞こえるが、フィードにはグリンの料理はいつもおいしく食べられて満足のいく物だった。この下町に下宿するようになって最初の頃、フィードは酒場などで食事をとっていたが、グリンの、

『当分の間ここに滞在するつもりなんだろ? だったら食材さえ用意してもらえればうちで料理を作るよ。もちろん、サービスの一環として普通に料理も出すけどね。ただ、そっちは料理も決まってるし、別で料金を取るよ。さあ、どうするんだい?』

 と、ありがたい提案をしてもらってからというものの、食材の買い出しをしてきてはグリンに調理してもらっていたのだ。

「そう言えば、アルの姿が見えないんですけど、あいつもう部屋に戻りました?」

 いつもなら自分が食事を終えていても、フィードのすぐ横に座って傍を離れようとしない少女の姿が見当たらず、フィードはなんだか居心地が悪くなっていた。慣れ親しんだ存在がすぐ近くにいるということを当たり前に思っていたせいだろう。
 フィードにとって、アルはそれほどまでに傍にいて当たり前の存在になっていた。

(子供の面倒を見るのはこれで二度目だな)

 気の強かった、かつての少女の姿を思い出してフィードは知らぬ間に笑みを零していた。一年ほど前に訳あって別れた『彼女』だが、元気にしているのだろうか? そう思ったが、すぐさま自分にはそんな心配をする資格はないと否定する。

 ……いや、きっと恨まれてるだろうな。

 何も話さずに、知人と呼ぶには薄い縁の相手の元に置き去りにして別れた。それまで自分の事を家族のように慕っていた彼女を裏切ったのだ。恨まれない方がおかしいだろう。その事を考えると胃の辺りが急にドッシリと重みを増し、おいしかったはずの料理が急に味気ない物に変わってしまった。食欲もなくなり、料理を運んでいた手も止まった。

「おやおや、なんだい。アルちゃんの姿がないからって食欲をなくされちゃ、せっかくおいしい料理の材料を買ってきてくれたアルちゃんがかわいそうだよ」

「あ、この料理の材料アルのやつが買ってきたんですか……」

「そうだよ。だから残すなんて真似をしたらアルちゃんに失礼ってね。それと、さっき部屋の掃除をさせてもらった時に気がついたんだけどね、部屋の机の上にあんたの硬貨袋が置いてあったよ」

 グリンの予想外の一言にフィードは思わず座っていた椅子を倒す勢いで立ち上がった。

「それ、本当ですか!」

 フィードの反応に面食らったのか、グリンは言葉に詰まりながらも、

「あ、ああ。ホントだよ。買い出しに出かける前には何も言ってなかったから、出かけた時に拾ったんじゃないのかい。中身もちゃんと入っていたし。見つけてくれたアルちゃんに、きちんとお礼を言うんだよ」

 グリンはアルにお礼を言うようにフィードに促すが既にフィードの耳には言葉は届いていなかった。

(アルが俺の硬貨袋を拾った? しかも中身があったっていうことは相手はまだ金を使っていなかったのか。いや、それはいい。これはチャンスだ。もし硬貨袋を持っていた相手と接触していたのなら、相手はアルと俺の関係を知らない。それなら、アルに手伝ってもらって……)

 そう考えたところで、フィードは自分の考えがこれまでの行動と矛盾している事に気がつく。

(――ッ! そうじゃないだろ! アルはこういった荒事から無関係の場所にいさせるって決めていたはずだ。そのために今まで依頼があっても遠ざけていたんじゃないか。ちょっとの気持ちで首を突っ込ませた結果は『彼女』で懲りたはずだろ)

 フィードの並々ならぬ雰囲気を察したのか、グリンは黙ってフィードの傍を離れて厨房へと戻っていった。

(しかたない、少し遠回りになるかもしれないが、ひとまずアルに話を聞いてみよう。それにまだ相手と会ったと決まった訳じゃない……)

 残った食事を一気に胃の中にかき込み、フィードはその場を後にし、二階にある自室に向かった。

「アル~ちょっといいか? 聞きたい事があるんだが」

 扉を開けながら声をかけるが、室内にはアルの姿は見当たらなかった。

(あれ、いないのか? しかたない、グリンさんにちょっと聞いてみるか)

 再び一階へと降りたフィードは厨房の中にいるグリンへ声をかけた。

「すみません、グリンさん。アルの姿が見当たらないんですけど、どこへ行ったかわかりますか?」

「アルちゃん? そう言えば、食事場の掃除を頼んでから姿が見当たらないね。……そう言えば、外にゴミを捨てに行った時、何か見つけたのか箒を放り出して勢いよく走り出したのを見たような……」

 グリンの言葉にフィードは背筋が寒くなるのを感じた。

(まさか、アルの奴。一人でなにかしてるんじゃないんだろうな……)

 アルがフィードの力になりたいと思っていたことをフィードは以前から気づいていた。かといってフィードもアルを荒事に巻き込むつもりはなかったので、グリンの手伝いをさせるという理由を与えて自分の力になっていると言い聞かせてきた。しかし、アルはどことなく不満げだという事も感じていたのだ。

(頼むぞ、頼むから今回の依頼に巻き込まれてくれてるなよ。下手をするとこの件はかなり大事なんだ……)

 先ほどから何度も速いテンポで拍動する心臓を掌で抑え、不安を隠そうとする。そして、フィードが不安を抱くのと同時に外から大きな声で、

「おい、盗賊が出たぞ! 今度は家に火を放ちやがった! 誰か水を、水を持ってこい! このままじゃ他の家にも燃え広がっちまう」

 フィードの不安を更に増大させる声が聞こえてきた。

(ったく、こんな時に……。まさか狙ってやってるんじゃないだろうな。いや、そんなことより今ならまだ盗みに入った奴もそう遠くにいっていないはずだ。この犯人が俺の予想通りなら近くにいれば捕まえられるはずだ)

 勢い良く宿を飛び出し、フィードは煙の上がる方角へと走り出した。


 フィードが現場に着いたときには、既に火の手は高々と上がり、民家一軒を丸々包み込んでいた。燃え盛る炎は隣接する家屋に進行しようとし始めている。そんな強大な力に必死に抗うように下町の人々は用水路や噴水から汲み上げてきた水を火の中に投げ入れていた。しかし、それも焼け石に水。火の手は収まるどころか、より一層その強さを増している。

「くそっ! どうにかなんねえのか。このままじゃ、町中が火の海になっちまう」

 緊迫した空気の中、声を張り上げるのは下町でも顔が広く知られているクルス。いつものような調子ものの雰囲気はそこにはなく、今はただ町の危機を乗り越えようと真剣な面持ちだ。

「そうは言ってもクルス、炎は強くなるばかりだし、このままじゃどうにもならねえよ。それに、俺たちもどこかで見切りをつけねえと、いつ巻き込まれるか……」

 クルスと同じく消火作業に当たっている男性が声をあげる。彼の言うとおり、クルスたちの手ではもうどうしようもできないところまで来ていた。

「なら、このまま黙って見てろっていうのかよ!」

「しょうがねえだろ。それに魔術隊を要請すれば時間はかかるが確実に鎮火作業をしてくれる。応援を要請するしかねえよ」

「要請してもここに来るまで時間がかかるだろうが!」

「じゃあ、俺たちに何かできるのかよ! 魔術を覚えてるやつはちらほらいても、力が足りないんだよ、俺たちは!」

 男の正論にクルスは黙り込んでしまう。彼もわかっているのだ、下町には力がない。それがいくら理不尽であろうとも自分たちより上の存在に見下されようとも、彼らに力を借りるしかないのだと。消火作業は止めることなく、それでもどうしようもない現実を前に途方にくれる彼らを見て、フィードは静かに呟く。それはこの町に来てから今まで一度も口にしなかった魔術の詠唱。口から零れる言葉とともに、静かに大気が震える。

「大気を漂う数多の液体。その欠片を集め、我に与えたまえ――アクア――」

 紡ぎだすのは水の魔術。それも、魔術を扱うものならば初歩に習う基礎呪文の一つ。大気中に漂う水分を集め、固める。作られるのは拳一つほどの大きさの水球。
 基礎、初歩、というものはその道を極めていくものにとって存外無下にされがちである。それは、自身が成長するにつれ、その道でできることが増えていくからである。ゆえに最初に覚えたものも、それよりも派手で、効果の高いものが現れると、ついそちらに目がいってしまう。そのため、どれも中途半端な習得になり、応用が利かない。
 しかし、基礎を極めれば、その系統に幅広い応用が利くし、時にはそこから思いもかけない発想が生まれることもある。ゆえに、フィードはどの分野でも基礎を重要視していた。
 空中にできた水球に更に魔力を流し込む。見た目は変わらないが、ものすごい勢いで水球は圧縮され密度を高めていた。やがて、圧縮に耐えられなくなり始めた水球がその形を崩そうとしたとき、

「お前ら、そこから離れろ!」

 いまだ消火作業を続ける人々に向けてフィードは声を張り上げた。そして、宙に浮いていた水球を燃え盛る炎の中へと投げつけた。その瞬間、轟とすさまじい衝撃と過度の圧縮から開放された水流が一気に弾けた。爆散した水の衝撃によって家屋の一部は吹き飛び、先ほどまで目の前で轟々と燃え盛っていた炎は一瞬にして姿を消した。残されたのは半壊した家屋と、焦げたあとの残った隣家。
 いまだ何が起こったか理解できていないのか、周りにいた人々は呆然とその光景を見ていた。次第に何が起こったのか理解し始めたのか、人々の中の一人が声をあげた。

「や、やった! 火が、火が消えたぞ!」

 事情を完全に飲み込めたわけではなかったが、彼らの一番の問題だった燃え盛る炎の鎮火はなされたのだ。喜ぶ彼らを見て、フィードは一息ついた。

(よし、これで問題は一つ片付いた。あとは……)

 衝撃的な出来事を前に呆然としている人々から少し離れた位置で同じように呆けている少年の元へ、フィードは一気に駆けだした。

「なっ!?」

 驚く少年。次の言葉を発しようとするが、腕を後ろにねじられ、そのまま地面に押し倒された。

「さて、陽動のつもりでやってたんだろうが前回と今回は派手に動きすぎたな。悪いが知っていることを話してもらうぞ」

 少年の上から冷たい視線で見下ろすフィード。少年は出し抜かれたことが悔しいのか、それとも自分が犯人だとバレるようなうかつな行動をとったことへの後悔からか、歯軋りをし、自分を押さえつけるフィードを睨み付けていた。

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

自由

「それで、お前の知っていることを話してもらいたいんだが、いつまで黙り続けるつもりだ?」

 火事の騒ぎを収める中、民家に火を放った犯人を人知れず捕まえ、捕縛魔術で抑え、人目につかないところに連れてきたフィードが問いかける。

「……」

 しかし、相手はフィードと視線を合わそうとせず、それどころか一言も喋ろうとしなかった。

「悪いが、あまりお前に構っている時間はないんだ。暴力に訴えることはしたくないから、なるべく早く話してもらえると助かる。こっちはもう死人も出てるんだ。陽動をするってことは人が死ぬよりもお前たちにとって益がある何かを裏でコソコソと行ってるんだろ? それくらいはもうわかっている。おそらくお前が人を殺していないであろうこともさっきわかった」

 フィードの言葉に犯人はビクッと肩を震わせた。表情には驚きと戸惑いが混じっている。

「ど、どうして……あれが私じゃないだなんて」

「まず第一にお前は人を殺すような度胸を持ち合わせていない。俺の初歩魔術程度で呆然とするやつが、人を殺して二日で普通に次の犯行をするような大胆な精神を持ち合わせていないってことがある。
 他にもお前みたいな力も、知恵もなさそうな餓鬼にとっさに人を殺せる機転も器量もないってのと、それまで小さな犯行を続けていたのに、急に人を殺すなんて大胆な手を使ったってのもな」

 的確に相手の分析をしていくフィードに犯人は意識していない自分ですら暴かれる得体の知れない感覚に吐き気と嫌悪感を覚えた。しかし、圧倒的力量差の相手に捕まえられ、反抗する力もないため、ただにらみつけることしかできなかった。

「おそらくお前は裏で糸を引いているやつからすれば使い捨ての道具のようなものじゃないのか? 
 人を殺したのはおそらく盗みを働いたときに相手に顔を見られてそのまま逃げ、それをお前の主人に知られたからだろう。殺したのはもちろんお前じゃないがな」

「……」

「それに、お前そんな格好してるけど女だろ。そうなるとますます信憑性が沸いてくる。お前くらいの年の男ならもう少し力もあるしな」

 そう言って少年、もとい少女の胸元に視線を向けるフィード。

「それは脅しか! 私の身体を貪りたいなら好きにしろ。どうせお前に捕まった時点で私の仕事は失敗したんだ。あとはもう殺されるしかない。だけどな、私は最後まであがくぞ。自由になるためなら最後まであがいてみせる!」

 瞳に涙を集め、恐怖から必死に震える少女。そんな少女にフィードは近づき、肩に手をかけた。

 目を瞑り、今から起こることを想像して今にも吐き出しそうになる少女。嫌悪感が寒気に代わり、背筋をなでた。
 ビリッと両肩の布が破れる音がして、とうとう予想していることが起こったと確信する。ああ、今から自分はこの男に犯されるのだと。
 目を瞑ったまま、覚悟を決める。いっそのこと舌をかんで死んでしまいたい気持ちだったが、それは彼女の主であるゲードからの命令によって自害することは不可能になっていた。つまり、このまま慰みものになるしか道はなかった。

(くそ! こんな男に……)

 悔しさと悲しさから、とうとう涙が零れ出た。今までの辛い日々のことが走馬灯のように一気に脳裏を駆け巡る。

(そもそも、あのゲードに捕まったところから私の人生は終わったんだ。家族のいない私を捕まえて、無理やり奴隷として契約させられて、あれこれとこき使われて。
 殴られ、蹴られ、死にそうになるくらい空腹になるまで飯を抜かれて。あげくこんな男に捕まって。せっかく今回の仕事が上手くいったら自由になれるはずだったのに。なんで……なんでっ!)

 溢れる涙は止まることなく流れ出る。一瞬のことが永遠のようにも感じれて、閉ざされた視界の中、運命の時を今か、今かと苦痛と不安と共に待っていた。

 しかし、いつまで経ってもその時はこなかった……。

(……?)

 不思議に思い、薄っすらと目を開くと、少女の肩に刻まれた烙印をじっと見つめるフィードの姿がいた。

「な、なにをしてる。私を犯すならさっさとしろ!」

 虚勢を張り、今にも消えそうなほど小さな声でフィードに告げる少女。だが、フィードはそんな彼女の様子がおかしいのか笑っていた。

「何がおかしい! お前は私を慰み者にするためにわざわざこんなところに連れてきたのだろう? なぜ早く私に手を出さない!? それともお前のモノは不能なのか?」

 少女が口にするにはあまりに下品で、今のこの状況では相手の気分を逆なでするだけしかないのに、少女はフィードを罵倒した。しかし、フィードはそれに答えない。文句も言わない。ただ一言。

「なあ、お前は自分がいかにも不幸でこの世の地獄にいるとでも思っているだろうが、お前みたいなやつはこの世にごまんといるんだぜ。別に俺がお前より不幸だとか言うつもりもないが、どうせお前自分の主に自由と引き換えに陽動をやれとでもいわれたんだろ」

 フィードの的を得た発言に少女は何も言葉が出なかった。それは全て事実だったからだ。

「馬鹿だなあ。そんなに自由になりたかったら何でもっと頭を使わない。さっきも言ったと思うが、お前の主はお前のことを道具とくらいにしか思ってないんだぞ。自由にされる前に殺されるっていう考えがでなかったのか?」

 あまりにも遠慮のない言葉を投げかけるフィードに少女は眼光を鋭くし、怒りを全身で表した。

(お前に、お前になにがわかる! こんな辛い仕打ちも知らないで! 殺されるだって? そんなことくらいわかってた! でも、でも希望がない私はそれに縋るしかなかったんだ!)

 一度は止まりかけた涙も、またポロポロと地面に落ち始めてしまった。悔しかったのだ、これだけ無遠慮にものを言われることも、それがどうしようもない事実だったことも。

「くそっ! くそっ!」

 ただ、どうしようもなく、少女は泣き続けた。そんな彼女にフィードは容赦なく追い討ちをかける。

「どうして主を殺そうと思わなかった? そんなことすら思わなかったのか?」

 何を馬鹿なことを言うのかと少女は思った。そんなことは今まで幾千、幾万と考えた。しかし、一度でもそれを実行して失敗でもすれば殺されるのは自分だ。

「本当に自由になりたかったのなら、相手に媚へつらってでも、自分のプライドがどれだけボロボロになろうと、相手がほんの一瞬油断するくらいの信用を勝ち取るくらいしてみせろ。
 それだけで大抵のやつは殺せるんだ。それができなかったのはお前がそういったことをやる前から諦めてたってことだ。今こうなってるのも目の前にぶら下げられた自由って餌にだけしがみ付いて考えることを放棄していたお前が悪い」

「うるさい! うるさい! なんでお前にそんなこと言われなきゃならないんだ! うるさいんだよ、さっきから正論ばっかり並べやがって。そんなこと私だってわかってるよ、だからって正論が全部通るのが世の中じゃないだろうが! それだったらどうして私はこんなに苦しい思いをしなきゃいけないんだよ!」

 少女の悲痛な叫びをフィードはただ黙って聞いていた。

「私だって、私だってな! もっと自由に生きたいよ。でも、誰も助けてくれない、気づいてくれない。だったらどうやってもムリじゃないか! 私一人じゃ、どうあっても自由にはなれないんだよ!」

 口から出てくるのはおそらく今まで少女がずっと抱え続けていた心の闇。誰にも話せず、一人で血の涙を流し続けていたのだろう。

「なら、お前は私を助けてくれんのか? ムリだろそんなこと! 町にこんなことして、主に命じられたらすぐにでも死んじまう私をお前は助けてくれんのかよ!」

 小馬鹿にした笑みで、それでも涙は止まらず、少女はフィードを罵倒し続けた。しかし、とうとう出す言葉もなくなったのか、それとも疲れ果てたのか、少女は黙ってしまった。

「言いたいことは、それで全部か?」

 その言葉に少女はうなずく。後悔はしていない。死ぬ前に言いたいことは全て言い尽くした。

 フィードの右手が徐々に少女の顔に近づく。

(ああ、今度こそ本当に終わりだ……)

 再び瞼を閉じ、視界を閉ざす。ビクビクと怯えながら、立ちすくむ少女にとうとう衝撃が来た。

「イタッ!」

 しかし、それは予想していたものよりもはるかに小さく、たいして痛みのないものだった。

「馬鹿、お前みたいな餓鬼が人生悟ったようなこといってんじゃねーよ」

 目を開けた先には先ほどまで恐怖の対象であった青年はいなかった。

「今のは俺の金を盗んだ分の仕打ちだ。これだけで済ませてやるんだから感謝しろ。言っておくが町に与えた被害に関することを許しているわけじゃない。それは後々償わせるからな」

 未だにフィードが何を言っているのか理解できない少女は、ここに来る前のように呆けていた。

「んじゃ、まあお前を償わせるのは自由にしてからにするか」

 自由という言葉に少女が反応する。

「な、なに言ってんだお前! そんなことできるわけないだろ!」

 奴隷の契約は主の契約解除の承諾と魔術師による解除魔術があって始めて成立する。いくら凄腕の魔術師でも契約者の承諾がなければ烙印の解除はできないのだ。

「それができるっていったらどうする?」

 子供が親に得意なことを自慢するような、笑みを浮かべフィードが尋ねる。

「そ、そんなの。そんなの……」

 上手くいくわけない。そう思いながらも、少女の心は揺れていた。自由が手に入れられる。もしかしたら、嘘かもしれないのに、降って沸いた希望にどうしようもなく少女は揺さぶられるのだった。

「できるはずないって? いいか、俺はできる。それだけの経験も積んだ、屈辱も絶望も味わってきた。お前みたいに死にたいようなときもあった。でも、諦めずに前へと進んだ。人の助けもその中にあったし、自分で解決したこともあった。だからさ、諦めんな。そんな簡単にやること全部諦めてたらやれることもやれなくなるぜ」

 それだけを言ってフィードは詠唱を開始した。

「正しきもの、その存在を認めない。偽りをもって事をなし、偽りをもって騙し、救おう。
 この世界はかくあるべし。虚構こそが真実。真実こそが虚構。偽りの生成、その実を我に与えたまえ。

 ――フィクフォメーション――」

 詠唱の終了と共に何か巨大な力が少女の烙印に熱を持って集まった。痛みはある、だが同時に何か重いものが烙印から抜けていくのを感じた。

「これで終わり。お前はもう自由だ」

 あっさりと、あまりにもあっさりと自由という言葉を受け渡されて少女は戸惑った。嘘をついているのではないか? 自分を騙しているのではないかと。しかし、そんなことを目の前のこの男がする意味もなく、今はただ自由という言葉を信じるしかなかった。

「なんで、こんな風にして助けるんだ? お前さっきはあれだけ偉そうに私に説教してたじゃないか。頭を使え! 自分で成し遂げろって!」

「確かにそうは言ったが、あれはあくまで俺の自論だ。別にお前に強制するつもりもない。さっきのは、お前を見ていて昔の俺を見ているみたいで、むかついたから説教みたいになったところはあるけどな」

「じゃあ、なんで私を助けたか理由を言え! まさか助けてくれって頼んだからとかいうんじゃないだろうな!」

「ま、それも一つの理由ではあるけどな。言っておくけど今の呪文は烙印の契約解除をしたわけじゃない。解除一歩手前の状態にしてあるだけだ。契約を偽りの契約で誤魔化してお前の主人からの命令が届かないようにしているだけ。だから、本当に自由になりたいのならお前が主人に契約解除を申し付けるしかない」

「なっ!?」

「そのままでも本当に契約解除した状態と変わらないけどな。それでお前が納得するならそれでもいいが、そのままだと結局本当の意味での自由にはなれないぞ。実際に自由になったとしてもまずは償いをさせるところから始めるけど」

「そんなことが私は聞きたいんじゃない!」

「なんだよ? 別に助けてもらったんだからいいだろうが」

「そうだが、そうだが……」

「まあ、今の礼にお前の知っていることは全部話してもらうぞ。でないとその魔術の効果解除するぜ」

 脅しの言葉を口にするフィードだが、今の少女にとってそんなものはなんの意味もなかった。

(こいつは、こいつは私が今まで見た人間の中で一番の甘ちゃんで、お人よしだ!)

 少女が自分のことを裏切ると思っていないのだろう、さっきまでかけていた捕縛魔術はいつの間にか解かれていた。逃げようと思えば逃げられる。実際に逃げれば十中八九捕まえられるが、それでも逃げるという選択肢を用意してくれている。
 少女はしばらく黙りこくっていたが、やがて口を開き、

「わかった……お前に全部話す」

 しぶしぶといった様子でフィードに答えた。

「ん、了解。それじゃあ早いとこ話してもらおうか。時間が経つと不味い気がするからな。――っと、その前にお前の名前を聞いておこうか。名前も知らないと不便だからな」

 言いつつ少女の頭を撫でるフィード。それはいつも彼の傍にいる少女にしていることだ。背丈も年齢も近そうな少女が目の前にいたせいか、無意識に行ってしまったのだろう。

「……イオだ」

 その行動に少女は恥ずかしさからか、先ほどまでとは違った意味で視線を合わせられなくなり、そっぽを向いたままポツリポツリと話を始めた。

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

仇敵

 オレンジ色に染まり始めた空。その下を走る一つの影があった。速さは俊足。普通のものには一瞬で影が通り過ぎたとしたか捉えられない速さだろう。身体強化の魔術を使ったフィードが、先ほどの虚構魔術を使用した際に上書きした契約魔術の縁を辿って、ゲードたちの元に向かっているのだ。
 だが、その表情にいつもの陽気な笑みはなく、代わりにあるのは鋭く冷たい眼差し。深い悲しみと燃え盛る憎しみ。長い間抑えられていた、それをぶつけることができる喜びから口元は酷く歪んでいる。人を寄せ付けない気配を放ち、その様子はまるで鬼。

「やつが、ここにいる」

 待ち焦がれた仇敵との再会に心臓がドクンと激しく高鳴る。落ち着けと心の中で叫ぶもう一つの声は今の彼には届かない。脳裏に浮かぶのは昼間にあった炎など焚き火に感じられるほど広く、激しく燃え盛る炎の嵐。家を燃やし、地を燃やし、熱風が吹き荒れ、息も絶え絶えになるほどの炎。
 目の前で凄惨、残虐、悪趣味極まりない殺し方をされ、殺されてなお弄繰り回される知人、友人、家族を見せ付けられ、それでも死ぬことは許されなかった……かつて。
 己の無力さをかみ締めさせられ、下卑た笑いと共に去っていった仇敵。

『十二支徒』

 数年前、東の武の国ジャンを騒がせた犯罪者集団。個々の実力はまさに絶大。盗賊など生ぬるい。やつらは災厄。襲われたものはひとたまりもない。諦めるしかない。そういわれるほどの一団だった。
 村を焼き、町を襲い、人を殺し、金を奪い、辱め、実験し、死してなおその尊厳も奪われる。
 そんな一団にかつてフィードの村も襲われた。生き残ったのは彼一人。正確に言えば助けられらたのだ。よりにもよって、その十二支徒の一人に。
 当時の自分の無力さをかみ締め、歯軋りをする。魔力探知の結果からして距離はもうそう遠くない。相手も既にこちらが探知していることに気がついているだろう。そんなこともできない相手ではない。グリンの元にイオを連れて戻った際、自室から持ち出した愛剣をギュっと力強く握り締める。
 地を駆け、屋根に飛び移り、目的の場所まであと少し。そこでフィードは目的の場所から数十メートル単位で人払いの結界が張ってあることに気がついた。

(誘ってるってことか……舐めた真似を!)

 走る速度を上げ、目的の廃屋の屋根を突き破り、降り立つ。目の前には二人の男。その奥には身動きが取れないよう重りのついた鎖につながれた少年少女がいた。

「マス……ター?」

 その中には彼を慕っている少女の姿もあった。夜目の利くフィードは暗くてもアルがどんな様子だかわかった。頬は赤く腫れ、殴られたのだと一目で分かった。衣服は裂け、肩を震わせて怯えている。その様子を見て、ようやくフィードは心の声に耳を傾けた。

「心配するな、アル。もうちょっと待ってな、すぐに自由にしてやるから」

 笑顔を向けるが、身体からあふれ出るのは激しい殺気。それに気がついたのか、ゲードが声をあげた。

「おいおい、いきなり上から落ちてくるなんて常識知らずにもほどがねえか? よほど教養が悪いみたいだな、お前」

 戦での前口上のように挑発するゲード。

「お前らみたいに子供を使って裏でコソコソと動くような卑怯者に、教養がどうだとか説教を受けたくないな」

 言葉ではゲードの相手をしているフィードだが、その視線は奥にいるフードをかぶった男へとずっと向けられている。そのことにゲードも気がついたのか、

「おい、こいつお前の知り合いか? そうだとしたらずいぶんと無粋なやつじゃねーか」

 ゲードは肩をすくめて男に問いかける。

「知り合いといえば知り合いですかね。ただし、お互いに命を賭けあうやり取りをする知り合いですが。こんなところまで追いかけてくるなんて困ったものです。しばらくおとなしくしていたと思っていたんですがね」

 それまで黙っていた男がようやく口を開いた。しかし、口から出るのは皮肉ばかりで、フィードに気おされた様子は微塵もない。

「黙れ。おとなしくしていたのはお前たちのほうじゃないのか? 今まで派手に活動していたくせに一体どういう風の吹き回しだ」

「どうもこうも……。私たちのメンバーをこの数年で半数近く殺した相手がうろうろしているんですよ。派手に動いて居場所を知られるのはちょっとマズイじゃないですか。
 といっても私たちが集まって行動するなんてことはめったにないので、他の人がどのような考えでおとなしくしているかは私には図りかねますが……」

「ほう。十二支徒ともあろうものがずいぶんと謙虚な物言いじゃねーか。そんなに自分の命が惜しいのか?」

 十二支徒という名称をフィードが告げると、相手の素性を知らなかったのか、ゲードが目を見開き驚いた。

「こいつはたまげた。ログ、お前さん悪名轟くあの十二支徒の一員だったのか!」

 ログと呼ばれた男に向けるゲードの眼差しに恐怖などなく、そこにはただ羨望と尊敬の念があるのみだった。犯罪を犯すものからすれば、国の力すら寄せ付けない十二支徒は犯罪者たちの畏敬の象徴の一つといえるのだ。

「ええ、そうですよ。言っていませんでしたか?」

「ああ、そんなことを聞いたのは初めてだ。あんたがそんな大物だと分かっていたらもっと派手なことをやったもんだ。こんな奴隷商人みたいなみみっちい事なんてやらず、俺を裏切ったフラムの騎士団に復讐をしてやったのに……」

「おや、物騒なことを言いますね。大体そんな派手なことをしてしまったらフラムの全騎士隊を敵に回してしまうではありませんか。やるならもっと地味なところ、そうですね……騎士団の家族を殺すところから始めないと」

 声を殺して笑い声をあげるログにフィードはとうとう我慢の限界がきたのか、

「もう喋るな。お前たちの声を聞いているだけで腸が煮えくり返る」

 鞘から剣を抜き出し、構える。

「――死ね」

 身体強化の魔術によってあがった異常なまでの速度で一気に相手との距離をつめる。だが、そのままあっさりとやられてくれるほど相手も馬鹿ではない。すぐさまフィードの動きに反応し、左右に分かれる。
 すぐさまフィードは十二支徒のログを追撃した。

「おやおや、そんなに私と戦いたいのですか? 困ったものですね」

 飄々とし、余裕を保ちながら、ログは廃屋の外に出た。障害物のない通りで、二人は互いに魔術の詠唱を始める。

「風よ、微細な力の塊を集め、固め、極限まで鋭く鍛えよ。
 その速さとともに敵を切り裂け――ウインドスラスト――」

「大気を漂う数多の液体。その欠片を集め、我に与えたまえ――アクア――」

 風の魔術を詠唱するのはログ。対して水の魔術を詠唱したのがフィード。詠唱の速度は互いに同じ。だが、高位の術を詠唱しているログが初歩魔術を詠唱しているフィードと速度が同じということは、魔術の分はログにあるといえる。

 幾つもの魔力光を帯びた風の刃と水球が両者の周りに漂う。

「さて、あっけなく死ぬなんて結果だけは勘弁してくださいよ」

 そう言って先に動いたのはログだった。空中に漂う風の刃の一つをフィードの首目掛けて解き放つ。

(チィッ! いきなり致命傷狙いかよ)

 とっさに風の刃を避けるが、刃は追尾してきた。おそらく、ログが操作しているのだろう。

「――ッ! アクア!」

 フィードは叫び、宙に漂う幾つかの水球を固め、一つの大きな水球にし、それを縦に伸ばして風の刃にぶつけた。ぶつかり合う水球と風の刃。対消滅した二つの魔術を見て、「ほう」とログが呟く。

「やりますね。普通ならあれだけで首が飛んで終わるんですが。どうやら、他のメンバーをあなた一人で殺したというのも、あながち嘘でもなさそうだ」

 そう言うと、ログは次々に風の刃をフィードに放った。今度は一撃必殺を狙ったものでなく、少しでもいいからダメージを与えるという目的だ。だが、フィードは自分の周りに大きな水の膜を作り出し、風の刃の勢いを吸収した。

「モノは使いようですか。なかなかどうして魔術の扱いに長けています」

 新たな詠唱を始めようとするログに隙を与えまいと、フィードは張ってあった膜を再び水球に戻し、それを投げつけた。大量の水球が勢いよくログへと向かう。詠唱を中断するが、迫り来る脅威に慌てるわけでもなく、易々と水球の束を避ける。

「困りましたね。これは私一人ではキツイかもしれません。なので、他の者の手を借りることにしましょうか」

 ログの視線の先にあるものに気づきフィードはとっさに身を捩る。いつの間にか背後にフィードの身の丈ほどはありそうな両手剣を持ったゲードの姿があった。殺気を抑えて近づいたのだろう、一瞬反応が遅れたフィードはゲードの一撃を避けそこね、切られた左腕から薄っすらと血が滲み出した。

(マズイな、二対一か。ログはともかく、ゲードとかいうやつ。たいした相手じゃないと高をくくっていたが、思った以上に腕が立つ。長期戦はマズイ。早めに片をつけないと)

 フィードは負傷していない右手で剣を構え、次の一手を打った。標的をログからゲードに変え、剣を打ち込む。ぶつかり合う剣と剣。手数で攻めるフィードに対し、一撃必殺のゲード。どっしりとした構えで、すばやく、あらゆる方向から切りつけるフィードの剣撃に対応する。そして、連撃の隙を見ては強力な一撃を放ってくる。

「なかなかやるな! 騎士団で副隊長を務めてた俺相手にこうも切りあえるとは」

「今はただの犯罪者じゃねーか。過去の栄光を偉そうに誇るんじゃねえ!」

 嬉しそうに剣を交えるゲードに皮肉を返すフィードだが、内心はかなり焦っていた。騎士団で副隊長を務めていたと豪語するだけはある力量を目の前の男が持っていたからだ。これではますます長期戦に持ち込むことができない。どちらか一方の腕が悪ければ、そちらを片付けてもう一方の相手をすぐにできるのだが、こうなってしまってはそうもいかない。

「そら、相手は一人じゃありませんよ。サポートしますよゲード」

 ログが詠唱を開始する。

「速さを、効率を求め、より単純、より俊敏に――インプロスピード――」

 詠唱を終えると、先ほどまでフィードのスピードに遅れていたゲードが同じ速さで打ち合うようになってきた。より隙のなくなった相手にフィードは内心舌打ちをする。

(くそっ! ただでさえ打ち込む隙がないのに、スピードまで追いつかれたらますます攻めづらくなるだろうが)

 そんなフィードの考える時間すらも奪おうとゲードが速くなったスピードで攻めにまわる。

「おお! これは身体が軽い。ほらほら、さっきまでの勢いはどこにいった? それとも威勢がいいのは口だけだったか? ここまで来ておいてそりゃないぜ、小僧」

 防戦一方。さっきまでとは打って変わって守りにまわってしまったフィードはどうにか隙を見つけようとするが、二対一のせいか、迂闊に身を削って攻めることもできない。

(どうする、このままじゃジリ貧だ。いずれ致命傷を負う)

 わかっていながら、どうしても相手の連撃を防ぐことに意識がいってしまう。

(どうすれば……)

 追い詰められたフィードの脳裏にかつて告げられた言葉が浮かび上がる。

『いいか、お前は弱い。絶対的に弱い。そんなお前が自分よりも強い相手を相手にするときに効果的なことを教えてやる。それは相手が思いもかけないことをすることだ。といっても勝算があることをしろよ、投げやりになっても意味がないからな。
 これは自分が強くなって自分よりも弱い相手を相手にするときにも有効だ。だから、自分が弱いときから実践して後になっても戦術の一つとして使えるようにしておけ。わかったか!?』

 一つの考えが頭に浮かび、フィードはすぐさまそれを実行した。鍔迫り合いの際、わずかに身体を傾け、血のにじんだ左腕をゲードの身体に重なるように合わせる。それが、ゲードには隙に見えたのだろう、両手剣に今まで以上に力を込め、一気に押し込もうとする。

「もらったあぁぁ!」

 その一瞬の機会をフィードは見逃さなかった。

「血よ、身体から流れ出た我が一部よ、その身を凝固し、敵を貫け!――ブラッディーニードル――」

 詠唱を終えると、フィードの左腕から流れ出る血が細い針のように鋭く伸び、ゲードの身体に突き刺さる。細く、薄いそれは痛みこそあれど、損傷はそれほどない。しかし、攻め立てる中で一瞬でも痛みに悶えてしまったゲードにとってその一瞬の隙は致命的だった。

「終わりだ!」

 フィードは鍔迫り合いを解き、ゲードの背後に回り、首元に魔術で強化された肘打ちを思い切り叩き込んだ。

「――かッ」

 その一撃で昏倒するゲード。フィードは倒れた相手に一瞥すると、

「次は……お前だ」

 ログの方へと向き直り、鋭い殺気をぶつけた。

「おお、怖い怖い。このままあなたの相手をしてあげてもいいんですが、どうもこの国のお偉方に気づかれたみたいですね。あなたが後先考えず強大な魔力と殺気を振りまくからですよ」

「御託はいい。それに俺はお前を逃がすつもりもない。お前の言うお偉方が気づこうが関係ない。俺はお前を殺せればそれでいい」

「後先を考えない馬鹿はこれだから……。そうですね、ならあなたの言葉が本当なのかどうか試させていただきましょうか。私は勝算のない戦いはしない主義ですので」

「風よ、微細な力の塊を集め、固め、極限まで鋭く鍛えよ。
 ――詠唱省略―― ――ウインドスラスト――」

 言うや否やログは再び幾つもの風の刃を宙に漂わせた。しかし、簡易で作ったせいか、先ほどに比べるとその数は少ない。

「チッ! 大気を漂う数多の液体。その欠片を集め、我に与えたまえ――アクア――」

 先ほどと同じように数多の水球を作り出すフィード。

「では、見せてもらいますよ。あなたの選択を」

 ログの言葉と共に風の刃が一気に解き放たれる。

「甘いんだよ! 同じ手が通じると思ってるのか!?」

 フィードも同じように水球をぶつけようとするが、風の刃の対象がフィードではないと気づく。

(このままだと、これは俺に当たらない。何が狙いだ? 時間稼ぎのつもりか?)

 と、そこまで考えてフィードの背後にアルたちがいる建物があることに気がついた。

「――ッ。これが狙いか!」

 フィードはすぐさま水球を集め、建物へ向かう風の刃を防ぐ壁とした。だが、風の刃の半数はそこから軌道を変え、フィードの元へと向かう。

(水球を戻す暇がない。くそっ!)

 迫り来る風の刃を向上した身体能力でどうにか避けるフィード。地面や建物に避けた風の刃が次々とぶつかり、目も眩む砂埃を巻き上げる。

「今回は中々楽しい戦いでしたよ。いずれまた命を賭けた戦いができるといいですね」

 ログの言葉が聞こえたと思うと、一瞬にしてその気配が消えた。

「ふざけるな! 逃げるのか、十二支徒のお前が! 待て、待ちやがれ!」

 砂埃が止み、視界が開けるが、そこにログの姿はなく、フィードによって昏倒され、風の刃によって起こった衝撃によって地面を転がったゲードの姿があるのみだった。

「ちくしょう……」

 悔しさをかみ締め、それでもログがいた場所の先をフィードは睨み続けた。



 フィードは捕縛魔術でゲードを縛り、建物の外に置くと、アルや捕らわれた少年少女が待つ建物の中に入った。

「……マスター?」

「もう大丈夫だ、アル。これでみんな自由だぞ」

 そう言ってフィードは風の魔術で捕まっている皆の鎖を切った。

「あとは、騎士団とかに任せることになる。これだけ大事になってればこの国の騎士団といえど怠けていられないだろうからな」

 安心させようとなるべく優しく話しかけるフィード。そして、アルの元へと近づこうとしたとき、それは起こった。

 ビクッ!

 フィードが一歩を踏み出した瞬間、アル以外の少年少女たちが身体を震わせたのだ。

「怖い、怖いよ……」

 それはフィードがログやゲードの仲間という意味ではないとわかっていての言葉だった。少年たちからすれば圧倒的な力を持っていたゲードやログに変わって現れたフィードはいくら彼らと違う優しい言葉を投げかけても、より強い力を持った恐怖の対象としかなりえなかったのだ。そんな、周りの様子に戸惑い、おろおろとするアル。

「……」

 フィードは困ったような笑みを浮かべ、頭を掻き、

「ちょっと待ってろよ、今から町長に報告して騎士団を呼んでもらうからな。それまでここには結界を張っておいて誰も寄せ付けないようにしておくから、お前たちも動くんじゃねーぞ」

 そのまま後ろを振り向き、入り口に向かって歩き始めた。
 アルはそんなフィードの背を眺めていたが、何故かフィードが遠くに行ってしまうような予感がして立ち上がり、フィードの元へと駆け出した。そして、まさに入り口を出ようとしたフィードの腰に抱きついた。

「一人で行っちゃ駄目です。私も付いていきます!」

 必死にフィードにしがみ付いて離そうとしないアルに、フィードは戸惑ったが、やがてその目に浮かぶ決意の強い光に根負けし、

「わかった、わかった。アルも一緒に行くか」

 と、アルの同行を許可したのだった。安心したのか、アルはフィードから離れ、その隣に並び立った。

(一瞬、マスターがどこかに行ってしまいそうな気がしました。それに、みんなが怖いって言ってた時のマスターはとても悲しそうでした。なら、せめて私だけでもマスターの傍にいて、笑顔でいてくれるように努力します。
 今回は失敗してしまいましたし、マスターについて全然知らない私ですけど、それでもマスターの役に立てるようになれば……きっと)

「ん? どうした、アル? ほら、行くぞ」

 フィードの役に立とうと考えてる最中、声をかけられたせいか、アルは驚き、つい思ってもないことを口にしてしまう。

「マスターは駄目駄目マスターですね。私がしっかりしないと」

 そんなアルにフィードは苦笑し、

「んな事言うなって。お前の面倒見てるの俺なんだから」

 と、返事をし、二人は町長の元へと向かって歩き出した。

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

訪れた平穏

 町長の元に向かい、今まで下町に起こっていたこと、そしてその裏で何が起こっていたかをフィードたちが話し、騎士団が下町へ派遣されてから約一日が経った。
 十二支徒が今回の事件にかかわっているとあって、普段はいない大勢の騎士が真面目に下町の警護に付いているのを、当の下町の住人はあまりに見慣れない光景に驚いていた。それでも、町長が事情を説明したことで、どうにか納得しているのか、じろじろと騎士団員を遠巻きに眺めては、ようやく戻った穏やかな生活を過ごしていた。
 そして、結果だけいえば、フィードが話した十二支徒の件は騎士団が解決したという形で落ち着くことになった。話を聞いたクルスやグリンなどはこのことに激怒していたが、フィード自身はそれでいいと納得している。
 仮に、フィードがこの件を解決した当人として名乗りを上げたとすると、下町の人々は歓喜するが、中階層、上階層の人々がこの国の騎士団たちの力に疑問を持ち、いらぬ問題を引き起こしてしまう可能性がある。
 それに、十二支徒をたった一人で撃退し、浮浪児を奴隷として売りさばこうとしていたフラムの元騎士団副隊長を捕縛したとあっては、まさに一騎当千。
 そんな力が下町にあるというだけでも、いつ反乱が起こっても仕方がないと思うような人も出てくるはずなのだ。それは、身分が高く、権力に捕らわれているものであれば、より顕著に現れてしまう。
 だからこそ、下町での火事を止め、盗賊を捕まえたのをフィードとし、その裏で暗躍していた十二支徒たちを撃退したのは騎士団であったということにすることで話は着いた。
 しかし、悲しいことに昔から人の口に戸は立てられないという。真実はさまざまな尾ひれがつきながら広まり、フィードの名は結局セントール中に湾曲しつつも広まることになった。

「はぁ……。まったく、何でこんなことになったのやら」

 レオードの酒場で酒を口に運びながら、フィードはため息をついた。カウンターでのんびりと酒を飲む彼の周りには既に酔いつぶれた下町の人々の山が積み重なっていた。

「そんなこというなってフィード! いやあ、俺は今回のお前の出来事で実に晴れやかな気分だ。見たか、あの騎士団の連中の顔! 
 俺たちに出し抜かれたのが悔しいのか、自分たちが何もしなかった自覚があるからか、どれだけ文句言っても何も言い返さないんだぜ。日ごろの鬱憤を晴らすいい機会だ。ざまあみやがれ、くそったれども!」

 かなり酔いがまわっているのか、フィードの傍に来たクルスは陽気な様子で語る。

「わかった、わかったからクルス。お前も、もう山のように積み重なっているやつらの仲間入りして来い。いいか、言っておくがその話はこれで五回目だ! 
 お前が騎士団に対してどれだけ不満が溜まっていたかはもうわかったから、これ以上うっとうしい絡みを俺にするんじゃねえ!」

 肩に腕をまわすクルスの腕を解き、フィードは文句を言う。

「おっ? そうか、そうか。お前は今日の主賓だもんな。他のやつらに話を聞かせないといけねーよな。おーい、みんな! フィードが十二支徒を追い払ったときの話を聞かせてくれるってよ!」

 その言葉に少ないながらも酒場にいて、まだ意識のある数名が「おおっ!」と返事をする。おそらく、彼らもクルスが何を言っているかなどもう理解できていないが、とりあえず返事をしただけであろう。

「本当に、どうしてこうなった……」

 その光景を見てフィードは思わず頭を抱えた。そもそも、何故こんなことになったかといえば、今朝フィードたちの元に来た騎士団が事情を聞き、今回の件の手柄を譲ってもらえないかと提案し、それをフィードが承諾したことから始まった。
 町長の家で話をしていたフィードはその話をクルスに聞かれ、宿に帰ってグリンに改めて事情を説明していたところ、

『あいつらふざけやがって! フィード、今日は飲むぞ! 下町のやつら呼んでオッサンの酒場に集合だ。金の心配はするな。今日は親父の金庫からかっぱらってきた金で飲み明かすぞ!』

 と言って、仲のよい下町の若者や、酒場の常連をクルスが呼んで来たせいである。結局フィードも無理やり酒場に連れて行かれ、こうして主賓という体のいい飲みの目的として使われて散々酒を飲まされることになった。
 とはいっても、フィードはアルコールがほとんど回らない体質なので、他のものが次々と脱落しているのを呆れながら眺めて、ちまちまと一人で酒を飲んでいるのだった。

「まあまあ。そんな文句ばっかたれんじゃねえよ。いいことじゃねえか、下町がこんなに活気に満ちるのは久しぶりなんだぜ」

 カウンター越しにレオードがフィードに話しかける。他の客から散々酒を飲ませられたためか、彼の顔も薄っすらと赤みを帯びている。

「いいのか、オッサン。酒場の店主が仕事放って酒ばっか飲んでて」

「ばかやろう! こういうもんはな、時と場合によって臨機応変に対応するのが酒場の店主ってもんだ。今日なんかどうせ仕事にならねえ。片付けはこいつらが起きたあとにやらせればいい。そうなると俺の仕事は客から貰った酒を飲むだけってことになる」

 酔いが回っての冗談なのか、それとも本気でそう思っているのかわからないフィードはただ一言、

「ひでー店主だ。そのうちこの店も潰れるな」

 と呟くのだった。



 一方その頃、グリンの酒場ではアルが帰りの遅い主を待っていた。

「遅いです。夕方には帰ってくるといっていたのに、マスターまた約束を破りましたね。もう夜ですよ。どうせ酔っ払って寝こけてるに違いないです。そうだとすれば、そろそろ迎えに行かないといけませんね」

 と、ぶつぶつと独り言を呟き、その様子をグリンが微笑ましく見守っていた。

「アルちゃん。その台詞もうこの一時間の間で三度目よ。そんなに心配なら様子を見に行くだけ行って来たら?」

 グリンとしても今の言葉の後半部分を言うのも 三度目なのでもうこれ以上は言わないと決めているのだが、そんなグリンの言葉にアルは、何故か過剰に反応し、

「いえ! 別に私はマスターのことが気になっているわけではありません。そもそもマスターは人様に迷惑かけてばかりいるんです。この前の硬貨袋の件もそうです。緊張感が足りません!」

「いや、それは私が悪かったんだけどさ」

 そう言って、アルのすぐ傍から答えるのは、短めの黒髪に、茶色の瞳をし、アルの服の余りとグリンから貰ったエプロンを身につけている少女、イオだった。

「そうです! そもそもあなたがあんなことをしなければ……。というか何故あなたはさも当然のようにここにいるのですか!」

 アルの糾弾にイオは頬を掻き、苦笑いを浮かべながら、

「いや、だってね。私にはあんたの主、フィードに恩が有るし。かと言って恩を返そうにも、あたしには家も働き場所もなかった。さて、どうしたものかと思ったところを、そこにいるグリンさんが住み込みで働いてみないかって提案してくれたからさ……」

 結果だけいえば、昨夜フィードが町長に騎士団の要請をしたあと、グリンの宿にゲードを連れてきたことによってイオは奴隷から解放されたのだ。

『ほら、お前へのプレゼント。煮るなり、焼くなり、刺すなり、ある程度は好きにしろ。ただし殺すなよ。こいつ騎士団に引き渡すんだから』

 そう言ってイオの前にフィードはゲードを差し出した。捕縛魔術で抑えられたゲードは今まで散々こき使ってきたイオを目の前にしてひどく怯えた。

『頼む、命だけは。命だけは助けてくれ!』

 ゲードを許すつもりはなかったが、あれだけ威張っていたものがここまで情けない姿を見せると、今までの仕返しとして凄惨な目に合わせるのも馬鹿らしくなってしまい、イオは結局蔑んだ目でゲードを見下し、その鼻っ面に一発だけ思いっきり蹴りをかまして、

『さっさと私の烙印の契約を解除しな。……言っておくけどもうあんたの命令は届かないようになってるからな!』

 と脅迫に近い契約解除を申請した。烙印と聞いて一瞬だけゲードの表情に余裕が戻ったが、イオから命令が届かないと宣告され一気に青ざめてしまった。おそらく、烙印に命じて自分を助けるように命令するつもりだったのだろう。
 このあと、ゲードの契約解除によってイオの烙印は消え、イオは晴れて自由の身となった。それは、他の少年少女たちも同じで、彼らもまた、浮浪児であったため今後の生活先などは騎士団がバックアップとなり働き場所を提供することを約束したのである。

「は~あ。それにしてもフィードってホントお人よしだよね、こんな金にも得にもならないようなことやってさ」

「なっ! それはマスターのことを馬鹿にしてるのですか? まあ、おおむね私も同意見なのであまり言うこともありませんが……」

「いや、でもさ。そのお人よしのところがまたいいって言うかさ。あ~ヤバイ。私あの人に惚れちゃったかも」

 頬を赤く染めてボソリと呟くイオに、アルは、

「な、な、なっ! そんな、マスターなんかに惚れてもいいことなんてありませんよ! お人よしですし、お金にならない仕事ばかりしますし、人のことを平気で数日放ってどこか遠出にでかけますし……」

「じゃあ、なんであんたはフィードと一緒にいるのさ?」

「それは……。私はマスターの奴隷ですし。そう、奴隷! だからマスターの傍を離れるわけには行かないのです。マスターの傍にいるのは私だけで十分です。他の人の手は借りません!」

「ふうん。あのフィードが奴隷を取るなんて思わないけどなー。どうせ、名目上の奴隷ってだけで命令とか一度もしてないんじゃないの?」

 元奴隷で、フィードの奴隷に対しての接し方や、実際に助けてもらった経験からイオはアルの矛盾に斬り込んだ。

「そ、そんなことはないですよ?」

 この手のやり取りに慣れていないアルはすぐにボロが出た。というより、さっきから目がずっと泳いでいた。

「どうだか。まあ、奴隷なら別に主と他の女が何してようと文句なんて言わないよね? だって主に逆らうなんて奴隷じゃないもんね~」

 クスクスと口元を抑えて笑いを堪えながらイオが呟く。

「それは普通の奴隷と主人の話です! 私の場合は駄目なマスターに代わって私がしっかりとマスターの面倒を義務があります。それは性悪な女をマスターに近づけないということも含まれます」

「ホント、減らず口の多いやつね。私あんたのこと嫌いだわ」

「奇遇ですね、私もあなたのことが嫌いです」

 バチバチと火花を散らせながら視線を交わらせる二人。そんな二人を眺めて、グリンは「あら、フィードさんも罪な男ね」とこの状況を楽しみながら独り言を呟くのだった。

 結局二人の言い争いは、その後フィードが宿に帰ってくるまで続くのだった。

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二章「フラムの女騎士」 夜半の知らせ

『どうしてですか? どうしてわたしにそんなことを言うのですか!』

 広々とした荒野には青年と少女の姿だけがある。何が起こってもいいように青年が人払いの結界を張り、人を寄せ付けないようにしたのだ。

『わかってくれ。これがお前にとって一番いい選択なんだよ』

 苦しそうに顔を歪めながら、言葉を吐き出していく青年。だが、少女はその言葉を受け入れるわけには行かなかった。

『ずっと、これまでずっとあなたの傍にいました。確かに最初は足手まといで、あなたは口に出しませんでしたけど、本当は邪魔な存在だったかもしれません。
 でも、今は魔術も覚えました。剣技も、知識も磨きました。それでも駄目なのですか? あなたの傍にいてはいけないのですか?』

 少女の悲痛な叫びに青年はただ、黙って目を逸らすしかなかった。

『だから、駄目なんだよ……。それだけの才能が有るから……』

 少女には決して聞こえないよう青年は呟く。

『本当に、駄目……なんですか?』

 再三の少女の懇願にも青年は首を振って拒絶の態度を貫き通した。

『ああ、駄目だ。お前は俺みたいなやつの傍にいちゃ駄目なんだ』

 お互いの意見はとうとう妥協点を見つけることなくすれ違ったまま終わった。

『そう、ですか。なら、わたしと勝負してください。わたしが勝てば、あなたの意見は認めません』

 腰に下げていた片手剣を鞘から抜き放ち、少女は青年に向かって構える。手を一切抜かない戦闘態勢に入った証拠に殺気が青年の肌を突き刺した。

『ああ、わかった。だが、俺が勝ったら無理やりにでもお前をフラムへ連れて行く』

 そう言って青年も剣を抜き放ち、少女に向かって構える。
 静寂が場を支配した。お互いに剣を構えたまま、最初の一撃を決めるため、相手の隙を窺っている。両者動かずそのまま時が流れると思われた中、先に動いたのは少女のほうだった。

『ハアァァッ!』

 少女は鍛えあげた脚力で一気に青年との距離をつめ、上段から剣を振り下ろした。青年はそれに合わせるように中段から剣を振り抜いた。

『悪い……リーネ』

 剣と剣がぶつかり合う寸前、青年がそう呟くのを少女は確かに聞いた……。



「あ、ああああああああああああっ!」

 夢を見ていた。懐かしいというにはまだ早い、苦い思い出の夢。一年ほど前、フラム近くの荒野で『彼』と戦い、そして敗れた記憶。

「くそっ! またこんな夢を」

 身体をびっしょりと濡らしている汗を室内に置いてあったタオルで濡らし、ふき取る。ひんやりと冷たい感触が荒れていた心を落ち着けた。

「どうして、また今になって。せっかくここ最近は見ないようになったのに……」

 今現在自分がいる部屋を見渡してリオーネは呟く。
 広い、というにはそこまでの広さはないが、人一人が暮らす分にはなに一つ不自由しない部屋である。雑務をこなすための机や、休眠を取るためのベッド、そして女性ということからか配慮されておかれている浴室。改めてみてみると十分以上といえるであろう待遇がなされている部屋だった。
 だが、それもリオーネの肩書きであるフラム騎士団第九隊副隊長という身分を考えれば当然のことかもしれない。他国にまでその名声が届くフラムの騎士団で腕の立つ女、それも副隊長という階級なのだ。個室が与えられて当然だ。
 当然、他の隊も副隊長から個室が与えられるので、格別リオーネが特別なわけではない。
 夢見の悪さから、すっかり目が覚めてしまったリオーネはいつもの服装に着替える。それは、本来騎士が着るような軽量の鎧姿ですらなく、足にまで届きそうな長めのロングコートにズボンという、騎士であるといっても信じてもらえないような服装だった。
 しかし、彼女にはその服装で行動することが認められており、実際これまでの功績もこの服装で打ち立ててきた。身体強化魔術が使え、実力のある彼女にとって鎧は逆に自分の行動を遅らせることになる重石でしかないのだ。
 彼女のほかにも鎧を使わないでいる騎士団員はいるが、ほとんどのものは礼儀として普段は着用している。だが、彼女にとってはこれが長年の経験から身体に染み付いた一番いい戦闘スタイルで、普段着としても使えるため、普段からほとんどこの格好で行動している。
 少しは落ち着いたリオーネだったが、どうにも眠気が覚めてしまったため、夜風に当たろうと部屋を出て騎士団の宿舎を歩くことにした。
 見張りのため巡回する騎士に挨拶を交わし、中庭に辿りつく。冷たい夜風に当たりながら、晴れた夜空を見上げ、煌びやかに輝く星を眺める。

「おや、こんなところで一人で何をしているんですか?」

 声をかけられたことに一瞬気づかず、視線を上から声のした先に向けると、そこには柔和な笑みを浮かべた中年男性が立っていた。年のせいか、限界まで鍛え上げていた筋肉は少し衰えの兆しを見せ、それでもまだ力強い体格を保っている。暗闇では少し目立つ金色の髪も所々色素が抜け始め白く染まっている。たれている緑眼は人のよさそうな相手だなと思わせる要因の一つだ。

「いえ、少し眠れなくて……。隊長こそどうして?」

 隊長と呼ばれるのは、リオーネの所属する第九隊隊長、グラードのことである。

「僕の場合は少しエルロイドくんと話をしていましてね。それで今彼の部屋から戻ってきたところなんですよ」

 疲れているのか、力なく笑うグラード。鎧を着ていなければ、彼を見て騎士団の一隊長だと思う人より、無駄に身体を鍛えた農夫だと言われて納得する人のほうがきっと多いだろう。

「エルロイドさんと、一体どんな話を?」

 どうせ眠れないのだ。情報を共有する面でも暇を潰すという面でも都合がいいと思ったリオーネは問いかけた。

「いえ、恥ずかしい話なんですが僕の隊の元副隊長。君の前任だった人なんですが、その人がセントールで事件を起こしてしまいまして。しかもよりにもよって十二支徒と手を組んで」

 十二支徒という単語にズキリと胸の奥が一瞬痛んだ。それは『彼』を辿る道標の一つだったからだ。

(我ながら未練がましいな……)

 もう忘れたはずだと思考を切り替えてグラードに話の続きを促す。

「それでですね、事件自体は向こうの騎士が解決して事なきを得たのですが、元とはいえ我々フラム騎士団の隊員だったものがそんな犯罪を起こしたとなれば市民の信用は一気になくなってしまいます。
 もちろん、この話は公表されますが、市民の信用回復、それとセントールの人々の悪印象を払拭するためにも、騎士隊から一隊を選んでセントールへと派遣しようという話を持ち出されたんですよ」

「なるほど、では選ばれた隊はセントールに滞在し、人々の助けとなり、失われた信用を回復、そしてフラムへの印象をよりよくしようというのですね」

 リオーネの返答にグラードは満面の笑みになった。

「正解です。それで、不始末を起こしたの元隊員がうちの隊だったということもあって、真っ先に僕に話が来たんですよ」

「わかりました。それで、隊長はその話をもうお引き受けになったのですか?」

「いえ、まだですよ。副隊長である君に話を通しておこうと思いまして。明朝には他の隊にもこの話が伝わると思うので、できれば早めに伝えておきたかったんですよ。いや~起きていてくれて助かりました」

 あまりに楽しそうにグラードが話しをすることをリオーネは不思議に思い、

「なぜ、そんなに楽しそうに話をするのですか? 元隊員のしたことですが、我が隊の信用が一番なくなってしまったのですよ?」

 と尋ねた。しかし、グラードはそんなことはまるで気にした様子もなく、

「信用だなんて。大変ですけれどあとからいくらでも取り戻すことができますよ。そんなことよりもっと重要なことがあるんですよ」

 言っている意味が分からず、リオーネは首を傾げた。

「これはセントールで噂になっていることなのですがね、実は今回の事件を解決したのは騎士たちではなく一人の青年だという噂が流れているらしいんですよ」

 それまで殆ど雑務として淡々と話を聞いていたリオーネの目の色がその一言で変わった。それを見て更に満足そうな笑みを浮かべて話を続けるグラード。

「どうも、その青年はここ数ヶ月セントールに滞在しているみたいで、名前はええと、何だったかな。フ、フィー?」

「フィード……ですか?」

「そうそう、そんな名前だったかな。いや~たった一人で十二支徒とフラムの元副隊長を相手にするなんて、それこそあの『復讐鬼』でもないとできませんよね。
 まあ、噂に色々と尾ひれが付いているのでどこまでが真実なのかはわかりませんが……」

 この時既にリオーネの耳にグラードの言葉は入っていなかった。彼女の頭にあるのは、ただ今まで分からなかった『彼』の居場所が分かったということ、そしてそこに自分が行く機会があるということだけだった。

(『彼』が、いる。ようやく、ようやく見つけたっ!)

 心は喜びと怒り、憎しみ。それらが入り混じりドロドロとしたものでかき乱されていた。

「それでですね、僕は一応隊長なのでそう軽々とフラムを離れるわけにも行きませんし、いざ派遣するとなると副隊長を中心として派遣することになるのですよ。といっても、この話はまだ僕のところにしか来ていませんけどね。
 でも、明日になれば他の隊が派遣の希望を申し入れるかもしれません。自分たちの隊の信用を高めることにもなりますし、他国へのいい宣伝にもなりますからね。でも、今ならまだ誰も知りません。エルロイドくんも、まだ起きているでしょう。
 それで、どうします? 隊長はここを離れられないので副隊長の君に決めてもらおうと思うのですが」

 問いかけるグラードに、リオーネは一瞬も迷うこともなく答えた。

「はい! 我が隊が派遣の要請を承ります。元隊員の犯した不始末は我が隊の働きによって払拭して見せます」

 その答えに、グラードは今迄で一番の笑みを浮かべるのだった。

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二人の看板娘

 下町での騒ぎから早くも一ヶ月の時が過ぎようとしていた。十二支徒の出現と、その撃退。普段は下町の役に立たない騎士団が真面目に下町の警護に勤しんでいる姿を最初は物珍しげに誰もが見ていたが、一週間も経てばそれが普通だと慣れてしまった。
 最初は十二支徒がまだ消えていないのではないかとの緊張感もあり、張り詰めた空気が漂っていたが、それもまた時間の経過と共に少しずつ消えていき、穏やかな毎日がただ過ぎていくだけだった。
 それはフィードとアルにも当てはまることであり、

「アル。今日はちょっと中階層の方に行くけれど、お前も一緒に行くか?」

 起床し、着替えを終えたフィードが同じく着替えを終えたアルに問いかけた。

「すみません、マスターのせっかくの誘いなのですが、今日もグリンさんの手伝いをしようと思います。それよりもマスター……仕事はしなくていいのですか?」

 事件以後、仕事をしている姿を見ていない自分の主に不安の視線と言葉を投げかけるアル。

「う~ん。今は特にしなきゃいけない仕事……というか依頼は来ていないしな。お金もこの間の件で騎士団から口止め料としてもらった分と町長からの依頼達成の報酬がまだ余ってるし」

 そう言ってフィードは机の戸棚から硬貨袋を取り出し、アルに見せた。
 十二支徒を撃退したのは騎士団ということにして欲しいと頼まれた際、フィードはさまざまな理由からそれを承諾した。しかし、あまりにもあっさりと承諾したため、騎士団側が不審に思ったのか、口止め料として多少の金銭を黙ってフィードの元に送り届けてきたのだ。
 とはいえ、フィードは既に今回の件を親しいものに話しており、クルスなどを通じて下町の人々の耳にも真実は伝わっていたため、口止め料は意味をなさなかった。
 かといって、わざわざ貰ったものを相手に付き返すほどフィードの懐は暖かくなかったため、ありがたくもらっておくことにしたのだった。
 それに加えて、町長からきちんとした報酬を貰ったため、今までに比べて少しはお金に余裕があるのだ。特にやらなければならないような依頼もここ最近はなかったため、下町での些細な出来事の手伝いをしたり、中階層の人々が住む地区に足を伸ばすなどしていた。
 要するに、ここ最近のフィードは暇をもてあましていたのだ。
 対して、アルはというと、グリンの料理を食べにきたという名目で、噂のフィードを見に来た人々の相手を毎日忙しくしていた。元々お客であるアルはそこまでして手伝う必要はないのだが、二つの理由から、どれほど忙しくても手伝うことを決めていたのだ。
 一つは、宿の主であるグリンが大勢の人の料理を作らなければならず、一人では対応できないと分かっていたため、普段お世話になっているお返しという意味も込めて手伝いをするということ。
 そして、もう一つ。実はこっちが本当の意味で手伝いを続ける理由なのであるが……。

「おはよう! フィード、起きてる? もう朝食できてるよ」

 静かな雰囲気が漂う室内の空気を打ち壊すかのごとく、勢いよく部屋の扉が開いた。そして、開いた扉の前には、一ヶ月前からこの宿で働くことになったアルよりもほんの少しだけ年上の少女の姿があった。

「おはよう、イオ。相変わらず元気だな。だけど、ノックもなしにいきなり扉を開けるなよ」

 突然のことに特に動揺するわけでも怒るわけでもなく、フィードは半ば呆れながらイオに注意した。

「いや~ごめん、ごめん。でも早く朝食食べて貰いたくて。今日の料理は私も手伝ったんだよ!」

 興奮気味に話をするイオ。アルと違い、客ではないイオは朝食の準備や各部屋の掃除などアルがしない仕事もしているのだ。

「そういえば、お前最近グリンさんに料理の仕方とか教わっていたな」

「そうだよ。最近になってようやく料理の手伝いをさせてもらえるようになったんだ。といっても、まだ下ごしらえとかしかさせてもらえないけどね」

 陽気な笑みを浮かべてイオは答える。その表情は一ヶ月前とは比べ物にならないほど多彩な表情を見せるようになっていた。
 一ヶ月前、十二支徒のログと手を組んでいたフラムの元騎士団副隊長であるゲードの奴隷として、浮浪児を捕まえて奴隷とするという目的の陽動として下町の金品を盗み、民家に火をつけるなどといった事件を起こしていたイオはフィードによって捕まり、その後ゲードの奴隷から解放された。
 自分の命を守るため、仕方がなかったとはいえ、被害を受けたものがそれを許すかといえば話は別だ。償いとしてイオは自分が働いて得られる給金を被害にあった人に全額渡すということになった。
 奴隷から解放されるまでは、心が追い詰められていたため、表情も暗く、変化も乏しかったイオだが、フィードに助けられ、グリンの元で働くようになってからは明るい表情が増えていった。彼女と仲の悪いアルも、同じ経験があるため、そのことについてはよかったと思っていた。
 明るい表情が増えた理由がフィードになければ……。

「へえ。でも頑張ってるじゃないか。そのうちイオが厨房を任されて料理を出すなんてことになるかもしれないな」

「まあ、そうなるのが理想だけど。やっぱり一から始めたことだから下ごしらえでも大変で」

 謙遜するイオにフィードは優しく伝える。

「いや、それだけ一生懸命になれるならすぐにうまくなるさ。これからも頑張れよ」

 褒め言葉と共にイオの頭を撫でるフィード。頬を掻き、照れながらもイオは黙ってフィードに撫でられていた。そんな微笑ましい空気の二人を見て、不機嫌になっている人物が一人。

「むむむむ」

 二人の隣でその様子を見ていたアルだ。湧き上がる嫉妬と羨望。ここ最近あまりフィードに褒められていないアルは頭を撫でられているイオが腹立たしくもあり、同時に羨ましくもあった。しかし、それを態度に出そうとはしなかった。態度に出すことでフィードに子供だと思われたくなかったためである。
 そんなアルの様子に気が付いたのか、イオはニヤリと勝ち誇った笑みを浮かべ、アルを挑発する。

(なんですか、その笑みは。マスターに褒められたからって調子に乗って……。私だって、頑張ったときは褒めてもらってるんです。その程度の挑発なんとも思いません)

 挑発に乗らないアルを見たイオは、その態度が気に入らなかったのか、次の手に移った。

「フィード。くすぐったいよ」

 それまで何も言わずにただ撫でられていたイオがフィードに訴える。

「ん? 悪い、悪い。嫌だったか」

 とっさに手を離したフィード。離すことまで予想していなかったイオは名残惜しげにその手を眺めていた。

「ううん、嫌じゃないよ。フィードがよければだけどさ、私が頑張ってるなと思ったときでいいから、またこうして褒めてくれる?」

 上目遣いで懇願するイオ。特に断る理由もなかったフィードは、

「こんなのでよければいつだってしてやるぞ」

 と、そのお願いを承諾した。その返事を聞いたイオは小さく手を握り締めていた。そして、またもやアルの方を向き、自慢げにしていた。
 これにはさすがのアルも腹が立ったのか、

「マスター、早く朝食を食べに行きますよ! 早くしないとせっかくの朝食が冷めてしまいますから」

 とフィードの手を引いて部屋を出て行った。

「おい、アル。お前なに怒ってるんだよ……」

 頑張っている子供を褒めたという程度のことしか思っていないフィードは、何故アルが怒っているのか分からず、ただ必死に自分を引っ張る少女に合わせて部屋を出るしかなかった。

「あんたは今日もここで手伝いをするの?」

 そんな二人の後に続いて歩くイオは前を歩くアルに尋ねる。

「ええ。誰かに手伝いを任せるとグリンさんが大変そうだと思うので」

「そうなの? お客なんだから手伝いなんかしてなくていいのに」

 フィードを挟んで火花を散らす二人。アルがグリンを手伝うもう一つの理由がこれである。
 イオがフィードに好意を持っているということをアルは既に知っていた。そんな彼女がアルと同じように働き出し、先程のようにフィードに褒められるようになった。
 色々と背伸びをしていても、まだまだ子供なアルは居場所を取られると思い、イオに対抗して今まで以上に手伝い続けることにしたのだ。
 それは自分がフィードに褒めてもらいたいということもあるが、イオに負けたくないという気持ちもあった。
 イオとアルの二人は知る由もないのだが、二人が張り合い、きっちりと仕事をこなしているため、フィードを見に来た客の一部が彼女たちの働く姿に惚れ、その姿を一目見ようと食事を取りに来るようになっていた。
 こうして、二人は知らぬ間に宿の料理を食べに来る常連客を増やし、看板娘としての地位を着々と築いていたのであった。

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

かつての少女と今の少女

 朝食を食べ終わったフィードは、宿を出て中階層の住人が住む地区に向かっていた。中階層に向かう際、見知った顔の下町の住人に声をかけられ、雑談を交わしたりもした。彼らの話す内容はほとんど同じもので、今下町の警護をしている騎士隊の代わりに、フラムから騎士隊が派遣され、しばらくの間下町の警護に付くというものだった。
 剣の国と呼ばれるフラムは、騎士の発祥の地でもある。そのため、セントールのような騎士団と違い、真の意味での騎士道精神に溢れる騎士によって騎士団が成り立っている。
 その噂は自国にとどまらず他国にまで名声が響くほどであり、騎士団員の高潔さや慈悲深さ、民衆に対して分け隔てなく接するその態度には、彼らに守られる民衆の中から騎士団を崇拝する者が出てくるほどのものだそうだ。
 そんな本場の騎士隊が来るとあっては下町の人々だけではなく、中階層や上階層の人々までも噂を聞いて、浮き足立っていた。噂によるとフラムから派遣される騎士を率いるのは騎士団第九隊副隊長のリオーネという女性騎士だと言う。この一年で急に現れた彼女は、短期間の間にさまざまな事件を解決したり、民衆への態度やその実力からあっという間に副隊長へと昇進した女性だ。
 まさに時の人。そんな人物をお目にかかれるとあっては誰もが彼女が訪れるのを心待ちにし、そわそわと落ち着きのない様子なのも納得がいく。浮き足立つのも仕方がないだろう。

 ただ一人、フィードを除いて。

 これは誰にも言っていないのだが、一年前、とある事情からそれまで一緒に旅をしていたリオーネをフラムへ置き去りにしたフィードとしては、今回の出来事はあまり歓迎するべきものではなかった。
 もちろんそれはフィードがリオーネと知り合いだということがバレて面倒な事態になるのもあるのだが、まず第一に彼女に対する罪悪感から彼女に会う事を避けていた。

(もしリーネに会ったら、まず最初に俺を怒鳴りつけてきて、次に剣で刺してくるんだろうな……)

 恨まれるようなことをしたのだから、そのような行動を取られても仕方がないと内心で諦める。下町にいる以上、どちらにしてもリオーネと顔を合わせることになるのだ。例え気配を消していても、リオーネならフィードを見つけることなど造作もない。

(会ったら絶対に嫌な空気になるだろうし、それにアルのこともあるしな……)

 今現在自分と一緒にいる少女のことを思い浮かべてフィードは頭を抱えた。自分のこともそうなのだが、下手をするとアルにまで怒りの矛先が飛び火する可能性があるのだ。それは、今朝アルが思っていた『自分の居場所』というものが関係してくる。

(リーネにとって家族は俺一人みたいなもんだったしな。今はきっと騎士団の連中と上手くやってると思うからもう違うんだろうけど)

 リオーネにしてみれば、今のアルはかつて自分がいたはずの場所に割り込んできた無粋な相手と思われても仕方がない。もちろんフィードはそんな風にしたくてアルを引き取り、一緒に過ごしているわけではないのだが、フィードがそう思っているからといって、リオーネもそのように思うわけではないのだ。

 考え事に耽っていて気が付かなかったが、いつの間にかフィードは下町の地区を超えて中階層の地区に足を踏み入れていた。そのことに気が付いたフィードは、考えるのを止め、辺りを見渡した。下町に比べ、一つ辺りの面積や敷地の広い家屋。清潔さや高級感が漂い、下町にはないような少し割高な工芸品やアクセサリーといった店が軒並み並んでいる。
 通りを歩く人々の表情はどれも明るく、身につけている衣服も、使いまわされて色が落ちた下町のものと違い、綺麗で色とりどりのものが多い。

「やあ、そこのお兄さん。ちょっとうちの店の商品見ていかないか?」

 男勝りな喋り方をする女性店員が、店の前からフィードに声をかけた。見るとその店は女性向けのアクセサリー店で、男一人が入るには少々敷居の高いところであった。

「わざわざ声をかけてくれて悪いんだけど、俺はこういったアクセサリーに縁がない男だよ」

 断りを入れて、そのまま先へ進もうとしたフィードだったが、女性店員は店にフィードを引き込みたいのか、わざわざ前に立ちふさがり、進行方向を防いでまで話を続けた。

「いやいや。お兄さんはこういったものを好まないかもしれないけど、お兄さんの周りの女の子へのプレゼントとしてはどうかな? 意中の女性とかいるんじゃないの?」

 そう問いかけられるが、フィードには意中の相手は一人もいない。気にかけている女性は数人いるが、いずれも保護者的な立場から気になっているだけである。

(そういえば、最近アルになんにもしてやれていないな。あいつここ最近グリンさんの手伝いで忙しそうだし……)

 ふと脳裏に浮かんだのは今朝も忙しそうに料理を運んでいた少女の姿だった。一緒に朝食を食べた後、すぐさま仕事の手伝いを始めたアルはどんどんと増えていく客の対応にてんてこまいだった。
 アルとは違い、食事を終えてもやることがなかったフィードはそんな一生懸命に働くアルの姿を見て心穏やかな気分になっていたのだが、じっと見られていたことに気が付いたアルに、

『そんなにじっと見られると、仕事に集中できなくなります。食事が終わったのなら早く出てってください!』

 と言われて宿から追い出されてしまった。アルからすればフィードに自分の働いている姿を見られるのが恥ずかしかったのだろう。

「あれ~。黙ったってことは少なくとも気になってる人はいるんだ。うん、いいね。そんなお兄さんにいい商品があるんだよ。ほら、付いてきて!」

 少々強引にフィードの手を掴んで店の中へと連れて行く女性。その一生懸命な姿に今頃同じように頑張っている働いている少女の姿を重ねたフィードは、無理やりその手を振りほどく気になれなかった。

「お父さん、お客さん確保したよ!」

 店内に入り、店番をしていた父親に嬉しそうに報告する女性。フィードと娘の一部始終を見ていたのだろう、少し申し訳なさそうに頭を下げてきた。別にまだ商品を買うと決まったわけではないので、頭を下げられると困るのだが、フィードもつい相手に頭を下げ返してしまう。
 だが、嫌な気分にならないのはきっとフィードもこの父親のような気持ちで常日頃過ごしているからだろう。お互いに苦労しますねという意味を込めてフィードはもう一度頭を軽く下げた。

「ほらほら、お兄さん。女の子はたとえ安物でも心のこもったプレゼントをもらえると嬉しいんだから、真剣に選んであげてね」

 女性の中ではフィードが商品を買うという前提で話が進んでいるようだ。そんな女性の様子にフィードは仕方がないなと思いつつも、ちょうどいい機会だと思い、毎日仕事の手伝いを頑張っているアルへのプレゼントを選ぶことにしたのだった。



「アルちゃん、そろそろ休憩にしましょうか」

 朝食を食べに来たお客の波が緩やかになり、店内の雰囲気も落ち着きだした頃、グリンはアルにそう伝えた。

「えっ……でもまだお客さんいますよ?」

 アルの言うとおり、少なくなったとはいえまだ店内には数名の客がいた。アルが抜けても対処しきれないことはないが、今から数時間もしないうちに昼食を食べにくるお客がまた来るのだ。そうなったとき、もしアルがその場にいなかったらきっと手が足りなくなるだろう。

「いや、いいのよ。最近忙しかったせいか私も疲れていてね。今日の昼食はなしってことにしたの。泊まっているお客さんに出すのは朝と夕方の二回の食事だけだし、元々昼食も時間が余っていたからやっていたものだしね。
 それなのに最近はフィードさんやアルちゃんとイオちゃんを目当てにくるお客さんで一杯で時間に余裕もなくなっちゃうわ、食材も人の手も足りないで困ったものよ」

 頬に手を当て、ハァと思いため息を吐くグリン。よく見ればグリンの目には深いクマができており、顔も少し青くなっていた。

「グリンさん。もしかして体調悪いんじゃないんですか?」

 アルの問いかけに力なく微笑むグリン。それを見てアルは胸が痛んだ。ここ最近のグリンは働き尽くめで休む暇もなかったのだ。そのことに今更気が付き、アルは申し訳なくなる。

「わ、私ちょっと何か買ってきます!」

 休憩を言い渡されていたアルはちょうどいいと思い、着ていたエプロンを外すと、急いで二階の自室へと駆け上がった。

「あれ? どしたの、そんなに急いで」

 途中、各部屋の掃除を終えて下に降りようとしていたイオとすれ違う。グリンのこともあるので、アルは意地を張らずに返事をした。

「あの、イオ……さん。グリンさんが体調悪いみたいなので、ちょっと様子見てもらっていてもいいですか? 私、疲れを取るのに効きそうなものを買ってくるので……」

 普段呼ばれることのない名前を言われたためか、イオが驚いた表情のまま固まっていたが、真剣なアルの様子を見て、今はふざける時ではないと悟った。

「了解。お客さんの相手とかできるだけ私がやっておくよ。グリンさんも無理しないように様子見ておく。雇い主に倒れられちゃ私も困るしね」

 舌を出し、おどけながらアルに手を振り、イオは一階へと降りていった。
 部屋に戻ったアルは上着を羽織り、机の引き出しに仕舞われている予備の硬貨袋を取り出し、そのまま一階へと勢いよく降りて行き、外へ出る。外に出たアルはまず下町の薬屋へと向かった。すれ違う人々に時折ぶつかりながらも、グリンのために必死に走った。

「おや、グリンさんのとこのお嬢さん。いらっしゃい、何か必要かい?」

 息を切らしながら店内に入ってきたアルに少々面食らっていた店主だが、落ち着いた態度でアルに話しかけた。

「あ、あの! 疲れとかによく効く薬ってありますか?」

 アルの注文に、店主は少しだけ困った顔をした。

「一応メディカルハーブっていうのがあるよ。これを使えば疲労回復にもなるし、健康の維持にもなるよ」

「それ! それ貰えますか!?」

「いいけど、お金はあるかい? 実はこれかなり値が張るものなんだよ。うちでも一応取り扱ってはいるけれど本来は中階層や上階層の人が買うようなものだから……。今もっているお金を見せてもらってもいいかな?」

 店主にそう言われ、アルは持っているお金を差し出して見せた。

「う~ん、これじゃあ全然足りないな。ツケにしてあげるってこともできるけど額が額だからな……」

 フィードがいれば今この場で支払うこともできただろうが、生憎と今はアルしかいない。お金が足りないという事態を予想していなかっただけに、アルは困り果ててしまう。

(どうしましょう……。せっかく疲れが取れる薬が見つかったのに、お金が足りません……。マスターがいてくれたら薬も買うことができるのに、もう、大事なときになんでいつもマスターはいないんですか!)

 お金がないのに店内に居座るわけにもいかず、アルは肩を落として店を出た。やり場のない怒りを持て余し、下を向いて歩いていると、アルの対向から歩いてきた一人の女性とぶつかってしまった。

「ごめんなさい、大丈夫?」

 ロングコートにズボンを履いた女性が、俯くアルに声をかける。顔を上げるとそこには心配そうにアルを見つめる女性の姿が会った。背が高く、それでいてすらりとした体格。一見すると痩せて見えるその体格は鍛えられた筋肉によって引き締まっているようだ。アルにはない膨らんだ二つの双丘がその体格に合っていて、女性の魅力をより一層引き出していた。
 肩よりも少し長く延びた金髪は後ろで一括りにまとめられており、透き通った青色の瞳は見つめられると引き込まれてしまいそうだった。
 こんな綺麗な人がいるんだなとアルが思っていると、返事のないアルをますます心配したのか、

「もしかして、どこか悪いの?」

 と先ほどよりも優しい声色でアルの様子を伺った。女性はアルと同じ目線で話すためにしゃがみこみ、アルが話をしてくれるのをじっと待っていた。

「いえ、私は別に悪いところはないんです。ただ、日ごろお世話になっている人が体調が悪いみたいで……。そこの薬屋さんに薬を買いにいったんですけれど、お金が足りないって言われて……」

 女性に説明をしている間もますます落ち込んでいくアル。事情を聞いた女性は少し考えるそぶりを見せ、

「そう、お世話になっている人のために……。わかった、少し待っていて」

 そう言うなり、女性は今アルが出てきた薬屋の中に入っていった。女性に言われたとおり、しばらくその場で待っていると、

「はい、これ持っていって」

 薬屋から出てきた女性が持っていた紙袋をアルへと手渡した。

「えっ!? これ……」

 紙袋の封を開けると、そこには調合されたであろうハーブの粉末が入っていた。それも結構な量で。

「それを飲むと身体の疲れとかよくなるみたい。量も結構あるから、一度で全部使うんじゃなくて、体調が悪くなった時に少しずつ使うといいわよ」

 それだけ言ってその場を立ち去ろうとする女性を、アルは慌てて引き止めた。

「ま、待ってください! そんな、これを貰うわけにはいきません!」

 見ず知らずの、それも今会ったばかりの女性にお金を出してもらって、タダで目的のものを手に入れることになってしまった。何故そんなことをしてくれるのか、全く理由が思い当たらないアルは素直にこれを受け取るわけにもいかず、女性に紙袋を返そうとする。

「そう言われても、それはもう買ったものだから店に返すなんてできないわよ? それに、私が買ったものだから、それをどうしようと……例えばこれを必要としているけど、お金がなくて困っている女の子にあげても私の勝手ってことになるわよね?」

 あまりにも身勝手で、お節介で、それでいてものすごくお人好しなその女性の姿にデジャブを感じながらも、納得のいかないアルはその場で頭を悩ませてしまった。

(どうしましょう。きっとこの人はお金持ちかなにかで、きまぐれで買ってくれたのかもしれないです。例えそういった理由で渡してくれたとしても、何もしていない私がこれを受け取るわけには行きません。ですが、今これが必要なのも確かですし……)

 悩み続けるアルの姿を見て、女性はクスリと微笑んだ。

「真面目な子なのね。もしかして理由が欲しいの? それなら……自分のためじゃなくお世話になっている相手に対して必死になっている姿に心打たれたってことじゃだめかしら?」

 アルの頭に手を置いて、同じ目線になって話をする女性は優しい笑みを浮かべて、アルが必要としていた『理由』を与えた。断る理由をなくしてしまったアルは素直に受け取るしかなくなってしまい、女性が渡してくれた紙袋をギュッと大事に抱きかかえた。

「そう、それでいいの。人の好意は素直に受け取っておくのが一番。あなたみたいな子供は特にね……。変に意地を張ったり反抗していると大人になったときに後悔するわよ」

 日頃子ども扱いされるのを嫌っているアルだが、この女性から子供と言われても腹が立つことはなかった。それどころか、子ども扱いされて嬉しいと感じてしまっている部分がある。

(不思議です。他の人ならされて嫌なことも、この人にされても嫌じゃないと思えてしまいます)

 頭を撫でられることも、子供に扱われることも嫌と感じない。言い知れぬこそばゆさと恥ずかしさからアルは顔を真っ赤に染めてしまう。

「ふふふ。それじゃ、そろそろ私も用事があるし、お別れね。それじゃあね」

 そう言って再び立ち去ろうとする女性。

「あの! 薬ありがとうございます。私、アルっていいます。この薬のお礼がしたいので、もしよかったらまた会ってもらえませんか!?」

 普段よりもはるかに大きな声でアルはお礼の言葉を告げる。その言葉に女性は面食らっていた。そんなことを言われるとは思っていなかったのだろう。

「本当にいい子ね。あなたを育ててくれている人に一度会ってみたいわ。そうね、それじゃあ明日の同じ時間なら予定が空いているから、もしあなたの都合もいいようなら、また会いましょう。またね、アルちゃん」

 と、再び先へと進もうとしたところで、ふと忘れていたものを思い出したのか、女性はアルの方に顔だけを向けて、

「そう言えばまだ私の名前を言っていなかったわね。私の名前はね、リオーネって言うの。しばらくの間はこの下町に滞在することになると思うから、よろしくね」

 リオーネはアルにそう伝えると今度こそ振り返ることなく先へと歩いていった。

 一人取り残されたアルは、今聞いた名前を頭の中で何度も呟いていた。

(リオーネ、リオーネ。もしかして、あの人が噂になっている騎士隊の副隊長さんなんでしょうか? もしそうならさっそく助けてもらいました)

 これが、まだ他の騎士が下町に辿りついていない中、ただ一人別の目的を持って一足先に下町へと訪れたリオーネとアルの最初の出会いだった。

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

迫り来る時

 フィードが宿に戻ると食事場の椅子に腰掛け、青い顔をしているグリンがいた。

「ただいま、グリンさん。顔真っ青ですよ。大丈夫ですか?」

 しゃがみこみ、グリンの容態を確認するフィード。心配そうにグリンの様子を伺うフィードに、グリンは力なく微笑み、

「ああ、大丈夫だよ。アルちゃんとイオちゃんにも同じように心配してもらってね。アルちゃんは高いのに薬まで買ってきてもらって、今それを飲んで休んだところなのさ」

 事情を説明するグリン。それを聞いてフィードはひとまず安心した。

「わかりました。でも、無理はしないでくださいね。なにか必要なものがあれば俺が買いに行ってきますから」

「そうね、その時はお願いするわ。ごめんなさいね、お客さんにこんな気を使ってもらって……」

「何を言っているんですか。俺やアルはいつもグリンさんのお世話になってるんです。もうただのお客と店主の間柄ってわけでもないですよ。それと、同じ事をアルには言わないであげてくださいね。
 本人はきっと否定しますけど、アルのやつはグリンさんのことを家族みたいだと思ってますから。きっとさっきみたいに言われると、寝る前にベッドでひっそりと泣いちゃいますから」

 口元に人差し指を突き立て、少しおどけながら内緒話をするフィード。そんなフィードを見てグリンは苦笑いを浮かべる。

「そこまで頼まれちゃしょうがないね。アルちゃんにはお礼を言うだけにしておくわ。フィードさんもありがとうね。私はあと少しここで休んだら部屋に戻るわ。もう大丈夫だからアルちゃんの所へ行ってあげて。手に持っている、それ。アルちゃんに渡すんでしょ?」

 グリンはフィードの手にある小さな紙袋に目を向ける。そこには少し前にフィードが中階層で買ってきたアルへのプレゼントが入っていた。

「ええ。少し前は俺が、最近はあいつが忙しくしてたせいで、あまりかまってやれなかったんで、そのお詫びと日頃のお礼ということで。まあ、たいした物じゃないんですけど……」

「そんな事言っちゃだめよ。プレゼントっていうのは貰えるだけで嬉しいんだから」

「それ、これを買った店の店員も言っていたな……」

「ふふふ。鈍感なのかわざとそうしているのかは知らないけれど、そう言った気遣いはきちんとしておかないと、後で大変になるのはフィードさんよ」

 そう言ってグリンは立ち上がり、自室に向かって歩いて行った。フィードは付き添おうと思ったが、心配から過度に干渉するのも迷惑になると思い、その背を見送るだけにした。

「フィード、お帰りなさい。いつの間に帰ってきたの?」

 グリンと入れ替わりに厨房の奥からイオがひょっこりと現れた。

「ただいま、イオ。帰ってきたのはついさっきだよ。あ、そうだ。グリンさんが今部屋に戻ったから、後で様子を見に行ってあげてくれないか? かなり体調が悪そうだったみたいだから」

「わかった。それじゃあ、もう少ししたら様子を見に行くね」

「よろしく頼むよ」

 グリンの件を伝えると、フィードはイオと別れて二階の自室へと向かった。階段を上がると、箒を持って廊下の塵やゴミを掃くアルの姿があった。下を向いているため、階段を上ってきたフィードの姿にまだ気がついていない。
 フィードはそっとアルに近づき、

「よっ! 頑張ってるな、アル。感心、感心」

 と背中越しに声をかけた。当然、突然声をかけられたアルは、身体をビクンと震わせて驚いた。

「ふぇっ! ま、ますたー!? あれ? いつからそこにいたんですか?」

 動揺しているのか、あたふたとしながらアルはフィードに尋ねる。

「まさに今さっき。それよりもグリンさんの様子見たよ。かなり疲れが溜まっているみたいだな」

「はい。ここしばらく忙しくて休む暇もありませんでしたし、もっと早く気づけたら良かったんですけど……」

 肩を落として、落ち込むアル。だが、フィードはそんなアルを見て笑っていた。身近な人の心配を素直にできるようになってくれたことが嬉しかったのだ。

「まあ、それはしょうがないよ。俺も気づけなかったし、アルもそんなに気にするな。それよりも、後で様子を見に行くついでに温かい食べ物でも作って持っていってあげようか。アルもグリンさんに料理を教わってるだろ? 簡単なものなら作れるんじゃないのか?」

 フィードの提案にアルはコクコクと頭を振って頷いた。

「よし。それじゃあ、あとで一緒にグリンさんのお見舞いに行こうな。——っと、そうだ。忘れるところだった」

 と、そこまで話し終えてフィードは本来の目的を思い出した。手にしていたプレゼントの入った紙袋をアルの前に差し出す。

「……? マスター、これはなんですか?」

 そのアルはというと訝しみながら紙袋を眺めていた。アルにはフィードが自分にプレゼントを贈るという考えが浮かばなかったらしい。フィードは受け取られることなくアルと自分の間で留まる紙袋を再び自分の元へと引き戻し、その中に入っている中身を取り出した。

「えっと、な。これは、なんていうか……。そう、お前へのプレゼントだ」

 無垢な眼差しで自分を見つめるアルに、素直に日頃のお礼としてのプレゼントと言って渡す事が照れくさくなってしまったフィードは、口ごもりながらもその中身をアルへと手渡した。袋の中に入っていたのは女物の赤色の小さな髪留めである。髪留めの根のところには一枚の花びらが細工されており、そのデザインは可愛らしく、まさに少女向けというものであった。
 そして、アルはというと、フィードから贈られたプレゼントを受け取ったものの、今目の前で起こったことに頭がまだついてきておらず、ボーッと惚けたままプレゼントとフィードへ視線を交互に移していた。

「あの……。いいんですか?」

 既に今日同じようにリオーネから無償の施しを受けているアルはつい遠慮がちになってしまっていた。フィードはリオーネと違って見ず知らずの相手でないのだが、それでも親切にしてもらうだけで、自分が何も返す事ができないのは気が引けてしまうのだろう。

「どうした。もしかして、迷惑だったか?」

 もっと喜ぶ顔が見られると思っていたフィードは感動の薄いアルを見て、少し気落ちしてしまっていた。それにアルも気がついたのか、慌てて自分の今の態度について弁解する。

「いえ! けして嬉しくないわけじゃないんです。マスターからのプレゼントなんです。嬉しいに決まってます。そりゃあ、できれば事前に一緒に買う物を見に行けたらな……なんて思ったりしましたけど」

 言っている途中で恥ずかしくなったのか、アルの言葉は次第に小さくなってしまった。フィードも聞いていて恥ずかしくなったのか、視線を逸らし、

「うん。まあ、喜んでもらえたなら良かった」

 と返事をした。それから、しばらく二人の間には沈黙が漂う。しかし、何故か居心地は悪くない。

(あ~。なんだこの生暖かい雰囲気は。くそ、予定ではこんな風になるはずじゃなかったのに。アルにプレゼントを渡して、喜ぶ顔を見てそれで終わりだったはずだ! それがどうしてこうなった……)

 予想外の事態に戸惑うフィードだったが、それもアルの一言によってどうにか意識を逸らす事ができた。

「マスター。よければこれを付けてもらってもいいですか?」

 目の前に差し出されるのは今渡した髪留めだった。

「いいぞ。それじゃあ、ちょっと頭動かさないでいてくれるか」

 受け取った髪留めを手に取り、フィードはアルの髪を留めるために身長差を埋めるためにその場にかがむ。さらりとしたアルの白髪に手をかけて、髪を掻き分け、髪留めを差し込む。瞳と同じ色をした髪留めは、アルの白髪と相まって更にその存在を際立たせていた。
 よし、とフィードが一安心し、視線をアルに移すとその顔は思っていたよりもずっと近くにあった。互いの吐息が感じられるくらい近い距離。アルは熱の籠った瞳でフィードを見つめていた。

「えと、マスター……」

 とアルが口を開き、何かをフィードに伝えようとした時、

「あ――! ちょっと、フィード。それなんなの!?」

 階段を上ってきたイオが二人を見て叫び声をあげた。

「なにって……髪留めだけど?」

「そうだけど、私の分は……?」

 アルが付けている髪留めを見て羨ましそうにするイオ。フィードはイオのそんな表情を見て、ほんの少し胸を痛めた。

(でも、これはな~。元々アルへのプレゼントってことで買ったわけで、イオが欲しいと言ったからって、買ってやっちゃうとアルの奴が怒りそうだからな)

 さすがに、フィードでもその程度の女心はわかるのか、アルとイオとを見比べて、

「悪いな、イオ。今回のはアルだけしかないんだ。アルも頑張ってたしな。お前がこれからも頑張っているようなら、その時はお前にも買ってきてやるから。だから、今回は我慢してくれ」

 とイオに告げた。イオは悔しそうにしていたが、フィードの言う事に納得したのか、アルを一瞥した後、

「絶対だよ! 絶対私も買ってもらうんだから!」

 と言って逃げるように再び一階へと降りて行った。

 そんな慌ただしく動き回るイオにフィードは苦笑し。アルは、フィードが見ていないところで勝利の味を噛み締めて身を震わせていた。

「それじゃあ、そろそろ部屋に入るかな。アルも掃除頑張れよ」

 激励の言葉をかけて部屋に戻ろうとするフィード。アルの横を通り過ぎ、自室の扉に手をかけようとした時、アルが伝えそびれていたことを思い出し、フィードに声をかけた。

「あ、そういえばマスター。実は今日グリンさんの薬を買いに行ったんですけれど、持っていたお金が足りなくて薬が買えなかったんですよ。でも、ある人が代わりにその薬を買ってくれて、しかもお金を要求しないで私にくれたんです」

 アルに声をかけられたフィードは扉に手をかけたまま顔だけ振り向き、話を聞いた。

「へえ。それはまた親切というか、なんというか。まあ、いい人がいたものだな。でも、いくら何でもタダでものを受け取るだけっていうのも良くないと思うから、またお礼の品か何か持ってその人のところにいかないとな。
 アルは、その人の名前とか聞いたか?」

 不思議な事もあるものだとフィードは軽く考えていたのだが、次にアルから発せられた相手の名前を聞いてその表情は凍り付く事になった。

「はい! それが聞いてくださいよマスター。その薬をタダでくれた人はリオーネさんっていうんです。今度この下町に来る騎士隊の副隊長さんなんですよ! なんでかまだ他の人たちが来てない中で一人で来ていたみたいですけど、あんなに綺麗でいい人が世の中にはいるんですね……」

 その時のことを思い出しているのか、アルはうっとりとした表情で惚けていた。人見知りのアルにしては珍しく、親切にしてもらった事もあってリオーネのことを気に入ったのだろう。
 しかし、そんなアルとは対照的に、リオーネの名前がアルの口から出た事で、フィードの背筋は寒くなっていた。

(ちょっと待て。いつの間にアルの奴リーネに会ってたんだ? 幸いリーネの奴もアルの素性については気づいていないから、こんなにアルが楽しそうに話しているんだろうけど……)

 二人の出逢いを不安に思うフィードの様子にアルは気がつかないのか、そのまま話を続ける。

「実は、リオーネさんにお礼をする事も含めてまた明日会う事になったんですよ。それで、マスターにも一緒に来てもらいたいんですけど……」

 (逃げることはできないってことかもな……)

 はしゃぐアルを見つめながら、フィードはリオーネとの再会の時が迫っている事を自覚した。



 夜も更け、人通りを歩く人の姿がほとんどなくなった通りを歩く一人の女性の姿が会った。金髪の髪をたなびかせ、通りを歩く数少ない人の目を引くのはリオーネだった。いつも通りのラフな格好で歩く彼女を騎士団の副隊長などと思う人はいないだろう。なにせ噂の女性副隊長はその功績や人柄ばかりが町の人々の耳に入っており、その容姿はあまり知られていないからだ。
 まして、今はまだ彼女を除いた騎士団員は誰も到着していないのだ。下町の人々が彼女を騎士団の一員ではなく、見慣れない美しい旅人と思ってしまっても不思議ではない。
 セントールを訪れたリオーネだが、宿は取れたものの食事がついていなかったので、近くにある酒場に食事を取りに来ていた。酒場に入ると、食事をしたり、酒を飲んでいる人々の視線が一斉にリオーネの元に集まった。じっと観察するようにリオーネを見つめる彼らの視線に、リオーネが視線を投げ返すと、誰もが目を逸らしてしまった。

(なるほど……下町の人々は、見慣れない人に対する警戒心が強いのですね。亡益国と呼ばれるだけあって、どんな人間が紛れるか分からないですし、警戒心を抱くのもわかります。隊のメンバーが来たらこの事を伝えてなるべく早く下町の住人の信頼を得られるようにするように言いつけておきましょう)

 仕事中でないにも関わらず、リオーネは騎士隊が早く下町に馴染めるようにする方法を考えていた。仕事熱心というより、仕事に対して真面目な彼女らしい考えである。
 リオーネは気づかなかったが、酒場にいた客がリオーネから視線を外した理由には、たしかに見慣れない人物に対しての警戒心もあったのだが、それ以上に美しい容姿の彼女と視線を合わせるのが恥ずかしいという理由の方が大きかった。

「いらっしゃい。先に行っておくがお嬢さん、ここはあんたみたいな女性が来るような店じゃないぞ。文字通り女に飢えたむさ苦しい男共しか集まってない。酔った連中に絡まれる前に早く帰りな」

 木製のグラスに他の客の酒を注ぎながら、気を利かせたレオードがリオーネに忠告する。他の客達は、その言葉に不満があるのか、野次や罵詈雑言をレオードに投げかける。しかし、リオーネはにっこりと微笑みながらその忠告を断った。

「いえ、気を利かせていただいたようですが、私にはこのような店が合っています。昔からこういった店にはよく来ていましたから」

「……そうかい。まあ、あんたがいいというのなら、俺は別に構わん。それで、注文は?」

「おすすめのメニューは何があるんですか?」

「うちのおすすめかい? そうなるとミートパイと蜂蜜酒になるが……」

「では、それでお願いします」

 注文を頼まれたレオードはすぐに料理を作り始めた。その間、手持ち無沙汰なリオーネは酒場にいる客をぐるりと見回した。ここにいる人々の顔に浮かんでいるのはどれも笑顔。不平不満を口にしながらも、明るい表情が絶えていない。

(ここはいい雰囲気の酒場ですね。しばらくはここで食事をとる事にしましょうか)

 まだ食事が来ていないにも関わらず、リオーネは店の雰囲気だけで下町での食事場を決めてしまった。そんなとき、店内を見回していたリオーネと視線の合った一人の若い男性が、席を立ち、カウンター席の方へと歩いてきて、空いているリオーネの隣の席に座った。

「やあ、姉ちゃん。見かけない顔だけど、観光できたのか?」

 男の吐き出す息は酒臭く、顔は赤らんでいる。見るからに酔っぱらっている事が分かった。しかし、そんな男の相手をするのは別段珍しくないリオーネはそのまま相手に応対した。

「観光ではないですね。ですが、しばらくの間この下町に滞在する予定です」

 リオーネの答えを聞いた男は口笛を吹き、少し直情的な目でリオーネの胸元を見ながら言う。

「へえ。それじゃあ、暇があったら俺と一緒に観光しないか? 俺はこの町に住んで長いし、色々と案内できると思うぜ」

 男の視線に気づきながら、リオーネはそのまま話を続ける。

「いいですよ。でも条件が一つあります。私と戦って参ったと言わせることです。それができるなら何でも言う事を聞いてあげます」

 その返答に男を含めた他の客たちのテンションが一気に最高潮に高まる。

「うおおおおおおおっし! 聞いたか、みんな! 聞いたな! 俺は今から漢になる。先に声をかけた俺の勝ちだ!」

 もはや何を言いたいのかもよくわからないのだが、それでも周りの人間はそのわけの分からない男のテンションに引っ張られて、やたら盛り上がっていた。

「いいのか? あんな事言っちまって。撤回するなら今のうちだぞ」

 周りの客が盛り上がる中、客と違って冷静なレオードはリオーネを心配して声をかける。だが、リオーネその言葉に首を振った。

「いえ、大丈夫です。これでも私鍛えていますので」

 男以外の客がテーブルを動かし、店内の中央にスペースを空ける。そこにリオーネと男が移動し、対峙する。

「とりあえず、あんたに参ったと言わせればいいんだな。ルールはあるか?」

「特には。ああ、ただ気絶したら相手の負けという事でお願いします」

「ほ~。よほど自信があるみたいだな。ちなみに……この争いの最中に俺の手がたまたまあんたの身体の大事な部分などに触れても事故ってことでいいよな。戦うんだから予期せず触れても仕方がないもんな!」

 酔いが更に回っているのか、普段胸に秘めている男の欲望が一気に吹き出していた。ここまでいくともはや単なるセクハラである。そんな男に他の客は「うらやましいぞ、このやろおおぉぉぉ」とか「てめええええ、俺と代わりやがれ!」といった声も聞こえ、そんな男たちの様子にリオーネは苦笑いを浮かべるしかなかった。

「仕方ないですね。ですが、そんな事を女の私に言う以上、必要以上に痛い目にあっても文句は言わないでくださいね」

 その言葉を最後にリオーネと男は無言になる。緊張感からか、周りの雑音も次第に小さくなり、消えて行く。そして、雑音が一切なくなった瞬間、男が動き出した。

「うおおおおお。俺の春よ来いっ!」

 勢い良くタックルをかまし、リオーネを押し倒しに行った男。しかし、己の身体がリオーネにぶつかると思った瞬間、相手の姿は目の前から消えていた。

「……あれ?」

 間の抜けた声を上げる男だったが、すぐさまその声は苦悶の声へと成り代わった。一瞬の間に男の背後に回ったリオーネが、男にとって最大の急所である金的に勢いよく右蹴りをかまし、激痛に悶える間もなく足を絡めとり、男を床に倒すと腕を捻り取りそのまま押さえ込んだ。

「――――ッッツ!」

 激痛から声を上げて参ったと叫ぶ事もできない男は目に涙を浮かべて苦痛に耐えていた。一連の行為を見ていたギャラリーは男の様子を見て、今のがもし自分だったらという恐ろしい想像をし、顔から血の気が引いて行くのを感じていた。そして、ようやく痛みの波が引いてきた男は、間髪容れずに声を上げた。

「まいった! ごめんなさい、俺が悪かったです!」

 今の痛みで酔いが冷めた男は冷静になり、リオーネに謝り続けた。

「わかりました。私の勝ちですね」

 男を離し、一瞥もせずカウンター席に戻ったりオーネ。男は一緒に飲みにきていた仲間に慰められ、自分が元いた席へと戻って行った。

「あんた中々やるな。腕もいいが、思い切りの良さもいい。男の急所をあれだけ思い切り蹴り上げる女を見たのは初めてだ」

 出来上がったミートパイと蜂蜜酒を出しながら言うレオード。正直褒め言葉なのかどうなのかわからないので、リオーネはただ困った表情を浮かべるしかなかった。

「いえ、私に戦い方を教えてくれた人が、男が相手の時は迷うことなく急所を狙えとよく言っていたもので」

 昔の話だと思うのだが、リオーネは一瞬胸の奥が痛むのを感じた。

「へえ、あんたの師匠はよっぽどえげつない奴なんだな。――おっと、自己紹介がまだだったな。俺はこの酒場の店主のレオードだ。さっきあんたに絡んできたような奴もいるが、ここは比較的雰囲気のいい場所だと思っている。よければこれからも使ってくれ」

 自己紹介と一緒にさりげなく店の宣伝をするレオード。そんなレオードにリオーネは笑顔とともに、

「私はリオーネといいます。これからこの下町の警護をさせていただきますので、さっきのような人は私たちの仕事の成果になるのでむしろ歓迎です。この店も雰囲気がいいのは確かなので、これからも使わせてもらおうと思います」

 自己紹介をする。

「リオーネって……まさか、あんた今度下町に派遣されるっていう騎士隊の副隊長さんか?」

 予想だにしない名前に驚くレオード。しかし、そんな事を意に介さず、リオーネは淡々と答える。

「ええ。隊のメンバーはまだ来ていませんが、一足先に私だけこちらの下町にこさせていただきました。みなさん、これからもよろしくお願いしますね」

 リオーネの発言に場が静まり返る。そして、一瞬の静寂の後、酒場からは驚愕の声が叫びあがったのだった。

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再会

 アルがリオーネと会った翌日、下町は例の騎士隊副隊長が既に訪れているという噂で集まった人で溢れかえっていた。
 事の発端は昨日のリオーネの行動によって家に帰った人々が、家族や知人にこのことを話したせいで噂が広まったのである。噂はすぐに下町全域に駆け巡り、中には中階層から下町に訪れる人の姿も見られた。リオーネが宿泊している宿は大勢の人で取り囲まれ、我先にと姿を見ようとする見物客でいっぱいであった。
 そして、噂の張本人であるリオーネはというと、

「これは困りました……。まだ隊の皆が到着していないのに、勝手に名乗ってしまったのがマズかったようです」

 自分の容姿についてあまり意識をしていないリオーネは、騎士隊にいたときから散々、部下たちに「副隊長はもっと自分の容姿について自覚してください!」と口酸っぱく言われていた。そして、その言いつけを守らなかった結果がこれである。
 リオーネは自分を目立たないようにするために、近くの露店で売っていた薄い生地のハンチングを買い、目元深くまで被り、顔が見えないようにした。そして、昨日出会った白髪赤眼の少女、アルに会うために約束をした場所に向かっていた。

(まだ時間はだいぶありますが、遅れるよりはいいでしょう。時間が余っているようなら近くの露店や店の商品を見ていればいいだけのことですし……)

 気が付けば少女との再会にどこか心躍らせている自分がいることに気が付く。初対面だったはずなのに、どこか懐かしい雰囲気があの少女からは漂っていた。性格も容姿も全然違うはずのアルに、リオーネは昔の自分を重ねていたのだ。

(私があの子くらいの歳の時は、ずいぶんとわがままでしたね。気が強くて、不平不満を周りに当り散らして……。厚顔無恥もいいところでした)

 下級といえど富裕層の家系に生まれたリオーネ。幼い頃はさんざん甘やかされ、厳しい現実を知らずに育ってきた。そのためか、プライドばかり無駄に高く、自分では何一つできないようなお嬢様としてすくすくと育っていった。しかし、そんな日々も長くは続かず、事業に失敗したリオーネの父親は家から逃げ出し、母は心を病み衰弱して死に、家は没落し、リオーネも家に残った借金の肩代わりとして奴隷にされそうになった。

(そういえば、あの人に出会ったのも、ちょうどアルちゃんくらいの歳でしたっけ……)

 思い出せば胸が痛み、心は黒く染まっていくというのに、彼のことを思い返すのを止めることができない。激しい痛みの中にある、ほんのわずかな痺れるような甘さが忘れることを許さないのだ。
 それは、彼、フィードの居場所が分かってからより顕著になっていた。

(最初は反発ばっかりしていて、ろくに私の言うことを聞かないあの人を、私は下僕のように思ってましたね。周りから見たら実際は逆だったと思いますが)

 思い返すのはフィードとリオーネが出会った最初の時。奴隷商に連れて行かれそうになったリオーネは、プライドを投げ捨ててまでも「助けて!」と声高に叫び続けた。しかし、周りの人間はそんなリオーネを一瞥するだけで、関わりたくないという意思だけ示し、傍観するのみだった。そんな状況にリオーネは絶望し、もう駄目だと諦めかけたときに声をかけたのがフィードだった。その時のリオーネよりも遥かに暗く、深い絶望を目に浮かべ、心が擦り切れそうな様子だったフィードは、

『自由に生きたいのか?』

 とリオーネに問いかけ、

『自由に生きたい!』

 と答えたリオーネを奴隷商と交渉して引き取った。思い返してみれば、当時家には相当な借金があったため、それを全額支払い、リオーネを引き取ったフィードは相当金が消えたと思う。そのあとも、リオーネの世話をし、剣を教え、魔術を磨かせ、知識を増やしとさまざまなことをリオーネに教えた。そのおかげで、今のリオーネはあるといえるし、もしあの時にフィードが救いの手を差し伸べなかったらと思うとリオーネはゾッとする。
 だからこそ、リオーネは成長し、フィードの足を引っ張らず、自信を持ってパートナーだと言える様になった頃に今まで自分が受けてきた恩義を自分の人生をかけてフィードに返そうと誓ったのだ。フィードも何も言わずにリオーネを傍に置いていてくれたし、実力がついたころにはリオーネを信頼して背中を預けてくれるようにもなった。
 これからもずっと彼の傍にい続けられるとリオーネは信じていたのだ。

――――あの日までは。

 いつものように各地を旅し、フラム近郊まで来たとき、フィードはリオーネに告げた。

『リーネ、お前はこれから自分のために生きろ。これ以上俺の傍で時間を無駄に過ごす必要はない。お前に一番合っているフラム騎士団に少しツテがあるから、お前のことを紹介しておいてやる。
 なに、お前なら上手くやれるさ。それに、そっちで生きるほうがお前の性に合ってる』

 あまりにも突然の宣告に、リオーネは一瞬フィードが何を言っているのか分からなかった。お互いに通じ合っていると思っていたのは、リオーネだけで、フィードはリオーネを必要としていなかったのだ。だが、その言葉に到底納得できないリオーネは当然フィードに反発し決闘を挑んだ。その結果敗北し、次に目が覚めたのは騎士団の医務室だった。そして、そこにフィードの姿はなかった。
 フィードとの戦いで傷ついた身体に鞭を打ち、無理を押して彼を探しに行こうとするリオーネだったが、一人の男性によってそれは止められてしまった。
 それが、リオーネの所属する騎士団の総隊長で、フラム騎士団第一隊隊長エルロイドだった。齢三十にも満たない彼は、若くして騎士団の総隊長にまで上り詰めた真の天才としてフラムに留まらず他国にまでその名が知られている。

『君が彼のことを探しに行くのは構わないが、一人では捜索するにも情報収集するにも限界があるとは思わないか? どうせなら騎士団に入って上を目指し、他国の情報も手に入れて彼を見つけるほうが早いと、私は思うが。どうかね?』

 そう言って、騎士団に勧誘するエルロイドの手をリオーネは即座に握り返した。その時のリオーネにとってフィードが見つけられるのなら、どんなものでも利用しようという考えしか頭になかったのだ。
 騎士団に入り、エルロイドの紹介ということもあり、リオーネに対する周りからの注目は多かった。基本装備の鎧を着ないで戦場に出たり、依頼をこなすことを許され、それでいて騎士団でも数少ない女性騎士なのだ。注目されないほうがおかしい。
 実際、始めのほうはいわれない誹謗や中傷、妬みや僻みの視線や言葉を数多くぶつけられていたリオーネだったが、依頼をこなしてその実力を発揮していくうちに、周りからそのような視線や言葉を投げかけられることはなくなっていき、代わりに羨望や親しみの態度をとる人々が彼女の周りに集まりだした。それは、荒んでいたリオーネの心を少しずつ癒していき、騎士団に入って半年も経つ頃には リオーネにとって新しい居場所が騎士団にできていた。
 一向に見つからないフィード。そして自分は捨てられたのでは? という以前から思っていた考えを少しずつ受け入れるようになったリオーネは、やがてフィードのことを忘れるように努めて、騎士団での新しい自分として生きようと思い、より一層周りの期待に応えるようになっていった。
 普段から私服同然のリオーネは、そのままの格好で城下町を歩き、そこに住む住人たちと交流をし、困ったことがあれば彼女の手でできる範囲で解決してきた。そのかいあって、彼女は騎士団に入って八ヶ月が過ぎる頃には、騎士団のメンバーや住人から多大な信頼を受けることになり、異例の早さで空いていた九番隊の副隊長を就任することになった。
 薬屋の前に辿りついたリオーネは立ち止まり、行き交う人波を一人眺める。まるで、そこに彼女が探している相手がふと現れるんじゃないかと想像し……。

(まだ、ここにきて二日目です。そんなすぐに会えるわけないですよね。それに、あの人は私のことを避けてどこかへ行ってしまってる可能性もありますし)

 リオーネが来るということを知らないフィードではない。もしかしたらもう別の地域へ旅立ってしまっている可能性もある。そのことを考えなかったリオーネではない。

(ですが、それでも。私はもう一度あの人に会いたいと思っているんです……。なぜ、私を捨てたのか、それを知りたい……)

 実際に会って、どんな反応を自分が起こすのか、予想も付かない。だが、けしていい反応を示すことはないとリオーネは思っている。それだけ、フィードがリオーネにしたことは残酷で非情なものだったのだ。

「リオーネさん!」

 と、ふいにリオーネから少し離れた場所から、人波を掻き分けて自分の元へと向かってくる小さな少女の姿が見えた。手にはバスケットを持ち、笑顔を浮かべ、駆けて来る。そう、アルが来たのだ。その姿を見て、リオーネも自然と笑みを作り返す。

「ゆっくりでいいので、気をつけてきてください。転んだら痛いですよ」

 そんなリオーネの心配する言葉にアルはますます笑顔になり、

「大丈夫ですよ~。もうすぐそっちに行きますね」

 と元気よく返事をし、勢いよくリオーネの元へと走ってきた。しかし、勢いをつけすぎたのか、最後の最後で止まり切れず、リオーネの胸元に飛び込む形でアルは到着した。

「あ、すみません。リオーネさん」

 えへへと笑いながら少しも反省した様子がないアル。そんなアルにリオーネは仕方がないなと苦笑する。

「そんなに急がなくても私は逃げないですよ。それよりもその手に持ったバスケットはどうしたんですか?」

 アルが持っているバスケットを見て、リオーネは疑問を投げかける。

「これはですね、昨日のお礼にリオーネさんにクッキーを焼いてきたんです。上手にできたと思うので、よかったら食べてもらえませんか?」

 恥ずかしがりながらも持っていたバスケットを手渡すアル。そして、それを受け取ったリオーネは早速バスケットの蓋を開け、香ばしい香りのするクッキーを一つ摘み、口の中へと放る。よく味わい、胃の中へとクッキーを入れたリオーネは、

「うん。とってもおいしいわ、これ。わざわざありがとうね、アルちゃん」

 アルに負けないくらいの笑顔でお礼を述べる。褒められたアルは、ふにゃりと頬を緩ませて、

「はい! 昨日は本当にありがとうございました!」

 と昨日に引き続きお礼を述べた。楽しい気分に浸る二人。容姿は違えど、二人の戯れる様子は端から見ればまるで姉妹のようだった。

「それで、今日はアルちゃんは一人で来たの?」

 何気なく質問するリオーネ。それにアルは先ほどからの元気のよさで答える。

「いいえ、今日はマスターと一緒に来てるんですけれども……。マスターはリオーネさんの姿が見えたときに『一人で手渡してきな。その方がきっとよろこんでくれるよ』って言って、一緒に来てくれなかったんですよ。たぶん今も近くにいると思うんですけれど」

「へえ、近くにいるんだ。そのマスターっていうのがアルちゃんの保護者なの?」

「はい、そうです。このお礼のクッキーもマスターが提案してくれたんですよ」

「そうなんだ。私ちょっとアルちゃんのマスターに会って見たいかな」

 これだけ真っ直ぐな少女を育てられるのだから、よほどいい保護者なのだろう。気を使わせてしまったようなら悪いし、一度話もしてみたいと思っていたリオーネはアルにそう提案した。

「わかりました。それじゃあ、ちょっとマスターを呼んできますね」

 そう言って再び人波の中へと駆け込んだアルを見送り、リオーネはアルが持ってきてくれたクッキーに手を伸ばし、もう一つ口にする。実に甘く、慣れ親しんだ味のするクッキー。これだけのものを作ってくれたアルの姿を想像して、リオーネの頬もアルのように緩んだ。

 しかし……。

(え、ちょっと待って。なんでこの味、おかしい。だってこれは……)

 あまりにも慣れ親しんだその味。ここしばらくは口にしていなかったそれに、リオーネの脳内が一気に刺激される。そして、この味をアルが知っているはずがないという考えが頭の中に浮かんでくる。なぜなら、これはリオーネがフィードと旅をしているときに自ら考えて作った味だったからだ。
 動揺し、考えのまとまらない、リオーネの耳に再びアルの声が聞こえた。この疑問についてアルに問いかけよう。そう思うリオーネだったが、答えは問いかける前に自ら目の前にやってきた。

「よう……久しぶりだな。リーネ」

 懐かしい声と共に現れたのは一年前までずっと一緒に旅をしてきた青年。その容姿はまるで変わることなく、つい先ほどまでずっと一緒にいたと感じさせるほどだった。
 あまりにも突然のことにリオーネの思考に行動が付いていかない。驚きのあまり、口をパクパクと開けることしかできないリオーネにアルが決定的な一言を告げる。

「リオーネさん! この人が私のマスターのフィードです」

 リオーネとフィードの間にできている微妙な空気に気が付くことなく、アルは一人嬉しそうに話を続ける。こうして、一年の時を経てかつて旅を共にした二人は再会した。

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決別

 一年ぶりに再会を果たしたフィードとリオーネは顔を合わせてからしばらくの間、お互いに無言のまま立ちすくんでいた。フィードの挨拶は見事に無視され、不穏な空気が漂い始める。それまではしゃいでいたアルも、二人の間に漂う空気に気が付いたのか、次第に元気をなくして黙り込んでしまった。
 周りの雑音ばかりが耳に入り、いつまでも沈黙が続くと思われた。しかし、その沈黙は意外にもリオーネの方から破られた。

「……久しぶりですね。私とはもう会わないつもりだと思っていましたよ」

 棘のある言葉を投げかけるリオーネ。フィードは何も言い返すことなく、ただ黙ってリオーネの話を聞き続けていた。

「それにしても、相変わらず女の子を誑かすのが得意のようですね。私の次はこの子ですか? どうせずっと一緒にいるつもりもないくせに……。それがいったいどれだけ残酷なことなのかあなたはわかっているんですか?」

 リオーネ自身これほどきついことを言うつもりはなかったはずだったのだが、口からは次々と黒く染まった言葉の羅列が吐き出されていく。

(違う……。こんなことが、言いたいんじゃない。私はただ、どうしてあの時私を捨てたのかが聞きたいだけなのに……)

「どういう、ことですか?」

 それまで黙って話を聞いていたアルが、リオーネに尋ねる。フィードとリオーネの二人の関係についても、どうして今こんなにリオーネがフィードを目の敵にしているのかも知らないのだ。そんなアルをリオーネはわずかに哀れみの目で見ながらも、

「そう……。アルちゃんは何も聞かされていないのね。私はね、昔この男に拾われて、今のアルちゃんと同じように一緒に旅をしてきたのよ」

 驚愕の色に染まるアル。そんなアルを見てリオーネの心は痛むが、それすらも無視して黒い塊は次々と溢れ出た。

「だけど一年ほど前に私はこの人に捨てられた! 理由は私のためだって言い張って。私のため? 余計なお世話です。私の道は私自身で選ぶはずだったのに、この人は私の意志を無視して捨て去ったの」

「マスター……本当なんですか?」

 嘘だと言ってくれというようにアルがフィードを見つめるが、フィードはリオーネの言葉を肯定した。

「いや、リーネの言うとおりだ。俺は確かに、こいつの意思を無視してフラムへと連れて行って、そして置き去りにした」

 その言葉にアルの顔に影が差した。今まで信じていたものを裏切られたかのように、アルはフィードに視線を向けることができなくなってしまった。フィードから貰い、アルの髪につけられている、信頼の象徴とも思えた髪飾りがどんどんと色あせていくのを感じる。その不安をリオーネは感じ取ったのか、アルの肩に手を置き、

「この子のことについてもそうです。もし、私と同じようなことになるようなら、今から私がこの子を引き取ります。答えてください! どうしてあの時私を捨てたのです?」

 息を荒げ、眉を寄せ、必死に怒りを抑えながら、フィードに問い詰めるリオーネ。それにフィードは淡々と答える。

「言ったろ? お前は俺といるべきじゃないって。お前にはいろんな才能がある。人を惹き付けることもできるし、リーダーとしての素質もな。実際、俺と離れて一年足らずでフラムの騎士団副隊長まで一気に成り上がったんだ。
 それだけの才能があるのに、何も持ち合わせていない俺の傍にいたらお前の人生が無駄になると思ったんだよ」

 フィードの言葉にリオーネは愕然とし、落胆の色を浮かべる。

(そんな……。そんなことで私を捨てたというんですか!? わからないんですか? 仮に私が人を惹き付けることができ、リーダーとしての素質があるにしても、それはみんなあなたが私にさまざまなことを教えてくれたからそうなったのですよ。
 あなたに出会っていなかったら、そもそもこんな風に人の上に立つこともなく、一生奴隷として働くだけの無為な人生を歩くだけだったのですよ!
 だからこそ、私はあなたのためだけに生きようとしたのに……)

 肩を震わせ、怒りを抑えるリオーネ。そんなリオーネの様子に気が付いているアルとフィードだが、心配するアルとは対照的に、フィードはどこまでも無表情なままリオーネを見続けていた。やがて、震えが止まり、何かを悟ったようなリオーネはアルの手を取り、

「……わかりました。もう、結構です。あなたに会う理由もこれでなくなりました。
 それと、アルちゃんはこれから私のところで預かります。あなたに任せても、私のように最後に裏切られて捨てられるだけですから」

 キツイ言葉を投げかけると、そのままアルを連れてフィードの元から消えていった。手を取られたアルは、フィードとリオーネの二人を見比べて、しばらくその場に留まっていたが、最後にフィードに悲しげな表情を向けた後、リオーネの背を追いかけていった。

 そして、薬屋の前にはフィードただ一人が残された。



 フィードとリオーネが言い争っていた時、彼らから離れた場所でその様子を見つめている一つの影があった。赤色の生地に黒色の線が所々に引かれている和装をした少女。腰まで届きそうな長い黒髪は、後ろで束ねられている。
 歳の頃は十六、七ほどだ。しかし、幼く見えるその容姿に大人の女が醸し出すような色香を備えている。幼い容姿と溢れ出る色香とのギャップに、たとえどんな男でも彼女を見れば一目でひざまずくだろう。それほどの魅力が少女にはあった。
 しかし、道を歩く人々は誰一人として、少女に視線を向けることはない。すぐ傍を通っているにもかかわらず、誰もが彼女に気が付かないのだ。

「ふふふ。いいものみ~つけたっ」

 少女は遠くに見える一組の男女を見つめて舌なめずりをする。彼女の仲間内では、もはや誰一人として知らないもののない青年の姿が少女の目に映る。

「ああ! なんて素敵なの。あんなに凛々しい顔をしてるのに、あたしたちを見つけたら、その顔をまるで鬼のような形相へと変えてしまうのね!」

 そして、彼女の視線はもう一人、彼のすぐ横に立つ金髪の女性へと向けられる。

「それに、あの子。たしか、『寅』が狙っていたっていう子よね。あの人の大切にしている女だから殺してみてどんな反応するか確かめるって言っていたのに。なによ、殺せていないじゃない。もしかして彼の逆鱗に触れて逆に殺されちゃったかしら」

 クスクスと笑い声を上げる少女。かわいらしいその容姿に似合わず、口から出てくるのは残虐極まりない言葉たち。

「どうしよっかな? あの子に手を出すと私に直接被害が来るだろうし~。う~ん……そうだ! いっそのことあの二人を殺し合わせてみましょう。幸い今はあまり仲がいいようじゃないみたいだし。きっと二人も喜ぶわよね!
 それに、あの女の顔生意気なのよ。この私を差し置いて人の視線を集めちゃって。気づいていない振りなんてして私に対する嫌味のつもり? 
 あ~もう! 早く殺してやりたいわ!」

 腰にかけてある鉄扇を手に取り、ぶんぶんと勢いよく振り回す。しばらくして振り回すのに疲れたのか、ダラリと力なく腕を伸ばす。

「あ~疲れた。それにしてもあの二人、どう惑わしてあげようかな~」 

 鉄扇に舌を這わせ、狂気に満ちた目で、分かれた二人の姿を見つめた後、少女はその場を後にした。



 フィードと別れた後、アルは一定の距離を保ちながら、リオーネの後を歩いていた。

(どうしましょう。ついとっさにリオーネさんの後に付いてきてしまいましたけど、リオーネさんさっきから一言も話さないで先に進んで行ってしまいますし、声をかけていいのかもわかりません)

 思い出すのは、先ほどまでのリオーネとフィードの険悪なやり取り。詳しいことは分からなかったが、昔フィードがリオーネを捨て、この下町へと流れ着いたということは分かった。

(ということはですよ。私は、昔リオーネさんがいた場所に、割って入ったような部外者なんですよね……。もしかして、リオーネさん。私のことも内心では嫌っているんでしょうか?)

 そのことを確認したいと思いつつも、本心を聞くのが怖いアルは、リオーネに声をかけようか、かけまいか迷い、伸ばした手は宙に漂っていた。
 アルがリオーネの背に手を伸ばして何度目かになったとき、それまでどんどんと前を歩いていたリオーネが突然立ち止まり、後ろを歩いていたアルのほうを振り返った。

「……よし。ごめんね、アルちゃん。ずっと黙ったまま進んでて。ちょっと色々と考えたかったから。そういえば、荷物とか持たずに連れてきちゃったけど、どうしても持ってこなきゃいけないものとかあった?」

「いえ、そんな。私にとって必要なものはそこまでありませんので、戻る必要はありませんけど」

「そっか。それじゃあ、服とかは私が新しいの買ってあげるから、また明日一緒に見に行きましょ」

 そう言って、アルの手を取り、再び歩き出すリオーネ。

「あ、あの。リオーネさん」

「リーネでいいわ。親しい人はみんなそう呼ぶから。それで、どうかした?」

「もしかしたらリーネさんは嫌と思うかもしれないんですけど、私今マスターが宿泊している店で働いているんです。それで、そこの店長さんが体調崩してて……。よければでいいのですけど、これからも手伝いに行ってもいいですか?」

 アルの話を聞いて、リオーネは昨日の出来事を思い出していた。

「もしかして、昨日の薬ってその店長さんのために?」

「はい。今そこで働いているの私と、もう一人だけなんです。だから……」

 リオーネはアルの言わんとすることを察したのか、しばらく考えるそぶりを見せた後、

「うん。別に構わないわ。そもそもアルちゃんがどうするかっていうのもアルちゃんの自由だし。無理やり連れてきたようになっちゃったけど、戻りたかったらあの人のところに戻ってもいいのよ?」

 あの人、というのはおそらくフィードのことだろう。と、アルは推測するが、それについては指摘しなかった。それを指摘してしまうと、リオーネがまた悲しみに沈んでしまうと思ったからだ。

「いえ、しばらくはリーネさんの元にいさせていただけませんか? 私、リーネさんのこともっと知りたいので」

 アルの言葉にリオーネは満面の笑みを浮かべ受け入れる。

「それじゃあ、今から私の宿に行きましょうか。それからお互いのこと色々と話しましょ」

「はい、リーネさん」

 二人は手を繋いだまま、リオーネの宿に向けて歩き出す。そんな中、アルは隣を歩くリオーネの顔を見上げながら、ある事を思っていた。

(リーネさん。気づいてます? マスターはずっと『リーネ』って呼んでいたんですよ。本当に捨てたのなら、そんな風に親しみを込めて呼ばないはずですよ)

 それを口に出すことはせず、こじれてしまった二人の関係を悲しく思い、それでも今までの二人に何があったのかが知りたくて、アルはリオーネのところへいることを決意するのだった。

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すれ違う心と心

 リオーネがセントールを訪れてから既に一週間が経った。その間、一足早く下町を訪れていたリオーネに続くように、正式にフラム第九騎士隊が到着した。部下に雑事を任せて、先にセントールに来ていたリオーネは、騎士隊が到着した際、散々文句を言われたようだ。到着した騎士隊は、下町を巡回するついでに、騎士隊員の顔見せをするとのことで、リオーネは普段着ていない鎧を身に着けて、町を回って行った。
 騎士隊員を、そして時の人であるリオーネを一目見ようと、屋外には大勢の人々が並び、騎士隊が進む道を作っていた。そんな人々に騎士たちも、笑顔を見せ、愛想良く手を振りまき、これからしばらくの間生活を共にする人々と有効な関係を作るための一歩を踏み出そうとしていた。
 ある意味お祭り騒ぎとも言えるこの状況の中、他の人々のように外に出て騎士たちの顔を見る事もせず、かといってこの興奮的な状況に身を任せるわけでもなく、ただ一人静かに食事をとっている青年がいた。

「ねえ、フィード。みんなみたいに騎士さんの様子見に行かないの?」

 空になったグラスに水を注ぎ、フィードの隣の席に腰掛けた少女、イオが問いかける。

「いや、俺は騎士に興味がないからな。そういうイオこそ見に行かなくていいのか?」

「私はいいよ。だってこれからあの人たち下町の警護に付くんでしょ? だったらわざわざ顔を見に行かなくったって、嫌でも顔を合わせる事になるんだもん。それならべつに見に行かなくてもいいかな~って」

 両手をテーブルに付き、突っ伏した状態でイオは答える。そんなイオをみてフィードはやれやれとため息を吐いた。

「確かに嫌でも顔を合わせる事になるんだよな……」

 だらしない格好をしているイオを起き上がらせて、きちんと椅子に座らせる。フィードの他に客はいないが、一応イオは給仕中なのだ。

「それってさ~。いったいどっちの意味で言ってるの?」

 イオの問いかけにフィードは一瞬硬直する。動揺するフィードの気など知ったことではないと言うように、イオは話を続けた。

「最近さ、フィードってあの子と一緒にいないじゃん。最初は用事があるのかなって思ってたけど、この宿に泊まってもいない。それなのに手伝いにはきちんと来る。私じゃなくても普通気がつくよ。
 でも、おかしいと思ったのはいつもフィードにベッタリなあの子がここ数日は自分から話しかけようともしないっていうのに気づいた時かな。
 どうにも変だなって思ったから仕事が終わってどこに行くか確かめに行ったら、あの子ってば今話題のリオーネ様の所に行ってるじゃない。それもなんだか親しげな様子だったし。
 それで次の日にどういうことかって問いつめたら、あの子ってば今自分はリオーネ様と一緒にいますって白状したわよ。まったく、これだけフィードの世話になっておいて他の人の所にコロッと行くなんてあの子の気が知れないわ」

 怒っているのか、気を使っているのか、それともそのどちらもなのか。イオはムッとした表情を浮かべて再び机に突っ伏した。今度はフィードもそれを直そうとはしなかった。

「まあ、簡単に言うとちょっとアルと喧嘩しちゃってな。……いや、違うか。俺が昔酷い事をしたっていうのをアルに知られちゃったんだ。
 それで、アルは気持ちの整理が付かないから、しばらくの間リーネの所に身を寄せているんだ」

 フィードはなるべく分かりやすいようにイオに伝えた。本当はこの事についてイオに話すつもりはなかったのだが、イオ自身が調べて事の全容をほとんど掴んでいたので、仕方なく話す事にしたのだ。たとえフィードが話さなかったとしても、そのうちイオはアルを問いつめて話の全てを聞き出すだろうと予想できたため、それなら早いうちに話してしまった方がいいだろうとのフィードの判断だった。

「ふ~ん。なるほど、ね。それで、フィードはどんな酷いことをしたの?」

 興味があるのか、イオはフィードが話の続きを語るのを待っていた。そんなイオに自虐的な笑みを浮かべ、おどけるようにしてフィードは語った。

「実はな、俺は少し前まで今のアルのように一緒に旅をしていた奴がいたんだ。でも、色々と思うところがあって、俺はそいつを置き去りにした。
 それで、そいつには酷く恨まれてさ。その事をアルが知っちゃって、俺の傍にいるのがいいのかどうかって思ったんだろうな……。
 というわけで、アルの奴はしばらく俺と距離を置いて生活しているんだよ」

 少しは驚くと思って話をしたフィードだったが、イオは特に驚いた様子を見せるわけでもなく、眠そうに欠伸をかみ殺しながら、話を聞くだけだった。あまりにも拍子抜けするイオの態度に、フィードは戸惑った。

「あれ、イオ? なんだか、全然驚いていないな」

「だってさ、話を聞いているとあの子ってばホントに馬鹿なんだなって思って。
フィードが本当にそんな風にして前に一緒にいた人を捨てたのなら、今こうしてあの子と一緒にいる事も、私を助けてくれることもないじゃない。
 そんな事に気がつかないで、うじうじしているだなんて。あ~もう! 腹が立ってしょうがないよ!」

 バンッと勢い良くテーブルを叩き、イオが立ち上がる。テーブルの上にあった料理の皿が宙に跳ね、先ほど注がれた水がわずかにテーブルの上に零れた。突然のことにしばらくボーッとしていたフィードもイオが自分の為に怒ってくれているという事に気がつき、その表情が和らぐ。

「ありがとな。でも、こればっかりはアルの奴が決める事だからさ。俺がどうこう言う権利はないんだよ。あいつは俺の所有物でも何でもないんだから」

「む~。それはしょうがないけどさ。じゃあ、あの子とは別の話になるけど聞いてもいい?」

「いいぞ。なんだ?」

「フィードが昔一緒に旅をしていたのってあのリオーネ様なんでしょ?」

 その質問にフィードの顔が強ばる。その反応だけで、答えが分かったのか、イオは先程よりも更に身体の力を抜いてテーブルの上でだらける。

「あ~あ。ライバルはあの子だけかと思っていたら思わぬところから伏兵が出てきたな〜」

 ぶつぶつと何かを呟くイオだが、フィードにはそれが何の事なのか分からなかった。

「イオ、お前なにを言ってるんだ?」

「気にしないで、独り言。それにしてもリオーネ様ってもっと頭の柔らかい人かと思ったけど、思ったより堅物なんだね」

「どうしてそう思うんだ?」

「だってさ、フィードは今でもあの人のこと『リーネ』なんて親しい感じで呼んでさ。それに、あの子からちらっと聞いた話だと、捨てられたって言ってるようだけど、フィードは一言だって『捨てた』なんて口にしてないんだもん。
 そう考えたら、それがどういう事なのかってことくらい分かるはずだけどな。頭悪い私でも分かるのに、そんなことにも気がつかないなんて、頭堅いんじゃないかな、あの人」

 今までのイオの指摘はどれも鋭いものだったが、その中でもとりわけ今の発言は的を得ていて、フィードは思わず言葉を失った。

「まあ、あの二人がどうなろうが私には関係ないからどうでもいいんだけどね。私はフィードと一緒に居られるならそれでいいし!」

 そう言ってテーブルの上にあった頭をフィードの膝の上に移動させ、うるさい従者のいない時を満喫するイオ。フィードはそんなイオにただ苦笑いを浮かべるしかなかった。



「ただいま、アルちゃん」

 夕方になり、町の巡回を終えたリオーネはアルの待つ宿へと戻ってきた。フィードと一緒に居た部屋とは違い、広々とした部屋では、数日が経っても落ち着いた様子がないアルがそわそわとし、リオーネに買ってもらった新しい服を畳んでは広げていた。

「おかえりなさい、リーネさん。どうでした? 町の様子は」

 帰ってきたリオーネを笑顔で出迎え、彼女の元へとすぐさま駆け寄る。その様子は飼い主の帰りを待ちわびた忠犬のようだ。

「みんな笑顔で出迎えてくれていたわ。さすがに私は何日かこの下町に居たから雰囲気に慣れていたけど、隊のみんなはちょっと緊張してたみたい。でもすぐに慣れると思うわ。この町の人はみんないい人ばかりだしね」


 ベッドに腰掛け、身につけている鎧を取り外し始めるリオーネ。しばらくして、いつもの格好をした彼女がアルの前に現れる。

「そうですか。それで、今日は何をするんですか?」

「う~ん。私は今回この隊を預かる隊長ってことになってるの。だから、みんなの業務報告を受けたり、異常があれば指示を出すのが仕事になるわ。
 今日はみんなで巡回もしたし、まずは隊のみんなと下町の人たちとの交流を図るのが第一ね。だから、今日の私の仕事はもうおしまい」

「じゃあ、一緒にどこかへ出かけませんか? 隊の皆さんにも挨拶をしておきたいですし」

 騎士隊のメンバーを一目見たいという気持ちがあったアルは、リオーネにそれを悟られないようさりげなく言ってみたのだが、リオーネはそんなアルの考えに気づいていたのか、微笑ましくアルを見つめていた。

「そうね、それじゃあ少し顔を見せに行きましょうか」

 そう言ってアルと共に騎士隊員が宿泊している別の宿へと二人は歩き出した。


「あ、副隊長。どうしたんですか、僕たちの宿に来るなんて。もしかして何かありましたか?」

 しばらくして騎士隊員が宿泊している宿にたどり着いたリオーネとアル。入り口を入ってすぐに出迎えたのは、優しげな雰囲気を漂わせている一人の青年だった。

「ああ、エリオード。実はこの子に私たちの隊のメンバーの顔ぶれを見せてあげようと思ってね」

 リオーネとあまり年の変わらないように見える金髪緑眼のエリオードと呼ばれた青年にリオーネはそう言って、自分の後ろに隠れているアルを前に押し出して紹介する。

「うわ、かわいい子ですね。この下町の子ですか?」

「一応はそうなるわね。でも、あんまりかわいいからって手を出したら駄目よ。その子、今は私が預かってるんだから」

「副隊長の知り合いに手を出すわけないじゃないですか。そんな事をしたら命がいくつあっても足りませんよ」

 肩をすくめて苦笑するエリオード。そんな彼とリオーネのやり取りを見つけた他の隊員が次々と二人の周りに集まり始める。

「あれ、副隊長。どうしたんですか? もしかして、俺たちにデートのお誘いですか?」

「……ラスク。冗談は顔だけにして欲しいわ。いくら私でもさすがに獣の相手はしないけど?」

 ラスクと呼ばれた赤髪茶目の見るからに屈強そうな男性がリオーネを茶化す。しかし、リオーネもそんな悪ノリに付き合って、冗談で返した。そのやり取りに集まった他の隊員は笑い声を上げる。

「おいおい、みんな酷くねえか。獣って馬鹿にされてるんだぜ。普通誰かしらフォローを入れてくれるもんだろ」

 しかし、その言葉に隊の誰もが顔を見合わせ「だって……なあ」と呟く。そして、全員の意見を代弁するようにエリオードがラスクに伝える。

「だって、ラスクと副隊長のどっちの味方をするかって言われたらそりゃあみんな副隊長の味方をするよ。だって副隊長は地位もあるし、腕も立つ。おまけに騎士隊屈指の美人ときた。
 それに比べてラスクは、腕っ節は確かに強いけれど、見た目野獣だし、実際に獣臭い。
 ほら、どっちの味方をするかは明白でしょ?」

「うっせー、エリオード。獣臭くて悪かったな、あんまりそんな事言うとお前が寝てる間に俺の獣臭い下着を顔に被せるぞ」

「勘弁して、そんな事されたら三日は匂いが取れないよ。下町の人と話そうとしても避けられちゃうじゃないか」

 笑い声に満ちる宿内。第九隊ならではの明るい雰囲気がフラムから離れたこのセントールでも漂っていた。

「うん。みんなまだまだ元気がありそうね。それじゃあ、今から私たち食事に行こうと思っているんだけど、みんなも一緒に行かない?」

 リオーネのその言葉に、隊の誰もが目を合わせあい、

「隊長のお誘いでしたらぜひ!」

 と元気よく返事をするのだった。リオーネは彼らの単純さに呆れながらも、

「こら、副隊長でしょ。隊長が聞いたら怒るわよ」

 と、隊のメンバーとの会話を楽しんでいた。



「おう、いらっしゃい。こりゃあまた、今夜は大勢で来たんだな」

 騎士隊のメンバー全員を連れて酒場の入り口を開けて入ったリオーネは、連れてきた人数に驚いているレオードに声をかけられた。

「こんばんは、レオード。今日は隊のメンバーを連れてきたわ。上手く行けばみんなここの常連になるかもしれないから、頑張って料理とお酒を振る舞ってね」

 そう言って店内に入るリオーネ。その後をまるで行進するかのようにゾロゾロと付いて来る二十人ほどの騎士隊のメンバー。

「ほ~。こりゃ確かに、常連になってくれれば懐が温かくなるな」

「でしょ? 期待してるわよ、レオード」

 レオードにウインクを投げかけ、近くにあるテーブル席の一席に座る。他のメンバーも空いている席に座り、それぞれ雑談を始める。酒場にはリオーネたち騎士隊以外に、よくこの酒場を使っている常連が集まっていた。急に入ってきた大勢の騎士たちに彼らは驚きながらも、これから下町の警護につく彼らが一体どんな人物なのか見極めようとしていた。

「みなさん、元気ですね。今日も一日町を回っていたはずなのに……」

 リオーネの隣の席に着いたアルが呟くと、同じように同じテーブルの席に着いたエリオードがその呟きに律儀に答えた。

「そりゃ、みんなフラムの騎士だからね。あの程度でへばるほど体力はなくないさ」

「よく言うな。お前なんて騎士隊に入ったばかりの頃は体力なくてしょっちゅう吐いていたくせに。子供の前だからって見栄張りやがって」

 エリオードが隠していた事実をあっさりと暴露し、ラスクもまた同じ席に座る。過去の恥ずかしい出来事を晒されたエリオードは顔を真っ赤にして、ラスクにキレた。

「おい、それは言わない約束だろ。それに、今はもう体力だってついたよ。昔の僕じゃない」

 しかし、ラスクは先ほどの宿でのお返しとばかり、からかい続けた。

「ほ~。体力はついても剣の腕は一向に上がらないお前がな~。いつも練習に付き合ってる俺にボロ負けしてるんじゃ、昔のお前とあまり変わらないがな」

 ニヤニヤと挑発的な笑みを浮かべ、ラスクはエリオードを見つめる。さすがにここまで言われて黙っているほどエリオードも人ができていないのか、

「なんだよ、やる気?」

「お前こそ、いつも負けているのにまだ懲りないのか? ああ、今日は副隊長がいるもんな。格好悪い姿は見せられんよな、お互いに」

 互いに立ち上がり、火花散る睨み合いが始まる。そんな二人にリオーネはやれやれとため息を吐き、

「頼むから酒場の備品は壊さないでよ。もし壊したなら自費で弁償してもらうからね」

 忠告だけはしっかりとし、それでも二人を止める事はしなかった。リオーネは騎士団にいる男は見栄っ張りで負けず嫌いな連中が多いと悟っているため、こういったいざこざが起こっても、なるべく止めないようにしていた。リオーネ自身には分からないが、男には拳で語り合って芽生える友情もあるのだそうだ。

「副隊長から許しも出たし、どう決着をつけようか?」

「ここは酒場だぞ? やる事は一つだろ」

 そう言って二人は店主であるレオードの方を向くと、

『店主! ここにあるだけの酒を持ってこい!』

 と叫び声を上げた。そんな二人の様子に気がついた他の隊のメンバーと常連客は歓声を上げた。

 レオードもまたいつもの酒場のノリに呆れていたが、まずは最初の一杯をグラスに注ぎ、二人の前に差し出した。

「いいか、勝負するのは勝手だが、騒ぎすぎてうちの店の物を壊したら承知しねえからな」

 リオーネと同じく、釘を刺したレオードだが、その忠告はおそらく意味をなさないだろうと予想していた。なぜなら、こういった勝負事が始まると、周りもその熱気に当てられて騒ぎだし、理性は吹き飛び、騒ぎ、踊り、果ては店の備品が壊れる事になるからだ。
 そんな店主の心配など露知らず、二人はグラスを持ち、

「いい? 勝ったら相手は黙る事!」

「敗者はベッドで泣いていろ!」

「いくよ!」

「いくぜ!」

 コンと木製のグラスがぶつかる音が響き、二人は一気に中に入っている酒を飲み始めた。酒が喉を通るたび、小気味よい音が鳴り、口元から溢れた酒が床に垂れる。最初の一杯は両者同時に飲み終わった。二人は互いに相手を睨みつけた後、店主であるレオードの方へと振り向く。

『次の酒持ってこい!』

 叫ぶ二人に周りは口笛や声援を送る。一部の人々は何やらどちらが勝つか賭けを始め、勝負の行方を見守っていた。そしてまた、別の席では二人と同じように飲み比べを始める物たちも現れ、あっという間に店内は騒がしくなり、にぎやかな雰囲気となった。
 アルもまた、普段は見る事のできない大人の世界の一端をその肌で感じ、熱気に当てられていた。目の前で繰り広げられる二人の男の飲み比べを見て、影響されたのか、リオーネにお酒を飲んでみたいと頼み込む。

「リーネさん。私もあの飲み物飲んでみたいです!」

 しかし、悪い影響を受けそうになっているアルに、リオーネはきちんと分別をつけさせるため、ほんの少しだけアルを叱る。

「こらっ! アルちゃんはまだ子供なんだから、こんなもの飲まなくてもいいの。目の前にいるようなのは大人の悪い例だから真似しちゃ駄目」

 リオーネに叱られたアルはしょんぼりして肩を落とした。と、そこにきてようやくアルがこの場にいることに気がついたのか、レオードが声をかける。

「あれ、アル。お前さん今日はフィードの奴と一緒じゃないのか? もしかして一人できたのか?」

 レオードのその言葉に先ほどよりもしょんぼりとしてしまうアル。そんなアルに気がついているリオーネはすかさずフォローを入れる。

「いえ、今アルちゃんは私のところで預かっているの。それで今日は一緒に食事を取りに来てて……」

「ほう。まあ、なんでもいいが。あいつにもたまには顔を出せって言っておいてくれ。あいつが中々来ないもんだから常連客がいつ来るかそわそわと落ち着かなくて仕方がねえ」

 そういうレオードもまた落ち着かない側の人間であるのだが、それをフィードに悟られるのは癪なのか、誤魔化して伝えた。そんなレオードにアルはなるべく元気よく返事をする。

「わかりました。マスターに会った時に伝えておきますね」

「ああ、よろしく頼んだぞ」

 そう言うとレオードはカウンターに入り、必要になる酒を次々と注ぎ始めた。そして、同時に大量の料理の調理に入った。

「やっぱり、あの人のこと気になる?」

 しばらくボーッとしていたアルにリオーネが問いかける。

「い、いえ! そんなことは……」

 とっさに否定するアルだったが、語尾は小さく弱々しくなり、明らかに気にしていることがわかってしまう。

「ホントはちょっとだけ気になってます。最近マスターともあまり話せてませんし、実を言うとどうしてリーネさんにそんなことをしたのかも知りたいんです」

「この間本人が全部語ってくれたと思うけど?」

「あれは……本当に全て語っていたんでしょうか? リーネさんはあれで全部だったと思いますか?」

 アルの問いかけにリオーネは苦しそうに表情を歪ませる。そして、次の言葉をアルが話そうとする前に、その口を手で遮り、無理矢理話を終わらせた。

「もうこの話はここまでにしておきましょ。私はその事について知りたいと思わないわ」

 逃げるようにしてエリオードやラスクを含めた部下たちの飲み比べに飛び込み、参加するリオーネ。そんなリオーネの背を見つめたまま、アルは一人ポツンと席に残されたのだった。

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

暗躍する者

 夜が更け、外を歩く人々が家路へと帰り始めた。酒場での騎士たちの宴も佳境を過ぎ、だいぶ落ち着き始めていた。結局、酒場の常連客も交えた飲み比べは、騎士や常連客を酔い潰し、酒場は死屍累々の状況となった。

「こりゃあ酷い有様だな」

 酒場の入り口で騎士の様子を見つめながらフィードは一人呟いた。久しぶりに外で食事を取ろうと思い、レオードの元へ食事を取りにきたフィードだったが、入り口を開けてすぐに目に入ってきた状況に思わず呆気に取られてしまった。まるで一ヶ月前の再現のように床に突っ伏したり、理性を失い笑い声を上げ続けたり、吐き気を催しているのか、裏口から外へ出て行く者たち。それ以外は、この惨状など知ったことではないと言わんばかりに、気持ちよさそうに寝ている。
 この場で素面なのはフィードを含めて三人だけ。フィード以外は、今回は酒を飲まなかったレオードと、寝ている騎士や常連客に毛布をかけて回っているアルだ。そんな風にして入り口に立って、アルの様子を見ているフィードに気が付いたレオードが声をかけた。

「おう、フィード。久しぶりだな。ちょうど少し前にアルのやつに顔を見せるようお前に伝えておいてくれって言っていたんだが、お前から来るとは、伝える手間が省けたな」

「そうなのか? まあ、俺がここに来たのはただの気まぐれなんだが、こんな状況になっていると分かっていたら来ようとは思わなかったよ」

 フィードの言葉に、レオードは顔に手を当てて目の前にある惨状から目を逸らした。たまにしか酒場に飲みに来ない客はこういった騒がしい出来事も楽しんで歓迎するのだが、酒場の店主であるレオードにしてみれば今回ほどではないにしろ、毎日のように騒ぎ、物を壊され、客に寝そべられるのだ。たまったものではないのだろう。
 その証拠に、今回は酒が入っていないため、我慢はしているもののこめかみに筋が浮かんでいるのが分かる。新しく町に来た騎士との友好関係を築くため、湧き上がる怒りを必死に抑えているのだろう。
 こうなってしまえば、もはや常連客となってもらうために丁重に騎士たちの相手をしようなどという考えはレオードにはないだろう。ここは酒場なのだ。中に入って酒を飲んでしまえば、騎士だろうがなんだろうがただの酔っ払いの集まり。そうなれば遠慮など不要である。
 おそらく、次にこんな騒ぎを起こしたら騎士たちはレオードによって容赦なく店からつまみ出されることになるだろう。

「それで、何か食べるのか? それとも飲みにきただけか?」

 パンと手のひらを合わせて叩き、気分を切り替えるレオード。先ほどまでとは違い、落ち着いた様子でフィードに注文を聞くが、

「いや、そんな雰囲気じゃないだろ。こんな光景を見せられて、食欲なんてすっかりなくなっちまったよ」

 手をひらひらと振り、フィードは断りを入れる。

「なんだ、それじゃあもう帰るのか?」

「……そうだなぁ。最初はそう思ったけど、頑張ってるアルを置いて帰るのも、ちょっとな……」

 忙しく動き回るアルを優しい眼差しで見つめるフィード。視線を感じたのか、アルは動きを止め、フィードのほうへと振り向く。二人の視線は一瞬交わったが、気まずいのかアルは視線を逸らして再び作業に戻ってしまった。そんなアルの態度にフィードは苦笑いを浮かべるしかなく、ただその場に突っ立っていた。

「なんだ、お前ら喧嘩でもしたのか? そう言えばアルのやつ今リオーネのとこにいるって言ってたな」

「あ、それ聞いたのか。もしかして本人から?」

「いや、そこで眠っているリオーネからだが?」

 そう言ってレオードは酒場の隅で熟睡しているリオーネを指差した。

「あちゃ~。あいつ酒飲んでたのか」

 その姿を見て、フィードがしまったというように顔をしかめる。

「なにか悪いことがあるのか? というかお前たち知り合いだったのか」

 フィードが顔をしかめた理由が分からないレオードは不思議そうにしている。そして同時に二人が知り合いであるという事実に驚いていた。

「まあ、その話はあまり踏み込まないでおいてくれると助かる。それはそうとリーネのやつ酒飲んで寝ると次の日まで全く起きないんだよ。無理やり起こそうとすると身体に染み込んだ戦闘技能で無意識のまま反撃してくる。それはもう理性がないぶん手酷くやられる。
 そんなだから、誰かが連れて帰るしかないんだが……」

 フィードは改めて辺りを見回すが、そこには頼りになりそうな人物は一人もいなかった。

「こんな状況じゃ、誰も連れて帰ってくれないだろうな」

「まあ、当然だな。言っておくが、俺は一晩こいつらをここに置いておくつもりもないぞ。無理やりにでも起こして帰らせる」

「だよなぁ。せめて女性の騎士が他にもいれば連れて帰るの頼めるんだが……」

 深いため息を吐き、フィードは悩んでいた。

「とりあえず、アルのやつに任せてないでお前も介抱を手伝え。このままじゃ店が閉められん」

 そう言って水の入ったピッチャーをカウンターに幾つも置いていくレオード。

「仮にも客に酔いつぶれてる他の客の介抱なんて頼むなよな。手間賃とるぞ」

「うるせえ。どうせ何も注文しねえならお前は客じゃねえ。知人のよしみで手伝え」

「ひでえな。手伝えばいいんだろ、手伝えば」

 フィードはカウンターに向かいピッチャーを手にすると、空いているグラスに水を注ぎ、頭を抑えて呻いている青年に水を手渡した。

「ほら、これでも飲んでおけ。仮にも騎士が二日酔いで職務怠慢になるなんてことになったら、町のみんなから文句を言われるぞ。親しみやすいのはいいことだけど、ほどほどにな」

 フィードは一応この下町で警護に付く騎士へ激励の意を込めて注意を促す。しかし、青年はあまりにも頭が痛いのか、フィードから水を貰うだけで返事をしなかった。

(こいつ一体どれだけ飲んでるんだよ。返事もできないくらい飲むなら休憩でも挟んで酔いを醒ましておけばいいのに……)

 常連客をも巻き込んだ飲み比べの発端がこの青年、エリオードにあるということを知らないフィードはやれやれと嘆息し、他の騎士や客に水を配っていった。
 しばらくして、水を配り終えたフィードは空いている椅子に腰掛け、一息ついた。

「これで少しはマシになったかな?」

 水を飲み、酔いが少し醒めた人々が、眠っている他の人々を起こし始めた。先ほど頭を抱えていたエリオードもだいぶ楽になったのか、近くで寝そべっている獣のような男、ラスクを蹴っ飛ばして起こしていた。

「いってぇな! なにすんだよ」

「うるさいな、いいから他の寝てるやつら起こせよ。結局負けたのお前だろ?」

「チッ! 体力ないのに酒には強いってどういうことだよ」

「ぶつぶつ言ってないでさっさと動けよ! 負けたら黙ってるのがルールだろ」

「はいはい、わかったよ。起こせしゃいいんだろうが……」

 文句を言いながら、他の騎士を起こし始めたラスク。次々に起きていく騎士を見て、フィードは安堵する。だが、一番の問題は未だに解決していない。

「あとは……リーネのやつだよな」

 チラッと眠っているリオーネを見るフィードだが、リオーネは先ほどから微動だにせず、安らかな寝息を立てて眠ったままだった。酔いが醒めていない騎士たちは、そんなリオーネを見て思わず生唾を飲んでいた。

「おい、隊長のあんな無防備な姿めったに見られないぞ」

「こら、副隊長だろうが。また怒られるぞ。いや、今は寝ているから聞こえていないか。それはともかく、副隊長って酔い潰れるとあんなふうになるんだな」

「なあ、誰か起こせよ」

 その一言に騎士たちはたちまち挙動不審になる。

「いや、起こしていいなら俺が起こすぞ?」

「いいや、俺が起こす。お前さっきまで吐いてただろ。無理しないで先に帰ってろ」

 そんなやり取りがそこらから聞こえ、言い争いはやがて喧騒へと変わり、再び酒場の中は騒がしくなった。騎士たちは誰がリオーネを連れて帰るかという話で盛り上がり、レオードはそんな彼らを見て頭を抑えた。

(これじゃあ、いつまでたっても終わりそうにないな。しょうがない、騎士たちの恨み、それとリーネからもまた恨みを買うが俺が連れて帰るか)

 決断すると、フィードは他の騎士たちの間をすり抜けてリオーネの元へと行き、彼女をその背に背負った。それを見た騎士は「あ……」と間が抜けた声を漏らし、アルの元へと歩くフィードをただ眺めていた。

「アル、悪いんだけどリーネのやつの宿を教えてくれないか? こいつどこに泊まってるか分からないからさ」

 他の騎士と同じように、一瞬呆気に取られていたアルだったが、フィードの言葉を意味を理解したのか、

「あっ、わかりました。私も一緒に行くので付いてきてもらっていいですか?」

 と少しだけ嬉しさの滲んだ声色で返事をした。入り口へと向かい、そのまま外へ出ようとするアルに付いて行こうとしたところで、ようやく我に返った騎士たちが、リオーネを連れて行こうとするフィードを引き止めた。

「ちょ、ちょっと待ってください。さっきから勝手に話を進めてますけど、あなた一体誰なんです?」

 真っ先に冷静になったエリオードがフィードの前に立ち、進行を妨害する。

「俺か? 俺はこの下町に滞在しているフィードって言うものだ。一応ここでは何でも屋として依頼を受けている。これから顔を合わせることもあるだろうし、よろしく頼む。
 それと、リーネのことだけどお前たちが連れて帰ってくれるなら任せるぞ。ただし、こいつ無理やり起こそうとすると無意識に襲ってくるから腕っ節がないやつだと手酷い目にあうけどな」

 自己紹介と忠告を兼ねて話をしたフィードだったが、エリオードや他の騎士はフィードの素性よりもリオーネのことを愛称で呼んでいることや、騎士たちが知らないことをフィードが知っていることに意識がいっていた。

「もしかして、副隊長の知人か何かですか?」

 おそるおそるエリオードがフィードに尋ねる。しかし、フィードはその質問に困ったように口をへの字に曲げて、

「知人といえば確かにそうだけど……。この場合なんて説明すればいいのかな。まあ、かいつまんで言えば昔馴染みみたいなものだ」

「そうですか。もしかしたら、あなたは本当に副隊長の知人なのかもしれないのですけれど、本人の確認が取れないので信じることはできません」

 いかにも堅物そうなエリオードの返答にフィードは内心面倒なことになったなと自分の行動を後悔していた。

(こんなことなら、騎士隊に任せておけばよかったな。リーネとの関係について根掘り葉掘り聞かれるのも勘弁して欲しいし……)

 目の前の青年にリオーネを渡して帰ろうかとフィードが思った時、意外にもエリオードの方からフィードへの提案が出された。

「信じることは……できません。しかし、僕も一緒に副隊長の宿にまで付いていけば問題ありません。本当なら僕たちが副隊長を連れて帰るべきなんでしょうけど、お恥ずかしながら皆酔い潰れていて、人一人背負って普通に歩けるとは思いません。
 ですので、まことに申し訳ないのですが、あなたに副隊長を連れて行ってもらいたいんですが、よろしいでしょうか?」

 頭を下げるエリオードにフィードは少し驚いた。堅物で話が通じないという印象を持っていたが、意外と物分りはいいようだ。エリオードへの印象を改めて、フィードは話を進める。

「ああ。そっちがそれでいいなら、俺はその通りにするよ。それで、できれば名前を教えて欲しいんだが」

 フィードがそう言うと、名前を名乗っていなかったことに気が付いたのか、エリオードが慌てて答える。

「これはすみません。僕はフラム騎士団第九隊所属エリオードといいます。これから下町の警護に付かせてもらいますので、しばらくの間よろしくお願いします」

 握手を交わそうと手を差し出したエリオードだったが、フィードの手が塞がっていることに気が付いて、差し出した手を引っ込めた。

「それじゃあ、早いとこ宿に行くとするか。あまり長居してても悪いし」

 そう言って再び外へ出ようとするフィードを今度はレオードが止めた。

「なんだよ、オッサン。そこどいてくれよ。俺こいつ連れてかないといけないんだから」

 レオードの横をすり抜けていこうとしたフィードだったが、レオードにがっしりと肩を掴まれて身動きが取れなくなる。そして、そんなフィードにレオードはただ一言、

「お代、払ってもらおうか?」

 と呟いた。フィードはまさかと思い後ろを振り返るが、今回の遠征では隊長になっているリオーネが資金管理をしているため、今日の飲み会は彼女が出すと思っていたらしい。一応硬貨袋を持ってきている騎士もちらほらといたのだが、彼ら全員のお金を合わせても支払いの金額には届かなかった。
 リオーネのズボンのポケットに入っている硬貨袋を出せればいいのだが、寝ている女性の身体を勝手に触るのもどうかと思われる。

(こりゃ、明日から仕事再開だな……)

 フィードはため息と共にポケットから硬貨袋を取り出して騎士隊の飲み代を立て替えておいたのだった。



「今更だが、アルがリーネの硬貨袋を取ればよかったんじゃないか?」

 他の騎士隊のメンバーより一足先に酒場を出たフィードたち。宿へ向かう最中、ふと先ほどの出来事を思い出してフィードが呟く。

「言われてみれば、そうですね……」

 何故かフィードから目を逸らしながらアルが同意する。しかし、今回は酒場のときとは違い、気まずさから視線を逸らしているのではないということをフィードはアルの様子から感じ取った。

「おい、アル。お前もしかして気づいていて何も言わなかったんじゃないだろうな」

 フィードの言葉にますます目を逸らすアル。そんなアルにフィードは呆れながら、

「しょうがないな。まあ、あの金も殆どは運よく貰ったものだしな。なくなっちまったのはそろそろ依頼を受けろってことなのかもな」

 仕方がないと呟いた。しかし、そんなフィードにエリオードが慌てて口を挟んだ。

「いえ、あれは僕たちが原因なので、明日にでも必ず払わせていただきます。民衆を助けるべき騎士が助けられてばかりとあってはフラム騎士団の名折れですから」

「べつに、俺は守られるべき民衆ってような柄でもないし、あの金はホント予期せず手に入ったものだから気にしなくてもいいんだぞ。それに、騎士だからって助けてもらっちゃいけないなんてことはないだろ。
 騎士が助けてくれるからこそ、民衆はそれに感謝してお返しがしたい、助けになりたいって思うんじゃないか? だからフラムは治安がいいし、ここみたいに騎士団と民衆の間に溝がないんだと俺は思うけどな」

 やんわりと断るフィードだったが、エリオードは頑なに自分の意見を退けようとしなかった。

「確かにそうなのかもしれませんが、ここはフラムではなくセントールです。フラムの民衆と同じような関係になるには、まず僕たちがセントールの人々の信頼を得ないといけないんです」

 二人の意見はどこまでも平行線上で交わることはなかった。

「まあ、騎士団には騎士団のやり方があると思うし、俺がとやかく言う必要もないか。よくよく考えたら返さなくていいって言ってるお金を返してくれるんだ。ありがたく貰っておくのが一番だよな」

 急に意見を撤回させたフィードにエリオードは驚くが、それ以上言うこともなかったため、黙ってしまった。

 地面を踏む靴の音だけがフィードたちの周りに響く。一見すると静かで穏やかな雰囲気が漂っていた。そんな中、優しそうな笑みを浮かべて安らかに眠りについているリオーネを見つめるフィードを見て、エリオードの胸がズキリと痛んだ。
 リオーネと出会い、昔のことを語らず、人々のために成果を挙げ、先へ、先へと進んできた彼女を一番近くで見てきたのは自分だという思いがエリオードにはあった。
 今では階級も変わってしまい、上官と部下という関係になってしまっていたが、それでも他の騎士も含め自分が彼女について一番知っていると思っていた。
 しかし、今日現れた目の前の男はエリオードも知らないようなリオーネについて知っていたのだ。昔馴染みとフィードは言っていたが、それはどのような関係だったのか、エリオードは知りたくてたまらなかった。
 だが、それを聞いて彼とリオーネが深い関係にあったのなら、自分も胸の中にある感情は爆発して暴れ狂うだろうと理解していた。そのため、エリオードはフィードに二人の関係について聞きたくても聞けなかった。
 睨みつけるようにずっと見つめていたせいか、視線に気が付いたフィードがエリオードの方を向いた。

「ん? どうした。まだ何かあるのか?」

 振り向いたフィードに驚き、とっさに視線を逸らすエリオード。まるで自分の心を透かされているようなフィードの視線は、エリオードには苦痛だった。エリオードが何も言わなかったため、特に用はないと思ったのか、フィードは再び前を向いた。
 やがて、アルがリオーネの泊まっている宿を見つけ、フィードと共に中へと入っていった。ここまでくれば、エリオードが中にまで付き添う理由はなく、もう自分の宿へと帰るしかなかった。
 何もかも善意で手を差し伸べてくれたフィードに対し、リオーネに抱いている感情からついむきになって対抗してしまったことを今更ながら理解させられたエリオードは、この場に居るのがいたたまれなくなり、宿に向かって駆け出した。

(僕は……僕はなんて意地の悪いやつなんだ。騎士ならもっと人を信頼して、相手の信頼にも応えるのが正しいのに、最初から相手を疑ってかかって。その上副隊長の件でも張り合おうだなんて。あまりにも馬鹿げてる!
 いいじゃないか、副隊長は誰のものでもなく副隊長自身のものなんだ。昔何があったとか、誰とどんな関係を築いていたとか、そんなことは副隊長が話してくれればいい。
 話してもらえないなら、話してくれるように副隊長の信頼を得ればいいんだ!)

 息を切らせ、走り続けるエリオード。宿までもうあと少しだったが、今はあまり宿に帰りたいとは思わなかった。帰ってしまえば、ラスクや他の隊員に胸の中に溜まっている気持ちの数々を吐露してしまいそうだったからだ。息を吐き出し、その場に立ち止まるエリオード。空を見上げれば煌く星たちが地上を見下ろしていた。

「あ~もう。僕って小さい男だな……」

「あら? いいじゃないですか、小さい男。器も心も小さな男は見ていてかわいいわよ」

 独り言のはずが、後ろから返事をされ、エリオードは慌てて振り返る。見ると、そこには長い黒髪を夜風にたなびかせた和装の少女がいた。この辺りでは見かけない珍しい格好をしている少女に興味を持っていると、少女が蔑むような目をしてエリオードを見つめた。

「ふふふ。そんなにジロジロ見られると恥ずかしいわ。これだから我慢できないお猿さんは嫌なのよ。どうせなら、襲ってくればいいのに。襲う勇気もないのなら、そんなに見つめないことね」

 少女の口から出るとは思えない下卑た言葉の数々、そして的外れな発言にエリオードは思わず呆れてしまう。

(なんなんだ、この子? 下町の……いや、ここに滞在しているどこかいいとこのお嬢様か? なんにしてもとても口が悪いな。でも、こんな時間だし何かあったらいけないな。宿に帰る前に、家に送り届けてあげるとしよう)

 いくら侮辱されようが、相手は少女。こんなことで腹を立てるようでは騎士の名折れだと思い、エリオードは少女の言葉を気にかけないようにして、家へと送り届けようと少女へと近づく。

「……あれ?」

 しかし、踏み出した一歩は逆に後ろへと下がっていた。不思議に思い、少女へと近づこうとするが、本能的に身体がそれを拒否する。

「あらあら、鈍いかと思ったら、少しは危険を察知することもできるのね。勘のいい男は嫌いじゃないわ。でも、残念。私から逃げようとしても無駄」

 今すぐにこの場から逃げろと身体が警告をするのだが、目の前の少女が発する不気味で恐ろしい気配に萎縮してしまい、身体が動かない。ガチガチと噛みあわない歯が鳴り、冷や汗がブワッと身体中から吹き出る。

「そんなに怖がらなくても大丈夫よ。あなたたちのことはずっと見ていたから、あなたにも得があるようにしてあげる。
 あの女のこと好きなんでしょ? あたしに任せてちょうだい! あの女を惑わし、彼を殺したあと、あなたと結ばせてあげるから」

 ついに目の前までに迫ってきた少女にエリオードはただただ恐怖の念を抱くことしかできなかった。これから、自分が何をされるのかと思うと、怖くて怖くてたまらないのだ。

「力を抜いて。今からあなたを惑わすのはあたし。他の女になんて目を向けさせないわ。みんなあたしの言うことを聞いて、あたしの都合のいい駒になってもらうのよ」

 少女の手がゆっくりとエリオードの顔に覆いかぶさる。そして、その手が視界を完全に塞ごうとした時、少女は最後に一言呟いた。

「でも、用がすんだらみんな死んでもらうけどね」

 視界が黒一色に塗りつぶされ、エリオードの意識はそこで途切れた。

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

迷い

 酒場での出来事から三日が過ぎた。騎士団の巡回は隊のメンバーをいくつかの班に分け、時間を決めて巡回をしていた。今回の遠征における隊長であるリオーネもそれは例外ではなく、エリオードや他の隊員のいる班とともに下町を回っている。
 すれ違う下町の人々と、隊員達は最近の近況について語り合い、少しずつ下町に馴染んで行く部下を見て一安心をするリオーネ。しかし、彼女だけは下町の人々と話をしていても終始浮かない顔をしていた。

(いったいどうするべきでしょう……。いえ、そもそも隊を預かる身である私がしっかりと皆の模範となる行動をするべきだったのです。それなのに、羽目を外して酔っぱらったあげくに寝てしまうなんて……。おまけにあの人に借りまで作ってしまって)

 酒場で部下たちと酒を飲み交わし、酔っぱらって寝てしまったリオーネが目を覚ましたのは翌日の昼頃だった。わずかに残ったアルコールによって頭を痛ませながら、隊員がいる宿舎に行ったリオーネは、そこで昨晩の出来事を聞いた。自分の代わりに、フィードが飲み代を立て替え、眠っていたリオーネを宿へと運んだという事。
 それを最初に聞いた時は、自分の失態と恨んでいる相手に借りを作ったてしまったという後悔で気を落としていた。他の者ならともかく、よりにもよってフィードに借りを作る事になったことが嫌だったのだ。
 話を聞いて、すぐさま立て替えられた金を返しに行こうと思ったリオーネは宿に戻った。もやもやとした気分のまま硬貨袋を手に取り、部屋を出ようとした時、壁に付けられている鏡に写った自分の姿を見たリオーネはつい立ち止まってしまった。
 鏡に映るリオーネの頬は緩んでいたのだ。そのことに気がついてリオーネは驚愕する。憎んでいるはずなのに、もう二度と会いたくないと思っているはずのフィードに、このような形でも会いに行くことができて嬉しいと思っている自分がいたのだ。
 なぜ? どうして? 戸惑うリオーネの耳に幻聴といえるもう一人の自分の声が聞こえる。

『どうして? そんなこと決まってる。心の底ではあの人の事を私はまだ信じたいんじゃないの?』

 違う、違うと必死にリオーネは否定する。しかし、声は止まることなく次々と聞きたくない言葉を紡いで行く。

『あの子、アルちゃんと一緒にいるあの人を見て思わなかったの? この人は何も変わっていないって。あの頃と同じままなんだって……』

 それなら、何故あの人は私を捨てたのか? これ以上は聞きたくないと心は悲鳴を上げるが、語るのも自分なのだ、耳を塞ぐ事も語る事を止める事はできなかった。

『本当に大事なことはいつもあの人は内緒にしていたのをもう忘れたの? それとも、捨てられたという事実を彼の口から改めて聞くのが怖い?』

 その自問自答を最後にリオーネの足はフィードの元へと向かう事はなかった。硬貨袋をもとあった場所へと置き、リオーネはベッドに倒れ込む。今この場にアルが居なくて良かったとリオーネはこの時一番思った。もしアルが居たのなら、本当にフィードは自分を捨てたのかという疑問を投げかけてしまいそうだったからだ。
 彼女はリオーネの質問に困り、悩んでしまうだろう。適切な言葉を選び、顔色を伺いながら一言、一言ゆっくりと呟くだろう。だが、アルはきっとこのように言うだろうとリオーネは予想していた。

『リーネさん、もう一度マスターと話をしませんか? じっくり話してみて分かる事もあると思います』

 それを聞くのがリオーネは怖かった。もし聞いてしまえば、自分はもう一度フィードの元へと話をしに行くだろうという事がリオーネには分かっていたからだ。あれだけ憎んでいたはずなのに、彼の顔を見て、懐かしい声を聞いて、彼の優しさに触れただけで心はこんなにも簡単に揺らいでしまった。
 せっかく騎士団という新しい居場所ができ、自分を慕ってくれる部下や町の人々との縁もできた。にもかかわらず、心はかつて存在したもう一つの居場所、今は自分の代わりに彼の隣にいる少女の居場所にも向いている。
 それが傷ついた自分の心を癒してくれた騎士団への裏切りだと分かっているからこそ、リオーネは迷い、揺れ動く心を必死に押さえつけた。

「――――ぃちょう。隊長!」

 耳元で自分を呼びかける声が聞こえ、リオーネはハッとする。

「どうしましたか? 先程からボーッとしているみたいですけれど。もしかして気分でも悪いのですか?」

 見ると、声をかけたエリオードを始め、一緒にいる隊員のほとんどが心配そうにリオーネを見つめていた。巡回をしているはずなのに、またしても別の、フィードのことに意識がいっていたことに、リオーネは気がついて反省をする。今は任務中で、別の事に意識を向けている場合ではない。
 気を取り直し、集中するリオーネ。思考を切り替え、任務だけを優先する。

「ごめんなさい、みんな。ちょっと気が散っていたわ。今からはいつもみたいにきちんと集中するから」

 その言葉に隊員たちは頷き、巡回を続ける。リオーネもまた、切り替わった思考で町の様子異常はないか気を張るのだった。



 異常が起こったのは巡回の交代時間が迫った夕刻の頃だった。路地裏に入り、人の通りも少なくなったさびれた地区を歩いていたところ、リオーネたちから離れた場所から男の叫び声が聞こえた。リオーネは即座に隊員に視線を送り、

「行くわよ!」

 と、一言だけ口にすると、すばやく移動を始めた。他の隊員に比べて身軽で速さのあるリオーネは誰よりも早く声のした場所へと辿り着く。入り組んだ路地裏には一人の男性を囲み暴行を加える三人の男たちの姿があった。

「あなたたち、その人に暴行を加えるのをやめなさい!」

 まず始めに言葉での説得をするリオーネだが、男たちはまるでリオーネの声が聞こえていないかのように、そのまま暴行を続けた。

(仕方ないわ。言っても分からないような輩にはキツイ制裁が必要ね)

 決断したリオーネの行動は素早い。まず暴行を加えている男の一人の横腹を殴り、くの字に折れた身体に回し蹴りを叩き込む。吹き飛ばされ、地面に倒れ込んだ男を一瞥した後、両脇にいる男へ目標を変更する。今の一連の行動を見ても逃げようともせず、ただこちらを見つける男たちを不気味に思いながらも、リオーネは動いた。
 リオーネから見て右側にいる男の顔面に拳底を叩き込み、仰け反った際にがら空きになった鳩尾へ右拳を思い切り入れる。吐瀉物をまき散らしながら吹き飛ばされる男。しかし、リオーネの後ろにいる男はその光景を見ても微動だにしない。恐怖から呆然としているのではない。ただ虚ろな瞳でリオーネを見ているだけだった。

(なに、こいつら。目の前で仲間が酷い状況になっているっていうのに動揺もしないなんて。まるで誰かに操られて感情を抑えられているみたい)

 異常な様子に気づいたリオーネは残された男をじっと見つめる。しかし、男はそれまで暴力を振るっていたのがまるで嘘のように、ただじっとリオーネを見返すだけだった。その場に立ち尽くすだけの男を放置し、リオーネは倒れている男性に手を差し伸べる。

「立てますか? ここは危険です。私と一緒にこの場を離れましょう」

 俯く男性に声をかけるリオーネ。それまで暴行を加えていた男たち相手に浮かべていた険しい顔つきではなく、弱者を労る優しい微笑みを浮かべて。
 だが、男性が顔を上げた瞬間、リオーネの表情が凍り付く。倒れていた男性の瞳もまた虚ろでどこを見ているのかわからないものだったのだ。頭の中が一瞬真っ白になる。その空白を縫うようにしてそれまで動かなかった男と倒れていた男性がリオーネの虚を突いた。
 リオーネの腹部に痛みが走った。背後に居た男の攻撃的な気配を察知し、避けたりオーネだったが、倒れていた男性がその後を追うようにリオーネの腹部めがけて隠し持っていた短刀を斬り込んできた。
 かろうじてその短刀を避けたリオーネだったが、虚を突かれた攻撃は致命傷にはならずともリオーネの腹部を浅く切り裂き、着ているコートに血をにじませた。

(油断しました。最初からこれが目的だったのですね! おそらく、この人たちは魔術によって操られています。攻撃をしても何のリアクションがなかったのもこれで納得がいきます)

 リオーネが体勢を立て直している間に路地の両側を塞ぎ、逃げ場を防ぐ男たち。それを見てリオーネは深呼吸をして呼吸を整える。

(まずは、この場を抜け出す事が先決。操られているとなれば、なるべく手荒にはしたくないのですが、この状況ではそうも言っていられません。となると、しばらくの間身動きを取れないようにするのが一番ですね)

 現状で最も最善の手を考えるリオーネだったが、先程とまでと違い、身構える男たちに隙はあまりない。一対一に持ち込めるならともかく、二対一になれば狭い路地裏ではかなり不利になる。

(なら、一対一になるようにするのみ!)

 紡ぎだすのは水の派生、氷の魔術。リオーネの最も得意とする魔術の一つであり、かつてフィードと共に鍛えあげたものだ。

「大気を漂う数多の液体。その欠片を集め、固め、作り上げた鋭い刃は敵を突き刺す。
 その冷気で我に仇なす者を罰せよ――フロストエッジ――」

 その詠唱は男たちがリオーネを襲うより早く語られ、己の内から外へと魔力が放出される。外気に晒された魔力は詠唱を通じ、己を魔術という型にはめ、その姿を晒す。
 リオーネに襲いかかろうとした男の一人がその場へ立ち止まる。何が起こったのか分からないのか、先へ進もうとしない己の足を見つめると、そこには地面から生えた氷が自分の足を浸食し、動きを止めていた。本来は攻撃用に使う氷の魔術をリオーネが操作し、相手の動きを止めるだけに留めたのだ。
 身動きの取れない男の代わりに、短刀を持った男性が勢いよくリオーネに襲いかかる。しかし、意識を割かなければならない二対一に対し、一人に集中できる一対一では素人の男とリオーネとでは実力が違った。

「遅い!」

 一喝と共に相手の攻撃を避け、リオーネは帯刀している剣を鞘ごと抜き、相手の首元を殴打した。その一撃で相手は昏倒し、残るは身動きの取れない男一人になった。そして、その男もまた鞘を使って気絶させた。

「隊長! 大丈夫ですか?」

 遅れて現場にたどり着いた隊員に声をかけられ、リオーネは緊張を解いて笑みを作る。

「うん、大丈夫。それよりもみんな気をつけて。どうもこの人たち操られてみたい。術をかけた相手はかなり腕が立つみたいよ。警戒して周りを探索。
 何か異常があればすぐに私に報告して。もし相手を見つけたら無理をせずに合流。
 ひとまず、今伝えるのはこれだけ。何か質問はある?」

 これだけ聞いても動揺の一つもしない隊員にリオーネは感嘆しながら、周りへの警戒を再び始める。誰も質問をしなかったため、探索のために先へ進もうと隊員に背を向けたリオーネにエリオードが声をかけた。

「隊長、一つだけ聞かせてもらえますか?」

「いいわ。それで、なに?」

 任務の際、リオーネの補佐的役割を担う事が多いエリオードのことだから、現状の再確認をするものだとリオーネは思っていた。しかし、彼の口から出た言葉はリオーネの予想とは全く違うものだった。

「こんなことを今聞くべきではないと思いますが、あのフィードという男、一体何者です? 聞けばこの町で何でも屋などという怪しい商売をしているといいます。
 下町の住人が言うには今回の我々が遠征する事になった原因の前副隊長を捕らえたのも、あの十二支徒を撃退したのも彼だというじゃないですか。
 隊長のことも知っているようですが、それもどこまでホントだか。もしかしたら、この件は彼が起こしているんじゃないでしょうか? 下町の人々の信用を得ておいてその裏をかく。実に犯罪者がしそうな手口です。
 僕は、あの男が怪しいと思います。隊長はどう思われますか?」

 エリオードのフィードに対する無礼極まりない言葉の数々にリオーネは驚き、戸惑った。しかし、それ以上に胸の内から沸き上がるものがあった。それは、怒りだ。出会って数日も立たないエリオードがフィードを酷評する理由が分からず、同時に今まで見てきたフィードに対する認識を侮辱された気がしてたまらなかったのだ。

「ふざけないで! あの人の事を何も知らないくせに、そんな事を口にするな! あの人が、あの人が何もしてない一般人にそんな事をするわけない。それは、今まで一緒に旅をしてきた私が一番良く知ってる。
 分かったなら今みたいなことを二度と口にしないで!」

 怒りを吐き出し、息を荒げるリオーネ。そんな彼女にエリオードは動揺する事もなく、平然と話を続ける。

「へえ……今まで一緒に旅をしてきた、ですか。それじゃあ、隊長はどうして今彼と一緒に居ないで僕たちといるんですか?」

 思いがけない言葉にリオーネの心臓が締め付けられる。先程までの怒りはすっかり消え去り、代わりに胸の内をドロドロとした黒い感情が駆け巡る。心臓は先程までより早く鼓動し、耐えられない息苦しさがリオーネを襲う。

「それは……」

「それは……なんです? 聞けば、今彼の傍に居るのは、あなたが連れてきたアルという少女だそうじゃないですか? もしかして、昔の自分の居場所を取られるのが嫌で彼女を連れてきたのではないのですか?
 そうだとするなら、あなたはなんて傲慢なんだ。自分の心を満たすためだけに、彼女に下手な言い訳をして彼の元から引き離そうとするなんて。最低の女ですよ」

 考えなかったわけではない、それでも心のどこかでほんの僅かでも思っていた事を指摘されてリオーネは動揺した。

「そんな、そんなわけ……」

「ない、と言い切れますか? 本当に、僅かでも思いませんでした?」

 聞きたくない言葉を次々と投げかけられ、リオーネは徐々に正常な思考ができなくなっていた。そして、そんな彼女にとどめを突き刺すようにエリオードが告げる。

「あなたはね、捨てられたんですよ。彼にとって、あなたは必要のない人間だったということですよ」

 自分で言う事と、人から指摘される事は違う。フィードに対して同じ言葉を投げかけたリオーネだったが、それでも心のどこかで彼を信じていた。だからこそ、認めたくないと思いながらフィードに自分を『捨てた』のかと投げかけていたのだ。
 しかし、今のエリオードの言葉は違う。彼の言葉はただ事実を淡々と投げかけるのみであり、それはリオーネ自信が最も言われたくない言葉だった。
 それ以上エリオードの話を聞くに堪えなかったリオーネはエリオードの口を無理矢理防ごうと彼に向かって行った。

「あらあら。こんなことで動揺してしまうなんて、あなた思っている以上に子供ね。まあ、そんなところに馬鹿な男共は惹かれるんでしょうけど……。
 だけど、ごめんなさい。あたしにとってはあなたのそんな行動ですら吐き気がするほど腹立たしいの」

 突然リオーネの背後に現れた少女により服を引かれるリオーネ。エリオードの元へ勢い良く駆け出した反動もあって、思ったよりも強く引かれ、そのまま壁へと叩き付けられた。

「――――ぁッ!」

 うめき声を漏らし、後頭部を壁にぶつけた衝撃で一瞬意識が飛ぶ。すぐに意識を取り戻すが、一瞬暗くなった視界が次に映したのは自分を囲むように立っている部下たちの姿だった。その瞳は先程までの男たちと同じように虚ろだった。そしてその中の一人、エリオードに壁に押さえつけられ、リオーネは身動きが取れなくなった。

「いいざまね。この私より目立とうとするからこうなるのよ」

 見ると、部下たちの隙間を縫ってリオーネの前に和装の少女が現れた。妖艶な雰囲気を漂わせる少女はリオーネを見下していた。

「お前が今回の件の犯人ね……。一体、いつの間に私の隊の人間に魔術を」

 ギロリと少女を睨みつけるリオーネ。しかし、そんなリオーネの気迫に気圧される事もなく少女は傲慢な態度のままリオーネに答える。

「そんな事も分からないなんて、あなたそれでも女? もっと頭を、身体を使っていれば分かる事でしょ? あなたの部下なんて私がちょっと声をかけて色目を使ったらすぐに食いついてきたわよ。
 男なんて馬鹿ばかりね。ちょっと隙を見せれば餌に食い付く魚のようにすぐに引っかかる」

 少女の言葉にリオーネは悔しそうに唇を噛んだ。自分の部下を馬鹿にされた事もそうだが、少女の言うように罠にかかり、このようになすがままにされてしまった自分が許せないのだ。

「それに、あなた。最近上の空だったみたいだし、おかげで気づかれることなくすんなりと行動に移せたわ」

 その言葉にリオーネはますますきつく唇を噛む。少女の言う事があまりにも正論で、自分がここ数日気を抜いていて油断していたのが事実なため、反論する事もできないのだ。

「あら。意外と素直に自分の非を認めるのね。まあ、認めたところで何も状況は変わらないけどね」

 クスクスと袖を口元に当て笑う少女。少しずつ冷静を取り戻したリオーネは少女を分析しはじめる。

(この女、冷静になってみると隙が全くない。それに、零れ出ている魔力の量が半端じゃない。これだけの魔力がこんな少女にあるなんて。一筋縄じゃ行かないわね)

 リオーネが少女に対する認識をより深めようとしたとき、リオーネの視線に気がついたのか、少女が怒りを表す。

「なにジロジロ人の身体を見てるのよ! 品定めするように見やがって! お前ごときが、あたしの存在を測ろうとするな!」

 そのままエリオードやリオーネの部下に指示を出し、身動きの取れないリオーネを痛めつける。

「なに上から目線であたしを見てんだ! あたしより目立とうなんておこがましい。あんたみたいな売女は黙って日陰に籠ってな!」

 罵声を浴びせ、指示を出したエリオードたちに合わせて、手に持った鉄扇でリオーネの身体を打ち付ける少女。

「お前は……いったい、誰だ?」

 痛めつけられてもなお輝きを失わないその瞳でリオーネは少女に問いかける。そんな彼女に少女は答える。

「あたし? あたしは、十二支徒の『子』、エンリカ。あんたごときとは及びつかない美貌を持ち得る女よ! そしてあんたは今からあたしの駒」

「駒……?」

「そうよ、あんたも今からこいつらと同じように私の言いなりになる駒になるのよ。そして、その手であんたの一番傍にいた人間を殺させる」

 エンリカの言葉にリオーネは青ざめる。それはつまり……。

「そう、あたしたちの仲間を殺してくれやがったあの男。あの『復讐鬼』と呼ばれている男を殺してやるの。それも今までずっと傍にいたっていうあんたの手でね。
 ――――っと、言葉遣いが悪くなってしまいました。つまり、あなたは今からあたしの手足になって、あたしの代わりに彼と殺し合いをしてもらうのよ。
 どう? 理解した?」

 鉄扇を広げ、雅に振る舞うエンリカ。そんな彼女を見てリオーネは怒りをぶちまけた。

「ふざけないで!」

 それまで大人しくなすがままにされていたリオーネだが、ここに来て一気に力を解放した。自分を押さえつけるエリオードに頭突きをし、その際にできた隙を突き、腹部に肘打ちを入れる。吹き飛ばされたエリオードはすぐさま体勢を立て直すが、それよりも先にリオーネが敵の輪から抜け出す。

「あの人に手を出させるなんて……そんなこと、そんなことはこの私が絶対にさせない!」

 憎んでいるはずのフィードを守ろうと、リオーネはエンリカたちに向かって抜刀する。

「へえ、あなたごときがこのあたしとやり合おうっていうの。いいわ、格の違いを思い知らせてあげる」

 エンリカが手を挙げると彼女の周りにいる騎士たちがリオーネと同じように抜刀した。

「速さを。効率を求め、より単純、より俊敏に――インプロスピード――」

 リオーネの口からは身体強化の魔術が零れ出る。彼女の視線は突き刺さるほど鋭く、視線だけで相手を射殺せるほどだ。溢れ出る殺気を隠そうともせずリオーネはエンリカに向けて剣を構える。

 対してエンリカは悠然とその場に立ちどまり続け、ただ一言己が絶対とする魔術を呟いた。

「瞳に映るのは偽りの景色。男を騙し、女を誘惑する。黒く塗りつぶされた世界を支配するのは我が意識。
 その手足を我に捧げ、全ての行動に疑問を抱かず是とせよ――メズマライズ――」 

 その一言で、エンリカの姿がリオーネの視界から消え失せた。周りを警戒するリオーネにどこからかエンリカの声が聞こえる。

「さあ、身の程知らずのお馬鹿さんに本当の強者というものがどんなものだか教えて差し上げましょう」

 エンリカの声を号令とし、エリオードたちがリオーネに向かって襲いかかった。

「上等です、十二支徒。あの人が追い求め続けるあなたたちに、私がどれだけ近づいたのかを見せてあげます」

 こうして戦いは始まった。今はまだ誰も、フィードでさえ十二支徒がこの町に侵入している事に気がつかない。騎士団という同じ環境で過ごしてきた仲間同士が血で血を争う戦いを行っている。
 そんな中、ただ一人戦い合う彼らを傍観し薄らと笑いを刻むのは十二支徒、エンリカ。

「さて、この次はあなたですよ『復讐鬼』」

 勝負の行方もまだ分からない中、エンリカは己の勝利を確信して、人知れず呟くのだった。

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

知られざる真実、少女の決意

 その日、フィードが宿に帰り出したのは、いつもよりも時間の遅い夜中のことだった。レオードの所で依頼を紹介してもらったフィードは中階層へと赴き、そこで依頼をこなしていたのだ。といっても依頼の内容はそんなに難しいものではなく、むしろ簡単なものだった。単に出かける両親の代わりに子供の面倒を見てくれとの依頼だったのだ。
 そして、外がすっかり暗闇に包まれて人の気配もなくなった時間になってようやく帰ってきた両親から依頼の報酬をもらい、フィードは宿に帰っていた。

「にしても今回の依頼はある意味今までで一番の強敵だったかもな」

 子供の面倒は今まで二度ほど、それもかなり長期の間面倒を見た事のあったフィードは、今回の依頼は楽なものだと軽い気持ちで挑んでいた。しかし、依頼主の子供に会ってみれば、その傍若無人さに思わず唖然。わがままし放題のお嬢様がフィードを待ち受けていたのだ。
 フィードのことをまるで都合のいい従者としか思わない少女に、始めは我慢していたフィードだったが、やがて我慢の限界が来たのか、

『よし、少しこの子に現実を思い知らせて上げよう』

 と、決意し口ではあまり言えない方法で少女を折檻し、少しだけ再教育した。本来なら依頼主に頼まれたのは子供の面倒を見る事であるため、その子供に手を出すなど言語道断である。しかし、フィードは独自の解釈で少女の再教育も将来の事を思えば面倒を見ていると詭弁を立て、自分の好きなようにしていた。
 結局、フィードによって少しだけ再教育された少女はわがままがなくなり、家に帰ってきた両親はそんな娘を見て非常に驚いていた。その後は両親にどのような手を使って娘を教育したのかを問いつめられ、あまりいい方法ではなかったフィードは答えに困り、報酬を貰うと逃げるように帰ってきたのだ。

(あの子は昔のリーネに似ていたな。あの時のリーネもわがままで、俺に対して上から目線で常に話しかけてきたっけ。まあ、今回はリーネの時の経験が役に立ったから、あの時のリーネとの日々も役に立たないわけじゃなかったってことだよな)

 懐かしい過去を思い出してフィードの口元から思わず笑みが零れでる。これまでアルと一緒に居たせいか、あまり思い出す事のなかったリオーネと過ごした日々が、ここ数日はよく思い出されるようになった。
 もちろん、彼女とフィードの関係は昔と違いずいぶんと変わってしまい、その原因を作ったのも彼自身なのだが、それでもフィードはリオーネの事を昔と変わらず気にかけていた。

(あいつ、あの後から一度も姿見てないけど、体調とか崩してないだろうな。まあ、もし何かあっても今はあいつの力になってくれる仲間が大勢居るから大丈夫か……)

 三日前、酒場で出会ったリオーネの部下である騎士たちの姿を思い出してフィードはそう思う。彼らはふざけているような一面もあったが、基本的にリオーネを信頼し、尊敬し、仲間として扱っていた。その様子を見てフィードは非常に安心したのを覚えている。フィードの傍にずっと居た彼女が、今となっては多くの仲間に囲まれていたのだ。フィードは表面上には出さなかったが、内心ではその事をとても喜んでいた。
 自分のやった事は確かにリオーネにしてみれば酷い裏切りで、恨まれるようなことだった。しかし、その一方で彼女は新しい居場所を見つけ、表の世界で功績を積み、地位を上げ、人に恵まれて、新しい人生を掴む事ができたのだ。彼女の幸せを願っていたフィードとしてはこの結末は望むものだった。たとえリオーネから生涯恨まれることになろうとも……。
 考え事を一旦終えると、宿はもう目の前にあった。中に入るとここ最近はいつものようにフィードを出迎えてくれるイオがいた。

「おかえり、フィード!」

 それまで退屈そうに椅子に腰掛けていたイオは、フィードが帰ってきたと分かった途端、勢い良く立ち上がり、フィードの傍へと駆け寄ってきた。

「ただいま、イオ。グリンさんはもう寝ちゃったかな?」

「いや、まだ起きてるよ。今は厨房で明日の仕込みをやってる」

「そっか。でももう遅い時間で客もほとんど寝てるだろうし、イオも早く寝とけよ。明日も仕事なんだからあまり遅くまで起きてると疲れが出るぞ」

 イオを気遣ってフィードが窘めるが、それにイオは舌を出してかわいらしく答えた。
「は~い。それじゃあ、私はそろそろ寝るね」

 そう言って自室へと向かうイオ。フィードはその背を見送っていたが、ふとイオが立ち止まり、フィードの方を振り向いた。

「あ~。そういえばさ。今ね、あの子が来てるよ」

 それだけを伝えるとイオは駆け足でフィードの前から去って行った。そして、その一言だけでフィードはイオの言わんとした事を理解した。

(アルのやつが帰ってきてるのか……)

 二階へと上がったフィードは自室の前で立ち止まり、一度呼吸を整えてから扉を開けた。



 扉を開けた先にはベッドに腰掛けているアルの姿があった。

「おかえりなさい、マスター」

「ただいま、アル」

 お互いにそれだけ口にし、続く言葉はしばらく出なかった。元々リオーネの元に居るアルがここに来たという事は、何か聞きたい事があって来たのだろうとフィードは予測していたからだ。そのため、アルが話を切り出すまではフィードは黙って待つ事にしたのだった。
 アルと同じように、空いているベッドに腰掛けるフィード。そんな彼を二、三度チラチラと遠慮がちに見た後、アルはギュッと膝の上に乗せてある手を強く握りしめて、話を切り出した。

「マスター! 改めて、リーネさんとマスターについて教えてもらえませんか? 私にはマスターがリーネさんを捨てたなんてどうしても信じられません!」

 アルの真剣な態度、そして自分とリオーネのことを本当に心配し、気にかけてくれているアルにフィードは、

「言ったろ、アル。俺がリーネの傍に居るとあいつの人生が無駄になるって思ったって」

「——ッ! マスターッ!」

「まあ、話は最後まで聞け。俺はさ、それこそリーネに会うまでは本当に何も持っていなくてさ、十二支徒を追いかける事に人生のすべてを費やしていたんだ」

 昔の話を語りだすフィードをアルはじっと見つめ、その話を一言でも逃さぬようにじっと聞き耳を立てる。これはリーネのためだけでなく、フィードの過去をほとんど知らないアルにとっても彼の過去を知るいい機会なのだ。

「旅を始めて三年近く経った頃だったかな。それまでの間に十二支徒の三人を俺はこの手で殺した」

 ゾッとするほど底冷えする声色でフィードは語る。それだけで彼が十二支徒に対してどれほどの憎しみを募らせているのかアルは理解した。

「でもさ、ずっと気を張りつめて殺気を周りにまき散らして憎しみだけを糧に生きている生活っていうのも長くは持たなくてさ。いつからか少しずつ心が擦り切れ始めてたんだよ。
 でもそんなことに構わず俺は旅を続けた。そんなある日俺の前に現れたのがリーネだったんだ」

 リオーネとの最初の出逢いをしみじみと思い出しているのか、フィードは一度口を閉じ、天井を見上げた。そして、一拍を置いた後、続きを語りだした。

「たまたま立ち寄った町でさ、奴隷商に連れて行かれそうになっている一人の女の子がいたんだ」

「それが……」

「そう、それがリーネだった。服装からして富裕層の子だっていうのは分かったけど、奴隷商に連れてかれているところを見ると、何か罪を犯したか身売りすることになったんだなってすぐに理解したよ。
 どっちかって思っていたらリーネのやつが声高に『助けて!』って叫んでるんだ。罪を犯した奴が助けてなんて言わないだろうし、身売りされたんだろうなって俺は思った。
 でも助けを求めるリーネに手を差し伸べる奴は居なかった。
 そりゃそうだよな。普通の人にしてみれば面倒ごとに関わりたくないと思うし、リーネみたいな富裕層の人間の身売りなんて借金がいくらあるのか分からないからな」

「でも、マスターはリーネさんを助けたんですよね? どうして、手を差し伸べたんですか?」

 アルは自分がフィードに手を差し伸べてもらったことを思い出しながら尋ねた。自分の前に同じように助けてもらった人がいるということは、おそらくフィードがアルを助けた理由もリーネと同じ理由なのだろうと思っていたからだ。

「実を言うと俺も最初は関わる気はなかったんだよ。でもさ、あんまりにも必死に助けを求めてるリーネを見てたら、昔同じように助けを求めて、それでも救ってもらえなかった自分の姿がリーネに被ったんだ。
 気づいたら俺はあいつの前に出てた。そして尋ねたんだ、『自由に生きたいか?』ってな。
 その後は『自由に生きたい!』って答えたリーネを引き取って一緒に旅をした。ああ見えてあいつ最初はわがままし放題で、これでも結構苦労したんだぜ」

 苦笑しながら語るフィードの様子は当時の苦労など感じられない。口では苦労したと言っているものの、実際はそんな風にあまり思わなかったのではないかとアルは思った。

「それからはずっとリーネさんと旅をしていたんですね?」

「ああ。リーネを引き取ったからって俺の旅の目的が変わるわけでもなかったから、あいつと一緒に旅しながら十二支徒を追ったよ。
 でもさ、あいつホントに箱入りのお嬢様だったから、自分の身を守るなんてこともできなくて、荷物になられても困るから、魔術や剣術、あとは生きるために必要な知識を教えた」

 おそらく、その経験が今のリオーネを形作っているのだとアルは予想した。

「それからしばらく時間が経って、あいつに背中を預けられるようになったころだったかな。いつの間にか俺はリーネにおかげで少しずつ擦り切れた心が癒されている事に気がついたんだ。
 こいつと一緒に居られるなら復讐なんてしなくていいんじゃないか? ってな。二人で穏やかに過ごす人生もいいんじゃないかって」

「それなら、どうしてマスターはリーネさんを置き去りにしたんです?」

 自分よりも遥かに大事にされていたリオーネの話を聞くのはアルにとって悔しく、嫉妬がないわけではなかったが、アルは話を聞き続けた。
 それはアルにとって大事な二人のためでもあったからだ。

 アルの問いかけにフィードは今まで誰にも、それこそリオーネにさえ明かした事のない本当の事実を語った。

「復讐を止めて旅を終えようと考えていたある日、十二支徒の一人と接触したんだよ。こいつが本当に最低の下衆やろうでさ、俺じゃなくてリーネばかりを狙っていたんだ。
 それも俺にだけ気づくように、それでいてリーネには気づかれないように気配を消してな。俺は怖かった。リーネまで失ったら俺は今度こそ本当に壊れてしまいそうだったから。
 だから、あいつには何も言わないで気づかれないようにその十二支徒を始末した」

「でも、それがリーネさんを置き去りにした事にどう繋がるんですか?」

「その十二支徒を殺す直前に言われたんだ。『お前は既に俺たちにとって真の意味での敵になった』ってな。それを聞いて俺は思ったよ。逃げる事はできないって。でも、同時にこうも思った。俺はともかくリーネはこいつらの敵になっていないって」

「……」

「俺の傍に居ればいつかリーネは命を落としてしまうかもしれない。もしそうなったら、俺は自分が許せない。だから、決めたんだ。あいつは俺とは無関係な世界で生きさせようって。
 あいつほど真面目で努力家で才能もあるやつなら、こんな血に塗れた世界じゃなくて華やかな表の世界でも生きていけるって分かっていたから。
 だから、俺はあいつが嫌がっていても、俺自身のわがままであいつをフラムへ置き去りにしたんだ。
 これが……俺がリーネを『捨てた』真実だ」

 そこまで語ってフィードはずっと抱えてた肩の荷が降りたのか、実に穏やかな顔をしていた。しかし、対照的にアルは浮かない顔で今にも泣き出しそうだった。

「どうして! そんな理由があるならなんでリーネさんに話さなかったんですか! そうすれば今みたいにマスターはリーネさんに恨まれる事なんてなくて楽しく笑いあって過ごせたかもしれないのに!」

 ついに涙を零して訴えるアルにフィードは苦笑し、

「言えるわけないだろ。もしこれを言ったらあいつ絶対に俺についてきたからな。相手の意思を無視して自分のわがままを通すんだから、それに見合った代価は必要だろ?」

 溢れ出る涙を両手で拭うアルをなだめるために、フィードはアルの元へと近づき、その小さな身体を抱きしめた。

「全く、当事者は俺なんだからお前が泣くなよな」

「だって……だってぇ……」

 フィードの胸元を涙で濡らすアル。人のために涙を流す優しい少女の頭をフィードはそっと撫で続けた。
 それからしばらくし、アルはようやく泣き止んだ。

「すみません、マスター」

「いいって。むしろそれだけ俺たちの事を考えて泣いてくれるんだ。俺は嬉しいよ」

 目を赤く腫らし、涙に塗れた顔を見せるのが恥ずかしいのかアルはフィードと視線を合わせようとしなかった。だが、しばらく黙っていたあと、アルは話を聞いていてフィードにどうしても聞いてみたい事があり、それを口にした。

「マスター。最後に一つだけ聞いてもいいですか?」

「ああ、なんだ?」

「リーネさんをフラムへ置いた時にマスターは誰も傍に置かないって思っていたんですよね。それなら、どうして私の事を引き取ってくださったんですか?」

 アルのその言葉にフィードはばつの悪そうにしていた。話を聞いていたアルはずっと思っていた。リオーネをそのような理由で『捨てた』のならどうしてその後フィードはアルの事を引き取ったのだろうかと。そして、それは下手をすれば自分はフィードにとってすぐに失われても傷つかないような軽い存在であると言う不安も孕んでいた。
 どんな答えが返ってきても今度は泣かないようにしようとアルは下を向いて唇を噛み締めてフィードの答えを待っていた。そして、そんなアルにフィードは告げる。

「最初にお前を見つけた時にさ、別れたばっかりのリーネの昔の姿が被ったんだよ。きっと俺はどこかでお前を別れたあいつに被せていたんだ。
 だから、助けようと思ったし、その後の面倒も見てきた」

 どこかで予想していたフィードの言葉にアルは先程よりも強く、強く唇を噛み締める。既に目には薄らと涙が溜まっていた。やっぱりそうかという気持ちが胸の奥からじんわりとアルの身体を浸食していく。しかし、そんなアルを見てフィードは笑いながら話を続けた。

「でもさ、お前と一緒に旅をしてこの町に来て。俺が依頼をこなしている中、ここで頑張ってるお前の姿を見たらさ、自然とお前はリーネと違うんだって事を実感したよ。恥ずかしい話だけどさ、それまで俺は本当にお前をリーネの代わりとしか思ってなかったんだ。軽蔑してくれてもいいぞ」

「そんな……そんなこと。私はマスターに救ってもらったんです。それなのに軽蔑なんてするわけ……ないじゃないですか」

「だけど、今となっては俺にとってお前も守りたい大事な人の一人になんだ、アル。それが分かっていたからお前をなるべく依頼に関わらせないようにしてきたし、戦いに必要になる知識も一切教えなかった。
 リーネの時はそれで失敗したから、お前には最初から穏やかな世界に生きていて欲しかったんだ」

 その言葉にアルは驚愕し、言葉を失って口を開けたまま放心してしまった。どこまでもリオーネの代わりだと思っていたアルだったが、フィード自身にそれを否定され、彼女の代わりではなくアル自身が大事だと言ってもらえたからだった。

「わたし……私、マスターの傍にいてもいいんですか? リーネさんじゃなくて私がいてもいいんですか?」

 嗚咽を漏らしそうになりながら、アルはフィードに問いかける。そんなアルにフィードは答える。

「お前が俺の傍にいてもいいと思ってくれるなら、俺はお前の傍に居続けるよ、アル」

 フィードの答えを聞いたアルは顔を上げてフィードの目を見つめ、

「私は! もしマスターがリーネさんと同じような事を私に思っても絶対に離れません! たとえ離されても絶対にマスターを見つけて、ずっと、ずっと! マスターの傍に居続けます!」

 と、フィードに宣言するのだった。それにフィードは呆然としながらも、やがて苦笑し、

「そっか。それじゃあ、改めてよろしく頼むな、アル」

 フィードの優しい言葉に、必死に泣く事を我慢していたアルだったが、やっぱり最後には泣いてしまった。

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

背中合わせの共闘

 泣きすぎて水分を失ったアルのために水を取りに行こうと、一階へと降りたフィードだったが、一階には既に先客がいた。

「あれ? お前リーネの所の……」

 見ると暗闇の中、立ちすくむリーネの部下、エリオードの姿があった。しかし、その身体には打撲や剣による切り傷もあり、フィードはすぐに何かがあったのだと悟る。

「おい、一体……」

 何があったと続けようとしたが、その言葉は抜刀し、フィードに襲いかかってきたエリオードによって途切れさせられた。

「おい、お前! なんなんだいきなり!?」

 とっさに剣を避けたフィードだが、エリオードが自分を襲う理由が分からず混乱していた。そんなフィードの考えなど知った事ではないと言わんばかりにエリオードは何度もフィードに剣を振り続ける。障害物のある室内、なにより自分の他に人のいるこの場所で戦うわけにいかないと判断したフィードは屋外へと出て人気のない場所へと移動した。
 エリオードもまた、外へ出たフィードに導かれるようにその背を追いかけていった。走り続け、人気の少ない路地にまで来たフィードはようやくエリオードに対峙する。

「いきなり斬りつけてきやがって! どういうつもりだ、リーネはこの事を知ってるのか?」

 まさかリオーネが部下を使って自分に恨みを晴らそうとするとは思えないフィードはエリオードに問いかける。しかし、それにエリオードは怒声で答えた。

「うるさい、うるさい、うるさい! リーネ、リーネ? 気軽にあの人の名を呼ぶな! あの人の傍にいるのはお前じゃなくて、僕なんだ!
 いや、そんなことはどうでもいいんだ。今の僕はエンリカ様のために……。そう、あの人のために僕はお前を殺す!」

 そう言って再び襲いかかるエリオード。彼の攻撃をかわすフィードだが、相手と違い武器のない状態だった。

(くそ、急に襲ってきやがったから手元に剣がない。迂闊に飛び込むわけにも行かないし、剣を避けながら隙を見つけるしかないか)

 上段から下段の切り上げ、そして切り上げた勢いを使っての回し蹴りと、コンビネーションのあるエリオードの連撃を必死に避けるフィード。気を抜いてしまえば命に関わる攻撃だが、やがてその連撃の隙を見つけた。
 鎧を着ているせいか、回し蹴りの後、剣を構えるまでにタイムラグがある。その隙をついて強烈な前蹴りを繰り出し、エリオードを吹き飛ばし、互いの間に距離を作る。

(————今だっ!)

 フィードは作り出した時間で詠唱を開始する。

「速さを。効率を求め、より単純、より俊敏に――インプロスピード――」

 身体強化の術によってフィードの速度が上昇する。勢い良く駆けて来るエリオードにフィードは両手を構え、

「襲ってきたのはそっちなんだ。痛い思いをしても恨むなよ」

 と、口にしてエリオードが剣を振り下ろした瞬間、ギリギリまで剣を引きつけた後それを避け、がら空きの鳩尾に拳を勢い良く突く。後ろに倒れそうになるエリオードに強化魔術で早さの上がったフィードは背後へと回り、中段へ蹴りを入れ、最後に足を絡めとり体勢を崩したエリオードの手から剣を奪い取るとそれを倒れたエリオードへと突きつける。

「さて、俺を襲った理由を話してもらおうか」

 しかし、エリオードから返事はない。不思議に思ったフィードが剣を突きつけたままエリオードの顔を覗き込むと、エリオードは白目を剥いて気絶していた。

「しまった。武器がない状態だったから加減ができなかったか。これじゃあ、理由を聞き出す事もできやしない」

 自分でやった事とはいえ、話を聞き出す事ができなくなってしまい、困ってしまったフィードだったが、周りに現れた新しい気配に気づき、安心する。

「なるほど、他のやつに話を聞けってことか」

 漂う殺気の数々。奪い取った剣を構え、辺りを警戒する。そして、路地裏の一角から、一つの人影が姿を現した。その姿を見てフィードは思わず硬直する。

「リ、リーネ?」

 暗闇から現れたのはまだ乾ききっていない血で服を染め、虚ろな瞳でフィードを見つめるリオーネだった。片手に剣を持ち、もう片方の手をだらりと力なく降ろしている。みると、所々に擦り傷や打撲の跡が見受けられ、つい先程まで何者かと交戦していたことが分かる。

「おい、一体何が起こってるんだ? お前の部下はいきなり俺を襲いだすし、お前のところで何かあったのか?」

 フィードの問いかけにリオーネは答えず、ただその場に立ちすくむ。

「……リーネ?」

 返事のないリオーネを心配し、フィードが近づこうとした時、先程のエリオードと同じようにリオーネがフィードに襲いかかった。

「————ちくしょう! お前もかよ!」

 ぶつかり合う剣と剣。かつての戦いの焼き直しのようにフィードはリオーネと戦う事になった。だが、フィード自身はリオーネと戦いたくないと思っているため、力の乗っていないリオーネの剣を弾くと、距離を取って対話を続けた。

「どうしたんだよ、リーネ! なんで急にこんなこと……」

 突然の事に戸惑うフィード。そんな彼にリオーネは答える。

「あなたが、あなたが私を裏切るから! 私のことを置いて行くから!」

 悲痛な叫びは天に響き、振り下ろされる剣はでたらめなものだった。虚ろな瞳からは一滴だけ涙が流れ出ている。それを見て、フィードはリオーネが戦いを望んでいないのだと悟る。それならば何故こうまでフィードを襲うのか、そう思ったとき、まっさきにリオーネや先程フィードを襲ったエリオードが誰かに操られているのだという結論に至った。

(フィクフォメーションで相手の魔術を誤魔化そうにも、向こうの魔術がどんなものか分からないんじゃ対応のしようがない。それに、下手に解呪魔術を使ってリーネに反動が来たらマズい。これじゃあ、手の出しようがないぞ)

 応戦しながら、この事態を打破しようと必死に考えを巡らすフィード。そんなとき、ふいにリオーネの動きが止まった。

「……勝手なことをっ。私は、私の意識は私自身のものだ! お前なんかに、好きにさせてたまるか……」

 虚ろだった瞳に僅かに光が戻り、必死に何者かの魔術に対抗しているリオーネ。しかし、どこかから聞こえて来る敵の声によってそれは阻まれる。

「しぶといわね。まだ抵抗するなんて。いいわ、そんなにいたぶられるのが大好きなら、何度でもその意識を私が支配してあげる」

 声の在処を探ろうと、フィードが周りを見回すが、何故か誰の姿も見当たらない。

(どういうことだ……。敵は認識障害が出るような魔術を使っているってことか? 気配はするのに姿が見えない)

 結論を出す間も与えず、少女の声が辺りに響く。

「瞳に映るのは偽りの景色。男を騙し、女を誘惑する。黒く塗りつぶされた世界を支配するのは我が意識。
 その手足を我に捧げ、全ての行動に疑問を抱かず是とせよ――メズマライズ――」

 魔術の詠唱が聞こえたと思ったら、先程理性を取り戻しかけていたリオーネの瞳が再び虚ろに戻っていた。今度は先程までとは違い、手負いながらも鋭い攻撃をフィードに繰り出していく。

「リーネ! ……チィッ! 完全に操られてやがる」

 迫り来るリオーネの攻撃を避けながら、フィードは必死に対抗策を取る。

(少なくとも、リーネを操っている奴は俺たちの戦いを見る事のできる位置にはいるってことか。それに、声色からして相手は女。魔術は操作か幻惑系。しかもかなりの高位呪文だ。
 相手の意識を完全に奪って操るくらいだ。相当にやっかいな魔術だろう。だが、対抗策がないわけじゃない。それにヒントは既に得た!)

 フィードは両手に持っていた剣を片手に持ち替え、振り下ろしてきたリーネの剣筋に己の剣を重ね合わせ、斬撃を受け流した。そして、空いた片手でリオーネの顔を覆い、詠唱をする。

「正しきもの、その存在を認めない。偽りをもって事をなし、偽りをもって騙し、救おう。
 この世界はかくあるべし。虚構こそが真実。真実こそが虚構。偽りの生成、その実を我に与えたまえ。

 ――フィクフォメーション――」

 掌から溢れ出る魔力。そして、形作られた魔術は光となってリオーネの身体へと入りこんだ。そのまま意識を失い、剣を地面に落として、フィードに倒れ込むリオーネ。フィードは咄嗟に身体で受け止め、リオーネを抱きしめる。

「へえ、意外とやるのね」

 安心したのも束の間、リオーネと同じように暗闇から和装の少女が姿を現した。

「お前がリーネやエリオードを操っていた張本人か。よくもこんなふざけたことを……」

 怒りをあらわにするフィードだが、少女は気にした様子もなく答える。

「ふざけたこと? あたしはこの人たちの望んだ事をさせたまでよ。それなのにどうして怒られなければいけないの?」

「望んだ事だと?」

「ええ、そう。普段表面に出ない、心の底にある本音を引き出してあげただけなのに。あたしがした事なんてそれと、ほんの少しこの人たちを唆しただけよ。
 まあ、言う事聞かないようなお馬鹿さんは意識を奪わせてもらったけどね」

「なにが、ほんの少しだ! 相手の意識を奪うのがいいことだとでも?」

「ええ、このあたしの言う事を聞かないやつなんて、無理矢理言う事を聞かせてやればいいのよ。この、十二支徒エンリカに逆らおうなんて無謀な相手は特に、ね。そうでしょ、愚かな反逆者の『復讐鬼』さん?」

 少女、エンリカの名乗りにフィードは視線を鋭くし、それまでとは雰囲気を変える。冷たく、暗い感情にフィードは支配される。

「あら? 手傷を負ってるのにやる気満々ね。まあ、いいわ。あたしは手を出すつもりはないから、この子たちと遊んでいてちょうだい」

 パチンとエンリカが指を鳴らすと、周りの路地からエンリカによって操られた三人の騎士が現れた。敵の増援にフィードは思わず舌打ちする。

(ちくしょう、ただでさえ厄介な状況が余計に酷くなりやがった。リーネの奴はまだ意識が戻らないし、このままじゃ一方的に嬲り殺しにされるだけだ)

 フィードはリオーネを抱えながら、先程負傷した左横腹を押さえる。リオーネに魔術を掛ける際、片手で斬撃を受け流したため、勢いが最後まで乗らず、最後の最後で押し込まれた剣先がフィードの横腹に突き刺さったのだ。
 そこまで深く突き刺さらなかったものの、切られた痛みと流れ出る血に意識を取られてしまう。こんな手負いでましてやリオーネを抱えた状態ではまともに戦えるはずもない。逃げの一手を考えるフィードだったが、周りを騎士に囲まれ、退路を塞がれる。

(くそっ! どうにかやり過ごして隙を見つけて逃げるしかない)

 十二支徒相手に逃げるというのはフィードにとって屈辱にも勝る、自分自身が掲げる意思に対する裏切りである。本来なら逃げずにこの場で命を懸けても十二支徒を仕留めたいという思いがある。
 しかし、宿でフィードを待っているアルや、イオ、グリン。そして下町のレオードやクルス。なにより今フィードの腕にある温もりが命を捨てる事を躊躇わせた。

(俺は、いつの間にか、こんなに弱くなったのか?)

 軽々と命を投げ捨てる事ができなくなったことに驚き、戸惑う。だが、同時にそれは昔の自分とは違うということをフィードに実感させた。

「どうにかするしかないってことか。帰りを待ってくれている奴らのためにも」

 リオーネを強く抱きしめ、片手で剣を構えるフィード。そんな彼に向かって騎士たちは一斉に襲いかかった。



 身体が揺れている。暗闇の中でリオーネはまずそう感じた。次に意識が捕らえたのは、甲高く鳴り響く金属音。聞き慣れた剣と剣がぶつかり合う音がすぐ近くから聞こえる。温かく、力強い何かに自分の身体が覆われているという事に気づく。それに気がついて、閉じていた目をリオーネは開けた。
 開いた目がまず捕らえたのは、頬から血の混じった汗を流すフィードの顔。切迫しているのか、その表情に余裕はなく、リオーネが意識を取り戻した事にも気がついていない。次にリオーネが気づいたのは、自分がフィードに抱きしめられているという事。どうしてそうなったのか、訳が分からず、過去の記憶を思い返そうとするが、頭痛がして回想することを邪魔した。痛む頭を抑えようと手を動かしたとき、ぬるっとした生暖かいものがリオーネの手に触れた。
 それは、フィードの横腹から流れる血だった。そして、それを見たリオーネは、自分が一体何をしていたのかを思い出した。

(そうだ、私はエンリカとの戦いの最中に隙を突かれて、そのまま魔術によって操られてた。それから、この人と戦って……。この傷は、私が付けた傷だ)

 フィードに傷を負わせたことを後悔するリオーネ。そんなとき、ようやくリオーネの意識が戻った事に気がついたのか、フィードが相手の斬撃を避けながら声をかける。

「リーネ、目が覚めたのか!」

「あの、わたし、わたし……」

 自分のした事を謝ろうとするリオーネにフィードは余裕がない声色で答える。

「話は後にしろ! 俺を責めるのも恨むのもいい。でも今だけは力を貸してくれ。俺一人じゃこいつらの相手はできない。
 お前の力が必要なんだ、リーネ!」

 その言葉だけでリオーネは十分だった。今まで胸の奥に溜まっていた黒く、醜い感情の塊。それらが全て消え失せ、晴れやかな気持ちになっていくのを感じる。
 たとえ一時でも、フィードが自分の力を必要とし、頼ってくれた。その事実にリオーネの胸の内は歓喜で溢れかえる。

「了解です、フィード。私の力はあなたのために!」

 フィードの腕から離れ、リオーネはフィードの背後に周り、背中合わせになる。

「背中、任せるぞ。リーネ」

「はい。もうこれ以上あなたに手出しはさせません」

 フィードは剣を構え、リオーネは拳を構える。そんな二人に容赦なく襲いかかる三人の騎士。騎士たちの攻撃に対処するべく、二人は同時に詠唱を紡ぎだす。

「大気を漂う数多の液体。その欠片を集め、固め、作り上げた鋭い刃は敵を突き刺す。
 その冷気で我に仇なす者を罰せよ――フロストエッジ――」

 騎士たちがまさにフィードとリオーネに剣を振り下ろそうとした瞬間、リオーネの魔術が発動し、三人の騎士の手足を凍らせた。そして近距離まで近づき、リオーネによって隙だらけにさせられた三人の騎士に、フィードが追い打ちを掛ける。

「血よ、身体から流れ出た我が一部よ、その身を凝固し、敵を貫け!――ブラッディーニードル――」

 切り刻まれた身体から流れた血が騎士に向かって鋭く伸びる。まだ凍っていない手足の部分に血の槍は突き刺さり、一瞬にして騎士たちを行動不能にする。
 一年近く離れていたとは思えないほどのコンビネーションを見せ、二人は一瞬で敵を撃退する。

「やるな、リーネ」

「まだまだ、あなたには及びませんよ、フィード」

 そんな二人を見て、エンリカは歯ぎしりをする。

「ハァ? 調子に乗らないでよ。何笑顔浮かべて和解してんだよ! ふざけんな! 殺し合え、憎み合えよ!」

 地団駄を踏み、怒りをぶつけるエンリカ。そんな彼女にリオーネは答える。

「私は、まだフィードを完全に許したわけではないです。後でもう一度話をしてもらうつもりです。でも、今はこの人が私の力を必要として頼ってくれている。なら、私はその期待に応えるだけ。
 そして、あなたはこれから私とフィードが話をするのに邪魔なんです。とっとと消えてもらえますか?」

 リオーネの遠慮の欠片もない言葉にエンリケの怒りが頂点に達した。

「ふざ、けんな。ついさっきあたしに負けた格下が吠えてんなよ。あんたみたいな雑魚相手にするのに駒なんていらねえ。身の程知らずにはあたしが直接敗北を刻んでやるよ!」

 鉄扇を広げ、フィードとリーネに向かって駆け出すエンリカ。迫り来る敵に対抗すべく、フィードはリオーネに声をかける。

「あいつの相手は俺がする。サポートまかせるぞ、リーネ」

「はい! わかりました」

 剣を振りかざしたフィードに広げた鉄扇で防ぎ、斬撃を受け流し、そのまま空いた隙を突くエンリカ。負傷した脇腹に即座に畳んだ鉄扇を叩き付けようとするエンリカに、リオーネが対処する。

「させません!」

 エンリカの死角から蹴りを入れるリオーネ。エンリカは咄嗟に腕を出し、リオーネの蹴りを防ぐ。エンリカは受けた蹴りの勢いに身を任せ、衝撃を受け流してその場から距離を取った。

「雑魚が! 群れやがって気持ち悪いんだよ! 大人しく操られておけばいいのに……」

「その雑魚相手に追いつめられてるのはどこのどいつだ?」

「うるさいわね。手負いの雑魚は黙ってな!」

 再びフィードたちとの距離を詰め、先程より、より早く連続の攻撃を繰り出すエンリカ。

「気をつけてください! 人を操るだけと思っていましたが、腕の方も立ちます」

 フィードを庇うようにして攻撃を防ぐリオーネ。そんな彼女にエンリカは怒濤の連撃を叩き込む。右上段蹴りから振り上げた足の勢いを利用して鉄扇を横腹に叩き込む。鉄扇を素手で防ぐリオーネだが、負傷した左腕は力が入らず、鈍い音が響く。

「――――ッぁ」

 苦悶の表情を浮かべるリオーネにエンリカは満足したように薄ら笑いを浮かべ、攻撃を続ける。今度は鉄扇を開き、鋭い刃と化したそれを垂れ下がるリオーネの左腕に向けて振り抜く。しかし、それはフィードの剣によって阻まれた。

「大丈夫か、リーネ!?」

「ええ、大丈夫です。片腕が動かなくなるくらいどうってことありません」

 負傷した腕を庇いながら、リーネは先程より戦意を高める。そんなリオーネにフィードが耳打ちする。

「いいか、リーネ。今度は俺が隙を作る。だから、お前はその隙を突いてあいつを切れ」

「でも、私には武器がありません」

「なければ作るだけだ。お前の一番得意な魔術でな」

 それだけ伝えてフィードは隙を作るためにエンリカに向かって行った。その顔は既に青くなり始め、長期戦は持たないとリオーネに理解させる。

(武器を作る? 私の一番得意な魔術……そうか!)

 フィードの言葉の意味するところを理解したリオーネは隙を作ると言ったフィードを信用し、少し遅れてエンリカの元へと駆けた。

「なにこそこそと話し合ってるのよ! 今更何か企んでも無駄ってことがわからないの!? 大人しく死になさいよ!」

 エンリカの猛攻をフィードは防ぎながら、背後から迫って来るリオーネの気配を感じていた。そして、そのリオーネのためにフィードは一瞬の隙を作り出す。

「大気を漂う数多の液体。その欠片を集め、我に与えたまえ――アクア――」

 詠唱と共に、いくつもの水球がフィードの周りに漂い始める。それを一斉にエンリカに向けて解き放つ。解き放たれた水球は勢いよくエンリカに向かうが、超人的な身体能力を活かしたエンリカにそれらは全て避けられてしまい、地面を濡らすだけになってしまう。

「ハッ! この程度であたしを殺ろうだなんて甘いんだよ!」

「いいや、俺の役割はあくまでもお前の隙を作る事だけさ」

 フィードがそう告げると、地面を濡らした水がエンリカの足下に集まり、鞭のようにして足に絡み付く。

「チッ! 離せこの屑! こんなもので……」

 広げた鉄扇で水の鞭を切り離そうとするが、形のない水は切られてもすぐにその姿を元のものへと戻す。

「くそっ! くそっ!」

 逃げる事のできないエンリカに迫るリオーネ。その手には何も持っていないはずの彼女は、それでも剣を握りしめる時と同じ形を作り、詠唱する。

「大気を漂う数多の液体。その欠片を集め、固め、作り上げた鋭い刃は敵を突き刺す。
 その冷気で我に仇なす者を罰せよ――フロストエッジ――」

 そして作り出されるは氷でできた長剣。柄を力一杯握りしめ、身動きの取れないエンリカに向けて最大級の力で振り下ろす。

「はあああああああぁぁぁ!」

 エンリカは広げた鉄扇でリオーネの氷の剣を防いだ。ぶつかり合う鉄と氷。その結末は氷の剣先が折れた事によって終わりを告げた。

「はっ、はははっ。あははははははは。終わりだ、あんたたちはこれでもう終わりだ!」

 勝利を確信したエンリカが甲高い声で叫ぶ。見ればいつの間にかフィードの魔術が解けて、その足は自由になっていた。フィード自身も顔を真っ青に染めている。とうとう限界が来たのだ。リオーネもこれ以上動く余裕がなく、体力の限界が来ていた。勝利に酔いしれるエンリカだったが、ふいにその笑い声が止まった。
 何事か、とフィードとリオーネがエンリカを見ると、その顔に一筋の赤い線が浮かんでいた

「あれ? これ、なに? どうして、あたしの顔からこんな、赤い……」

 自分の顔に手を当てて、何が起こっているのかを確認するエンリカ。そして、顔に当てた掌は真っ赤に、彼女自身の血によって染まっていた。

「なによこれええええええぇぇぇ。血!? あたし、あたしの顔に傷が……。どうしよう、どうしよう、どうしよう!? ああ、傷が残ったら取り返しがつかない!」

 そう言ってこの場を離れようとするエンリカ。それを睨む事しかできないフィードの代わりにリオーネが問いかける。

「逃げるのか、エンリカ!」

 その問いかけに一瞬だけエンリカの足が止まり、憎悪に満ちた瞳で二人を睨みつけ、答える。

「逃げる……? ふざけんじゃないわよ。見逃してやってんのよ、あんたたち二人とも。いい? あたしの顔に傷をつけた事、絶対に許さないわ。あんたたちは今日、この時よりあたしの『敵』だ!
 この傷の代価を払わせるために、ボロぞうきんのようにして、その後ぐちゃぐちゃの肉塊にしてやる! 
 それまで少しでも生きていられる事に感謝して、あたしへの恐怖で怯えながら残りの人生を過ごしていなさい!」

 そう二人に宣言し、エンリカはその姿を消した。残されたフィードとリオーネはただ呆然とその場に立ち尽くすしかなかった。

「終わり……ましたね」

「ああ……終わったな」

 力なく地面に腰を降ろして、張りつめていた緊張を解く二人。そして、互いにボロボロの姿を見て、どちらともなく笑い出す。

「お前、ズタボロじゃないかリーネ」

「そういうあなたこそ。そんなにボロボロになった姿を見るのは久しぶりです」

 ひとしきり笑った後、静寂が訪れる。

「あの……」

「いや、わかってる。話をするんだろ? ひとまずそれは後日にしてもらってもいいか? 気絶してる騎士たちのこともあるし、事後処理だとかもあるだろうからな。
 ただ、今一番マズいのは、俺の意識がもう途切れそうなんだってことだ」

 フィードの言葉にリオーネは驚き、焦った。

「えっ! ええっ! ちょっと、待ってください。今人を呼んできます。気絶するのはいいですけど、絶対に死なないでくださいよ! 勝手に死んだら泣きますからね!」

「わかった……。だから、早く人を呼んでくれ……」

 今にも意識を失いそうなフィードに、あたふたとしながらも、リオーネは助けを求めるために他の騎士たちが就寝している宿へ向けて走り出した。

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

別れの時、新しい居場所へ

 十二支徒の一人、エンリカを撃退してから一週間が経った。あの後、リオーネによって呼び寄せられた騎士たちは、負傷しているフィードや他の騎士たちを宿へと運び、傷の手当をした。
 リオーネが戻った時には既に気絶していたフィードは血をかなり流しており、二日間意識が戻らず眠り続けることになった。そんな彼の見舞いには下町からたくさんの人々が訪れ、彼の復帰を願っていた。
 そして、二日後の朝、意識の戻った彼はしばらくの間、宿で療養する事になり、一部の者を除いて面会謝絶となった。その間、再びセントールの騎士たちに事情説明を受け、うんざりとしながら、フィードは問いかけられる質問に丁寧に答えた。結局、今回の件はセントールの騎士が何もしていないという事は明白なため、フラムの騎士団が十二支徒を撃退したという事で落ち着く……はずだった。
 しかし、その話を聞いたリオーネが激怒し、結局フラム騎士団主導のもと、フィードの助力もあって解決したということで話は落ち着いた。
 それから五日が経ち、ようやく傷もほとんど癒え、外出を許可されたフィードは真っ先にリオーネのいる宿に向かっていた。

 一週間前の戦いでリオーネと交わした約束を果たすために。

 宿から少し離れた場所でフィードは荷物を持って宿の前に立っているリオーネを見つける。見ると、なにやらリオーネは挙動不審だった。キョロキョロと周りを見回しては、ハンチングを深く被っては少し上げ、こっそりと周囲の様子を伺っている。

「おい、何やってるんだ。リーネ」

 見ていられないと思ったフィードは思わず声をかけた。

「あ!? フィード。ど、どうも。久しぶりですね」

 何故かどもるリオーネ。どうにも様子がおかしかった。

「なあ、何でそんなに周りを警戒してるんだ? それに、気を張りすぎてて、今のお前ただの不審者になってるぞ」

「そんな事言っても、この間の件でまた私の噂が広まってしまって、ここ数日色んな人に取り囲まれて困っていたんです」

 本当に困っていたのだと力説するリオーネにフィードは思わず笑ってしまう。

「そうか。まあ、あんなことがあった後じゃ、しょうがないよな……」

「ええ。本当に……」

 リオーネに会ったら本題に入ろうと思っていたフィードだったが、どうにも上手く話を切り出せずにいた。しかたなく他愛無い会話で時間を稼ごうとするが、それも上手くいかない。
 息を大きく吸い込み、覚悟を決めると、意を決して本題を口にした。

「リーネ……あのさ、あの時のことなんだが」

 しかし、フィードの予想に反して、リオーネは首を振り、その話を続けさせようとはしなかった。

「フィード、私はまず一つあなたに謝らなければならないことがあります」

「なんだ?」

 話を遮られたフィードは出鼻を挫かれる形となり、その勢いをなくしてしまった。そして、先に話をしようとするリーネの言葉に耳を傾ける。

「実は、あなたが眠っている二日間に私はアルちゃんから全部話を聞いてしまいました」

 それを聞いてフィードは思わず顔をしかめた。

「すみません。でも、あの時はこのままあなたが目を覚まさないと思ったら永遠の謎になってしまうと思って、私はなりふり構っていられなかったんです」

「あれぐらいじゃ死に至らないってくらい、お前なら分かるだろ?」

「もしかしたらってことがあるじゃないですか! そりゃあ寝てただけの人はいいですよ。みんなが心配している事も知らないで目を瞑っていればいいだけですから」

「酷い言われようだな。それで? お前はアルから話を聞いて何か言いたい事があるんじゃないか?」

 フィードの言葉にリオーネは一度深呼吸をし、呼吸を落ち着けて答える。

「私、やっぱりあなたのことを許しません。理由は確かにあったのかもしれませんが、それを私に話してくれてもよかったじゃないですか」

「でも、話したらお前絶対に付いてきたろ?」

「当たり前です。それに、あれだけ一緒にいて背中を預けてくれていたのに、ちょっと十二支徒に脅されたからって私を手放した事が許せません。
 これじゃあ信頼も何もなかったって事じゃないですか」

「いや、それはな……」

「そして一番許せないのは私の意思を全く無視して一人で勝手に結論を出して行動した事です。前にもいいましたが、私の人生は私のものです。いくらこればっかりは助けてもらったあなたでも好きにはさせたくありませんでした」

「……」

「だから私はあなたの事を許してあげません」

「そうか……」

 リオーネの言葉に僅かながらも気を落とすフィード。心のどこかでは彼女と和解できるという望みがあったのだろう。
 だが、そんなフィードを見たリオーネはいじわるそうな笑みを浮かべ、

「でも、もう恨み言を募らせるのも止めます」

 と、話を続けた。

「——えっ?」

 突然のリオーネの発言に思わず呆気にとられるフィード。そんなフィードの様子をみてリオーネは満足そうにしていた。

「話を聞いて許せないという気持ちは変わりませんでした。でも、同時にあなたがどれだけ私の事を考えて心配してくれていたかも理解しました。
 だから、もう泣き言を言ったり、恨み言をあなたにぶつけることはありません」

 リオーネの発言にフィードは照れくさそうに視線を外して頬をかいていた。

「お前……不意打ちすぎるだろ、それ。俺もう二度とお前と話できないんじゃないかって思ったぞ」

「本当にそのつもりなら、今日こうして会って話をすることもありませんよ、フィード」

 それもそうかと呟くフィードにリオーネは終始笑顔のままフィードを見つめていた。そんな二人を通りを歩く人々がチラチラと見始めるようになってきた。少しは変装をしているリオーネはともかく、フィードはいつも通りなため、道行く人が噂の二人だということに気がつきだしたのだろう。

「少し、歩きませんか?」

 そんな時、リオーネから散歩の提案があった。それがどうしてなのかは、リオーネが持っている荷物を持っている時点である程度フィードには予想がついていた。

「ああ、そうだな」

 それを口にすることなく、フィードはリオーネの提案を肯定した。
 道行く人々に混じり、二人は歩き始めた。端から見れば、友人にも、相棒にも、家族にも、恋人のようにも見える。人目を惹きながら歩く二人。
 二人の間には以前のような溝はなく、その距離は自然と縮まっていた。フィードは歩く人にぶつかるといけないからという名目で。そして、リオーネはそんなフィードの意見を肯定する形で。
 通りを歩く二人は何度か露店の商人に声をかけられた。それを断る事もせず、売られている商品の数々に目を通し、互いに談笑し、楽しい時を過ごしていた。
 そして、幾つ目かの露店、主にアクセサリーが置かれている露店を見ている時になって、ようやくフィードはリオーネに問いかけた。

「帰るんだろ、フラムへ」

 商品を見ていたリオーネは後ろに立っているフィードの方を振り返ることなく答える。

「ええ……今回の件の報告もあるので私だけ先に戻る事になりました。他の隊員はまだしばらくこちらに滞在しますが」

 ネックレスや指輪をその手に取って眺めながらリオーネは話した。フィードはそのことを寂しく思いながらも彼女を引き止める言葉を口にはしなかった。

「そっか……」

「私にとって、今いるべき場所はあそこですから。それに、昔と違って今の私は責任が伴う地位にいます。そう軽々とそれを投げ出す事はできませんよ」

 そう言うとリオーネは一つの指輪を手に取り、フィードに差し出した。

「これ、買ってもらえますか?」

 そんなリオーネのお願いに、フィードは

「ああ、そんなものでよければ」

 と、即座に答えた。商人から指輪を買ったフィードは、それをリオーネに手渡す。

「ほら、大事にしてくれよ」

 受け取ったリオーネはその表情に嬉しさを滲ませながらも、何故か不満そうに頬を膨らませていた。

「もう、相変わらず女心が分からない人ですね! こういう時は買った相手が指輪をはめてくれるのが普通ですよ」

 文句を言って指輪を返すリオーネにフィードは苦笑する。そして、リオーネに言われた通りに指輪をその右手にはめようとするが、今度は頭に手刀を当てられて怒られる。

「もう! 違うって言ってるじゃないですか! それぐらい察してください」

 指輪を買った行商人に暖かい眼差しで見つめられ、気恥ずかしさを覚えながらもフィードはリオーネの言わんとしてる事を察して言う通りにした。

「わかったよ。——ったく。こんなこと、もう二度としてやらないからな」

 顔を真っ赤にしながら、リオーネの左手の薬指に指輪をはめるフィード。その意味するところを知っているからこそ、フィードは指輪をはめたくなかったのだ。
 自分の指にはまった指輪を見て満足そうにしているリオーネ。そんなリオーネにフィードが呟く。

「リーネ、俺は……」

「いいんですよ。あなたがそういった考えを誰にも持っていない事は、ずっと一緒にいた私がよく知っています。言ってしまえばこれは私の自己満足です。他の人には、それこそアルちゃんにもあなたのことを渡さないという私なりの牽制です」

「おいおい、過激な発言だな」

「それくらい言っておかないとあなたはすぐに他の女の子を誑し込むので安心できません。トリアの時だってそうだったじゃないですか……。もう忘れたのですか?」

 呆れるリオーネにフィードはとうとう何も言い返せなくなってしまう。女相手の口論。それも自分をよく知っている相手だと分が悪いという事をフィードは悟り、反論するのを諦めるのだった。



 店を離れた二人は次第に無言になった。しかし、不思議と嫌な気分にはならなかった。むしろどこか心地よい感覚が二人の間に漂っていた。だからこそ、お互いに別れがもうすぐなのだということを理解した。そして、セントールの西門に近づいた時、リオーネがその足を止めてフィードの方を向いた。

「ここまでで大丈夫です。色々とお世話になりました、フィード」

「ああ。お前と会えて嬉しかったよ、リーネ」

 互いに見つめ合い、穏やかな時間が流れて行く。

「フィード。最後に一つだけあなたに伝えておきます」

 別れる前に話を切り出したのはリオーネだった。

「なんだ?」

「確かに、今の私は責任の伴う立場で軽々とフラムを離れるわけにはいきません。
 ですが、もしあなたが本当に助けを求めて、私を必要としてくれるのなら、私はいつだってあなたの元へと駆けつけます。
 それが……私があなたにできる精一杯の恩返しです」

 かつては口にしなかった決意をリオーネは伝える。互いに言葉を重ね合わせるのが足りなかったため起こった以前の反省を活かしてのことだった。そんなリオーネにフィードもまた以前とは違う言葉を口にする。

「もしそうなったら、伝えるよ。お前の事が必要だって……な」

 お互いに伝える事を伝え合い、別れの時がとうとう来た。立ち止まるフィードにリオーネは一歩、また一歩と距離を縮めて、最後にはその距離を零にした。
 触れ合い、重なり合う、互いの唇。脳が痺れるような甘さと、狂おしいほどの切なさの混じった感情にリオーネの胸がかき乱される。一瞬とも、永遠とも思えるような時間が過ぎ、どちらともなく、重なっていた唇は離れた。

「さようなら、フィード。どこにいても私はあなたのことを想っています」

 振り向き、去って行くリオーネの背にフィードもまた告げる。

「さようなら……リーネ」

 そしてその背が遠ざかり、小さくなると、フィードもまた自分の今いるべき場所へと歩き出すのだった。

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三章「トリアの魔術師」 トリアへの手紙

 鋭い日差しが肌を刺す。夏季に入ったためか、町を歩く人々の格好は薄着となり、行商人が売る品物もひんやりとした冷たい果実や暑さ対策のための帽子、肌着が多く売られるようになった。
 うだるような暑さに耐え切れず、日陰に隠れる者もいれば、涼しさを求めて町にある噴水広場にあつまり、吹き上がる冷たい水しぶきを浴びながら一休みしている者もいた。

「暑いですね~。マスタ~」

「そうだな、暑いな」

 噴水広場で休む人々の中には、ベンチに座る二人の人物の姿も見受けられる。この暑さの中でも長袖の服を着ている少女と、その隣で、腕を扇いで少しでも風を送ろうとする青年。ここ最近の出来事によって、下町ではすっかり知られた顔となったフィードとその従者とも呼べる少女、アルの二人だ。
 だが、周りの視線を集めていることに気が付きながらも、二人は全く気にした様子を見せず会話を続ける

「なあ、アル。お前もそろそろ薄着にしないか? さすがにいつまでもその格好ってわけにいかないだろ」

 滝のように汗を流しながら、それでも何でもないというように意地を張るアルにフィードは尋ねる。

「そうしたいのはやまやまですけど、私が薄着になってしまうと肩の烙印が見えてしまうじゃないですか」

 そっと、己の肩を抑えてアルは呟く。長袖によって隠れたその肩には、かつて魔術によって刻まれた奴隷としての烙印が存在する。とはいっても、その烙印は今となっては『意味を成さない』のだが、それに気がつけるのは魔術についての知識がある程度ある者だけであり、一般人では気が付くことができない。
 そのため、うかつに烙印を晒すわけにもいかないのだ。

「お前の烙印を消してやりたいけれど、俺じゃあそれができないからな。かといってこの町に優秀で、口の堅い魔術師の知り合いなんて俺にはいないからな……」

 困ったように頭を掻き、アルの烙印についての処置をどうするべきかと考えるフィード。彼女と一緒に過ごすようになってから早数ヶ月。元々セントールでの暮らしが落ち着いてからどうにかしようと考えてはいたフィードだったが、ここ最近の事件によってそんなことを考える余裕もなくなり、ようやく訪れた平穏によってアルの件について考えるようになれた。

「いいんですよ、マスター。私は気にしていませんから。夏季が過ぎるまで長袖で過ごさないといけないのはちょっぴり辛いですけれど、それだけです。今は私の烙印について知られて冷たい目で見られることになるほうが私にとってはよっぽど辛いです。
 だから、夏季が過ぎるまでの間、ちょっと我慢すればいいんです」

 グッと両手を握り締め、自分は大丈夫だとフィードにアピールするアル。しかし、そんな言葉とは裏腹に滲み出る汗は止まらず、たまにだが貧血も起こしている。

(アルがこういっても、今まで運がよかっただけで隠していることはいつか知られることになるよな。その時に傷つくのはアルだし、早いうちに手を打っておくのがいいだろうな。
 それに……)

 アルの心配をしながら、フィードは噴水広場に集まっている人々を見回す。見ると、その中には鎧こそつけていないものの、二月ほど前に見たセントールの騎士の姿がいくつもあった。

(アルは気が付いていないけれど、もう何日もこんな状態だからな……)

 十二支徒エンリカを撃退し、フィードがリオーネと別れた後、セントールの騎士たちはフィードたちの監視を始めた。理由として最も考えられるのが、フィードが実は十二支徒との間に繋がりがあるのではないかということだ。フィードにとってみれば十二支徒は仇敵であり、そんな考えなど即座に否定できる。しかし、あの十二支徒とこの短期間に二度も接触し、傷を負ったものの生きながらえているフィードを見て、セントールの騎士団は疑問を抱いたのだろう
 フィードにとって不幸だったのは、十二支徒との件に関してセントールの騎士団が直接関わりを持たなかったことにある。最初の時はフィードだけが関わり、町長を通じての事後報告となり、二度目の事件の際はリオーネやフラム騎士の一部が関わったとはいえ、その殆どが操られていた状態であったため、きちんとした報告ができたのはフィードとリオーネだけだった。
 さすがに、この件に関してはリオーネの信用が高かったおかげもあって大事には至らなかったが、それでも疑惑の目を向けられる理由としては十分であった。
 おかげでここ数日の間フィードとアルはどこに行くにしても騎士に付け回されることとなり、せっかく訪れた平穏をフィードは心から喜べなかったのだ。

「マスター。どうかしましたか?」

 そんなフィードの心境を知るはずもないアルは、不思議そうな顔をしてフィードを見つめていた。

「いや、なんでもない。ちょっと考え事をしてただけだ」

 フィードはアルの問いかけの答えを誤魔化す。アルには余計な心配をさせたくないとの配慮からだった。そんな風にして再びゆったりとした時間の中で涼み、休憩を続ける二人。暑い季節、飛び散る水滴、広場を走り回る子供たち。そんな光景をボーっと見つめているフィードの脳裏にはある場所と、かつて一時を共に過ごした青年の顔が浮かび上がる。

「そうだ……あいつがいた!」

 突然立ち上がり、声を上げるフィードに隣にいたアルはびくりと身体を震わせる。広場にいる人々の視線がフィードの元へと一斉に集まり、静寂が訪れる。

「あ……」

 自分の行動が周囲の視線を集めていることに気が付いたフィードは顔を赤くし、恥ずかしさとともに再びベンチに座った。

「マスター……あまり変な行動を取られると私まで冷めた眼差しでみなさんに見られるのでやめてください」

「すまん。ちょっと、ある事を思い出してな」

「ある事って何ですか?」

「えっとな、アル。ちょっと時間はかかるかもしれないけど、その烙印消せるっていったらもちろん消したいよな?」

「……はい。できることなら消したいです。何かいい案があるのですか?」

「ああ。実はな、トリアに腕の立つ魔術師の知り合いがいるんだよ。そいつなら口も堅いし、アルの烙印も消せるはずだ。だからな、しばらくの間この国を離れることになるけれど、トリアに行こうと思うんだ。もちろん、そいつに連絡を取ってからだけどな」

 さっそく手紙を送ろうと、ベンチから立ち上がり、宿へと戻り始めるフィード。そんな彼の後を一歩引いた状態で付いていくアル。烙印を消せる希望が出てきたため、アルの表情は明るくなっていた。

「それで、その知り合いの方はなんと言う名前なのですか?」

 後ろから声をかけたアルにフィードは振り向き、微笑みながら答える。

「そいつの名前はクローディア。トリアの魔術学院で講師をしながら魔術の研究を続けてる俺の友人さ」

  

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予想外の報告

 フィードがセントールからトリアへと行こうと決めてから二週間ほど経った。あれからクローディア宛ての手紙を書き、トリアへと向かう郵送屋に手紙を渡し、その返事が来るまでの間のんびりと毎日を過ごしていた。手紙を送った後、普段誰かと連絡をとることのないフィードにアルが軽い気持ちで手紙の相手との連絡はどれほどのものかと聞いたところ、なんと二年ぶりだという。
 どうやら、リオーネと旅をしていた頃にフィードがトリアへ立ち寄った際、交流を持ったのだそうだが、それでいても二年も音信不通だった相手にいきなり連絡を取るのはいささか失礼ではないかとアルが文句を言うと、

『まあ、いきなり押しかけるわけでもないし駄目なら駄目で他を探すだけだ。といっても俺はあいつに一つ貸しがあるからたぶん了承してくれると思うぞ』

 と、笑いながら返事をした。フィードの言っていることについてアルが知ることになるのは、これから一週間後、手紙の返事が来たときであった。

「ほら、アル。なにボーっとしてるんだ。あの牛車の荷台に乗るぞ」

 フィードに声をかけられて、アルは現実に引き戻される。ここしばらくのことを思い返していて意識が想像の世界へと旅立っていた。首を振り、意識を現実のピントと合わせる。
 青い空の中、漂うさまざまな形をした雲。穏やかな風が辺りに生えている草木を揺らし、アルたちの着ている衣服をたなびかせる。己の前には彼女のしたう青年フィードと彼らを待ってくれている牛車。そして、その牛車の主である小太りな男がいた。牛車の荷台には陶芸品や大量の麻袋が乗せられており、男がそれらの品をどこかへと運ぶ途中なのだと分かった。

「えっと、マスター。どうしたのですか?」

 ボーっとしていたため、話についていけていないアルは戸惑い、ついフィードへと尋ねる。

「話を聞いていなかったのか? えっとな、今このオジサンがトリアへ向かっている途中なんだよ。で、俺たちも向かう場所は同じだろ? だから荷台に乗せていって一緒に連れて行ってもらえないかって頼んだんだよ。それで、向こうの了承が得られたから、荷台に乗るぞって言ってたんだよ」

「あ、なるほど。そうだったんですか……」

 ようやく事態を飲み込めたアルは、フィードに手を引かれて牛車の荷台に乗り込む。二人が後ろに乗ったことを確認した男は、止めていた牛を動かし、トリアへと向け移動し始めた。

 荷台に乗った二人は流れ行く景色を眺めていたが、先ほどのアルの様子をみて心配したフィードが思わず声をかける。

「なあ、アル。お前本当に大丈夫か?」

 これまで旅を続けてきたフィードと違い、アルは旅にそこまでなれていない。フィードによって救い出されたあと、ほんの少しの期間だけ旅をしていただけだ。そのため、今回のトリアへの移動もフィードはペースを落とし、アルの体調を気遣いながら行なっていた。

「いえ、大丈夫です。それにこのままなら後一日で着く予定なんですよね。それなら、少し無理をしたところでどうってことないです」

 アルの返答にフィードはあまり納得していない様子だったが、やがてそれ以上の追及はやめた。そして、持っている荷物の中から一枚の封筒を取り出す。それは、トリアから送られてきたフィードの旧友、クローディアからの手紙だった。
 封を開け、もう何度も読み返した手紙の内容を改めて読み返すフィード。隣に座っているアルも、フィードの傍により、覗き込む形で書かれている内容を見た。

『久しぶりだね、フィード。早いもので君とリオーネがこの国を去ってからもう二年が過ぎたよ。しばらくの間君たちがどうしているのかってことはまったくわからなかったけれど、ここ最近の噂で君たちの事を耳にしたよ。
 相変わらず破天荒な日々を生きているんだね。この手紙を書きながら、君たちとの日々を思い出して思わず笑ってしまったよ。
 ひとまず君が頼みたい用件は了解したよ。たぶんどうにかできると思うから、いつでも来てくれ。話したいことがたくさんあるんだ。
 そうそう、クラリスも君に会いたがっていたよ。最近はちょっと訳があって僕とは話してくれなくなって、塞ぎがちなんだけど、君が来てくれるのならまた前みたいに明るいクラリスに戻ると思うんだ。その件についてもまた会ったときに話そう。それじゃあ、また。
 君の友人クローディアより』

 手紙を読み終えたフィードはそれを封筒に入れてカバンに閉まった。旧友に会えるのがよほど楽しみなのか、その表情は笑顔が絶えず、フィードにしては珍しく落ち着きがなかった。

「マスター。前から聞きたかったのですけれど、このクローディアさんという方とはどういう経緯で知り合ったのですか? どうもマスターがリーネさんと旅をしていたときに知り合ったみたいですけれど」

 先日別れることになった女性の姿を思い出してアルは微笑みながら尋ねる。彼女との出会いがあったおかげでアルはフィードの過去の一端に触れることができ、そして自分の存在を改めて肯定してもらえることになった。そのおかげもあって今もこうして彼の過去に触れることができる。

「そうだな……。こいつとは俺がリーネと旅をしてトリアを訪れたときに知り合ったんだ。とはいっても到底普通の出会いじゃなかったけどな」

「どんな出会い方だったんですか?」

「いやさ、こいつ学院の講師の他に魔術の研究をしているっていったろ? クローディアってば研究に熱が入ると不眠不休。たまに飯まで抜いて研究に没頭するんだよ。俺たちが最初に出会ったのはクローディアの研究が一息ついて飯食いに外に出てきたときなんだ。
 あいつ自分が休んでいなかったことも忘れてて道を歩いている俺たちにぶつかったと思ったら急に倒れるんだよ。見捨てるわけにもいかないから、どうにか家を突き止めてクローディアを送り届けたのが最初だな」

 その出会いがよほどおかしなものだったのか、フィードは笑いを堪えながら話をした。

「ふむふむ。そんな風にして出会ったんですね。こんなことを言うと失礼ですけど、クローディアって人はその……ずいぶん変わっていますね」

 さすがにまだ会ったことのない人物を『変人』というわけにもいかないアルは、表現をぼかして呟いた。

「ま、まあ確かに変わったやつだけど、いいやつっていうのは保障するぞ。ただ、お人好し過ぎて心配になるときもあるけどな」

「なるほど、類は友を呼ぶというやつですね」

「おいおい……」

 アルの呟きに思わず言葉を失うフィード。だが、アルにしてみれば、フィードも相当なお人好しなのである。

「そういえば、さっきの手紙にあったクラリスというのは誰のことなのですか?」

 封筒の入った荷物に視線を移し、アルは問いかける。クローディアのことについてはフィードから説明を受けていたが、クラリスという人物については初めて聞いたのだ。

「ああ、クラリスか。こいつはクローディアの妹だよ。歳は確か……アルよりも三つか四つ上だったかな。クローディアと一緒に住んでいるんだ。……そうだ、ちょうどいい。アル、お前向こうに着いたらクラリスと友達になれよ。セントールじゃイオくらいしか同年代の友人いないだろ。この際に交友関係を広げるのもいいんじゃないか?」

 フィードの急な提案にアルは戸惑う。

「その……会ってみてから考えさせてもらってもいいでしょうか?」

「構わないぞ。まあ、全部はトリアに着いてからってことだな」

「そうですね。あ、それとマスター一つだけ訂正します。私とイオさんは決して友達なんかじゃありません! あの人はただの仕事仲間です!」

「お前まだそんなこと言ってるのか。いい加減あいつと仲良くなれよ」

「嫌です! 絶対に嫌です!」

 呆れるフィードと必死に友人関係を否定するアル。そんな二人を乗せて牛車はゆっくり、ゆっくりとトリアへと向けて進んでいくのだった。



 夕日が地平線の彼方へと沈み、夜が訪れた。空は薄っすらと暗がりが現れ、小さな星の数々が現れ始めた。そんな星の下、篝火に照らされた歩道を歩く二つの影。

「う~ん。確かこの辺りだったと思うんだが」

 辺りを見渡しながら、目的の家屋を探すフィード。もうかれこれ一時間ほど歩き尽くめだった。燃え上がる炎によって明るく照らされる歩道。そのすぐ傍には綺麗に整備された水路がある。そこを流れる水をぼんやりと眺めながら、アルはフィードの後についていた。
 日が沈む前にトリアに到着した二人だったが、二年もの間に増えた建物とフィードの記憶にある街との差異から道に迷ってしまい、目的地であるクローディアの家に中々辿りつけずにいた。もっとも困っているのはフィードだけで、アルは道に迷ったこともお構いなしに新しい国、新しい街を見て興奮していた。暗くなってしまい、街全体がはっきり見えるわけではないが、それでもセントールとはまた違った街並みに目を光らせ、心躍らせていた。
 いくつもの路地を通り、ある通りに差し掛かったとき、アルの前を歩くフィードが思わず声を上げた。

「おっ! この通り覚えがあるぞ。たしか、クローディアと最初に会った場所だ」

 ようやく見覚えのある場所を見つけたのか、フィードは少し早足になり、記憶にある道を進んでいく。そして、ある一軒家にたどり着いたところでその足は止まった。玄関の前に立ち、胸に手を当てて深呼吸をするフィード。そして、玄関の扉を二、三度ノックした。しばらく何も反応が返ってこなかったが、やがて扉に向かって走ってくる誰かの足音が聞こえ、扉の前に着くとその音が一度消える。そして、夜遅くの訪問者を警戒するように少しずつ扉を開けながら外にいる人物に向かって問いかける。

「はいはい。こんな時間にどなたですか……」

 まだ若い少女の声が扉の奥から聞こえる。けだるげな声で問いかけた言葉は、しかしその途中で途切れることになる。そして、扉から少しだけ出した眠そうな顔は訪問者が誰なのか悟ると一瞬にして驚愕の表情へと変わった。

「えっ……え!? フィードさん!? なんで、ここに? というかいつ来たの!」

 突然の再会に驚く少女。事態が把握できないため、パニックに陥ってしまい、言っていることは支離滅裂だった。

「久しぶり、クラリス。もしかしてクローディアから何も聞いてないのか?」

 てっきり話をしているものだと思っていたフィードは予想外の事態に驚く。

「う、うん。だって、ここ最近兄さんとは話していなかったから……。それにしてもビックリした。フィードさんってば突然来るんだもの。とりあえず、こんなところで立ち話もなんだし中に入って」

 扉を完全に開き、家の中へと手招きするクラリス。彼女に案内される形で家の中へと入るフィードとアル。部屋の隅々まで明かりが灯された屋内はそれまでぼんやりとしか見えなかったクラリスの姿をはっきりと現す。
 腰まで届きそうな灰色のロングへアー。真っ黒な暗闇の中でも光り輝きそうな金色の瞳。既に寝巻きに着替えているが、昔に比べて成長した身体つき。身長はかつてよりも十センチ以上は伸びており、未だ膨らみかけの胸は成長途中であることを示している。まだまだ子供っぽさは抜けきっていないが、それでも大人への階段を歩み始めた少女の姿がそこにはあった。

「思っていたよりも大きくなったな」

 たった二年でこれほどまで成長するものなのかとしみじみ思っていると、フィードの後をとことこと付いて来たアルを見てクラリスが不思議そうにする。

「あれ? フィードさん、今日はあの女と一緒じゃないんだ」

「あの女? ……ああ、リーネのことか」

「そうそう。なんだか聞いたところだとフラムの騎士団副隊長なんて立派な地位に着いたみたいね。フィードさんとの旅はもうやめたの?」

「うん。まあ、色々あってな。そこのところはまたクローディアが来てからな。そういえばあいつの姿が見当たらないけれどもしかして研究所か? それともシアに会いに言ってるのか?」

 ニヤニヤとしながらフィードがクラリスに問いかける。シアというのはクローディアの恋人の名前だ。かつてフィードとリオーネがこの街に滞在していた時期にクラリスと協力をしてクローディアとシアの二人を恋人へになる手助けをしたのだ。そのときの思い出があるフィードはこの話を出せばクラリスも話しに乗ってくれると思っていたのだが、予想に反してクラリスの反応は芳しくない。それどころか、その顔は徐々にしかめっ面へと変わっていった。

「あ、あれ……クラリス? どうしたんだよ、ちょっとした冗談だろ。もしかして、あいつら今喧嘩でもしてるのか?」

「その話は、本人に聞いてみたらどうですかね」

 そう言ってクラリスが向いた先にはちょうど二階の自室から降りてくる一人の青年の姿があった。不健康そうな細身の身体に下手をすれば女と見間違うような中性的な顔立ち。妹であるクラリスと同じ灰色の髪に金色の瞳をした青年、クローディアの姿がそこにはあった。そんなクローディアと入れ替わりになるように先ほどまでフィードたちの傍にいたクラリスは階段を昇って二階へと消えていってしまう。
 突然機嫌を悪くしたクラリス、そして困ったように微笑むクローディアを見てフィードは何が起こっているのか訳がわからず、戸惑う。そんなフィードにクローディアが話しかける。

「久しぶり、フィード。ごめんね、クラリスがあんな風で」

「べつにそれはいいんだけど。いったいどうしたんだ? さっきまで普通だったんだけど、お前とシアの話をしたら急に機嫌が悪くなったんだが……」

 フィードの言葉にクローディアがやっぱりかというように苦笑いを浮かべる。

「あのさ、フィード。怒らないで聞いてくれるかな?」

「まあ、保障はしないけど。俺が怒るようなことがあるのか?」

「えっと、実は……僕とシアさ。……別れたんだよ」

 クローディアの告白に、フィードは何か聞き間違えたのかと思った。そして、もう一度クローディアが言った言葉を頭の中で反芻し、ようやくその意味を理解すると。

「な、な、なにぃ――――ッ!」

 と、室内全体に響くほどの叫び声を上げた。そんな旧友の反応にクローディアは再び苦笑いを浮かべるのだった。

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子供と大人の近況報告

 クローディアの登場によってリビングから二階の自室へと逃げるようにして離れたクラリス。彼女は今、フィードたちに対する自己嫌悪、兄に対する腹立たしさ、そしてそれを抑えることのできない自分自身に対する失望から部屋に篭ってベッドの中でうずくまっていた。彼女がこのように自身の感情を持て余すようになって早半年。始まりは兄が告げた一言だった。

『ごめん、クラリス。僕、シアと別れることになったよ』

 突然の兄の報告に、クラリスは初め冗談やからかいの類だと思っていた。実際に兄がこのようにシアの話を投げかけるのは、昔からシアの機嫌を損ねたときばかりであったため、付き合ってから随分と時間が経った今回もまた似た様なことだろうと思っていたのだ。
 いつもの様に冗談を交えながら兄へアドバイスを送ったクラリスだったが、それを聞いていてもクローディアの表情が落ち込んだものから変わることはなかった。それを見てようやくクラリスは事が自分の思っているよりも重要であることに気がついたのだ。
 すぐさま原因を聞くが、クローディアはそのことについて答えようとせず、ただ自分が悪いとばかり言い張るのみ。
 昔からお互いの気持ちは決まっているはずなのに、中々くっつかず、やきもきしていたクラリスからしてみれば、フィードたちと協力して二人を結ばせた時はとても喜び、その胸の内は歓喜に震えあがった。誰よりもずっと二人の関係を見続けてきたクラリスは、この二人が結びつけば、きっと生涯離れることなく互いの傍に居続けることになるだろうと信じて疑わなかった。だからこそ、二人が結ばれてまだ二年も経たないのに、こんなにもあっさりと終わりを告げられることになるとは予想だにしなかったのだ。
 無言を貫き、どうして別れることになったのかを語ろうとしない兄に、痺れを切らしたクラリスは家を飛び出し、彼女が尊敬し、信頼してやまなかったシアの元へと向かった。……しかし、彼女が辿りついた先にあったのは、もぬけの殻となったシアの部屋だった。驚き、たちの悪い冗談だと現実から目を背け、クラリスはシアが所属していた研究所へと向かい、彼女の所在を問い詰めた。だが、返ってきたのは情報開示不可という言葉のみ。その言葉に戸惑い、苛立ちながらクラリスは自宅へと戻り唯一シアの情報を持っている兄を再び詰問した。
 クラリスの根気に負けたのか、クローディアは一つだけシアについて話を漏らした。

『彼女は国が抱えている魔術研究所に所属することになったんだ。何を研究しているのか、誰が所属しているのかもわからないところでね。それを他の人に明かすのは本当はいけないんだけれど、僕にだけは教えてくれたんだ。お別れの代価にって。だから、彼女の家がもう何もない状態なら、それはもう彼女と僕たちの縁がそこで切れたって事なんだよ、クラリス』

 気づけば、クラリスはいつの間にかクローディアの頬を叩いていた。あれだけ互いを想い合っていたはずの二人がこんなにもあっさりと別れ、諦めてしまうところをこれ以上見ていられなかったのである。
 湧き上がる怒り、自分の知らないところで進んでいた別れへの悲しさ。そして、もう二度と自分が慕っていた女性に会うことができないという現実が一気にクラリスへと襲い掛かった。それに耐えることができず、クラリスはその現実を兄に対する反発という形で少しずつ受け入れていくしかなかったのだ。そうして、シアがクラリスたちの前からいなくなって半年。クローディアと交わしたまともな会話がそれ以来ない今も、クラリスは現実を受け入れられずにいた。

「いつまで、こんな風にしていればいいのかな……」

 内心では兄との仲を今までのように良い関係に戻したいと思っている。しかし、もう一方では彼女と別れた兄を許せないでいる自分がいた。そんな釣り合いの取れない感情が自身の中に渦巻いて、抑えきれなくなったそれは苛烈な言葉として外へと吐き出されていた。
 感情を吐き出した後に訪れるのは、自己嫌悪。どうにかしたい。毎回そう思ってはそれを実践できず、こうしてベッドの中に入って自分の行動を反省するしかなかった。
 暗くなった視界。嫌な感情が中々収まらずいたクラリスの耳に、小さく部屋の扉を叩く音が聞こえた。

(……誰? もしかして、また兄さん? それとも、フィードさん?)

 だが、次に聞こえてきた声はクラリスの想像していた誰とも違う幼い少女のものだった。

「あの……クラリスさん。中に入っても良いですか?」

 ベッドから抜け出し、クラリスは扉に向かう。そして、扉を開けた先にいたのは自分よりも少し小さな少女の姿だった。

「あなた……だれ? そういえば、フィードさんと一緒にいたみたいだけれど」

 ようやく少女がフィードと一緒にいた少女だと気がついたクラリス。そんなクラリスの言葉に少女はちょっぴり傷つくが、めげずに自己紹介をした。

「初めまして。私、アルって言います」

 ニコニコと笑顔を浮かべて話しかける少女にクラリスは思わず毒気を抜かれてしまう。

「初めまして、私はクラリス。えっと、あなたフィードさんと一緒にいた子だよね。一人でどうしたの?」

「実は、マスターにクラリスさんのところ行くようにと言われまして。どうもクローディアさんと話したいことがあるみたいで」

 それを聞いてクラリスはすぐにシアの件についてだと理解した。そして、扉の前でもじもじと恥ずかしそうに立っているアルを見て。

「そっか。それじゃあ、中に入って。私もあなたに聞いてみたい話があるの」

 そう言って中へ入るようクラリスはアルを促す。それを聞いてそれまで相手の顔色を伺っていたアルの表情がパァッと明るいものへと変わる。

「は、はい! よろしくお願いします」

 まるで妹でもできた気分だとクラリスは思いながら、アルが室内に入るのを見ると、その扉を閉めるのだった。



 アルが二階のクラリスの元へと行った後、リビングに残されたフィードはようやく聞きたかった話をクローディアに尋ねた。

「それで、どういうことだよ別れたって? まさか本当に言葉通りの意味なのか?」

 空いている椅子に腰掛け、フィードはクローディアに問いかける。彼にはどうしても二人が別れるとは想像できなかったのだ。そのクローディアはといえば椅子ではなく窓枠にもたれかかり、フィードの疑問に丁寧に答えた。

「いや、言葉通りの意味だよ。ただ、別れたっていうよりは一方的に別れを告げられたって方が意味は近いのかな?」

「つまり、振られたって事か?」

「ごめん、せっかくぼかしたんだから直球で来ないでくれるかな。さすがに僕でも傷つくよ」

 悲しげな表情を浮かべ、力なく笑うクローディア。それを見てフィードは申し訳なく思い、すぐに謝った。

「――っと、悪い。あまりに予想外な出来事に余裕がなかった」

「いや、そう言われてもしょうがないけどね。事実なんだし」

「それで、どうしてそんなことになったんだよ。俺がトリアを出て行く前に見たお前たちは絶対に別れずにそのまま長寿を全うするかと思ったくらいだぞ。普通はよくないが、仮にお前が研究に没頭してシアのことを放置していたことが何度かあったとしても、あいつだって同じ研究者で似たようなことをやってたんだから理解はあったはずだろ? もしかして浮気でもしたのか?」

「僕にそんなことをする度胸がないことは君だってよく知っているだろ、フィード」

「まあ、お前はシア一筋だったしな。というより、あいつ以外にお前の生活に理解を示してくれる人が思い当たらない。それはシアから見たお前もそうだって思ってたよ。だからこそ、別れたことに疑問が出るんだよ。もしかして、何か言えないようなことがあったか?」

 それまでとは違い、張り詰めた空気を漂わせるフィード。その空気に当てられてクローディアも黙り込み、何か重大な事実があるような雰囲気が漂う。だが、ふっとクローディアは力を抜いて肩をすくめ、自虐的な笑みと共にフィードに告げる。

「そんな理由があった方がどれだけマシだったかな。残念ながら、普通に振られたよ。彼女は国お抱えの研究所に所属することになった。半年前、別れる際にそれだけ教えてもらったよ。それ以来連絡なし。もう彼女との縁は切れたと言っても過言じゃないよ」

「……そう、か。まあ、そうなっちまったのはしょうがないと言うしかないよ」

「うん、そうだね。本当にしょうがないと言うしかないかな……」

 重苦しい雰囲気となってしまたリビング。男二人で失恋に対する会話をすることにむなしさが沸いたのか、フィードが明るい笑顔と共に話題を変えた。

「ま、この話はここまでにしておこう。せっかく再会できて早々こんな暗い話ばかりしてても仕方がないしな。クローディア、お前の近況を教えてくれよ。学院の講師は昔に比べて慣れたのか?」

「それなりにはね。昔は結構てんぱって生徒の前で失敗もしたりしたけれど、最近は落ち着いて講義をできるようになったよ」

「それは随分な進歩じゃないか。頑張ったんだな、この二年」

「まあね。ずっと成長のないままじゃさすがに悔しいし、せっかく講義を受けに来てくれている生徒にも申し訳ないからね」

「そういえば、クラリスも学院の生徒だったよな。もしかしてお前の講義に出たりしているのか?」

 それまでフィードの質問に即座に答えていたクローディアだったが、クラリスの話題が出た途端、急に会話のテンポの歯切れが悪くなった。そして、それがあまり聞いてはいけなかったことだとフィードが気づいたときは既に遅かった。

「ふ、ふふ。ふふふ……。そうなんだよね~。僕の講義にクラリスは受けに来てるんだけど、シアとのことが合って講義中でもずっと僕のこと睨んでいるんだ。おまけに家の中じゃろくに会話もしてくれない。半年、もう半年だよ! 一つ屋根の下で一緒に生活してるのにこの仕打ちは酷くない!? そりゃあ、僕が悪かったけどさ。話をしてくれるくらいはいいと思うんだよ。ねえ、フィード。君はどう思う?」

 それまでとはまるで雰囲気の違うクローディア。彼の豹変振りにフィードは驚き、戸惑う。しかし、かつてもこんなやりとりをしたのだと片隅にひっそりとしまわれていた記憶を掘り起こす。

(ああ……そうだ。そういえば、クローディアはクラリスのことを溺愛してるんだった。だから、クラリスのことがあると周りが見えなくなって、それでよくシアのやつに怒られていたっけ)

 フィードの答えを聞くこともなく、再びクラリスについて語りだすクローディア。フィードはそんな彼の様子を見てこの話を振った迂闊な自分の行動をため息を吐きながら後悔するのだった。



 窓から入った朝日が身体を射し、家屋で羽根を休める小鳥のさえずりが聞こえる。少し離れた場所からはなにかを焼く音が聞こえ、それと同時に食欲をそそる香りが漂ってくる。自身のお腹がなる音が聞こえたところで、意識が徐々にはっきりとし始め、フィードは眠りから目覚めた。

「……いつの間にかもう朝か」

 周りを見ると、テーブルの上で先ほどの自分と同じように突っ伏して眠っているクローディアの姿がある。結局昨晩は夜中まで話し込んでしまい、どちらともなく眠ってしまった二人だった。そのほとんどはクローディアのクラリスに対しての嘆きだったが。そんなクローディアを一瞥した後、先ほどから漂う匂いを辿っていくフィード。リビングの奥にある厨房からそれはきていた。

「あ、フィードさん。おはようございます」

「マスター。おはようございます」

 見れば、厨房では仲良く料理を作っているアルとクラリスの姿があった。

「おはよう、二人とも。なんだ、一晩で随分と仲良くなったな」

 アルの性格を考えれば仲良くなるのに少し時間がかかると思っていたフィードとしては意外な光景だった。

「はい! 昨日はクラリスさんに昔のマスターの話を色々としてもらいました。とっても、とっても楽しかったです」

 アルはいつにもまして上機嫌だった。そんなアルをみてクラリスが呟く。

「私もフィードさんの最近の話とかしてもらいましたよ。前に旅をしていた時の話を面白かったですけれど、最近のフィードさんはそれ以上に驚くような日々を過ごしているんですね」

 アルが何を話したのかを分からないフィードはクラリスの問いかけに相槌を打って誤魔化すことにした。

「……で、今二人は何を作っているんだ?」

「これですか? 私はオニオンスープを作っていて、アルちゃんにはソーセージを焼いてもらってます」

 見れば、先ほどリビングに漂ってきた匂いの元のソーセージがアルの前のフライパンで焼かれていた。そして、その隣、クラリスの前には鍋の中で煮込まれているオニオンスープがある。それを見て再びフィードのお腹がかわいらしい音を立てて鳴る。その音を聞いたアルとクラリスは顔を見合わせてクスリと笑う。

「もう少し待っていてくださいね。料理が出来次第リビングに運ぶので」

「ごめんな、なんだか料理を急ぐように催促したみたいで」

「いえいえ」

 そう言ってフィードは厨房を後にしてリビングへと戻った。そんなフィードを次に待っていたのは、リビングから厨房を覗き込んでいるクローディアの姿だった。

「おい、起きて早々お前は何をしてるんだ?」

 全くもって訳のわからないクローディアの行動にフィードはため息を吐いた。

「いや、クラリスが楽しそうにしている様子を見ていたんだ。ここ最近はあんな風な様子のクラリスを見ていなかったから、なんだか嬉しくて。フィードたちが来てくれて早々いいことあったな~」

「そもそも俺たちがここに来た理由は別にあるんだが……」

「分かってるよ。あの子だろ、クラリスの横にいる女の子。あの子の烙印を消すことだっけ? とりあえず一度烙印の構成を見てみないと分からないから、時間ができたときにあの子に伝えておいて」

「了解。急な頼みなのに悪いな。研究とかで忙しいだろうに」

 快く頼みを承諾してくれたクローディアに手紙ではなく口頭で改めて御礼を言うフィード。二年前に講師と研究の両立で忙しい生活を送っていたことを知っているだけに、もしかしたら断られるのではないかと考えていただけに、こうして頼みごとを引き受けてくれたのはフィードにとってはとてもありがたかった。
 もちろん、クローディアにはクローディアなりの考えがあってフィードの頼みごとを受けたのだ。その理由の一つは先ほども言っていたクラリスの元気を出させることであり、他にもまだ理由はあった。

「実はさ、ここ最近は研究のほうはあまり忙しくないんだ」

 クローディアの思わぬ発言にフィードは驚いた。

「どういうことだ?」

「えっとね、ここ数ヶ月のことなんだけど、トリアの研究員を狙った殺人が複数起こっているんだ。それでいて犯人はまだ捕まっていない。だから、どこの研究所も研究を少しずつしか進められない状況なんだ。もちろんそれは僕のところも一緒だ。だから、最近は講師の方しか仕事はしていないんだ」

 トリアで起こっている出来事を聞いてフィードはますます驚いた。そして、アルたちのいる厨房へ聞こえないように声を抑えて話を続けた。

「大丈夫なのか? 研究員が狙われてるってことはお前の命も下手をすれば危ないって事じゃないか」

「そうだね。一応僕は魔術の腕にはそれなりに自信があるから大丈夫だよ。それに、今のところは殺された人の共通点が研究員ってだけで、実際は研究員を狙っての犯行じゃないのかもしれない」

「なるほど……。それで、今まで犠牲になった人数は何人なんだ?」

「三人だよ。最初に死人が出たのが三ヶ月前だから、月に一人の割合だね。ちょうど君が手紙をくれたときに三人目の犠牲者が出て、それまではただの殺害事件として扱われていたものが全員研究員だって分かったんだ。それで、この件は共通の殺人だってことになったんだ」

「そういうことか。それでお前も含めて研究員は自分が狙われる不安があるから研究所での魔術研究をあまりしないでいるんだな」

「うん。そんな時に思ったのが、もし犯人が一般人も狙うようなら危険だってね。そして、君の手紙を思い出した。君は力もあるし、僕が信頼できる数少ない友人だ。だから、事後承諾ってことになって悪いとは思うけれど、僕の代わりにクラリスのことを守ってくれないか? 
 こんなことを言うと恥ずかしいけれど、僕は今クラリスとの関係が上手くいっていない。仕事もあるから四六時中あの子のことを見ていられるわけでもない。だから、君に頼みたいんだ。君ならクラリスも懐いているし、僕も安心して任せることができるからね。
 もしクラリスの身に何かあったら僕は耐えられない。僕にとって残っている家族はあの子だけなんだ。だから、過保護だといわれようと、どんな手を使っても守っておきたい。お金が必要だって言うならここにいる間だけでも出す。だから、頼めないかな? フィード」

 クローディアの切実な願いを聞いてフィードは思わず押し黙った。トリアで起こっている事件に関して考えていたこともそうだが、クローディアがクラリスのことも考えてフィードを呼び寄せたことを知ったからだ。そして、クラリスとの関係が上手くいっていないということを理解して、自分ではどうにかできる可能性が低いと分かってこうしてクローディアはフィードに頼み込んでいるのだ。そんなクローディアを見てフィードは彼の肩に手をかける。

「んなことわざわざ頼むなよ。お前は俺にとって大事な友人だし、クラリスもそうだと思ってる。金なんていらないよ。大事な友人を助けるのにそんなものは必要ない。了解した。その辺りは後で俺がクラリスに話をしておくから安心してくれ」

「ありがとう、フィード」

 話を終えた二人は互いに笑顔を浮かべ、アルたちが料理を運んでくるまで椅子に座って待っていることにした。それから少しして、アルとクラリスが小皿に入った料理を運んでくるのだった。

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慌ただしい朝

 食事を終え、シャワーを浴び、着替えをすませたフィードはアルと共にクラリスの学校へ付いて行くことになった。突然の送迎の申し出にクラリスは驚いていたが、最近のトリアでの事件もあってすぐに納得していた。フィード自身は年頃の少女であるクラリスはもう少し嫌がると思っていたのだが、案外あっさりと納得したため拍子抜けしていた。
 そして、今は学院への準備をしているクラリスをアルと一緒に玄関で待っている。ちなみに、講師であるクローディアは三人よりも一足早く学院へと向かっていた。

「遅いな、クラリスのやつ。もう結構遅い時間なんだが……」

「そうですね~。私、ちょっと様子を見てきましょうか、マスター?」

「う~ん。あとちょっと待ってこないようだったら頼めるか?」

「わかりました」

 それから五分ほど待ってもクラリスは来なかったため、しかたなくフィードはアルに頼んでクラリスの様子を見に行ってもらうことにした。駆け足気味に二階に上がるアル。そして、その姿が見えなくなって少しして、耳をつんざくようなクラリスの叫び声が聞こえた。

「ぁ、あああああああああ! しまったぁ! アルちゃん、今何時!? えっ、もうこんな……。どうしよう、どうしよう!?」

 階段越しでも聞こえるほど大きな声で自らの失態を嘆いているクラリス。その言葉からフィードが理解できるのは彼女が寝坊したということだった。ため息を吐き出し、クラリスが降りてくるのを待つフィード。しばらくして、急ぐ足音と共にアルとクラリスが一階へと降りてきた。

「改めておはよう、クラリス。どうも二度寝してたみたいだな」

 直しきれていない寝癖に、慌てて準備したせいか微妙に乱れた衣服。教材の入った絹袋はだらりと手から垂れ下がっている。

「すみません、すみません。フィードさんたちを待たせていたのに寝てしまってました」

「いや、俺たちは時間があるから別にいいんだが、急がないと講義に遅れるんじゃないか?」

「そうです……。なので、少し急ぎめで学院に向かいます」

「了解。それじゃあ、行こうか」

 自宅の戸締りをし、三人は家を出る。

「あ、そうだ。フィードさん、これ渡しておきますね」

 家を出てすぐ、走り出そうとしたクラリスがポケットから鍵を一つ取り出してフィードに手渡した。

「お、懐かしいなこれ。スペアキーか」

 見ると、先ほどクラリスの家の施錠をした鍵と同じものがフィードの手元にはあった。

「はい、二年前にお渡ししたものです。フィードさんがトリアを出て行くときにお返しいただきましたけど、またこうしてこちらに滞在されるみたいですので、持っていただいてもらおうかと。私と兄さんは日中は家にいないので、用事があるときに家に入れないと困ると思いまして……」

「べつに俺たちは宿を取ってもいいんだけど」

「なに言っているんですか! 二年前は一緒にあの家で過ごしたんです。そんな水臭いこといわないでください」

 怒るクラリスを見て鍵を返すわけにもいかなくなったフィードは、それをポケットへと仕舞い、お礼を言う。

「ありがとう。それじゃあしばらくの間またこの家でお世話になるよ」

「はい、こちらこそよろしくお願いします」

 互いに礼を言い合ったところで、それまで黙っていたアルが一言呟く。

「あの、お話はそれくらいにしておかないと時間のほうが……」

 その言葉に、青ざめるクラリス。フィードとアルはそんな彼女を見て苦笑する。結局学院までの間三人で走って向かうことになったのだった。



 どうにか時間ギリギリにクラリスを学院まで送り届けることができたフィード。だが、体力のないアルが途中でへばってしまい、その足を止めてしまったので、フィードがアルを背負って走った。朝の人通りも多い時間だったせいか、たくさんの人がその光景を見てフィードたちを指差して見ていた。アルは体力の限界が来ていたので、学院に着くまでは何も反応を示さなかったが、徐々に体力が戻って、学院に到着してフィードが背中から下ろしたときは顔を真っ赤にして、頬を大きく膨らませて怒った。

「もう! マスター。なんであんなことしたんですか! おかげで道行く人に恥ずかしい姿を見せる羽目になったじゃないですかっ!」

 背伸びをしながら、ポカポカとフィードの胸元を叩くアル。背中に乗っていたときは何も言わなかったが、やはりかなり恥ずかしかったらしい。

「しょうがないだろ。ここはセントールじゃないんだから、下手に置いていくわけにもいかないし。かといって歩いてたらクラリスが講義に間に合わない。お前小さいし、軽いんだから背負っていけばちょうどいいと思ったんだよ」

「そんなこと思わないでいいです! あのまま置いてって後で迎えに来てくれればよかったんです!」

 唇を噛んでじわりと目に涙を浮かべるアル。そんな泣き虫な少女にやれやれとフィードは嘆息する。

「しょうがないな。あとで、お前の好きなお菓子買ってやるから機嫌直せって」

「えっ!? ホントですか! そ、それじゃあ……。って! 別にお菓子なんていりません。食べ物で釣ろうとしないでくださいよ、マスター!」

「もう、どうしろっていうんだよ。いらないのか? それじゃあ俺だけお菓子買って食べるぞ?」

「……ずるいです」

 ようやく意地を張るのをやめたのか、アルは素直になった。怒りも収まったのか、フィードの胸元を叩いていた手も下がる。

(はぁ~。まったく、子守りはいつまで経っても慣れないな。クローディアの苦労が分かるものだ。リーネの時の経験があるとはいえ、やっぱり背伸びしたい年頃なのかもしれないな。素直に甘えてくれるのが一番楽なんだがな~)

 まだまだ子供なアルを見てフィードは内心で呟く。本人は大人として振舞いたいと思っているのだが、肉体的にも精神的に見てもまだまだ子供なため、やはり所々で変に子供っぽさが出る。いっそのこと普通に子供として振舞ってくれるほうがフィードにとっては楽なのだが、今までのアルの生活がそうはさせないのだろう。

(母親を亡くして、俺と出会うまでの間アルも結構苦労してたみたいだし。まだ子供なのにっていう言い訳は通じなかったんだろうな)

 歳相応の生活をできない子供などこの世界にはいくらでも存在する。しかし、目の前の少女は自分が救い、その後の生活に責任を持つことに決めたのだ。辛い思いはさせたくない。できればただの少女として穏やかな生活をしていて欲しい。だが、フィードの今までの人生がアルをそうはさせなかった。

(今まで俺がしてきたことのツケが来ているのかもな。理由はあったといえ人の命を奪ってくるような日々を過ごしてきたんだ。俺の周りにいる人間がそれに巻き込まれて被害を負う可能性だってないとはいえないんだ。そうさせないためにも、俺は……)

「――スター。マスター!」

 自分を呼ぶアルの強い声によって、フィードは現実に戻された。

「どうした、アル?」

「どうしたじゃないですよ。呼びかけてるのに返事してくれないんですもん。マスターこそどうかしたんですか?」

「いや、ちょっとな。それよりも、アル。今から一緒に街を回るとするか。一人になったときに迷子になったらいけないもんな」

 ニヤリと意地悪な笑みを浮かべてアルをからかうフィード。そんなフィードを見てまたしても頬を膨らませながら怒るアル。

「マスター、いい加減にしてください!」

 逃げるフィードの背を追いかけながら、二人はトリアの街の探索を始めた。



 明るい陽射しに照らされてゆらゆらと揺れる水面をアルは眺めていた。昨晩は暗くてあまり見えなかったが、このトリアでは他の国に比べて水路が整備されている。それは街全体に広がっており、水路の上を渡り、人を運ぶ船の姿も見える。
 昨晩街を照らしていた篝火のあった場所にはなにやら見慣れない球体が備え付けられており、今はそれに両手を置き、何かを込めているような様子の男性がいた。

「マスター、マスター。あの人は一体何をしているんです?」

 不思議に思ったアルは傍で周りの景色を見ているフィードに尋ねた。

「ん? ああ、あれか。あれはな、魔術を溜めておける装置なんだ。といっても簡単な魔術だけしかできないけどな。昨日あれから火が出て足元を照らしてくれていただろ? それは今ああして火の魔術を男の人が込めてくれているから、暗くなったときに魔術が発動して暗闇を照らしてくれるようになってるんだよ」

「そうなんですか~。でもあの装置街中にあるのに、あの人だけで全部やるのは大変じゃないですか?」

「確かに一人でやるのは大変だろうな。だけどな、アル。この国ではああいった街をよくするためのものは魔術を使える人が率先して手を加えるんだよ。仮にもここは魔術の最先端の国だ。自然と魔術を使える人も多く集まる。人には困らないさ。それに、学院の魔術の実習の一環として魔術を込めに街を回ったりするなんてこともあるみたいだしな」

「それじゃあ、クラリスさんもああして街をよくするために今学院で頑張っているんですね!」

「まあ、そういう考え方もあるな」

 アルはそれから男が装置に魔術を込め終わるまで、その様子をじっと見つめていた。それも物欲しそうな目をしてずっと。

(……まさか。いや、でもアルのことだからな……)

 フィードはそんなアルを見てある考えが思い浮かぶ。日頃フィードの、そして身近な人の役に立ちたいと思っているアルだからこそ、そんな考えが浮かんだのかもしれない。男がその場を去ってもまだずっと同じ場所を見続けるアルに、フィードは思わず問いかける。

「なあ、アル。お前もしかして、魔術を覚えたいのか?」

 その言葉にアルは傍目から見ても分かるほど動揺する。

「え、え? いえ、別に私はそんなことは……」

 もじもじとし、視線をあらぬ方向へと飛ばすアル。どう見ても図星である。

(たぶん昨晩クラリスと魔術に関しての話でもしたんだろうな。それで少し歳の離れたクラリスが魔術の学院に通っているっていうのを目の前で見て興味が沸いたんだろう)

「あの、マスター。本当に思っていませんから……」

 フィードに気を遣わせまいとアルは先ほどの質問に対しての答えを否定する。だが、その落ち込みようや未練がましく装置を眺めている様子はとても諦め切れているとは思えない。

「アル、もう一度だけ聞くぞ。お前本当は魔術覚えたいんじゃないのか? 俺に対する遠慮とかはいいから言ってみろ」

 その言葉にアルはしばらくの間黙ってしまう。その間何度もフィードの顔を見上げては視線を逸らし、何度も言葉を口にしようとしてしゅんとしてしまう。そして、それが何度か行われた後、意を決したように、

「教えてもらえるなら、教えてもらいたいです!」

 とフィードに頼み込むのだった。そんなアルを見てフィードはかつてリオーネが似たようなことを言って、魔術を教えてくれないかと頼んだことがあったのを思い出す。

(あの時とは状況も違うし、リーネの件に関する反省も十分した。だから今まであえてアルのやつにはこういったものとは縁がないようにしてきたけれど、今のアルは俺が教えなかった理由を分かった上でお願いしているんだよな。滅多に人にお願いなんてしないやつだし、断ったら断ったでまた俺の知らないところでこっそり泣くんだろうな。このまま教えないでいても隠れてどうにかしそうだし、仕方ないか……)

「……分かった。教えてやるよ、魔術」

 フィードの言葉にアルの表情がパァッと明るいものへと代わる。訪れた歓喜に身体を震わせ、今にも飛びついてきそうな少女にフィードは忠告する。

「ただし、条件がある。一つ、戦いだとかそういう物騒なことに魔術を使わないこと。人助けのちょっとしたことに使うのはいいけれど、慣れないうちに魔術を使うとその力を持て余して人を傷つけてしまうことがあるからな」

「はい、分かりました」

「それから、もう一つ。俺に隠れて魔術を覚えようとしないこと。独学で魔術を覚えようとすると失敗して怪我を負うことが多い。俺はアルにそんな風になってほしくないから、どうしても覚えたいことがある場合は俺に聞くこと。教えられる範囲では教えてやるから。
――そうだな。ちょうど学院に通っているクラリスと俺より魔術に詳しいクローディアもいることだし、この国に滞在している間は二人に聞くのもありだ。ただし、クラリスはまだ学生だから二人とも分からないことがあったら無理をせずクローディアか俺に聞けよ」

「はい! マスター!」

 アルは魔術を教えてもらえるのがよほど嬉しいのか、興奮していつにもまして元気な返事をしていた。そんなアルを微笑ましく思いながら、フィードは、

「それじゃあ、お菓子でも買って帰るか。家に着いたら少しだけ魔術について教えてやるよ」

「ありがとうございます。マスタ~」

 感極まって結局フィードの胸へと飛び掛ってきたアルを受け止めた後、二人は帰路を歩き始めた。

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魔力酔い

 アルに魔術の基礎を教え始めたフィード。実技は当分先に教えるつもりだったフィードはまずは魔術の構成とその流れ、それから知識について順番にアルに説明していた。
 教える事に熱中していたためか、いつの間にか時間はあっという間に過ぎており、気がつけばクラリスを迎えに行く時間が迫っていた。

「ちょっとクラリスのところに行って来るよ、アル」

 アルを家に置いて、一人クラリスを迎えに行くフィード。行きと違い自分のペースで、それでいて少しだけ急ぎながら学院へと向かって駆けて行く。落ちて行く夕日が街に幾多も存在する住宅の窓に当たって様々な方向へと反射する。その中のいくつかの光は水路を通る水面にぶつかり、乱反射した。光の線が街中を照らし、子供達がその光の間を抜けて走り去って行くのをフィードは微笑ましく見守っていた。
 しばらくして、クラリスのいる学院前に到着した。学院に入るための門の前には中へ入る人に不審者がいないかどうか確認するための門番が右と左、それぞれ片門の前で立っていた。フィードは右門の門番の近くへと近づき、そこでクラリスを待つ事にした。
 門の奥、学院の中からは様々な年代の学院生、そして彼らに魔術についての知識を与える講師がこちらに向かって歩いてきていた。フィードはその中にクラリスの姿がないか見渡すが、どうもまだ学院の校舎内にいるようだった。じっとしているのは性に合わないため、門の前に立っている壮年の男性にフィードは声をかけた。

「どうも、こんばんは。お仕事の方は大変ですか?」

 急に話しかけてきたフィードを門番は怪訝そうな顔をして見ていたが、声をかけられて無視をするわけにもいかないため、律儀に返事をする。

「大変と言われましても、これがわしの仕事なもので」

 返事をし、すぐさま先程までのように門を通る人々に目を向ける門番。部外者に構っている暇はないと、いかにも言いたげだった。そんな門番の行動にフィードは苦笑し、それ以上話しかけるのを止め、再びクラリスを待つ。それから十数分がし、学院の生徒が門の前で立ち止まるフィードを噂し始めた頃、少女二人と一緒に楽しそうに話しながら歩いて来るクラリスの姿が見えた。やっと来てくれたとフィードは思い、クラリスに向かって手を振った。その行動にクラリスと一緒にいた少女の一人が気づき、一緒にいるクラリスの肩を叩いてクラリスに教えていた。ようやくフィードが門の前にいることに気がついたクラリスは勢い良く門の前に走ってきた。

「ふ、フィードさん!? どうしてここに?」

 慌てふためき、おろおろとするクラリス。少し離れた場所にいる友人と思われる少女二人が気になるのか、チラチラと何度も振り返りながら、何故かクラリスはフィードを少しずつ門の前から離していく。

「どうしてって、朝に言わなかったか? トリアは最近物騒だから朝と夕方は迎えに来るって」

 フィードの言葉を聞いてクラリスがハッとする。その様子を見ると、どうやら朝話していたことを彼女は忘れていたらしい。

「そ、そうでした。ですけれど、今はちょっとマズいです」

「マズい? それってどういうこと?」

 フィードがクラリスに問いかけるのと同時に、先程まで二人からは慣れた位置にいた少女二人がクラリスの後ろに立っていた。

「クラリス~。これ、どういうことなのかな?」

 クラリスよりも少し背の高い眼鏡をかけた少女が肩を掴んで問いかける。

「い、いや~。どうって言われても……」

 乾いた笑みを浮かべながら、クラリスは返答に詰まっていた。

「……あれだけ抜け駆けは禁止と言っていましたのに、クラリスさんは嘘つきですね。近いうちにお仕置きです」

 クラリスや眼鏡の少女と違い、どこか高貴な雰囲気を漂わせる少女は、その雰囲気に似つかわしくない笑みを浮かべて呟く。

「う、嘘っ! 違うよ、私抜け駆けなんてしていないよ」

「じゃあ、この男の人はなんなのよ!」

「そうですね、まさかクラリスさんの追っかけをしている男性というわけでもありませんよね」

「そ、それは……そうだけど」

 ポツンとその場に立つフィードを取り残し、あれやこれやと言い争い、白熱する少女達。しばらくその光景を見守っていたフィードだったが、あまり長くなると帰る時間が遅くなってしまうと思ったため、クラリス達の話が一旦途切れたところで口を挟んだ。

「ちょっと、いいかな? 話が掴めないようで悪いんだが、みんなは何の話をしているんだ?」

 その言葉に二人の少女が反応する。そして、クラリスはしまったとフィードの事を放置してしまっていた事を後悔するのだった。

「お兄さん、お兄さん。クラリスの事を待っていたみたいですけれど、どうしてですか?」

 眼鏡をかけた少女が、クラリスの横を抜けてぐっと身を乗り出し、フィードに迫りながら尋ねる。そんな少女を手で制し、あまり近寄りすぎないようにしながらフィードは答える。

「えっと、最近トリアの方も事件が起こっているみたいで物騒だろ? それで、クラリスに何かあるといけないから、朝と夕方に迎えにきているんだよ」

 その言葉に眼鏡をかけた少女はキャーっと甲高い声を上げ、クラリスは顔を赤くして俯いていた。そして、次はもう一人の少女がフィードに向かって問いかけた。

「初めまして、私はリームと申します。クラリスさんとは同じ学友として仲良くさせていただいています」

「あ、どうもご丁寧に。俺はフィードっていう者だ。少しの間このトリアに滞在する事になっている」

「滞在? ということはフィードさんはこの国の人間ではないのですね」

「ああ。一応普段はセントールにいる。少し用事があってこっちに来ているんだ」

「そうなのですか。どちらの宿に宿泊しているのですか?」

「いや、実は宿は取っていないんだ。クラリスの家に厄介になっていてね」

 その返答にまたもや眼鏡の少女が悲鳴に近い喚声を上げる。そしてもう一人の少女はクラリスに向かって親指だけを突き出した拳を突き付ける。二人の反応にクラリスはますます顔を赤くしてしまい、その身体はどんどん小さくなっているようだった。
 そこまで来てようやく二人の少女がクラリスと自分の関係を誤解していることに気がついたフィードは慌てて弁解する。

「いや、勘違いしているようだから言っておくけれど、俺とクラリスはそんな関係じゃないぞ。君たちも知っているかもしれないけれど、クラリスのお兄さんのクローディアがいるだろ。俺とあいつは友人なんだ。それで、彼の好意に甘える形でクラリスの家に泊めてもらっているんだよ」

 しかし、フィードの弁解を聞いても少女たちは火のついたかのように話を盛り上げる。

「ふむふむ、そういう設定にしておくということですね」

「年頃の男性と同棲……それもお兄さん公認とは、クラリスさんは一足早く大人になってしまわれたのですね」

 なおも盛り上がる二人に、それまで黙っていたクラリスがとうとう叫ぶ。

「もう! 二人ともいい加減にして、フィードさんとはそんな関係じゃないの!」

 夕日の光が頬に当たりながら、二人の少女を追い掛け回すクラリス。そんな三人をフィードは遠くから見守るしかできないのだった。


 フィードがクラリスを迎えに家を出て行ってから、一人取り残されたアルは、フィードに教えてもらっていたことを復習していた。まずは基礎の基礎、魔術というものの流れを知ることから始めることになった。
 魔術とは、己の内にある普段使われていない力、魔力を用いることから始まる。最終的にはその魔力を詠唱によって世界に存在する幾多もの元素と交わらせ魔術という型にはめて形作るとフィードはアルに教えてくれていた。

「むむむむむ……」

 そのためには、最初に自分の中に存在する魔力を知らねばならない。これが分からないと魔術を覚えることができず、世間で魔術が使えない人の大半はここで挫折する。
 椅子に座りながらお腹に力を入れて、必死に踏ん張り、掌を広げて何かを手の先から出そうとするアル。この格好に意味はないが、力を入れた結果自然とこうなってしまった。

(魔力の流れ、流れ、流れ……)

 意識を集中させて流れがどんなものなのか掴もうとするが、流れはおろか、魔力が自分の中にあるのかどうかすらも分からない。分かるのは力を入れすぎて息が詰まっているということだけだった。

「……ぷはぁ。全然分かりません」

 全身の力を抜き、息を吐き出すアル。フィードが隣にいたときからかれこれ数時間はずっとこの動作を繰り返していた。しかし、一向に成果を見せる気配がないのでアルはテーブルの上に頭を乗せてちょっぴりふてくされていた。

(全然できませんよぉ。マスターも流れを掴むことしか教えてくれませんし、もうちょっとなにか言ってくださればいいのに。でも、教えてくださいって言ったのは私ですから、文句を言える立場でもないですし……)

 ごろごろとテーブルの上でアルがだらけていると、玄関の扉が開く音が聞こえた。聞こえてくるのは男女それぞれ一人の声。クラリスと彼女を迎えにいっていたフィードが帰ってきたのだ。それに気がついたアルはテーブルから起き上がり、すぐに二人の元へと走り出した。

「おかえりなさい、クラリスさん、マスター」

 玄関へと駆けて来たアルに二人が気がつく。

「ただいま、アル。ちゃんと練習していたか?」

 先ほどまで一緒にいたフィードが魔術の練習をサボっていなかったか確認するが、思い当たる節があったため、アルは視線を逸らして誤魔化していた。その様子に気がついたフィードはアルがサボっていたことに気づいて苦笑した。

「こらっ。まだ基礎の基礎なんだからサボってちゃ駄目だろ。教えてくださいって言ったのはお前だろ?」

「……はい、すみません」

 シュンとして肩を落とすアル。フィードの言う事が正論であるためにアルはただただ深く反省するしかなかった。

「えっと、何の話をしているんですか?」

 それまで話を聞いていたクラリスだったが、二人が何についての話をしているのかが分からず、つい口を挟んだ。

「実はアルのやつが魔術を覚えたいって言い出してさ。それでまずは一番最初の覚えなきゃいけない魔力の流れについて教えてるんだ」

「そうなんですか。頑張ってね、アルちゃん。私でも教えられるところがあれば教えてあげるから」

「あ、ありがとうございます。クラリスさん!」

 アルと同じように魔術を習っている身であるクラリスは他人事とは思えないのか、やたらと親身になっていた。

「それじゃあもう一度復習しようか、アル」

「はい、マスター!」

 リビングへと三人で移動し、二つの椅子を向かい合わせにして並べるフィード。その片方にはアルが座り、もう片方にフィードが座る。そして、アルがフィードに向かって両手を伸ばし、その小さな手をフィードが己の手で包み込む。

「今からお前に魔力を流していくから、それを感じ取る練習をしてくれ」

「はい!」

 返事をするアルに、向かい側に座っているフィードは静かに魔力をアルに流し始める。何も知らない状態から魔力の流れについて理解しろと言っても難易度が高すぎるため、フィードはこうして己の魔力をアルに流すことによって、その流れについて理解させようとしていた。

「――ぁ」

 ぴくぴくとアルの身体が小刻みに震えながら口から微かに声が零れでる。魔力の流れは未だ掴めていないものの、魔力が自分の身体に入ってくることを漠然とした感覚で捉えているのだろう。得体の知れないものが身体に入るという未知の体験にアルは戸惑う。

「――ふぁぁ」

「どうだ、アル? 少しは流れが分かったか?」

 問いかけるフィードに対してアルの返事はない。よく見れば顔は赤くなり、瞼は今にも閉じそうなほどとろんとしており、恍惚の表情を浮かべている。熱の篭った目でフィードを見つめていた。それを見てフィードは魔力を流すのをやめる。

「おい、アル。しっかりしろ」

 ぺちぺちとアルの頬を軽く叩くが表情は依然として変わらない。それを見てクラリスがぼそりと呟く。

「もしかして……魔力酔いですか?」

「そうみたいだな。ちょっと強引に教えすぎたかな」

 困ったように頭を掻くフィード。彼の前にいるアルは今魔力酔いという症状に陥っていた。
 魔力酔いとは文字通り魔力に酔う症状である。魔力を使いすぎた者が他の人から魔力を分けてもらうときや、さっきのアルのように魔力の存在に慣れていない人物が魔力を受け流されているとたまに起こるものだ。酒を飲んで酔っ払ったようになってしまう。ただ唯一違う点があるとすれば、それは酒の時にはある二日酔いがないということくらいだ。

「えへへ~。ますたー、ますたー」

 すりすりとフィードの胸元に抱きついて顔をうずめるアル。酔っているせいか、普段は抑えている甘えの感情がここに来て一気に爆発していた。この場にクラリスがいるにも関わらず、酔った勢いに任せる形でフィードに存分に甘え始める。

「ますたー、聞いてるんですか? クラリスさんとばっかり話してないで構ってくださいよぉ」

 駄々をこねる少女にフィードとクラリスは苦笑する。歳相応な嫉妬だということは二人とも理解しているため、何も言わずに少女の言うとおりにすることにする。フィードとしてもこうして純粋な好意をアルが持ってくれて甘えてくれているので、それが酔ってなったものとはいえ大事にしてあげることにした。

「はいはい、わかったよ。とりあえず今日はもう魔術の練習は終わりな。続きはまた明日にでもするぞ」

 抱きついたまま離れようとしないアルをあやしながら相手をするフィード。結局このやりとりはクローディアが帰ってきて、それからしばらくしてアルの酔いが醒めるまで続くのだった。

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

狂気に魅入られた殺人者

 とある場所、とある一室。わずかに明かりの灯る薄暗い室内から、呻き声が聞こえる。発しているのは悲嘆か、それとも怨嗟の叫びか、それは今となってはもう分からない。
 室内にポツンと置かれた一つの長机。その上に乗せられているのは口を、腕を、足を、腹を、全身を切り刻まれた一人の人間。元の性別はどうであっただろう? 度重なる実験によってそれすらももはやわからなくなっている。

「――ンッン」

 充血した目を見開き部屋中を睨みつける“実験体”。今すぐにでもこの部屋から逃げ出したい。そう思っても身体は己の言うことを聞かない。捕縛魔術によって作られた鎖が“実験体”の手足を縛っているのだ。
 どうにか残っている力を振り絞って鎖を解こうともがく。力を込めて魔術でできた鎖を引きちぎろうとするが、己の背にある机がギシギシと悲鳴を上げるだけで鎖自体はビクともしない。しかしそれでも“実験体”は繰り返す。何度も、何度も、自身の手足の皮が剥けて血が流れ出しても、ただこの場から逃れようと必死になっていた。
 そんな中、ふいに室内が明るくなった。“実験体”が光の指す方を向くと、開いた扉の先に一人の男が立っていた。黒色のほとんどなくなった白髪、頬に生まれたいくつものしわ。着ている白衣からわずかに見える手首は細く、光に照らされた顔は研究者としての性と呼ぶべきか青白い。この場で浮かべるのにふさわしくない陽気な笑みを浮かべるその壮年の男性は、まるでその内に狂気をはらんでいるかのように思えて不気味である。
 男性は“実験体”に近づいてその様子を確認する。

「おや、駄目じゃないか暴れたりしたら。君は貴重な素材なんだから、大人しくしていないと。せっかく好意で意識だけは奪わないでいてあげているんだ。それなのに、こんな風にして反抗されてしまうと困るんだよ。こっちとしては意識がある際の反応も見てみたいのだから……」

 男性を見て先程よりも更に力を込めて暴れだす“実験体”。その瞳には恐怖の色が浮かび上がり、怯えからか身体は小刻みに震えていた。

「まったく……。たった今暴れるなといったばかりなのに人語を理解できなくなるほど壊れてしまったのかい? あまり暴れられても困るから大人しく眠っていたまえ」

 そう言って男性は睡眠作用のある魔術を詠唱する。“実験体”はそれが詠唱されるまでずっと抵抗を続けていたが、詠唱が終わると事切れたかのように力なく眠りにつくのだった。

「やれやれ、これでしばらくの間は大人しくしているだろう」

 男性は眠りについた“実験体”を一瞥すると、暗い部屋を後にして目映い明かりに包まれた外へと出て行った。ここは研究施設の奥。立ち入りを制限された場所である。この場所に入ることができるのはこの実験に参加している優秀な研究員数名のみ。

(全ては、このわたしの輝かしい栄光の日々を取り戻すため)

 コツコツと靴音を周りの壁に反響させ、薄暗い実験室から遠ざかりながら男性はかつての日々を思い出し、耽りながらその場を後にする。
 彼の頭の中にあるのは遥か昔、まだ彼が若かりし頃周りの賞賛を浴びていた日々のことのみ。稀代の天才、並び立つもののない存在ともてはやされ、誰もが彼の顔色を伺い、教えを請うてきた時代。
 しかし、そんな彼も今は老いた。歳を取り、時代は変わり、かつての天才は凡夫と成り下がり、周りの注目は新しい時代の天才へと移り変わっていた。
 並ぶことのないとされていた天才の栄光は錆び、持っていた権威はかつてとは比べ物にならないほど地に墜ちた。彼の顔色を伺っていた者たちも、時が経つにつれて少しずつ彼の元を離れ、今の若い研究員の多くは彼を老害だと影で罵っている。

(わたしを……このわたしを一体誰だと思っている。魔術を蓄積する術を考え、この街を豊かにしたのはこのわたしなのだぞ)

 トリアで使われている魔術蓄積の装置の発案をし、実現化に至らせたのは隠すまでもなくこの男性の功績だった。今でこそ当たり前のように使われている装置だが、当時は革新的な発明としてトリアに留まらず、他国からも多大な注目を浴びていた。

(それに、新しい時代の天才と呼ばれている二人を育てたのも、元を辿ればこのわたしのおかげだ。それを、世の凡人どもは理解していない。天才的なこのわたしが教えたからこそ、彼らの魔術に関する才能は伸び、今に至るまでになったのだ。なのに、なぜそれがわからないのだ!)

 少しずつ募っていく苛立ちに男性の歩みが速くなる。靴を踏み鳴らす音は苛立ちのせいか、次第に大きくなり、いつの間にか立ち入り制限区域を抜けて一般の研究区域へと入っていた。他の研究員たちが鬼気迫る彼を見て怯え、小声で噂話を立てながら通り過ぎていく。それすらも眼中にないと言わんばかりに男性は無視し、呼吸をするように意識から外して歩き続ける。
 だが、そんな彼に前方から歩いてくる一人の女性が声をかけた。

「あ、ジョゼ先生。どこに行っていたのですか、探しましたよ」

 慣れ親しんだ声が聞こえ、男性が顔を上げる。そこに居たのは皮肉にも彼が手間暇かけて育て、稀代の天才と呼ばれるまでに成長することになった愛弟子の一人である女性、シアであった。

「ん? ああ……シア君か。どうかしたのかね?」

 思いがけぬ人物の登場に虚を突かれ、つい気の抜けた返事をしてしまうジョゼ。

「どうかしたって……。先生が仰られたんですよ、魔力の運用に関するレポートをまとめておけと。もう、しっかりしてくださいよ。まだまだ先生は現役なんですから。そんなボケた振りなんて似合いませんよ」

 微かに笑みを浮かべながら、冗談を口にするシア。そんなシアの言葉にジョゼは上手く返すことができず、最低限の返事をする。

「うむ。そうだな、わたしはまだまだ現役だ……」

 そう言うジョゼにシアはレポートを渡し、その場を後にして去っていく。その背が見えなくなるまでじっとジョゼは見続ける。嫉妬、憎悪、怒り、羨望。さまざまな感情が入り混じる中、狂気をその胸の内に孕み、誰にも聞こえないほどの声で小さく呟く。

「わたしはまた、かつての栄光を取り戻してみせる。それは君にも、彼にも、絶対に邪魔させはせぬよ」



 月明かりが雲の切れ間から街を照らす。静まり返った街中で、一人の男の荒い呼吸音が辺りに響き渡る。

「――はっ、はっ、はぁっ!」

 息もきれぎれになり、衣服は身体から吹き出た汗でびっしょりと濡れている。走り続けたせいか、腿は腫れあがり、走っている途中で時たま足がもつれたりもしていた。しかし、それでもなお男は走り続けるのをやめない。
 走る、走る、走る。後ろにあるのはただの暗闇でしかないのに、まるでその暗闇の中から何かが彼を追い続けているかのような様子だ。

――否。事実、彼は追われていた。

「ちくしょう……どうして、こんなことに」

 悔しさを滲ませながら不満を呟くが、彼の脳内ではまったく別のことが考えられていた。

(やっぱり、来た! あいつらが殺されてからいつかくるんじゃないかとずっと思ってた。俺だけは違うなんて思ってたのは間違いだったんだ。こいつは、こいつは俺たち研究員を狙ってるんだ!)

 自分が追われる原因に思い当たる節がある男は逃げ続ける。しかし、走る速度をいくら速めても、背後にある気配は一向に遠ざからない。そして、とうとう逃げた先が行き止まりとなり、彼の退路は断たれた。
 少しずつ、少しずつ己の元へと近づく死の気配。それに怯えながら、僅かに残された勇気を振り絞り、後ろを振り返り叫び声をあげる。

「誰だ! お前は一体誰なんだ! あの実験の関係者か!?」

 問いかけに答える声はなく、代わりに返ってきたのは靴音のみ。

 ふいに、ひときわ強い風が吹き、月を遮っていた雲が流れていく。それまで暗闇に包まれていた追跡者は、大地を照らす月明かりによってその姿を影の中から現した。

「お、おまえは……」

 驚きの表情を浮かべる男に、追跡者はただ一言を告げる。

「お前たちの犯した罪、それを絶対に許さない。慈悲など一切の余地はない。その行為、己が死をもって贖え」

 そう告げる追跡者。命の危機を察し、抵抗しようとする男。だが、魔術を唱える暇もなく、その首は胴体と分かたれる。鮮血が吹き荒れ、驚愕の表情そのままに分かれた首が地に落ちる。その光景を最後まで見届けることなく、追跡者は闇の中へと帰っていく。
 そして、その姿が完全に闇に消える前に誰に伝えるでもなく独り呟く。

「貴様たち研究員は一人たりとも許さない。この復讐、誰であろうと邪魔はさせん。死を、死を、奴らに死を! ふははははっ! あーっはっはっはっはっ!」

 狂気に満ち溢れたその瞳を闇夜に輝かせながら、殺人者は去っていく。

 今宵もまた、トリアの街に殺人鬼の犠牲者が生まれていく。

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

動き出す悪意

 フィードとアルがトリアを訪れて既に数日が経とうとしていた。アルの烙印を消すために来たフィードたちだったが、烙印を解除するために必要なクローディアの暇が中々取れず、それぞれにできることをしてクローディアの時間が空くのを待っていた。変わったことといえば、今まで自分から行動を起こすことの少なかったアルが魔術を教えて欲しいと願ったことくらいで、それ以外はトリアは平穏な日々が過ぎていた。
 今日もまた、そんな何もない日々を過ごすため、フィードに見送られてクラリスは魔術の勉学に励もうと気合を入れて、学院の門を通って校舎へと向かう。
 もう何年も通っているこの魔術学院。クラリスの家で唯一の働き手の兄によってこの学院に通うことができている。もちろん、クラリス自身も勉学を怠ることなく努力を続けて、特待生としてある程度の学費を免除してもらっている。だが、そうして学費を免除してもらえる理由の多くが自分の功績ではなく兄の評価によるものが大きいということもまたクラリスは自覚していた。

(家では頼りないような兄さんだけど、稀代の天才の一人なんて言われてるもんね)

 学院が排出した卒業生の中に在学中からその才能を一際輝かせ、すばらしい功績を立てたものがこの数年の間に二人いる。それも同期に。
 一人は言うまでもなく、クラリスの兄であるクローディア。こちらは魔術を扱う才に長け、自身の才能を存分に用いて通常では一度に一つしか発動できない魔術を同時に併用できるということを実証した。ただし、これは自身の才があってできるものであるため、万人に対しての普及がなると言われると否である。しかし、それでもなお魔術の新しい可能性を生み出したとしてその名声は魔術に精通するものなら名を知らないものが少ない。
 そして、もう一人の天才はかつてクローディアの彼女でもあり、クラリスとも幼馴染であった女性、シア。こちらはクローディアと違い、魔術の才能がなく、自身で魔術を使用することはかなわかったが、彼女が提案する魔術の構築論やその応用法に既定の魔術概念は覆され、魔術を用いない天才としてクローディアと肩を並べるほどの名声を得ていた。
 そんな二人との関わりが深いとなれば、学院側がクラリスに賭ける期待は多大なものだ。彼らに続く成果を出してくれるようならば学費の免除など痛くもないのだろう。だが、当のクラリスはというと確かに優秀ではあるもののその才は努力によって補われているところが多く、天才と呼ぶよりは秀才と呼ぶべきで部類である。多大な功績を残した兄やシアに比べるとどうしても見劣りしてしまう。
 それを分かっているクラリスは自身の肩にかかる期待のプレッシャーに押しつぶされないようにするので今までは精一杯だった。ここ最近の兄に対する反発はシアの件だけではなく、このことも理由の一つにあった。しかし、この数日間で彼女にある変化が訪れていた。
 クローディアのことを知っていても昔と変わらず素の自分を見て接してくれるフィードと、クラリスの過去を知らず、自身を頼ってくれるアル。そんな二人と関わっているうちに少しずつその背にあった重石が軽くなっていくのをクラリスは感じた。
 校舎に入り、今日の講義がある講義室へと入る。室内には既に多くの生徒が着席しており、空いている席をクラリスが探していると、部屋の奥にいる眼鏡をかけた少女がクラリスの元へと来た。

「おはよう、クラリス。今日はいつもより遅いんだね」

「おはよう、ジーナ。そっちこそ今日は遅刻ギリギリじゃないなんて珍しいね」

「まあ、いつもギリギリって言うのもどうかと思って……」

「ふ~ん。どういう心境の変化なのかな。三日持ったらまぐれじゃないって思ってあげるよ」

「言ったね。じゃあ、三日持ったら帰りにお菓子を奢ってもらうからね」

 そんな風に楽しく二人が雑談を交わしていると、少し離れた位置にいる数名の男子生徒が話す噂話がクラリスの耳に聞こえてきた。

「おい、聞いたか? また出たらしいぞ犠牲者。これで四人目だぞ、一体魔術師団はどうしてるんだよ」

「殺されたのは昨晩らしいな。前回と同じく痕跡が一切ないみたいだ」

「俺の知り合いで現場を見たやつがいたんだけど、酷いもんだったらしいぜ。首と胴体が綺麗に分かれてたみたいだ。辺りは血まみれ、見た瞬間に吐いたって言ってた」

「犠牲者はまた研究員だったんだろ? どうも他国がこの国の優秀な研究員を狙った暗殺って噂も流れてるみたいだぜ」

「そうなのか? だとするとクローディア先生とか危ないんじゃないか? あの人なんてこの国の象徴的研究者の一人だし」

 そこまで聞いてクラリスは自分の背に悪寒が走るのを感じた。今までは犠牲者が出ていても、それが身近に感じなかったからどうとも思っていなかった事件だが、こうも立て続けに事件が起こり、魔術研究員が殺されているとなると、兄であるクローディアの身も危なくないとは言えないのだ。

「クラリス? おーい、どうしたの?」

 目の前にいるジーナに声をかけられてクラリスはハッとする。ボーっとしているクラリスをジーナは不思議そうに眺めていた。

「ううん。なんでもないよ、それよりもうすぐ講義始まるから席に着かないと」

 己の胸中を悟られないように、別の話題を出して誤魔化すクラリス。しばらくして学院にある大鐘が鳴り響き、講義の始まりを告げる。
 しばらくすると、クラリスにとって今日最初の講義を担当する講師である壮年の男性、ジョゼが講義室の扉を開けて中へと入ってきた。年老いて衰えを見せ始める身体をピンと張り、見ようによっては尊大な態度で教卓に着くジョゼ。教本を開き、出席を確認することもなく早速講義を始めようとする。

「ねえねえ、クラリス。クローディアさんって、あのジョゼの弟子だったってホント?」

 教本で顔を隠し、小さな声でクラリスに尋ねるジーナ。

「ジーナ、ジョゼ“先生”でしょ? 駄目だよ、講師を呼び捨てにしちゃ」

「だって、あの偏屈爺堅物だし必要最低限の授業しかしないじゃない。生徒とも最低限しか接しようとしないしさ。昔は天才だとか呼ばれていたらしいけど、今となってはただのうっとおしい爺なだけよ。それで、どうなの? 本当に弟子だったの?」

 仮にも今講義を受けている身であるジーナが講師の悪口を言うことにクラリスは呆れてため息をつく。しかし、自分の持つ印象と他人の持つ印象が違うということは当然だとクラリスは思っているので、せめて悪口を言わないよう注意することしかできなかった。それから、ジーナから尋ねられた質問に対して返答する。

「兄さんがジョゼ先生の弟子だったって言うことなら本当だよ。元々学院生だったときにシアさんと兄さんが一緒にジョゼ先生の講義を取っていて、二人のほうから色々と魔術についての教えを請うてたみたい。それで、ジョゼ先生も二人の熱意に応じるように熱心に教えてたみたいだよ」

「へ~。そんなことがあるものなのね。今あたしたちの前にいる爺と同一人物だとは到底思えないわ」

「う~ん。でもジーナの言うことも一理あるかも。兄さんたちに講義をしていたころのジョゼ先生は今に比べてもっと明るかったみたいだし、もう少し物腰が柔らかかったみたいだよ。どうして今みたいになっちゃったのかは分からないけれど……」

「それってやっぱりあれじゃない? 自分が教えていた生徒が自分以上の功績を出しちゃったから嫉妬してるんじゃないの?」

「そ、そんなことはないと……」

「だってさ、最近あの爺さんとクローディアさんが一緒にいるところ見た? 見てないでしょ? 噂じゃ二人の仲はかなり悪いらしいよ。どうも学院を卒業する際に爺が自分の研究グループにクローディアさんを誘ったけど断られたことが原因みたい」

「そういえば、兄さんジョゼ先生の研究グループに誘われたって話を前にしてたっけ。確かシアさんはそっちに行ったみたいだけれど」

「でしょ? だからさ……」

 話の途中でジーナが突然押し黙った。どうしたのだろうと思っていると、教卓越しにクラリスたちをじっと見つめるジョゼの姿があった。ジーナは先ほどよりも更に教本に顔を隠し、

「マズイマズイ。絶対無駄口叩いてたの気づかれた。どうしよう、あたしレポートまともに出してないから今期の評価最低にされるよ」

 と、ガタガタと身を震わせて嘆いていた。そんな友人の姿に自業自得だと内心で呟き、無駄口をこれ以上叩かないように講義に集中する。未だにジョゼはクラリスの方をじっと見つめていた。思わず視線を合わせてしまうクラリス。離れているはずなのに、その瞳を見つめていると引き込まれてしまいそうな感覚に陥る。暗く、深い何かがクラリスの意識を引っ張っていく。

「クラリス君。この講義が終わったら話があるから私の研究室に来たまえ」

 そうジョゼが言うと、室内にいる生徒の視線が一斉にクラリスの元へと集まる。その殆どが同情の眼差しであった。それをクラリスは感じ、ぼんやりとしていた意識がはっきりとする。隣では話を始めたジーナが申し訳なさそうにしている。

「はぁ、しょうがないな」

 ため息と共にそう呟き、クラリスは講義の続きを聞くのだった。



「単刀直入に言おう。クラリス君、わたしの研究を手伝う気はないかね」

 講義後、学院にあるジョゼの研究室を訪れたクラリスは開口一番にそう伝えられる。

「それってつまり、研究グループへの所属の件ですか?」

「まあ、そういうことになる。どうかな? もちろん、君に意思があればだが」

 そう問いかけられてクラリスは戸惑う。てっきり先ほどの講義での雑談について叱咤されると思っていたため、この展開はあまりにも予想外だったからだ。
 そもそも、ジョゼの言う研究の手伝いというのは学院を卒業後、彼の持つ研究グループに所属し、そこでより高い魔術に関する研究を続けるというものだ。もちろん、それは優秀な学院生であれば学院に所属しているときから研究グループに誘いがかけられる。クローディアやシアも当時はそのようにしてジョゼの研究グループに所属していた。

「その、一つ聞いてもよろしいですか?」

「うむ、なんだね?」

「私を研究へ誘っていただいたのは非常にありがたいですし、光栄に思います。しかし、先生が私を兄のような天才だと思っているようでしたら話は変わります。私には兄ほど魔術を扱う才も、シアさんのように魔術に関する深い論文を書けるわけでもありません。自分で言うのもなんですが、他の生徒よりもほんの少し勉学ができるという点しか特筆すべき物はありません。正直今の段階で研究へと誘っていただける理由が思い当たらないのですが……」

 自分で言うようにクラリスは兄であるクローディアに比べれば見劣りする。既に学院を卒業した生徒であれば、まだ学習途中である自分よりも優秀な生徒は幾らでもいるはずなのだ。それなのに、自分を誘うという理由が分からず、クラリスは困っていた。
 そんな彼女を見て、ジョゼはあごを擦りながら答える。

「ふむ、つまりこういうことかな? 自分には何の才能もないと。君を見込んでこの提案をしたわたしは間違っていると?」

「い、いえ。そういうわけでは……」

「わたしはね、クラリス君。何も君のお兄さんの件があるから君を誘っているわけではないのだよ」

「――えっ?」

「確かにわたしは君のお兄さん、クローディアを弟子として研究グループに所属させ、彼が今に至るまでの過程をずっと見続けてきた。当時から彼は多大な才能をその身に秘めていたが、何も最初からその名が響くほどの人間だったわけではないのだよ。彼の才能と、ひたむきに魔術に費やした時間が今の彼を作ったんだ。それこそ、君と同じくらいの年のころは彼だって人よりちょっと魔術が得意なだけの少年に過ぎなかったよ。
 将来その人間がどう代わるかなんて分からないものさ。それこそ、当人でもね。わたしは君に彼のようになってほしいとは言わない。だが、君自身が望んで成果を挙げたいと思えばその可能性は幾らでもあるんだよ? 今わたしが提案しているのはその可能性の一つだと思ってくれればいい」

 クラリスはいつの間にか熱心に語るジョゼの話に耳を傾けていた。兄の成長、そしてその功績を挙げていくさまを身近で見続けた人物が、兄とは関係なしに自分を必要としている。その事実に胸が弾んだ。しかし、そう簡単に決断ができるほどクラリスは単純ではなかった。

「……すみません。その申し出はとてもありがたいのですが、やはり突然のことなので考える時間がほしいです。簡単に決めるにはかなり重要なお話ですので」

 そう返すクラリスに、ジョゼは特に気分を害した様子もなく答える。

「ああ、そうだね。じっくりと考えてくれるといいよ。期限とかは特に考えていないからね。気持ちが決まったら返事をくれるといい。わたしとしてはいい返事を期待しているよ」

 その後、出されたお茶とお菓子を貰い、クラリスはジョゼの研究室を後にした。自分が研究グループに誘ってもらえたことや、色眼鏡なしで自分を評価してもらえたことが嬉しかったのか、その足取りは軽かった。家に帰ったらフィードやアル、それから兄であるクローディアに今回の件について報告しよう。そう思い、クラリスは次の講義のある教室へと向かっていく。
 そんな彼女の背を見つめる一つの影があった。ギュッと手を握り締め、鋭い視線でクラリスが今出てきた研究室を睨みつける。すると、その視線に答えるかのように研究室からジョゼが現れる。自分を睨みつける影に気がつき、そちらへと向かっていく。

「やあ、久しぶりだねクローディア。君がわたしの研究室に来るなんて珍しい」

 おどけたように問いかけるジョゼに、鋭い視線を崩すことなくクローディアは尋ねる。

「どういうつもりですか、先生。あなたがクラリスに用があるとは思えないのですが」

「おや? わたしが優秀な生徒に唾をつけるのは行けないのかね?」

「失礼ですが僕はクラリスが優秀であるとは思えません。確かにあの子は勉学を頑張っていますがよくて秀才止まりです。先生が唾をつける理由がありません」

「おやおや、君は身内に厳しいね。まあ、確かに彼女は天才ではないかもしれないが、それでも十分優秀だ。最近“何故か”わたしの研究グループに所属している研究員が殺されていてね。このままだと誰もわたしの研究グループからいなくなってしまうのではないかと心配してるんだよ。君はわたしの研究グループへ所属する誘いを断ったんだ。君の代わりはいるとは思えないが、いなくなった研究員の補充はいくらいたとしても足りないくらいだよ」

 そう答えるジョゼにクラリスはギュッと唇を強くかみ締める。

「それは先生が密かに進められている“実験”とやらが関係しているのではないのですか? あなたの研究グループの研究員が殺されるているのにも何か思い当たる節があるのではないのですか?」

「さあ、なんのことやら?」

 クローディアの詰問にさえどこ吹く風という態度で受け流すジョゼ。これ以上相手をするのは無駄だと悟ったのか、クローディアはその場を後にしようとする。

「先生、最近トリアの街は物騒です。夜は一人で出歩かないほうがいいと思いますよ」

「それを言うなら君もだよ、クローディア。生徒たちの噂じゃ他国からの暗殺者がこの国の力を削ぐために研究員を殺しているという。君なんてこの国の象徴の一人なんだ、気をつけておいて損はない」

「ご忠告ありがとうございます。夜道には気をつけておきます。……それから最後に一つだけ」

「なんだね?」

「もしあなたがクラリスに手を出すようなら、僕は全力でそれを阻止する。それでもなお諦めないなら、僕はお前を殺す」

 そう言い残し、立ち去るクローディア。その背が見えなくなるまでその場に立ち尽くしたジョゼもまた、いなくなったクローディアに対して呟く。

「さて、どこから情報が漏れたのやら。早いうちに手を打っておいても問題はないだろう。クローディア、君は非常に優秀な生徒だったのに、こんな決断を下すことになってしまって、わたしはとても残念だよ」

 そう言ってどこかへと向けてジョゼは歩き出す。目には見えない悪意が静かに動き出そうとしていた。

テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

こねこ時計 ver.3

CATS
Sweets

プロフィール

建野海

Author:建野海
扉の中の部品たちへようこそ。

名前:建野海

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好きな食べ物: 和菓子、洋菓子などデザート類。

趣味: 読書、ツーリング、ゲーム、ピアノ、映画鑑賞。

好きなマンガ:
ワールドエンブリオ
修羅の門
     3月のライオン
     エリアの騎士
     フルーツバスケット

好きな小説:ダレンシャン
      白夜行
      スロウハイツの神様
      向日葵の咲かない夏
      白い巨塔など。

好きな映画:プラダを着た悪魔
      ワイルドスピード
      僕駐
      インセプションなど。

好きなゲーム:キングダムハーツ
       テイルズ
       ルーンファクトリー
       ゼルダの伝説など

好きなアーティスト:福山雅治
          宇多田ヒカル
          UVERworld
          アンジェラアキ
          

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